『ビザンティンの風』 登場人物一覧(第3話終了時点まで)
「みかっち、この記事はなに?」
「これまで『ビザンティンの風』に登場した人物があまりに多くなったので、作者が第3話までに登場した人物のまとめを作ったみたいだよ」
「確かに、物凄い数よねえ。一体何人いるの?」
「作者が数えたところ、物語開始時点で既に死亡している歴史上の人物、日本における登場人物を除くと、全部で115人になりました。なお、この数には猫やドラゴンなどは入っていません」
「第3話までで、もうそんな数になっちゃってるの!? 田中芳樹さんの『銀河英雄伝説』がたしか614人だから、最後まで完結したらたぶん銀英伝を越えちゃうわよ!?」
「そうかもね。当初の予定にない登場人物が出て来た影響もあり、作者自身も訳が分からなくなってきたし、読者の皆さんには更に訳のわからないことになりそうなので、ここで登場人物のまとめを作ることになりました」
「それで、あたしたちは何をすればいいの?」
「作者によると、登場人物の表記に関する説明をしてほしいんだって」
「じゃあ、まず生没年について、作中に使われている世界暦ではなく、西暦が使われているのはどうして?」
「実際の歴史にも登場した人物が多いし、西暦の方が読者の皆さんにも分かりやすいだろうということで、ここでは西暦を用いることになりました」
「あっそ。それで、一部の登場人物に書かれている、参考能力値ってのは何?」
「作中の表記だけでは、各登場人物がどれだけ凄い人なのか分かりにくいだろうということで、あくまでも参考として、各登場人物がどのくらいの能力の持ち主なのか、ゲーム的に数値で表現することにしました。神聖術適性は50から100まで、神聖術を習得していない人の適性値は省略しています。それ以外の能力値については、上限は120です」
「能力値は5種類あるみたいだけど、まず最初の『統率』は何?」
「軍隊を指揮したときの統率能力です。この数値が高いほど、軍隊の力を最大限に引き出すことが出来ます」
「次の『武力』は?」
「神聖術を使わない場合の個人戦闘力です。軍隊を指揮する場合でも、軍の先頭に立って突撃するような場合には意味があります」
「3番目の『政務』は?」
「内政に関する才覚や処理能力です。高いほど内政手腕に優れていることを意味します」
「戦争には関係ないから、一番無意味な能力ね。次の『知謀』は?」
「主に、外交や謀略に関する能力です。この数値が高い程、それらの行動において高い手腕を発揮することになります」
「みかっちの大好きそうな能力ね。じゃあ最後の『魅力』は?」
「リーダーとしてのカリスマ性です。この数値が高い程、人々から尊敬されやすいことを意味しています。なお、見た目が美しいか否かは、基本的に関係ありません」
「ふーん。これもあんまり意味のない数値ね。人間、見た目が何よりも大切よ!」
「どの能力を重視するかは人によってそれぞれだろうけど、一応、物語に関係する歴史上の人物についても、おまけとして簡単な人物紹介と参考能力値を入れてあります。物語を読む際の参考にしてください。なお、数値はあくまで、作者の独断と偏見に基づくものです」
「・・・たしかに、ひどい偏見ね。特に、ユスティニアヌス大帝の評価が物凄く低いんだけど」
「どうしてそういう評価になったかは、人物紹介の説明文を読んでもらえば概ね理解して頂けると思います。ユスティニアヌスって、知名度はやたら高いけど、実は調べれば調べるほど、ろくでもない暴君だったってことが分かる人物ですから」
「あと、背教者ユリアヌスとか、糞皇帝コンスタンティノスとかの評価がやたら高いような気がするんだけど」
「キリスト教関係者による評価は、統治者としての実績に関係なく、教会にとって都合の良いことをしてくれたかどうかだけで決める傾向が強く、正直言って全く当てにならないので、完全に無視しています」
「ところで、同じ戦争に強いといっても、例えば陸戦に強いとか海戦に強いとか、人によって色んな特性があると思うんだけど」
「確かにそのとおりなので、どこかのゲームみたいに兵科適性とか特殊能力の表記も入れようかという案もあったのだけど、登場人物が多すぎてきりがないので断念しました。そのため、ここに書いてある能力値は、神聖術適性以外は大体の参考程度です。学校の成績だけでその人の能力が全て分かるわけじゃないのと同様、ここに載っている数値だけでその人の価値が分かるというものでもありません」
「まあ、そんなところね。あたしの美しさが評価の対象になってないというあたりで、既に評価としての意味を成していないわね。ところで、末尾のおまけに書いてある日本の人物は、何かのジョーク?」
「ああ、それは一応、物語中に出てくるネタが分からない人向けの説明だと理解してください」
「まあ、そういうことね。この記事自体あくまでおまけ要素だから、作者の趣味に付き合って無理して読む必要はないわよ。なんか、本編中では言及されてない裏設定とかも一部書かれているから、暇な人は読んだうえでもう一度本編を読み返してみるのもアリね」
第1 ビザンティン帝国関係
1-1 第1話から登場する人物
● ミカエル・パレオロゴス
公称1229年生まれ(召喚された1245年時点では高校1年生であったため)
本編の主人公。元の名は榊原雅史といい、歴史と歴史SLGをこよなく愛するオタクの高校1年生であるが、滅亡に瀕したビザンティン帝国を救うための『神の遣い』に選ばれ、イサキオス帝の摂政として事実上帝国の統治にあたる。狡猾な計略を悪いことだとは思っておらず、必要と判断すれば酷い残虐行為も平気で行うが、その一方で女の子や猫には弱い。宗教上の理由でオナニーを禁止されたため、仕方なく女の子のエッチなご奉仕を受け容れているが、日本での高校生活も続いているため、現在のところ子作りだけは我慢して,エッチなお誘いも頑なに拒否している。
<参考能力値>
統率 75→85 武力 10→65 政務 85→95 知謀 80→95 魅力 70→75
神聖術適性 79→81
(各数値の左側はビザンティン世界に召喚された当初の能力値,右側は第3話終了時点での能力値を表しています)
緑学派の博士号を取得し,術士としてはシンカーと名付けた強力なナイフ投げの術を開発している。
〇 テオドラ・アンゲリナ・コムネナ
1229年生まれ。
本編中にうるさいほど出て来るので説明は不要だと思いますが、一応ビザンティン帝国の皇女様。イサキオス帝と愛人カタリナの娘だが、ある政治的な理由から正式な皇女へと格上げされ、主人公を『神の遣い』として勝手に自分の婚約者にしてしまう。過去最高の適性95、いや現在は96を誇る、赤学派の神聖術博士にして強力な火炎系・爆発系の神聖術を使いこなし,自らは世界一強く美しい「太陽の皇女」を自称しているが、稀代のトラブルメーカーでもあり,周囲からは「爆裂皇女」の異名で呼ばれることの方が多い。「伝説の踊り子テオドラ」と呼ばれる天才的な踊り子でもあるが、踊り子として舞台に立つときは態度が一変するため、主人公やごく一部の人を除き,周囲からは別人だと思われている。
<参考能力値>
統率 45 武力 88 政務 1 知謀 39 魅力 55 神聖術適性 96
赤学派の博士号を取得しており,彼女が放つ火炎系や爆発系の神聖術は並外れた威力を誇る。腕っぷしも強いが,間違っても政務を担当させてはいけない。
〇 イレーネ・アンゲリナ
1230年生まれ。
イサキオス帝の兄、元皇帝アレクシオス3世と,占い師パメラとの間に生まれた娘で、預言者の異名を持つ緑学派の天才術士。治療や身体強化などの術を得意とする。女性は博士号を取得できないというルールがあったため,第1話時点ではイレニオス・アンゲロス・コムネノスと名乗り男性を装っていたが、第2話以降は主人公の命令でイレーネという女性名に戻り,彼女のために女性の博士号取得が解禁された。もっとも,周囲から女性として注目されるのに慣れていないため、服装は色気のない黒いローブのままで,顔には眼鏡状の形をした喋る超高性能記憶装置ビブリオケーテーをかけている従来スタイルのまま。そのため,イレーネの裸を何度も見ている主人公ビジョンでは,イレーネは絶世の美少女であるが、胸がほとんど無く背も低く外見は13歳くらいにしか見えないこともあって,周囲からは男の子と勘違いされることが多い。その一方、イレーネは自分を唯一女として見てくれる主人公にベタ惚れしてしまい、自ら勝手に主人公の「性奴隷」を名乗って、主人公を誘惑したりエッチなご奉仕をしたりしている。神聖術以外にも様々な特殊能力を持っているなど、その正体にはまだまだ謎が多い。
<参考能力値>
統率 40 武力 20 政務 70 知謀 120 魅力 70 神聖術適性 公称91
緑学派の博士号を取得しており,治療や身体強化のみならず,学派の垣根を越えて様々な術を使いこなすほか,主人公に特殊な方法で神聖術の知識や技術を教えるなど,様々な意味で主人公に多大な貢献をしている。
● イサキオス・アンゲロス・コムネノス(皇帝イサキオス2世)
1196年生まれ。
テオドラtなどの父親。ビザンティン帝国の皇帝で一応主人公の主君であるが、老齢かつ盲目であるため自ら政務を執ることはできない。1225年,美男だけが取り柄の操りやすい人物ということで,一部の貴族たちに擁立されてクーデターを起こし皇帝に即位したが,皇帝としての統治実績があまりに悪かったため,1235年には実の兄アレクシオス3世にクーデターを起こされて廃位され,目を潰された。1243年にアレクシオス3世の逃亡に伴い,復位して息子アレクシオス4世と対等の皇帝になるが,クーデターで息子のアレクシオス4世が殺害されると,自身も殺されそうになったところをテオドラたちによって救出され,ニケーア亡命政権の皇帝となった。ただし,相変わらず皇帝としての人望は全く無い。
<参考能力値>
統率 33 武力 1(盲目のため) 政務 12 知謀 45 魅力 28
● マヌエル・ラスカリス
1202年生まれ。
ビザンティン帝国の精鋭部隊、ヴァリャーグ近衛隊の司令官。主人公からは「ラスカリス将軍」と呼ばれている。祖先は,へースティングスの戦いで征服王ウィリアム1世に敗れたイングランドのサクソン人であり,その後代々ビザンティン帝国に仕えてきたという家系である。イサキオス2世の前任者であるアンドロニコス帝の時代からビザンティン帝国に仕えてきた老練な軍人であり、軍の司令官として活躍する一方,主人公や若い軍人たちに軍事の基礎を教えている。息子にテオドロス、イサキオス、アレクシオス、娘にルミーナがいる。
<参考能力値>
統率 87 武力 82 政務 36 知謀 68 魅力 70
● テオドロス・ラスカリス
1225年生まれ。
マヌエル・ラスカリスの息子。『ビザンティオンの聖戦士』を自称し、その武名は国の内外で結構知られている。卓越した武勇の持ち主で、ビザンティン帝国における武勇第一を自認しているが、馬上槍試合ではティエリに敗れている。一方、勉強は大の苦手で、文字は自分の名前しか書けない。巨乳のプルケリアに憧れている。
<参考能力値>
統率 55 武力 98 政務 4 知謀 39 魅力 60
自ら先頭に立って敵に突撃することは得意だが,自らの武勇を恃むあまり司令官としての才能はいまいち身に付いておらず,父のマヌエルを心配させている。
● ゲルマノス・アナプリオス(前総主教ゲルマノス2世)
1215年生まれ。
アナプリ村という小さな漁村の生まれで,低い出自から出世するために聖職界を志した。若くして聖職界で頭角を現しニケーア大主教となったが,イサキオス帝やテオドラたちがニケーアに亡命してくると,聖なる都の総主教がニケーアに亡命して来なかったため,ニケーア亡命政権における聖職界最高の地位である,ニケーアの総主教に抜擢された。その一方,政務面でテオドラ,次いで主人公の補佐もすることになり,一時は大変な業務多忙となった。第3話では,密かに愛人エウフェミアを囲っていたことが発覚し総主教を辞任,以後は俗人として主人公を補佐する政務官として仕えるようになった。
<参考能力値>
統率 60 武勇 33 政務 83 知謀 75 魅力 66 神聖術適性 73
青学派の博士号を取得しており,防御系の術を得意とする。 官僚のイメージが強いが,マイアンドロス河畔の戦いでは防御結界を張り,主人公やビザンティン帝国軍を暴風雨の被害から救っている。
● バルダス・アスパイテス
1212年生まれ。
ニケーアの総督を務めており,第1話では主人公と共に兵を率いて戦う場面もあったが,その後は仮首都ニケーアの留守を守り,ニケーアとその周辺地域の統治や治安維持にあたっているほか,ニケーア近郊における難民の入植政策,新都市テオドラーノポリの建設も手掛けている。作中では語られていないが,バルダスの父コンスタンティノス・アスパイテスは高名な軍人であったものの,イサキオス帝に対し謀反を起こして目を潰されたという過去があるため,バルダスは謀反を疑われることのないよう,注意深く控えめに振る舞っている。
バルダスの息子で祖父の名を受け継いだコンスタンティノス・アスパイテス(1236年生まれ)は,祖父と同様に高名な軍人となるべく,主人公の許で学問と修行に励んでいるが,父と異なりイサキオス帝への反感を公然と口にすることがあり,主人公や父を困惑させている。
<参考能力値>
統率 71 武力 73 政務 75 知謀 68 魅力 65 神聖術適性 68
主人公の奨励策もあって,現在業務の傍で緑学派の神聖術を学んでいる。
● ペトロス
1210年生まれ。
バルダス・アスパイテスの部下で、主人公の初陣では騎兵隊を率いて補佐役を務めた。その後は主人公の直轄軍に加わって各地を転戦し、現在ではファランクス隊の百人隊長を務めている。
<参考能力値>
統率 55 武力 60 政務 17 知謀 40 魅力 27
〇 オフェリア
1210年生まれ。
皇帝イサキオス2世の元愛人で、ソーマの母親。イサキオス帝が廃位された後はテオドラやその妹テオファノの養育係に任命されたが,養育方法について何の指示もなかったのでやりたいようにやらせていた。テオドラのイサキオス帝救出作戦に協力し,ニケーア亡命政権では宮廷の侍従長を務める一方,あの手この手で主人公に子作りを覚えさせようと企んでいる。第3話で主人公がニュンフェイオンに移ると,イサキオス帝の世話をするためニケーアに残った。
作中では語られていないが,適性85の神聖術博士(赤学派)でもある。
〇 マリア
1229年生まれ。
主人公付きの主任メイドを務めているが、転んだり迷子になったりといったミスが多く、周囲からはドジっ娘マリアなどと呼ばれている。語尾に「~なのです」と付ける独特の喋り方と可愛らしさで、主人公からは気に入られているが、その姿格好が日本における主人公のクラスメイト湯川美沙とそっくりであるため、主人公を悩ませている。
〇 マーヤ
1230年生まれ。
