第3話中編 オスマンとの出会い

第3話中編 オスマンとの出会い

主な登場人物紹介(女性編)

〇 テオドラ・アンゲリナ・コムネナ
 しょっちゅう出て来るので説明は不要だと思いますが、一応ビザンティン帝国の皇女様。イサキオス帝と愛人カタリナの娘だが、ある政治的な理由から正式な皇女へと格上げされ、主人公を『神の遣い』として自分の婚約者にしてしまう。過去最高の適性95、いや現在は96を誇る、赤学派の神聖術博士にして強力な火炎系・爆発系の神聖術を使いこなすが、稀代のトラブルメーカーでもあり「爆裂皇女」の異名もある。天才的な踊り子でもあるが、踊り子として舞台に立つときは態度が一変するため、周囲からは別人だと思われている。

〇 イレーネ・アンゲリナ
 イサキオス帝の兄、元皇帝アレクシオス3世の娘で、預言者の異名を持つ緑学派の天才術士。治療や身体強化などの術を得意とする。元はイレニオスと名乗り男性を装っており、主人公の命令でイレーネという女性名に服するも、周囲から女性として注目されるのに慣れていないため、服装は従来のまま。そのため、主人公ビジョンでは絶世の美少女であるが、周囲からは男の子と勘違いされることが多い。その一方で、自分を唯一女として見てくれる主人公にベタ惚れしてしまい、自ら勝手に主人公の性奴隷を名乗って、主人公を誘惑したりエッチなご奉仕をしたりする。神聖術以外にも様々な特殊能力を持っているなど、その正体にはまだまだ謎が多い。適性は公称91。

〇 プルケリア・アンゲリナ
 アレクシオス3世と皇后エウフロシュネの娘で、イレーネの異母姉にあたる。適性は93。白学派の博士で、氷を使った術を得意とするが、それ以外の術もかなり使える。最初は敵として登場したが、マイアンドロス河畔の戦いでアレクシオス3世が敗れて幽閉されると、その後は主人公に仕えた。術士としてはテオドラとライバル関係にあるが、性格はテオドラよりずっとまともで、出番こそ多くないが、主人公からはテオドラより信頼されている。ただし、規格外の巨乳の持ち主であり主人公の好みから外れているため、美人ながら主人公からは恋愛の対象とみなされていない。
 現在のところ、テオドラ、イレーネ、プルケリアの3人が、ビザンティン帝国の術士としては最高クラスの能力を持ち、「三傑」と評されている。

〇 オフェリア
 ビザンティン帝国の侍従長。奥手な主人公に性教育を施そうとしている。

〇 マリア
 主人公付きの主任メイド。真面目だが転んだり迷子になったり失敗も多いため、周囲からはドジっ子マリア、馬鹿メイドなどと呼ばれている。可愛いので主人公からは気に入られているが、主人公のクラスメイトである湯川美沙にそっくりなため、主人公はマリアとの子作りを勧められても、今のところ必死に我慢している。主人公付きのメイドは、他にも副主任のマーヤなど10人以上いるが、主人公から名前を覚えられているのは、現在のところマリアとマーヤ、ソフィアのみである。

〇 ソフィア・ブラニア
 主人公付きのメイド兼秘書。幼少時から、男性有識者並みの英才教育を受け、主人公からその知識と才能を認められてその側近となるが、たまにおかしな言動も見られる。イサキオス帝に謀反を起こして殺された悲運の名将アレクシオス・ブラナスの残した娘で、ラスカリス将軍の養女として育てられるが、ラスカリス将軍の娘で自身の従姉妹にあたるルミーナとは犬猿の仲。神聖術の適性は65しかなく、ルミーナに大きく負けていることを悔しがっている。

〇 ルミーナ・ラスカリナ
 ラスカリス将軍の娘で、テオドラ皇女担当の主任侍女を務めているが、主人公を篭絡し玉の輿に乗る機会を虎視眈々と窺っている。学問は得意ではないが、赤学派の術士であり適性も87と結構高い。ただし、術士として活躍したことはまだ無い。

〇 ソーマ
 オフェリアとイサキオス帝の娘で、テオドラの侍女を務めている。性格はテオドラの侍女としてはまともで、周囲からは「ソーマちゃん」と呼ばれ可愛がられている。術士としての適性は85だが、活躍の実績はまだない。

〇 テオファノ・アンゲリナ
 テオドラの同母妹で、テオドラの侍女では無いがほぼ姉と生活を共にしている。適性91の術士とされているが、聖女ごっこが大好きで、何の効果も無い悪魔祓いの儀式などをやったりしているので、主人公からはただの中二病娘だと思われている。

〇 ダフネ
 クマン族の族長バチュマンの娘。まだ十代前半ながら、並外れた騎射の腕を持つ天才少女で、クマン族の弓騎兵隊を率いる将として活躍している。当初はキズラルバスという名前であったが、名前が可愛くないし呼びにくいという理由から、テオドラによりダフネという名を与えられた。大きくなったら主人公の子供を産むと宣言している。青学派で神聖術の修行をしており適性も85と高く、今後更なる活躍が期待されている。


第7章 偽皇女様

 原因などは全く分からないが、鏡に映った姿と身体の状態を見る限り、僕はテオドラ皇女様の身体になってしまったことを悟らざるを得なかった。部屋を見渡すと、テオドラの侍女ルミーナはまだ眠っている。ソーマちゃんやテオファノは別の部屋で寝ているようだ。解決法が全く分からない以上、ここはテオドラの振りをして何とか乗り切るしかない。しかし、普段のテオドラが、侍女たちに対しどのように振る舞っているのか僕は全く知らない。一体どういうテオドラを演じればいいのかと僕が考えていると、ルミーナが目を覚ました。
 もはや深く考えている暇はない。僕はできる限り、皇女様っぽく話すことにした。
「ごきげんよう、ルミーナ」
 僕がテオドラの声でルミーナにそう語り掛けると、ルミーナは僕を見て震え上がり、平伏して謝り出した。
「こここ皇女様、もう起きていらっしゃったのですか!? 大変申し訳ございません! 皇女様が起きていらっしゃるのに私が寝ているとは、このルミーナ一生の不覚でございます! どうかお許しくださいませ!」
「何を怯えているのです、ルミーナ?」
「今後は十分気を付けますから、何とかお仕置きの逆十字固めだけはご勘弁くださいませ!」
・・・いつも、テオドラはルミーナにそんなことやってたのか。そう言われてみれば、確かに猫のレオーネに対する扱いも乱暴だったからな。しかし、今更路線変更するわけにも行かない。僕は、清楚なお嬢様キャラで押し通すことにした。
「ふふっ、何を言っているのですか、ルミーナ? この皇女たる私が、そのように野蛮なお仕置きをするはずがありませんでしょう?」
 僕の言葉を聞いたルミーナは、安心するかと思いきや、逆に僕のことを心配し始めた。


「・・・皇女様、何か悪い物でも食べられたのですか?」


 僕は、思わずずっこけそうになるのを何とかこらえて、ルミーナにこう答えた。
「私は至って健康ですわよ。一体私のどこがおかしいと言うのですか?」
「・・・普段の皇女様であれば、『ルミーナ、この皇女様を差し置いて呑気に寝ているとはいい度胸ね! 躾をしてあげるわ!』などと仰って、私を乱暴に蹴り起こし、私が泣いて謝るまで逆十字固めをしたり、私を散々蹴飛ばしたり肘打ちをしたりして、私にきついお仕置きをされると思うのですが」
 ・・・僕は頭痛がしてくるのを何とかこらえて、
「確かに、昔の私にはそのようなこともあったかも知れません。しかし、今の私は改心して、真なるローマ帝国の皇女として覚醒したのです。もう、そのように乱暴なことはしませんよ、ルミーナ。安心しなさい」
「・・・分かりました、皇女様。では朝のお召し替えを」
 そうだった。テオドラの振りをするということは、着替えもするということだった。しかし今更引き返すわけにも行かない。
「宜しくお願いしますわ、ルミーナ」
 ルミーナは怪訝な顔をしながらも、僕の着替えを手伝ってくれた。僕はテオドラの裸を見てしまいドキドキするか・・・と思ったら、別に何も感じない。身体が女性になったことで、心もある程度女性らしくなっているようだ。
 胸のはだけた新作ドレスに身を包んだ、テオドラの姿をした僕は、ルミーナに付き添われて食堂へ行った。宮殿内の食堂は数か所あり、僕が普段食事を取る場所と、テオドラが食事を取る場所は違う。そのため、テオドラが普段どのような食事のとり方をしているかは知らない。
 そして僕は食堂で、テオファノとソーマちゃんに会った。
「ごきげんよう、テオファノ、ソーマちゃん」
 僕がそう挨拶すると、二人は一様に目を丸くして、
「皇女様、一体どうなさったのですか!? お身体の加減でもお悪いのですか?」
「姉上、悪魔にでも取り憑かれてしまわれたのですか? 致し方ございません。このテオファノが、姉上様に取り付いた悪魔を祓って差し上げましょう」
 僕は、何やら怪しげな悪魔祓い儀式らしきものを始めたテオファノを放置して、ソーマちゃんにこう問いかけた。
「ソーマちゃん、この私のどこがおかしいというのですか?」
「普段の皇女様は、私のことを『ソーマちゃん』などと呼んだりしません。そのような呼び方をするのは殿下がおられるときだけで、普段は単にソーマと呼び捨てにされますし、そもそも朝のご挨拶などなさいません」
 ・・・ソーマちゃんのことをちゃん付けで呼ばなければいけないというルールは、僕がいるとき限定なのか。僕をおちょくるためのルールなのか。もういいや、こうなったら徹底的に改心した皇女様になり切ってやる。
「私は真の皇女として改心したのですよ、ソーマちゃん。殿下がおられるときで無くても、可愛い私の妹であるソーマちゃんは、そう呼ばれるべきなのです」
 僕がソーマちゃんにそう答えると、今度はテオファノが怯えだした。
「・・・姉上、姉上の妹は私だけでは無かったのですか? 私でさえ、今まで姉上にそんな優しい言葉を掛けられたことはありませんのに。それに、普段姉上は殿下のことをみかっちと呼ばれるのに、言葉遣いも明らかに違います」
 ・・・確かにそうだった。でも、今更ここで方針転換するわけにも行かない。
「テオファノ、もちろんあなたも私の可愛い妹ですよ。それに、この帝国を再建するために日々頑張っておられる殿下を、そのようなあだ名で呼び捨てにするべきではありませんよ」
「むむむ、姉上には、かなり強力な悪魔が取り憑かれているようです。明らかにいつもの姉上ではありません。このテオファノも、悪魔祓いに全力を尽くさなければなりません」
 先程以上に必死になって悪魔祓いの儀式らしきものを始めたテオファノの説得はもはや諦めて、僕は両手を合わせて「頂きます」と一礼し、出来る限り上品に朝食を取り始めた。その光景を見て、ルミーナとソーマちゃん、テオファノや他の侍女たちは一様に、ますます怪訝な顔をし始めた。
「皇女様、やはりお身体の具合が悪いのではございませんか?」
 ルミーナがそう聞いてくる。僕は食べ方に何か粗相があったのかと思い、ルミーナに尋ねた。
「ルミーナ。私の食べ方に、何かおかしいところがあるのですか?」
「おかしいと言うか、あまりにも行儀が良すぎるというか・・・。普段の皇女様なら、時間を惜しむように手づかみでバクバクと食事をお済ませになり、すぐさま朝の遠乗りへ出掛けられますのに」
 テオドラは、いつもそんな食べ方をしているのか。これでは皇女様というよりただの凶暴な野生動物だ。しかし、この慣れない身体で、いつも通り馬に乗って僕を引きずりながら朝の遠乗りに出掛けるというのは、あまりにも危険過ぎる。
「・・・そうですわね。そう言われてみると、今日の私は、少し身体の具合が悪いのかも知れません。大事を取って、今日の朝の遠乗りは、止めにしておきましょう」
 何をやっても不審がる侍女たちの様子に、内心この作戦は失敗だったかなと思いつつ、僕は食事を終えるとテオドラの部屋に戻った。すると間もなく、なぜかパキュメレスが引きずられるように連れられてきた。パキュメレスはブルブルと震えながら、恐る恐る僕に挨拶をしてきた。
「こここ皇女様、本日はご機嫌麗しゅうございます」
 僕はそんなパキュメレスを見て、思わず可愛いと思ってしまった。普段パキュメレスを見ても絶対に感じることのない、いや僕が生まれて一度も、誰に対しても感じたことのない類の感情だった。
「ごきげんよう、パキュメレス」
「・・・皇女様、今日は私のことをぱーすけとお呼びにならないのですか?」
 そう言えば、テオドラは普段そんな呼び方をしていた。でも、今更軌道修正をするわけにも行かない。
「パキュメレス。あなたは将来の宰相候補として、殿下が大切にお育てしている方なのです。そのようなあだ名で呼んでよいはずがありません。これからも殿下のお友達として、仲良くしてあげてくださいね」
「は、はい、畏まりました、皇女様」
 パキュメレスが、顔を真っ赤にしたまま僕に平伏してくる。この様子だと、ひょっとしてテオドラの姿をした僕に惚れてしまったのではなかろうかと心配になってきた。
「皇女様、今日は例の『可愛がり』をなさらないのですか?」
 ルミーナがそう訊ねてくる。どうしよう、ルミーナのいう『可愛がり』が何を意味するものか全く分からない。とりあえず僕は逃げを打つことにした。
「本日は止めておきましょう。下がって宜しいですよ、パキュメレス」
「は、はい。失礼させて頂きます」
 そう言い残してパキュメレスは下がって行った。
 この危機を何とかやり過ごした後、僕は部屋の中にある机に目が向いた。机の上には、羊皮紙で出来た一冊の本らしきものがある。表紙には『聖なる愛の物語』と書かれていた。
 ・・・例の、僕をネタにしたBL小説か。改めてその内容を読んでみると、神の遣いとして降臨した僕が、初陣で泣き顔になりながらも危険な囮役を務める様が簡潔に書かれており、その後テオドロスに慰められて愛される様子が濃密に描かれている。その次の章になると、僕が兵を率いて山賊退治に行き、アレスを解放した場面が簡潔に書かれ、その後約束どおり戻ってきたアレスに僕は感激して抱き付き、その後アレスに愛される様子が濃密に描かれている。第3章では、イレーネはイレニオスの名前で登場し、僕はマイアンドロスの戦いの前、イレニオスを引き留めようとして熱烈な愛の告白をし、戦いの後でイレニオスに愛される様子が濃密に描かれている。そして第4章では、アトス山の麓で僕とパキュメレスが運命的な出会いを果たし、パキュメレスに愛される様子がこれでもかというほど濃密に描かれている。
 僕をBL小説のネタにするだけでも十分腹が立つが、なんで僕は誰が相手でも受け身の側になるのか。あれなのか。いわゆる、「みかっち総受け」という執筆方針なのか。
 僕は、ルミーナに『聖なる愛の物語』を差し出し、こう命じた。
「ルミーナ。このように汚らわしい書物は、焼き捨てておしまいなさい」
 するとルミーナは驚き、必死に僕を引き止めに掛かった。
「皇女様! 正気でいらっしゃいますか!? 皇女様渾身の名作を、よりによって焼き捨てるななんて、とんでもないことです! どうか、お考え直し下さいませ!」
 ソーマちゃんもそれに続いて、
「皇女様! 『聖なる愛の物語』は、皇女様が心血を注いでお描きになった、帝国文学史にその名を残す不朽の名作ではございませんか! それを皇女様ご自身の手で焼き捨てるなど、聖なる都の劫略にも匹敵する、重大なな文明の破壊行為です!」
 そこまで言うか。それに、こんなものがビザンティン帝国の文学史に名を残されたらたまったものじゃない。
 そして、どうやら普通の悪魔祓いでは効果がないなどと言って、どこからか大きな聖処女マリアのイコンを持って来て、お香まで焚いてイコンに向かって必死に祈りを捧げていたテオファノも、
「姉上!! その聖なる書物を焼き捨てるなど、神に対する冒瀆です! こうなっては、姉上に取り憑いた悪魔を、なんとしても祓って差し上げなければなりません!」
 ・・・3人とも、ここまで必死に止めようとするところを見る限り、どうやらこのBL小説の大ファンらしい。別に女の子たちがBL小説にはまるのは勝手だが、僕をネタにするのは止めて欲しい。
「ルミーナ、ソーマちゃん、テオファノ。よりによって殿下をネタにして、このようにありもしない同性愛行為を描いたこのような小説は、殿下に対する重大な冒瀆です。皇女テオドラの名において命じます。直ちに、この本を焼き捨てておしまいなさい!」
「・・・分かりました。では皇女様、そろそろご入浴の時間です。私がお背中を流しますので、この本はその間に処分させておくことに致しましょう」
 ルミーナがそう言ってきた。そう言えば、テオドラは1日3回入浴すると言われる程の風呂好きだ。入浴まで拒否するとなればますます怪しまれるだろう。それに、この身体であれば、テオドラやルミーナの裸を見ても興奮してしまうことはない。

 ・・・そんなわけで、テオドラの姿をした僕がルミーナと一緒に、優雅な入浴を楽しんだ後、戻ってくるとオフェリアさんが来ていた。
「ごきげんよう、オフェリア。何か私に御用ですか?」
「・・・確かに、いつもの皇女様ではございませんわね」
 オフェリアさんが鋭い視線で僕を見つめてくる。おそらく、僕ならぬテオドラの様子がおかしいと、侍女の誰かが入浴中にオフェリアさんに通報したのだろう。・・・テオドラの教育係を長く務めていたというオフェリアさんは、今までにない強敵だ。僕の勘がそう告げていた。
「どうしたのですか、オフェリア? 私はいつもの、テオドラ皇女ですわよ」
「そのお言葉自体が、いつもの皇女様ではないと仰っているようなものですが・・・。実は、今朝から殿下の様子がおかしいのです」
 僕は、思わず「僕がどうしたって?」と聞き返しそうになるのを何とかこらえて、何とかお嬢様キャラを通しつつ、このように言い直した。
「殿下のご様子がおかしいとは、具体的にどのようにおかしいのですか? お身体の具合でもお悪いのですか?」
「身体の具合というよりは、起きられた途端狂ったように自瀆行為をなされて、その後マリアに乱暴なお言葉を発せられて、マリアに襲い掛かられて・・・。殿下がようやく子作りをされる気になられたのは宜しいのですが、明らかにいつもの超奥手でヘタレな殿下とはあまりにもご様子が違いますので、イレーネ様にも協力して頂いて、ようやく取り押さえたところでございます」
 超奥手でヘタレとは何だ、と言い返したくなるのを何とか堪えて、僕はオフェリアさんに伴われて、本来の僕の部屋へ様子を見に行った。いつものテオドラなら、全力ダッシュで廊下を走って僕の部屋へ向かうことは僕も分かっているが、そんなことをしたら自分の作ってきたキャラが崩壊し、自分の正体がバレてしまうかもしれない。僕は焦る気持ちをなんとか堪え、皇女様らしくなるべく上品な足取りで、僕の部屋へと向かった。それにしても何だろう、この気持ち。僕の姿をした誰かを見に行くだけなのに、不思議と胸が高鳴ってしまう。まるで、湯川さんにでも会いに行くような気分だ。
 テオドラの姿をした僕が、僕の部屋へ入ってみると、そこには僕の姿をした何者かが、動けないように荒縄で何重にも縛られていた。部屋にはイレーネとマリア、マーヤ、ソフィアなどの姿もある。
「このあたしを縄で縛るとは、一体どういうつもりなのよ! あたしを何だと思ってるのよ!」
 僕の姿をした人間の正体は、話し方でテオドラだとすぐに分かった。どうやらテオドラには僕と違い、僕らしさを装うという発想は微塵も無いらしい。
「くっ、みかっちの身体が貧弱なせいで、縄が解けないわ。こんなことなら、もっとしごいておくべきだったわ」


