第2話前編 人材登用と神聖術

第2話前編 人材登用と神聖術

第1章 「カイサル」就任


「やっほー、みかっち。元気してた?」
 見慣れた天幕とテオドラの声に、僕は驚愕した。上手くあの世界からはお役御免になれたと思っていたのに、失敗だったのか。
「あのー、僕の共同執政官としての任期は終わったんじゃないでしょうか?」
「みかっち、あんたの共同執政官としての任期は、あんたがこの国の統治を任せられるかどうかの試用期間みたいなものよ。そして、あんたはその判定に、ギリギリながら合格したのよ。喜びなさい」
 なんてことだ。合格してしまったのか。
「はい、あたしからみかっちへの通知表」
 そう言ってテオドラから渡された『通知表』なるものは、どこかの出版社大賞に応募したときのような、五角形の形をした5項目の5段階評価で、僕の成績らしきものが示されていた。その内容は、

<みかっちへの通知表♪>
内政:5
コメント「あたしは良く分かんないけど、みんなあんたのこと褒めてるからとりあえず最高評価にしておくわ」
戦争:4
コメント「みかっちの卑怯な戦い方は気に食わないけど、まあ今のところ全部勝ってるから良しとしてあげるわ。これからは、正々堂々と戦って勝てるよう腕を磨くように!」
ヒーロー度:1
コメント「みかっちは全然英雄らしくないわ。少しはアレクサンドロス大王を見習いなさい!」
エンタメ度:1
コメント「みかっちの性格にはいまいち面白さに欠けるのよ。少しはあたしを笑わせる努力をしてほしいわね」
可愛さ:5
コメント「みかっちは本当に可愛いわね。特に、お風呂でプリアポスを必死に隠そうとしている姿は最高だったわ。また見に行くわね」

 ・・・一体どこから突っ込めばいいんだ。
 「内政」と「戦争」はまあいいとして、他の3つは普通に考えて、統治者としての資質とは全く関係ない。アレクサンドロス大王を見習えと言ったって、あの人は自ら騎兵隊の先頭に立って敵陣に突っ込んでいける武勇の持ち主だったし、ひ弱な僕に同じことが出来るはずもない。それに、アレクサンドロス大王は自ら敵に突っ込んでいく性格が行き過ぎて、何度も重傷を負った挙句30歳を少し過ぎた頃に病没してしまい、その死後大王の帝国は後継者争いで分裂してしまった。ローマ帝国を滅亡の運命から救うという僕の目的から考えても、アレクサンドロス大王は僕の見習うべき相手としてそもそも適切ではない。
 「エンタメ度」と「可愛さ」については、もう突っ込む気力もない。なお、コメントにある「プリアポス」というのは、ギリシア神話に登場する、男性器が飛び抜けて長く大きい神様のことで、転じて男性器そのものを表す隠語である。ちなみに対義語は「アフロディーテ」。
「・・・それで、何点以上が合格なの?」
「25点満点中15点以上で合格よ。みかっちは16点だから、本当にぎりぎりの合格ね。これからも精進しなさい」
 僕がため息をついていると、その場にいる他のメンバーが次々と発言した。
「ミカエル様、皇女様の評価は少々辛口ですからな。お気になさらず。ここにいる者どもは、皆ミカエル様が帝国の統治を続けられることに賛成致しましたぞ」とプレミュデス先生。
 ・・・先生、辛口とかいう以前に、評価の方法自体に根本的な問題があると思うのですが。
「ミカエル様、私はアンドロニコス帝以来、久方ぶりにまともな主君に巡り合えたと思っておりましたが、ミカエル様のご活躍は私の想像を超えておりました。貴方様の他にこの帝国を託せる者などおられようはずがございません」とラスカリス将軍。
「誰がどう考えようと、大将の代わりになるような奴はいねえだろ」とテオドロス。
「私は帝国というより、ミカエル様にお仕えすることを選んだのです。他の者にお仕えしようとする気はありません」とアレス。
「俺も、閣下に付いて行けば栄達できる、代わりになる奴なんかいないって思ってるよ」とネアルコス。
「私は、ミカエル様が命じられた処刑の数々を見て最初はどうかと思いましたが、そのおかげで帝国の治安は大幅に改善され、特にスミルナの周辺からは山賊団や盗賊団がすっかり姿を消したとローレス総督から報告を受けております。入植地を独り占めにしようとした者への対処もお見事でございました。戦争のみならず内政にも強いご関心を示され、むしろ私の方が未熟者であったと感服せざるを得ません」とゲルマノス総主教。
 ・・・しまった。あの暴虐行為の数々が逆に高く評価されてしまったのか。
「私は、最初からこの帝国を救えるのはあなたしかいないと判断している。私は終生、全力を挙げてあなたに協力する」とイレーネ。
「ミカエル様は、軍人としてはまだ粗削りなところもございますが、兵の供出を拒否した貴族に対する断固たる措置はお見事でございました。あそこまで出来る者はなかなかおりません。ミカエル様は、一流の名将になれる素質をお持ちです」とヴァタツェス将軍。
 他のメンバーからも、出てくる言葉は僕に対する誉め言葉ばかりだった。
「・・・反対する人はいなかったの?」
 僕が問うと、ゲルマノス総主教がこう答えてくれた。
「一部の聖職者が猛烈に反対しておりましたが、一度ミカエル様を『神の遣い』と喧伝して持ち上げておきながら、後になってミカエル様を背教者云々と非難したところで説得力はありません。ましてや、ミカエル様は共同執政官としての1年間でこれ以上ないほどの実績を挙げられたのですから、尚更です」
 なんだよ。・・・もっと頑張れよ、聖職者たち。
「だとすると、僕はなぜ2日続けて、日本にいたの?」
「1年間戦い続けて疲れただろうから、少し休暇をあげようと思ったのよ。それに、あんた後半わざと逃げようって企んでたでしょ。そのお仕置きとして、敢えて2日間日本に居させてあんたをぬか喜びさせたってわけ」
 ・・・全部見破られていたのか。