主人公付きの副主任メイドを務めている。マリアと違って特にドジはしないが、控えめな性格で影が薄い。主人公付きのメイドは現在10人ほどいるが、主人公は他にも多くの家臣たちの名前と顔を覚えなければならないため、メイドたちのうち主人公が顔と名前を覚えているのは、現在のところマリアとマーヤ、ソフィアの3人だけである。
● ネアルコス
1228年生まれ。
ギリシア人商人の息子で、ブロワ伯ルイによって徴兵され歩兵隊の隊長としてニケーア攻略に参戦するも、ブロワ伯ルイの敗走を知ると、部下たちをまとめて戦わずに主人公の許へ降伏し、主人公に南方進出を進言した。テオドロスやアレスほどの武勇の持ち主ではないが、ラスカリス将軍に用兵の才能と統率力を見込まれ、アレスと共にファランクス隊の司令官を務め、また商船団に加わり海賊たちと戦った経験もあることから、第3話では再建されたビザンティン帝国海軍の初代提督に任命され、交易船団を護衛するためエジプトのアレクサンドリアへ向かうことになった。
<参考能力値>
統率 78 武力 73 政務 75 知謀 79 魅力 77 神聖術適性 68
現在、青学派の神聖術を勉強中。
● バシレイオス・コーザス
1202年生まれ。
イサキオス帝の許でタルシア方面の代官を務めていたが,重税に反感を持った住民たちの声に押されて反旗を翻し,タルシア近辺で半独立政権を築いていた。第1話で主人公が軍を率いて討伐にやってくると迎撃したが,テオドラの術で味方の軍が四散してしまうと,これ以上の抵抗を諦めて主人公に降伏した。当初はそのままタルシア地方の統治を任されていたが,ニコメディアが帝国領に入るとニコメディアの総督に抜擢され,この地方の経済発展に努めている。
<参考能力値>
統率 62 武力 55 政務 78 知謀 74 魅力 75 神聖術適性 62
バルダス・アスパイテスと同様,緑学派の神聖術を勉強中。
● マヌエル・コーザス
1224年生まれ。
バシレイオス・コーザスの息子で、父と共に主人公に降伏し、以後は主人公の許で軽騎兵隊の司令官を務めるようになった。第3話では、他の将たちから出た軽騎兵不要論に強く反発し、以後軽騎兵隊を謀略用の特殊部隊として再生させる任務に取り組んでいる。
<参考能力値>
統率 72 武力 66 政務 75 知謀 72 魅力 72 神聖術適性 72
現在、緑学派の神聖術を勉強中。
● ヨハネス・カンタクゼノス
1210年生まれ。
帝国の名門貴族出身でプルサの総督を務めていたが、主人公率いる軍がプルサに進出してくるといち早く主人公に帰順した。男子の世継ぎがいないため、まだ12歳である長女のテオドラを主人公に仕えさせようとし、主人公を困らせている。妻のイレーネ・パレオロギナは、主人公がその生まれ変わりを名乗っている、テオドラ皇女の元婚約者で戦死したミカエル・パレオロゴスの妹にあたるため、その縁からパレオロゴス家の生き残りで、ラテン皇帝アンリに降伏しガリポリの長官を務めているコンスタンティノス・パレオロゴスへの内通工作を担当した。第2話では、主人公がガリポリの対岸にあるアビュドスを征服すると、アビュドスの総督に任命された。
<参考能力値>
統率 70 武力 63 政務 75 知謀 70 魅力 62 神聖術適性 65
緑学派の博士号を取得し、神聖術の力で何とか男子の跡継ぎを得ようと頑張っている。
● アレクシオス・ローレス
1208年生まれ。主人公がブロワ伯ルイの軍を破って進撃してくると、これに帰順して引き続きスミルナの総督を務めた。第1話では、主人公たちに山賊『青い兄弟団』の討伐を依頼し、その後は治安の良くなったスミルナ地方の経済発展に努めたほか、ジェノヴァとの外交にあたり取次役も務めている。息子で母方の家門名を名乗ったヨハネス・ペトラリファス(1231年生まれ)も、現在主人公に仕えている。
<参考能力値>
統率 71 武力 66 政務 78 知謀 69 魅力 68 神聖術適性 70
以前から神聖術を学んでおり、青学派の博士号を最近取得した。
● テオドロス・マンカファース
1205年生まれ。
フィラデルフィアの有力貴族で、イサキオス帝の時代になるとビザンティン帝国の弱体化に付け込み、フィラデルフィアを支配し皇帝を名乗った。マンカファースは、自らの神聖術で住民たちを洗脳し、異教徒は殺せ、マンカファース様の為なら死も恐れないという狂信者集団を作り上げ、フィラデルフィアの住民は「マンカファース派」と呼ばれ恐れられるようになった。討伐に向かったヴァタツェス将軍も、狂信的なマンカファースの軍に手を焼き、皇帝の称号だけは放棄させることで妥協せざるを得なかった。当初は主人公の支配に服そうとしなかったが、再び自ら皇帝を名乗って聖なる都に攻め昇ろうとしたところ、ラテン皇帝アンリに撃破されて大きな打撃を受け、主人公の宗主権を受け入れることを余儀なくされた。その後も、主人公に対してはあまり忠実ではなく、アフロディスアスの戦いでは自らの手勢だけで勝手に敵軍に突撃し、敗れて勝手に領地へ帰ってしまった。
<参考能力値>
統率 75 武力 71 政務 65 知謀 76 魅力 70 神聖術適性 75
緑学派の博士号を取得しており、軍と住民を掌握するために術の力を悪用している。
● アレクシオス・ストラテゴプルス(アレス)
1226年生まれ。
元は「青い兄弟団」という山賊の一味であったが,主人公の討伐を受けて降伏し,仲間の山賊たちを引き入れて主人公の配下となった。本名はアレクシオス・ストラテゴプルスであるが、長いのでアレスの通称で呼ばれている。テオドロスに匹敵する武勇の持ち主で、主人公に仕えファランクス隊の司令官を務めている。女性に人気があり、多くの女性と浮名を流している。
<参考能力値>
統率 81 武力 95 政務 20 知謀 68 魅力 80 神聖術適性 67
緑学派の術を勉強中。
● テオドロス・イレニコス(総主教テオドロス2世)
1198年生まれ。
皇帝アレクシオス3世の許で宰相を務めていたが、聖なる都が陥落するとラテン皇帝ボードワンに仕官しようとしたがにべもなく断られ、その後はニケーアへ逃れ貧民街で惨めな暮らしをしていた。ゲルマノス前総主教が、主人公からトルコのスルタン・カイ=クバードへ同盟交渉の使節を派遣するよう命じられると、イレニコスは外交官として登用されたが、元宰相という割にはさしたる才能が無く、その後ラテン皇帝アンリへの使節なども務めたものの、あまり使い道がないとして、主人公からは内心お荷物扱いされていた。第3話では、ゲルマノス前総主教が女性問題で辞任すると、自分の政策を邪魔しない無難な人物を望んだ主人公の意向により、後任のニケーア総主教に任命された。
<参考能力値>
統率 45 武力 29 政務 60 知謀 45 魅力 52
● ニケフォロス・プレミュデス
1197年生まれ。
聖なる都で医師の次男として生まれ、医学のみならず神学などの諸学問に通じた碩学として知られていた。業務多忙のため主人公の教育にまで手が回らなくなったゲルマノス前総主教の依頼を受け、主人公の顧問兼家庭教師に就任し、主人公が神聖術を学ぶにあたっても講師を務めている。主人公からはプレミュデス先生と呼ばれている。神学論争では、あまり有能な人物がいない聖職者たちに代わり、正教側を代表する論客として、カトリックの誤った教えを弾劾している。第3話では、主人公の依頼によりニュンフェイオン医学校の新設を担当し、その初代校長に就任することが決まった。
<参考能力値>
統率 32 武力 21 政務 68 知謀 80 魅力 69 神聖術適性 71
緑学派の博士号を取得しており、医療に役立てている。
● アレクシオス・コムネノス
1222年生まれ。
アンドロニコス帝の孫にあたる人物で、トレビゾンドを中心とするポントス地方に領地を持っていた。聖なる都が陥落すると、我こそビザンティン帝国の正統な継承者であると主張して大コムネノス家を名乗り、母方の実家にあたるグルジア王家の支援を受け、弟のダヴィドに兵を与え聖なる都へ向けて進軍させたが、ダヴィドが主人公によって串刺しの刑に処され、その首が送られてくるとこれに震え上がり、イサキオス帝の宗主権を認め、自らはトレビゾンドの専制公(デスポテース)、実質的には単なる総督という地位に落ち着いた。今のところ年貢金は素直に納めているが、トレビゾンドへの移動拠点設置に難色を示すなど、主人公からあまり忠実な臣下であるとはみなされていない。主人公が彼を滅ぼそうとしないのは、単に彼の領地トレビゾンドが遠隔の地にあり、移動拠点無しでは征服するにも余計な時間がかかるからである。
<参考能力値>
統率 55 武力 52 政務 58 知謀 54 魅力 60 神聖術適性 68
青学派の術を勉強中。
● ダヴィド・コムネノス
1223年~1245年。
アレクシオスの弟。戦争を好まない兄に代わって、聖なる都を奪還すべくシノーペから兵を挙げたが、サカリア河畔の戦いで主人公の騙し討ちを受けて大きな被害を受け、その後主人公は約束を守らない悪魔の手先だと主張して、主人公に対抗するためラテン人と同盟し、ラテン人ティエリ・ド・ルースのいるニコメディアに入城した。しかし、自らは積極的に主人公と戦おうとせず、やがて皇帝ボードワンが戦死するとティエリも主人公に寝返ってしまい、孤立無援となったダヴィドは武装蜂起を条件に本拠地シノーペへの退去を許されるが、最初からダヴィドを許す気などなかった主人公にまたも裏切られ、捕らえられて串刺しの刑に処せられた。ダヴィドの死後、彼の領地だったシノーペとその一帯は、主人公の支配下に入った。
<参考能力値>
統率 60 武力 58 政務 49 知謀 61 魅力 51
● ティエリ・ド・ルース
1225年生まれ。
ルース伯爵家の次男坊に生まれ、自分の相続できる土地が無いため、自らの居場所を求めて十字軍に参加した。十字軍幹部の一人であるシャンパーニュの家令ジョフロワ・ド・ヴィラルドワンの甥にあたり、武勇にも優れていたものの、高貴な生まれを誇る騎士たちが揃っていた十字軍の中ではあまり目立つ存在ではなく、十字軍と戦ったラスカリス将軍にも名前を覚えられていなかった。ラテン人が聖なる都を劫略すると、ティエリはニコメディア方面の支配を任されるが、聖なる都で妻に迎えたギリシア人のマリア・ランバルディナに夢中になってしまい、妻の仲介でダヴィド・コムネノスと一時同盟を結び、主君の皇帝ボードワンが戦死すると、妻の仲介で主人公に内通しニコメディアを明け渡した。
当初、元十字軍戦士のラテン人であるティエリは、ビザンティン帝国に忠実に仕えることはないだろうと不信感を持たれていたが、妻の勧めで正教に改宗し、やがて異教徒のクマン人であるダフネ一党や、イスラム教徒であるメンテシェなどが次々と主人公の配下に加わった結果、いつの間にかティエリの忠誠心を問題にする者はいなくなった。主人公の許では騎士隊の司令官として活躍し、第1回の武闘大会では決勝戦にまで進みテオドロス・ラスカリスに惜しくも敗れたが、翌日行われた馬上槍試合では逆にテオドロスを打ち負かしている。ギリシア語については、妻から教わって必死に勉強中。
<参考能力値>
統率 71 武力 97 政務 12 知謀 61 魅力 66
〇 マリア・ランバルディナ
1228年生まれ。
イタリアの北東部、ロンバルディア地方からビザンティン帝国に帰化した貴族であるランバルタス家に生まれ、高度な教育を受けギリシア語とラテン語の両方を流暢に話すことができる才女として知られていた。聖なる都が陥落するとラテン人ティエリ・ド・ルースの妻にさせられるが、ティエリはマリアの美しさと聡明さの虜になってしまい、ティエリは戦い以外の場面では、マリアの操り人形のようになってしまった。マリアは、皇帝ボードワンが戦死すると夫を主人公に仕えさせた方が良いと考え、ティエリを説得して主人公に内通させた。マリアは、夫の内助に徹しているため主人公の前に現れることは滅多にないが、主人公の配下となったダフネにギリシア語や青学派の神聖術を教えるなど、裏ではそれなりの役割を果たしている。
<参考能力値>
統率 53 武力 29 政務 78 知謀 81 魅力 80 神聖術適性 67
青学派の博士号を取得している。
● ヨハネス・ドゥーカス・ヴァタツェス
1193年生まれ。
高名な軍事貴族ヴァタツェス家の出身で、アンドロニコス帝の時代から、アレクシオス・ブラナスに次ぐ勇将として名を馳せていた。貴族として主人公に仕え、重要な戦いでは主人公に戦い方の指南をしている。ペルガモン遺跡の近辺に本拠地を構えている。
<参考能力値>
統率 90 武力 79 政務 75 知謀 81 魅力 80
● アレクシオス・アンゲロス・コムネノス(元皇帝アレクシオス3世)
1195年生まれ。
アンゲロス家の長男として生まれ、皇帝イサキオス2世の兄にあたる。アレクシオスは、猜疑心の虜になった晩年のアンドロニコス帝から逃れようとしてシリアのアンティオキアに亡命するが、その地でイスラム勢力の捕虜になってしまい、その後弟のイサキオスが皇帝になったため、多額の身代金と引き換えに解放された。その後はイサキオス2世の許で宰相や元帥に任じられ厚遇されるが、イサキオス帝が3度目のブルガリア遠征を強行しようとして軍部の反感を買うと自らもこれに反対し、一方で父アレクシオス・ブラナスを殺され、イサキオス帝に恨みを抱いていたテオドロス・ブラナスからクーデターで弟を廃位して自ら帝位に就くよう誘われるとその話に乗り、ラスカリス将軍を含む軍部のすべてを味方につけ、1235年にクーデターを起こしてイサキオス帝を廃位し、自らビザンティンの皇帝となった。
しかし、皇帝としての治績は弟と大差なく、彼の治世下でも多くの反乱が起きたほか、モンゴル軍への貢納を工面するために歴代皇帝の廟を暴き、戦艦やその艤装品を競売に掛けて帝国海軍を実質的に解体するなど場当たり的な金策を余儀なくされた。さらに、弟の時代には厚遇されていたヴェネツィア商人の財産を没収して追放し、代わってジェノヴァやピサの商人を優遇するようになるとヴぇネツィア人を決定的に敵に回し、十字軍とヴェネツィア艦隊の襲来を招いた。
アレクシオスは、娘のイレーネから「このままでは聖なる都は陥落し、ラテン人とヴェネツィア人の劫略を受ける」と警告されたが、何ら効果的な防衛策を講じることはなかった。その一方で、十字軍とヴェネツィア艦隊の攻撃が始まり、ヴェネツィア艦隊によって守りの手薄な海側の城壁が一部占領されると、アレクシオスはそれだけで参ってしまい、最愛の娘プルケリアだけを連れて、夜陰に紛れて聖なる都から逃亡してしまった。
これによって、アレクシオスは帝国の慣習法に従い自発的に退位したものとみなされたが、それでもテッサロニケを拠点とし、帝国に反旗を翻してペロポネソス半島を拠点に独自の勢力を築いていたレオーン・スグーロスと同盟して再起を期したが、聖なる都が陥落しボニファッチョ率いるラテン人の軍勢が攻め寄せてくると戦わずに逃げ出し、プルケリアや少数の従者たちと共にルーム=セルジューク朝のスルタン、カイ=クバードの許へ身を寄せた。