「貧弱で悪かったな!!」 


 僕の姿をしたテオドラの暴言に、僕も思わず素が出てしまった。失言に気付いた僕は慌てて自分の口を抑えたが、この一言を見逃すようなオフェリアさんではない。もはや手遅れであることは明らかだった。
「馬脚を現しましたね、偽皇女様。さあ、あなたの正体を白状して頂きましょうか?」
 オフェリアさんが、怪しく薄笑いを浮かべながら、テオドラの姿をした僕ににじり寄ってきた。
 ・・・それでも、僕としては正体を白状するわけには行かない。既にテオドラの姿で何度か着替えをして、ルミーナと一緒にお風呂にも入ってしまったのだ。特にやましい気持ちはなかったとは言え、ずっと正体を隠してテオドラの振りをしていることがバレたら、後で何を言われるか分かったものでは無い。
「・・・何を言っているのですか、オフェリア。私は正真正銘、高貴なる緋産室の生まれ、イサキオス帝の第18皇女、テオドラ・アンゲリナ・コムネナです。それ以外の何者でもありませんわよ」
 僕はなおもしらばっくれたが、オフェリアさんは誤魔化されてくれない。
「偽皇女様。あくまでテオドラ様の振りをされるつもりであれば、この私にも考えがあります。この私の手で、正体を白状させて見せましょう」
 僕は、メイドさんたちに拘束され、入ったことのない一室へ連れて行かれた。僕は全ての衣服を脱がされ、立ったまま両手両足を鎖で縛られ、全身にオリーブオイルをたっぷりと塗られた。どうやら、テオドラの『皇女の指輪』はオフェリアさんが管理しているらしく、股間を守るという機能はオフェリアさんによって無効化されていた。そのため、敏感なところにも容赦なくオリーブオイルが塗られ、気持ち良いというより、電流のように激しい刺激が僕を襲う。
「・・・オフェリア、この私に、一体何をするというのです?」
 僕が問うと、オフェリアさんはさも楽しそうにニヤリと笑みを浮かべ、こう答えてきた。
「拷問です。偽皇女様、私の拷問にどこまで耐えられますでしょうかね?」
 ・・・その後、僕はオフェリアさんに全身を愛撫され続けた。男の身体で感じられる快感とは、全く次元が違う。絶頂に登り詰めたときには、あまりに刺激が強すぎて頭がおかしくなりそうだった。
「なかなか粘りますね。ではこれならどうでしょう?」
 僕が二度目の絶頂を経験した後、オフェリアさんがそんなことを言った。その後もオフェリアさんは僕が入っているテオドラの身体を愛撫し続けたが、僕が絶頂に達しそうになると、その寸前で愛撫を止めてしまう。
「・・・なぜ止めるのですか、オフェリア?」
「この期に及んでもキャラを崩さないとは、なかなか根性のある偽皇女様ですね。最後まで気持ちよくして欲しいのであれば、正体を白状なさい、偽皇女様。そうすれば楽にして差し上げましょう」
 その後も、オフェリアさんの拷問は続いた。全身の気持ち良いところを愛撫され、絶頂に達するかと思ったところで止められる。もはや何時間続いているか分からない、終わりの見えない拷問が延々と続き、やり場のない不満に耐えられなくなった僕は、ついに屈服した。
「・・・ミカエルです。ミカエル・パレオロゴスです。お願いですから、もう楽にしてください・・・」
「やはり殿下でしたか。それでは楽にして差し上げましょう」
 その後オフェリアさんは愛撫を続け、僕の入っているテオドラの身体は久しぶりの、そして今までにない強烈な絶頂を迎え、そのショックで僕は気を失ってしまった。

 その翌日。
「ご主人様、おはようございます、なのです」
 マリアが、僕の様子を窺うように朝の挨拶をしてくる。どうやら元の身体に戻ったようだ。
「おはよう、マリア」
「良かったのです! ご主人様が、本物のご主人様に戻ったのです!」
 喜んだマリアは、感極まって僕に抱き付いてきた。

 一通り気分が落ち着いた後、僕はマリアに、昨日のことについて質問した。
「昨日、僕の姿をしたテオドラに、何をされたの?」
「昨日、ご主人様を起こそうとしたら、ご主人様はもう起きていて、お一人でその、オナニーをされていたのです。それで一回出した後、今度はいきなり私に向かって、『ああ、あんたがみかっちのとこの馬鹿メイドね。今から子作りするから相手しなさい』って言われて、無理やり押し倒されてしまったのです。その、ご主人様がその気になられたら、いつでもお相手しなければいけないことは分かっていたのですが、ご主人様の様子があまりにもおかしいので、私は思わず悲鳴を上げてしまったのです」
「それで、僕の姿をしたテオドラに、無理やり子作りされちゃったの?」
「いえ、ご主人様は私を押し倒し、子作りしようとしたのですが、やり方が分からなくて、上手く行かなかったようなのです。そのうち、私の悲鳴を聞いて、ソフィア様とマーヤちゃんが来てくれて、これはどう見てもいつものご主人様じゃないって話になって、2人がかりでご主人様を私から引き剥がそうとしたのですが、ご主人様が暴れ出して、二人では手に負えなかったのです。結局、イレーネ様がいらっしゃいまして、ご主人様を術で動けなくして、何とか取り押さえたのです。その後、ご主人様が、『このムズムズするものを何とかしなさいよ!』と仰るので、ご主人様に私とマーヤちゃんでいつもの『ごしごし』をしてあげたのです。昨日は怖いご主人様に『ごしごし』を8回もすることになって、とても大変だったのです」
「・・・まあ、大体事情は分かった。ごめんね、マリア。怖い思いさせちゃって」
「ご主人様のせいではないのです。・・・たぶん、マリアが、ご主人様を満足させられていないから、なのです」
 それきり、マリアはしゅんとしてしまった。
「えーと、昨日僕の姿をしていたのは、テオドラだってことは分かってるんだよね?」
「それは、オフェリア様から聞きました、なのです」

 マリアからこれ以上の情報は聞き出せそうになかったので、僕はおそらく犯人であるテオドラを問い詰めようとしたところ、テオドラは悪びれる様子も無くこう言ってのけた。
「みかっちがね、この前男は女の身体を見ると、子作りしたい衝動に駆られるって言ってたから、具体的にどんな風になるのか、興味が沸いたのよ。それで、一昨日の夜、1日だけ他の人と身体を入れ替えられる『入れ替わりの術』を使って、みかっちと1日身体を入れ替えてみることにしたのよ」
「そんな神聖術あるの?」
「神聖術じゃないわよ。昔の術士が使用法を研究したんだけど、教会から使用禁止にされちゃったから、あたしみたいな博士号持ちでないと使用法を調べることもできない魔術で、適性も90くらいは必要だから、これを使えるのはあたしとイレーネくらいね。それで昨日、みかっちの身体になってみたら、まだ女の子の裸も見ていないのに、みかっちのプリアポスが疼いて疼いて、あたし思わずごしごしこすっちゃったわ。その後、ちょうどあんたのとこの馬鹿メイドがいたんで、子作りを試してみようとしたら、あの馬鹿メイドが悲鳴を上げて嫌がって、あたしもやり方がよく分かんなくて上手くできなかったわ。その後、メイド2人にこすってもらって、何とか落ち着いたと思ったら、3時間もしたらまた大きくなってきて、またこすってもらうことになったわ。おかげで、男の子って大変なのね、ってことがよく分かったわ」
 ・・・つまり、ただの好奇心に端を発した悪戯か。
「でも、昨日はみかっちも、あたしの身体でずいぶん楽しんだみたいじゃないの。さっきルミーナから聞いたけど、ルミーナと一緒にお風呂に入って、しかもあたしの書いた『聖なる愛の物語』を焼き捨てろって命じたんですって? そのあたりで、ルミーナが正体はみかっちだってことに気が付いて、機転を利かせて本を守ってくれたけど、みかっちは本当にとんでもない事をしてくれたわね。そのネックレスさえ無ければ、みかっちにはきついお仕置きをすべきところね」
 僕はテオドラに説教するどころか、テオドラとその場にいたルミーナ、ソーマちゃん、テオファノに、寄ってたかって、昨日の僕がすごい面白かったなどと散々からかわれることになった。

 余談になるが、後日僕はパキュメレスに、普段テオドラに呼び出されてどんな『可愛がり』をされているのかと尋ねたところ、こんな答えが返ってきた。
「・・・皇女様は、時々私を無理やりに呼び出して、体力を付けてやるなどと言われて、散々私を殴ったり蹴ったり、私の腕を極めたり、時には私の身体をくすぐったりして憂さ晴らしのようなことをなされるのです。そして私が呻いたり悲鳴を上げたりすると、皇女様は突然何か閃いたというような顔をなさり、突然机に向かい何かを書き始めるのです。一体あれは何なのでしょうか?」
「・・・たぶん、例のBL小説だろう」
「BL小説とは何ですか?」
「『聖なる愛の物語』とかいう題名で、僕とパキュメレスなんかが男同士でイチャイチャしている、読むだけで気持ち悪い小説だよ。テオドラやその取り巻きはそういうのが好きらしいけど」
「・・・皇女様は、そんなものを書かれているのですか」
 パキュメレスは嘆息した後、僕にこんなことを言ってきた。
「その、出来ればですが殿下、もう一度テオドラ様と身体を入れ替えてみませんか? その、皇女様の姿をなさった殿下は、とても素敵でした。あの姿の殿下と、もう一度お会いしたいです」
 パキュメレスは、いかにも夢見心地のような様子だった。どうやら本当に、テオドラの姿をした僕に恋心のようなものを抱いてしまったらしい。これはいけない。
「二度とやらない。いいか、パキュメレス。あの魔術で女の身体に入れ替わると、心も女のようになってしまうんだ。僕はあの姿で君に会った時、不覚にも君のことを可愛いと思ってしまった。あんなことを繰り返していたら、僕は本当に君との同性愛に目覚めてしまうかも知れない。それでもいいのかい?」
「そ、それは確かに、止めておいた方が良さそうですね・・・」
 そう答えたパキュメレスは、どこか残念そうな様子だった。

第8章 子作りの練習

 テオドラが起こした身体入れ替わり騒動は、これだけでは終わらなかった。僕は、元の姿に戻った日の午後、オフェリアさんにこう問い詰められた。
「殿下、テオドラ様に正しい子供の作り方を教えてしまわれたのですか?」
「・・・確かに教えたけど」
「あのですね、殿下。テオドラ様のような高貴な御姫様には、結婚する前日まで、正しい子供の作り方を教えてはいけないのです。これはわが国に限らず、大抵の国の王家ではそういうしきたりになっています」
「どうしてですか?」
「正しい子供の作り方を教えてしまうと、それがきっかけで子作りにご興味を持たれてしまい、ご結婚されるまで処女を守り通すのが難しくなってしまわれるからです」
「・・・良く分からないけど、そういうものなのですか?」
「実際、殿下が正しい子作りの仕方を教えたわずか2日後に、テオドラ様は子作りに興味を持たれ、あのような行いをされたではありませんか。しかも、殿下は私の拷問を受け、ずいぶんお楽しみになっていたようですね?」
 オフェリアさんが、そう言いながら不敵な笑みを浮かべると、僕は即座に反論した。
「別に楽しんでなんかいないって! あの拷問は気持ちいいと言うより、むしろ刺激が強すぎて気が狂いそうになって! そもそも、あの時オフェリアさん、既に正体が僕だと分かっていながら、僕をおちょくるためにわざとやってませんでしたか?」
「別に、殿下をおちょくるだけのためにやっていたわけではありませんわよ。ちょうど良い機会ですから、女の子が子作りでどのような快感を得られるのか、殿下にも体験して頂こうと思ったのです」
 オフェリアさん、僕をおちょくる目的があったことはあっさり認めた!
「・・・一体なんのために」
「殿下は、マリアや他のメイドさんたちに『ごしごし』させる一方で、メイドさんたちを気持ちよくさせることは何もされていないそうですね。それでは、メイドさんたちが可哀そうですよ。女にも性欲はあるのです。殿方の大きくなったプリアポス様を触ったり舐めたりしていれば、エッチな気分になってくるのです。最近、マリアが不眠症で悩んでいるのは、殿下がエッチなことをしてくれないから、欲求不満になってしまっているのですよ」
「そうなの!?」
 僕が必死に自粛していたことが、むしろマリアには迷惑になってしまっていたのか・・・?
「それに、テオドラ様に子作りの仕方を教えてしまわれたからには、ご結婚の準備も急がなければなりません。なお、テオドラ様とのご結婚には、正式には様々な書類上の手続きに加え、教会で婚礼の式典を挙げ、その後3日間の待期期間を経た後に最初の子作りをして頂くことが必要になりますが、殿下とテオドラ様は既に婚約者の間柄でございますので、結婚に必要な儀式が済むのを待ちきれずに子作りに及んでしまった場合、決して褒められたことではございませんが、法的にはその時点でご結婚が完遂となります。なお、テオドラ様が付けられている『皇女の指輪』には、殿下相手には発動しないよう調整しておきましたから」
「なんでそんなことを!?」
「殿下が、テオドラ様に子作りの仕方を教えてしまわれたからです。しかもテオドラ様は、殿下の身体で股間をいじる快感を覚えてしまわれました。テオドラ様が我慢できなくなってしまった際は、犯人であり婚約者である殿下に責任を取って頂くしかありませんからね♪」
「僕は犯人扱いなの!?」
「それに加え、殿下にも正しい子作りの練習をして頂く必要がございます。殿下は、元おられた世界で女性と子作りをされたご経験はございますか?」
「・・・ありません」
「それでは、ご両親などが子作りをされるところを見られたことはありますか?」
「ないよ! そんなの」
「それでは、具体的な子作りの仕方に関する知識は全くと言ってよい程無いということですね。それではご結婚に支障を来たしますので、殿下には具体的な子作りの仕方について実習を受けて頂くことにしましょう」
「実習って、具体的に何をやらせるつもりなの!?」
「むろん、最終的には最後までやって頂くことになりますが、殿下にいきなり最後までというのは難しそうですので、ひとまず前戯を、実際にメイドさんを相手に、私の教えるとおりにやって頂きます」
「メイドって誰と?」
「殿下担当の主任はマリアですから、マリアがお相手することになりますね」
「・・・嫌だと言ったら?」
「その場合、マリアは殿下担当の主任から外し、あの子は料理が得意なので料理担当の主任に配置換えします。殿下担当の主任には、メイドたちの中で一番積極的なルミーナを付けて、実習をやって頂くことになります。ルミーナが相手であれば、おそらく殿下は今夜中に童貞を卒業することになりますね」
「実習自体を断るって選択肢は無いの!?」
「ありません。あくまでお嫌だと仰るのであれば、テオドラ様にふしだらな知識を教えたことに対する刑罰として実習を受けて頂きます。そもそも、殿下は年齢的に子作りを覚えなければならない時期なのに、あまりにも消極的でいらっしゃいますから、これ以上の時間的猶予は認められません」

(どちらを選びますか?)

A マリアを相手に、前戯の実習をする。 
B ルミーナを相手に、子作りの実習をする。

 ・・・選択肢がこれしかないなら、もはや迷う余地はないか。
「・・・それじゃあ、マリアでお願いします」
 僕がそう答えると、オフェリアさんは早速マリアを連れてきた。
「・・・マリア、僕たちがこれから何の練習をさせられるか分かってる?」
「・・・オフェリア様から聞いています。子作りの練習、・・・なのです」
 マリアが頬を赤らめながら答える。
「僕の相手をさせられて、マリアは嫌じゃないの?」
「そんなことないのです。むしろ、私を選んで頂けて、嬉しい・・・なのです」
「さてと、お互いの気持ちが伝わったところで、まずはキスの練習から始めて頂きましょう」
 オフェリアさんに促されるがままに、僕とマリアはキスをした。キスくらいなら、今までにもやったことはある。
「ダメダメ、そんなものはキスとは言いません」
「違うの!?」
「本物のキスというのは、単に唇を重ねるだけではなく、その後お互いに舌を相手の口に入れて、口の中を舐め合うのです。その際、女の子の髪を触ったり、首筋などを優しく撫でたり、お互いにボディータッチをすることも忘れないでくださいね」
 ・・・仕方ないので言われたとおりやってみたら、確かにこれまで経験したキスとは明らかに違う。僕も頭の中がピンク色になって来たし、マリアも目がトロンとしてきた。
「いい雰囲気になってきたところで、次は胸を触る練習ですね」
 その後僕は、オフェリアさんの言われるがままに、正しい胸の触り方、大事なところの触り方などを実習した。・・・その内容は、詳細に描くと18禁になってしまうので、ここでは割愛させて頂きます。

「大体のところはご理解なされたようですね。それでは、毎日その復習を忘れずに続けてください」
「こんなことを毎日するの!?」
「もちろんです。子作りは経験が大事です。毎日続けていれば、次第に上手くなっていきますから。具体的には、マリアと一緒にお風呂に入って、お互いの身体をよく洗って、身体を触るのに慣れて頂くほか、寝る前に最低1回、今教えたことの復習をしてください。もちろん、その気になったら、まだ教えていないことの予習をされても結構ですよ♪」
「・・・・・・」
 こうして僕は、毎晩マリアを相手に、ほとんど子作りの一歩手前というところまで、エッチなことの練習をすることになってしまった。真面目なマリアは、きっちり毎日、顔を赤らめながらも練習をしましょうと声を掛けて来るので、心情的にも断ることなど出来なかった。オフェリアさんの言うとおり、経験を重ねる度に上手くなって行き、マリアも明らかに喜ぶようになった。
 でもどうしよう。湯川さんとそっくりのマリアと毎晩こんなことをしていては、日本で湯川さんと隣の席で勉強するときに、おかしな気分になってしまうのではないだろうか。僕は確実に、外堀のみならず内堀まで埋められてしまっているのではないだろうか・・・?