 かくして、選択の余地なくビザンティン帝国の統治者としての仕事を続けさせられることになった僕は、軍を率いてニケーアに戻り、イサキオス帝から『カイサル』の爵位と軍総司令官の役職を与えられ、帝国摂政に任じられた。いずれも任期の定めは無く、僕は実質的な帝国宰相として、帝国の政治と軍事の全権を握ることになった。
「プレミュデス先生、この『カイサル』という爵位は、副皇帝って意味ですか?」
 僕はそう訊ねた。以前塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んだとき、ローマ帝国ではカエサルの称号が副皇帝を指すものとして使われていたと書かれていたからである。
「難しいところですな。基本的には外れなのですが、全く外れというわけでもございません」
「と言いますと?」
「たしかに、ラテン語でカエサル、ギリシア語でカイサルという称号ないし爵位は、帝国の歴史上副皇帝ないし帝位継承者に与えられるものとして長く使われておりました。しかし、大アレクシオス・コムネノス帝の時代に、とある事情からカイサルの上に「セバストクラトール」という爵位が新設されまして、さらにその上の称号として、帝位継承予定者に与えられる「デスポテース」という称号も新設されました。したがって、現在のカイサルという称号に、副皇帝という意味合いは基本的にございません」
「それじゃあ、全部外れなんじゃないですか?」
「そこが難しいところでしてな。ここ20年近くの間に、財政難から大規模な爵位の販売が行われまして、現在セバストクラトールの爵位を保有する者は少なくとも50名はおりまする。それに対して、カイサルの爵位をお持ちの方は現在ミカエル様しかおられません。その結果、長い伝統を有するカイサルの爵位は、セバストクラトールより貴重という逆転現象が起きておりましてな」
 ・・・相変わらずややこしい世界だ。なお、プレミュデス先生による次の台詞は、興味の無い人は読み飛ばしてください。
「ミカエル様が以前就かれていた爵位、セバストスは序列第6位の爵位でありまして、カイサルは序列第2位ですから、ミカエル様は異例の大昇格を遂げられたことになります。なお、その間に上からパンヒュベルセバストス、セバストヒュベルタトス、プロートセバストスという爵位があるのですが、ゲオルギオス・ムザロンと申す下賤の輩が、財政難を凌ぐためにセバストクラトールより上の爵位、すなわち上から順にパンヒュベルセバストクラトール、セバストクラトールヒュベルタトス、プロートセバストクラトールという爵位を新たに創設しようと献策し、アレクシオス3世の時代に一時これらの爵位が創設されましたが、あまりにもいかがわしいため爵位の買い手が付かず、現在では廃止となっております」
「そのムザロンって何者なんです?」
「イサキオス帝の時代から、阿漕な金策を次々と考え付いて、歴代皇帝陛下の歓心を買って次第に出世していった下賤の輩です。戦艦の競売を実施したのは当時の海軍提督ですが、これを献策したのはムザロンです。帝国を破滅に陥れた下賤の輩として評判の悪い男ですな。聖なる都が陥落した後は、いずこかへ行方をくらましてしまいましたが」
「とりあえず、そのムザロンとかいう男は、見つけ次第縛り首にしましょう。それで結局のところ、僕のカイサルという爵位には、基本的に副皇帝という意味合いはないけど、微妙に副皇帝を思わせるニュアンスを含んでいる、そういう解釈で宜しいのですか?」
「仰るとおりです」

 こうして、カイサルという爵位に対する疑問が一応解けた後、僕はイレーネを呼んだ。
「イレーネ」
「私の名はイレニオス。公式の場ではその名で呼んでほしい」
「それだよ。公式の場ではイレニオス、2人きりのときはイレーネというのは分かりにくくてしょうがない。帝国摂政として君に命じる。今日から君は正式にイレーネと名乗って」
「しかし、それでは私は博士号を剥奪されることになる」
「その件は僕が何とかする」
 僕は、ニケーアに滞在するすべての博士号を持つ術士を集めて、緊急の神聖術士最高評議会を開催させた。