カイ=クバードとは、主人公が実効支配下に置いていた領地の半分を与えるという約束で同盟を結び、マイアンドロス河畔で対陣した主人公にも、領地の半分を与えるから自分に仕えないかと話を持ち掛け、主人公を呆れさせた。主人公の許にいた娘のイレーネにも勧誘の手紙を送るが、イレーネが本当は女の子であるということを忘れていたためイレーネも味方につけることが出来なかった。その後、トルコ人の援軍は暴風雨の為壊滅状態となり、自らの神聖術により自分とその従者たちしか守ることの出来なかったアレクシオスは主人公の捕虜となり、命だけは許されて修道院に幽閉された。
<参考能力値>
統率 40 武力 38 政務 22 知謀 50 魅力 36 神聖術適性 65
青学派に属したがあまり勉強熱心ではないため、皇帝としての権力に物を言わせて修士号を取るのがやっとで、博士号までは取れなかった。
〇 プルケリア・アンゲリナ
1227年生まれ。
アレクシオス3世と皇后エウフロシュネの娘で、イレーネの異母姉にあたる。適性は93。氷を使った術を得意とするが、それ以外の術もかなり使える。最初は敵として登場したが、マイアンドロス河畔の戦いでアレクシオス3世が敗れて幽閉されると、その後は主人公に仕えた。術士としてはテオドラとライバル関係にあるが、性格はテオドラよりずっとまともで、出番こそ多くないが、主人公からはテオドラより信頼されている。ただし、規格外の巨乳の持ち主であり主人公の好みから外れているため、美人ながら主人公からは恋愛の対象とみなされていない。
現在のところ、テオドラ、イレーネ、プルケリアの3人が、ビザンティン帝国の術士としては最高クラスの能力を持ち、「三傑」と評されている。
<参考能力値>
統率 70 武力 22 政務 81 知謀 80 魅力 82 神聖術適性 93
白学派の博士号を取得している。
● バシレイオス・ドゥーカス・カマテロス
1187年生まれ。
アレクシオス3世の皇后エウフロシュネの兄にあたる人物で、その縁によりアレクシオス3世に仕えていた。アレクシオス3世が聖なる都を捨てて逃亡すると、バシレイオスは妹のエウフロシュネや、アレクシオスが放置していった娘たちを連れて、テッサロニケにいたアレクシオス3世に合流したが、イレーネは自分の警告が無視されて以降父と距離を置いていたため、これに同行することはなかった。
聖なる都が陥落し、アレクシオス3世がカイ=クバードの許に亡命するとこれに従い、プルケリアらと共に主人公に降伏した。しかし、主人公からブロワ伯ルイを欺く任務を与えられると、この任務で活躍したのは同行していたニケフォロス・スグーロスの方で、バシレイオスはただ怯えて黙っているだけであった。
その後、バシレイオスは主人公から重要な役目を与えられることはなく、現在はニュンフェイオンの宮殿で、妹のエウフロシュネやプルケリアの家族たちと共にひっそりと暮らしている。
<参考能力値>
統率 31 武力 17 政務 45 知謀 39 魅力 40
● ニケフォロス・スグーロス
1224年生まれ。
アレクシオス3世と同盟を結んだレオーン・スグーロスの庶子で、同盟の証しとしてテッサロニケにいたアレクシオス3世に仕えることになった。アレクシオス3世がカイ=クバードの許へ亡命するとこれに従ったが、スグーロスは万一の場合に備え、元皇后エウフロシュネをはじめとするアレクシオス3世の妻子たちをジェノヴァ人に預けるよう手配した。主君アレクシオス3世が主人公に降伏するとスグーロスもこれに従ったが、その後ブロワ伯ルイを欺く謀略を上手くこなしたことで主人公にその才能を評価され、現在は主にトルコ人相手の外交官及び諜報要員として活躍している。
<参考能力値>
統率 71 武力 67 政務 75 知謀 83 魅力 68 神聖術適性 72
現在、 業務の傍らで緑学派の術を学んでいる。
1-2 第2話から登場する人物
● サバス・アシデノス
1208年生まれ。
ビザンティン帝国の衰退に伴い、ミレトスを中心とするサンプソン一帯で独立勢力を築いていたが、マイアンドロス河畔の戦いで主人公が大勝利を収めると、主人公に帰順した。その後は主人公に忠実に仕え、プルサの総督へ転任したほか、息子のニコラス・アシデノス(1229年生まれ)を、ナポリのフェデリーコ2世大学へ留学させている。
<参考能力値>
統率 62 武力 58 政務 74 知謀 69 魅力 65 神聖術適性 66
緑学派の術を勉強中。
● アンドロニコス・ギドス
1211年生まれ。
ビザンティン帝国の軍人で、聖なる都が陥落した後はアドリアヌーポリを拠点にして反乱を起こしたが、アンリに敗れたため、約1000人の兵を率いて主人公に帰順した。主人公の許では弓兵隊の司令官を務めている。
<参考能力値>
統率 71 武力 75 政務 57 知謀 66 魅力 68 神聖術適性 70
青学派の博士号を取得しており、弓攻撃の射程や威力を高める術の第一人者。
● ニケタス・コニアテス
1195年生まれ。
ビザンティン帝国の高名な文人として知られ、宮廷秘書官や大法官などを歴任したほか、フィリッポポリスの総督としてモンゴル軍から町を守り抜いたこともある。聖なる都の陥落後はニケーアの貧民街で暮らし、ローマ帝国の歴史書を執筆する一方、ラテン人に対する呪いの言葉を吐いているところを、テオドラに「変なおじさん」呼ばわりされたこともある。主人公を助ける内宰相候補として招かれるが、質問の内容に関係ない哲学や神学の話ばかりするので主人公に呆れられ、不採用となった。もっとも、その後外国人の家臣たちが数多く登用されたためにギリシア語や神聖術の教師として採用され、現在は歴史書の編纂を続けつつ、それなりの暮らしを送っている。
<参考能力値>
統率 50 武力 33 政務 66 知謀 61 魅力 55 神聖術適性 62
青学派の博士号を取得している。
● ゲオルギオス・アクロポリテス
1217年生まれ。
諸学問に通じた若手の知識人。主人公から三顧の礼をもって迎えられ、帝国の内宰相に任じられた。帝国を発展させるため、主人公から内政に関する全権を委任され、各地を飛び回って活動していたが、最近は少し落ち着いてきて、ニュンフェイオンから内政の指揮を取るようになっている。
<参考能力値>
統率 32 武力 27 政務 105 知謀 78 魅力 72 神聖術適性 65
緑学派の博士号を取得しており、神聖術を農業分野に応用して高い成果を挙げている。
● ゲオルギオス・パキュメレス
1236年生まれ。
アクロポリテスの弟子。まだ10歳を過ぎたばかりの少年であるが、法学をはじめとする諸学問に秀でている。主人公の側近として仕えつつ、学問と政治の現実を学んでいる。主人公と非常に仲が良いため、主人公との同性愛関係が噂されている。
父はテッサロニケの富豪ラザロス、母は教養人のアンソニア。また、バジリアという1242年生まれの妹がいる。
<参考能力値>
統率 50 武力 38 政務 88 知謀 81 魅力 78 神聖術適性 75
青学派の術を勉強中。
まだ未成年の段階でこの能力。かなりの逸材です。
〇 ソフィア・ブラニア
1228年生まれ。
主人公付きのメイド兼秘書。幼少時から、男性有識者並みの英才教育を受け、コンスタンティノス・アクロポリテスに師事したこともある。主人公からその知識と才能を認められてその側近となるが、たまにおかしな言動も見られる。イサキオス帝に謀反を起こして殺された悲運の名将アレクシオス・ブラナスの残した遺腹の庶子で、ラスカリス将軍の養女として育てられるが、ラスカリス将軍の娘で自身の従姉妹にあたるルミーナとは犬猿の仲。神聖術の適性は65しかなく、ルミーナに大きく負けていることを悔しがっている。
<参考能力値>
統率 60 武力 23 政務 105 知謀 101 魅力 72 神聖術適性 65
緑学派の術を勉強中。
〇 ルミーナ・ラスカリナ
1228年生まれ。
ラスカリス将軍の娘で、テオドラ皇女担当の主任侍女を務めているが、主人公を篭絡し玉の輿に乗る機会を虎視眈々と窺っている。学問は得意ではないが、赤学派の術士であり適性も87と結構高い。ただし、術士として活躍したことはまだ無い。
<参考能力値>
統率 55 武力 80 政務 44 知謀 58 魅力 62 神聖術適性 87
赤学派の修士号を取得している。
〇 ソーマ・アンゲリナ
1233年生まれ。
オフェリアとイサキオス帝の娘で、テオドラの侍女を務めている。性格はテオドラの侍女としてはまともで、周囲からは「ソーマちゃん」と呼ばれ可愛がられている。術士としての適性は85だが、活躍の実績はまだない。
<参考能力値>
統率 63 武力 61 政務 67 知謀 65 魅力 90 神聖術適性 85
赤学派の術を勉強中。
〇 テオファノ・アンゲリナ
1233年生まれ。
テオドラの同母妹で、テオドラの侍女では無いがほぼ姉と生活を共にしている。適性91の術士とされているが、聖女ごっこが大好きで、何の効果も無い悪魔祓いの儀式などをやったりしているので、主人公からはただの中二病娘だと思われている。
<参考能力値>
統率 62 武力 61 政務 46 知謀 65 魅力 67 神聖術適性 91
赤学派の術を勉強中。
● イサキオス・ラスカリス
1231年生まれ。
マヌエル・ラスカリス将軍の次男で、兄ほどではないがなかなかの武勇の持ち主。今後、軍人としての活躍が期待されている。
<参考能力値>
統率 71 武力 88 政務 42 知謀 53 魅力 60 神聖術適性 67
青学派の術を勉強中。
● アレクシオス・ラスカリス
1234年生まれ。
マヌエル・ラスカリス将軍の三男で、兄たちと異なり、どちらかと言えば学問を好む。
<参考能力値>
統率 62 武力 66 政務 63 知謀 61 魅力 71 神聖術適性 72
緑学派の術を勉強中。
● ヨハネス・ペトラリファス
1231年生まれ。
スミルナ総督アレクシオス・ローレスの息子で、ビザンティン帝国に帰順したトルコ人の妻子を呼び寄せる仕事に従事するなど、主人公に仕える官僚としてのデビューを果たしている。ヨハネス・カンタクゼノスの長女テオドラとの結婚が決まっている。
<参考能力値>
統率 71 武力 68 政務 76 知謀 81 魅力 65 神聖術適性 70
緑学派の術を勉強中。
● コンスタンティノス・アスパイテス
1236年生まれ。
ニケーア総督バルダス・アスパイテスの息子で、現在主人公の許で修業中。将来は、同名の祖父と同様に高名な軍人になることを目指している。まだ若いながらに、主人公こそが次の皇帝になるべきだと主張している。
<参考能力値>
統率 72 武力 71 政務 56 知謀 61 魅力 73 神聖術適性 74
青学派の術を勉強中。
● ヨハネス・ガバラス
1210年生まれ。
ロードス島で、ヴェネツィア人と同盟を結び半独立勢力を築いていたが、第3話で主人公に降伏した。現在は廷臣の1人として活躍の機会を窺っているが、強欲な性格のため主人公からは忠誠心を疑われている。
<参考能力値>
統率 62 武力 61 政務 75 知謀 69 魅力 55
● ユダ
1235年生まれ。
ニケーア生まれの孤児でスリをしていたが、その素早さを主人公に評価され、暗殺者としての訓練を受けている。最初は軍隊には向かないと思われていたが、最近では次第に打ち解けている。1238年生まれの妹マルティナは、現在ニュンフェイオンの宮廷で育てられている。
<参考能力値>
統率 51 武力 85 政務 22 知謀 78 魅力 52
〇 ダフネ
1236年生まれ。
クマン族の族長バチュマンの娘。まだ十代前半ながら、並外れた騎射の腕を持つ天才少女で、クマン族の弓騎兵隊を率いる将として活躍している。当初はキズラルバスという名前であったが、名前が可愛くないし呼びにくいという理由から、テオドラによりダフネという名を与えられた。大きくなったら主人公の子供を産むと宣言している。青学派で神聖術の修行をしており適性も85と高く、今後更なる活躍が期待されている。
<参考能力値>
統率 84 武力 83 政務 47 知謀 67 魅力 80 神聖術適性 85
青学派の術を勉強中。
● シルギアネス
1215年生まれ。
クマン人弓騎兵隊の副司令官。かつてバチュマンに仕えていたが、バチュマンの死後は族長ダフネの育ての親となった。軍人としてはなかなかの能力の持ち主。
<参考能力値>
統率 81 武力 85 政務 52 知謀 66 魅力 67 神聖術適性 66
青学派の術を勉強中。
● バルダス
1220年生まれ。
ヴァリャーグ近衛隊の隊長で、聖なる都の陥落後、ラスカリス将軍の部隊とはぐれたため一時期別行動を取っていた。皇帝ボードワンへの仕官を求めたが断られたため、弟のベッコスや部下たちと共に主人公の募兵に応じた。第2話では、弟のベッコスと共に小隊長の1人に任命された。
<参考能力値>
統率 52 武力 75 政務 9 知謀 31 魅力 40
● ベッコス
1223年生まれ。
バルダスの弟で、兄と行動を共にしている。兄と共に小隊長の1人に任命された。
<参考能力値>
統率 51 武力 76 政務 22 知謀 36 魅力 46
● イングランド人ジョフロワ
1217年生まれ。
アビュドス伯モンモランシーに雇われた傭兵の隊長であったが、主人公に降伏しその配下となり、部下たちと共にヴァリャーグ近衛隊に編入され、小隊長に任命された。テオドロス・ラスカリスの武勇を知らないため第1回の武闘大会に出場したが、1回戦で敗れた。
<参考能力値>
統率 62 武力 74 政務 28 知謀 36 魅力 55
● ノルマン人ギヨーム
1218年生まれ。
フランス北部ノルマンディー地方に生まれた、ノルマン人の傭兵隊長。アビュドス伯モンモランシーに雇われたが、主人公に降伏し、部下たちと共にヴァリャーグ近衛隊に編入され、小隊長に任命された。ジョフロワと同様に第1回の武闘大会に出場し、1回戦で敗れた。
<参考能力値>
統率 59 武力 75 政務 26 知謀 40 魅力 48
● メンテシェ
1224年生まれ。
トルコ人の武将。ミラス地方の領主フィルズ・ベイの従兄弟にあたるが、フィルズ・ベイが父のイブラヒムを殺害したことから、復讐のためビザンティン帝国に帰順し、アフロディスアスの戦いでフィルズ・ベイを討ち取った。その後は、主人公の配下としてトルコ人槍兵隊「ムハンマド常勝隊」の編成と訓練に当たっている。
<参考能力値>
統率 81 武力 83 政務 52 知謀 61 魅力 65 神聖術適性 70
緑学派の術を勉強中。
● ヒジール・ベイ
1216年生まれ。
トルコ人の小豪族でスルタンに仕えていたが、ミラス陥落の報を聞くと主人公に帰順した。主人公の許ではジャラールの副将を務め、有能だがまだ若いジャラールを軍事面で補佐している。
