第3話後編 フリードリヒ2世に会おう!

第3話後編 フリードリヒ2世に会おう!

第13章 日本とモンゴル

 スミルナからパレルモまでの船旅は、同盟国のジェノヴァに手配してもらったガレー船を使っている。船長さんの話によれば、パレルモまでは天候や風向きにもよるが、1か月以上かかるとのこと。そんなわけで、僕たちはエーゲ海の島々や、往来する船などを眺めながら、優雅な船旅を楽しむことになったが、どうしても暇が多くなるので、テオドラやイレーネ、パキュメレスなどと雑談をすることが多くなった。なお、帰路は書記官たちを含め、パッシブジャンプの術を使って帰る予定なので、帰りの船については依頼していない。
 そんな状況なので、普段ならする時間のない、こんな雑談もしたりする。
「そういえばパキュメレス、君ってどういう家の生まれなの?」
「私は、テッサロニケの生まれで、父はラザロス、母はアンソニアと言います。父のラザロスは、テッサロニケでは結構有力な地主で、ヴェネツィアやジェノヴァの商人とも商売をして結構な富を築いたのですが、結構強欲な人なので、地元の住民からはそんなに好かれていないみたいです」
「ねえぱーすけ、兄弟とかはいるの?」
「兄は2人いたのですが、既に病気で亡くなりました。あと、妹が1人います」
「へえ、パキュメレスの妹か。結構な美人さんになりそうだね。今何歳?」
「みかっち、ぱーすけにそんなこと聞いてどうする積もり? ぱーすけの妹にも手を出すつもり?」
「別にそんな積もりはないよ! ただ、暇だからちょっと聞いてみただけ」
「・・・妹のバジリアは、今年で5歳になります」
「ぱーすけは年齢いくつよ?」
「今年で11歳です」
「でも、お兄さんが2人とも亡くなっちゃって、急遽パキュメレスが家の跡取り息子になっちゃったんだ。これから大変だね」
「はい。でも、不謹慎なことではありますが、兄が2人とも亡くなって、・・・私としてはむしろ助かった、というところもあります」
「どういう意味?」
「父の考えでは、当初上の兄を跡取りにして、次兄を軍人にして、私をその、・・・宦官にして修道院に送るつもりだったんです」
「えええっ!?」
 僕は蒼ざめた。実の息子を去勢する親がいるのか、この国には。
「何でそんなことをするの!?」
「その、父は富を築くために色々悪いことをしたので、末の息子であった私を聖職界に送り込めば、パキュメレス家の罪は私によって浄められ、神の加護を受けられると考えたようです。その上で、聖職界で私が罪を犯さないように、私を宦官にしようとしたのです」
 まあ、つい最近でも前総主教ゲルマノス2世が、聖職者としての禁欲生活に耐えられなくて、密かに愛人を囲っていることがバレて辞任に追い込まれたばかりだし。
 パキュメレスの説明はさらに続いた。
「また、我が国の正教会は、現在深刻な宦官不足に陥っています。父はそれを見越して、私を宦官にして聖職界に送り込む代わりに、私を将来の高位聖職者候補として優遇することを約束させていました。私の父はそういうことを考える、非常に計算高い人なのです」
 確かに、宦官の聖職者を調達するために孤児院を利用しているという話も聞いたが、一体この国の正教会は、男の子にとって一番大事なものを何だと思っているんだ。
「・・・そうなんだ」
「でも、私が5歳の頃、そろそろ私の去勢手術が行われるというとき、2人の兄が揃って流行り病にかかりまして、父の判断で手術は延期になりました。その後、2人とも病から回復せず亡くなったので、私の去勢手術は中止になりました」
「そうなの。つまり、お兄さん2人が揃ってぽっくり逝っちゃったおかげで、ぱーすけのちっちゃなプリアポス様は、辛うじて助かったってわけね?」
 パキュメレスは、テオドラのセクハラっぽい質問に、頬を赤らめながら頷いた。
「それで、パキュメレスは、どういう経緯でアクロポリテス先生に弟子入りすることになったの?」
「私の母は、もともと博学で教育熱心な人でした。それで、私が8歳のとき、お師匠様が聖なる都を離れアトス山の麓に隠棲するという話を聞くと、父を説得して私を弟子入りさせるようお師匠様に頼み込み、お師匠様にも気に入られて、お師匠様の許で学ぶようになったんです」
「ぱーすけ、将来はどんな人になりたいの?」
「私は、法学に強い関心がありますので、当初は法律家になろうと考えていました。しかし、殿下がこれまでにない発想に基づく勅令を次々と出され、お師匠様も殿下のお力でおそらくこの国の法体系は大きく変わるだろうと仰っています。私は殿下のもとで、新しい法を作り出すお手伝いができれば良いと考えています。そして、これから訪れる西ローマのフェデリコス帝も、古のローマ法を研究され、新しい発想に基づく新たな法を次々と作られていると聞いています。フェデリコス帝の出された新法も、これから殿下が新法を作られるにあたり、大いに参考になると考えています」
 わずか11歳で、そこまで考えているとは大したものだ。アクロポリテス先生が自信をもって推薦したのも頷ける。
「ぱーすけって、子供のくせにずいぶん小難しいこと考えるのねえ。フェデリコスって、サラセン人ひいきで女好きの変わり者だって噂だけど。それでぱーすけは、なんで法律なんかに興味を持ったわけ?」
「私が危うく宦官にされかかったこともあって、自分の意思に反して子供のうちに宦官にさせられるような法を何とかしたいと思ったのです」
「それは僕もそうだよ。今はそこまで手が回らないけど、時が来たら、宦官を必要とするような教会も何とかしようと思っている」
「みかっちもぱーすけも、変なところで意気投合してるわね。男のプリアポスって、そんなに大事なものなの?」
「「大事です!」」
 僕とパキュメレスの声がハモった。

 次の日は、僕に対する質問タイムになった。
「みかっちの言葉って、あたしの『意思疎通』の効果で意味はわかるけど、なんていう言語なの?」
「日本語だよ。日本で話されている言語だから、日本語」
「日本って、どこにある国なの?」
「どこって、・・・イレーネ、ここで世界地図出せる?」
 僕がイレーネに話し掛けると、イレーネは杖を振り、例の大型スクリーンを出した。そこには僕が知っているのと概ね同じ形の世界地図が広がっている。ただし、日本は地図の右端に載っている。僕はこの地図を使って、テオドラと黙って話を聞いているパキュメレスに説明した。
「ここがスミルナ、ここが今から向かうパレルモ。そして、この地図の隅っこにある小さな島々が、僕の生まれた日本」
「殿下って、そんな世界の果てからいらっしゃったのですか!?」
「みかっちって、そんな遠くから来たの!?」
 パキュメレスとテオドラが、それぞれ驚きの言葉を発した。
「あたし、世界の果てはインダス川って思ってたけど、インダス川はどこにあるの?」
「ここにある」
 イレーネが僕に代わって答え、地図上にインダス川が表示された。インダス川は、インドの北西部を流れる川で、地図上では真ん中より少し右寄りにある。
「この地図だと、全然世界の果てじゃないじゃないの! あたし、アレクサンドロス大王がインダス川までたどり着いたとき、この川が世界の果てだから、神様から『アレクサンドロスよ、お前はまだ行くのか』とたしなめされて引き返したって教えられたけど、まだまだ先があるじゃないの」
 なるほど、ビザンティンではそういう地理の教え方をされているのか。
「僕の知っている話だと、アレクサンドロス大王は神様にたしなめられたのではなくて、これ以上未知の土地へ向かうのは嫌だって兵士たちにストライキを起こされて、やむなく引き返したらしいよ。インダス川の先、大体この辺はインドといって、僕たちの国に運ばれてくる胡椒やその他の香料は、大体このあたりで採れる」
 僕はそう言って、現在のインドからインドネシアにあたる地域を指し示した。
「みかっち、胡椒ってそんな遠くから運ばれて来るの? どうやって?」
「それは、商人たちが陸路か海路か分からないけど、頑張ってシリアやエジプトまで運んでくる。シリアやエジプトでは胡椒を作れないから、地元のインドよりはるかに高く売れる。そしてシリアやエジプトから、ヴェネツィアやジェノヴァの商人が、ローマ帝国やラテン人の土地に胡椒を運んで、これをさらに高い価格で売って大儲けをしている。うちでも何とかその商売に参入しようと、今ネアルコスやプルケリアの率いる船団がエジプトに向かっているけどね」
「あの乳牛って、そのために船に乗って行ったのね。てっきり遊びに行くのかと思ってたわ」
「わざわざ、あんな100隻もの大船団を組んで遊びにいくはずがないだろ!」
 相変わらずアホの子だ、この皇女様は。
「話を戻すけど、この大陸のいちばん右側、このへんに中国と呼ばれる大きな国がある。ただし、この時代だと、・・・たぶん北側に金、南側に南宋と呼ばれる国があって、互いに争っていて、金には北からモンゴル帝国が攻め込んでいる・・・のかな?」
「あなたのいう金王朝は、13年前にモンゴル帝国によって滅ぼされている。現在では、モンゴル帝国と、あなたのいう南宋が争っている」
 イレーネがそう説明してくれた。
「イレーネ、そこまで分かるの!?」
「この世界で起きている事象であれば、私の能力で検索することが可能」
 そうなのか。ではもう少し深く掘り下げて聞いてみよう。
「じゃあ、僕が生まれた国である日本で、現在政治の実権を握っているのは誰?」
「・・・質問の内容が抽象的で検索できない。検索するには、対象を具体的に特定する必要がある」
 そうなのか。おそらくこの時代の日本は鎌倉時代だから・・・
「じゃあイレーネ、今日本で『執権』という役職に就いている人は誰?」
「・・・現在、北条時頼という人物が執権を務めている」
 その辺か。じゃあ事のついでに、モンゴル帝国のことも聞いてみるか。
「じゃあ、現在モンゴル帝国の大ハーンに就任している人は誰?」
「・・・グユクという人物が大ハーンに就任している」
 その辺か。グユクはかなり在位期間が短いから、今の情報で年代をかなり特定できるな。
「みかっち、さっきから言ってるモンゴル帝国って何よ?」
 テオドラが話に割って入ってきた。
「モンゴル帝国っていうのは、この国ではタタール人って呼ばれることが多いけど、チンギス=ハーンという人が建国した国でね、グユクというのはその孫の1人。そして、モンゴル帝国の領土はね・・・、イレーネ、地図に表示できる?」
 僕がそう問うと、イレーネは黙って頷き、地図の一部が赤色に変わった。
「現在、モンゴル帝国は、この赤色で表示された地域を、直接的または間接的な支配下に収めている」
 イレーネがそう説明してくれた。
「この赤色って、世界のほぼ3分の1くらいになるような気がするんですけど、・・・モンゴル帝国というのは、全世界を征服しようとしているのですか?」とパキュメレス。
「そのような意志は確認できない。現在の大ハーンであるグユクは、親族にあたるバトゥという人物との争いに力を費やしている」
 イレーネの答えに、テオドラが「バトゥって誰よ?」と更に突っ込む。この辺は僕でも詳しく説明できるが、あまりチンギス=ハーン一族の話に深入りしてもしょうがない。
「グユクと同じチンギス=ハーンの孫で、グユクとは従兄弟にあたる人。そして、数年前に大軍を率いてこのヨーロッパまで攻め込んで来た人」
 僕がそう答えた。
「・・・ちなみに、今のローマ帝国の領土はどのくらい?」
 テオドラが恐る恐る尋ねると、イレーネが答えてくれた。
「この緑色で表示された部分が、現在ローマ帝国の実効支配下にある地域」
「まだほんのちょっとじゃない! しかも、モンゴル帝国と隣り合ってるじゃない! これじゃあ帝国は滅亡しちゃうわよ・・・。もっと頑張ってよ、みかっち!」
 傍らで話を聞いていたパキュメレスは勿論、僕に理不尽な要求をするテオドラも、さすがに身体が震えていた。
「もちろん、出来る限りのことはしているけど、少なくとも今の段階では、このモンゴル帝国を敵に回したら勝ち目はない。トルコ人の国も、実質的にはモンゴル帝国の支配下に入っているから、うかつには手を出せない。そして西にも強力な国がいる。僕たちは、こういう非常に危険な状況の下で、何とか上手く立ち回って生き残ろうとしているわけ。そして、東のモンゴル帝国に加え、フリードリヒ2世が治める西のローマ帝国まで敵に回したら、この国はひとたまりもないから、くれぐれもフリードリヒ2世を敵に回すようなことはしないでね。分かった?」
「・・・分かったわ」
 テオドラは渋々のように頷いた。この機会に、少しでもこの爆裂皇女様を教育しておかないと、先が危ない。
「話は変わるけど、その日本って国の向こうはどうなってるの? 世界の果てがあって、船でそこへ行くと落っこちて死んじゃうの?」
「この世界でも、たぶんそうではないと思う。イレーネ、この地図を、日本が真ん中に来るようにスライドできる?」
 イレーネは頷くと、軽く杖を振って地図をスライドさせた。地図がゆっくりと動き、地図の左側にあった南北アメリカ大陸が消え、右側に同じ形をした大陸が現れる。
「これってどういうことよ!? この世界は一体どうなってるの!? 日本より東に行ったら自動的にアクティブジャンプする機能でも付いているっていうの!?」
 テオドラが怒りだす。どうやら、『地球は丸い』という概念を知らないようだ。
「この地図ではね、世界は平面のように表示されているけど、この世界は僕の国では地球と呼んでいて、丸い球のような形をしているんだ。だから、ここからずっと東に行くと、最終的にはここへ戻ってこられるわけ」
「その説明には若干誤りがある」とイレーネ。
「違うの?」
「この星は完全な球型ではなく、正確には楕円形をしている。その赤道半径は・・・」
「イレーネ、そこまで細かく説明しなくてもいい! そこまで行くと、僕を含めこの場にいる誰も理解できないから!」
 その後、地球は平面ではなく丸い、地球は太陽の周りを回っているという説明をしたところ、テオドラはもちろんパキュメレスや他の御供まであっけにとられた様子になった。テオドラのみならず、パキュメレスまでこんな反応をしているということは、こうした天体の知識はイレーネ以外、この時代にはほぼ誰にも知られていないのだろう。