「・・・マヌエル帝が女性の神聖術習得を初めて認められて以来、これまでになく高い適性を有する女性術士が次々と輩出され、女性術士の有用性は極めて高いことが明らかとなった。そして現在わが国はラテン人に聖なる都を奪われ、まさに危急存亡の秋にある。この難局を乗り切るため、高い才能に恵まれた女性術士を積極的に活用すべきことは、今や誰の目にも明らかである。そこで帝国摂政ミカエル・パレオロゴスは、イサキオス帝の名において、女性術士に対する博士号の取得を男性術士と同様の要件に基づき取得することを認め、既にイレニオスの名で博士号を取得しているイレーネ・アンゲリナについては、改めてその博士号の有効性を確認することを提案する。誰か異存のある者はおるか?」


 僕は演説文を読み上げた後議場を見回したが、発言する者はいなかった。なお、イレーネは本人の意向で、テオドラと異なり「コムネナ」という2つ目の家門名は付けないことになっている。
「では、余の提案どおりに決定する」
 こうして、女性術士の博士号取得は正式に認められ、イレーネがもはや男性のふりをする必要はなくなったのだが、後になって1人文句を言う人間がいた。テオドラである。
「みかっち、一体何よ。あの決定の仕方」
「君は、僕の提案にはむしろ大喜びで賛成していただろう? 何が不服だというの?」
「あたしが問題にしているのは、決定の内容じゃなくてやり方よ! 出席者のうち、あたしとイレーネ、ゲルマノス総主教、プレミュデス以外の人の後ろには、ヴァリャーグ人の兵士たちが戦闘斧を持って待機していたけど、一体あれは何のためなのよ!?」
「何のためって、説得のためだけど」
「どういう説得よ! もし、反対する人がいたらどうするつもりだったのよ!?」
「そんなの決まっているだろう?」
 僕はそう言って、手で首を斬る動作をして見せた。
「あ、相変わらずあんたは悪魔だわ! 神聖なる最高評議会にこんな乱暴なやり方を持ち込む悪魔のような人間を、あたしはこれまで見たことがないわ!」
「テオドラ、それなら鏡で自分の顔を見ろ。僕なんか比べ物にならないくらい、乱暴なやり方で博士号を取得した女の顔がそこに映っているぞ」
 僕の嫌味に、さすがのテオドラも黙り込んだ。ちなみにテオドラが博士号を取得した経緯について忘れてしまった方は、第1話後編の第12章を参照してください。

 テオドラは黙らせたが、イレーネに関してはもう1つ問題があった。主だった廷臣たちに、イレーネは女の子だから今後はイレーネと呼ぶようにと伝えたところ、皆キョトンとしていた。
 特にテオドロスは、「大将、急にイレニオスが女だって言われても、そんななりのままじゃ、俺には男にしか見えねえぞ」と言ってきた。他の人も概ね同意見のようだった。この様子を見たテオドラが息巻いて発言した。
「こうなったら、イレーネを女の子らしくイメチェンするしかないわね。あたしに任せて!」
「うん、君に任せる」
 僕は、女の子のファッションについては全くの素人である。ここはテオドラに任せた方が無難だろう。イレーネはテオドラに試着室へと引きずって行かれ、テオドラによっていろいろ着替えさせられた。イレーネの様子を見ると、強い抵抗こそしないが、どうやら彼女としては嫌がっているらしい。
 しばらく後、テオドラに引きずられて入ってきたイレーネの姿は、先ほどまでの眼鏡をかけた黒ローブ姿から一転し、日本のゴスロリ衣装に似た可愛らしいドレスを着ていた。なぜゴスロリかという疑問は一瞬沸いたものの、確かにこの姿なら、イレーネは誰が見ても絶世の美少女だ。テオドロスやラスカリス将軍なども皆驚いている。もとから、イレーネを可愛い美少女だと知っている僕は、可憐なイメチェンを果たしたイレーネを思わず絶賛した。
「ものすごく可愛い! 可愛いよ、イレーネ!」
 あれ?
 イレーネは僕の声を聞くと、その瞬間顔を真っ赤にし、その場で倒れ込んでしまった。
「一体どうしたの!? 大丈夫、イレーネ!?」
 僕が慌ててイレーネに駆け寄ったところ、イレーネは気絶してしまっていた。テオドラがオフェリアさんとメイドたちを呼び、気絶したイレーネはメイドさんたちに担ぎ出されていった。オフェリアさんの見立てによると、イレーネは単に気絶しただけで、病気とかの類ではないので命に別状はないとのことだった。
「イレーネは、一体なんで気絶しちゃったの?」
 僕がオフェリアさんに問うと、オフェリアさんはこう答えた。
「イレーネ様は、幼少の頃よりずっと殿方として育って来られました。そのため、自分が女性として見られることに慣れていないのです。それが突然可愛い女性として見られ、しかも殿下にまでものすごく可愛いと絶賛されてしまい、イレーネ様はあまりの恥ずかしさに気絶されてしまわれたのです」
 ・・・はあ。
 僕に裸を見られることは平気なのに、イレーネの恥ずかしがるポイントはいまいちよく分からない。とりあえず、イレーネのイメチェン計画は当面断念し、時間をかけて女の子の姿に慣れてもらうしかなさそうだった。