<参考能力値>
統率 71 武力 73 政務 39 知謀 51 魅力 62
● ジャラールッディーン・イブン・メングベルディー(ジャラール)
1231年生まれ。
モンゴル軍の侵攻に果敢に抵抗した、最後のホラズム王ジャラールの息子。主人公に寝返ってビザンティン帝国の将となり、カイ=ホスロー2世を討ち取った。トルコ人弓騎兵隊の司令官を務めると共に、自らも軍人としての訓練を重ねている。
<参考能力値>
統率 85 武力 93 政務 47 知謀 69 魅力 75 神聖術適性 77
青学派の術を勉強中。
● シハーブッディーン・ムハンマド・アン=ナサウィー(ナサウィー)
1210年生まれ。
ホラズム王ジャラールに仕えていた従者の1人。ジャラール王がクルド人の手によって暗殺されると、アジアの地で潜伏し、ジャラール王の伝記を書きつつ、他の従者たちと共に、ジャラール王の死後に生まれた息子を「ジャラールの息子」と名付け、大切に育ててきた。ジャラールと共に主人公の配下となったが、その後はビザンティン帝国に帰順したトルコ人の家族たちを呼び寄せるなど文官としての仕事が多くなり、その一方でジャラール王に関する伝記の仕上げをしている。
<参考能力値>
統率 58 武力 51 政務 75 知謀 72 魅力 68
1-3 第3話から登場する人物
● チャンダルル・ハリル
1205年生まれ。
ルーム・セルジューク朝に仕えていたイスラム法学者(ウラマー)で、アフロディスアスの戦いで捕虜となったが、イスラム教徒の家臣が多くなった主人公の意向により、政治顧問として雇われることになった。法学のみならず、イスラム発祥の諸学問に通じている碩学。
<基本能力値>
統率 33 武力 25 政務 88 知謀 81 魅力 75
● ヨハネス・コムネノス・マウロゾメス
1207年生まれ。
祖父の代からルーム・セルジューク朝に仕えていたが、カイ=ホスロー2世死後の混乱があまりにもひどいため、主人公に帰順した。ギリシア語、トルコ語、ペルシア語、アラビア語などに通じており、トルコの要人にも伝手があるということで、主人公の許ではニケフォロス・スグーロスを助け、トルコ人相手の調略を担当している。
<基本能力値>
統率 35 武力 31 政務 73 知謀 71 魅力 56
● エルトゥルル・ベイ
1198年生まれ。
トルコ系カユ部族の族長。父のスレイマン・シャーはホラズム王国に仕えていたが、モンゴル軍の侵入から逃れて小アジアの地に移動する途中、川で溺れて絶命した。その跡を継いだエルトゥルルは、カイ=クバードからビザンティン帝国との国境地帯にあるソユトの地を与えられ一族と共に暮らしていたが、主人公の誘いを受け、紆余曲折の末にビザンティン帝国ではなく主人公個人の配下となった。トルコ人の間でも武名は高いが、頑固者としても知られている。
<基本能力値>
統率 82 武力 76 政務 72 知謀 76 魅力 75
● オスマン
1228年生まれ。
エルトゥルル・ベイの7男。気さくな性格で、主人公ともすぐ友達になった。父のエルトゥルルが主人公に帰順すると、留学も兼ねて主人公の許で軍人として仕えることになるが、他の将校たちともすぐに仲良くなった。主人公からは、さすが史実ではオスマン帝国の開祖となった人物となっただけのことはあり、大物だと評価されている。
<基本能力値>
統率 90 武力 88 政務 76 知謀 82 魅力 95 神聖術適性 76
緑学派の術を勉強中。
● ヨハネス・プレミュデス
1227年生まれ。
ニケフォロス・プレミュデスの息子。父と同様医学などの諸学問に通じている。主人公とアクロポリテス内宰相の意向で、サレルノ医学校へ留学することになった。
<基本能力値>
統率 35 武力 28 政務 80 知謀 76 魅力 70 神聖術適性 73
緑学派の博士号を取得している。
● ニコラス・アシデノス
1229年生まれ。
サバス・アシデノスの息子で、法学を学ぶためナポリのフェデリーコ2世大学に留学することになった。
<基本能力値>
統率 65 武力 59 政務 72 知謀 70 魅力 64 神聖術適性 67
青学派の術を勉強中。
第2 ラテン帝国関係(ローマ教皇関係者を含む)
● 皇帝ボードワン1世
1212年~1245年
元フランドル伯だが、十字軍に参加して諸侯の1人になる。聖なる都を征服した後、ヴェネツィアの支持を受けて皇帝となるが、皇帝としての統治能力は乏しく、ブルガリア王カロヤンとの戦いで敗北し、その後汚名返上のためニケーアに攻め込むも、第2次ニケーア湖畔の戦いで、テオドラのエクスプロージョンの直撃を受け討ち取られた。
<参考能力値>
統率 57 武力 89 政務 17 知謀 33 魅力 42
● ブロワ伯ルイ
1214年~1245年
十字軍に参加した諸侯の1人で、皇帝ボードワンによりニケーア伯に任じられたが、ニケーア湖畔の戦いで主人公の囮作戦に引っ掛かって惨敗する。その後、マイアンドロス河畔の戦いで皇帝アンリから援軍の将として派遣されるも、主人公の罠にはまり、ネアルコス率いるファランクス隊によってなぶり殺しにされた。
<参考能力値>
統率 52 武力 86 政務 24 知謀 17 魅力 45
● 皇帝アンリ・ド・エノー
1217年生まれ。
聖なる都を占拠しているラテン人の皇帝。ラテン人の中では珍しく頭の切れる有能な人物であり、兄の戦死後その後を継いでラテン帝国の皇帝に即位し、地元のギリシア人を登用するなどして勢力を立て直した。現在ビザンティン帝国とは不可侵条約を結んでいるが、主人公は密かに彼を陥れようと企んでいる。
<参考能力値>
統率 85 武力 89 政務 78 知謀 76 魅力 83
● ジョフロワ・ド・ヴィラルドワン
1208年生まれ。
シャンパーニュ伯の家令で、実質的に伯領を支配していた実力者。テッサロニケ王ボニファッチョの封臣としてアカイア公に任じられ、皇帝アンリからラテン帝国の宰相に任命された。十字軍による聖なる都の劫略を正当化するため、『コンスタンティノープル征服記』という誇張の多い歴史書を書き残している。
<参考能力値>
統率 81 武力 82 政務 72 知謀 81 魅力 75
※ ジョフロワ・ド・ヴィラルドワンに関する記述には、一部誤りがあります。詳細は、第5話後編の第19章を参照してください。
● テッサロニケ王ボニファッチョ
1190年~1247年
元モンフェラート侯で、十字軍の総大将を務めた。聖なる都の征服後は皇帝になると思われており、本人もそのつもりでイサキオス帝の皇后マルギトを妃としていたが、ヴェネツィアの謀略で帝位を逃がし、テッサロニケ王に落ち着いた。皇帝アンリと和解したが、ブルガリア王カロヤンと戦って罠にはまり、戦死した。
<参考能力値>
統率 71 武力 85 政務 33 知謀 47 魅力 61
● テオドロス・ブラナス
1210年生まれ。
有力な軍事家門ブラナス家の出身で、悲運の名将アレクシオス・ブラナスの息子。父の仇を取るため、アレクシオス・アンゲロスを唆してクーデターを起こさせ、イサキオス帝を廃位させた。その後は皇帝アレクシオス3世などに仕え軍部の要職に就くも、聖なる都が陥落すると領地に引き篭もった。一時期アンドロニコス帝の皇后だった、フランス王フィリップ2世の庶子アニェス(1212年生まれ)と恋仲にあり、聖なる都の陥落後は正式にアニェスを妻とした。その縁で皇帝アンリに仕え、妻と共にアドリアヌーポリを統治しているが、ギリシア人の間では妻と共に裏切り者呼ばわりされている。慎重な性格で、テオドラとの決闘では勝ち目がないと悟ると、戦わずに負けを認めた。
<参考能力値>
統率 80 武力 75 政務 66 知謀 78 魅力 61 神聖術適性 78
青学派の博士号を取得している。
● コンスタンティノス・パレオロゴス
1231年生まれ。
アンドロニコス・パレオロゴスの末子として生まれ、父と兄ミカエル、ヨハネスは聖なる都の防衛戦で戦死したが、コンスタンティノスは未成年であったため参戦せず生き残った。もっとも、ラテン皇帝アンリの前に屈服を余儀なくされ、アンリの配下としてガリポリを治めているが、既に主人公への内通を約束している。
統率 81 武力 69 政務 85 知謀 78 魅力 80 神聖術適性 77
青学派の博士号を取得している。
● サン・ポル伯ユーグ
1205年~1245年
十字軍に参加した諸侯の1人で、第2次ニケーア湖畔の戦いにも参加していたが、主君のボードワンが戦死すると、ユーグは敗走する途中、追撃してきたテオドラに炎の剣で倒された。
<参考能力値>
統率 56 武力 82 政務 12 知謀 38 魅力 55
● ペルシュ伯エティエンヌ
1202年~1245年
十字軍に参加した諸侯の1人。ブルガリア王カロヤンとの戦いで戦死した。
<参考能力値>
統率 53 武力 83 政務 20 知謀 35 魅力 48
● マチウ・ド・モンモランシー
1208年~1246年
十字軍に参加した諸侯の1人。皇帝ボードワンによってアビュドスの地を与えられアビュドス伯を名乗ったが、皇帝アンリによるビザンティン帝国との不可侵条約には不満で、主人公がグリマルディ家との海戦に臨んだと聞くと、これを好機と勘違いしてキジコス方面に攻め込んだ。しかし、移動拠点を使って素早く対応した主人公にアドラミティオンの戦いで完全勝利を献上する。捕虜となっても尊大な態度を崩さなかったため、怒った主人公により『五刑』と称される凄惨ななぶり殺しの刑に処せられた。アビュドスの領地は主人公に奪われ、モンモランシーの部下で生き残った兵士たちは、モンモランシーのあまりに凄惨な処刑に怯え、主人公への降伏を受け容れた。
<参考能力値>
統率 55 武力 81 政務 33 知謀 42 魅力 51
● シモン・ド・モンフォール
1208年生まれ。
イングランドのレスター伯としてヘンリー3世に仕え、モンフェラート侯ボニファッチョ率いる十字軍に参加した。ラスカリス将軍は彼のことを単なる雑魚だと思っていたが、シモンはもともと聖なる都への攻撃に反対しており、そのためにあまり敢闘しなかっただけであった。聖なる都が陥落すると、皇帝ボードワンへの忠誠を拒否し、領地の代わりに莫大な戦利品を持ってイングランドに帰還し、イングランドでは十字軍戦士として英雄視されるようになった。
なお、彼は史実のイングランドにおいて、ヘンリー3世に反抗して有名な「シモン・ド・モンフォールの議会」を召集し、一時は国王ヘンリー3世を逮捕してイングランドの実質的支配者となり、後世にも国王の不当な権力に反抗する闘士としてイギリス史に名を残した同名の人物に相当する。
<参考能力値>
統率 81 武力 75 政務 82 知謀 83 魅力 82
● トマソ・モロシーニ
1210年生まれ。
ラテン帝国の初代総主教。ヴェネツィア出身。皇帝アンリの対ローマ人融和政策に理解を示していたが、ローマ教皇から派遣された特使の怒りを買い、総主教を解任された。現在も聖なる都に残り、皇帝アンリの政務を助けている。
<参考能力値>
統率 75 武力 71 政務 62 知謀 70 魅力 58
● オットボノ・フィエスキ
1210年生まれ。
ローマ教皇インノケンティウス4世の甥で、叔父によって枢機卿に叙された。教皇特使として聖なる都に赴き、住民のカトリックへの改宗が進んでいないことに立腹し、特使としての権限で総主教トマソ・モロシーニを解任し、自ら後任の総主教となった。もっとも、聖なる都の住民からは、カトリックの信仰を強制する上に、傲慢で貪欲な人物であるため、蛇蝎のように嫌われている。史実では、1276年に教皇ハドリアヌス5世としてローマ教皇に就任したが、在位約1か月で死去している(ただし、この物語でもローマ教皇に就任できるとは限らない)。
● ローマ教皇インノケンティウス4世
1195年生まれ。
本名はシニバルド・フィエスキといい、ジェノヴァの有力家門フィエスキ家の出身。1243年からローマ教皇に就任。皇帝フリードリヒ2世と対立し、フランス国内のクリュニー修道院に身を寄せつつ、様々な策略を巡らせてフリードリヒ2世に抵抗を続けているほか、教皇の権威を高めるため、各地で精力的な外交活動を展開し、ブルガリアやロシア諸侯、モンゴル帝国との交渉も行っている。皇帝アンリが正教に改宗しようとしているとの噂を聞くと、甥のオットボノ・フィエスキを特使として聖なる都に派遣し、破門をちらつかせてカトリックへの改宗政策を継続するよう強く要求した。
● テッサロニケ王デメトリオ
1246年生まれ。
テッサロニケ王ボニファッチョと、元イサキオス2世の皇后マルギトとの間に生まれた息子。父の死により、幼少の身でテッサロニケの王位を継ぐことになり、皇帝アンリや母マルギトの後見を受けている。
● グリエルモ
1222年生まれ。
テッサロニケ王ボニファッチョの息子。テッサロニケの対立王に擁立されている。
<参考能力値>
統率 55 武力 76 政務 34 知謀 49 魅力 44
● ウンベルト・デ・ビアンドラーテ
1210年生まれ。
ロンバルディアの出身で、テッサロニケ王ボニファッチョに仕えていたが、ボニファッチョの戦死後はグリエルモをテッサロニケの対立王に擁立し、デメトリオや皇帝アンリと争っている。
<参考能力値>
統率 65 武力 80 政務 43 知謀 55 魅力 57
● ジョヴァンニ・ダ・パルマ
1205年生まれ。
托鉢修道会の一派フランチェスコ会のリーダー。他のラテン人聖職者と違って、清貧の生活を送り性格も謙虚。東西教会の分裂を憂慮すべき事態と考え、その解決へ向けて宗教会議の開催を求めるなどの外交的努力を続けている。
第3 ヴェネツィア共和国関係
● エンリコ・ダンドロ
1150~1245年。
ヴェネツィア共和国の元首で、十字軍による聖なる都の劫略を陰で操った稀代の策士。ただし、ラテン帝国の成立後大往生を遂げ、偉大な元首を失ったヴェネツィアは、その後混乱状態に陥った。
<参考能力値>
統率 90 武力 21 政務 78 知謀 102 魅力 93
● ラニエリ・ダンドロ
1180年生まれ。
エンリコ・ダンドロの息子。父の遠征中、ヴェネツィアで父の代理を務めていたが、父の死後は元首の世襲化に反対する声に配慮して、自ら元首の座を辞退した。ロードスの和約ではヴェネツィア側の全権大使を務めた。
<参考能力値>
統率 78 武力 55 政務 76 知謀 82 魅力 76
● ヤコポ・ティエポロ
1202年生まれ。
ヴェネツィアの名門貴族出身。エンリコ・ダンドロの死後、ヴェネツィア共和国の元首に選ばれたが、前任者ほどの才能はなく、ジェノヴァ人やピサ人の海賊行為に苦しめられ、更にエジプト行きの大船団がテオドラにより殲滅され、交易の重要拠点であるロードス島も奪取されてしまったことから、ロードスの和約では大幅な譲歩を余儀なくされたことから、責任を取って1246年に元首を辞任した。