第9章 エルトゥルルとオスマン

 ・・・テオドラのせいで話が脱線しまくったが、やっと真面目な話に戻れる。
 ビザンティン帝国と東方で境を接しているルーム=セルジューク朝、通称トルコ人の国は、カイ=クバードの時代に、モンゴルの侵入から逃れてきた多くの東方遊牧民を受け容れ、族長に『ベイ』という称号を与えて、ビザンティン帝国との国境地帯に配置していた。これまで名前が出て来た中では、アフロディスアスの戦いで討ち取ったフィルズ・ベイなどがそれに該当する。ちなみに『ベイ』は、日本語で君侯または首領と訳すのが一般的である。
 ちなみに、トルコ人というのはかなり曖昧な概念であり、この国の人々が現代のイギリス人、フランス人、ドイツ人、イタリア人、スペイン人などに該当する人々を全部ひっくるめて「ラテン人」「フランク人」などと呼んでいるのと同様、ルーム=セルジューク朝を作った民族も、モンゴル軍から逃れて後からやってきた民族も、特に区別が付かないので同様に「トルコ人」と呼んでいる。そもそも、トルコ人という言葉の語源自体が、トゥルクメーン、つまり「チュルクに似た人」という意味で、要するに東方からやってきた遊牧民で、モンゴル人やクマン人など他の名称がない人々は全てトルコ人になってしまうという、結構いい加減な概念なのだ。史実でも、トルコ人という概念がはっきりしてくるのは、20世紀にオスマン帝国が滅び、トルコ共和国が設立される頃になってからである。
 若干話が逸れたが、僕はトルコのスルタン、カイ=クバードとその息子カイ=ホスローを相次いで戦死させた後、トルコ人の国がモンゴルの属国となることを余儀なくされた上に、内憂外患でボロボロの状態になっているとの報告を聞き、強大なモンゴル軍を刺激しない範囲でトルコ人の国を更に弱体化させるため、ニケフォロス・スグーロスや、トルコから寝返ってきたマウロゾメスに命じて、イスラムの教えを捨てることは求めない、従来どおりその地に住むことは認めるといった条件で、そうした国境地帯のベイたちに対し、衰退著しいトルコを見捨ててわが国に仕えるよう説得させていた。ゲーム的に表現すれば、トルコ人の国は2度にわたる君主交替などで家臣の忠誠度が下がりまくり、引き抜き放題の状態になっているので、スグーロスなどに引き抜きの調略をやらせているわけである。
なお、寝返ったトルコ人の妻子を呼ぶ寄せる仕事は、まだ若いペトラリファスが中心になって進めている。
 その説得は功を奏し、長らくトルコ領だったカスタモヌなどは戦わずして帝国の支配下に戻ったのだが、ニケフォロス・スグーロスによると、1つの問題が生じたという。
「スグーロス、一体どうしたのだ?」
「申し訳ありません、殿下。マウロゾメスの活躍もあり説得工作は概ね順調に進んでいるのですが、1つだけ、なかなか説得に応じないというか、頑固者で話も聞いてくれない人物がおりまして」
「何者だ?」
「ニケーアから、南東方向へ徒歩3日くらいの距離にある、ソユトという小さな村を拠点に遊牧生活を送っている、エルトゥルル・ベイという男です」
 エルトゥルル・ベイ。その名前には聞き覚えがあった。史実ではビザンティン帝国を滅ぼすことになったオスマン帝国の創始者、オスマンの父親にあたる人物である。表記はエルトゥールル、エルトゥグルルなどと書かれることもあるが、この物語ではエルトゥルルで統一する。また、彼の名を冠したエルトゥルル号というオスマン帝国の軍艦が明治時代の1890年に日本を訪問し、その帰途で台風に遭って遭難し、日本人が懸命に遭難者の救出にあたったことで、トルコは中東でも有数の親日国となり、その後1985年にイラン・イラク戦争で200人以上の日本人がテヘランに取り残された際、トルコ共和国政府やトルコ人たちが日本人の救出に全力を尽くしてくれたというエピソードは、日本とトルコとの国際関係を理解するにあたり欠かせない知識である。
 話が少し脱線したが、そのような人物がビザンティン帝国の支配下に入らず、トルコの支配下に留まり続けるということは、このまま彼を放置しておけば、将来彼の子孫が史実どおりビザンティン帝国を滅ぼしてしまう可能性があることを意味する。また、そこまで深読みしないとしても、ニケーアからほど近いソユトの地にトルコ人の勢力が残り続けるということは、帝国は喉元に刃を突き付けられたままの状態になることを意味し、国防上非常に危険だ。
「そのエルトゥルル・ベイというのは、どのような男だ?」
「年齢は50歳前後、率いる兵力は数百騎程度に過ぎませんが、トルコ人の中でも勇将として名が知られており、その影響力は侮れないものがあります」
「説得に応じないということは、トルコのスルタンへの忠誠心がとても強いのか?」
「その点についてはよく分かりません。ただ、私もマウロゾメスも彼の説得に赴くと、いきなり怒ってちゃぶ台をひっくり返したりするので、取り付く島もないという有様でして」
「分かった。そのエルトゥルルの許へは、余が自ら参ろう」
「殿下自ら行かれるのですか!?」
「勢力は数百騎程度としても、それほど勇名高い人物がニケーアの近くに敵として留まっているのであれば、捨ててはおけん。余が自ら赴いても駄目なら、春になったら軍を動員して攻め滅ぼすしかないが、それはモンゴル軍を刺激する可能性もあるので、それは最後の手段だ」

 こうして、僕は少数の供を連れてソユトへ赴くことになったのだが、そのお供はなぜか、アクロポリテス先生を説得しに行くときと同様、テオドラとイレーネになってしまった。最初はイレーネとスグーロス、護衛役としてテオドロス他数名にするつもりでいたのだが、テオドラがその話を聞きつけると自分も行くと言って聞かず、テオドラが行くとなれば他の供はいらないという話になり、結局この2人になってしまったのである。ちなみに前回も似たような経緯だった。
「みかっち、何か面白そうな話にあたしを連れて行かないなんてことは、エンタメの世界ではあり得ない事なのよ。分かった?」
「・・・テオドラ、君が何を考えているのかは理解できないけど、くれぐれも邪魔だけはしないでね」
 ニケーアからソユトまでは、歩いて3日くらいの距離。ただし、前回の経路と違って街道が整備されていないので、宿も無く野宿が必要になる。そこへ男1人に女の子2人だと、こんな問題が生じる。
「みかっち、あたしトイレに行きたくなったんだけど」
「こんなところにトイレなんてあるわけないよ。そこら辺の林で適当に済ませてきて」
「この皇女様に、そんなことをさせろというの!? みかっちは、女の子に対するデリカシーというものが無いの!?」
「そんなこと言われたって、トイレと言ってもこの世界にはどうせおまるみたいなものしか無いんだから、君だけのためにいちいちそんなもの持ち歩けないよ。嫌なら君だけパッシブジャンプで戻ればいいじゃない」
「冗談じゃないわよ! ・・・ううう、こうなったら仕方ないわ、みかっち。あんたがあたしの警備をしなさい」
「警備?」
「あたしが用を足している間、他の人があたしを覗いたりしていないかどうか、みかっちが側にいて監視するの! さっさとやりなさい!」
 ・・・テオドラも限界が近づいているようなので、僕は大人しく従うことにした。そして、いざ用を足そうとするとき、
「みかっちも、あたしのこと見るんじゃないわよ。それと、大声で歌でも歌ってて」
「なんで?」
「みかっちに用を足すときの音を聞かれたくないのよ! みかっちって、本当にデリカシーが無いわね」
「分かったよ」
 僕は大声でとリクエストされたので、とっさにみゆき節全開で『荒野より』を歌い始めた。それでも音が完全に聞こえないわけではないが、これでテオドラの気が済むのならと思っていたところ、

「きゃあああああああああ!?」

 テオドラの物凄い悲鳴がした。何が起こったのかと思ってテオドラの方を向くと、そこには下半身の大事なところを剥き出しにして、怯えながら小水を漏らしているテオドラの姿があった。そのあられもない姿は、僕が今までに見たどんなテオドラよりもエロかった。僕は一瞬呆然自失しかけたところ、何とか気を取り直して、
「一体どうしたの!?」
「きゃあああああ、みかっち、その毛虫、いやあああああ!!」
「ああ、これ?」
 僕は、すぐに靴でその毛虫を踏み潰した。こんな毛虫の何が怖いというんだ。
「はあ、はあ、怖かった・・・」
 どうやら問題は解決したようなので、僕は再び明後日の方向を見ることにしたところ、
「みかっち、・・・あんたあたしの恥ずかしいところ、よくも見たわね!」
「テオドラがあんな悲鳴上げるからだよ!」
「そんなの理由にならないわ。ちゃんと責任取りなさいよ!」
「どうやって責任を取れっていうんだよ!?」
「責任を取れって言ったら、やることは決まってるでしょ! ・・・」
 そう言ったきり、テオドラは押し黙ってしまった。何か考えているようだが、おそらくテオドラ自身も、どうやって僕に責任を取らせるか考えが浮かばないようだ。
 結局、テオドラは黙ったまま、衣服を整えて立ち上がった。このまま何もなかったことにする気かと思いきや、
「みかっち、この件はあんたに貸し1つだからね。後で何か、あたしに恩返しをしなさい!」
 テオドラにそんな捨て台詞を言われた。

 一方、イレーネも常人離れした能力の持ち主とはいえ、人間なので当然用を足すことはある。もっとも、イレーネの場合には、
「ちょっと待ってて」
「うん、わかった」
 このやり取りだけで通じる。テオドラと違って手は掛からない。後は、イレーネがどこかであられもない姿を晒して用を足しているなんて変な想像をしなければ、全く問題は無い。問題は無いはずなのだが、お小水の流れる音が聞こえると、どうしても想像力を掻き立てられてしまう。いや、この音はすいぶん近いな? 僕がそう思って音がした方を振り向くと、イレーネは僕からさほど離れていない場所で、まるで僕に見せつけるかのように、あられもないところを晒して用を足していた。
「・・・イレーネ、僕に見られて恥ずかしくないの?」
「私はあなたの性奴隷。あなたに対し隠すべきものは何もない」
 その光景を見たテオドラが、僕に食って掛かった。
「みかっち、性奴隷ってどういうことよ!?」
「僕だってわからないよ! イレーネが勝手に言い出したことだし」
 僕とテオドラの言い争いが始まったが、当のイレーネが全く何事も無かったように衣服を直して歩き始めたので、テオドラもそれ以上追及する気を失くしたのか、言い争いは自然に収まった。
「・・・みかっち、イレーネには気を付けた方がいいわよ」
「なんで?」
「あたし、小さい頃からイレーネのこと知っているけど、あの子ああ見えて、かなり淫乱な子なのよ。あたし、イレーネがさりげなくお股をいじってるとこ何度も見たことあるんだから」
「・・・それで、僕にどう気をつけろと?」
「イレーネ、みかっちのこと狙ってるんじゃないかしら。だからあんな風にお股を見せつけて、みかっちを子作りに誘ってるのよ。あんな子の誘いに乗ったら、きっと大変なことになるわよ」
「どういう風に大変なことになるの?」
「ああいう淫乱な子はね、欲望の為なら神様の教えでも平気で無視する子だから、ああいう子と関係を持つと、姦淫の罪に巻き込まれて地獄に堕とされるわよ」
「・・・分かった」
 別に、僕はこの国の宗教など信じていないので、地獄など怖くはない。仮に地獄があったとしても、僕が今までやってきたことと、僕が生きるためにこれからやることを合わせれば、どちらにしろ地獄行きは確定だろう。僕がイレーネを恐れるのは、地獄に堕ちることではなく、可愛いイレーネに情が移って、イレーネによってこの世界に取り込まれてしまうことである。
 その夜、僕たちは天幕を張って保存食を食べた後眠りに就いたが、さっさと寝てしまったテオドラと違って、僕は簡単には寝られない。いつもならマリアといちゃつきながら『ごしごし』してもらう時間である上に、今日だけでテオドラとイレーネの放尿シーンを見せられて、下半身がもう大変なことになっているのだ。こっそり外に出てオナニーでもしようかと思ったら、眠っていたように見えたイレーネは素早く目を覚まし、結局テントの外で、たっぷりとイレーネのお世話になることになってしまった。オフェリアさんから教わった前戯をイレーネにも試してみたら、イレーネの胸はとても敏感で、まるでエッチなことは全く未経験の少女のように震えるその姿に、僕はとても興奮させられた。
 それでいて、イレーネのエッチな技術は、初めてしてもらったときに比べても着実に上達しており、僕は何度も気持ち良くさせられてしまう。もう手遅れかも知れない。僕は既に、イレーネ依存症に陥っているのかも知れない。もしイレーネと最後までしてしまったら、僕はイレーネに心まで堕とされてしまい、本当に日本へ帰る気を失ってしまうかも知れない。イレーネと最後まですることだけは、絶対に避けなければ・・・。

 そんなこんなで、テオドラの言う「貸し」が10個くらいになってしまった頃、僕たちはようやく目的地のソユト村にたどり着いた。いかにも遊牧民の本拠地という感じで、木造の建物もあるが天幕も多く、結構な数の兵士たちと馬の姿も見える。僕たちは村の中に入ると、ある若い男に呼び止められた。
「おお、誰だお前、ローマ人か?」
「いかにも。僕は、ローマ帝国の摂政、ミカエル・パレオロゴスという。この2人は神聖術士のテオドラとイレーネ。こちらの族長、エルトゥルル・ベイと話したいことがあって来た」
「ああ、お前が噂に聞くミカエルか。俺はエルトゥルルの息子オスマンだ。よろしくな」
 オスマンと名乗った若者は、身体付きこそ精悍だが気さくな性格らしく、僕に握手を求めてきた。
「よろしく、オスマン」
 僕が挨拶を返してオスマンと握手すると、オスマンはこんな助言をしてくれた。
「親父に会いに来たんだろ? だったら俺がいいことを教えてやる。親父はな、初めて会った奴にはわざと怒って見せて、そいつの度胸を試してるんだ。これまで来た2人のローマ人は、親父の怒りにびびって、用件も伝えられずに逃げちまった。親父が怒っても顔色ひとつ変えなければ、親父もお前の言うことを聞いてくれるさ。俺が、親父のところまで案内してやる」
「オスマン、貴重な助言ありがとう」
 ・・・スグーロスとマウロゾメスは、そこで引っ掛かって失敗したのか。でも、あらかじめそうと分かっていれば、充分対処のしようがある。しかし、エルトゥルルが出てこれば、やはり息子のオスマンも出て来るのか。この父子が敵に回ることがあれば、後々厄介なことになりそうだ。
 僕たちは、オスマンに案内されて、エルトゥルルのいる大きな天幕へ案内された。オスマンは結構話好きで、エルトゥルルの父スレイマン・シャーはかつてホラズムの王に仕えており、モンゴル軍から逃れてこの地へ来る途中で亡くなったとか、自分は13人兄弟の7番目で跡継ぎになれる可能性はほとんどないとか、もうすぐ14人目が生まれるとか、エルトゥルルはマイアンドロス河畔の戦いにも参加していたものの、暴風雨が発生してこれはやばいと思って真っ先に逃げたので何とか助かったなどという話もしてくれた。
 天幕の中に入った僕たちは、エルトゥルル・ベイと対面を許された。エルトゥルルは、いかにも歴戦のイスラム戦士といった容貌で、鋭い眼光で僕を睨みつけている。
「またローマ人か、今度は若いのが来たな。この儂に何の用だ?」
「僕は、ローマ帝国の摂政、ミカエル・パレオロゴスと申します。エルトゥルル殿には、以後お見知りおき下さいませ」
「挨拶はいい!! さっさと用件を話さんか!」
 エルトゥルルが怒りをぶつけてくるが、僕はあくまで冷静に対応する。
「エルトゥルル殿は、トルコのスルタン、カイ=クバードによってこの地を与えられ、トルコ人の間でも勇名を馳せていると聞き及んでおります。しかし、名君と称されたスルタン、カイ=クバードは既にこの世になく、その息子カイ=ホスローも我が軍に討ち取られ、その後コンヤの宮廷は、モンゴル人の手先となった傲慢なイスファハーニーに牛耳られ、国内は四分五裂し、もはや国家としての体裁をなしていないとか。既に、わが国にはフィルズ・ベイの従弟メンテシェ、ホラズム王ジャラールッディーンの息子など、多くのトルコ人がイスラムの教えを保ったまま、わが国に仕えております。エルトゥルル殿も、わが国に仕えてその武勇を活かして頂きたく、ここに参上した次第でございます」
 なお、コンヤとは、トルコ人の国の首都イコニオンのトルコ語名である。普段はギリシア語名のイコニオンと呼んでいるが、今回は相手がトルコ人なので敢えてコンヤと呼んでいる。
 僕の話を聞き終えるや否や、物凄い形相で目の前のテーブルを盛大にひっくり返し、こう叫んだ。


「黙れ小童! このエルトゥルル・ベイが、貴様のような小僧や、ましてやろくでなしのイサキオスなどに仕えると思うてか! この儂を調略するなど百年早いわ!」


 なるほど、スグーロスたちはこの一喝でビビったのか。でも『黙れ小童』って、懐かしい響きだなあ。『真田丸』を視聴できなくした性犯罪者の某俳優が恨めしい。
「エルトゥルル殿、人を見た目だけで判断するとは、高名なエルトゥルル殿らしくもない。確かに僕は若造ですが、エルトゥルル殿の主君であるカイ=カーウスも、僕と同じくらいの年齢のはず。国内をまとめることも出来ず、自分の母后にさえ見捨てられるカイ=カーウスに、僕と同じことが出来るとお考えですか?」
 僕がそう言葉を返すと、それまで黙っていたテオドラが茶々を入れてきた。
「そうよ、このジジイ! こう見えてもみかっちは悪魔の化身なのよ。敵将をなぶり殺しにしながら人間の生き血を飲んで喜んだり、強盗団の首領を逆さ磔にして、のこぎりを用意して通行人に好き放題引かせて、血だらけで目も飛び出して、もはや人間の原型を留めてない姿を見てほくそ笑んだり、自分に逆らう聖職者や修道士にヴァリャーキーたちを送って容赦なく皆殺しにしたり、それはもう酷いこといっぱいやってるんだから! ローマ帝国でみかっちより偉いのは、この太陽の皇女、テオドラ・アンゲリナ・コムネナ様しかいないんだからね!」
 ・・・確かに、そんなこともやったような記憶もあるなあ。主に、この世界からお役御免になろうとした時にやった演技だけど。
 そんなテオドラを見たエルトゥルルは、こう返した。
「貴様のような小娘に、一体何が出来るというのだ?」
「言ったわね、このくそジジイ! そんなテーブルをひっくり返すくらい、子供やひ弱なみかっちでも出来るわよ! あたしなら神聖術で、こんな村くらい一発で吹き飛ばしてやるわ!」
「テオドラ、頼むからそれだけは止めて! 今は話し合いの最中だから」
「いいじゃないの、こんな糞ジジイ、いっそ村ごと吹っ飛ばした方が楽じゃない」
「それは、説得が失敗に終わった時の、最後の手段だから! 今は黙ってて!」
 僕とテオドラのそんなやり取りを聞いたエルトゥルルは、僕に問い掛けた。
「小童、この小娘には、一撃でこの村を吹き飛ばせるほどの力があるというのか?」
「・・・ありますよ。こう見えてもテオドラは、1人で何百隻ものヴェネツィア船団を沈めたこともある、わが国の神聖術士の中ではエースの一人ですから。その代わり扱いが難しくて、気まぐれで何をするか分からない危険人物なので、怒らせるとこの程度の村であれば、本当に一撃で全滅させちゃいかねませんから」
 率直に説明するのは、単なる親切心からではなく、さりげなくエルトゥルルを脅すためでもある。もっとも、エルトゥルルは僕たちの言葉に、少なくとも表面上は動揺するところを見せない。胆力がある人なのか、それとも僕たちの話を全く信じていないのかまでは分からないが。
 あと、今回テオドラは、トルコ語で会話しているので、トルコ人のエルトゥルルとも会話が成立している。テオドラは割と語学堪能で、ギリシア語のみならずラテン語、イタリア語、トルコ語などもそれなりに話せるらしい。何でも陥落前の聖なる都は世界有数の国際都市で、様々な国から多くの外国人がやってくるので、聖なる都で下町を頻繁に出歩いていれば、数か国語の簡単な話し言葉くらいなら、容易に覚えられるという。
「みかっち、危険人物ってどういう意味よ!? こんな世界一の美少女を捕まえて」
「そのままの意味だよ! これまでにどれだけ僕が、君に引っ掛き回されたと思ってるんだ!?」
 エルトゥルルは、そんな僕とテオドラの言い争いをスルーして、こう言ってきた。
「ならば、その力とやらを見せてもらおう。この近くの山に、一匹のドラゴンが棲みついている。その小娘が、それほどの力を持っているというのであれば、ドラゴンの一匹くらい容易に倒せるであろう。息子のオスマンを案内役に付けてやる故、今日はこの村で休んで、明日にでもドラゴンを倒してくるがよい。見事ドラゴンを倒すことが出来たら、貴様の言うとおりローマ人の国に仕えてやろう」