第2章 アンリ・ド・エノー


 世界暦6754年10月13日。僕がビザンティン世界に召喚されてから約1年1か月後。この日僕はカイサルの爵位と軍総司令官の役職を与えられ、帝国摂政に任命された。ここから約2か月の間、僕は公私共に様々な対応に追われ、とても忙しかった。イレーネの問題もその一つであるが、この時期に起こったことを時系列順に書いていくと、書く僕も混乱してしまうし読む側も混乱してしまうだろう。そのため、この時期に起こった出来事は、時系列順ではなく項目順に書くことにする。
 なお、この国の暦では、1年が1月からではなく9月から始まるので、年が世界暦6754年に変わったのは先月のことである。やたら数字の多い世界暦という概念もややこしいが、1年が9月から始まるという暦もややこしい。機会があったら暦の改正とか出来ないかなと内心思っている。
 暦の件はともかくとして、話は僕が件の最高評議会を開催する少し前に戻る。ラテン人の皇帝アンリ・ド・エノーが、約5千の兵を率いてプルサ方面に向かっているとの報を受け、僕は8千の直属軍を率いて急ぎ迎撃に出た。僕とアンリはプルサの北方で対峙したが、僕はアンリとその軍を一目見て、同じラテン人でもボードワンやブロワ伯ルイとは一味も二味も違うと直感した。
 アンリは金髪の美男で、冷静に僕の側を見つめていた。テオドラの神聖術対策に、術士らしき人を連れて防御結界の準備もしている。配下の騎士たちや歩兵たちも規律正しく、隙が無い。アンリと精鋭の騎士隊たちはこちらの動きを注視しつつ、突撃の威力を最大限に発揮するタイミングを慎重に見計らっているようだ。同じ騎士隊でも、頭の悪いブロワ伯ルイやボードワン配下の騎士たちとは明らかに何かが違う。兵数こそこちらの方が多いものの、下手に攻めれば今までと違って大きな損害が出るか、下手をすればこちらが負けるような気すらしてきた。
「みかっち、何を怖気づいているのよ」
「やっぱり、あのアンリというのは強敵だ。隙が見当たらない。下手に動けばこちらがやられる」
「情けないわねえ、要するにあのアンリって奴を挑発すればいいんでしょ。あたしに任せなさい!」
 そう豪語するテオドラも、自分の神聖術でアンリに一撃をお見舞いして終わりという訳には行かないということは分かっているようだ。テオドラはアンリに向かって叫ぶ。
「やいやい、そこの金髪インポテンツ! この世界一強くて美しい皇女様に怖気づいたか! あんたにもみかっち並みのプリアポスが付いているなら、あたしに掛かって来なさい!」
 ・・・なんという下品な挑発か。そもそも、インポテンツという言葉の意味を分かって使っているのか、この皇女様は。それと、勝手に僕の名を変なところで持ち出すんじゃない。
 僕が内心そんなことを思っていると、アンリは極めて冷静に、笑みを浮かべてこう切り返した。
「これはこれは、あなたが噂に聞く太陽の皇女、テオドラ・アンゲリナ・コムネナ様でいらっしゃいますね? さすがにとてもお美しくいらっしゃる。しかし、そのようにとても美しい皇女様ともあろうお方が、そのように下賤な町の娼婦共の口にするような言葉を口にされては、その太陽のようなお美しさに傷が付いてしまわれないかと心配してしまいます」
 アンリのあからさまなお追従に、テオドラはすっかり上機嫌になって戻ってきた。
「あのアンリって男、なかなか見どころがあるわね。あたしのこと、みかっちよりずっとよく分かっているじゃないの」
 をい。敵にあっさり丸め込まれてどうする。
 僕がテオドラの態度に呆れていると、アンリは僕に対しても声を掛けてきた。
「そこにおられるのは、ミカエル・パレオロゴス殿ではありませんか?」
「いかにも。余がローマ帝国軍総司令官、ミカエル・パレオロゴスである」
「あなたが『神の遣い』、ミカエル殿でありますか。そのご勇名はかねがね承っております」
「追従は要らぬ。ラテン人の皇帝アンリ殿が余に何の用だ」
「私は、ミカエル殿と一戦を交えに参ったわけではございません。貴殿の帝国と、不可侵条約の締結をご提案に参上したのです」
「ほう」
「我が国は、北方の敵ブルガリア人を抱え、国内もまだ安定しておりません。一方、貴殿の国も、先日トルコ人と大きな戦いをしたばかりで、そちらも国内に不安定要因を抱えておられるはず。私としては、貴国とは現状維持を基本に国境線を定め、5年間の休戦条約を締結したいと考えておりますが、いかがでしょう?」
 結構重要な選択が来たぞ。