<参考能力値>
統率 67 武力 62 政務 70 知謀 61 魅力 62
● マリーノ・モロシーニ
1205年生まれ。
辞任したティエポロに代わり、ヴェネツィア共和国の元首に選ばれた。ヴェネツィアの商業や海軍の復興に尽力する一方、主人公の台頭に対抗するため、テオドロス・コムネノス・ドゥーカス率いるエピロス専制公国を強力に支援するなど、様々な策略を巡らせている。
<参考能力値>
統率 75 武力 71 政務 82 知謀 85 魅力 77
第4 ルーム・セルジューク朝関係
● カイ=クバード
1188~1245年
トルコ人の国ことルーム・セルジューク朝のスルタンで、カイ=ホスロー1世の息子。ホラズム王ジャラールや、アイユーブ朝との抗争を有利に進め、内政面でも国内の経済や文化の振興に力を入れ、ルーム・セルジューク朝の全盛期を築いた名君であったが、マイアンドロス河畔の戦いで主人公と戦う際、神聖術に詳しくないためテオドラとプルケリアとの戦いで暴風雨が発生することを予期できず、暴風雨に巻き込まれ不運の事故死を遂げてしまった。彼の死後、ルーム・セルジューク朝は急速に衰退することになる。
<参考能力値>
統率 87 武力 75 政務 82 知謀 83 魅力 85
● カイ=ホスロー2世
1210~1246年
カイ=クバードの息子。父の死によりスルタンの位を継いだが、即位後間もなくバイジュ・ノヤン率いるモンゴル軍の侵攻を受け、モンゴルの属国となることを余儀なくされる。さらに、配下のフィルズ・ベイが領土を主人公に奪われ逃げ込んできたことから、大軍をかき集めて主人公の討伐に向かうも、弱気な主人公を侮って警戒を怠り、アフロディスアスの戦いで敗死した。
<参考能力値>
統率 56 武力 57 政務 48 知謀 41 魅力 52
● フィルズ・ベイ
1225~1246年
ミラス地方の領主であったが、長い間叔父のイブラヒムに政治の実権を握られ、イブラヒムがビザンティン帝国に寝返ろうとしているという噂が広がると、これを口実に邪魔なイブラヒムを粛清しようとして失敗し、イブラヒムとの内戦に突入する。イブラヒムは何とか暗殺したが、イブラヒムの一党はその息子メンテシェと共に主人公の許へ投降してしまい、残された手勢だけでは抵抗できないため、主君であるカイ=ホスロー2世の許へ逃げ込み救援を求めた。
カイ=ホスロー2世が主人公打倒の兵を挙げると、フィルズ・ベイも配下の兵を率いてこれに参戦するが、戦いに勝ってもミラスの領地を自分に返還する気が無いことを知るとカイ=ホスローと対立し、結局アフロディスアスの戦いでメンテシェに討ち取られた。
<参考能力値>
統率 61 武力 62 政務 38 知謀 24 魅力 43
● カイ=カーウス
1230年生まれ。
カイ=ホスロー2世の長男。父の死によりスルタンの位を継ぐが、実権はモンゴル帝国から派遣されてきたイスファハーニーに握られ、弟たちとも対立している。
<参考能力値>
統率 51 武力 47 政務 49 知謀 43 魅力 55
● クルチ=アルスラーン
1232年生まれ。
カイ=カーウスの弟。兄と共同でスルタンの位に就いたが、スルタン位の奪取とイスファハーニーの排除を企んでいる。
<参考能力値>
統率 61 武力 58 政務 57 知謀 71 魅力 58
● カイ=クバード
1233年生まれ。
カイ=カーウスの弟で、兄たちと共同でスルタンの位に就いたが、兄たちと対立している。
<参考能力値>
統率 58 武力 53 政務 41 知謀 49 魅力 50
● シャムス・アッディーン・ムハンマド・イスファハーニー
1212年生まれ。
ペルシア人の文官でモンゴル帝国に仕え、モンゴル帝国から小アジア担当の代官として送り込まれた。ルーム・セルジューク朝の実質的な宰相となり、モンゴル軍の力を傘に来て横暴の限りを尽くしている。
<参考能力値>
統率 23 武力 21 政務 67 知謀 63 魅力 32
第5 西ローマ帝国(神聖ローマ帝国)関係
● 皇帝フリードリヒ2世
1194年生まれ。
西ローマ皇帝ハインリヒ6世と、シチリア王女コンスタンツェとの間に生まれた。幼い頃からパレルモで育ち、ラテン語・ギリシア語・アラビア語など多くの言語を習得し、学問でも武術でも高い才能を示した。4歳でシチリア王となり、1220年にローマ皇帝として戴冠した。1229年には外交交渉でエルサレムの奪還に成功するが、自分の後見人だったローマ教皇インノケンティウス3世の亡き後は、ローマ教皇に反抗的な姿勢を示したため、何度も破門されローマ教皇と対立することになった。
戦争の場でもかなりの才能を発揮したが、内政面では史上初の憲法『メルフィ憲章』を制定するなど、法に基づく統治体制を固めていた。主人公と意気投合し、自分の死後帝国に万一のことがあったときは、帝国を主人公に委ねる旨の秘密文書を書き残している。
<参考能力値>
統率 90 武力 76 政務 105 知謀 120 魅力 85
なお、主人公が連呼している「知謀100」というのは、能力値の上限が100である某ゲーム内の話。
● 大司教べラルド
1178年生まれ。
パレルモの大司教を務め、長きにわたり皇帝フリードリヒ2世の治世を支えてきた人物。フリードリヒ2世がローマ教皇から破門されても、その忠誠を曲げることはなかった。
<参考能力値>
統率 40 武力 17 政務 81 知謀 77 魅力 75
● ピエロ・デレ・ヴィーニェ
1190年生まれ。
カプア生まれ。身分は低かったが、ボローニャ大学の法学部を優秀な成績で卒業した後、法学に通じた人物として大司教べラルドによってフリードリヒ2世に推薦され、徐々に頭角を現してきた。現在ではフリードリヒ2世の宰相を務めている。抜群の能吏ではあるが、外交使節の仕事は苦手。
<参考能力値>
統率 25 武力 21 政務 88 知謀 57 魅力 51
● スコット・デレ・ヴィーニェ
1230年生まれ。
ピエロ・デレ・ヴィーニェの末子。パレルモに到着した主人公一行の接待係を務め、その後ビザンティン帝国に留学生として送られることになった。まだ若いが結構な切れ者。
<参考能力値>
統率 52 武力 44 政務 82 知謀 71 魅力 67
● ロレンツォ・モンテネーロ
1215年生まれ。
フリードリヒ2世に仕える若手の法律家で、ピエロ・デレ・ヴィーニェの高弟。フリードリヒ2世の命により、ニュンフェイオンへ駐在大使として派遣され、外交任務と合わせて主人公の法典整備事業に協力することになった。
<参考能力値>
統率 28 武力 25 政務 85 知謀 68 魅力 64
● コンラド皇子
1228年生まれ。
フリードリヒ2世にとって数少ない嫡出の男子。後継者に指名されているが、病弱で父から行く末を心配されている。
<参考能力値>
統率 62 武力 33 政務 59 知謀 53 魅力 60
● エンツォ皇子
1220年生まれ。
フリードリヒ2世の庶子で、父からは最も信頼されていた。軍人として北イタリア(ロンバルディア)の征服を指揮している。
<参考能力値>
統率 81 武力 72 政務 75 知謀 76 魅力 80
● マンフレディ皇子
1232年生まれ。
フリードリヒ2世の庶子。母が最愛の愛人、ビアンカ・ランチアであったため、父からは可愛がられている。
<参考能力値>
統率 61 武力 55 政務 70 知謀 59 魅力 63
〇 コンスタンツェ
1245年生まれ。
フリードリヒとビアンカ・ランチアとの間に生まれた娘。父の意向により、早くもビザンティン帝国に嫁ぐことが決まっている。
第6 ビザンティン世界における他の登場人物(猫を含む)
● ブルガリア王カロヤン・アセン
1208年~1247年
ブルガリアの王。ラテン人の軍と戦ってアンリの兄ボードワンを破り、テッサロニケ王ボニファッチョも討ち取ったが、自ら『ローマ人殺し』を自称し、ローマ人に対しても暴虐の限りを尽くしているため、間接的にラテン人を助けてしまうことになった。第3話で、カロヤンが何者かに暗殺されたとの報が主人公の許に入っている。
<参考能力値>
統率 90 武力 88 政務 47 知謀 72 魅力 55
● フルコーネ・ザッカリア
1214年生まれ。
ジェノヴァ共和国の軍人、政治家かつ大商人で、ジェノヴァ本国政府とビザンティン帝国との連絡係を務めている。
<参考能力値>
統率 78 武力 75 政務 82 知謀 83 魅力 72
● レオーン・スグーロス
1204年生まれ。
ビザンティン帝国に仕えていたが、イサキオス帝の時代に反乱を起こして皇帝を名乗り、ペロポネソス半島一帯を手中に収めていた。帝位を負われたアレクシオス3世と同盟を結び、その証として息子のニケフォロス・スグーロスをアレクシオス3世に仕えさせるが、その後ラテン人の軍勢に攻められ、現在はアクロコリントスの城塞に籠城している。
<参考能力値>
統率 67 武力 62 政務 68 知謀 69 魅力 65
● ミカエル・コムネノス・ドゥーカス
1206年~1246年。
イサキオス帝の従兄弟にあたる人物で、ミレトス地方で反乱を起こして失敗し、聖なる都の陥落後は、西方のアルタで挙兵したものの、アンリの前に屈服を余儀なくされた。その後、何者かの手によって暗殺され、異母弟のテオドロスが跡を継いだ。
<参考能力値>
統率 61 武力 57 政務 67 知謀 68 魅力 60
● テオドロス・コムネノス・ドゥーカス
1211年生まれ。
ミカエル・コムネノス・ドゥーカスの異母弟。兄のミカエルが暗殺されると後を継ぎ、ラテン帝国の衰退に乗じて、ヴェネツィアの支援を受けてエピロスに独立政権を築いた。野心的で有能な人物と伝えられている。
<参考能力値>
統率 81 武力 75 政務 78 知謀 69 魅力 75
● ゲオルギオス・ムザロン
1206年生まれ。
イサキオス2世の時代からビザンティンの宮廷に仕え、イサキオス2世やアレクシオス3世などの歴代皇帝に、数々の阿漕な金策を提案して取り入っていた。ニケフォロス・プレミュデスをはじめとする知識人たちは、彼を佞臣としてひどく嫌っている。聖なる都が陥落した後の消息は不明。
<参考能力値>
統率 21 武力 24 政務 57 知謀 82 魅力 34
● ヨハネス・アンゲロス
1233年生まれ。
皇帝イサキオス2世の三男だが、現在は行方不明。おそらく死んだものと推定されている。
● ドラゴン(個別名なし)
生年不詳。
幼年期に群れから離れ、ソユト近くの洞窟に棲みついていたが、主人公の説得で洞窟を離れ、イレーネから教えられた生まれ故郷に帰って行った。
● バイジュ・ノヤン
1208年生まれ。
モンゴル帝国の軍人で、チンギス=ハーンに仕えた名将ジェベの同族にあたる。大軍を率いてルーム・セルジューク朝に攻め込み、同国を属国化した。モンゴル恐怖症の主人公は、彼とは決して戦いたくないと思っている。
<参考能力値>
統率 93 武力 91 政務 47 知謀 58 魅力 62
● グユク=ハーン
1206年生まれ。
モンゴル帝国の第3代ハーンで、第2代オゴタイ=ハーンの長男にあたる。1241年に父が亡くなると、次代のハーン選出をめぐってモンゴル帝国内は分裂し、母后トレゲネの支持を受けて1246年にようやくハーンに即位したが、従兄弟のバトゥと対立している。なお、父のオゴタイはグユクではなく、グユクの甥にあたるシレムンを後継者に指名しており、それもグユクの求心力を弱める一因となった。
<参考能力値>
統率 71 武力 69 政務 72 知謀 64 魅力 69
● バトゥ
1207年生まれ。
チンギス=ハーンの長男ジュチの次男で、ジョチ=ウルスの家督を継いだ。オゴタイ=ハーンの命により大西征の総司令官を務め、ヴォルガ・ブルガール族、クマン族、ロシア諸侯などを次々と打ち破り、ヨーロッパ全土を恐怖のどん底に陥れた。オゴタイ=ハーンの息子グユクとは、大西征の際自分の軍令に従わなかったこともあって仲が悪く、トゥルイ家の跡継ぎであるモンケと同盟してグユクと争っている。
<参考能力値>
統率 110 武力 107 政務 92 知謀 96 魅力 92
● モンケ
1209年生まれ。
チンギス=ハーンの四男トゥルイの長男で、トゥルイ家の家督を継いだ。モンゴルにおける末子相続の風習から、トゥルイ家はモンゴル帝国内でも最大の勢力を誇っており、モンケ自身も金の名称完顔陳和尚を破り、バトゥの大西征にも副司令として同行するなど、高い軍事的才能を示していた。現在、バトゥと同盟してグユク=ハーンと争っており、バトゥとの密約では、グユクの打倒後は自分がハーンに就任することになっている。
<参考能力値>
統率 101 武力 93 政務 99 知謀 97 魅力 95
● フランス王ルイ9世
1214年生まれ。
フランス王ルイ8世の息子で、父王の死により12歳で王位を継いだ。15歳で結婚した王妃マルグリットとは仲が良く、国王にしては珍しく愛人を作ることもなく、高潔で敬虔な国王として知られている。基本的に争いを好まず、内政に力を入れヨーロッパの調停者として名声を博しており、早くも聖王との呼び声も高いが、母后ブランシュとマルグリット王妃との対立に悩まされる一面もある。マルグリットとの間には既に二男二女がおり、弟にはアルトワ伯ロベール(1216年生まれ)、ポワトゥー伯アルフォンス(1220年生まれ)、アンジュー伯シャルル(1226年生まれ)がいる。現在エジプトを目標とした十字軍を起こしている。
<参考能力値>
統率 74 武力 68 政務 82 知謀 69 魅力 93
● ライアン
主人公の私室で飼われている、ネズミ捕り用のオス猫。宮殿内ではボス猫として君臨しており、ネズミ捕りの仕事と子作りに精を出している。なお、名前は主人公が付けたもので、小川泰弘投手のあだ名に由来する。
〇 バーネット
主人公の私室で飼われているネス猫。名前は、元ヤクルトで守護神として活躍したトニー・バーネット投手に由来している。子猫を次々と産んでいる。最初に産んだ5匹の子猫たちは、マリアがオスをジュリーとハリー、メスをミーシャ、シェリー、イーリスと名付けている。
〇 レオーネ
テオドラの飼い猫。主人公より自分の方が偉いと思っている。
第7 日本における登場人物・主な関連人物
● 榊原康史
主人公の父親。江南高校から東京大学法学部に進学し弁護士となったが、妻・美雪の死後に弁護士を辞めて、現在では不動産業などを営んでいる。1人息子である主人公を溺愛する一方、小さい頃から主人公に独自の英才教育を施しており、主人公の歴史好き、歴史SLG好き、エレクトーンプレイヤー、中島みゆきファン、ヤクルトファンといった趣味や特技は、彼の影響によるところが大きい。読売ジャイアンツと法科大学院が大嫌い。
なお、作者自身とは全くの無関係である。