 こうした地理と天体に関する話が終わり、僕は夜になってからイレーネにこう尋ねた。
「君とテオドラは小さい頃から一緒に暮らしているのに、どうして知識レベルがここまで違うの? テオドラに地球が丸いって教えてあげたことはなかったの?」
「私は、このビブリオケーテーを通じて、この人類社会ではまだ知られていないものも含め、この世界に関する情報を検索することが出来る。ただし、その情報を口外することが出来るのは、他人に問われたときだけ。他人に問われてもいない情報をみだりに口外することは、許可されていないし、私もするつもりはない」
 そういうことか。まあ、地球が平面であると信じられている時代に、いきなり地球が丸いとか言い出しても変人扱いされるだけだし、悪ければ異端者として火あぶりにされるおそれもある。パキュメレスの話をしていたとき、イレーネは黙って話を聞いているだけだったけど、聞かれたこと以外には答えないというのが、おそらく人智を越えた知識を持ってしまっているイレーネなりの処世術なのだろう。

第14章 湯川さんとミフネ

 次の日・・・と思ったら、今度は日本での生活だった。前回の日曜日は特に何事も無く済んだけど、今日は重大イベントが待っている。今日は、湯川さんの隣で学校生活を過ごす最初の日なのだ。湯川さんには、少なくとも悪い印象を持たれてはいけない。そして、僕がビザンティン世界に取り込まれないようにするためには、湯川さんと仲良くして、可能であれば湯川さんを攻略して彼女にしなければならない。今までの日本で、お父さん以外の人とはほとんど関わりを持たないようにして生きてきた僕にとっては、ビザンティン帝国を存続させること以上の難事かも知れない。でも、日本に帰れなくなる事態を防ぐため、そして高校卒業後、お父さんによってソープランドなるところに連行される事態を防ぐためには、出来る限りのことはしなければならない。
「お・・・おはようございます、湯川さん」
「さ、榊原くん、お、おはようございます・・・なのです」
 何でもない朝の挨拶なのだが、僕はもちろんのこと、なぜか湯川さんも顔を真っ赤にして緊張しまくっていた。
 その後の授業は、僕にとって一種の拷問だった。なにしろ、ビザンティン世界では、湯川さんそっくりのマリアと、子作りではないけど結構エッチなことをかなりやってしまっている。そのため、湯川さんの隣に座っているだけで、下半身が強烈に疼いてしまう。こうなることは予期していたので、朝起きるとすぐ2回抜いておいたのだけど、もしそれを怠っていたら、もっと大変なことになっていただろう。こうした身体の反応を、湯川さんには決して知られてはいけないし、それでいて湯川さんの好感度を可能な限り上げなければいけないのだ。こんなの、どう考えたって無理ゲーである。
 午前中は、結局表向きは何事も無く過ぎた。授業の合間にある休憩時間中、湯川さんに何か話しかけようと思ったが、何を話してよいのか見当が付かない。湯川さんの方も、特に何も話し掛けて来ない。今まではそれが当然だったけど、僕はこの状況を何とか打開しなければいけないのだ。ビザンティン世界で結構な勉強時間を取れたこともあり、授業の内容が概ね予習済みであったのは不幸中の幸いだった。
 永遠に続くと思われた拷問に転機が訪れたのは、昼休みだった。湯川さんの方が、僕に話し掛けてきてくれたのだ。
「榊原くん、・・・お弁当、ご一緒でもいい・・・なのですか?」
「も、もちろん、大丈夫です。・・・湯川さん」
 こうして、僕は湯川さんと初めて、そして日本ではお母さん以外の女性とも生まれて初めて、隣の席でお昼のお弁当を食べることになった。一緒にお弁当を食べる以上、何か話をしなければならない。僕は、自然に湧き出てきた疑問をぶつけることにした。
「湯川さん。これまで、・・・どこでお弁当食べてたの?」
 こういう質問の仕方になったのは、僕はこれまで、同じクラスにいながら、湯川さんが昼食を食べている姿を見たことが一度もなかったからだ。湯川さんが誰と一緒にお弁当を食べているのか観察しようと何度も試みたが、湯川さんは昼食時になると、なぜかいつもどこかへ姿を消してしまうのだ。
「あ、あの・・・。おトイレとか、なのです」
 湯川さんが、まさかの便所飯!?
 ・・・漫画とかライトノベルとかで、友達がいなくて一人トイレの中でお弁当を食べている人の話は読んだこともあるけど、あんなのは都市伝説だろうと思っていた。僕も友達はいないけど、平然と独りでお弁当を食べ、食後はそのまま適当な本を読んで過ごすのが普通だった。まさか、実際にやっている人が、しかもこんな身近にいるとは考えてもいなかった。
「よりによって、湯川さんが・・・、なんで、そんなところで?」
「私、高校に入ってから・・・お友達が、できないのです。他の女の子たちは、入学する前から仲良くなっていて、私は会話について行けないのです。・・・お勉強にも、ついて行けないのです」
「そ、そうなんだ・・・。それだったら、これからは僕と一緒にお弁当食べない?」
「さ、榊原くんと、毎日、一緒に・・・なのですか?」
「い、いや、もちろん、毎日でなくてもいいし、別に嫌だったら、別に構わないから」
「あ、あの、嫌では・・・ないです。榊原くん、これから・・・よろしく、お願いします、なのです」
「こ、こちらこそ、よろしく」
 事情がよく呑み込めないけど、とりあえず明日からも、湯川さんとは毎日お弁当を食べる約束を取り付けた。でも、これだけでは前進とは言えない。少しでも湯川さんと会話を続けて、これからの会話に繋がる、湯川さんに関する情報を聞き出さなければ。
「湯川さん。そういえば、明日から・・・中間試験だね」
「うう、全然、自信がないのです・・・」
 中間試験という言葉に対する湯川さんの反応は、ほとんど絶望に近いものだった。
「僕も、高校に入って初めての中間試験だから、緊張はしてるけど・・・、なんで、そこまで自信が無いの?」
「高校のお勉強は、難しいのです・・・。授業の内容が、ほとんど・・・分からないのです」
「確かに、高校に入って、授業の内容は難しくなったけど・・・、湯川さんだって、ちゃんと試験を通って、江南に入って来たんだよね?」
「試験には受かりましたけど・・・成績は、落ちるすれすれ・・・だったのです。それに、高校に入ってから、・・・いろんなことがあって、授業に、集中できない・・・なのです」
 僕も、高校に入ってから、うんざりするほどいろんなことがあったけど、湯川さんにはどんなことがあったのだろう。でも、それを詳しく聞き出すのは、まだ早いような気がする。
「まあ、そういうこともあると思うよ。学校ってさ、中学までは義務教育だったけど、高校からは違うじゃない? この江南に入った人は、中学まではみんな優等生だったはずだけど、江南ではそういう優等生だけが集まって授業を受けるわけだから、これまで優等生だった人が、いきなり最下位クラスになっちゃうってことも、理屈としては当然あり得るわけだし。僕も、入学してからすぐ、数学の確認テストでいきなり赤点になっちゃったし」
「・・・そうなのですか?」
「僕も、お父さんから言われたんだけど、こういうときは、最初のテストが駄目だったからって諦めちゃ駄目で、江南に入れた以上地頭はあるんだから、成績は頑張れば挽回できることもある。過去には、最初のテストで5点しか取れなかった人が、東京大学に入った例もあるって。もちろん、挽回できなくて諦めちゃう人もいるけど、それは仕方のない事なんだって」
「・・・・・・」
「そして、江南でトップクラスの成績を取って、例えば東京大学に入れたとしても、東京大学には、同じく全国の高校でトップクラスの成績を取った人ばかりが集まるわけだから、東京大学には入れたけど授業について行けず、卒業できずに留年や落年を繰り返して退学させられちゃう人、何とか卒業は出来ても就職できないという人も結構いるんだって。そして、東京大学でかなり良い成績を取って、国家公務員の総合職とか、法曹とはエリートと呼ばれる職業に就いたところで、その中の競争で脱落する人も当然いるわけで、結局最後まで競争に勝ち抜ける人はごくわずかで、ほとんどの人は、どこかで脱落し挫折を迎えることになるんだって。そうやって、頑張るだけ頑張って、それでも脱落し挫折を迎えてしまったら、自分の出来る範囲でやりたいことを探せばいい、そこから自分の人生が始まるんだって、僕のお父さんが言ってた」
「榊原くんのお父さんって、・・・東京大学に行った人、なのですか?」
「うん。昔、この江南から東京大学に行って、弁護士にまでなったんだけど、あんまりエリートにはなれなくて、弁護士も途中で辞めちゃって。だから、湯川さんも、自分は駄目だって落ち込むんじゃなくて、頑張るだけ頑張って、それでも駄目だったら、勉強じゃなくて自分のやりたいことを探せばいいや、みたいな気持ちになれば、少しは楽になれるんじゃないかな?」
「榊原くん、ありがとう・・・なのです。少しだけ・・・ですけど、気持ちが楽になったのです」
「いえ、むしろごめんね、湯川さん。こんな、僕が一方的に長話しちゃって」

 その後、湯川さんとはそれ以上会話が続かなかった。湯川さんが勉強で悩んでいるということは分かったけど、明日からの中間試験で僕が湯川さんを手伝うことは時間的に無理だ。少なくとも中間試験に関しては、湯川さんの自力で乗り切ってもらうしかない。最初の確認テストが50点の赤点で、ビザンティン世界のことで時間を取られている僕が、中間試験でまともな成績を取れるかどうかという問題もある。自分がまともな成績を取れなければ、湯川さんの勉強を手伝うどころではない。
 唯一、僕が湯川さんと違うのは、入学試験の成績には結構余裕があって、頑張れば江南よりもっと上の進学校も狙えたけど、家から遠くてかなりの通学時間がかかるし、お父さんも江南でいいだろうという意見だったから江南を選んだことだが、おそらくそんなものは大したインセンティブにはならない。

 湯川さんと若干ながら話が出来たことで、それでも午後は気持ちが落ち着いた。最後に湯川さんとさようならの挨拶をして家に帰ると、僕は自分用のパソコンで「グユク」と「ミフネ」について調べた。
 グユクの在位期間は、1246年から1248年。北条時頼の執権在位期間は、1246年から1256年。つまり、僕はビザンティン世界で、西暦1246年から1248年に相当する時代にいることになる。そして、ビザンティン世界では世界暦6755年4月だから、西暦に換算すると1247年になる。つまり、日本やモンゴルなどの東方は、向こうの世界でも僕の知っている史実とほぼ同じ流れを辿っていることになる。つまり、モンゴル帝国関連では、現在のところ位相の違いによる異常は起きていない。僕がいたずらにモンゴル帝国を刺激する行動を取らない限り、おそらくモンゴル帝国が攻めてくることはないだろう。ひとまずは、当面必要以上にモンゴル帝国を恐れることはなさそうだ。