(どちらを選びますか?)
A アンリと休戦条約を締結する。
B アンリと休戦条約を締結しない。

 僕は少々考えた後、Aを選んだ。
「休戦条約の件、承知した。詳細はテオドロス・イレニコスを使者として派遣する故、その者と協議されたい」
 その後、僕はその場で休戦条約に関する基本合意書に署名し、国境線の画定などの詳細は、例のあんまり使えない貴族、テオドロス・イレニコスに委ねることにした。まあ、そんなに難しい交渉ではないからあの人でも務まるだろう。
「大将、アンリと戦わなくていいのかよ? 聖なる都を取り戻さなくて良いのか?」
 テオドロスが僕に疑問をぶつけてきたが、僕はこう答えた。
「テオドロスと、他の者も聞いてくれ。今、わが国は東方にトルコ人という大きな敵を抱えている。スルタンのカイ=クバードは死んだが、その後の情勢がどうなっているかはまだ分からない。ラテン人と戦うには、当方のトルコ人と同盟を結ぶなり、その他何らかの方法でトルコ人との決着をつける必要があるが、その目途は立っていない。更に、聖なる都を取り戻すにはジェノヴァ人の艦隊のみに頼るわけにも行かず、こちらも相当数の艦隊を用意する必要があるが、その目途もこちらには立っていない。そして、あのアンリが生きている限り、ラテン人が大きな隙を見せることもあるまい。敵の数は少しでも減らしておくことが必要だ」
 例によってテオドラが何か文句を付けてくるかと思ったが、アンリに褒められて浮かれまくっている皇女様は、今回は反対してこなかった。テオドロスも納得し、他の者たちも文句は言ってこなかった。
 その帰り道。
「テオドラ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なあにみかっち? あたしの飼っている猫の話が聞きたいの? あたしの猫はレオーネって言ってね・・・」
「猫の話じゃない! 君は、さっき使っていたインポテンツって言葉、意味を知ってて使っているの?」
「もちろん知ってるわよ!」
 テオドラが、堂々とした態度で僕に指差して答えた。人を指差しながら話すのはやめなさい。
「インポテンツっていうのは、男を怒らせる魔法の言葉よ。この言葉を男に向かって叫ぶと、男たちが血相を変えて怒り出すのよ。町の女たちがよく使ってたわ」
「その言葉を聞いて、なんで男たちが怒るのかは理解しているの?」
「知らないわよそんなの」
 それは実質的に知らないのと同義ではないかと思ったが、下手に追及してインポテンツとは何かという詳細な説明を求められても困るので、これ以上突っ込まないことにした。
 ラテン人たちの休戦条約については、ゲルマノス総主教にも事情を説明して同意を得た。聖職者や修道士の中には、異端者たちと条約を結ぶとは何事かなどと抗議する者もいたが、基本的に放置した。もっとも、偉そうに「あなたに帝国を統治する資格はない」などと言ってくる修道士については、例によって不敬罪を適用して死ぬまで鞭でひっぱたいてやったが。修道士まじうざい。
 あと、アンリに褒められて上機嫌だったテオドラも、ニケーアに戻ってから思い出したように「ラテン人と同盟するとは何事よ!」などと文句を言い出したが、こちらはまともに相手にせず、適当に宥めていたら諦めて帰っていった。どうやら、テオドラの辞書に「一貫性」という言葉は存在しないらしい。