〇 湯川美沙
主人公のクラスメイト。席替えで主人公と隣の席になった。外見や喋り方はマリアとそっくり。勉強について行けず、友達が出来ないなどの悩みを抱えている。
〇 中崎凛香
主人公の所属する1年2組のクラス委員長。眼鏡を掛けているが、主人公からは育ちが良いお嬢様風の美少女として認識されている。クラスメイト間の相互交流を深めるため、席替えを実行した。
〇 宍戸先生
1年2組の担任講師で、担当は英語。若い美人教師として男子生徒から人気があるが、下の名前は主人公も知らない。
〇 ウラン
日本における主人公の飼い猫。体重10キロ近くもある巨大猫だが、臆病でネズミを見ると逃げ出してしまう。名前はウラジミール・バレンティン選手の名前をもじったもので、バレンティン選手が活躍すると主人公や父の康史から煮干しをもらえる。
(以下はおまけです)
〇 中島みゆき
日本を代表するシンガーソングライターの1人で、本名は中島美雪。1970年代の『わかれうた』、1980年代の『悪女』、1990年代の『空と君のあいだに』『旅人のうた』、2000年代の『地上の星』と、自ら歌手としても4つの年代でオリコン1位を獲得するなど、非常に息の長い活躍をしているほか、他の歌手にも多くの楽曲を提供して数多くのヒット曲、名曲を生み出した。代表作としては上記のほか『時代』『世情』『糸』などが特に有名で、近年でもTOKIOに提供した『宙船』、ももいろクローバーZに提供した『泣いてもいいんだよ』がオリコン1位を獲得している。2009年に紫綬褒章を受章している。ラジオパーソナリティとしても、独特の語り口で人気を博している。
主人公は、両親の影響で中島みゆきの歌に深く傾倒しており、彼女のことを『中島みゆき様』と呼んで神の如く崇めており、ビザンティン世界でも暇さえあれば中島みゆきの歌を口ずさんでいることから、これが周囲の人々にも感染している。もっとも、主人公は中学生の頃、国語の教科書に中島みゆきの『永久欠番』の歌詞が教科書に載っているのを見て大喜びし、授業中に先生から「この歌知っている人いますか?」と聞かれると率先して手を挙げ、その場で『永久欠番』をフルコーラスかつみゆき節全開で歌ってしまい、以後クラスメイトから『永久欠番』というあだ名を付けられて散々からかわれたという苦い経験があるため、高校ではなるべく目立たないよう自重している。
● ロベルト・ペタジーニ
ベネズエラ出身の元プロ野球選手。1999年から2002年までヤクルトスワローズに在籍して2度の本塁打王などを記録するなどヤクルト打線の主砲として活躍し、主人公の父・榊原康史など古くからのヤクルトファンにとっては、伝説の助っ人外国人選手として今でも記憶に残る存在である。もっとも、2003年に読売ジャイアンツに移籍すると、ヤクルトファンから凄まじいブーイングを浴び、故障にも悩まされて以前のような活躍が出来なくなり、様々な球団を転々とした後、2010年を最後に現役引退した。
主人公の父榊原康史は、自分の飼い猫にロベルトと名付けていたこともあって、ペタジーニ選手を強奪した読売ジャイアンツをひどく憎むようになった。
なお、ヤクルトファンの間では、ベネズエラ出身のペタジーニ選手が打席に立つとき、ベネズエラ国歌のフレーズで「ここまで飛ばせロベルト~、ホームランホームランペタジーニ~」と歌うのが慣例となっており、この慣例は2001年に入団した、同じベネズエラ出身のラミレス選手にも適用された。その後、2017年に途中入団したベネズエラ出身のカルロス・リベロ選手にも同じ慣例が適用されたが、ペタジーニ選手やラミレス選手の時代を知らない、若い世代のヤクルトファンから「わからない」という声が挙がったため、現在ではベネズエラ出身であるか否かにかかわらず、外国人野手汎用の応援歌に同じ慣例が適用されることになった。
● アレックス・ラミレス
ベネズエラ出身の元プロ野球選手。2001年から2007年までヤクルトスワローズに在籍し、安定した打撃でチームの主砲を担った。ペタジーニ選手と共に、古くからのヤクルトファンの間では伝説の助っ人として名を残しているほか、寡黙な性格だったペタジーニ選手と異なり、「ラミちゃんぺっ、アイーン、ゲッツ」などといった、お笑い芸人をリスペクトしたパフォーマンスでも人気を博していた。
ペタジーニ選手と同様、ラミレス選手も2008年から読売ジャイアンツに移籍したが、この年には前年ヤクルトで最多勝利投手のタイトルを獲得したセス・グライシンガー投手も読売ジャイアンツに移籍したため、当時のヤクルトファンは「読売にエースこと4番を一度に強奪された」と怒りの声を挙げることになり、主人公の父榊原康史は、自分の飼い猫にアレックスと名付けていたこともあり、読売ジャイアンツを更に憎むようになった。主人公自身も父の影響で、読売ジャイアンツを親の仇のように憎んでいる。
なお、ラミレス選手は2013年まで日本で現役のプロ野球選手として活躍し、2015年からは横浜DeNAベイスターズの監督を務めている。
● ウラジミール・バレンティン
オランダ領キュラソー島出身のプロ野球選手で、2011年から東京ヤクルトスワローズに在籍している。長打力に優れた外野手で、過去3度にわたり本塁打王のタイトルを獲得しており、特に2013年には、日本球界最高のシーズン60本塁打を記録している。頭の形がココナッツに似ていることから「ココ」の愛称でも親しまれており、主人公は拾ってきた猫に名前を付けるにあたり、自分で考えた「ウラン」と名付けるか、父に提案された「ココ」と名付けるか迷った挙句、結局ウランの方が可愛いと思ったのでウランに決めたという経緯がある。
バレンティン選手については、FA権取得まで球団の許可なく日本国内の他球団に移籍してはならないという契約条項が結ばれているところ、2019年にFA権を取得する見込みであるため、主人公はバレンティン選手がかつてのペタジーニ選手やラミレス選手と同様、翌年には読売ジャイアンツに強奪されてしまうのではないかと恐れている。
● 高津臣吾
日本の元プロ野球選手。主にヤクルトスワローズで抑え投手として活躍し、4度にわたり最優秀救援投手のタイトルを獲得し、日本のプロ野球界では歴代2位となる通算286セーブを記録した。2017年からは東京ヤクルトの2軍監督を務めている。サイドスローの投法と、野村克也監督(当時)に習得を命じられた、速いシンカーと遅いシンカーを投げ分ける巧みな投球術が大きな特徴であった。
主人公は父・榊原康史から高津選手の活躍ぶりを何度も聞かされたことから、小さい頃に高津選手の真似をしてサイドスローでシンカーを覚えようとしたことがあり、ビザンティン世界でナイフ投げの練習をするときにもサイドスローで投げる癖があり、投げナイフの軌道に変化を付ける独自の神聖術を開発すると、新しい術にシンカーと命名した。
第8 主な歴史上の人物
● マケドニア王アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)
紀元前356年~紀元前323年
マケドニア王フィリッポス2世の息子として生まれ、父王の暗殺に伴い20歳で王位を継いだ。ギリシアの中でも辺境の小国に過ぎなかったマケドニアは、フィリッポス2世の時代からギリシア世界の強国にのし上がっていたが、アレクサンドロスは王位に就くとすぐ、当時マケドニアよりはるかに巨大な帝国だったアケメネス朝ペルシアの征服に乗り出した。
当時、大半のギリシア人はそのような征服など不可能だと思っていたが、アレクサンドロスは父王から受け継いだ精鋭歩兵のファランクスと、父王時代から育成されていた騎兵を極めて効果的に活用し、戦争では不敗を誇った。アレクサンドロスの戦いとして特に有名なのは、ペルシア王ダレイオス3世率いるペルシアの大軍に対し、いずれも寡兵で圧勝したイッソスの戦い(紀元前333年)とガウガメラの戦い(紀元前331年)である。こうした大勝利もあって、アレクサンドロスは10年間に及ぶ大遠征の結果、本当にアケメネス朝ペルシアを完全に滅亡させ、1代で世界規模の大帝国を築いてしまったのである。
ただし、アレクサンドロスの戦い方は、自らの武勇を活かし、自ら騎兵隊の先頭に立って敵軍に側面から突撃を掛けて戦線を崩壊させるという危険極まりないものであり、そのため戦闘で重傷を負うことも珍しくなく、そうした無理がたたって、熱病によりわずか32歳で亡くなってしまった。そして、彼の遺した帝国は、アレクサンドロスの旧部下たちによる後継者争い(ディアドコイ戦争)によって、いくつかのギリシア人国家に分裂してしまった。
アレクサンドロスは後世の人々から大王と呼ばれ、その業績は現代でもビザンティン世界でも広く知られている。主人公も、ギリシア語を話すローマ人の槍兵隊に、アレクサンドロス大王にちなんで「ファランクス隊」と名付けているが、一方でアレクサンドロス大王のようなやり方を真似するのは自分には不可能であり、またローマ帝国を長く存続させることを目的にするのであれば、真似をすること自体適切ではないと冷静に考えている。
<参考能力値>
統率 120 武力 120 政務 90 知謀 90 魅力 120
● ガイウス・ユリウス・カエサル
紀元前100年頃~紀元前44年。
ローマ帝国が誇る稀代の軍人、稀代の政治家、稀代の文筆家にして、ローマ帝国が産んだ唯一の創造的天才などと評される一方、稀代の女たらしとしても知られている。アレクサンドロス大王と異なり、軍人及び政治家として頭角を現したのは40代に入ってからであるが、現代のフランスなどに該当するガリアへの遠征でめざましい成果を挙げ、内戦で政敵ポンペイウスを破って政治の全権を掌握し、ローマの終身独裁官に就任したが、就任後わずか1か月ほどで暗殺されてしまった。また、カエサル自身が書いた『ガリア戦記』や『内乱記』は、古代ラテン文学における屈指の名著とされている。
ローマ帝国を共和制から実質的な帝政に切り替えたのは、カエサルの養子オクタヴィアヌス(アウグストゥス)であるが、カエサルは、ローマ帝国における実質的な初代皇帝とされており、カエサルのギリシア語形である『カイサル』は、長きにわたってローマ帝国では副皇帝を表す称号として用いられてきた。アレクサンドロス大王が編み出した戦法は、主人公を含め多くの軍人たちが部分的に模倣しているが、カエサルの戦法はあまりにも臨機応変かつ高度過ぎるため、あまり模倣の対象とはされていない。
<参考能力値>
統率 120 武力 80 政務 120 知謀 120 魅力 120
● カリギュラ(カリグラ)
12年~41年。
アウグストゥスから数えて3代目のローマ皇帝で、ローマ帝政が生み出した最初の暴君とされる。正式な名乗りは「ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス」であるが、通常はあだ名のカリギュラ(カリグラ)で呼ばれる。カリギュラ帝は、わずか24歳の若さで皇帝となり、有能ではあったがケチで人気の無かった前任者ティベリウス帝の政策を覆して、数々の人気取り政策を行ったため、治世当初は非常に人気があった。主人公が一時期真似をした、剣闘士と重罪人を戦わせるという一種の刑罰も、カリギュラ帝が血を見る見世物の大好きな当時のローマ人に対する人気取りのために発案したものと考えられている。
しかし、カリギュラ帝は一度大病を患い、それが回復した後は自制心を失い、また人気取り政策のやり過ぎで財政危機に陥ったため、金策のために無実の金持ちを処刑するなどの暴政に走り、最後には側近の将校カシウス・カエレアによって、在位わずか4年で暗殺された。カエレアが皇帝暗殺を実行した原因には諸説あるが、一説にはカリギュラ帝が警備に必要な合言葉に「プリアポス」「ウェヌス」というふざけた言葉を使い、カエレアを侮辱したためだという。ちなみに、「プリアポス」の意味は小説本編で使われているものと同義であるが、ウェヌスはギリシア神話のアフロディーテに相当する、古代ローマ神話における美の女神で、女性器を表す隠語である。
<参考能力値>
統率 30 武力 30 政務 1 知謀 20 魅力 30
● コンスタンティヌス1世
270年頃~337年。
ローマ帝国の軍人コンスタンティウス・クロルスと、その妻ヘレナの息子として生まれたが、父が軍人として出世し、西の正帝になるとブリタニア戦線で父を補佐するようになり、父が亡くなると正帝を名乗ってその軍権を引き継いだ。当時のローマ皇帝は世襲制ではなかったが、ディオクレティアヌス帝が創設した四頭制(テトラルキア)制度がうまく機能しなくなり、複数の皇帝ないし自称皇帝が割拠するようになると、コンスタンティヌスは実力でライバルを打ち負かし、324年にはローマ帝国の再統一を果たした。
ローマ帝国で初めてキリスト教を公認し、またローマに代わる新しい首都として、自身の名を冠したコンスタンティノポリス(ギリシア語読みでコンスタンティヌーポリ)を建設したことから、ビザンティン帝国の実質的な開祖とみなされ、大帝の尊称付きで呼ばれるようになった。その政治手法には批判もあるが、現代でも有能な軍人・政治家であったとの評価が概ね一般的である。
<参考能力値>
統率 90 武力 80 政務 80 知謀 85 魅力 80
● ユリアヌス(背教者)
331年頃~363年。
コンスタンティヌス1世の甥にあたる人物で、幼い頃に家族を暗殺され軟禁生活を送っていたが、355年に時の皇帝コンスタンティウス2世(コンスンタンティヌス1世の息子)によって、ガリア担当の副帝に抜擢された。ユリアヌスは、それまで軍務経験は皆無であったにもかかわらず、ガリアの統治や戦争で多くの成功を収め、それまで蛮族に蹂躙されていたガリアの地に安定をもたらした。
360年、皇帝コンスタンティウス2世によって、かなり無理のある兵士の供出命令が出されると、ユリアヌスは配下の蛮族兵たちによって皇帝に擁立され、ユリアヌスも覚悟を決めてコンスタンティウス2世に反旗を翻した。翌361年、コンスタンティウス2世は跡継ぎがいなかったため、死に臨んでユリアヌスを後継者に指名し、これによってユリアヌスは単独の皇帝となった。
帝位に就いたユリアヌスは、コンスタンティヌス1世時代から進められてきたキリスト教の優遇政策に疑問を呈し、ローマ帝国の伝統的な宗教の復活を試みるとともに、肥大化していた官僚機構や宮廷の思い切った人員削減を行うなど積極的な改革を行ったが、ユリアヌスの改革は多くの抵抗に遭い、なかなか上手く行かなかった。
その後、ユリアヌスはローマ帝国の宿敵であるササン朝ペルシアへの遠征を行い、ユリアヌスは善戦するも好機を逃して首都クテシフォンの占領に失敗し、撤退する途中に投げ槍の一撃を受けて負傷し、結局皇帝としては在位2年足らずで陣没した。ユリアヌスの死後、彼の政策はことごとく覆され、後にキリスト教が国教になるとユリアヌスは「背教者」の烙印を押されて非難されることになった。もっとも、キリスト教の影響力が低下した現代では、ユリアヌスを悲劇の英雄として描く文学作品も登場し、その業績や改革の意図を再評価する動きも見られる。