 次にミフネ。単なるテオドラのボケとはいえ、サムライという言葉からなぜミフネという謎の用語が出て来るのか、僕は気になって仕方なかった。そこで「ミフネ」というキーワードで検索したところ、1999年にデンマークで制作された『ミフネ』という映画があることが分かった。この映画は、奇妙な共同生活の中で4人の男女が自分を取り戻していくという内容で、題名は日本の俳優や映画監督として知られている、1997年に他界した三船敏郎という人物の名前から取られていることが分かった。
 僕は、これまで三船敏郎という人物について全く知らなかったが、三船敏郎は『七人の侍』という映画に出演して人気を博し、『ミフネ』という映画の中では、登場人物がサムライの真似をして「ミフネごっこ」をするシーンがあるという。つまり、日本人の感覚ではいまいち分からないが、欧米では三船敏郎の影響により、「ミフネ」はサムライの代名詞のようになっているらしい。テオドラは、サムライについて武器と魔法が使える上級職だと、何となくゲームっぽいことも言っていた。そして、マイナーダイミョウとかメジャーダイミョーとか、何となく英語っぽい言葉も使っていた。
 つまり、テオドラが披露した「サムライ」の怪しげな知識は、タイトルこそ知らないが欧米のどこかで作られたゲーム上のサムライに関するものであり、欧米ではミフネがサムライの代名詞になっているから、最強のサムライがミフネという、日本人には考えも付かない発想が出て来たのだろう。これで、ミフネというあまりにもぶっ飛んだボケの謎はある程度解け、僕もある程度勉強になった。おそらく、テオドラとイレーネは、日本について調べるにあたり、誤りの多い欧米発の『サムライ』に関する情報を仕入れ、それを本物の『サムライ』に関する情報だと誤信しているようだ。そうだと分かっていれば、今後どんなことを言われても対処は可能である。
 中間試験対策は既にある程度済ませてあるし、パレルモへ向かう船の中でもゆっくり続ければいい。問題はこれから会うフリードリヒ2世対策だ。僕は心を落ち着かせて眠りに就いた。

第15章 パレルモ滞在

 その後も、暇な航海はしばらく続いた。雑談は僕の身上話など多岐に及んだが、僕をもっとも困らせたのが、例の子作り話であった。
「殿下は、どうして子作りを頑なに拒否されるのですか?」
 パキュメレスが、僕に直球の質問をしてきた。
「日本と、この国の倫理観は大きく違うんだよ。僕は、日本ではまだ16歳だから、基本的にまだ子作りをしてはいけない年齢なの!」
「日本では、何歳から子作りをしていいんですか?」
「・・・基本的に、18歳からだと思う。結婚できるのも18歳からだし。中には、もっと早い段階から子作りをしてしまう人もいるけど、そういう人たちは社会から非難され、大抵の場合、一生貧しく苦しい生活を送ることになる」
「ずいぶん厳しいのですね。それまで子作りを我慢できない人も出てくると思うのですが」
「その代わり、この国と違ってオナニーは犯罪じゃないし悪い事でもないから、18歳まではオナニーで我慢しろって感じ」
「ずいぶん不可解な規律ですね。そんな規律では、人口が減ってしまうと思うのですが」
「確かに、日本では人口減少と少子高齢化が進んでいるから、否定はできないけど。それに加え、もう1つ重要な規律があってね」
「どんな規律ですか?」
「結婚したら、妻が夫に対し貞操を守る義務があるだけでなく、夫も妻に対し貞操を守る義務があるってこと。この規律を破ったら、離婚を求められ財産分与や慰謝料を請求されるだけでなく、政治家や有名人であれば大きな不祥事になって、最悪の場合辞職を余儀なくされることもある」
 逆に言えば、この国では結婚後、夫が妻以外の女性と関係を持っても離婚される心配はないし、宗教的にも妻以外の女性と関係を持つことは、一般的には教会や聴罪司祭の前で懺悔すれば赦される程度の軽い罪だと考えられているのだ。特に皇帝や王ともなると、その大半は愛人を作り放題のハーレム生活になってしまう。
「日本の男性は、そんな厳しい規律を本当に守れるのですか? 私の父だって当然のように何人か愛人を囲っていますし、最近、殿下のご命令により娼館の規制と実態調査が進められていますが、私が調査担当の役人から聞いたところによると、娼館を利用する男性の6割くらいが既婚者だそうですよ。日本には娼館は無いのですか?」
「いや、それっぽいお店は結構あるみたいだけど、そういうお店も18歳未満の人は入店できないから、僕も実態は詳しく知らない」
「あくまで私の勘ですが、日本の既婚男性も、多くはこっそりそういうお店を利用しているのではないでしょうか。それに殿下は、この世界と日本とを行き来して生活しておられるということはお聞きしましたが、この世界では日本のおかしな規律に従う必要はありません。殿下には跡継ぎも作って頂かなければなりませんし、この国ではご存分に子作りを楽しまれればよいと思います。ロマーニアに来た時はローマ人のごとく振る舞い、日本では日本人のごとく振る舞う。これでいいではありませんか」
「私もゲオルギオス・パキュメレスの意見に賛同する。あなたは、日本の規律ではなくローマ人としての規律に従うべき。そして今夜からでも、私と本格的な子作りの練習を始めるべき」
 パキュメレスの主張に、普段はほとんど黙っているイレーネまで乗ってきた。
「いや、それをやっちゃうと、規律の厳しい日本の生活に馴染めなくなっちゃいそうだから。僕は、あくまで日本人であって、日本での生活を捨てる気は無いから」
 もっとも、僕の説明にパキュメレスもイレーネも納得してくれず、その後もちゃんと子作りしてくださいなどと騒がれることになった。もっとも、テオドラだけは彼女にしては珍しく、この話題に関してはほぼ大人しく話を聞いているだけだったが。

 5月になり、やっと僕らはパレルモに到着した。パレルモという町の名は、ギリシア語の「すべてが港」を意味する、パノルモスという言葉に由来しており、テオドラやパキュメレスなどはギリシア語名のパノルモスと呼んでいるが、面倒なので物語上の表記はパレルモで統一する。パレルモは、その名前が示すとおりの大きな港町であり、また住民構成が極めて多様で、カトリックの教会もあればギリシア人の正教会もあり、ユダヤ人のシナゴーグもあれば、イスラム教のモスクもある。カトリック国である西ローマ帝国の首都にしては、ギリシア人も結構いると、イスラム教徒もかなり多い。ニケーアをはじめとした、正教色の濃いビザンティン帝国の都市とは趣を異にする国際都市だった。
「別にこんな町、聖なる都に比べれば大したもんじゃないわよ」
 テオドラはそんなことを言っているが、僕としては新都ニュンフェイオンをこんな町にしたいと思っている。この町は良いモデルになりそうだ。なお、正式な国名は、僕の統治しているビザンティン帝国も、フリードリヒ2世の帝国も同じ『ローマ帝国』を称しているが、両国間における交流の際には相互に敬意を表して、フリードリヒ2世の帝国を西ローマ帝国、ビザンティン帝国を東ローマ帝国と称するのが慣例になっている。
 僕たちは、パレルモの宮殿に赴き、自分が東ローマの帝国摂政ミカエル・パレオロゴスであり、東ローマからの使節としてやってきたと告げたところ、急に使節が来るとは思っていなかったらしく、儀式の準備をするので1週間ほど待って欲しいと言われ、滞在先にはフリードリヒ2世の宰相であるピエロ・デレ・ヴィーニェという人物の屋敷が宛がわれた。
「お初にお目にかかります、ミカエル・パレオロゴス殿下。私は、ピエロ・デレ・ヴィーニェの息子、スコットと申します。父に代わり、殿下とその御一行様の饗応役を務めさせていただきます。不都合な点などあれば、何なりとお申し付けくださいませ」
「スコット殿、急な来訪にもかかわらず、丁寧なご接待、痛み入ります」
 スコットは、まだ10代後半くらいの若者にもかかわらず、接待の仕事をテキパキとこなしていた。パキュメレスとも意気投合し、僕たちの接待のみならず、両国間の協定に関する予備交渉も彼が窓口になって行われた。スコットは、かなりの才覚の持ち主のようだ。
「ねえみかっち、海水浴行きましょ、海水浴!」
 一方、テオドラはシチリア島での海水浴を余程楽しみにしていたらしく、僕を海水浴に誘ってきた。他のメンバーは興味を示さなかったので、結局僕とテオドラの2人だけで、パレルモからそんなに遠くない場所にある、人気のない海岸で海水浴に行くことになったのだが、
「テオドラ、海水浴って言っても、水着なんか持ってるの?」
「水着って何よ? 海水浴って言ったら、裸で楽しむものに決まってるじゃない」
 こうして、テオドラのみならず僕も丸裸にされ、2人で海水浴をすることになったのだが、きゃいきゃい騒いでいるテオドラとは対照的に、僕は楽しむどころじゃない。どうしても、海よりテオドラの裸に目が行ってしまう。下半身もしっかり反応してしまい、全裸のため隠すこともできない。
「・・・テオドラ、君の裸を見せられると、男の子がどういうことになっちゃうか、前にちゃんと説明したよね!?」
「もちろん知ってるわよ、みかっち。あたしと結婚したくなるんでしょ? だったらここでしちゃう?」
 ちなみに、テオドラのいう結婚とは、結婚式を挙げることではなく、結婚を完遂するための儀式のことだ。ビザンティン帝国の法では、婚約者同士が結婚式を済ませる前に最初の子作りをしてしまった場合、その時点で法的には結婚が成立したものとみなされてしまうのだ。
「・・・何でテオドラと!? しかもこんなところで!?」
「みかっちの国では、結婚したらお嫁さんに貞操を守らなきゃいけないんでしょ? だったら、あたしと結婚して、子作りの練習はあたしとすればいいじゃない! 最初のうちはへたっぴでも大目にみてあげるわよ、感謝しなさい!」
 ・・・間違っても、こんな誘惑に負けてテオドラと結婚するわけには行かない。そんなことをしたら、一生テオドラに振り回されるのは目に見えている。
「そういえばみかっち、あんたの国って、二ホンとかニッポンとかジャパンとか、いろんな呼び方があるみたいだけど、どれが正しいの?」
「どれも正しいよ」
「同じ国なのに、どうしてそんなにいろんな呼び方があるのよ。外国人に違う名前で呼ばれることはあっても、国の正しい名前って、普通は1つじゃない」
 そういうことか。僕は、エッチな話題から少しでも気を逸らす意味も兼ねて、砂浜に大きく『日本』という漢字を書いて、テオドラに詳しく説明することにした。
「この字はね、漢字と言って、日本や東洋の国で使われている文字。漢字は、こちらの方で使われているギリシア文字やラテン文字なんかと違って、意味は決まっているけど、読み方は国や地方によってまちまちなんだ」
「・・・どういうこと?」
「この『日』という文字は、太陽を表す。この『本』という文字はいろんな意味があるけど、ここでは大元、という意味。つまり、この二文字を組み合わせて、太陽が出てくるところ、という意味があるんだ」
 なお、日本という国号の由来については他にもいろんな説があるけど、相手がテオドラなので、ここでは一番オーソドックスで分かりやすいものを採用している。
「でも、地球は丸いんだから、別にみかっちの国から太陽が出てくるわけじゃないんでしょ?」
「確かにそうだけど、地球が丸いということが判明する前、日本が世界で一番東の外れにある国だと信じられていた時代に、付けられた国名なの!」
「ふーん。それで読み方は?」
「古くは、この2文字で『ヤマト』って呼ばれていたこともあるらしいんだけど、僕が住んでいる時代には、『二ホン』または『ニッポン』と読むことになってる」
「それじゃあ、『ジャパン』っていうのは?」
「それはね、この文字の外国語読みに由来するんだ。日本の隣には、この時代だと高麗という国があって、この国ではこの文字を『イルボン』って読む。そして、中国では地方ごとに読み方が違っていて、今の時代だと燕京と呼ばれている北方の地域では、『リーベン』って読む。そして、中国の南方には泉州という大きな商業都市があるんだけど、この近辺では『ジーペン』って読む。その更に南、この時代にはまだ大きな都市はないと思うけど、後の時代に香港という大きな都市が出来る地域のあたりでは、『ヤーパン』って読む」
 ちなみに燕京は、現在の北京に該当する。泉州は中国の福建省、台湾の対岸あたりにある都市で、現在でも存在する。現代では北にある上海なんかの方が有名だけど、この時代の中国では、泉州が海上交易の中心だったのだ。
「ややこしいわね」
「まあね。それで、漢字を知らない西方諸国の国では、大体泉州の商人から伝わった『ジーペン』か、香港の商人から伝わった『ヤーパン』から変化した名称で呼ばれている。僕の世界では、マルコ=ポーロというヴェネツィア人が、泉州の商人から日本の存在を聞いて、僕の国を『ジパング』という名前で西方に伝えた。『ジャパン』というのは、元はイングランドの言葉で、ジパングがさらに変化したもの」
 ちなみに、日本のことを「ヤーパン」と呼んでいる代表的な国は現在のドイツで、アルファベットのつづりは英語と同じJapanだけど、読み方はジャパンじゃなくてヤーパン。なお、以上の知識は、全部お父さんからの受け売りなので、完璧に正しいかどうかは僕には分かりません。
「なんで、イングランドなんて辺境の国で使われている呼び方が、広く流行してるのよ?」
「確かに、現在のイングランドは辺境の島国に過ぎないけど、僕の世界では後代になって、そのイングランドが今のヴェネツィアみたいに、海上交易なんかでどんどん力を付けてきてね。その影響で、僕の国では英語って呼ばれているイングランドの言葉が、世界の標準語みたいになっているんだ。だから、英語読みの『ジャパン』も、日本を表す名前として広く知られているってわけ」
「面倒くさいわね。結局なんて呼べばいいのよ?」
「好きなように呼んでもらって構わないよ」
「じゃあ、『ニッポンナ』でいい?」
「・・・まあ、それでいいや」
 ちなみに、ギリシア語では地名を女性型で呼ぶ風習があるので、それに伴い『ニッポン』という発音は『ニッポンナ』に変化してしまう。なお、現代のギリシア語では、日本のことを『ニッポンナ』ではなく
『ヤポーニア』と呼んでいるので、お間違いのないように。ヤポーニアという呼び方がどこから来たかについては、ご想像にお任せします。
 ・・・その後、テオドラは水中でも呼吸が出来る『潜水』の術を使って素潜りをし、僕もそれに付き合わされた。『潜水』の術は、青学派の術で推奨適性70、僕でも十分使える。青く澄んだ海や魚は確かに綺麗だったが、テオドラの後ろを付いて泳いでいくと、どうしてもテオドラの大事なところに目が行ってしまう。僕にとっては一種の拷問だった。