 もっとも、アンリとの休戦条約は必ずしも喜べる話ばかりではなかった。僕が帝国摂政に就任して間もなく、3人の有力者が帝国に帰順してきた。1人目は、マイアンドロス川の南方にあるサンプソンの地で、カイ=クバードと同盟して独立勢力を築いていたサバス・アシデノス。2人目は、フィラデルフィアの町を拠点に強固な勢力を築き、当初は帰順を拒んでいたテオドロス・マンカファース。そして3人目は、海峡を隔てたヨーロッパ側にあるアドリアヌーポリでラテン人に抵抗していた、元ビザンティン帝国軍人のアンドロニコス・ギドス。彼は約1000人の兵を連れて帰参し、僕の指揮下に入ることになった。
 この3人が帰順したことで帝国の版図は南方へ広がり、動員可能兵力も増えたこと自体は良い事なのだが、マンカファースとギドスが帰順した経緯には若干問題があった。マンカファースの方は、自ら皇帝を名乗って独力で聖なる都を奪還しようとし、アンリの軍に撃破されて多くの兵を失ったため、僕に庇護を求めてきたので、貢納と戦時の兵力提供を条件に、そのままフィラデルフィアの総督として領地の支配を認めた。ギドスの方は、アドリアヌーポリで反乱を起こしラテン人の帝国に反抗していたところ、アンリの軍に敗れ、ラテン人の支配下に入るのを潔しとせず敗残兵を連れてこちらに帰参してきた。
 ある日、僕はアンリの件についてゲルマノス総主教と協議した。
「やっぱりアンリは強いですね。このままアンリが皇帝として長期政権を築くことになれば、ラテン人はアンリの許で更に勢力を拡大し、聖なる都の奪回はますます遠くなりそうです」
「そうですな。あのコンスタンティノス・パレオロゴス殿も、アンリの軍に敗れ降伏したとの報が入っております」
「コンスタンティノス・パレオロゴス? 僕の名前と何か関係があるの?」
「そういえば、殿下にはまだご説明しておりませんでしたな。パレオロゴス家は、ローマ帝国における古くからの名門軍事貴族の1つで、聖なる都が陥落する直前、パレオロゴス家の当主はアンドロニコス・パレオロゴスという者でございました。アンドロニコスにはミカエル、ヨハネス、コンスタンティノスという3人の息子がおりましたが、聖なる都の攻防戦でアンドロニコス、ミカエル、ヨハネスはいずれも戦死され、唯一生き残った末子のコンスタンティノスが、現在パレオロゴス家の当主となっております,そして殿下は、戦死されたミカエル・パレオロゴスが『神の遣い』として復活した、ということになっております」
 なるほど、復活とはそういう意味だったのか。
「ただ、そうすると僕は名門パレオロゴスの名を勝手に名乗ってしまったわけで、その辺も含めて、なんとかそのコンスタンティノスさんとは話し合って折り合いをつけたいところだね」
「左様ですな。コンスタンティノス・パレオロゴスは、アンリによってガリポリの総督に任命されたと聞いております。ガリポリは、アジア側からヨーロッパ側へ渡るにあたり重要な拠点ですから、密かに連絡を取って内通工作が成功すればそれに越したことはないでしょう。この任務には、プルサの総督ヨハネス・カンタクゼノスが最も適任かと思われます」
「ヨハネス・カンタクゼノス? なぜ?」
 ヨハネス・カンタクゼノスというのは、早い段階で僕に帰順してきた人物で、テオドラというわずか12歳の娘を僕に差し出そうとした男である。確かに、これまでの統治実績を見る限り無能な人物ではないが、特に謀略に秀でているという話も聞かない。
「ヨハネス・カンタクゼノスの奥方はイレーネ・パレオロギナと申しまして、コンスタンティノス殿の姉君にあたる方です。奥方を通じて交渉すれば上手く行く可能性が高いでしょう」
 ああ、そういうことか。貴族たちの間にも色々血縁関係があるんだね。
「分かった。この件はカンタクゼノスに任せることにする。ところで聞きたいんだけど、どうして僕は、その戦死したミカエルって人が復活したことにされたの? 何か特別な意味でもあるの?」
 僕がそう訊ねると、ゲルマノス総主教は少し慌ててこう答えた。
「あるにはあるのですが、おそらく今の殿下はお聞きにならない方が宜しいでしょう。ショックを受けられるかも知れませんからな」
「そうですか」
 僕は若干不審に思いながらも、この件についてそれ以上追及するのを止めにした。


第3章 ゲオルギオス・アクロポリテス


 僕は、ゲルマノス総主教に以前依頼していた件、すなわち帝国内にある膨大な休耕地に難民たちを入植させる政策を実行できる有能な政務官候補を探してくれという件について、ゲルマノス総主教から候補者のリストが出来たというので、早速その候補者たちと面接することにした。
 最初に呼ばれたのは、ニケタス・コニアテスという人物。総主教から渡されたプロフィールによると、ニケタスは高名な文人として知られており、アンドロニコス帝以下の歴代皇帝に仕え、宮廷秘書官や大法官などの要職も歴任しており、現在はニケーアの貧民街で暮らしつつ、ローマ帝国の歴史などをまとめているという。何となく期待できそうだ。
 実際ニケタスに会ってみたところ、彼は既に50歳を過ぎた老人で、プレミュデス先生と概ね同年代の人だった。僕は、ニケタスと話しているうちに、だんだんと気分が悪くなってきた。僕は「ニケタス殿は、現在の帝国経済にどのような課題があるとお考えですか」とか、「聖なる都の奪還に向けて、我々はどのような政策を取るべきだとお考えですか」といった、極めて現実的な質問をしているのに、ニケタスは僕のよく理解できないプラトンとかアリストテレスとか、ギリシア古典の哲学や神学に関する知識を披露するばかりで、こちらの質問に答えようとしない。この人はあれだ。お父さんが言っていた、何年必死に勉強しても司法試験に落ち続けるタイプの人だ。
 そして僕が最後の質問、「先生は、聖なる都がラテン人に奪われることになった最大の要因は何だとお考えですか」という問いに対し、「我々の罪に対し父なる神が与えられた罰です」という答えを受けたとき、僕の心は決まった。
「先生、ご高説ありがとうございました。気を付けてお帰りください」
 形ばかりの謝礼金を渡し、ニケタスにはお引き取り願った。そしてニケタスが帰った後、僕はゲルマノス総主教に告げた。
「不採用。あんなのは要らん」