<参考能力値>
統率 80 武力 50 政務 70 知謀 60 魅力 70
ユリアヌスの政治思想は評価できるが、数々の抵抗を押しのけて大胆な改革を成し遂げるには、十分な実行力が伴っていなかったと結論付けるしかない。
● ユスティニアヌス1世
483年~565年。
最初の名はペトルス・サッバティウスといい、農民の子として生まれたが、ローマ帝国の軍人であった叔父ユスティヌスの養子となってユスティニアヌスと名乗り、叔父の許で法学など高度な教育を受けた。518年に時の皇帝アナスタシウス1世が跡継ぎのないまま亡くなると、養父のユスティヌスを帝位に就けることに成功し、自らその後見人となって政治の実権を掌握し、527年にユスティヌスが亡くなると帝位に就いた。
ユスティニアヌス1世は、キリスト教の「育ての父」と呼ばれるほどキリスト教の優遇に努め、そのため大帝の尊称付きで呼ばれるようになった。皇帝としての主な業績は、イタリアや北アフリカなど旧西ローマ領の一部を再征服したこと、『ローマ法大全』を編纂し法制度を整備したこと、首都にあるハギア・ソフィア教会の再建の3点が挙げられているが、このいずれについても大きな負の側面がある。
まず、イタリアや北アフリカなどの再征服戦争については、実戦の指揮はベリサリウス、ナルセスといった配下の将軍たちに任せ、自身で戦争の指揮を執ったことは一度もないほか、実戦経験がないため配下武将に対する指示もしばしば適切さを欠き、また戦費調達のため征服地にも容赦なく重税を課したため、イタリアの征服戦争は必要以上に長期化かつ慢性化し、戦場となったイタリアは著しく荒廃してしまった。
そして、ユスティニアヌスは莫大な費用をかけて首都のハギア・ソフィア聖堂を再建しただけでなく、首都だけでも35の教会を新築または再建し、それ以外の地域でも様々な建築事業を行った。その行った建築事業の数は、それを列挙するだけで一冊の本が出来てしまうほどであったが、ユスティニアヌスは大規模な戦争と数々の建築事業に必要な費用を賄うために民衆に重税を課し、これに不満の声を挙げてニカの乱と呼ばれる暴動を起こした民衆には、容赦なく軍隊を差し向けて約3万人もの民衆を容赦なく殺し、しかも反乱に参加した富裕者の財産の相続人となって事実上没収するという、とんでもない圧政者であった。ユスティニアヌスが行った建築事業の中には、確かに役に立ったものもあったが、例えば600か所以上も建設させた国境地帯の要塞は、守備兵を配置する余裕がないためそのほとんどが役に立たず、蛮族たちによって叩き壊されただけであった。
そして、ユスティニアヌス1世の治世晩年にはローマ帝国の国庫はほとんど空となり、国力は大きく疲弊することになった。自分が民衆から怨嗟の的になっていることを自覚していたユスティニアヌスは猜疑心の虜となり、周囲の者をむやみやたらに投獄ないし処罰し、征服戦争で非常に大きな功績のあったベリサリウスでさえも、一時は全財産を没収されるなど悲惨な晩年を送ることになった。
また、ユスティニアヌスが法典の編纂事業によりローマ法を学びやすくしたこと自体は確かであるが、一方で彼はその法知識を悪用し、異教徒や異端者は法廷においてカトリック教徒に不利な証言が出来ないとする内容の新法を発布し、法律の専門家でなければ考え付かないような、異教徒や異端者に対する陰険な迫害を行い、裁判の公正を害した。さらに、ユスティニアヌス1世の統治手法は、自らを裕福な元老院議員たちの遺産相続人にするよう事実上強要することでその財産を没収するなど、まさに暴君と表現するしかないもので、法に基づく公正な統治とはおよそかけ離れたものであった。
こうした政策によって、単性論者が多数を占めていたシリア・エジプト・パレスティナなど東方属州の民心はローマ帝国から離れ、その後7世紀になると、これらの東方属州に暮らす民たちは、自らの信仰を異端視し、しかも重税を課すローマ帝国に支配されるよりは、ローマ帝国に敵対するササン朝ペルシアやイスラム勢力の支配を受け容れた方がましだと考えるようになり、これらの地域はローマ帝国の支配から離れることになった。その原因を作ったのは、ゼノン帝やアナスタシウス帝が行っていた単性論派との妥協的な政策を放棄し、単性論者などの異端者や異教徒の迫害を行ったユスティニアヌス1世に他ならない。
また、ユスティニアヌス1世時代に征服された地域も、その大半はその死後に維持できなくなって事実上放棄されてしまい、結局のところユスティニアヌス1世は、短期的にはローマ帝国の領土を大幅に拡大させたものの、長期的にはむしろ古代ローマ帝国終焉の原因を作ったのである。
<参考能力値>
統率 30 武力 25 政務 70 知謀 75 魅力 40
〇 皇后テオドラ
500年頃~548年。
ユスティニアヌス1世の皇后。ビザンティン帝国の歴史上、テオドラという名前の女性は多く登場するが、その中で歴史上最も有名な人物が彼女である。
テオドラは、コンスタンティノポリスで熊使いの娘として生まれ、若い頃は踊り子をしていたと伝えられているが、その実態は踊り子というより、ポルノ女優兼女芸人兼下級売春婦と言った方がよい存在であった。それでも、美しく頭の切れる女性であったこと自体は確かなようで、最初は皇帝になる前のユスティニアヌスに取り入ってその愛人となり、ユスティニアヌスに気に入られて貴族に取り立てられ、ついには元老院議員と卑しい踊り子などの結婚を禁止した帝国の法律を改正させて、ユスティニアヌス1世の皇后となった。
皇后となってからのテオドラは、元売春婦という出自を思わせるようなスキャンダルを起こすことはなく、皇帝となった夫をよく支えたとも伝えられているが、一方で政治にかなり口を出し、女帝と呼ばれる程の権勢を振るったとも伝えられている。また、夫のユスティニアヌスと違ってテオドラは単性論者であり、夫の迫害を受けた単性論派の聖職者を密かに救ったりもしていたので、単性論派の聖職者からは極めて好意的に描かれている。総じて、皇后としての彼女の治績は、史料によって書かれていることがばらばらなので、彼女の統治者としての能力を評価することは難しい。
なお、物語中に登場するテオドラ・アンゲリナ・コムネナは、自分と同名の皇后テオドラを強く意識しており、皇后になりたいと言いながら熱心に踊り子としての腕を磨いているのも、その大きな理由の1つは皇后テオドラのかなり美化された伝承を教えられ、自分が皇后になるには立派な踊り子になることが必要不可欠だと勘違いしているためである。
<参考能力値>
統率 30 武力 25 政務 40 知謀 75 魅力 60
● レオーン・イサウロス(皇帝レオーン3世)
685年頃~741年。
元の名はコノンと言い、小アジア南東部のゲルマニケイアで生まれたが、青年期の業績には不明な点が多い。それでも、優秀な軍人として徐々に頭角を現し、アナスタシオス2世によってテマ・アナトリコンの長官に任命された。その後、アナスタシオス2世がクーデターで廃位されると、実力もやる気も無い皇帝テオドシオス3世を廃位し、717年に自ら皇帝に即位した。その際、優秀な軍人としてレオーン(獅子)のあだ名で呼ばれていたコノンは、レオーンを自らのあだ名とし、皇帝レオーンとして即位した。なお、イサウロスというあだ名は、勇猛な山岳民族イサウリア人の出身という意味であるが、これは後になって生じた誤伝に基づくものである。
皇帝になったレオーンは、マスラマ率いるイスラム帝国の大軍から聖なる都を見事守り抜いて、皇帝としての名声を不動のものとする一方、エクロゲー法典などの法典を整備するなど内政の改革も行い、外交面でもイスラム勢力に対抗するため、北方のハザール汗国から息子の妃をもらって同盟を結んだ。治世晩年の740年には、アクロイノンの戦いでイスラム勢力相手に部分的ながら大きな勝利を収め、これまでイスラム勢力に対し防戦一方だったビザンティン帝国に再建の端緒を付けた。物語中ではこれに加えて、それまで異端の魔術とされていたカリニコスのもたらした不思議な技術に、神聖術という位置づけを与えてこれを合法的な存在とし、帝国の国家機密として極秘裡に研究を進めさせた。
一方、宗教的にはイスラム教の影響を受けて、それまでローマ人の伝統的な信仰だったキリスト教のイコン崇拝を、モーセの十戒に反する偶像崇拝ではないかと考えるようになり、イコン崇拝を排除する聖像破壊運動(イコノクラスム)の先鞭を付けることになった。そのため、後に聖像破壊運動が終息してイコン崇拝が「崇敬」として合法化されると、レオーン・イサウロスはサラセン人ひいきの異端者として断罪されることになり、彼の業績である聖なる都の防衛成功も、ビザンティン帝国では彼の業績ではなく、聖なる都の守護者である「神の母」マリアのご加護によるものだと説明されることになってしまった。
<参考能力値>
統率 85 武力 82 政務 71 知謀 73 魅力 75
● コンスタンティノス・コプロニュモス(皇帝コンスタンティノス5世)
718年~775年。
皇帝レオーン3世の息子で、その死後帝位を継いだ。コンスタンティノスは軍事に優れた手腕を発揮し、タグマタと呼ばれる精鋭の中央軍団を組織し、自ら軍を率いて東西各地を転戦し、ウマイヤ朝イスラム帝国の衰退に乗じて国境を東方へ押し戻し、西方でもブルガリア王国を相手に多くの戦勝を収めた。内政面でも、聖なる都の水道を復旧し、地震や疫病の被害を受けた聖なる都の再建に取り組み、国境地帯の要所に住民を移住させて守りを固めるなど、多くの業績を残した。また、聖なる都に皇后専用の緋産室を建設し、緋産室で生まれた皇帝の嫡子を緋産室の生まれ(ポルヒュロゲネトス)として権威付けることで、帝位継承の安定化を図った。
一方、彼は即位後間もなく、父の片腕だった将軍アルタヴァストスに反乱を起こされ、この人物がイコン崇拝擁護を旗印としていたことから、コンスタンティノスはこの反乱を鎮圧した後、父帝以上にイコン崇拝を嫌悪するようになり、キリスト教の信仰からイコン崇拝を排除する聖像破壊運動を正式に国の政策として推進したほか、これに反対する聖職者や修道士たちを殺したり処罰したりするなど、彼らを邪険に扱った。
そのため、コンスタンティノス5世はその生前こそ、ビザンティン帝国に数々の戦勝をもたらした偉大な皇帝として尊敬されていたが、その死後にイコン崇拝派が勢力を巻き返し、787年にイコン崇拝が「崇敬」として合法化されると、コンスタンティノス5世は異端者として断罪されることになった。
もっとも、民衆のコンスタンティノス5世に関する記憶が簡単に忘れ去られるはずもなく、その後811年、ビザンティン帝国がブルガリア相手に壊滅的な敗北を喫すると、聖なる都の民衆はコンスタンティノス5世の墓に詰め寄り、どうか生き返って国家の危機を救ってくださいと懇願するようになり、これがきっかけで第2次の聖像破壊運動が勃発した。
第2次の聖像破壊運動は843年に収束し、イコン崇敬の合法性が再確認されることになったが、イコン崇敬を擁護する聖職者たちは、異端者としてはあまりに偉大な業績を挙げたコンスタンティノス5世を、正統な信仰を脅かす危険人物とみなし、コンスタンティノス5世に「コプロニュモス」(糞)という不名誉なあだ名を付け、彼が書いた書物などを焼き捨て、ビザンティン帝国の聖職者が歴史書を書く際には、彼の皇帝としての業績を一切無視し、彼は生まれて洗礼を受ける時に糞を漏らしたなどという悪趣味な罵倒で埋め尽くした。こうして、皇帝コンスタンティノス5世は、その偉大な業績にもかかわらず、ビザンティン帝国史上最も不当な扱いを受ける皇帝になってしまった。
<参考能力値>
統率 95 武力 90 政務 85 知謀 85 魅力 90
〇 皇后テオファノ
941年頃~978年以降
元の名はアナスタソといい、年代記には「酒を売っている親から生まれた」としか説明されていない。皇帝ロマノス2世の皇后となり、長男バシレイオス(後の皇帝バシレイオス2世)、次男コンスタンティノス(後の皇帝コンスタンティノス8世)、長男アンナ(後のキエフ大公妃)を産んだが、963年に夫のロマノス2世が、狩猟中の事故により26歳の若さで急死してしまうと、まだ幼い長男のバシレイオスに代わり、有能な軍人ニケフォロス・フォカスがバシレイオスの後見人という名目で帝位に就き、テオファノは新皇帝ニケフォロス2世の皇后となった。
しかし、皇帝ニケフォロス2世は既に50歳を過ぎており、しかも「暗がりでは出会いたくない男」と評される程醜怪な容貌をしており、性格も粗野で、しかも敬虔過ぎて全然面白みが無かった。まだ若いテオファノは次第に新しい夫を嫌うようになり、有能な軍人ながら夫に冷遇されていたヨハネス・ツィミスケスと愛人関係を持つようになった。やがて2人はニケフォロス2世の暗殺を計画し、969年にヨハネスの部下たちはテオファノとその側近に手引きされ、就寝中のニケフォロス2世を襲撃して殺害した。
事前の計画では、皇帝暗殺に成功したらテオファノはヨハネスの皇后になることになっていたが、新皇帝ヨハネス1世は、総主教から皇帝暗殺の罪を咎められると、その責任をテオファノに転嫁し、テオファノは流刑の身となった。やがてヨハネス1世が亡くなり、成人した息子のバシレイオスが皇帝に即位するとテオファノは宮廷に呼び戻されたが、その後の動向は一切知られていない。
このような皇帝暗殺を実行したテオファノは、ビザンティン帝国史上稀代の悪女とみなされるようになり、次第にその悪女ぶりが誇張され、最初の夫ロマノス2世も、その父コンスタンティノス7世も、彼女を裏切ったヨハネス1世もすべてテオファノが暗殺した、さらに息子のバシレイオス2世やコンスタンティノス8世の殺害まで企てたなどと書かれるようになったが、もちろん皇帝ニケフォロス2世の殺害以外はすべて冤罪である。
なお、物語中で登場するテオドラ・アンゲリナ・コムネナの妹テオファノは、一種の嫌がらせで皇后テオファノと同じ名前を付けられ、汚名を返上しようと自分なりに悩んだ挙句、自ら聖女を名乗る怪しげな中二病娘になってしまった。
● 小バシレイオス帝(バシレイオス2世)
958年~1025年
皇帝ロマノス2世とテオファノの長男として生まれたが、幼いときに父ロマノス2世が亡くなると、有能な軍人皇帝ニケフォロス2世、次いでヨハネス1世が政治の実権を握り、バシレイオスは飾り物の共同皇帝としての立場に甘んじた。976年にヨハネス1世が亡くなるとバシレイオスは正皇帝になるが、政治の実権は大叔父である宦官バシレイオス・レカペノスと、勇猛な軍人バルダス・フォカス(ニケフォロス2世の甥)に握られていた。