 そんなことをしながら瞬く間に1週間が過ぎ、僕たちの一行はパレルモの宮殿へ迎えられた。この宮殿は典型的なヨーロッパ式の建物ではなく、むしろ僕がニュンフェイオンの宮殿を建てる時に参考にした、ミラスなどにあったイスラム式の宮殿に近い。
「あなたが、東ローマの摂政、ミカエル・パレオロゴス殿ですね? 遠くニケーアの地から、よくいらっしゃいました」
 僕を迎えてくれたのは、皇帝フリードリヒ2世ではなく、イサキオス帝の娘でテオドラの異母姉にあたる、イレーネ皇后様だった。もっとも、この国ではイザベラと呼ばれているようなので、以後イザベラで統一する。イレーネだと、皆さんお馴染みの眼鏡っ子預言者と同名で紛らわしい。
「イザベラ皇后様、ご機嫌麗しゅうございます」
「ミカエル殿、父上は一度廃位され目を潰されたと聞き及んでおりますが、未だご健在でしょうか?」
「はい。イサキオス帝は、ニケーアの宮殿でお健やかにお過ごしでございます」
「そうですか。それにしても、ロマーニアの人々には大変申し訳ないことをしてしまいました。深くお詫びいたします」
「・・・何のことですか?」
「私の父が廃位され、目を潰されて幽閉されているということなので、以前私の兄アレクシオス皇子が、帝位を奪還するため協力を要請しに参りました。私は兄を助けるため夫に頼み込んで、十字軍の総大将モンフェラート侯宛に、父と兄の帝位奪還に協力するよう推薦状を書いて頂きました。・・・その結果、まさか聖なる都が十字軍に劫略されることになるとは、夢にも思っておりませんでした」
「そうでしたか。でも、悪いのは皇后様や皇帝陛下ではなく、モンフェラート侯やヴェネツィア人たちでございます。邪悪なモンフェラート侯は、既にブルガリアと戦って無惨な戦死を遂げ、神罰を受けたと聞き及んでおります。聖なる都も、いずれ私の手で奪還致しますゆえ、皇后様にはどうぞ、お気を安らかにしてくださいませ」
 皇后様との謁見が済んだ後、僕はフリードリヒ2世の信頼篤いパレルモの大司教べラルド、宰相ピエロ・デラ・ヴィーニェといった政府の要人たちと会談し、宰相から事情説明を受けた。
「ちょうど、間の悪いときにいらっしゃいましたな。皇帝陛下は、支配下にあったパルマが教皇側に寝返ったため、軍を率いてパルマへの遠征に出掛けていらっしゃる最中でございます」
「そうだったのですか」
「息子からお伺いした東ローマからのご提案のうち、通商条約に関してはおそらく問題ないと思われるのですが、攻守同盟となるとやはり、皇帝陛下のご聖断を仰がなければならない事項でございますので、ここで即答は致しかねます。既に、パルマへは早馬を飛ばしておりますので、数か月中には陛下のご指示が届くかと思うのですが」
「左様でございますか。残念です」

 その後、僕はパレルモに残っている、15歳のマンフレディ皇子にも面会した。
「お初にお目にかかります。東ローマの摂政を務めている、ミカエル・パレオロゴスと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
「そなたが、ミカエル・パレオロゴス殿か。余と大して歳も変わらぬのに、聖なる都を奪われた東ローマの摂政をされているとは、大したものであるのう」
「お褒めに与り、恐悦至極でございます」
 マンフレディ皇子と挨拶をしているとき、同じ部屋に幼児がいることに気付いた。
「そちらのお子様は、どなたでございますか?」
「これは余の妹、コンスタンツェである。余の母ビアンカ・ランチアは、このコンスタンツェを産んだ後に間もなく亡くなられた。余にとっては、母の形見のようなものだ」
「左様でございましたか。ご愁傷様でございます」
 なお、べラルド大司教の説明によると、ビアンカ・ランチアはフリードリヒ2世にとって最大の愛人であり、大変美しい女性であったらしい。フリードリヒ2世は、もしイザベラ皇后が亡くなったらビアンカと結婚する積もりであったが、イザベラ皇后よりビアンカの方が先に亡くなってしまったため、宿願を果たせなかったとのこと。ちなみに、マンフレディ皇子もかなりの美少年である。
 フリードリヒ2世には多くの愛人や庶子がおり、帝位継承予定者は、イザベラ皇后より前の、エルサレム王の血を引くヨランド皇后が産んだコンラド皇子だが、コンラド皇子は現在ドイツで政敵と戦っており不在。マンフレディ皇子は庶子であるが、フリードリヒ2世から最も可愛がられている皇子の1人ということなので、こうしてご機嫌伺いをしたわけである。

 一連の面会を済ませると、僕は待機していたテオドラやイレーネと合流し、今後の対応について協議することにした。なお、テオドラは皇帝フリードリヒ2世が不在と知ると、「つまんない」という理由で面会には参加せず、宮殿内をほっつき歩いていた。イレーネも、外交儀礼の場では特に必要なかったので待機してもらい、面会は僕とパキュメレス、他の従者たちのみで行った。
「一連の面会は終わったけど、やはり重要なことは、皇帝フリードリヒ2世がいないと決められないみたい。既に僕らが来たことは早馬で連絡してもらっているけど、返事が届くまでには数か月くらいかかりそうだって話だった」
「そんなに待ってらんないわよ。だったら、こっちからパルマに行っちゃいましょ! その方が話は早いわよ」
 テオドラがそんなことを言いだした。
「でも、パルマって結構遠いよ? しかも陸路だし」
「ふっふっふ。みかっち、あたしたちにはこういうときの切り札ってものがあるのよ」
「切り札?」
「イレーネは、帝国の中で唯一、アクティブ・ジャンプの術を使いこなせるのよ!」
 アクティブ・ジャンプ。以前プレミュデス先生から教わった、移動拠点のない任意の場所へ瞬間移動するという術のことである。青学派系統で推奨適性が80以上と高く、パッシブ・ジャンプと異なり移動先の安全も保障されていないので、現在のところこの術を使いこなせる術士はいないと聞いていたが、適性91で、青学派の術も一通り習得しているイレーネなら使いこなせるのか?
 ・・・それとテオドラ、イレーネの使える術をまるで自分のことのように、僕を指差しながら威張りくさって説明するのはどうかと思うぞ。
「イレーネ、そんな危険な術使って大丈夫なの?」
「大丈夫。使用に先立ち、検索で移動先の安全を確認する。これまでにも5回実験を行い、いずれも成功している」
「イレーネがそう言うのであれば、任せてみるか。どちらにせよ、パレルモで数か月も待っているわけには行かないし、せっかくパレルモまで来て成果なしというのも癪だし、どうせならフリードリヒ2世にも直接会ってみたいし」
 こうして、僕はパレルモの宮廷へ、これからパルマまで行ってフリードリヒ2世と直接交渉に行くとの意向を伝え、イレーネのアクティブ・ジャンプでパルマへ向かうことにした。べラルド大司教やピエロ宰相からは、パルマは戦場になっているので危険だと止められたが、テオドラとイレーネがいれば問題は無いだろう。

第16章 フリードリヒ2世との対話


 パキュメレスやその他の従者たちを含めた僕の一行は、パレルモの宮殿を出た後、イレーネのアクティブ・ジャンプでパルマへ向かった。パッシブ・ジャンプならこれまでにも使ったことはあるけど、アクティブ・ジャンプは初めての経験だ。イレーネが早口で呪文を唱えて杖を振りかざすと、僕たちは青白い光に包まれ、気が付いたら全く違う場所へと移動していた。
「ここがパルマ?」
「そう。あれがパルマの町」
 僕が、イレーネの指差した方向を向くと、そこには大軍の兵士たちに包囲されているそこそこ大きな町があった。どうやら、この町を包囲しているのが、フリードリヒ2世の軍勢らしい。
「ねえねえ、みかっち。あの兵士たちって、一体何をしているの?」
「何をって、町を攻め落とすための包囲網を作ってるんじゃない?」
 どうやら、パルマを速攻では落とせないと見て、兵糧攻めで落とすつもりなのだろう。
「包囲網って何よ」
「ああいう城壁に囲まれた町を攻め落とすときに、外部から補給が入ってこないよう、町の周囲に塔や土塁なんかを作って、町への入口を全部遮断しちゃうわけ。そのうち、町は食料不足で戦えなくなるから、やがて降伏するだろうってわけ」
「降伏させるまでにどのくらいかかるのよ」
「状況によっても異なるけど、良くて数か月か、悪ければ数年かかることも珍しくない」
「そんなまどろっこしいことしなくても、あんな町、あたしの術なら一発で片が付くわよ」
「まあ、テオドラがいたら無論そうするだろうけど、たぶん西ローマ帝国に神聖術士はまだいないんだろうね。戦争では、こういうまどろっこしいことをするのがむしろ普通なんだよ」
「なるほど。ここはあたしの出番のようね」
 テオドラは、そう言って不敵な笑みを浮かべた。なんか嫌な予感がする。

 僕は、陣を守る門番の兵士に、東ローマの摂政ミカエル・パレオロゴスであると名乗って、皇帝フリードリヒ2世陛下にお目通りしたいと願い出た。その後、小1時間ほど待たされた末に、ようやく謁見の許可が出されたようで、僕とその一行は、兵士によって豪華な天幕へと案内された。ただし、今回はパレルモの宮殿内と違って、テオドラも一緒である。
「テオドラ、君も皇女様だから分かっているとは思うけど、くれぐれも皇帝陛下に対し無礼な真似はしないでね」
「わかってるわよ、みかっち♪」
 テオドラは、何か上機嫌な様子でそう答えたが、何か怪しい。こいつは何か企んでいる。僕の勘はそう告げていたが、今更どうしようもない。運を天に任せるしかない。
 僕たちは、ついに皇帝フリードリヒ2世の天幕に案内された。いよいよ世界史上のビッグネームに会える、緊張の瞬間だ。僕は皇帝の前に跪いて、こう挨拶した。
「皇帝陛下、ご拝謁をお許しくださり恐悦至極でございます。私は、東のローマ帝国より使節として参りました、帝国摂政ミカエル・パレオロゴスと申しま・・・」


「フェデリコス! あんたは、戦いというものが分かってないわね!」


 僕が挨拶を言い終える前に、テオドラがとんでもない暴言を吐いた。
「テオドラ! よりによって皇帝陛下の前で、なんてことを!」
 僕が止めようとしたところ、先にフリードリヒ2世のお言葉があった。
「そこの小娘。一体何の故をもって、朕に戦いのことが分かっていないと申すのか?」
 フリードリヒ2世が、いかにも皇帝らしい威厳に満ち溢れた声で、そのように声を掛けてきた。
「あたしなら、こんなまどろっこしいことしなくても、こんな町。1日で落としてやるって言ってんのよ」
「ほう。ならば、その腕前を朕の前で見せてもらおうではないか」