 その後も何人かの知識人とされる人物と面接したが、誰も彼もニケタスと似たり寄ったりの人物ばかりだった。最後の人物が帰った後、僕はついにぶち切れた。
「この国の知識人にはろくな奴がいないのか!! どいつもこいつも、二言目にはプラトンがどうだのと、役に立たない話ばかり! 聖なる都がラテン人に奪われたのは、要するに知識人がこんな連中ばかりだったからじゃないのか!?」
「殿下、これにはちょっと事情がありまして」
「どういう事情?」
「この国では、ギリシア人の古典に関する深い見識が、長きにわたり文官の登用資格となっており、古典に秀でたものこそ優秀な知識人というのが長きにわたってこの国における常識でございました。そのため、皆古典の知識を披露すれば殿下からも高い評価を得られると思い込んでいるのです」
「知識人でも、例えば総主教やプレミュデス先生はそんなことないけど?」
「私は殿下にお仕え慣れておりますし、プレミュデスについては殿下の家庭教師役を申し付けるにあたり、殿下は遠い異国の出身で古典の知識などはおそらくありませんから、あまり難しい話はしないようにと事前に申し付けております」
「今来た連中にはそういうことは言っていないの?」
「言っておいたのですが、プレミュデスのような単なる家庭教師役ではなく、帝国の内政を担う高位文官を採用するための面接となると、どうしても気合が入ってしまうのでしょう」
「一体どうしようかな・・・」
 現在、僕の周りは深刻な文官不足だ。ラスカリス将軍を始め有能な軍人はそれなりにいるが、文官はゲルマノス総主教とプレミュデス先生くらい。兵士たちも山賊上がりの連中や異国出身の傭兵が多く、略奪したら忠誠度が上がりそうな連中ばかりだ。こんなメンツでは帝国の統治は成り立たない。だからと言って、今不採用にした連中をもう一度採用する気にはなれない。頭の良さそうなイレーネにも話を振ってみたが、どうやらイレーネは政治には関心がないらしく、「申し訳ないが、私はその方面ではあなたの役に立つことができない」と謝られてしまった。
「殿下は、どのような人物をご希望なのですか?」
「第一に、実績は無くてもいいから、まだ若くてエネルギッシュな人。第二に、必要以上に古典を引用したりせず、国の政治的問題について現実的な思考ができる人。第三に、官僚たちを率いて大規模な政策を遂行できるリーダーシップのある人」
 たぶんそんな人はいないだろうと駄目元で言ってみたが、総主教からは意外な答えが返ってきた。
「私は、その条件すべてに合致すると考えられる人物に、1人だけ心当たりがございます」
「誰?」
「ゲオルギオス・アクロポリテスという人物です」
 何か聞いたことのある名前が出て来た。皇帝ミカエル8世の宰相として、某ゲームにも登場している人物だ。
「どんな人?」
「私の学問の師、コンスタンティノス・アクロポリテスのご子息にあたる人物で、年齢はまだ30歳近くと若いですが、早くから帝国屈指の碩学として名を馳せておりました。しかし、帝国の政治があまりにも腐敗していることに幻滅し、イサキオス帝が復位された頃に職を辞し、現在はアトス山の近辺で隠遁生活を送っております。父子ともに伝統的なギリシア古典に拘泥せず、アクロポリテス先生の教えは現実的で分かりやすいと教師としても評判でありました」
「そんな人がいるなら是非連れてきて! というか、何でその人が総主教の作った候補者リストに入っていなかったの?」
「アクロポリテスは正義感の強い硬骨漢でありまして、私も彼と手紙のやり取りは続けているのですが、文官に採用するからと言って簡単に来てくれるような人物ではありません。もし彼をお召し抱えになりたいということであれば、殿下自らご説得に赴いて頂くしかないと思われます」
「分かった。僕が行く」