 こうして、僕たちは急遽、ドラゴンを退治することになったのだが、僕はこの世界のドラゴンについて何も知らないので、テオドラやイレーネに話を聞くことになった。
「・・・そもそも、この世界にドラゴンなんているの?」
「結構いるわよ。ほら、あそこで飛んでいるのが、渡りドラゴンの群れよ」
 テオドラが指差した先には、大きな渡り鳥の群れらしきものが空を飛んでいた。あれなら僕も時々見たことがあるけど、あれって鳥ではなくドラゴンだったのか。
「それで、ドラゴンって人を襲ったりするの?」
「基本的に、向こうから襲ってくることはないわよ。ただ、討伐にいった人間は、あたしの知る限り1人残らず返り討ちにされてるわ」
「なんで、向こうから襲ってこないドラゴンを、わざわざこちらから討伐しに行くの?」
「知らないわよそんなの」
「その質問に対しては、私から説明する」
 テオドラが匙を投げたため、説明役がイレーネに代わった。
「ドラゴンは、古くからこの世界で神として信仰の対象となっていた。しかし、ユダヤ教とその流れを汲むキリスト教、イスラム教は、神はこの世界に1つしかなく、かつ人の五感でその存在を直接感じることは出来ないものと教えている。そのような教えのしたでは、ドラゴンは教義を覆す邪魔な存在。そのため、キリスト教がローマ帝国の国教となってからは、ドラゴンは神ではなく悪魔の化身と教えられ、教会により武勇のある者に対しドラゴンの討伐が推奨されるようになった。イスラムの教えでも、ドラゴンは悪魔の化身で、討伐すべきものと教えられている」
「それで、実際にドラゴンを討伐できた人はいるの?」
「いない。これまで、ドラゴンと人間の対戦成績は、人間側の0勝3589敗。これまで、ドラゴンを討伐に向かった人間のうち112,686人が返り討ちに遭い、何とか逃げ延びて戻ってきた人間は589人に過ぎない」
「・・・ドラゴンって、そんなに強いの!?」
「ドラゴンの鱗は、人間の武器による攻撃程度では、傷一つ付けることが出来ない。その爪による攻撃は、人間の鎧など身体ごと容易に引き裂く。その吐く炎は、人間どころか鉄をも容易に溶かすと伝えられている」
「・・・そのドラゴンって、神聖術は効くの?」
「不明。ただし、少なくとも並みの威力の神聖術では、全く効果が無いことが判明している。過去にドラゴンを討伐に行って返り討ちに遭った人間の中には、114人の男性神聖術士もいる」
「つまり、高くても適性70台止まりの男性神聖術士では全く手に負えない相手だけど、適性90超えのテオドラやイレーネなら、もしかしたら何とかなるかも知れないって感じ?」
「一言で表現すればそうなる。ただし、これまで女性の神聖術士がドラゴン討伐に向かった例はないので、効果があるという保証はできない」
「それじゃあ、僕が行っても意味なさそうだね。明日、テオドラと君で行ってきて」
「何言ってるのよ、当然みかっちも行くのよ!」
「何のために?」
「もちろんみかっちは、無抵抗の敵をいたぶり殺すことと、毛虫を踏み殺すことくらいしか能のないヘタレだけど、あたしたちには、その活躍を引き立てるお姫様役が必要なのよ」
「・・・お姫様役って何?」
「ヒーローものの定番として、ヒーローの活躍を見て、そのヒーローに憧れるお姫様役は絶対に必要でしょ? 今回はあたしがヒーローだから、あたしの活躍を見てあたしに憧れるヒロイン役がみかっちね。せいぜい、あたしの活躍を見てその美しさを讃えなさい!」

 こうして、テオドラによる訳の分からない理屈により、僕もドラゴン退治に同行させられることになった。テオドラは自信満々だが、僕には嫌な予感しかしなかった。
 どうか、明日が永遠に来ませんように・・・僕はそう思いながら、イレーネと共に眠りに就いた。

第10章 榊原家の1日

(作者注:この章は、法律の話やプロ野球の話など、非常にマニアックな話題が多いため、興味の無いところ、意味の分からないところ、及び巨人ファンの方で不快感を感じられるところは、適当に読み飛ばして次の第11章に進まれることをお勧めします。)
 次の日。僕はウランに起こされて目が覚めた。
「今日は日本の生活か・・・」
 僕は、ベッドの上で僕の身体をフミフミして僕を起こしているウランを見ながら、そう呟いた。
 目の前にいる榊原家の飼い猫、ウラン。年齢はたぶん5歳くらい。たぶんというのは、ウランは僕が小学4年生の頃に拾ってきた雑種の元捨て猫なので、正確な年齢は分からないのだ。ウランはなぜか、毎朝6時くらいになると、このように僕を起こしに来るので、僕の部屋に一応目覚まし時計はあるけど、最近使っていない。
 ウランの性別はメスで、去勢手術済み。ほとんど外に出たがらない家猫で、拾ってきたときは可愛い子猫だったけど、現在では体重10キロ近く、体格はビザンティン世界で飼っているライアンやバーネットの2倍くらいもある巨大猫である。でも、ネズミを見ただけで逃げ出す臆病な猫なので、仮にライアンやバーネットと喧嘩したら、絶対ウランが負ける。というかおそらく、ウランの方が喧嘩する前に逃げ出すので、喧嘩にすらならない。
 ちなみに、ウランという名前は僕が命名したもので、名前は東京ヤクルトスワローズのウラジミール・バレンティン選手に由来する。榊原家では、ヤクルトの選手名から飼い猫の名前を付ける風習があり、僕が生まれたときはオスのロベルト、メスのアレックスという2匹の猫がいた。ロベルトは、ロベルト・ペタジーニ選手、アレックスはアレックス・ラミレス選手に由来している。いずれもお父さんの命名だが、ロベルトはともかく、メス猫にアレックスというのは変じゃないかと、亡くなったお母さんが時々口にしていたのを覚えている。アレックスの方は、通称あーちゃんと呼ばれていた。
 僕が小学校に入った後、ロベルトとアレックスが相次いで亡くなり、我が家は一時猫不在となり、次いで僕が小学3年生のときにお母さんが交通事故で亡くなり、我が家は一気に寂しくなった。その後、ふとしたことがきっかけで僕が子猫を拾ってきて、お父さんと直談判した挙句、主に僕が面倒を見るという条件で、何とかお父さんから猫を飼う許可を得た。慣例に従えば、猫の名前はウラジミールになるところだったが、メスなのでもうちょっとメスらしい名前にしようということで、結局ウラジミールをちょっともじって、ウランという名前になった。ちなみにお父さんは、ココちゃんでも良いのではないかとも言っていたが、これはたぶんヤクルトファンでないと分からないネタなので、説明は省略する。
 いつものことではあるが、ウランは朝のエサを食べると、またすぐ眠ってしまった。全くしょうもない猫に育ってしまったものだと思いつつ、僕が朝の支度をしていると、お父さんが目を覚ましてきた。
「おはよう、雅史。今日は土曜日だけど、学校あるのか?」
「今日はね、・・・通常の授業は無いけど、難関大学対策講座っていうのがある」
「江南もややこしくなったもんだな。お父さんのときは、土曜日は一律午前中だけだったのに」
 そうなのである。僕が通っている江南高校は、建前上は週5日制になっているが、土曜日には1年生全員を対象にした「土曜講習」という短時間の授業が時々あり、また土曜講習がない日にも、「難関大学対策講座」という任意参加の特別授業があったりする。難関大学対策講座を受講する場合、実質的には土曜日にもほぼ毎回午前中の授業があることになる。

 制服に着替えた僕は、お父さんに見送られて、いつもの自転車で高校に行った。出掛ける前は、湯川さんが隣の席にいたらどうしようと緊張しまくっていたが、どうやら湯川さんは難関大学対策講座を受講していないようで、この日の授業は何の波乱も無く終わった。もっとも、問題が日本時間で2日分先送りされただけで、月曜日からは湯川さんの隣で授業を受けることになることになるのだけれど。
 榊原家は父子家庭なので、家事もある程度は僕がやらなければならない。お母さんが亡くなった当初は、お父さんの再婚話を僕が嫌がったこともあったけど、今となってはむしろ、再婚してもらった方が良かったかなと思っている。家事は最小限の手間で済ませるとしても、かなりの時間と労力がかかるのだ。
 僕が昼食の支度をしていると、例のウランが起きてきて、僕に向かってアオーン、アオーンといった感じで鳴く。これはエサをくれという意味なのだが、何しろずぼらな猫なので、今もエサをねだる最中にあくびをしていたりする。こんな猫、厳しいビザンティンの世界では3日も生きられまい。
「・・・ウラン、真剣味が足りないよ!」
 僕は思わずウランに説教したが、それを見たお父さんが思わず吹き出した。
「雅史、なんかお母さんにそっくりだなあ。お母さんも、昔アレックスに同じようなこと言ってたぞ」
 僕のお父さん、名前は榊原康史。「さかきばら やすひと」と読む。お父さんは僕と同じ江南高校の出身で、その後一浪の末東京大学法学部に進学し、司法試験に合格して一度は弁護士になったが、年々悪化していく弁護士の業界事情、ボス弁の無茶ぶりなどに嫌気が差し、お母さんが交通事故で亡くなった後は弁護士を廃業してしまった。お父さんが言うには、弁護士としての活躍はさほどでもなかったが、ライブドア事件に関わったのが弁護士としての一番の思い出だそうである。また、弁護士業界凋落の原因は法科大学院というものにあるとして、『黒猫のつぶやき』というブログに法科大学院の批判や悪口を書きまくり、そのおかげでお父さんは、法曹界では悪い意味で有名になってしまったという。
 その後、お父さんは表向きは不動産業者、すなわち『株式会社榊原不動産代表取締役社長』を名乗っているが、取締役会設置会社ではないので取締役はお父さん1人、株主もお父さん1人、従業員は1人もいない。会社組織にしたのは取引上の信用のためらしく、顧問の税理士さんを会計参与にしている。定款やその他の書類は、税理士さんも驚くほどきっちりと作っているらしく、やはり弁護士を辞めても元弁護士の血が騒ぐらしい。
 お父さんは不動産業者と言っても、不動産売買の仲介をするのではなく、弁護士時代に身に付けた法律知識と築いた財産、そしてお母さんの死に伴い入ってきた損害賠償金を元手にして、競売物件を安く買い叩いて転売するなどといった方法でお金を稼いでいるらしい。詳しいことは教えてくれないけど、コツを覚えてからは結構儲かっているらしく、少なくとも生活には困っていない。
 お父さんによれば、そうした事業をやるには宅建士の資格が必要らしいけど、宅建の資格は司法修習中に1か月で取ってしまったという。もっとも、通常宅建士の資格を取るのにどのくらいの期間が必要なのか知らないので、凄いのか凄くないのか僕には分からない。その他、最近は株式投資もやっているほか、IT関係の勉強もしているらしいが、どちらもパソコンを使うので、基本的には自宅にいることが多い。運動不足にならないようジム通いもしているので、そんなに太ってはいない。
 僕が、任意参加である難関大学対策講座を受講したのは、こうしたお父さんの影響が大きい。お父さんから「受けろ」と言われたわけではないが、こういうお父さんがいると、無言の圧力みたいなものが僕にも掛かってくる。お父さんは、自分が江南高校から東京大学に進学できたものだから、僕も同じように東京大学くらい行けて当然だと考えている節があるのだ。
 例えば今日の昼食中も、お父さんとこんな会話があった。
「雅史、どうだ? 彼女は出来たか?」
「出来てないよ。そもそも、江南って真面目な学校だから、確かに女の子は多いけど、恋愛なんてする雰囲気じゃないよ」
「そうか。でもな雅史、勉強も大事だが恋愛も大事だぞ。お父さんがどうして雅史を、私立の男子校ではなく、江南に入れたかは分かっているな?」
「分かってるよ」
 お父さんの話だと、江南のような公立の進学校は、男子より女子の割合が若干多い。なぜかと言うと、女子にとって公立の進学校は高校のほぼ最高峰だが、男子にとっては必ずしもそうでは無く、東京大学を目指すトップレベルの男子生徒は、公立の進学校ではなく中高一貫制の私立名門男子校に行く場合が多く、実際に東京大学へ入学する学生の大半も、そういう名門私立出身の男子学生が圧倒的に多いのだという。そういう学校の方が、楽に東京大学へ入学できる指導のノウハウを持っているらしいのだが、お父さん自身は公立の江南出身なので、私立とどのくらい指導のやり方に差があるかは分からないという。
 もっとも、お父さんは、東京大学へ行っても必ずしもエリートになれるわけではないという実態をよく知っているので、人見知りのする僕を男子校に行かせ、そこから男子の割合が8割くらいという東京大学に行かせたら、僕が一生恋愛知らずで過ごしてしまうのではないかと本気で心配し、敢えて自分の出身校と同じ、共学の江南へ行くよう勧めたのだ。東京大学へ行ってから彼女を探すのは難しいので、今のうちに恋愛の練習くらいはしておけという趣旨らしい。
 そのときに僕がお父さんから言われた、「雅史なら、江南からでも東大くらい余裕で行けるだろ」という言葉は、今でも僕の心に深く突き刺さっている。・・・もし行けなかったら、お父さんから一体何を言われるか非常に怖い。
 それでいて、お父さんは僕に「東大へ行け」とは勧めて来ない。別に東大でなくても、将来具体的にやりたいこと、なりたいものがあるのであれば、それに適した進路を選んだ方が良いという。医学部は止めた方が良いとも言っている。医学部は今でこそ人気絶頂だが、そのうち医師過剰になり転落するのは目に見えているのだという。その一方で、東大以外は大学の名に値しないなどということも平気で言ってくる。東京大学で厳しい授業を受けたお父さんの目から見れば、それ以外の大学は、大学ではなく単なるレジャーランドに過ぎず、私立のトップ校である早稲田や慶應ですら、お父さんはまともな大学だとは認めていないのだ。結局、お父さんは僕をどの大学へ行かせたいのかと聞いても、お父さんは僕が自分で選べとしか言わない。お父さんも、僕をどの大学に行かせればいいのか、よく分からないのだという。
 ・・・話をお父さんとの会話に戻す。
「彼女は出来てなくても、気になる子とか、狙ってる子とかはいないのか?」
 お父さんの言葉に、思わず僕は湯川さんの顔が思い浮かべたが、湯川さんとは昨日初めて会話をしただけの仲である。僕の頭の中で、湯川さんとビザンティン世界にいるメイドのマリアは半ば混同されてしまっているので、どう答えていいか良く分からない。
「まあ、全くいないというわけではないけれど・・・」
「そうか。雅史、勉強だけじゃなくそっちの方も頑張れよ。もし、高校卒業までに彼女を作れなかったときは、お父さんが雅史をソープランドに連れて行って、高校卒業と一緒に童貞も卒業させてやるからな」
「ソープランド!?」
 よく分からないけど、たぶんとてもエッチなお店だということは容易に想像できる。
「いいか雅史、日本では18歳まで、エッチなことは控えるべきだっていう雰囲気が出来上がってしまっているが、生物学的にはむしろ雅史くらいの年齢が、セックスを覚えるのに最適の年齢なんだ。できれば高校生、遅くとも大学生のうちに初体験を済ませておかないと、男は一生セックスが下手になってしまうことになる。実際、東大生の男は総じて恋愛もセックスも下手という評判になっているからな」
「・・・そうなの?」
 どうやらお父さんも、オフェリアさんと似たような考え方の持ち主らしい。
「お父さんも、運よく趣味の合うお母さんと結婚できたまでは良かったが、夜の方はあまり上手く出来なくて、お母さんに結構迷惑を掛けちゃったんだよ。雅史も奥手だから、放置していたら榊原の家系が途絶えてしまう。お父さんはそれを心配しているんだ」
 我が榊原家は、祖父の代までは浜松あたりに住んでおり、その祖先は徳川家康に仕えた武将で四天王の1人、榊原康政ということになっている。ただし、本家からは認知されていないほどの傍流らしく、家系図も太平洋戦争の際に空襲で燃えてしまったというので、その家系の証拠らしきものは、古い脇差一本しか残っていない。お父さんでさえも、単に明治時代の祖先が勝手にそう名乗ったという可能性も否定できないと言っているが、それでも三河武士の末裔という家の雰囲気だけはわずかに残っている。
「・・・分かった。出来るかどうかは分からないけど、頑張れる分だけは頑張ってみる」
 僕だって、初めては好きな女の子としたい。でも、それを叶える方法は、何とか日本で高校在学中に彼女を作って、その彼女と初体験を済ませるしかないらしい。ビザンティンの世界で、例えばマリアやイレーネを初体験の相手に選ぶという方法もあるが、それだとたぶん、日本に帰ってこられなくなる。そして、童貞のまま高校を卒業してしまった場合、僕はどんな人かも分からないソープランドのお姉さんに初めてを奪われることになる。正直言ってそれは怖いし、何となく嫌だ。だからと言って、一生独身で恋愛も結婚もせず、セックスもしないか下手なままというのでは、確かに生きている意味が無いような気もする。
「それにしても、お父さんは美雪を最後まで、幸せにしてあげることが出来なかったなあ。せめて、美夏が無事に生まれてきてくれれば、この家も少しは明るくなったと思うんだが・・・」
 お父さんは、そんなことを追想しながら、中島みゆき様の『慕情』を歌い始めた。
 これは、お父さんが口癖のように言っていることであるが、若干の説明が必要だろう。まず、美雪(みゆき)というのは、亡くなった僕のお母さんの名前である。そして美夏(みなつ)というのは、僕が4歳のときにお母さんが妊娠した女の子のことで、お父さんはそれを喜んで早くも美夏という名前まで付けていたのだが、残念なことに難産の末死産になってしまい、お医者さんもお母さんの命を助けるだけで精一杯だったという。
 そして、お父さんは大学在学中、中島みゆきFCというサークルに入ってから中島みゆき様の歌にはまり、お母さんも名前が美雪ということもあって中島みゆき様のファンで、お父さんとお母さんが結婚したのもみゆき様繋がりだったという。ちなみに、結婚式で披露された歌は、当然のように中島みゆき様の『糸』で、あまりの中島みゆき様尽くしに、結婚式に出席した叔父さんは呆れたという。
 そんなわけで、僕は生まれたときから、中島みゆき様の歌とは切っても切り離せない関係にあるのだが、特にお母さんが亡くなってからは、お父さんと共にますます中島みゆき様に傾倒するようになった。もっとも、お父さんからは、あまり中島みゆき様の歌にはまり過ぎると女性にモテなくなる傾向にあるので、ほどほどにしろと言われているのだが、別に好きで別れ歌うわけじゃない、他に知らないから口ずさんでいるに過ぎないのだ。乳児の頃から『アザミ嬢のララバイ』を子守唄代わりに聞かされて育ち、心の底まで中島みゆき様の歌が染みついてしまっている僕に、今更自重しろと言われても無理な話だ。