 こうして、僕と皇帝フリードリヒ2世、そして多くの軍幹部たちが見守る中、テオドラによるパルマへの攻撃が披露された。
「テオドラ、パルマの町全部を破壊する必要はないからね。せいぜい城壁を壊すくらいでいいから」
「分かってるわよ、そのくらい。見てなさい、そこのフェデリーコ!」
 テオドラは、いつものエクスプロージョンを5発ほど連発し、パルマの城壁は瞬く間に、その一角が完全に崩壊した。その威力に驚いたパルマの町は、それ以上戦うことなく降伏したため、テオドラの言葉どおり、パルマの町は1日で陥落した。
 僕が驚いている皇帝フリードリヒ2世に事情を説明すると、皇帝は「さすが、東ローマが誇る『太陽の皇女』と呼ばれるだけはある」などとテオドラをおだて上げ、さらに「ミラノを落とせるのはそなたをおいて他はない」などと言われて調子に乗ったテオドラは、そのまま皇帝の息子エンツォ率いる遠征軍に随行することになり、「あたしはこのロンバルディアで、世界一美しく強い太陽の皇女・テオドラの名を不動のものにしてやるわよ!」などと息巻いて、パルマを去って行った。
 ・・・さすがは知謀100のフリードリヒ2世、この際だからということで、テオドラをおだて上げて使えるだけ使い倒す気だ。やることに抜け目がない。でもまあ、フリードリヒ2世に結果として恩を売ることは出来たし、交渉の邪魔もいなくなったし、まあ結果オーライである。

 フリードリヒ2世は、既に50歳を超える老齢であるため、イタリアの征服戦争は息子や部下たちに任せ、しばらくパルマに滞在することになり、僕とフリードリヒ2世の会談は、征服したばかりのパルマで行われることになった。フリードリヒ2世は50歳を過ぎても非常に好奇心旺盛で、僕は皇帝から質問責めに遭った。
「ミカエル、パレオロゴスよ。そなたは、ロマーニアの地では、『神の遣い』と呼ばれているそうであるな?」
「はい、そういうことになっております」
「では、神の遣いたるそなたに、尋ねたいことがある。まず、そなたが話している言語は、不思議と意味は伝わってくるが、朕はそのような言語をこれまで聞いたことが無い。その言語は何語というのか?」
「日本語といいます」
「日本語というのは、どこの国の言語か?」
「日本という国の言語です」
「日本というのは、どこにある国か?」
 ・・・僕は、一緒にいるイレーネの力も借りて、以前テオドラたちに説明したのと同様に、日本に関する説明をした。
「なるほど。では、その日本という国の先の世界は、どのようになっているのか?」
 ・・・僕は、以前テオドラたちに説明したのと同様に、地球は平面ではなく球に近い楕円形になっているという説明をした。
「ほう。そのような話は初めて聞いた。だが、そなたはどうやって、地球が丸いということを科学的に証明できるのだ?」
「えーと、僕は天文学の専門家ではないので詳しいことは分かりませんが、天体の動きを注意深く観察して計算していくと、世界は平面ではなく球に近い形をしていることが証明できるはずです。その他、実際に船で世界を一周するという方法もあります。ただし、この時代の航海技術だと、船で世界を一周するのはまだ相当に難しいと思います」
「そなたは、単に遠い日本から来たというのではなく、別の世界の日本から来たというのか?」
「私は、この世界とは歴史の流れが若干ずれている、時系列的には今から700年以上の未来にあたる日本から連れて来られました。詳しいことはこのイレーネに聞いてください」
 僕の出自に関する説明はイレーネに任せたが、フリードリヒ2世の質問はイレーネが答えられないことにまで及び、特に目新しい話は出て来なかった。
 もっとも、フリードリヒ2世の質問は、これで終わりでは無かった。
「そなたたちの話によれば、宇宙の中で、我々の住んでいる地球は太陽の周りを回っているということであったが、その地球はどのような力で回り、何によって支えられているのか?」
「太陽と地球は、互いに重力という力で互いに影響を受け、地球は自らも回りながら太陽と一定の距離を置いて回り続けています」
「重力とは、どのような力か?」
「例えば、僕が林檎を手で持ち上げ、手を離すと林檎は地に落ちます。その力が重力です」
 ・・・その後、重力に関する質問が延々と続き、僕の答えられる範囲を超えてしまったので、後はイレーネに任せた。

 重力に関する話が一通り終わると、次は別の話題になった。
「神は、この世界のどこに住んでいるのか?」
「・・・すみません。僕はそこまでは分かりません。ただ、世界には色々な宗教があり、宗教によって言っていることは違います。誰にも分からないので様々な考え方が出てくるのだと思います」
「神の周りには、天使や聖人たちが囲んでいると言われているが、彼らはそこで何をしているのか?」
「分かりません。僕はそういう宗教を信じているわけでは無いので、そのように主張している聖職者たちに聞いてください」
「では、そなたはどのような宗教を信じているのか?」
「僕は世界に様々な宗教があることを知っていますが、そのうち特にどれかを信じているわけではありません」
「では、そなたの考えでは、この世界に天国や地獄、煉獄といったものはあるのか。もしもあるならば、どこにあって誰が住んでいるのか?」
「それは、実際に死んでみないと分かりません。僕は、死後の世界がどのようなものかという問題について、特に関心はありません」
「・・・そなたの住む日本という国には、我らの信仰するキリストを唯一の神とする教えは伝わっていないのか?」
「一応伝えられています。ただし、キリスト教は数えきれないほどの宗派に細かく分かれており、キリスト教そのものが日本人の伝統に合わないこともあって、日本でキリスト教を信仰しているという人は、すべての宗派を合わせてもせいぜい1%くらいとされています」
「・・・先程の者の説明だと、そなたは朕より700年以上の未来から連れて来られたということだが、その間に、キリスト教には一体何があったのだ?」
「まず、ローマ教皇を頂点とするカトリックと、わが国の国教である正教とは完全に袂を分かち、同じキリスト教を称していても、内実は全く異なる宗教になっています。それに加え、ローマ教皇をはじめとするカトリック聖職者の腐敗が著しくなると、こうしたキリスト教を改革しようとするルター派やカルヴァン派といった、新たな宗派が生まれてかなりの勢力に成長し、カトリックではなくルター派やカルヴァン派を国教に定める国も現れました。ローマ教皇にも、そうした新しい宗派を異端として撲滅する力はなくなり、カトリックはそうした振興の宗派に対抗するための自己改革を余儀なくされました。一方、イングランドでは政治的な理由から、国王がカトリックからの離脱を宣言し、イングランド国教会と呼ばれる新たな宗派を作り、更にイングランドでは国教会に対する反発から、ルター派やカルヴァン派の影響を受け、ピューリタンと総称される新たな宗派が次々と生まれました。その後、イングランドとそこから独立したアメリカという国が世界中に勢力を広げて覇権を築き上げますが、特にアメリカでは信仰の自由というものが憲法で定められ、どのような信仰の持ち主であっても法に反しない限り迫害されることはないこととされたため、もはや異端という概念はほとんどなくなり、ピューリタン諸派から派生した新宗派や、キリスト教系の新興宗教が次々と現れ、それが更に考え方の違いにより分裂したり、あるいは連合したりということを繰り返しているのです」
「アメリカという国は聞いたことが無いが、どこにある国なのだ?」
「先程の地図にあった、この大陸から広い海を隔てた彼方にある別の大陸に出来た国です。僕の世界では、その新しく発見された大陸はアメリカ大陸と名付けられ、そこにヨーロッパから多くの者が移り住み新たな国を建国したのです。この世界では、まだそのような国はないと思います」
「・・・そのアメリカという大陸についても詳しく聞きたいが、確かにそこまでバラバラになっているのであれば、キリストが唯一の神であると言われても、さほど説得力はないであろうな。だが、日本という国にも固有の宗教があるのであろう。その宗教はどうなっているのだ?」
「日本で古くから伝わる宗教は、主に仏教と神道ですが、仏教もまた細かい宗派に分かれています。一時期、日本ではキリスト教が侵略の道具として敵視され、仏教が国家宗教とされましたが、仏教を国教としていた幕府と呼ばれる政権が倒れ、天皇を元首とする新政府が樹立されると、仏教は国家の保護を受けられなくなり、次第に衰退していきました。新政府は天皇を現人神とする神道を国家宗教と定めましたが、神道で国民を洗脳して無理な侵略戦争を行い大敗北を喫したため、天皇陛下も自ら現人神ではなく人間であると宣言され、これによって神道も説得力を失い衰退しました。僕の住む世界では、かつてキリスト教が信仰されていた国においても、特にどの宗教も信じないという無神論者は特に珍しい存在ではありませんが、日本ではこうした事情により無神論者の割合が特に多く、日本人の約半数は無神論者と言われています。仏教や神道などの聖職者も、聖職だけでは食べて行けず、例えば副業でパン屋さんをやったり、自らの寺院や神社を観光名所にしてお土産を販売したりして、何とか生計を立てているというところや、詐欺まがいの霊感商法に手を染めたりしているところも少なくありません。僕自身も、父から宗教は危ないものだから手を出すなと教えられました。父の話では、日本で『哲学』と言えば役に立たない学問の代名詞、『ドグマ』すなわち教義といえば、何の根拠もない愚かな思い込みの代名詞とされているそうです」
「・・・そのような国に生まれたのであれば、確かにキリストの教えなど信じる気にならないとしても、不思議ではないだろうな」
「はい。日本には、このような歌もあります。僕は完璧に正しいものなど何もないという、この歌が伝えようとするメッセージに深く共鳴しています」
 僕はそう言って、フリードリヒ2世の前で中島みゆき様の『Nobody is Right』を歌って見せた。

「・・・初めて聞く歌だが、なかなか含蓄のある良い歌だ。まさしく、正しさを道具にしているローマ教皇や高位聖職者の連中に聞かせてやりたいな。日本では哲学は役に立たない学問とみなされていると先程聞いたが、日本人には日本人なりの、哲学と似たようなものがあるのだな」
 やった。皇帝フリードリヒ2世にも、中島みゆき様の布教が成功した! 
 ・・・どんな不思議なことにも驚かないとされるフリードリヒ2世も、さすがに僕の話にはカルチャーショックを受けたようで、その後会談はしばらく休憩となった。傍で話を聞いていたパキュメレスや他の従者たちも、同じようにカルチャーショックを受けていたようだ。

 午後になると、フリードリヒ2世の質問は別の話題に移った。
「そなたは、なかなかの見識の持ち主であるようだ。さすが、神の遣いと呼ばれ、わずか2年で東ローマを大きく立ち直らせたというだけのことはある。そんなそなたに聞きたいことがある。なぜ、海の水は塩辛いのか?」
「海の水には塩分が入っているからです。実際、海水を汲み上げて蒸発させると、塩を採ることができます」
「では、なぜ海の水には塩分が入っていて、川の水には入っていないのか?」
「えーと、確か海の水はずっと海に溜まっているので、地殻を溶かすことにより一定量の塩分が紛れ込んでいますが、川の水は雨によってもたらされた水が、地殻を溶かす暇もなくどんどん流れているものなので、塩分は入っていない、ということだと思います」
 理系の話は、僕にとっては若干苦手な分野であるため、回答もしどろもどろになってしまう。
「では、なぜ海で潮の満ち干は起こるのか?」
「先程説明した、太陽と月の重力によって起きるものと考えられています」
 ・・・その後僕は、イレーネと協力して、潮の満ち干が起きる仕組みを、フリードリヒ2世が納得するまで説明することになった。その後も、フリードリヒ2世の質問は続いた。
「地球の中心は、何で出来ているのか?」
「非常に熱い、核というものがあると考えられています」
「その核というものは、何で出来ているのか?」
「鉄やニッケルと呼ばれる元素で出来ていると考えられていますが、詳細は僕たちの世界でも、まだ研究中です」
「そうか。ところで、我が国にある山は、突然噴火を起こすことがある。それまでは静かであった山が、なぜ突然噴火するのか?」
「この地球の地殻は、少しずつですが動いています。その結果地殻のバランスが崩れて穴のようなものが出来ると、地球の内部にある熱い物質が、その穴から一気に噴き出て噴火が起こるのです」
「それでは、なぜ噴火は山で起こるのか?」
「噴火が起こる山は、地殻の形状に照らし噴火が起こりやすい場所にあるからです。そうした山自体、遠い昔に噴火によって吹き出て来た物質が、冷えて固まったことによって出来たと考えられています」
「では、火山の近くにある水は、なぜ沸騰し、悪臭がするのか?」
「火山の近くにある水は、火山が持っている熱によって温められ、沸騰します。悪臭がする場合、その水には硫黄という物質が入っているからです」
「その硫黄とは何か?」
 ・・・このようなフリードリヒ2世からの質問は、丸一日に渡って続いた。あらかじめ、どのようなことを聞かれるかは予習してあったのである程度は答えられたが、自然科学の分野になると、僕にも答えられない質問は多々あった。僕の知識ではどうしようもない質問についてはイレーネに任せることもあったが、好奇心の赴くままに何でもどんどん突っ込んで聞いてくる質問の数々には、イレーネにも答えられない質問も多く、夕方頃には僕だけでなくイレーネまで疲れの色が見えるようになった。