バシレイオスは、やがてレカペノスを罷免して政治の実権を掌握するも、バルダス・フォカスに反乱を起こされて窮地に陥り、妹のアンナをキエフ大公ウラジーミル1世に嫁がせその援軍を得ることで、何とかこの危機を乗り越えた。その後皇帝バシレイオスは、前任者であるニケフォロス2世やヨハネス1世と同様、自ら軍を率いて各地を転戦し、長年の宿敵であったブルガリア王国を完全に滅亡させるなど、長い治世の間に多くの軍事的成功を収め、ビザンティン帝国の領土はユスティニアヌス1世時代に次ぐ規模にまで拡大した。ロシア人などの傭兵を重用し、勇猛さと時の皇帝に対する忠誠で名高い、皇帝親衛隊であるヴァリャーグ近衛隊が創設されたのも、バシレイオス2世の時代からとされている。
内政面でも、バシレイオス2世は奢侈を戒め、軍事貴族による収奪から農民を守るための勅令を発布し、旧ブルガリア貴族とビザンティン貴族の婚姻政策を進め、貨幣経済の発達していなかった旧ブルガリアでは租税の物納を認めるなど、現実的で優れた政策を取った。そのため、相次ぐ征服戦争にもかかわらず、バシレイオス2世時代の国庫にはかなりの余裕があり、帝国は彼の治世下で最も強力で豊かになったと評されている。
もっとも、バシレイオス2世は官僚や軍事貴族の台頭を抑え、『緋産室の生まれ』たる正統性と軍事力を背景に、極めて強力な皇帝独裁体制を築き上げた一方、彼自身は生涯にわたって結婚せず、弟コンスタンティノスの娘たちについても嫁ぎ先を決めないまま放置し、自身の後継者対策を全くと言ってよい程怠っていたため、バシレイオス2世の死後、強力な指導者を失ったビザンティン帝国は急速に衰退してしまった。
なお、バシレイオス2世には「ブルガリア人殺し」(ブルガロクトノス)というあだ名が付けられているが、このあだ名が付けられたのはイサキオス2世の時代にブルガリアが再び独立してしまった頃、当時の官僚であり歴史家でもあったニケタス・コニアテスが、かつてブルガリアを征服したバシレイオス2世の業績を追想して、このあだ名を付けたという経緯がある(史実でも同じ)。
ただし、バシレイオスは武力だけでブルガリアを征服したのではなく、ブルガリアの有力者を次々と調略して寝返らせるなどして、軍事的には強力だったブルガリアを徐々に弱体化させていったほか、ブルガリアが抵抗を諦めて降伏してきた後は寛大な措置を取り、恩恵によってブルカリアを帝国の支配下に組み入れて行ったのである。また、バシレイオス2世はブルガリアの征服以外にも多くの業績を残しているため、「ブルガリア人殺し」というあだ名は不適切であるという批判もある。
<参考能力値>
統率 100 武力 85 政務 90 知謀 95 魅力 100
● 大アレクシオス・コムネノス帝(アレクシオス1世)
1048年~1118年。
軍事貴族コムネノス家の出身で、一時皇帝となったイサキオス1世コムネノスの甥にあたる。24歳の若さで将軍として頭角を現し、1181年に妻の実家ドゥーカス家の支援を得てクーデターを起こし、皇帝に即位した。当時のビザンティン帝国は、小アジアのほとんどをトルコ人に奪われるなど衰退が著しく、また帝位簒奪者であるアレクシオス自身の帝位も非常に脆いものであったが、アレクシオスは有力な軍事貴族たちと婚姻を結ぶことで「コムネノス一門」と呼ばれる軍事貴族の連合政権を作り上げ、様々な陰謀に見舞われながらも何とかこれらを乗り切り、滅亡寸前にあったビザンティン帝国に再建の道筋を付けることに成功した。
その政治手法は極めて狡猾であり、歴史家ニケタス・コニアテスは彼について「いつも曖昧なことを言っては、うまく人を誑かせてきた」と評している。物語中ではこれに加えて、これまで曖昧だった神聖術の習得課程を制度化し、その発展に努めるといった政策も行っている。
<参考能力値>
統率 90 武力 85 政務 90 知謀 100 魅力 80
● ヨハネス帝(ヨハネス2世)
1087年~1143年。
アレクシオス1世の長男で、その死後1118年に帝位に就いた。同名のヨハネス1世と区別するため、カロヨハネス(心優しきヨハネス)のあだ名で呼ばれる。ヨハネスは帝位簒奪を企んだ姉アンナ・コムネナを殺さずに赦し、また税金を安くして寛大な統治を採ったことから、このあだ名で呼ばれるようになった。
ヴェネツィアとの戦いでは破れてしまったが、内政・軍事の両面で大きな成功を収め、ビザンティン帝国の領土を更に拡大した。ビザンティン帝国史上屈指の名君と評価されている。
<参考能力値>
統率 88 武力 82 政務 93 知謀 87 魅力 100
● マヌエル帝(マヌエル1世)
1118年~1200年。
ヨハネス2世の四男で、その死後帝位に就いた。父帝時代に回復した国力を利用して、周辺諸国をビザンティン帝国の宗主権下に置き、東地中海にビザンティン帝国の覇権を築こうとしたが、大変な西欧びいきで、西欧貴族の真似をして馬上槍試合を開催したり、また封建体制にある西欧諸国の真似をして貴族たちに多くのプロノイアを下賜した。そのため、非常に気前の良い皇帝として人気はあったが、その統治姿勢はビザンティン帝国の弱体化を招いたとする批判もある。また、東地中海世界に覇権を築くというマヌエル帝の野望は、1176年にミュリオケファロンの戦いでトルコ人相手に大敗したことで挫折を余儀なくされ、その後は国境の防備に専念した。
史実のマヌエル帝は1180年に没しているが、この物語では1168年、娘のマリア・コムネナから神聖術を勉強したいとの懇願に負け、女性は神聖術士になれないという伝統を破り、博士号の取得は認めないという条件付きで女性の神聖術習得を認め、マリア・コムネナは女性初の神聖術士となった。マリアは適性85という過去最高の適性を持ち、その神聖術で父のマヌエル帝を看病したため、マヌエル帝は享年82歳という稀なる長命を保つことになった。もっとも、晩年のマヌエル帝は、政治を息子のアレクシオスや大臣たちに託して半隠居生活を送っていたが、1199年に息子のアレクシオスは30歳の若さで急死してしまい、マヌエル帝自身もその訃報に衝撃を受け、間もなく亡くなってしまった。マヌエル帝の時代から、物語上におけるビザンティン帝国の歴史は、史実と大きな齟齬が生じることになる。
<参考能力値>
統率 76 武力 82 政務 68 知謀 74 魅力 80
● アンドロニコス帝
1173年~1225年。
史実のアンドロニコス1世ではなく、その孫にあたる人物。アンドロニコスの家系は、アレクシオス1世の三男イサキオスを祖とするコムネノス家の傍流にあたり、アンドロニコス帝はイサキオスの曾孫にあたる。アンドロニコス帝の一族は小アジアのポントス地方に領土を与えられ、グルジア王家とも婚姻関係を結んでいたが、イサキオスの時代から皇帝には反抗的で、歴代当主は亡命生活を送ることが多かった。
アンドロニコスは、若い頃から有能な将軍として頭角を現し、1198年に父イサキオスが戦死すると、その後を継いでポントス地方の領主となった。その直後に摂政のアレクシオス皇子とマヌエル帝が相次いで亡くなり、その後を継いだ幼君アレクシオス2世(マヌエル帝の孫)のもとで、マヌエル帝の娘マリア・コムネナと、マヌエル帝の皇后マリアが権力争いを繰り広げ政局が混乱しているのを見ると、アンドロニコスはアレクシオス2世の保護を名目にクーデターを起こし、両マリアを処刑した後幼帝アレクシオス2世を殺し、アレクシオス皇子の未亡人アンナ(フランス王ルイ7世の娘)と結婚して、1203年に帝位に就いた。
アンドロニコス帝は、マヌエル帝の死後衰退しつつあったビザンツ帝国を立て直すため、積極的な国政改革を行った。官職売買の禁止、汚職の摘発、課税の減免、貧民の保護といった政策は民衆から大いに支持を受けたが、こうした改革は貴族層や大地主層の反発を招くことになり、アンドロニコスの治世下では貴族層による反乱や陰謀が後を絶たなかったが、それでも20年以上にわたる治世を全うできたのは、アンドロニコス帝自身が優れた軍才の持ち主であり、神聖術を戦争などで有効活用したほか、身分を問わず優秀な人材を登用して、貴族層に対する優位を維持していたためである。
もっとも、女好きのアンドロニコス帝は、濫用と評されるほど神聖術を大いに活用し、またエリス・ダラセナをはじめとする女性神聖術士のほとんどを自らの愛人にしていたこともあり、聖職界から大きな非難を浴び、アンドロニコス帝やその宰相として活躍したステファノス・フォライトスなどは、「反キリスト」などと様々な悪評を浴びた。
1224年、自分の愛人で最も信頼する術士でもあったエリス・ダラセナが不可解な死を遂げた頃から、アンドロニコス帝は徐々に猜疑心が強くなり、自らの子孫による帝位継承を盤石なものとするため、自分の家系以外のコムネノス家に属する反抗的な貴族たちを皆殺しにしてしまおうと考えるようになり、その頃からは恐怖政治に陥った。1225年、アンドロニコス帝は配下の名将アレクシオス・ブラナスに軍の主力を預け、不穏な動きのあったセルビア方面に送り出す一方、母方でコムネノス家の血を引くイサキオス・アンゲロス(後の皇帝イサキオス2世)を暗殺しようとしたが、これに対抗して挙兵したイサキオスには多くの貴族が味方し、またイサキオスの協力者テオドロス・カストモナイテスは、皇帝フリードリヒ2世が聖なる都を奪取するため大軍を動かしているとの偽情報を流し、かねてからアンドロニコス帝に反感を持っていた聖職者たちもこれに協力した。
こうしたデマに騙された民衆たちはパニックを起こし、その原因を作ったとされるアンドロニコス帝に対する反乱を起こし、アンドロニコス帝は一時聖なる都から避難しようとしたが、その途中で逮捕され、民衆により嬲り殺しにされてしまった,
<参考能力値>
統率 85 武力 82 政務 81 知謀 76 魅力 75
● イングランド王リチャード1世
1157年~1199年。
イングランド王ヘンリー2世と、その妃アリエノール・ダキテーヌの三男として生まれ、1189年、父の死に伴いイングランド国王となった。即位後間もなく、第3回十字軍に参加するため中東に向かい、サラディンと激戦を繰り広げ優位に立ったが、リチャード1世と反目して先に帰国してしまったフランス王フィリップ2世が自領を狙っているとの報が入ると、サラディンと休戦協定を結んで帰途に就いた。その際、聖地エルサレムを奪還するためには、経済的に豊かなサラディンの本拠地エジプトを叩く必要があるとの見解を残している。
その帰途、リチャードはフィリップ2世の陰謀などもあってドイツで捕囚となり、多額の身代金を支払ってようやくイングランドに帰国したが、その後は宿敵フィリップ2世と争い各地を転戦したが、鎧を脱いで休息していたとき、肩にクロスボウの矢を受けたことがきっかけとなり、41歳で病死した。リチャード1世の死後は、無能な弟のジョンが王位に就き、イングランドは多くの領土を失うことになった。
リチャード1世は、軍人としては極めて有能な人物であり、十字軍精神の鑑と称えられたが、在位中国王としてイングランドに滞在していたのは約6か月に過ぎなかった。政治にはほとんど関心が無く、戦費調達のため「もし適当な買い手がいればロンドンでも売る」と豪語していたとのエピソードも伝わっている。その勇猛果敢さから、獅子心王(ライオンハート)のあだ名で歴史上名を残している。
<参考能力値>
統率 110 武力 112 政務 35 知謀 78 魅力 90
● フランス王フィリップ2世
1165年~1223年。
フランス王ルイ7世の息子で、1180年に父の跡を継いでフランス王となった。
当時のフランス王国にとって最大の課題は、広大な領土の相続人であるアリエノール・ダキテーヌが父王ルイ7世と離婚してヘンリー2世と再婚したことにより、フランス領の大半を領有下に置いたプランタジネット家(イングランド王家)との抗争であり、フィリップはヘンリー2世とその子供たちの不仲を利用して、イングランド王家の力を削ぐ政策を採用していた。
やがて、第3回十字軍の発動が呼び掛けられると、フィリップ2世も一応これに参加したが、現実主義者のフィリップ2世は十字軍への情熱を持たず、リチャード1世との反目もあって、病気を口実に途中で帰国した。その後、リチャード1世を廃してその弟ジョンをイングランド王に就けようと画策するが、この謀略はリチャード1世が帰国したことで失敗に終わり、その後はリチャード1世と戦うことになった。フィリップ2世は、戦上手なリチャード1世にはどうしても勝つことが出来ず連戦連敗を重ねたが、リチャード1世が亡くなり無能な弟ジョンが次の国王になると勢力を盛り返し、プランタジネット家に奪われていたフランス領の大部分を回復した。
このような外政のみならず、内政面でも多くの実績を残したフィリップ2世は、フランスを西欧の強国に押し上げた最初の偉大な国王として、最初のローマ皇帝アウグストゥスにちなみ「オーギュスト」の尊称で呼ばれている。
<参考能力値>
統率 82 武力 71 政務 95 知謀 106 魅力 80
● チンギス=ハーン
1162年~1227年。
最初の名はテムジン。モンゴル族の有力者イェスゲイ・バアトルの長男として生まれた。父のイェスゲイが急死するとその部族は瓦解し、テムジンも若い頃は苦しい生活を送るが、テムジンが成人して父に劣らぬ器量を示すと、テムジンの許には父の元配下など次第に多くの遊牧民たちが集まるようになり、モンゴルの有力者となった。その後、ライバルのジャムカやトオリル・ハーンなどを打ち破ってモンゴル諸部族を統一し、1206年にチンギス=ハーンを名乗ってモンゴル帝国を建国した。
モンゴル軍は、野戦には強いものの攻城戦に弱いという弱点があったが、チンギス=ハーンやその配下たちは、西夏や金との戦争を通じて中国人から攻城戦の手法を学んで徐々にその弱点を克服し、1215年には金の首都だった燕京(現在の北京)を陥落させた。また、西遼やその西にあるホラズム王国も滅ぼし、チンギス=ハーンはその1代で、アレクサンドロス大王をも上回る規模の大帝国を作り上げただけでなく、温厚な性格の三男オゴタイを後継者に指名し、宿敵であった金や西夏はオゴタイの時代に完全滅亡を遂げるなど、モンゴル帝国が世界に冠たる大帝国に発展する基礎を築いた。
チンギス=ハーンは、その軍事的業績や容赦のない住民殺戮などで注目されることも多いが、ヤサ法と呼ばれる帝国統治の法を定め、これまで文字を持たなかったモンゴル族の文字を定め、戦時の軍事組織を兼ねた統治組織を整えるなど、モンゴル帝国の国家的基礎を築いたほか、耶律楚材をはじめとする外国人の人材も積極的に登用し、中国やイスラム圏の優れた文化を取り入れ、その広大な領土内では、ウイグル商人などによる商業活動が活発化した。
チンギス=ハーンは、単に戦争に強かっただけではなく、このように優れた内政手腕を発揮したからこそ、世界に覇を唱える大帝国の創始者となり得たのである。
<参考能力値>
統率 120 武力 120 政務 100 知謀 110 魅力 100