 昼食後も、僕は暇ではない。土曜日はエレクトーンのレッスンを受け、英語の塾に通う日だ。エレクトーンは、お父さんも取っている演奏グレード5級の試験をそろそろ受けることになっているし、英語も英検2級を近く受ける予定だ。そして、高校では来週、入学後最初の中間試験が控えている。日本でも僕のやるべきことは目白押しだ。イレーネの協力で、ビザンティンの世界でも勉強をする時間は何とか取れているものの、エレクトーンに関しては時々尼僧院のオルガンを借りて、何とか腕を維持するだけで精一杯である。こんな生活に加えて高校で彼女を作れだの、ビザンティンの世界で潰れかかったおかしなビザンティン帝国を立て直せだの、ドラゴンを討伐しろだのと言われたら、僕の頭はおかしくなってしまいそうだ。
 そんな悩みだらけの僕にとって数少ない息抜きが、野球観戦である。この日の夕食は、お父さんが出前を頼んでくれたので、僕が作る必要は無い。基本的に、榊原家の家事は午前中が僕の担当で、午後はお父さんの担当である。そして、僕が塾から帰った後、
「雅史、今日の横浜戦観るか?」
「観る!」
 榊原家恒例の、テレビによる野球観戦が始まった。僕も学校生活が忙しいので全試合観られるわけではないが、土日は比較的時間に余裕があるので、大体観ている。もっとも、榊原家の場合はただ観るだけではなく、観戦しながら、ちゃんと2人ともつば九郎バットと傘を用意して、応援歌を歌って選手たちを応援するのだ。なお、本日の対戦相手、横浜DeNAベイスターズの正式な略称はDeNAだけど、呼びにくいので普段は単に『横浜』と呼んでいる。なお、榊原家のテレビでは、ヤクルトの試合は全試合観戦可能になっている。
「今日のスタメンは、・・・1番ファースト坂口智隆、2番センター青木宣親、3番セカンド山田哲人、4番レフトバレンティン、5番ライト雄平、6番サード村上宗隆、7番キャッチャー中村悠平、8番ショート太田賢吾、9番ピッチャー石川雅規だね」
「雅史、他の選手は分かるが、太田の応援歌ってあるのか?」
「・・・ない。今年の歌詞カードにも載ってない」
 なにしろ、今年日本ハムから移籍してきたばかりの選手なので、あまり馴染みがない。
「太田って右打ちか?」
「違う。ショートだけど左打ちみたい。テレビでもさっき左打ちって書いてあったよ」
「じゃあ、8番は左打ち汎用、9番は投手汎用で、いつもの練習だな」
 こうして、神宮球場でやっているのと同様に、打順ごとに各選手の選手別応援歌を歌い、最後は小川監督の応援歌で締めて応援歌の練習をする。なお、専用の応援歌がない選手の場合、右打ちと左打ちで応援歌が違うので、馴染みのない選手についてはいちいち確認する必要がある。また、神宮球場と違って家庭内でやることなので、例えばこういうことも起きる。
「打てよ~、青木~、広角打法のリードオフマン♪」
「お父さん、それ違うよ。今の応援歌はこれ」
 僕が、アメリカから帰った後に作られた青木選手の応援歌を披露すると、お父さんはこう呟いた。
「確かにそうだったな。つい昔の癖で」
 他の球団でもそうだと思うけど、選手別の応援歌は結構変わったりする。僕はともかく、お父さんみたいに古くからのファンだと、つい間違えて昔の応援歌を歌ってしまったりするのだ。なお、テレビでは球場のツバメ軍団がどのような応援歌を歌っているかまでは分からないので、何を歌うかはこちらで勝手に決めている。選手別の応援歌以外にも、攻撃開始時に歌う歌、出塁や進塁があったときに歌う歌、得点が入ったときに歌う歌、汎用の応援歌、チャンステーマなど様々な応援歌があるのだ。特に雄平選手などは、ファールで10球以上粘ったりすることも珍しくないので、その間ずっと同じ歌を歌っていると飽きてしまうのだ。ちなみにチャンステーマは4種類あるが、榊原家では『夏祭り』を歌うことが多い。
 ヤクルトの応援歌と言えば、『東京音頭』と『とび出せヤクルトスワローズ』が比較的有名だけど、実際にはそれ以外にもたくさんあるのだ。

「今日の先発はエースの石川。横浜の上茶谷ってのは知らん奴だから、今日くらいは勝ってほしいな」
「そうだね」
 しかし、試合は1回表、先発の石川がソトの犠牲フライで1点を献上。3回にも2点を奪われる嫌な流れになったものの、4回裏に期待の若手、村上選手が3ランホームランを打ち同点に追いついた。勿論2人で傘を振りながら、東京音頭で盛り上がる。
「「くたばれ読売、くたばれ読売・・・♪」」
 なお、今日の相手は読売じゃなくて横浜だとか、公式の歌い方は「くたばれ読売」ではなく「東京ヤクルト」だとか、そういう野暮な突っ込みはナシでお願いします。これが榊原家の流儀なんです。
 あと、もし巨人ファンの読者さんがいたら、ごめんなさい。
「やっぱり、これからのヤクルトを引っ張って行くのは、村上かな」
「でも、村上がサードに定着すると、川端の出番なくなっちゃうね。僕、川端のチャンステーマ好きだったのに」
 5回表。僕たちがそんなことを話しているうち、先発の石川が連打を浴び降板。2番手投手として、五十嵐亮太選手の名前がコールされた。
「ずいぶん懐かしいのが出て来たな。まだ現役でやってたんだな」
「そうなの?」
「昔、若松監督の時代にヤクルトが日本一になった頃、試合終盤を締める『勝利の方程式』はたしか、五十嵐亮太、石井弘寿、高津臣吾だったんだよ。あの頃の選手でまだ現役やってるのは、たぶん五十嵐くらいじゃないか?」
 お父さんは、2001年にヤクルトが日本一になったときの話が大好きで、今日も含め野球観戦のときには、その年に買ったという日本一記念のはっぴを着ている。その年はペタジーニ選手と、今横浜の監督をやっているラミレス選手の両方が揃っていて、それ以外も野手はほぼ固定メンバーで戦えていたという。真中から土橋まで続く8人の応援歌をお父さんは今でも時々歌うので、僕でも歌える。ちなみに、五十嵐選手はアメリカへ行った後、日本に戻ってソフトバンクで活躍し、今年からヤクルトに戻ってきた選手である。一方、僕は2015年にヤクルトがリーグ優勝を果たした時にお父さんが買ってくれた記念はっぴを着ている。
「「頑張れ頑張れ亮太、頑張れ頑張れ亮太!」」
 しかし、必死の声援も空しく、五十嵐投手はピンチを防ぎきれず、5回表は結局3点を献上。7回表にも、3番手の大下投手が3点を奪われ、11対3と敗色濃厚に。でも僕たちは諦めず、応援歌を歌い続ける。その甲斐あってか、7回裏には青木のタイムリー、そしてバレンティンの2ランホームランで3点を奪い、11対6となった。
「「くたばれ読売、くたばれ読売・・・♪」」
 再び、僕とお父さんは東京音頭の大合唱。なお、東京音頭は、別にホームランを打った時に限らず、タイムリーヒットでも四球押し出しでも三塁走者がいるときの暴投でも、得点が入った時には必ず歌うほか、7回裏の攻撃開始前にも歌うので、7回裏では都合3回東京音頭を歌うことになった。
「はいウラン、煮干しあげる♪」
 先に説明したとおり、ウランの名前はウラジミール・バレンティン選手の名前に由来しているので、試合観戦時にバレンティンが活躍したときには、僕がウランに煮干しをあげている。ウランもそれを分かっているのか、試合観戦が始まると大体リビングのソファーで寝ながら待機している。・・・たまに、バレンティンが4タコした日に煮干しをねだってくることもあるけど、簡単にはあげない。
 僕は、ウランが美味しそうに煮干しを食べる光景を見ながら、ふとこんなことを呟いた。
「バレンティンって、そろそろFA権取っちゃうよね。そうなったら、昔のペタジーニやラミレスみたいに、また読売に強奪されちゃうのかな?」
「・・・まあ、覚悟はしておいた方がいいな」
 お父さんも苦々しくそう応じる。
 僕は、2001年にヤクルトが日本一になったという年にはまだ生まれていなかったが、お父さんから昔我が家にいた猫のロベルトやアレックスの由来になったペタジーニ選手やラミレス選手をはじめ、主力の外国人選手が次々と読売に強奪されていった、特にある年にはエースと4番を一度に強奪されたという話を何度も聞かされているので、お父さんの読売に対する積年の恨みは僕にも引き継がれている。
 もし、バレンティン選手が読売に強奪されるようなことがあれば、僕の読売に対する恨みはウランを見る度に増幅されていくことになるだろう。僕が小さい頃、お父さんがロベルトやアレックスを見る度に読売に対する恨みを増幅させていったのと同じ現象が、おそらく僕にも起きる。なお、この気持ちは、ヤクルトファンでなくても、例えば昨年のFAで丸選手を読売に強奪された広島ファンの方なら、幾分かは理解してもらえるのではないかと思う。
「そういう意味でも,是非奥村にはブレイクして欲しいよね。広島で『大竹は一岡の人的補償だ!』って言われたみたいに、『相川は奥村の人的補償だ!』って言ってやりたい」
「そう上手くいけば良いがな」
 お父さんは、苦笑いしながら僕にそう答えた。ヤクルトの選手でなくても、読売で活躍できなかった選手が他球団でブレイクしたという話を聞けば、2人で我が事のように喜ぶのが榊原家の家風なのだ。それが奥村選手のようなヤクルトの選手であれば、喜びは尚更である。

 話を試合に戻すが、その後両チームとも追加点を奪えず、9回裏、最後の攻撃に移る。青木のヒットで一死一塁となり、打者はトリプルスリーを3度も達成した、ミスタースワローズこと山田哲人選手。僕は両手でつば九郎バットを振り上げた。
「「・・・・・・やまーだてつと!! ・・・・・・やまーだてつと!! ゆーめーへーとーつーづーくーみーちー~♪」」
 恒例の山田哲人コールを歌いながら、僕とお父さんは最後の期待を山田選手に託す。ファンファーレの演奏は、お父さんが一緒に歌いながら、小型の電子オルガンでやってくれている。以前は鼻歌で済ませていたのだが、いまいち雰囲気が出ないということで、こういう形に落ち着いたのだ。まあ、応援歌を全部覚えていない人でも、ヤクルトファンでこれを知らない人はまずいないだろう。しかし、期待も空しく山田選手は併殺に倒れ、試合は11対6でヤクルトの敗戦になってしまった。
「・・・負けたか。今のヤクルトには、ろくな投手がほとんどいないからな。もういい年齢の石川や五十嵐に頼らざるを得ないっていうのが、今時のヤクルトを象徴している試合だったな」
 お父さんがそう愚痴る。僕も、当然ながらヤクルトの苦しい投手事情はよく承知している。
「それにしても、ヤクルトってどうしてこんな投手不足の球団になっちゃったんだろうね?」
「お父さんにもよく分からんが、最近のヤクルトは『ヤ戦病院がある』ってからかわれるほど、投手の怪我人が多いからな。投手の育成方法に問題があるんじゃないか?」
 意味のない願いではあるが、可能であれば是非イレーネをヤクルトの育成コーチとして送り込みたい。イレーネなら、選手の怪我なんて一瞬で治せるし、身体能力も強化できるのに。
「投手の取り方にも問題があるよね。特に秋吉なんか、高津2世になれるかもって期待してたのに、ちょっと成績が落ちたからって、すぐトレードで手放しちゃって。成瀬も屋宜も期待外れだったし」
「優勝に貢献したバーネットとロマンを、あっさり手放したのにも問題があったな。あの2人とオンドルセクが抜けてから、使い物になる外国人投手がほとんど取れとらん。スカウトにも問題がある。それに昔は、野村監督が川崎とか田畑とか、何人もの選手をヤクルトでブレイクさせて『野村再生工場』なんて言われてたんだが、最近ではヤクルトに入って再生した投手なんて聞いたことが無い。野手なら坂口がいるが」
 敗戦後、お父さんとそんな愚痴を言い合った後、僕はシャワーを浴びて眠りに就いた。こうして、久しぶりに過ごした榊原家での1日は終わった。
 明日は日曜日・・・ではなくて、ドラゴンと戦わなきゃいけないのか。今度日本に戻って来れるのがいつになるかは分からないけど、スワローズと中島みゆき様がいる限り、僕が日本へ帰りたくないなんて思うことはおそらくないだろう。寝る前に何度か抜いておこうかとも思ったけど、早めに起きてイレーネにしてもらった方が気持ち良いから、我慢することにした。ビザンティンの世界ではオナニーしなくて済むのが、二重生活を強いられている僕にとってほぼ唯一の役得なのだから。

第11章 ドラゴン討伐

「ごきげんよう、みかっち。昨日はお楽しみでしたね♪」
 朝、妙にニコニコしたテオドラと会って、開口一番に言われたセリフがこれだった。
「おはよう、テオドラ。・・・何その挨拶?」
「ルミーナたちから話は聞いたわよ。みかっち、あたしの姿になったとき、『ごきげんよう』って挨拶してたんでしょ? みかっちは、あたしに『ごきげんよう』って挨拶してほしかったのね。それと、みかっちはプリアポス様が元気過ぎて大変だから、ニケーアを出てから、毎晩イレーネに鎮めてもらってたんでしょ。あたしだってそのくらい分かるわよ」
「・・・分かってたんだ」
 実際、今日目が覚めたときには、既にイレーネが僕のものをしゃぶっていて、連続で5回も気持ちよくさせられてしまった。中学生の時は、朝にしちゃいけないというのが常識だったのに、今ではむしろこのくらいが丁度良くなってしまっている。おそらく、イレーネが僕に連日掛けている身体強化術の効果だろうが、身体全体の能力が強化されるのは良いとしても、これ以上精力絶倫になってしまっては、日本でまともな性生活を送れなくなってしまうのではないかと不安になる。
 でも、精力が強化されるほど気持ち良さも増すので、イレーネにこれ以上精力を強化するのは止めてと言いたくても、欲望に邪魔されて言葉が出て来ない。仮に言えたとしても、イレーネが素直に止めてくれるとは限らない。何しろイレーネの目的は、僕を子作りし放題のハーレム生活に溺れさせ、僕が自分から日本での生活を捨てるよう仕向けることにあるのだから。それを分かっていても止められない自分が情けない。
 そんな僕の思いをよそに、テオドラの話は一方的に進む。
「まあね、実際にみかっちの身体を体験したんだからそのくらいは分かるわよ。オフェリアの話だと、若い男の子でもみかっちくらい精力旺盛な子は珍しいってことだけど、みかっちに娼婦が必要だってことは身体で理解できたから、あたしと結婚した後でも、みかっち専用の娼婦を何人か持つくらいは大目に見てあげるわ。感謝しなさい。せいぜい淫乱なイレーネや馬鹿メイドたちを娼婦代わりにして練習して、結婚したらせいぜい、あたしを満足させなさい」
「・・・さいですか」
 僕としては、別にテオドラを結婚相手に選ぶ気は無いが、ここで喧嘩しても仕方ないので、適当に生返事をすることにした。あと、子作りは慣れると非常に気持ちよくなるという、僕が教えていなかった性知識については、テオドラから問い詰められたルミーナが教えてしまったらしい。正しい性知識を色々覚えてしまった現在のテオドラは、もうすっかり耳年増だ。

 僕たちは朝食を済ませた後、オスマンに案内されて、ドラゴンが棲んでいるという山へと向かう。
「あの山に住んでるドラゴンはな、古くからこの辺に住んでる住民たちの話によると、100年くらい前にこの山へ住み着いたらしい。洞窟の中をねぐらにして、たくさんの金銀財宝を集めているので、それを目当てに過去何百人もの冒険者が討伐に挑んだが、悉く返り討ちにされているらしい」
「その金銀財宝って、ドラゴンが旅人や商人を襲って巻き上げたりしてるの?」
「いや、そういう話は聞かない。戦場跡なんかで金目の物を拾い集めているところを見たっていう話は聞いたことあるが、たぶんそういう物を集めるのが趣味なんじゃねえか?」
「ふーん」
 僕は、オスマンの説明を聞けば聞くほど、別に人を襲うわけでもないドラゴンを討伐することが本当に正しいことなのか、疑問に思えてきた。
 歩きながらオスマンと話をしているうちに、件のドラゴンが棲んでいるという洞窟の入口に辿り着いた。見た感じ、洞窟は結構広い。
「ドラゴンは、この洞窟の中にいる。そんなに深い洞窟じゃないからすぐに見つかるはずだ。俺はこの入口で待機してるよ。まあ、お前たちが返り討ちにされたときは、俺が骨くらい拾ってやるよ」
 オスマンは、僕たちがドラゴンを討伐できるとは思っていないらしく、僕たちにそう告げてきた。自信満々のテオドラは、オスマンに「見事ドラゴンを倒して、あんたを見返してやるわよ」と反論していたが、いざ洞窟に入ると、僕を無理やり列の先頭に押し出した。
「なんで僕が列の先頭なの? 僕はお姫様役なんじゃなかったの?」
「あたしは、昨夜ドラゴンを討伐するための作戦を考えてたのよ。みかっちは、イレーネの作ったネックレスを付けてるから、攻撃の役には立たないけど壁役としては最適じゃない。だから、ドラゴンがあんたを攻撃している間に、あたしとイレーネで考えられる限りの強力な術を連発して、ドラゴンを倒すっていう完璧な作戦よ。分かった?」
 ・・・僕の役割は、いつの間にか最も危険そうな壁役にさせられていた。いくらネックレスがあると言っても、僕はルシアンみたいなタンクじゃないんだぞ。
「・・・イレーネ、僕のネックレスって、ドラゴンの攻撃にも耐えられるの?」
「実験したことはないが、たぶん耐えられると思う」
 イレーネの答えに僕はますます不安になり、何度も逃げ帰ろうとしたがその度にテオドラに捕まり、列の先頭に戻されていた。
「みかっちは本当にヘタレねえ。サムライだったら、もう少し勇気を出しなさいよ」
「僕は、ご先祖様がサムライだったというだけで、僕自身は別にサムライじゃないけど。それにテオドラ、なんでサムライなんて言葉知ってるの?」
「あたしとイレーネで、あんたが住んでいる日本って国のことを色々調べてるのよ。日本って、サムライとニンジャがいる国なんでしょ?」
 僕は思わずズッコケた。
「みかっち、どうしたの? 持病の痔が悪化しちゃった?」
「僕にそんな持病はないよ! 日本にサムライやニンジャがいたのはずいぶん昔の話で、僕の時代には、もうサムライもニンジャもいないから!」
「しらばっくれても無駄よ、みかっち。あんたの時代でも、『サムライ・ジャパン』なんて言葉が頻繁に使われているし、観光客を相手にしているサムライやニンジャもいるわ」
「・・・まあ確かに、そういうのは現代にもいるけど、そもそもテオドラ、本物のサムライってどういうものか知ってるの?」
「もちろん知ってるわよ!」
 テオドラが、僕を指差して自信満々のポーズを決めた。さあ、今度はどんなボケが来る?
「サムライってのは、カタナを持って戦って、普通に戦ってもただの戦士より強いのに、魔法まで使える上級職なのよ! それで、サムライの中で一番弱いのがマイナーダイミョーで、次に弱いのがメジャーダイミョー、そして強いサムライがハタモトで、一番強いサムライがミフネ。完璧でしょ?」
 僕は再びズッコケた。これは過去最大級の強烈なボケだ。突っ込みどころが多すぎて、もはや突っ込み切れない。
「合ってるのは、カタナを持って戦うってところくらいで、それ以外は間違いだらけだよ! それにミフネって何!? 一体どこからそんな訳の分からない情報を仕入れて来たの!?」
「あ、みかっち。ドラゴンの姿が見えて来たわよ」
 テオドラの指差す先を振り返ると、そこには銀色に光る鱗に覆われた、一頭の大きなドラゴンがいた。四本の足と大きな翼を持つ、ファンタジー世界などではお馴染みの典型的なドラゴンだが、こうして実物を見るのは初めてである。その眼は鋭い眼光を放っており、見るからに強そうだ。そして、ドラゴンの足許には、かなりの量の金銀や宝石の類が集められている。
「・・・そなたは何者だ。また我を討伐しにきたのか?」
 ドラゴンが、僕に向かって話し掛けてきた。このドラゴン、会話が通じるのか。
「僕は、確かにある人の依頼であなたを討伐しに来ましたが、あなたと戦いたくはありません。可能であれば、話し合いで解決したいと思っています」
「そうか。ならば話を聞いてやろう。我も無益な争いは好まぬ」
 どうやら、話し合いには応じてくれるようだ。
「あなたは誰なのですか? どうして、このような場所に棲みついているのですか?」
「我に名前はない。我はまだ幼い頃、群れからはぐれてこの地に転落し、群れに合流する方法も分からなくなった。そのため、我はこの場所に住処を作り、独りで暮らしているのだ。我の言葉が分かる珍しい人間よ、今度は我の質問に答えてもらいたい」
「分かりました。僕に応えられる範囲であればお答えします」
「我は、この地で人間に迷惑をかけている積もりはない。我を討伐しようとして死んだ人間の肉は喰らうが、普段は植物を食べ、水はこの洞窟に湧き出るものを飲んでいる。我の方から人間を襲って殺そうとしたことはない。それなのになぜ、人間は度々、徒党を組んで我を討伐しようとしてくるのか?」
「僕も正確なことは分かりませんが,第1にこの地方の宗教では、あなたのようなドラゴンは悪魔の化身であると信じられており、討伐すべき存在だと教えられているようです。第2に、あなたは大量の金銀財宝を蓄えているので、それを狙ってあなたを討伐しに来る人間もいるようです」
「そうなのか。どちらも我にとっては初耳だ。この足許にあるものの多くは、我を殺しにきた人間が持っていたものだ。こうした光るものを沢山置いておけば、人間は我に怖れをなし、やがて我を討伐しに来ることは無くなるだろうと考えていたのだが、そもそもこれらは、人間にとってどのような意味があるのだ?」
「ちょっとみかっち、何1人で意味分からないこと喋ってんのよ」
 テオドラが、僕の服を引っ張って話に割り込んできた。
「今、このドラゴンと大事な話をしているんだ。邪魔しないでよ!」
「みかっち、このドラゴンの言葉分かるの? あたしには、ウーウー唸っているようにしか聞こえないんだけど」
「僕には理解できる。このドラゴンは、別に人間と戦うつもりはないみたいだよ。なのに人間が勝手に攻め込んできて迷惑しているみたい。イレーネは分かる?」
「・・・私にも理解できない。あなただけドラゴンの言葉を理解できるのは、おそらく『意思疎通』の呪法によるもの」
 そうか。僕に掛けられている『意思疎通』の呪法は、言語を介さずに相手との意思疎通を可能とするもの。だから、例え相手が人間でなくても、人間と同程度以上の知能を持った相手とは、会話が通じるようだ。
「みかっち、別にドラゴンと会話する必要なんかないわよ。さっさと討伐して、お宝も頂いちゃいましょうよ」