「ふむ。そなたたちの話は実に興味深い。朕は、今まで各地の知識人と呼ばれる者たちに多くのことを尋ねて来たが、これほどに多くのことを明快に答えてくれた者は、そなたたちを措いて他にいなかった。そなたたちのおかげで、今まで聞いたこともない、極めて興味深い色々な話を聞くことが出来た。また、明日色々なことを話そうぞ」
「ご満足頂けたようで何よりでございます」
 はあ・・・。フリードリヒ2世は、物凄い好奇心の塊のような人物だということは、本なんかで読んである程度は知っていたけど、これほどとは思っていなかった。フリードリヒ2世との交渉は、かなり疲れるものになりそうだ。

 その後も、フリードリヒ2世との会談は連日続いた。自然科学の分野に関して再び質問攻めにされることもあったが、話題がフリードリヒ2世の主導により作られた世界初の憲法典とも言われる『メルフィ憲章』の話や、フリードリヒ2世が制定した法制度の話になると、今度は僕の方が聞く側に回った。フリードリヒ2世は、国家機密に該当することはさすがに答えられないとしつつも、僕の率直な質問に対しても快く答えてくれた。とりわけ、異教徒を統治するにあたっての留意点、国内の諸勢力をまとめ上げる政治手法、兵士たちを効果的に活用する野戦の手法といった話は、非常に役立ちそうなものばかりだった。また、メルフィ憲章を制定したとき、古代ローマに倣って定めた1割という税率は、あまりに低すぎて無理があったなどという裏話も聞かせてくれた。
 そういった話の中で、東西ローマ帝国間の通商協定、定期的な学術交流、攻守同盟といった僕側の提案は快く受け入れられ、パレルモとナポリに東ローマの大使を常駐させることも認められ、また僕が帝国憲法の制定や法整備を考えていることを知ると、メルフィ憲章の起草にあたり総責任者を務めた宰相ピエロの高弟で、まだ30歳過ぎという若手ながら帝国の法行政に精通しているロレンツォ・モンテネーロという人物を、東ローマ駐在大使としてニュンフェイオンに派遣してくれることになった。
 また、両国間で学術の相互交流を行うことも決まり、宰相ピエロの息子スコットなど数人の若者が、留学生としてニュンフェイオンに派遣されることになった。僕の側も、『通話』の術でアクロポリテス先生に連絡し、才覚のある若者を何人か選んで、フリードリヒ2世が創設したナポリのフェデリーコ2世大学や、その領内にあるサレルノ医学校に留学させ、法学や医学などを学ばせる手配をするよう依頼した。また、フリードリヒ2世の話から、特に医学や天文学、衛生、排水などの分野では、エジプトをはじめとするイスラム世界の方がかなり進歩していることを知らされ、エジプトの先進的な知識や技術を取り入れるには、アラビア語の専門的な知識が不可欠であることも教えられた。
 そんな中、僕の到来を知らせるパレルモからの早馬が今頃になって到着し、僕たちがどうやって自分より早くパルマに着いたのかと、使者が首をかしげる一幕もあった。これを含め、パレルモとパルマの間では、会談中使者の往復が相次いだ。

 一方、フリードリヒ2世からは、神聖術についても質問を受けた。
「そなたの統治している東ローマでは、神聖術というものがあるという噂を聞いたことはあるが、神聖術というのは朕のような外国人には教えられない秘儀とされていた上に、たしか1時間あまり呪文を唱えて、せいぜい敵の船を数隻焼き払う程度のことしかできないものとされていた。それ故朕もさほど興味を持っていなかったのだが、いつから神聖術というものは、あの娘のように城壁をあっという間に破壊できるほど強力なものになったのだ?」
「神聖術の内容は、陛下の仰るとおりわが国の国家機密なので詳しいことはお答えできませんが、簡単に申し上げると、マヌエル帝の時代に女性に神聖術習得が一部解禁されたところ、女性の中には、神聖術に関し男性をはるかに超える素養の持ち主がいることが明らかになりました。そして、わが国は聖なる都を奪われ国家滅亡の危機にあることから、女性に対する神聖術習得の規制を全面的に撤廃し、強力な女性の神聖術士を多数養成し、これまであまり活用されていなかった神聖術を、東ローマ帝国復活の武器として最大限に活用する政策を推進しているところです」
「左様か。だが、女の神聖術士というのは、要するに魔女と紙一重ではないか。そのような政策に、国内での反対、特に聖職者や修道士たちの反対は無かったのか?」
「確かに反対はありました。しかし軍や民衆は、敵を攻撃する以外にも様々な使い道がある神聖術の効用を理解しており、僕の推進している政策にも理解を示しています。聖職者の中にも同じように考えるものたちもおり、それでもあくまで女の神聖術士は魔女だなどと言い張る頑迷な聖職者や修道士は、見つけ次第容赦なく叩き殺しました。既に数百人は殺したと思いますが、教会や修道院の長たちに、これ以上文句を言ってくる聖職者や修道士が僕のところへ来たら、罰としてそうした聖職者や修道士が所属している教会や修道院が持っている土地や免税特権を剥奪し、教会の長や修道院長にも監督責任を問い処罰の対象にすると伝えたところ、最近は文句を言ってくる連中は見当たらなくなりました」
 ちなみに、教会や修道院長の監督責任を問うという手法は、僕のお父さんから教わったものである。もちろん、日本にいるお父さんに本当の状況を教えるわけには行かないので、法教育の授業で似たような事案の取り締まり方法について考える課題があると嘘を言ってアドバイスを受けたのだが、効果は抜群だった。
「何と無茶なことを・・・。だが、現在の東ローマは、そのくらいのことはやらないと立て直せない状況にあり、神の教えに縛られないそなたであるからこそ、そのようなことが可能なのであろうな。わが国では考えられないことだ」
「陛下も、キリストの教えに対してはかなり距離を置いている御方であるとお聞きしておりますが。僕も、日本で陛下の生涯について書かれた本を読み、宗教一色であった時代にもこのような御方がおられたのかと、陛下のことを尊敬していたのですが、そうでは無いのですか?」
「確かに、そなたの申すことが間違っているというわけではないが、わが国には色々事情があって、そなたほど思い切ったことは出来ぬのだ。詳しいことは後日話そう」

 その翌日、僕はフリードリヒ2世と一緒に鷹狩りに出掛けた。フリードリヒ2世は鷹狩りが大好きで、自ら鷹に関する書物も著し、モンゴル帝国のバトゥに贈ったこともあるという。僕にも写本が一冊贈られることになったが、あまりにも長く細かい内容なので、写本を制作するのにかなり時間がかかるとのことだった。もっとも、僕が鷹狩りに誘われたのは、単に鷹の話をするのが目的ではなかった。他に誰もいない中で、僕はフリードリヒ2世にこんな話をされた。
「ミカエル・パレオロゴスよ。朕に、そなたのような息子がいればどんなに良かったかと思う。そなたは頭も良く、芯も強い。そなたが朕の跡取り息子であれば、朕が亡くなった後の危機も乗り越えることが出来るであろうに」
「西ローマには、そのように重大な危機が迫っているのですか?」
「そなたも知っているとおり、朕は今、フランスの地に逃れて朕に抵抗しているローマ教皇インノケンティウス4世や、それを支持する者どもと戦っている。朕を含め、朕に従っている多くの者たちも、ローマ教皇から破門を宣告されている。しかし、総主教を皇帝が任命することができる東ローマであれば、そなたのように才能と実力のある者はそれだけで皇帝になれるであろうが、西ローマでは、そなたの国とは逆に、ローマ教皇から戴冠を受けなければ、皇帝になることは出来ぬのだ」
「・・・確かに、こちらの西ローマ帝国は、わが国と異なり、ローマ教皇から戴冠を受けたことを根拠にローマ帝国を名乗っておられるのでしたね」
 ちなみに、フリードリヒ2世の治める西ローマ帝国は、実質的にはドイツ人の王国なのだが、オットー1世が時のローマ教皇から皇帝として戴冠されて以降、本家のローマ帝国であるビザンティン帝国に何の断りもなく『ローマ帝国』を自称するようになり、諸侯からドイツ人の王として選出された者をローマ王、ローマ王のうちローマ教皇から皇帝として戴冠された者をローマ皇帝と称するようになった。古代ローマ帝国の時代から帝位を引き継いでいるビザンティン帝国から見れば、完全にまがい物のローマ帝国なのだが、ローマ帝国の僭称を強引に止めさせるほどの軍事力はビザンティン帝国にも無いので、早い時期からビザンティン帝国はドイツ人のローマ帝国を公認して外交関係を結び、外交の際にはドイツ人のローマ帝国を西ローマ帝国、ビザンティン帝国のことを東ローマ帝国と呼び合う慣例になっている。
「そのとおりだ。それ故、朕の後継者がローマ皇帝として戴冠するには、ローマ教皇と全面的に敵対することはできず、いずれ和解の道を探らなければならぬ。それ故に、そなたのように聖職者たちの教えを無視するような新しい考え方も、表立って口にすることは出来ぬ。また、そなたのやっているように、魔女の疑いがある女の神聖術士を、いくら非常に大きな力があり有用だからと言っても、教会の猛反対を押し切って育成し重用するようなことも出来ぬ。朕も、実力とその気があれば、教会の意向など無視して自由に振る舞うことの出来る東ローマの皇帝として生まれていれば、あるいはもっと多くのことを成し得たかも知れぬ」
「まあ、東ローマの皇帝も、ちょっと油断すればすぐに廃位されたり殺されたりするので、それはそれで大変みたいですけどね。それにしても、やはりローマ教皇の力というのは、陛下のお力でもどうにもならないくらい強力なのですか?」
「うむ。朕も、今にして思えばローマ教皇の力を侮っていた。ローマ教皇は代が替わっても、朕に対する敵愾心を弱めることなく、教皇派の勢力はいくら叩いても、きりがない程に巻き返してくる。そして朕が亡くなれば、ローマ教皇とそれを支持する者たちは、おそらく一挙に勢いづいて反撃に出るであろう。朕の跡を継ぐのは我が嫡子のコンラドに決まっているが、朕と同様にローマ教皇を敵に回しているコンラドが朕と同様に諸侯の支持を取り付け、朕の息子や家臣たちを結束させることが出来るかどうかは、正直なところかなり危うい。才能の問題のみならず、あの息子は身体も弱い。わが国の将来は非常に不安だ」
「・・・・・・」
「ミカエル・パレオロゴスよ、教えてくれ。そなたの住む世界にも、朕と同じ名前で、朕と同じようなことをしたローマ皇帝がおり、それ故そなたは、朕のことを尊敬していると言っていたな。そなたの知っている皇帝フリードリヒ2世が亡くなった後、その者が治めていた帝国はどうなったのだ?」
「・・・正直に申し上げても宜しいのですか?」
「構わぬ。教えてくれ」
「僕の知っている、皇帝フリードリヒ2世が亡くなられた後、その治めていた帝国は急速に弱体化し、息子のローマ王コンラド4世も早くに亡くなられ、その後マンフレディ皇子が庶子の身で南イタリアとシチリアの王となり、ローマ王は空位となりました。そしてマンフレディ皇子やその他の皇子たちは、フランス王ルイ9世の弟で、ローマ教皇の支持を受けたアンジュー伯シャルルの手により、他国に嫁いだ何人かの姫君たちを除いて、一人残らず滅ぼされました。そして皇帝フリードリヒ2世も、キリストの敵として断罪されましたが、その死後300年近くが経過してカトリックの腐敗とキリスト教の分裂によりローマ教皇の力が衰え、ルネッサンスと呼ばれる文明開花の時代に入ると、皇帝フリードリヒ2世の業績はようやく正当に評価されるようになり、300年早いルネッサンス人と呼ばれるようになりました」
「・・・では、遠い未来の人々からの評価は別として、いずれ朕の帝国は、遠からず滅びる運命にあるというわけか」
「そうとは限りません。僕の知っている歴史の流れと、この世界における歴史の流れは微妙に食い違っています。例えば陛下は、テオドラの力により首尾よくパルマを落とされましたが、僕の知っているフリードリヒ2世は、パルマの攻略に失敗され、それが契機となって勢いを失っています。まだ、陛下の帝国が生き延びる手段が無いとまでは言えないでしょう」
「そうか。では、朕の業績がを正当に評価してくれる者が、朕の死後300年も経った後の者たちではなく、朕と同じ時代にやってきたそなたという者に恵まれている分、朕はそなたの知っている皇帝フリードリヒ2世よりは、いくらか恵まれているということだな。そんなそなたを見込んで、朕からそなたに託したいことがある」
「何でございますか?」
「かのテオドラと申す娘の力により、パルマに続いて難攻不落のミラノを首尾よく落とせたとしても、跡継ぎのコンラドに力が無く、またすぐに死んでしまうというのであれば、結局は何も変わらぬ。朕の亡き後、朕の帝国にもしものことがあったときは、朕の帝国をそなたに託したい。そして、まだ幼い娘のコンスタンツェも、そなたに託したい」
「それは、コンスタンツェ様を、僕の養女にせよと仰るのですか?」
「そうではない。出来ればコンスタンツェをそなたの嫁にもらって欲しいのだが、無理であれば愛人でも構わぬぞ?」
「・・・なんでまた、そんなことを?」
「コンスタンツェは、朕の愛したビアンカの娘だが、庶子に過ぎぬゆえ、西方では大した嫁ぎ先を見つけられぬ。しかし、東ローマは、昔から皇后の出自にはあまりこだわらず、庶子に生まれた皇女でも大事にしてくれることで評判の国であるゆえ、出来ればコンスタンツェは、東ローマの皇帝となる者に嫁がせようと思っていた。そなたが東ローマの皇帝になれば、コンスタンツェのことも大事にしてくれるであろう。たとえ皇后にはなれないとしても、取るに足らぬ貴族の妻になるよりはずっといい」
「・・・僕は、あくまで東ローマ帝国の摂政であって、別に皇帝になる気はありませんよ?」
「何を言っているのだ、ミカエル・パレオロゴスよ。そなた以外の誰に、聖なる都を奪われ危機に陥っている東ローマの皇帝が務まると言うのだ。それにな、コンスタンツェの母ビアンカは、とても美しく良い女であった。コンスタンツェも、成長すればきっとそなたも気に入る良い女になるぞ?」
 フリードリヒ2世は、少し冗談っぽい笑みを浮かべた。
「まあ、ええと、僕にも先のことはまだ分かりませんから・・・」
「そうだな、今の話は冗談半分としても、朕が生きている間に、コンスタンツェの嫁ぎ先は決めておきたいのだ。そなたか、そなたでなければ東ローマの帝室に連なる適当な人物に嫁がせるよう取り計らってもらいたい。朕の亡き後、帝国が滅びるかも知れないというのであれば、尚更朕が生きている間に、あの娘の行く先を確保しておきたいのだ」
「そういうご趣旨であれば、然るべく取り計らいましょう」
「あと、朕の帝国に何かあったときは、朕の育てた南イタリアとシチリア、そして朕の理想をそなたに託したい。引き受けてくれるか?」
「陛下の理想とは何ですか?」
「朕の理想は、古のローマ帝国と同じく、臣民が神の教えではなく法に従って統治され、それがキリスト教であれイスラム教であれ、あるいはユダヤ教またはそれ以外の宗教であれ、いかなる宗教を信じる者であっても、帝国の秩序を乱す者でない限りは、互いに殺し合うことなく生きていける国を作ることであった。朕はもう、あと何年生きられるか分からぬし、朕の息子たちにも、しぶとく抵抗するローマ教皇との対立を克服し、朕の理想を引き継いでできるほどの力の持ち主は見当たらぬ。だが、神の教えに縛られることなく、高い知性と断固たる意志で東ローマの改革を推し進めることができるそなたであれば、朕の帝国と理想を引き継ぐことが出来よう。ミカエル・パレオロゴスよ、改めて問う。朕の帝国と理想を引き受けてくれるか?」
「・・・分かりました。陛下の理想は僕の理想でもあります。喜んでお引き受け致しましょう」
「よく言ってくれた。本日朕が申したことは、秘密の文書にしてそなたとコンスタンツェに託そう。ただし、朕の帝国が無事存続できたときは、朕の帝国を託すという話は聞かなかったことにしておいてくれ」
「承知致しました。いまや東西ローマは同盟国です。僕も、仮に陛下がお亡くなりになられた後、陛下の残された帝国が無事存続できるように、可能な限りのことは致しましょう」
「左様か。そなたのおかげで、朕も心がいくらか楽になった。おかげで、そなたの知っているフリードリヒ2世よりはもう少し長生きし、もう1人か2人くらいは愛人を作って子供を残せるかも知れぬな」
 皇帝陛下の冗談で、この日の話は終わった。後日、この日に約束したとおり、皇帝フリードリヒ2世の直筆で、帝国にもしものことがあったときは、西ローマ帝国の命運をミカエル・パレオロゴスに託す、朕の帝国に仕えていた者は、ミカエル・パレオロゴスを朕の後継者だと思って仕えよ、という趣旨の金印文書が、秘密の文書として僕に贈られた。僕の望みだった、皇帝フリードリヒ2世直筆のサインはもらえたけど、その文書に書かれた内容はとても重いものだった。

第17章 フリードリヒ2世との別れ

 僕は、尊敬する皇帝フリードリヒ2世と少しでも長く話したいと思い、問題が起こらないぎりぎりまでパルマに留まることにした。その一方、現状を把握するための『通話』による連絡も怠らない。
「神聖術博士ミカエル・パレオロゴスより、学士ソフィア・ブラニアへ。何か動きはある?」
「動きとしては、まず、ブルガリア王カロヤンが何者かに暗殺されたという情報が入りました。次に、ジェノヴァ共和国で政変があり、フィエスキ家の出身であるローマ教皇の圧力により、フィエスキ家とグリマルディ家がジェノヴァの政権を担ったということですが、わが国に対する政策を改めようとする動きは今のところ無いようです。それ以外には、特に大きな知らせは入っておりません。帝国の内政も、アクロポリテス内宰相の働きにより順調に進んでおり、特に問題も起きておりません。フェデリコス帝の方はいかがでございますか?」
「全く問題ない。皇帝陛下は非常にご機嫌で、通商条約も攻守同盟も、喜んで締結してくれた。直筆のサインもくれたよ。あとテオドラが、イタリアで自分の名前を広めると言って、帝国軍にくっついてミラノの方で暴れてる」
「殿下も、フェデリコス帝との会談をお楽しみのようですね。特に問題は起きておりませんので、もうしばらくは会談を続けられても大丈夫でございます。それでは失礼致します」

 次は、アクロポリテス先生からも連絡が入った。
「通商条約の締結に伴い、最初の交易船団をパレルモに向けて出港させることになりました。船団には留学生も同乗させる予定であり、留学生としては、医学を学ばせる者として医学校校長ニケフォロス・プレミュデスの息子ヨハネス・プレミュデス、法学を学ばせる者としてプルサ総督サバス・アシデノスの息子ニコラス・アシデノス、その他合計10名を予定しております。常駐させる大使の予定者も決まっており、交易船団に同乗させる予定です。また、スコット様をはじめ、ギリシアの古典を学びたいという留学生の受け入れ準備も整っております。来月には出航させますので、殿下にもお取次ぎをよろしくお願い致します」
「アクロポリテス先生、ご苦労様です。こちらも取り次いでおきます」

 アレクサンドリアへの交易船団に同乗していた、プルケリアからの連絡も入った。
「殿下、交易船団は、途中イスラムの海賊による攻撃もございましたが、ほぼ無事にアレクサンドリアまで到着致しました。アレクサンドリアでの取引も順調でございます。これと合わせて、アラブの商人から交易上重要な情報を入手しております。取引が終了次第、買い入れた交易品を積んでニュンフェイオンに帰還する予定でございます」
「プルケリア、報告ありがとう。帰路もよろしくお願いするよ」

 トルコ方面の調略と情報収集を担当していた、ニケフォロス・スグーロスからも連絡があった。
「殿下、トルコの新スルタン、カイ=カーウスは、弟のクルチ・アルスラーンとカイ=クバードを共同統治者にすることを余儀なくされ、3人とその支持者との間で内紛発生の兆しが見られます。タタールから送られた宰相イスファハーニーはクルチ・アルスラーンと対立し、既にクルチ・アルスラーン一派の粛清が行われているようです。これに伴いまして、わが国への亡命希望者も増えております。特に問題ない限り、受け容れて差し支えないでしょうか?」
「受け容れる。特に、アラビア語やペルシア語に堪能な者は、今後エジプトとの文化交流に必要になるので、積極的に声を掛けてくれ。あと、辺境の首領たちはどう?」
「エルトゥルル・ベイの帰参により、国境地帯のベイたちは、皆わが国に帰順しております。今後は、もう少し内陸部に住んでいるベイたちにも、マウロゾメスと協力して声を掛ける予定です。そのほか、アダナを拠点とするキリキア・アルメニア王国は、モンゴルに従属し独立保障を受けておりますが、わが国とも友好、通商関係の構築を望んでいるようです。いかがなさいますか?」
「アダナは、交易船団の寄港地にも使える。アクロポリテス内宰相とも連絡の上、通商条約を結ぶ方向で交渉を進めるように。あと、内陸部に住んでいるベイたちの調略も進めて良いが、行き過ぎてあまりモンゴルを刺激しないように注意して」
「畏まりました。そのように取り計らいます」

 そして、ミラノへ行っていた、テオドラからも連絡があった。
「みかっち! あたしの大活躍で、ミラノの連中は悲鳴を上げて降伏してきたわよ。ミラノの城壁なんか、あたしの前にはただの石ころと変わんないわよ。こんな町も落とせなかったっていうフェデリコスに、このばーかって言っといて頂戴。あとね、司令官のエンツォがなかなかイケメンでね、あたしエンツォから、ジェノヴァがフェースケとかいう奴に乗っ取られちゃったみたいだから,是非ジェノヴァの奪還にもあたしの力を貸して下さいって頼まれちゃったの。というわけで、あたし帰るのちょっと遅くなるわね。みかっちは、美しいあたしの姿を見られなくて寂しいでしょうけど、あたしがいない間はイレーネのつるぺたで我慢しておきなさい。じゃーにー」
 言うだけ言って、テオドラは『通話』を切ってしまった。フェースケというのは、たぶんフィエスキ家のことだろう。・・・このばーかという伝言は、フリードリヒ2世には伝えないことにしておこう。

 必要な連絡は、テオドラの「このばーか」を除き、すべてフリードリヒ2世やその側近宛に済ませている。もっとも、テオドラからミラノを落としたという連絡が来たという話をフリードリヒ2世に伝えたところ、フリードリヒ2世からはこのような質問を受けた。
「あの娘のことだ、以前あの町を落とせなかった朕のことを、このばーかとか言っておらなかったか?」
「・・・陛下、もしかして通話の内容を聞いておられたのですか?」
「いや、何となくそんな気がしただけだ。あのような常人離れした力を持った娘から見れば、町1つを攻略するにも苦労する朕の姿は、さぞかし愚か者に見えることであろう。そなたの国が開発した神聖術の力により、これからこの世界は大きく変わるのであろうな」
 ・・・さすがは知謀100のフリードリヒ2世。侮れない。

 話題がアリストテレス哲学になると、哲学に詳しくない僕に代わり、パキュメレスがフリードリヒ2世の話し相手を務めた。ギリシアの古典哲学は、大きくアリストテレス哲学とプラトン哲学に分かれており、長きにわかってギリシア古典の収集と編纂に努めてきたビザンティン帝国では、どちらかと言うとプラトン哲学の方が人気があるものの、アリストテレス哲学も伝わっているらしい。もっとも、プラトン哲学とアリストテレス哲学の違いを的確に説明する能力は、残念ながら今の僕にはない。
 そして、フリードリヒ2世は、古典ギリシア語からアラビア語に翻訳されたアリストテレスの著書を、アラビア語からラテン語に再翻訳するというという形でアリストテレス哲学に触れたらしいが、当然ながら2回も翻訳を経ると、その過程で意味も変わってきてしまう。ギリシア語も理解できるフリードリヒ2世は、パキュメレスからギリシア古典の本家である東ローマではアリストテレス哲学はこのように伝わっているという話を聞き、続いてパキュメレスからプラトン哲学についての説明も受け、フリードリヒ2世はこれまであまり知らなかったプラトン哲学にも関心を示したようだった。僕自身は哲学に興味を持っているわけではないが、少なくともこの世界では、外交の武器としては哲学も使えるものらしい。
 一方、フリードリヒ2世との会談中、何度か僕は日本に戻ることもあり、その間に中間試験は過ぎて行ったが、そんな中、僕はフリードリヒ2世の飽くなき好奇心に答えるため、高校で使っている地学の教科書の内容を、フリードリヒ2世に読んで聞かせることにした。高校レベルの地学でも、この時代の人々にとってはかなり衝撃的な内容らしく、フリードリヒ2世の側近はラテン語で、パキュメレスはギリシア語で、僕が読み上げる内容を必死に書き写していた。その内容について初歩的、根本的な質問を受けることもあり、僕が答えられないときはイレーネに任せた。
 せっかくなので、地学だけではなく生物、化学、物理の教科書の内容も読み聞かせてあげようと思ったが、残念ながらそこまでの時間的余裕はなかった。ある日、ソフィアから『通話』で連絡が入ったのだ。
「殿下、ルイ9世率いる十字軍を乗せた船団が、マッシリアを出港したとの報が入りました。そろそろお戻り下さいませ」
「分かった。皇帝陛下に別れの挨拶を済ませた後、すぐに戻る」
 マッシリアとは、現在のマルセーユのことである。マッシリアからロードスまではかなり距離があるが、マッシリアを出港したとの報がすぐに入るわけでは無いので、ルイ9世はもうすぐロードスに着くと考えた方が良いだろう。パッシブジャンプで戻るにしても、あまり時間的余裕はない。