「うるさい、テオドラは黙ってろ!!」

 僕は、精一杯の大声を出して、テオドラに一喝した。さすがのテオドラも、びっくりして沈黙した。
「・・・人間よ。さっきから一体何を揉めている?」
「すみません、どうやらこの3人の中で、あなたの言葉が分かるのは僕だけのようです。このうるさいのは気にしないでください。えーとすみません、どこまでお話しましたっけ?」
「我が、ここにある光るものは人間にとってどのような意味があるのか、そなたに尋ねたところまでだ」
「そうでした。あなたが持っているたくさんの光る物は、簡単に言えば人間にとって非常に価値のあるものです。それだけの量の光る物を持っていれば、人間の社会では働くことなく、一生遊びながら贅沢な暮らしができます。ですから、あなたが持っている光る物を狙って、危険を承知であなたを討伐しにやってくる人間もいるのです」
「そうなのか。先程そなたは、これらの光る物を金銀財宝と呼んでいたが、これを狙って人間どもは我を殺しに来るのか。我がやっていたことは逆効果だったのか」
「端的に言えば、そういうことになります」
「そうか。しかしお前は、我を悪魔の化身だとは思っておらぬのか? これらの金銀財宝とやらが欲しくはないのか?」
「僕は、この地方の人間ではなく、とある事情で遠い異国から連れて来られた人間です。ですから、僕はあなたを討伐すべき悪魔だとは思っておらず、むしろあなたのようなドラゴンは、神として敬われるべきだと考えています。そこにある金銀財宝が欲しくないわけではありませんが、僕が来た目的はそれを奪うことではありません。この地方の領主が、僕の味方についてくれる条件として、あなたを討伐せよと言ってきたので、仕方なくやってきただけです。あなたが、平穏にこの地から立ち去ってくれれば、おそらく問題は解決するでしょう」
「そうか。我は、人間相手に負けるとは思っておらぬが、これ以上人間と争う気は無い。しかし、我がここを立ち去るにしても、帰るところはない。どうしたものであろうか」
 ドラゴンの話を聞いた僕は、イレーネにこう尋ねてみた。
「イレーネ、このドラゴンは、小さい頃に群れからはぐれてしまって、帰るところが分からないんだって。このドラゴンが属する群れの住処って分かる?」
「・・・これから検索する」
 イレーネは杖を振ってしばらく念じた後、何もない空間にスクリーンを映し出した。僕がこの世界に来たばかりの頃に見せられたものと同じものだ。そのスクリーンには、どうやら世界地図のようなものが映っている。
「・・・この地図の、青い場所が現在地。私が検索したところ、赤い場所に、このドラゴンの属する群れの住処らしきものが確認された」
 この地図を見る限り、ドラゴンの住処はどうやらシベリアの奥地あたりにあるらしい。
「イレーネ、ありがとう」
 僕はイレーネに礼を言うと、ドラゴンに向き直った。
「今、この子が調べてくれたところによると、この青い場所が現在地で、この赤い場所に、あなたの群れの住処らしきものがあるそうです。この場所へ行って待っていれば、いずれあなたの群れと合流できると思います」
「そうか。礼と言っては難だが、ここにある金銀財宝とやらは、我にとってはもはや無用の物だ。そなたが持っていくと良い。あと、最後にそなたらの名前があれば教えてもらおうか」
「僕は、ローマ帝国の摂政、ミカエル・パレオロゴスです。この、キラキラしたローブを着てモゴモゴ言ってるのは、同じローマ帝国の皇女、テオドラ・アンゲリナ・コムネナと言います。そして、この黒いローブを着た女の子は、同じローマ帝国に仕え、預言者と呼ばれる高名な神聖術士、イレーネ・アンゲリナと言います。僕たちの国には、ミカエル、テオドラ、イレーネといった名前の人はたくさんいますので、覚えるならフルネームで覚えてください」
「承知した。しかし、その黒いローブを着たイレーネ・アンゲリナという者は、我は人間のオスだと思っていたのだが、本当はメスだったのか」
 ・・・イレーネは、人間だけでなくドラゴンにも、男の子と間違えられてしまう存在なのか。
「イレーネは、事情があって長い間男の子の振りをしていたので、今でも癖が抜けず人間の間でも時々間違えられるのですが、立派な女の子です」
「そうか。ミカエル・パレオロゴスよ。そなたのような者がローマ帝国とやらを正式に治めるようになれば、おそらくその帝国も栄えるであろう。では、機会があればまた会おう」
 ドラゴンはそう言い残すと、洞窟の入口までゆっくりと歩いて行き、洞窟を出ると北の方角に飛び立って行った。なんか、『銀の龍の背に乗って』を歌いたい気分だ。
「イレーネ、もう話は終わったから、テオドラを解放してあげて」
 イレーネは無言で頷き、テオドラに対する拘束の術を解いた。僕がドラゴンと話している間、テオドラはなおも僕に文句を言おうとしたので、イレーネが気を利かせて術でテオドラを拘束し、喋れないようにしておいてくれたのだ。
「一体何よ、全然話が見えないんだけど!」
 ちょうど、オスマンも一体何が起きたのかと駆け付けて来たので、僕はテオドラとオスマンに、事の一部始終を説明した。
「お前、ドラゴンを話し合いで退散させたのか。すげえ奴だな」
「みかっち、それじゃあたしの活躍の場がないじゃない! どうしてくれるのよ!」
 2人の反応は正反対だったが、とりあえず問題は解決したということで、ドラゴンの残した金銀財宝を持って、僕たちは文句を言い続けるテオドラを宥めながら、ソユトの村へ戻ることにした。もっとも、金銀財宝は量が多すぎて4人では運びきれなかったので、オスマンに頼んでソユトの村から荷馬車を3台ほど借りてくる必要があった。
 ソユトに戻った僕は、改めてエルトゥルル・ベイに対面し、事の次第を説明したところ、エルトゥルルは再びテーブルをひっくり返し、僕に一喝した。
「小童! 結局ドラゴンは討伐出来ていないではないか! そんな結果で儂をあの惰弱なイサキオス帝に仕えさせるなど、この儂が認めると思うてか!」
「やーい、みかっちがヘタレだから、クエスト失敗じゃない。このあたしに活躍させておけば何も問題なかったのに」
 それに乗じて、テオドラも僕をからかう。この頑固ジジイ、こうなったら本当にテオドラの力で村ごと廃墟にしてやろうかと僕が一瞬思ったところ、エルトゥルルの話にはまだ続きがあった。
「・・・だが、ミカエル・パレオロゴス。ドラゴンを討伐するのではなく話し合いで退散させるとは、儂には考えもつかない発想であった。儂は、惰弱なイサキオス帝に仕える気は無いが、そなたの器量と才能を見込んで、一族を率いてそなた個人に仕えることにしよう。何か異存はあるか?」
「・・・いえ、帝国摂政である僕にとっては、いずれにせよ同じことなので、異存はありません」

 こうして、エルトゥルル・ベイは、ローマ帝国ではなく僕個人の家臣として、引き続きソユトの地を治めることになった。ソユトにはイレーネによって移動拠点が設置され、僕たち3人は移動拠点を使ってニケーアに帰還した。間もなく、近隣のベイたちに顔の利くエルトゥルルの説得により、ソユト近辺の部族は次々と僕の臣下となり、長らくトルコ領であったソユトの南東にある内陸部の都市ドリュライオンも帝国領、正確には僕の私領となった。
 ドラゴンからもらった金銀財宝は、一部テオドラを宥めるためのプレゼントにも使ったが、基本的にはソユト方面の経済発展に活用することにし、ニケーアからソユトを通ってドリュライオンへ至る、新しい街道も着工した。移動拠点は、今のところ民間人や外国人には開放していないし、何らかの原因で移動拠点が使えなくなる事態もあり得るので、街道はなお必要なのだ。
 また、息子のオスマンは僕を気に入ったようで、文明の発達したローマ帝国への留学も兼ねて僕の配下武将に加わり、戦時にはエルトゥルルやその仲間の首領たちの配下である、トルコ人の弓騎兵隊を率いて戦うことになった。気さくな性格のオスマンは、同じイスラム教徒のメンテシェやジャラールはもとより、宗教の違う他の将校たちとも瞬く間に打ち解けていった。
 やっぱり、王朝の開祖になるような人間はカリスマが違う。オスマンは有能な武将として活躍してくれそうな気がするが、あまり彼を重用し過ぎると、やがて史実と同じようにオスマンの子孫がローマ帝国を滅ぼしてしまうのではないか。僕はオスマンのことを考える度に、他人には言えないジレンマに直面することになった。

 後日談1。僕はソフィアに、エルトゥルルがローマ帝国ではなく、わざわざ僕個人に仕えることを選んだのにはどういう意味があるのだろうと尋ねたところ、ソフィアは次のように答えた。
「それには重大な意味がございます。むしろ、お分かりにならない殿下の方が無頓着でいらっしゃると申し上げるほかありません」
「どういうこと?」
「後日、仮にイサキオス帝と殿下の間に争いが生じたとき、エルトゥルルとその一党はイサキオス帝ではなく、殿下の側に付くと明確に表明されたのです。さすがは勇名高きエルトゥルル、頭も切れると評するしかございません」
「別に、僕はイサキオス帝と争って帝位を狙う気なんか無いし、盲目で何もできないイサキオス帝が僕と争おうとするとも思えないんだけど?」
「・・・殿下。イサキオス帝を侮ってはなりません。イサキオス帝は、息子のアレクシオス4世帝と共同で復位された際にも、民衆の人気が自分でなく息子に集まっているのではないかと嫉妬し、密かに息子を亡き者にする陰謀を企んでいたと噂されるほど嫉妬深い方なのです。そんなイサキオス帝が、内心で殿下の活躍を嫉妬していないはずがございません。また、イサキオス帝自身には何も出来なくても、殿下に反感を持つ何者かが、イサキオス帝を擁立して殿下の排除を企てる可能性も否定できません。殿下も、そういったことにもっと注意を払ってくださいませ」
「僕は皇帝になる気なんか無いのに、そんな事にまで注意しなきゃいけないの!?」
 なお、僕が相談したゲルマノス総主教、内宰相のアクロポリテス先生、そしてパキュメレスまでも、概ねソフィアと同意見だった。僕は心底、この国とイサキオス帝にうんざりさせられることになった。

 後日談2。僕はイレーネに、僕の世界と若干位相が異なるに過ぎないはずのこの世界に、ドラゴンがいるのは神聖術の影響なのかと尋ねた。
「そうではない。あなたの世界にもドラゴンはいた」
「でも、僕の世界ではドラゴンは伝説上の存在で、伝承は色々残っているけど、実際に見たというはっきりした記録はないよ」
「あなたの世界では、この世界より人類の文明が発達している。ドラゴンに有効な攻撃を加えられる兵器も既に開発されている」
「例えばどんなもの?」
「この世界ではまだほとんど使われていない、あなたの国では銃や大砲と言われるものが、そうした兵器に該当する」
「じゃあ、僕の世界にいたドラゴンは、銃や大砲によって絶滅させられたの?」
「そうではない。ドラゴンは強力であるのみならず、知能も高い。あなたの世界では、人類が銃や大砲を使うようになると、ドラゴンたちは人間による攻撃を恐れ、人間から見つからない場所に隠れて暮らすようになった。あなたの世界でも、ドラゴンはいなくなったのではなく、人間の前に姿を現さなくなっただけ」
「じゃあ、もう1つ。この世界にはドラゴン以外にも、ファンタジー世界に出てくるモンスターみたいなものはいるの?」
「あなたの質問は漠然としており、直接的な回答は困難だが、あなたの関心事項に関連すると思われる事項について回答する。ドラゴン以外にも、強力な力を持った怪物、幻獣といったものは存在するが、いずれも個体数は極めて少なく、しかも人間の住む世界から離れたところで暮らしているので、召喚術などと呼ばれる、未だ実用化されていない特殊な神聖術が実用化されない限り、通常人間と接触することはない。この世界で比較的よく見られるドラゴンも、その個体数は全世界合わせて数百体前後に過ぎない。この世界のうち、人間が生活できる場所の大半には、人間や既知の動物などが暮らしており、あなたの国で言われるファンタジー世界に登場するような、酒場やギルドなどで4名前後の徒党を組み、さほど強くない怪物を退治することによって報酬を受け取る、勇者や冒険者といった職業が成立する余地はほぼ無い。この世界における冒険者は、傭兵となり戦いで人間を殺すことにより報酬を得る。人間より弱いか、人間と戦闘力が大して変わらない怪物と呼ばれるものは、この世界には存在しない」
「そうなんだ」
「そもそも、あなたの言うファンタジー世界に、ゴブリンやコボルト、オークなどといった大して強くない怪物が登場し、これらを数多く倒すことによって強力な怪物を倒せるようになるという物語が数多く存在するのは、人間が人間を殺すという罪悪感を感じさせる要素のない戦いの物語を描くことによって、戦争のなくなったあなたの国に、再び好戦的な機運を起こさせようとする政治的意図が働いているため。そのような人間にとっての免罪符になることを主な目的とした、人間にとって都合の良い怪物はこの世界には存在しない。一方、エルフやドワーフなどといった亜人種は基本的に存在しないが、この国でニュンペーと呼ばれる、人間と似た姿を持つが長い寿命と特殊な能力を有する、あなたの国でいうエルフに似た亜人種は、少数ながらこの世界にも存在する
「イレーネ、君もニュンペーの1人なの?」
「私の詳細については、あなたに回答することを許可されていないが、私はニュンペーではなく、あくまでも人間であり、ただ特殊な任務と能力を与えられているだけ。本物のニュンペーには、運が良ければあなたも会う機会があるかも知れない。なお、あなたの世界における怪物や幻獣、ニュンペーといった存在は、既に絶滅したか、ドラゴンと同様に人類の前から姿を消し、伝説上の存在となっている。他にも聞きたいことがあれば、可能な範囲で回答する」
「もういい。イレーネ、ありがとう。おかげで、この世界における世界観は大体分かった」
 要するに、このビザンティン世界にはファンタジー的な要素もいくらかは存在するが、基本的には現実世界と同じように、生きるためには人間同士が殺し合うしかない、厳しくて残酷な世界らしい。

第12章 新都ニュンフェイオン

 世界暦6755年3月。僕がこのビザンティン世界に召喚されたのが世界暦6753年9月1日ということなので、僕がこの世界に召喚されてから約2年半になる。この月、アクロポリテス先生から最低限の施設は完成したとの連絡を受けたので、僕の宮廷は新都ニュンフェイオンへの引っ越しを行うことになった。
 ニケーアの宮廷に暮らしていた要人のうち、僕、テオドラ、イレーネとプルケリアは、新都ニュンフェイオンに移る。それに伴い、僕付きのメイドであるマリアやマーヤ、メイド兼秘書であるソフィアなどのほか、テオドラの取り巻きであるルミーナ、ソーマちゃんとテオファノ、パキュメレスをはじめとする年少組などもニュンフェイオンに移る。ニケーアの宮殿に残るのは、イサキオス帝とそのお世話をするメイドや側近のみ。侍従長であるオフェリアさんは、イサキオス帝のお世話をする必要があるので、ニュンフェイオンに残る。
 僕と顔見知りの人物でニケーアに残るのは、アスパイテス総督を除けばほぼオフェリアさんのみになるため、僕はオフェリアさんに、イサキオス帝とその周辺の監視をお願いすることにした。
「オフェリアさん。万一ということもありますので、もしイサキオス帝やその取り巻きに不穏な動きがあるときは、直ちに僕かソフィアに連絡して頂けるようお願い致します」
「承知致しましたわ、殿下」
 ニケーアとニュンフェイオンの宮殿は移動拠点で結ばれているため、オフェリアさんと会う機会が全く無いということにはならないと思うが、今後オフェリアさんと会う機会は激減する可能性が高い。そこで僕は、この際オフェリアさんにかねてからの疑問をぶつけることにした。
「ところでオフェリアさん、一度聞いておきたかったことがあるのですが」
「何でございましょう?」
「テオドラの教育係を務められてきたのは、たしかオフェリアさんでしたよね」
「左様でございます。私はテオドラ様が6歳の頃から、皇女様の教育係を務めております」
「オフェリアさんは、なぜテオドラをあんな風に育てたんですか?」
「あんな風にとは?」
「テオドラは、全然皇女様らしくないというか、行儀作法もまるでなってないし、国政を担う責任感みたいなものも全く無いし、それでいて皇女様の素質にはまるで関係ない、本来は娼婦がやる仕事である踊りがやたら上手かったり、正直言って育て方を激しく間違えているとしか思えないのですが」
「お言葉ですが、殿下。それには事情がございます」
「どんな事情ですか?」
「まず、殿下はアンゲロス家の由来についてご存じでいらっしゃいますか?」
「確か、大アレクシオス帝の娘テオドラと、美男だけが取り柄の将校が駆け落ち結婚したのが実質的な始まりだと、ソフィアから聞いたことはありますけど」
「そのとおりでございます。元々アンゲロス家は、誰からも期待されていない名ばかりの皇族でありまして、帝室であるコムネノス家との縁も強いとは言えず、皇帝としての心得など何一つない家系でございました。そんな中、イサキオス帝は先帝アンドロニコス帝に殺されそうになり挙兵したところ、何も知らないイサキオス帝なら操りやすいだろうと考えた一部の貴族たちの支持を受け、ほとんど偶然に近い幸運の結果帝位に就かれた御方でございます」
「はあ」
「そのため、イサキオス帝は皇帝としての心得など全くといってよい程知らず、非常識な行いの数々によって帝国を混乱させてしまわれましたが、アンゲロス家自体にも、皇帝の娘をどのように育てるべきかといった心得のある者が、全くと言ってよい程いなかったのです」
「それであれば、先帝に仕えていた側近たちなどを召し抱えれたりすれば良いのでは?」
「イサキオス帝が、そのようにまともなお考えをお持ちの方であれば、誰も苦労は致しません。教会法や慣例も知らず、教会法に違反する総主教の任命を行い、市民たちが猛反対する中、ラスカリス将軍が近衛隊を率いて新しい総主教を聖ソフィア教会まで護衛して何とか就任させたとか、マルギト皇后様とのご結婚にあたり多額の臨時税を取り立てておきながら、重大な国家行事である皇帝陛下の結婚式を、ブラケルナイ宮殿において身内だけで執り行うと決定し市民たちを憤慨させたとか、ブルガリアで反乱が起こると自らご出陣されたまでは良いものの、形勢が不利になると帝冠や王笏まで放置してご自分だけ真っ先に逃げ出してしまい、そのため軍全体が退却を余儀なくされ、帝冠や王笏もブルガリア人に奪われて帝国の恥を晒し、あんな皇帝ならいっそいない方がましだと陰口を叩かれたり、あとアレクシオス・ブラナスという将軍が・・・」
「ああ、その話はプレミュデス先生から聞いたので飛ばしてください。あと、イサキオス帝が駄目な人だというのはよく分かりましたので、それ以外のエピソードも飛ばしてください」
 これ以上イサキオス帝の駄目エピソードを聞かされると、僕も仕える気が失せてしまいます。
「分かりました。では殿下は、そういう皇帝陛下に、自分の家に足りないものを他所から補うという発想がおありになると思われますか?」
「・・・そう言われれば、おそらく無いでしょうね」
「そして私は、元はイサキオス帝の愛人の1人で、テオドラ様の母親であり、皇帝陛下から大変な寵愛を受けていたカタリナ様とは比較的親しい関係でございましたが、カタリナ様はテオドラ様が5歳のとき、妹のテオファノ様を産んだ後に亡くなられてしまいました。その翌年、イサキオス帝は過去2度にわたり失敗に終わったブルガリアへの遠征を、しかも自ら行うと言い出されて周囲の猛反対を受け、軍部はイサキオス帝の兄にあたるアレクシオス帝を全員一致で擁立し、その結果イサキオス帝は逮捕されて廃位され、修道院に幽閉の身となったのでございます。私がテオドラ様の養育係に任命されたのは、その後でございました」
「と言いますと?」
「その時点でテオドラ様は、既に皇帝の娘ではなく、新皇帝アレクシオス3世陛下の姪に過ぎず、しかも愛人の娘ですから、皇室の娘としての価値はほとんどございません。本来テオドラ様は、修道院に預けられてそこで養育される予定ですが、当のテオドラ様が泣いて暴れて修道院行きを嫌がられたので、アレクシオス3世陛下のお情けにより、宮殿で育てられることになったのでございます。そして私は、テオドラ様の母であるカタリナ様と仲が良かったというだけの理由で、テオドラ様とテオファノ様の養育係に任命され、私の実の娘であるソーマを含め3人の娘を育てることになったのでございます。しかも私がお2人をどのようにお育てすれば宜しいのですかと尋ねたところ、単に『好きなようにせよ』としか言われませんでしたので、基本的にテオドラ様もテオファノ様も、ご本人のやりたいようにさせておりました」
「まあ、そういう事情があるのは分かりましたけど、せめて踊り子の真似をさせることくらいは、止めようと思わなかったのですか?」
「私は、当時こんな国はいずれ滅びると思っておりましたので、テオドラ様にも国が滅びた場合に備え手に職を付けさせた方が良いと考えたのです。殿下もあれほどの踊り手であれば、国が滅びても踊り子として十分食べて行けるとお思いになるでしょう?」
「まあ、確かに」
 そんな事情の下では、テオドラにまともな教育がなされなかったのも、むしろ当然か。本人の性格の問題もあるだろうし。
「殿下には、以上のご説明でご納得頂けましたか?」
「テオドラについては分かりましたけど、テオファノもなんか変な娘ですよね。妙な聖女ごっこをして、意味のない悪魔祓いをやったり。あれはどうして、あんな娘になったんですか?」
「テオファノ様はですね、母のカタリナ様が皇后の地位を奪おうとしていたため、マルギト皇后様にひどく嫌われておりまして、カタリナ様が亡くなったのを良いことに、皇后さまの意向で敢えて、ローマ帝国屈指の悪女として知られるテオファノという名前を付けられたのでございます。テオファノ様も、幼い頃から自分のお名前について気にしておられまして、『神の輝き』を意味するテオファノの名に相応しい聖女になろうとご自分なりに色々お考えになりまして、それをテオドラ様が面白がって、どうせ聖女になるならこうした方が格好良いなどと、いい加減なご助言を繰り返しなされたこともあってこじれにこじれた結果、ああいうご趣味になられたのでございます」
 ・・・あの変な聖女ごっこ趣味も、結局はテオドラの悪影響なのか。どこまで他人に迷惑をかければ気が済むんだ、あのテオドラは。
「よく分かりました。ではオフェリアさん、ニケーアの宮廷とイサキオス帝については宜しくお願い致します」