「皇帝陛下、大変お名残惜しいことでございますが、私はフランス王ルイ9世との交渉に臨むため、東ローマに戻らなければなりません。お話の途中であった地学の書については、後日書き上げて陛下の許にお届けさせて頂きます」
「左様であるか。朕も、政務のためそろそろパレルモに戻らなけばならないところであった。只今写本を作らせている鷹狩りの書や、朕の作らせたメルフィ憲章やその他の法に関する資料は、後日そなたの許へ送ろう。そなた達とは、大変有意義な時間を過ごさせてもらった。東ローマの更なる繁栄を願っておるぞ」
「我々も、陛下の治める西ローマの更なる繁栄を願っております。それでは、失礼させて頂きます」
 こうして、僕たちはフリードリヒ2世の許を退出し、ニュンフェイオンに帰還することになったが、使節団のうちこの場にいない人間が1人いる。今ジェノヴァに向かっているテオドラだ。僕は『通話』の術を使い、テオドラと連絡を取った。
「緑学派博士ミカエル・パレオロゴスより、赤学派博士テオドラ・アンゲリナ・コムネナへ。テオドラ、今通話して大丈夫?」
「大丈夫よ。みかっち、何の用?」
「フリードリヒ2世との交渉が終わったんで、戻ってきて欲しいんだけど」
「ちょっと待って。あと3日くらいでジェノヴァに着いて、あのフェースケとかいう奴をぎゃふんと言わせてやるところなの。もう少し待ってて」
「もう待っている時間はないんだけど、・・・君なら、1人でもパッシブジャンプでニュンフェイオンに戻って来れるよね?」
「当たり前よ。あたしならそのくらい楽勝よ」
「じゃあ、僕がこれから行くのはルイ9世との交渉で、テオドラの活躍できる戦争をする予定はまだないから、好きなように暴れ回って、気が済んだら1人でニュンフェイオンに戻って来てくれる?」
「そうするわ。どうせパルマには、イレーネに臨時の移動拠点でも作ってもらわないと1人じゃ戻れないしね。ああそうだ、フェデリコスには『このばーか』ってちゃんと伝えた?」
 そんなことでいちいち念を押してくるか、この女。
「伝えたというか、伝える前からそう言われるだろうって分かってたみたいだよ」
「あっそ。なら問題はないわね。じゃあ、あたしジェノヴァが片付いたら、エンツォとお別れしてニュンフェイオンに戻るわ。じゃあね」

 こうして、テオドラを除く僕たち使節団一行は、イレーネのパッシブジャンプでニュンフェイオンに帰還した。戻ってきた僕を、内宰相のアクロポリテス先生が出迎えてくれた。
「殿下、フェデリコス帝との交渉、ご苦労様でございました。お疲れのところ申し訳ございませんが、ルイ9世の十字軍艦隊が、数日中にはロードスに寄港するとの連絡が入っております。交渉の下準備は整えておりますので、明日には私と共にロードスへご出立頂きたく存じます」
「分かりました。早速明日行きましょう」

「ご主人様、お帰りなさいませなのです!」
「今帰ったよ、マリア。ただ、明日には別の用事で、またしばらくここを離れなきゃ行けないけど」
「・・・ご主人様は、とてもお忙しい方なのですね」
 マリアがしゅんとなってしまった。
「大丈夫だよ、今回はそんなに時間はかからないと思うから。ところで、僕が留守の間に、何か変わったことはあった?」
「バーネットちゃんが、5日前にまた子猫を4匹産んだのです。今、新しい子猫ちゃんの名前を考えているところなのです」
「・・・まあ、ほどほどにしておいてね。たぶん、これからきりがないほど子猫が生まれると思うから」
 報告することがそれだけということは、マリアの身辺には実質何事もなかったと考えてよいだろう。

 マリアと久しぶりの一夜を過ごした後、僕はアクロポリテス先生、パキュメレス、イレーネその他数名の随行員と共に、移動拠点を使ってロードスへ赴いた。・・・今度はフランス王ルイ9世、そしてラテン人の帝国宰相ヴィラルドワンとの外交戦が待っている。こちらは友好的だったフリードリヒ2世との交渉と異なり、一歩間違えればルイ9世とその配下の十字軍を敵に回しかねない、難しく重大な外交交渉だ。気を引き締めてかからなければならない。

(第4話前編に続く)


<後編後書き>


「長いお話を読んで頂き、ありがとうございます。本編の主人公、榊原雅史こと、ミカエル・パレオロゴスです」
「あたしは、世界で最も強く美しい、太陽の皇女テオドラよ。何か、今回はフェデリコスの謀略で、あたしの活躍シーンがだいぶ省かれちゃった気がするけど。ところでみかっち、後編ってたしか、投稿されるのは早くて9月くらいじゃなかったの?」
「その予定だったんだけど、後編は意外と筆の進みが早くて、さっさと書き上がっちゃったみたい。あと、これから作者のウェブサイトを開設する準備を始める予定だから、その前に切りの良いところまで書きあげちゃうことにしたんだって」
「作者のウェブサイトって、何のサイトよ?」
「この小説と、作者が独自にまとめたビザンツ帝国の歴史を載せるサイトみたい。色々制約のあるこのサイトと違って、比較的自由に設計できるから、この物語も読みやすい形で転載するつもりらしいよ」
「ふーん。それじゃあ新しいサイトを使って、このあたしの名前を世界に広めるってわけね」
「・・・さすがに、そこまでにはならないと思うけど。あと、この後編で出て来たフリードリヒ2世の皇后イザベルについて、作者から注釈が届いてるので、今から読み上げます」
「どんな注釈?」
「史実のフリードリヒ2世は、3人目の妃として皇帝イサキオス2世の娘ではなく、イングランド王ジョンの娘エリザベスを迎えており、ドイツ語名でイザベラと呼ばれたこの皇后は、1247年の時点では既に亡くなっています。また、イサキオス2世の娘イレーネが嫁いだのは、皇帝フリードリヒ2世ではなく、シチリア王ルッジェーロ3世、次いでフリードリヒ2世の叔父にあたる、シュヴァーベン公で後にローマ王となったフィリップに嫁いでいます。また、史実ではビアンカ・ランチアが産んだ娘コンスタンツェは西暦1230年生まれとされているところ、この物語では西暦1245年生まれとしています。これらは間違えたのではなく、物語設定の都合上敢えて改変したものです、とのことです」
「何でそんな改変したの?」
「この物語では、イサキオス2世の在位期間が史実より40年後にずれているから、話の辻褄を合わせるにはそうするしかなかったみたい。あと、コンスタンツェは物語の中盤から出すヒロインにする予定なので、敢えてそういう設定にしたみたい」
「そのコンスタンツェって女の子に、どういう意味があるの?」
「史実の皇帝ミカエル8世は、様々な政治的事情により皇后テオドラと離婚して、コンスタンツェと再婚しようと試みた経緯があります。作者はそうした経緯を反映して、皇后の座をめぐるテオドラのライバルとして、中盤にコンスタンツェを登場させる積もりのようです」
「そんな経緯、いちいち反映させなくていいわよ! あたしは不動のメインヒロインで、みかっちが皇帝になったら不動の皇后様よ! それに何の問題があるのよ!?」
「むしろ問題だらけだよ! 僕にとっても帝国にとっても。それに、テオドラの言うエンタメ的に考えても、イサキオス帝がぽっくりお亡くなりになった後、僕がすんなり皇帝になって、君がすんなり皇后様に収まりましたって話じゃつまらないじゃない。その前にも後にも、おそらく色んな波乱があるんだよ。僕だって、そんな波乱万丈の人生を送りたいわけじゃないけど」
「そういう波乱万丈を乗り越えて、あたしとみかっちは夫婦の固い絆で結ばれるってわけね?」
「そうなるかどうかは君次第です。まあ、今後の展開に関するネタ晴らしはこのくらいにして、この物語に出てくるフリードリヒ2世は、塩野七生さんの『皇帝フリードリッヒ2世の生涯』を参考にして、なるべく史実に近いキャラクターになるよう作者も努力しましたが、あくまでこの物語に出てくるフリードリヒ2世は、基本的に史実とは無関係の架空の人物です。第4話で対面する予定のルイ9世についても同様です」
「史実のフリードリヒ2世って、本当にあんな質問をしまくる人だったの?」
「そうみたい。学友のマイケル・スコットや、アンティオキア生まれのテオドールといった人物をはじめとして、主にイスラム世界の有識者とされる人たちに次々と手紙を送り、そういう質問をしまくったんだって。あと、この物語では僕が先にアラビア数字ならぬ新ローマ数字の導入を決定してしまったので触れていないけど、フリードリヒ2世はヨーロッパ世界に初めてアラビア数字に基づく数学をもたらしたレオナルド・フィボナッチという人物を厚遇して、ヨーロッパにアラビア数字がもたらされるきっかけを作ったほか、医師と薬剤師の兼業を禁止して、現在まで続く医薬分業制度の基礎を作った人物としても有名だよ」
「ふーん。ところでみかっちは、フリードリヒ2世が作ったメルフィ憲章が世界最古の憲法だって言ってたけど、時系列的には、イングランドの国王ジョンの出した『マグナ・カルタ』の方が15年くらい先じゃないの? それに、みかっちの国では、聖徳太子こと厩戸皇子が出した,もっと古い『十七条の憲法』っていうものもあるみたいだし」
「テオドラにしては鋭い質問だね。どちらも、現在では『憲法』と言われているけど、『十七条の憲法』の方は、官僚や貴族に対する道徳的な規範を定めただけのもので、国家の理念や統治機構、国民の権利義務などを定めた近現代的な意味の憲法とは、全く性質の異なるものです。また、ジョン王の出した『マグナ・カルタ』は,貴族に対する王権の制限を約束させられた勅書で、イギリスでは今でも憲法規範の一部として『マグナ・カルタ』が引用されることもあるので世界最古の憲法と言われることもあるけど、これも近現代的な憲法を作る意図で制定されたものではありません。さっき言ったような、近現代的な意味における憲法を作る意図でメルフィ憲章を制定したのは、フリードリヒ2世が世界で最初の例です」
「ローマ帝国には、憲法って無かったの?」
「ローマ帝国では、現在の民法,刑法,民事や刑事の訴訟法にあたる法律は発展したけど,憲法典と呼べるようなものは最後まで無かったみたい。特に、帝位の継承に関しては明確なルールが無く,そのために帝位をめぐって親子や兄弟が争い続ける事態になり,それも滅亡の原因になったみたい」
「それで、みかっちはローマ帝国にも憲法を作ろうとか考えてるわけね」
「そういうこと。ただ、他にもやるべきことが沢山あるから、いつ出来るか、そもそも作れるかどうかは分からないけどね」
「いつ出来るか分からないっていうのは、この物語の続きも同じね。今のところ、予告がほとんど当たった試しがないわ」
「そうだね。一応,作者の予定としては、第4話を書くより先に、作者のウェブサイトを開設する作業をするつもりなので、第4話を書くのはその作業が一区切りしてからということになっているけど、やっぱり途中で気が変わって、先に第4話を書くということになるかもしれないし。なので、第4話の前編が投稿される予定時期は、今のところ9月~11月程度と非常にアバウトで、いつ投稿されるかはウェブサイト開設作業の進捗状況と、作者の気分次第です。本当に、いい加減な予定ですみません。作者に代わってお詫びいたします」
「本当にいい加減ね。それではこの辺で、またこの美しいあたしに会える日を楽しみにしててね。ファッセ、ドッサッナ!」
「ファッセ、ドッサッナ。またいつかお会いしましょう」

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