 引っ越しに先立って、オフェリアさんとはこのようなやり取りがあったのだが、もう1つのエピソードにも触れておかなければならない。引っ越しの直前、僕はプレミュデス先生からこんな話を聞かされた。
「ゲルマノス総主教が辞任!? なんで?」
「・・・ゲルマノス総主教は、密かにエウフェミアという愛人を囲っていたことが発覚したのでございます。政治家としての才能はありましたが、さすがに愛人持ちでは総主教失格でございますからな」
「そうなると、後任の総主教は?」
「総主教の選任は本来皇帝陛下の権限でございますから、摂政である殿下に選んで頂くことになります」
「どんな候補を選べばいいの?」
「まず独身であること、神学に関する相応の知識があることが大前提であり、できれば高貴なご出身の方か、聖職者としてご高名な方が宜しゅうございます。なお、俗人の方を任命されても問題ありません」
「聖職者の中では、どんな候補がいるの?」
「聖職者としては、高名な修道士アルセニオスが一番手の候補に挙がるでしょうな。かの者は非常に信心深く・・・」
「却下。そういう人間は邪魔になりそうだから、やめておく。出来れば、条件は満たすけどあまり信心深くない、毒にも薬にもならない無難な人物がいいんだけど」
「・・・そういう条件でお選びになるのであれば、テオドロス・イレニコスが妥当な人選でございましょうな。彼は妻を亡くしたため現在独身ですし、神学の知識もそれなりにありますし、元宰相ですから聖職者たちも納得するでしょうし」
 なお、テオドロス・イレニコスとは、かつてゲルマノス総主教の推薦により外交官として登用した、元宰相という割にはさしたる才覚もなく、いまいち使い道のない人物である。
「よし、それで行こう」
 こうして、ニケーア総主教ゲルマノス2世は辞任し、テオドロス・イレニコスが総主教テオドロス2世として着座することになった。なお、ゲルマノス総主教が『ゲルマノス2世』であったことは、辞任手続きの際に書類を見て初めて知った。その一方、僕は元総主教ゲルマノスを呼び出した。
「・・・殿下、この一失業者に何の御用でございましょう?」
「ゲルマノス、そなたは総主教としての仕事の傍ら、政務面で僕をよく補佐してくれた。これからは俗人に戻って、僕を補佐する政務官として仕えてくれないか?」
 僕がそう言うと、ゲルマノスは涙を流してこう答えた。
「・・・もったいないお言葉でございます。喜んでお仕え致させて頂きます。ところで私の名前なのですが、ゲルマノスというのは聖職者としての洗礼名でございまして、本名はゲオルギオスというのですが、俗人に戻るということは、名前もゲオルギオスに戻した方が宜しいでしょうか?」
「名前はゲルマノスのままでいいよ。名前が変わるのもややこしいし、僕の周りには、ゲオルギオスという名前の持ち主が、主だった者だけで既にアクロポリテス先生とパキュメレスの2人もいる。これ以上、側近にゲオルギオスが増えるのもややこしい。あと、愛人のエウフェミアさんは、きちんと結婚して幸せにしてあげてね」
 こうして、元総主教ゲルマノスは、ゲルマノス・アナプリオスと名を改め、愛人のエウフェミアと結婚し、帝国の政務官として引き続き僕を補佐することになった。主な担当業務は、勅令の起草や裁判に関する僕の相談役、建設途中であるニュンフェイオンの市長などである。なお、アナプリオスという家門名は、ゲルマノスの出身地アナプリ村に由来する。

 一応ビザンティン帝国の仮首都はニケーアのままであり、総主教座もニケーアにあるが、ニケーアに残るのはニケーアとその周辺を統治する総督のアスパイテス、イサキオス帝、オフェリア、総主教テオドロス2世くらいしかおらず、僕の直轄軍やその幹部たちも揃ってニュンフェイオンに移って来たので、ビザンティン帝国の実質的な統治の拠点は、この時点でニュンフェイオンに移ったことになる。なお、ニケーアの宮殿でネズミ捕り用の猫として飼っていたライアンやバーネット、その子供たちもニュンフェイオンに移っている。
 築何百年経っているか分からないというニケーアの宮殿に比べると、新築のニュンフェイオン宮殿ではネズミの数はまだ少ないが、衛生環境はまだ現代日本には遠く及ばず、人間が多く住む都市部には必ずと言ってよい程ネズミが沸く。そのため、ネズミ捕り用の猫の需要は無くならないのだ。
「ジュリーちゃん、ハリーちゃん、ミーシャちゃん、シェリーちゃん、イーリスちゃん、ご飯なのです」
 マリアがそう言いながら子猫用のご飯を持ってくると、子猫たちが一斉にマリアの許へ駆け寄ってくる。子猫たちは次第に成長しているが、相変わらず同じような猫なので、僕には見分けがつかない。
「マリア、その5匹の子猫って見分けが付くの?」
 僕がそう訊ねると、マリアは一生懸命子猫の見分け方について説明してくれたが、声やしゃべり方は可愛いものの説明はいまいち下手で、どうやら毛並みのちょっとした違いで区別を付けているようなのだが、僕としてはそんなものいちいち覚えてはいられない。
「・・・でも、猫さんたちは、なかなか自分の名前を覚えてくれないのです」
 説明の最後に、マリアがしゅんとした表情でそう付け加えた。
「猫が自分の名前を覚えるのって、結構時間がかかるんだよ。僕の経験だと、4年くらいはかかるんじゃないかな」
「そうなのですか。残念なのです・・・」
 ちなみに、日本にいる榊原家のウランが自分の名前を呼ばれて反応するようになったのは、ちょうど飼い始めて4年経った頃である。
「それに、ライアンとバーネットもまた交尾してるし、これからどんどん子猫の数は増えていくと思うよ。似たような格好の猫にいちいち名前を付けて覚えるのも、そのうち限界が来るんじゃない?」
「・・・ううう、でも何とか頑張ってみせます、なのです」
 マリアも、時々こういう強情なところを見せる。でも、父親のライアンは、そもそも自分の子供を覚えようという発想自体ないだろうな。ニュンフェイオンに連れてきた子猫たちの大半はライアンの種だから、そのうちライアンが平然と自分の娘にあたるメス猫と交尾するんじゃないかと考えると、ちょっと怖い。この場にいないライアンは、ネズミや蛇などを見つけては捕食して、発情したメス猫を見つけては交尾してと、僕とは違う意味で連日大忙しのようだ。ウランと違って働き者といえば働き者だが、僕がライアンと似たような人間にならないように自制しないと。
 ・・・あと読者の皆さん、猫の名前なんかいちいち覚える必要ないですよ。作者自身も、ライアンとバーネット、レオーネ以外は名前を覚えていなくて、過去に投稿した本編からコピペしないと書けないくらいですから。

 話が脱線したが、僕がニュンフェイオンに建設させた新しい宮殿の特徴としては、アラブ式の建築様式を一部取り入れ、水が流れ花畑もある中庭などを作り、晴れた日には自然の快適さを存分に味わえるようにしてあること、水洗式では無いが男女別のトイレを宮殿内の各所に作らせたこと、宮殿内に僕用のオルガンを置いた音楽室を設置し、いつでも演奏や練習ができるようにしてあること、ニケーア宮殿よりだいぶ広い大浴場を設けたことなどが挙げられる。これで、生活空間としてはニケーアよりはるかに快適になった。僕はもちろん、お風呂大好きなテオドラも大喜びだ。
 城壁は既に作っており、スミルナにあるクリスタルの力を転用してニュンフェイオンの城壁も守れるようにしてあるが、ニケーアと違って城壁内に広いスペースを取り、道路も碁盤の目のような形で広めに作ってあり、市内各所に男女別の公衆トイレや消防施設、広場などを設け、完成すればかなり進歩的な都市になる予定である。国営病院や国営孤児院といった福祉施設も建設中。ただ、市内には建設中ないし着工前の建物も多いため、城壁の中にはまだ空地も多い。プレミュデス先生が初代校長を務める医学校も、まだ建設中である。開校は年明けの9月を予定しており、プレミュデス先生の主導により、教員集めと募集要項の調整が行われている。

 そんな中、軍幹部を集めての会議が、ニュンフェイオンで行われた。議題は今年の軍事行動と、軍の編成に関するものである。
「殿下、今年の軍事行動は如何なるものになりましょう。遠征はありますかな?」とラスカリス将軍。
「今年は、特にこちらから軍事行動を起こす予定はない。ラテン人の皇帝アンリとの不可侵条約はまだ有効だし、ヴェネツィアとも和平条約が締結されたばかりだ。東のトルコは混乱しているが、モンゴルの属国である以上、軍を率いて攻めればモンゴル軍が援軍を送ってくる可能性がある。また、聖王ルイ9世が近く十字軍を起こすという報告も来ている。下手に軍を動かすのは危険だ」
「では、今年は特に敵が攻めてこない限り、軍の出動は治安維持程度で、冬からに引き続き軍の編成と訓練に専念できることになりましょうか」とラスカリス将軍。
 特に異論は出なかったので、軍事行動に関する議題はこれで終了。周囲に、こちらを攻める余力のありそうな国も見当たらないので、今年は遠征ではなく、内政と外交・謀略に重点を置くことになりそうだ。なお、ユダは剣などの腕も順調に上がっているので、毒の使い方や暗殺用の技術に関する訓練も受けさせている。ビザンティン帝国には、もともと優秀なスパイ網とその育成機関があるので、ユダにはそちらで訓練を受けさせれば済む。勿論、僕の治世下でも、スパイ網とスパイ養成機関の整備は抜かりなく行っている。
 次の議題。軍の編成についてだが、ここで大きな問題となったのは軽騎兵の取り扱いである。事の発端は、アレスが次のように発言をしたことにある。
「ダフネの率いるクマン人の弓騎兵、更にジャラールやオスマンの率いるトルコ人の弓騎兵は、合わせて既に5千騎を超えています。これだけ多くの弓騎兵がいれば、マヌエル・コーザスの率いる軽騎兵は意味がありません。解散してしまっても良いのではないでしょうか?」
 この発言に、当のコーザスは猛反発。
「殿下と共に戦ってきた軽騎兵を解散するというのですか!? それに、私の率いる軽騎兵を解散すれば、我が軍の騎兵はトルコ人、クマン人の弓騎兵とラテン人の騎士隊、外国人の騎兵ばかりになってしまいます! ローマ人の騎兵隊も必要です!」
「でもさ、軽騎兵って何が出来るんだよ。要するに騎射が出来ない弓騎兵みたいなもんだろ。そのままじゃ戦力にならねえぞ」とジャラール。
 新参のオスマンが、「まあそこまで言わなくても」とジャラールを宥めたが、こうして、現在約1千騎にのぼるローマ人軽騎兵が、どうやったら戦力として活用できるか、様々な案が出されて検討された。
 ダフネの出した第1案。軽騎兵に騎射を覚えさせて弓騎兵にする。しかしこの案は、騎射の技術は遊牧民ではないローマ人には習得が難しく、覚えさせてもトルコ人やクマン人の弓騎兵には到底及ばないという理由で却下された。なお、ここでいうローマ人は、ギリシア人とほぼ同義である。ビザンティン帝国の民は、ローマ帝国すなわちビザンティン帝国に仕えギリシア語を話す者は、ローマ人かつギリシア人であるという奇妙なアイデンティティを持っているのだ。
 テオドロス・ラスカリスの出した第2案。軽騎兵の武装を変更して重騎兵にする。しかしこの案は、兵士の能力や馬の大きさに照らし、重武装化してもティエリ率いる騎士隊には到底及ばないという理由から却下された。
 議論が、いよいよ解散もやむなしかという方向に向かっていたとき、何としても解散を防ぎたいマヌエル・コーザスが、第3案を出してきた。
「軽騎兵の機動力を活かした、特殊工作部隊にするというのは如何でしょう?」
「特殊工作って、一体何をやらせるんだよ?」というテオドロスの問いに、コーザスはこう答えた。
「わが国には、優秀なスパイ網の伝統があります。その伝統を活かし、敵情を偵察したり、敵陣に火を放ったり、敵をかく乱するための技能を身に付けさせるのです」
「その程度のことであれば、我々の弓騎兵隊でも十分できますが」とシルギアネス。この指摘に対しコーザスは答えに詰まるが、ここで僕が話に入った。
「いや、コーザスの案も悪くはない。確かに、現段階では弓騎兵と同じようなことしか出来ないが、専門的な訓練を積ませれば、他にも様々なことが出来る可能性がある。例えば、敵が使いそうな井戸に先回りして毒を投げ込んだり、敵兵に変装して偽情報を流したり。兵士たちに神聖術を習得させれば、更に多くのことが出来るぞ」
「軍総司令官の殿下がそう仰るなら異存はありませんが、井戸に毒を投げ込むなんて作戦は聞いたことがありませんぞ。・・・殿下は本当にそんな作戦をお命じになられるお積もりなのですか?」とラスカリス将軍。
 他の将たちも、なんか僕の発言にドン引きしている。特にまだ少女のダフネは、「殿下は本物の悪魔なのだ・・・」と身震いしている。あれ? 僕、そんなにおかしな事言った?
 一応、軽騎兵についてはなるべく多くの兵士たちに神聖術を習得させる一方、スパイ養成機関の協力を得て、高度な技術を身に付けた特殊工作部隊としての訓練を積ませることで話は落ち着いたが、その隊長であるコーザスは、「10年後くらいには、私の部隊は殿下の鬼畜な命令を次々とこなし、暗黒騎兵などと呼ばれることになるのではないか・・・?」などと呟いていた。
 何を今更。最も狡猾なギリシア人の部下たる者が、その程度のことに怯えてどうする。

 一方、再建成った帝国海軍の護衛する交易船団が、スミルナの港を出港することになった。海軍提督はネアルコス。そして、海軍と交易船団の護衛役を務めるプルケリア。船団の規模は軍船40隻、商船60隻。これにジェノヴァ船も同行するので、船団の規模はかなり大きくなる。最終目的地はエジプトのアレクサンドリア。僕は出航に当たって、ネアルコスとプルケリアにそれぞれ声を掛けた。
「ネアルコス。最初の航海で様々な苦労もあるだろうが、帝国海軍の発展はそなたの手腕にかかっている。同行するジェノヴァ人から多くのことを学び、帝国海軍を担う人材の育成に努めてくれ」
「畏まりました、殿下」
「プルケリア。我々ローマ帝国の海軍はまだまだ未熟だ。高価な商品を多く積んだ交易船団をサラセン人の海賊から守るには優秀な術士の護衛が不可欠だが、この任務を託せるのは君しかいない。テオドラでは何をするか分からないし、イレーネは色々事情があって僕の許から手放せない。宜しく頼む」
「お任せくださいませ、殿下」
 特にプルケリアは、テオドラが事ある度に出しゃばって来るので出番こそ少ないが、攻撃系の術に加え治療や風を調整する術なども広く使いこなし、性格もテオドラよりずっとまともなので、術士としてはテオドラよりずっと信頼できる。彼女がいればおそらく心配はいらないだろうが、こうした任務にプルケリアを送り出すことで、僕視点で語られる物語に彼女の出番がさらに少なくなってしまうというのは、仕方のない事なのだろうか。真面目な優等生よりふざけまくったトラブルメーカーの方がはるかに出番が多いなんて、理不尽極まりない。
 そんな僕の愚痴はともかく、交易船団はアクロポリテス先生肝煎りの事業でもあるので、僕とアクロポリテス先生が揃って出航を見送った。船団にはローマ帝国の船であることを示す旗が必要ということで、双頭の鷲をモチーフにした旗を掲げているが、黄色の地に黒の鷲が描かれているフリードリヒ2世の統治する神聖ローマ帝国の旗と区別する必要から、こちらの旗は赤色の地に白い鷲を描いている。出航には兵士や水夫たちの家族などが、同じ旗を振って見送っている。ただ、旗のデザインは急拵えなので、まだ改良の余地がある。
「彼らが、無事に交易を終えて戻って来られるか、どれだけの利益を挙げられるかで、帝国の運命は大きく変わります。私の計算では、上手く行けば現在の国家予算1年分くらいの利益を挙げられることになりますが」とアクロポリテス先生。
「そんな額になるのですか!?」
「ええ、私の調べた限り、利益の大きい商品を選びましたので。もちろん、彼らが無事に帰って来られることが大前提であり、先のヴェネツィア船団のように全滅したら大赤字になりますが」
 船団を送り出してしまった僕には、もはや彼らの成功を祈ることしか出来なかった。まあ、プルケリアがいる限り、全滅ということはまず無いと思うが。

 さて、ニケーアやニュンフェイオンにいるとき、僕の日課は主に午前中が政務、午後が勉強と武術や神聖術の訓練、夜は主にマリアと一緒に過ごすというのがほぼ定番になっている。なお、当初朝の日課であったテオドラによる朝の遠乗りは、僕に付き合わせても僕がバテなくなったため、つまんないという理由で最近は行われなくなった。そんなわけで、神聖術を組み合わせたナイフ投げの練習もやっているのだが、これで博士の学位を取得できるかどうかイレーネに相談したところ、そうした術については既に先行研究の論文があるため、博士号の取得が認められるためには、もうちょっと工夫が必要だという。
 イレーネにその論文を見せてもらったところ、論文では僕が既に実践している方法により、投げナイフの射程距離や威力を大幅に増加させることができる可能性について書かれていたが、それ以上のことは触れられていない。ちなみに、イレーネによるとその論文を書いた博士はその術を実際にやってみたことはなく、本当に実践したのは僕が初めてだそうだ。そんなのでも博士号を取ることができ、実際に実践してみせた僕に博士号が認められないというのも変な話だが、そういうルールである以上は仕方ない。投げナイフの術に、何かひねり、変化みたいなものを加えなければならない。変化・・・?
 ニュンフェイオンに移って間もないある日、僕は新しい術を閃いた。ナイフの軌道に変化を加えればいいのだ。僕は、子供の頃ヤクルトの高津投手に憧れて、少年野球をやっているわけでもないのに、興味本位でシンカーの投げ方を練習したことがある。実際にはほとんど上手く行かなかったが、いまでも投げ方は覚えている。あれを投げナイフに応用すれば・・・?

 博士号を取得するには、論文を書く方法と術を実践する方法の2種類がある。どちらも、同様の先行研究がないことの事前審査を経た上で、論文を書く場合は5人以上の博士号取得者に査読してもらい、実践の場合には、5人以上の博士号取得者の前で、口頭で新しい術の使用方法や効用を説明してその術を実践し、博士たるに相応しい神聖術の応用研究力があると認められれば、博士の学位が授与されるのだ。
 僕は講師であるイレーネのほか、ニュンフェイオンにいる4人の博士号保持者、すなわちアクロポリテス先生、ゲルマノス政務官、プレミュデス先生、そしてテオドラの前で、新しい神聖術の効用について説明した。
「僕の研究した新しい神聖術は、シンカーと言います。シンカーは、先行研究のようにただ一直線にナイフを投げるのではなく、空気抵抗を利用して若干の変化を付け、目標物の直前で利き腕の方向に曲がりながら沈む形で変化させます。これによって敵の意表を突き、攻撃への対応を困難にする効果が期待できます」
 別に、変化の方向をシンカーと同じ方向に限定する必然性は無いのだが、敢えて限定したのは後続の術士たちが困らないようにとの配慮である。僕の研究したのがシンカーだけであれば、例えば僕の後輩術士がスライダーやカーブなどで博士号を取得することも可能になる。
 そういった話はともかく、僕は500メートルほど離れた場所にある的に向かって、ナイフの握り方にちょっと変化を付け、神聖術を発動させるために念を込めた上で、サイドスローでナイフを投げ付けた。ナイフは当初、的の左上方向に逸れる感じで飛んでいったが、的の直前で鋭く変化し、見事に的を破壊した。この威力と命中精度なら、実戦でも十分使えそうだ。
「殿下も、術士として成長なさいましたな。このプレミュデス、このような術は見たことも聞いたこともございません。博士に相応しい研究成果かと存じます」
 他の審査員からも異論は出なかったので、僕は神聖術博士の学位を授与された。これで僕は、神聖術の最高評議会に議席を持つことが出来、教会から使用禁止にされた魔術など多くの先行研究にも触れることが許され、一人前の権威ある術士として認められることになった。僕の研究内容は、神聖術学会に緑学派博士ミカエル・パレオロゴスの研究成果として記録された。

 もっとも、審査終了後、僕はテオドラからいちゃもんを付けられた。
「みかっち、あの術何? 一応博士としての要件は満たすから博士号の取得は認めたけど、みかっちはあの術で暗殺者にでもなるつもりなの?」
「別に、暗殺者になるつもりはないけど、護身用というか、いざという時の切り札として研究した術って感じ」
「ふーん。みかっちも所詮適性79のヘボ術士だから、そんなせこい術しか開発できないのね。ところで、シンカーって聞きなれない名前はどこから付けたの?」
 どうしようか。ビザンティンの人間であるテオドラに、野球の話をしても理解できるとは思えない。そこで僕は、適当なことを言って誤魔化すことにした。
「シンカーというのは、タカツ・シンゴという日本の偉大なサムライが得意としていた必殺技だよ。タカツ・シンゴは、戦いの終盤で戦場に現れ、得意技のシンカーで強敵をつぎつぎとなぎ倒し、ツバメ軍団に多くの勝利をもたらし、今でも英雄としてその名を残しているんだ」
「そんな凄いサムライなのに、どうして戦いの終盤にだけ現れるの? どうせなら、最初から現れて敵をなぎ倒せばいいじゃない」
 テオドラにしては鋭い指摘だった。僕の説明はさらに苦しいものになった。
「戦いにも、それぞれ役割分担というものがあるんだよ。例えば僕の軍でも、最初はダフネとシルギアネスの率いる弓騎兵軍団が、敵に弓攻撃を加えながら偽装退却して敵を引き寄せ、次にアレスやネアルコスの率いるファランクス隊が長槍で敵を防ぐ一方、アンドロニコス・ギドス率いる弓騎兵隊が敵に矢の雨を降らせ、敵が弱ってきたところでテオドラとプルケリアが神聖術で敵を混乱させ、そこへティエリの騎士隊とテオドロスたちのヴァリャーグ近衛兵が突撃を掛け、逃げる敵をマヌエル・コーザス率いる軽騎兵隊と、ダフネたちの率いる弓騎兵隊が追撃して勝利を収める。こういう役割分担があるでしょ? 日本の戦いでも、これとはちょっと違うけど、似たような役割分担があって、タカツ・シンゴは戦いの終盤で勝利を確実にする守護神としての役割を担ったんだよ」
「でも、トルコ軍に夜襲を掛けたときは、全軍一斉に攻撃してなかった?」
「時と場合によってはそういう戦い方をすることもあるけど、今の説明は、モンモランシーの軍を破ったアドラミティオンの戦いをモデルにした話」
 なお、アドラミティオンの戦いは、第2話中編の第13章で触れたものです。忘れてしまった方は併せ参照してください。
「ああ、みかっちが変な四輪車に座って、白っぽい変な服を着て、暇そうに鳥の羽で出来た白い団扇みたいなのをパタパタさせて、何の役にも立たなかったあの戦いね」
「一応意味はあるんだよ。モンモランシーとその配下の騎士たちは、ダフネたちを散々追い回して疲れたところで僕の姿を見て、戦場でそんな格好をするのは俺たちを舐めているのかと怒り、それに対して僕が拡声の術を使って『貴様らごときを相手に軍服など着る必要ないわ』って言ってやったら、烈火のごとく怒って何も考えずに僕に向かって突進し、見事なまでに罠にかかったんだから」
「そういうサムライもいるの?」
「サムライではないけど、日本の近くにある中国という国に、その昔ショカツ・コウメイという頭の良い軍師さんがいて、あの時の僕と似たような格好で戦場に現れ、敵を次々と罠に嵌めていったんだ。日本でも天才軍師として有名な人だよ」
「・・・みかっちの国には、よく分からないけど変わった戦い方をする人たちがいるのねえ」

 こんな諸々の出来事を経て、翌4月になった。僕はアクロポリテス先生にゲルマノス政務官、パキュメレスとソフィアを交え、外交問題について協議していた。まず、ソフィアが聖王ルイ9世の動向について報告する。
「聖王ルイ9世は、マッシリアの港に約2万の精鋭軍を集結させています。軍の輸送はジェノヴァ人が担当し、年明けの9月頃にはわが国のロードス島にも寄港する予定のようです」
「意外と人数は少ないね」
「確かに人数は少な目ですが、フランシアが誇る5千の精鋭騎士と、剣や石弓で武装した1万5千の精鋭歩兵による部隊で、非戦闘員の随行員も大勢いるようです。聖王ルイ9世の許で軍の統率も取れており、聖なる都を劫略した十字軍とは比較にならない程強力です」
「間違っても、敵には回したくない相手ですな」とゲルマノス政務官。
「一方、劣勢に立たされているラテン人の皇帝アンリは、宰相のヴィラルドワンを使節として送り、聖王の軍と同盟してわが国を攻撃するよう働きかけることを考えているという情報も入っております。聖王の性格から考えて、さすがにこれが成功する可能性は低いと思われますが、わが国としても座視するわけには行かないでしょう。わが国も、使節として相応の人物を送る必要がございます」とアクロポリテス先生。
「分かった。その件に関しては僕が行く。場合によってはアクロポリテス先生にも同行してもらうけど」
「承知致しました」とアクロポリテス先生。
「また、その件にも関連することですが、聖王の軍勢が来る前に、西ローマの皇帝フェデリコス2世にも使節を送り、攻守同盟を申し入れてはいかがでしょうか。幸い、フェデリコス2世の皇后イレーネ様は、イサキオス帝の皇女様でもあり、両国間の友好関係はまだ途切れておりません。フェデリコス2世とわが国が軍事同盟を結んでいるとなれば、聖王に対する牽制にもなると考えられます」とソフィア。
「たしかに、フェデリコスとの関係は強化しておく必要がありますな。軍事面だけでなく経済面、技術面及び文化面においても、先進地域であるイタリアの大部分を領有するフェデリコスの帝国とは、協力する価値が十分にございます」とアクロポリテス先生。
 フェデリコス2世とは、すなわち神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世。これは憧れのフリードリヒ2世に会えるチャンスでもある。
「分かった。フリードリヒ2世への使節にも僕が行く!」
「殿下自ら行かれるのですか? 危険ではありませんか?」とパキュメレス。
「今のところ、帝国に特別な問題は生じていないから、留守は内政についてはアクロポリテス先生、軍事についてはラスカリス将軍に任せておけば、当面問題は起こらないと思う。何かあったら『通話』の術で戻ってくればいいし、緊急事態が発生したときはパッシブジャンプでニュンフェイオンに即時帰還すればいい。あとは、事務面での補佐役と護衛をつけてもらえば・・・」
「その話、聞かせてもらったわよ!」
 突然会議室に割り込んで来たのは、例のテオドラだった。
「テオドラ、何の用?」
「みかっち、重要な会議にあたしを呼ばないとは何事よ! それに、みかっちが自分でフェデリコスと会いに行くんですって? みかっちの護衛として、このあたし以上の適任者はいないわね。あたしとイレーネがいれば、他の護衛なんかいらないわ!」
 ・・・テオドラの態度を見て、僕はもう諦めるしかないことを悟った。こういうときのテオドラは、もはや何を言っても自分が付いていくと言って聞かない。
「分かった。君がどうしても付いてくるというなら仕方ないけど、相手は大事な同盟国の皇帝だから、間違っても無礼な言動や面倒事は起こさないでね」
「分かってるわよ、みかっち。それは面倒事を起こして話を盛り上げろという振りでしょ?」
 僕は頭を抱えつつも、結局はテオドラとイレーネを護衛の随行員に指名するしかなかった。その他、事務面の補佐役としては、パキュメレスとその他数名の若い書記官が付けられた。僕は、頭が良いとはいえまだ子供のパキュメレスで大丈夫かと心配したが、アクロポリテス先生は、正使ならともかく事務面の補佐役なら今のパキュメレスにも十分務まる、またパキュメレスにとっても良い勉強になると強く推薦したので、僕もそれに従うことにした。
「さあ、目指すはシチリア島よ! 着いたらシチリアの海で海水浴を楽しむわよ!」
 シチリア島は、フェデリコスことフリードリヒ2世が実質的な首都にしているパレルモがあるほか、気候温暖なので、平和であればリゾートにも適した場所であり、現代でも観光地として有名である。しかし、今回は重要な外交交渉の使節として訪問するのであり、観光へ行くのではない。そのことを全く分かっていない風のテオドラのほか、イレーネやパキュメレスなどを伴って、僕はスミルナからジェノヴァ船に乗って、シチリア島への旅へ赴くことになった。

(後編に続く)

<中編後書き>


「毎度、長い本編を最後までお読みいただき、ありがとうございます。本編の主人公、榊原雅史ことミカエル・パレオロゴスです」
「あたしは、世界で最も美しい『太陽の皇女』こと、テオドラ・アンゲリナ・コムネナよ。それにしてもみかっち、前書きにあるあたしの説明って酷くない?」
「どこが?」
「あたしの魅力が全然表現されていないっっていうか、物語のメインヒロインにしては、あたしの説明が短すぎない?」
「君に関する説明を逐一書いて行ったら、とんでもない分量になっちゃうよ! テオドラは本編で必要以上に目立ってるし、こうやって後書きにも出てくるんんだから、読者さんには別に説明しなくても分かるでしょってこと」
「あと、サブタイトルもおかしいわ。オスマンなんて、第9章と第11章に出てくる、単なるチョイ役じゃないの。あたしの方がはるかに活躍してるんだから、あたしに関する題名に変えるべきよ」
「そんなことしたら、サブタイトルがほぼ全部テオドラになっちゃうよ。今回は戦争がなかったんでほとんど出番は無かったけど、オスマンは今後優秀な軍人として頭角を現してくる予定なんだよ。ただ、今回も主にテオドラのせいで話が脱線しまくってるから、適切なサブタイトルを付けるのが難しいんだけどね」
「でも、第10章はあたしのせいじゃないわよ。みかっちとその親父さんも、なんかずいぶん変な人ね。みかっちって、日本では普通の男子高校生なんじゃなかったの?」
「この物語のあらすじにも本編にも、僕が『普通の』男子高校生なんてどこにも書いてないと思うけど。そもそも、『普通の』男子高校生って何? 学校の成績がどこからどこまでで、どんな性格なら『普通の』男子高校生って言えるの?」
「そういう、やたらと理屈っぽいところが元弁護士の息子なのね。ところで、みかっちの親父さんが東京大学法学部卒って書いてあるけど、東京大学ってたしか、日本でも最高クラスの大学なんでしょ? そんな大学のこと、まるで見て来たかのように書いちゃって大丈夫なの?」
「それは大丈夫。作者自身が東京大学法学部の出身で、しかも元弁護士だから。逆に、他の大学のことはよう知らん、慶應には時々頭の良い人もいるけど、英語のsometimesを『ソメティメス』って読んじゃうくらいの馬鹿も結構いるくらいのことしか知らんって言ってる」
「つまり、みかっちの親父さんのモデルって、作者自身なの?」
「・・・まあ、大体半分くらいは作者自身みたい。どこまでが作者自身で、どこからが創作かまでは言えないけど。『灯水汲火』と書いて「とうすいきゅうか」って読む変なペンネームも、中島みゆき様の『水を灯して火を汲んで』って歌から付けたくらいだから」
「そんな歌あるの!?」
「あるんだよ。夜会の『24時着 0時発』なんかに使われている、アルバムにも収録されていないマイナーな歌だけど」
「・・・なんか頭のおかしそうな作者の話はそのくらいでいいわ。あと、前書きの紹介を見て思ったんだけど、この物語女性キャラがちょっと少ないんじゃない?」
「物語の舞台が、思いっきり男尊女卑の世界だった中世だから、中世にしてはむしろ多いくらいなんだよ。登場人物も、男性キャラは史実に登場した人物やその関連付けで7割くらいは賄えるけど、女性キャラは使えそうな人物がほとんどいないし、名前の出てくる女性もその性格についてはほとんど分からないから、9割方創作するしかないんだよ」
「じゃあ、あたしも創作キャラなの?」
「君の場合、ミカエル8世の皇后テオドラから名前だけは取ったから100%創作では無いけど、出自もかなり違うから、99%くらい創作だね。少なくとも、実際のテオドラ皇后が君のような性格じゃなかったことだけは確かだよ」
「じゃあ、これからも女性キャラは増えないの?」
「そんなことないよ。女性の方が神聖術に関する適性は総じて高いっていう世界設定だから、物語が進むに従って、有能な女性術士がどんどん養成されていくよ。それに伴って、術士以外の分野でも女性の活躍が目立っていくようになると思うよ。既に政治の分野ではソフィア、軍人の分野ではダフネが活躍してるし、それに続けって女性がどんどん出てくると思うから」
「なるほど、これからのローマ帝国は、次第に女の子たちの時代に入って行くわけね。まさにあたしの時代って感じになるわけね!」
「喜んでばかりもいられないよ。有能な女性術士がどんどん増えていくということは、君のライバルもどんどん増えていくってことだから。それに、テオドラの次くらいによく出てくるイレーネも、本当は君より強いかも知れないし」
「そんなことないわよ! イレーネって適性91よ? 最大魔力があたしの、えーと・・・」
「16分の1、いや現在は32分の1だね」
「そう、そのくらいしかないわけでしょ。イレーネがあたしより強いはずないじゃないの」
「でも、第1話の後編で、君あっさりイレーネに倒されてたし、イレーネって神聖術以外にもチート級の特殊能力をたくさん持ってるみたいだし、適性の数値にしても、前書きの説明をよく読んでよ」
「ちゃんと91って書いてあるわよ」
「その前に、他のキャラクターの説明にはない『公称』って文字が入ってるでしょ。つまり、91って数値は表向きのもので、本当はそうじゃない可能性があるってこと。それに今後も、テオドラを上回る適性の持ち主が出て来ないという保証はどこにも無いし」
「そ、そんな子が出てきたら、あたしの存在意義が無くなっちゃうじゃない! そんな子、絶対出て来ないわよね? 出てくる予定ないわよね?」
「いや、出てくる予定はあるよ。今後追加される可能性もあるし、そのうち2人は既に登場しているみたいだし」
「何よ、その2人って! ・・・じゃあ、みかっちにもお返し。第10章に出て来た美夏(みなつ)って、無意味に名前を出したわけじゃあないみたいよ。物語の後半になると化けて出てきて、みかっちを散々いじくりまわす予定らしいわよ」
「何それ! ・・・もう、怖いから設定のネタ晴らし合戦はこのくらいにしない? お互い不幸になるだけだし」
「・・・そうね。次回の後編は、いよいよみかっちの大好きなフリードリヒ2世とのご対面だけど、いつ頃投稿される予定なの?」
「今回も分かんないって。ただ、これからあまり小説の執筆に専念できなくなるから、9月中に投稿できれば良い方じゃないかって」
「じゃあ、読者の皆さんとはしばらくのお別れになっちゃうわね。ファッセ、ドッサッナ!」
「何、その挨拶?」
「現代のギリシア語で、『またお会いしましょう』って意味よ。ビザンティンを舞台にした物語なんだから、お別れの挨拶くらいギリシア語にしようと思って」
「そういうことね。それじゃあご一緒に、」
「「ファッセ、ドッサッナ!」」

「・・・発音の表記、これで合ってるのかな?」
「しょうがないわよ。日本のカタカナでギリシア語の発音を表記すること自体、かなり無理があるんだから。イレーネも『エイレーネー』とか『イレーネー』とか表記バラバラの世界だし、多少の間違いは解釈の範囲ってことで大目に見てくれるわよ」
「そんなわけで、もしギリシア語やビザンツ史に詳しい読者様がいらっしゃったら、あまり深く突っ込まないであげてください」


 

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