 こうして、僕はアトス山にいるというアクロポリテスの許へ向かうことになったのだが、アトス山はラテン人のテッサロニケ王が治めている領地の近くにあり、大勢の護衛兵を連れて行くと問題が起こるため、御供の数は必要最低限に絞ることにした。その結果、
「・・・どうしてこうなった」
 僕は、アトス山へと向かうジェノヴァ船の中で頭を抱えていた。僕の御供は2人、テオドラとイレーネである。
「どうしたのみかっち? ひょっとして、自瀆行為のやり過ぎで疲れた?」
「違うよ! イレーネはともかく、何で君が御供の中に入っているんだよ!?」
 ちなみに、テオドラが自瀆行為について知っているのは、テオドラは僕の反応が面白いといって何度も僕の入浴中に裸で乗り込んでくるようになり、ある日僕の大事なものを見てからかうだけでは飽き足らず、僕の大事なものが「爆発する」ところを見たいと言い出し、僕の抵抗を押しのけて僕の大事なものを触りまくり、その結果テオドラの目の前で僕の大事なものが暴発してしまったからである。そして、これはどういう現象かとテオドラに問い詰められ、僕も説明せざるを得なくなった結果、テオドラは男の子の大事なものを触りまくり、おしっこでない何かを発射させることが男の子の自瀆行為であることを理解するようになってしまった。ただし、その発射されるものが本来何に使うものかについては、さすがに説明していない。
「当たり前じゃない。か弱いみかっちの護衛をする最精鋭の2人と言ったら、このあたしとイレーネに優る者はないでしょ?」
「確かに、戦闘能力に関しては問題ないけど、テオドラ、君は今回の旅の目的を理解しているの?」
「もちろん知ってるわよ!」
 テオドラはそう言って、大きく胸を張り僕を指差した。これはたぶん、さあボケるわよというサインだ。絶対まともな答えは来ない。
「アクロポリテスをふん縛ってニケーアに連れてくることでしょう?」
「違うよ! 彼を説得して、帝国の政務官になってもらうためだよ! 間違っても、アクロポリテスさんに失礼なことをしちゃだめだよ!」
「アクロポリテスなんて大して役に立たないわよ。一応緑学派の博士だけど、適性65しかないのよ」
「アクロポリテスさんには、別に術士としてではなくて、帝国の政治を担う官僚としての役割を期待しているんだよ。ゲルマノス総主教だけでなく、プレミュデス先生も彼なら絶対役に立つと太鼓判を押してくれたし」
「駄目よみかっち! 政治を官僚任せにしちゃあ。『脱官僚』の旗印のもと、政治主導の行政改革を進めなさい!」
「僕の国には、そんなことを言って大失敗した政党があるよ!」

 テオドラとそんな会話を続けているうち、船はアトス山に近づいた。アトス山は、ギリシア正教の聖山とされる場所である。狭い地峡によってテッサロニケ近くの本土と繋がっているものの、半島の先端にあって、おそらく標高2000メートルを超える高い山である。アトス山は鋭く海上から屹立し、周辺は多くの木に覆われて近寄り難く、そんな山を登ったところ、本来なら人が住むような場所ではないと思える場所に数多くの修道院が建っている。この地には、古くは俗世から遠く隔てた無人の隠遁地を探し求めた修道士が住み着くようになり、やがて聖山としての人気が高まって多くの修道士たちが住み着き、多くの修道院が建ち並ぶようになったという。この地は帝国からも聖山として特別な地位を保障されており、修道士たちによる一種の自治共和国が形成されている。なお、聖なる都を容赦なく劫略したラテン人も、この聖山は尊重しているらしい。
 僕はアトス山の船着き場で下船した後、入口の検問所らしきところに向かった。そこには、門番らしき修道士が立っていたが、「女は駄目だ」とまずテオドラが追い払われ、続いて「若くて髭の無い男も駄目だ」と言われ、僕とイレーネも追い払われた。仕方のないことではあるが、イレーネは男だと勘違いされているらしい。
「どうして僕が駄目なんですか!? 僕、立派な男なんですけど? それに、ローマ帝国の軍総司令官で帝国摂政でもあって、用事があってこの山に来たんですけど、それでも駄目なんですか!?」
 僕は門番に食って掛かったが、すげなくこう返された。
「どんな身分であろうと、お前のような見るからに同性愛の相手方になりそうな若い男は駄目だ」
 僕はこの一言で仕方なく引き下がったが、この件がきっかけで僕はアトス山が大嫌いになった。こんな山、いつか叩き潰してやろうと思っていた矢先、僕以上に怒っている人間がいた。テオドラである。
「なにが『女は駄目』よ! こんな山、あたしのメテオストライクで一網打尽にしてやるわ!」
「待ってテオドラ、今はまだその時じゃない! ここで事を荒立てないで!」
 僕とイレーネが必死にテオドラを止め、「このふざけた山にはいつかきつい仕返しをしてやるから」と言い含めて、ようやくテオドラを落ち着かせた。なお、「そもそも聖山を吹っ飛ばしちゃダメだろ」などと無粋な突っ込みを入れる人間は、この場にはいない。僕は、織田信長による比叡山延暦寺焼き討ちを、極めて高く評価しているのだ。
 ちょっと話が逸れたが、その間にも門番による検問は粛々と続き、人間の女は言うまでもなく、山に荷物を運ぶための牛や馬でさえも、メスは駄目とされ追い返されていた。
「女人禁制なのは分かったけど、どうして牛や馬のメスまで駄目なのかしら」
「さあね」
 僕はとぼけて見せたが、大体察しは付いていた。この世界には現代日本にはない(と思う)獣姦の風習があり、牛や馬のメスは男性によって、いわゆるオ〇ホール代わりに使われる恐れがあるからである。それはともかく、なんとかしないとわざわざこのアトス山まで来た目的は達成できない。僕は門番にもう一度懇願した。
「すみません、僕たちゲオルギオス・アクロポリテスさんのところへ行きたいだけなんですけど」
「アクロポリテス? ああ、あいつは修道士じゃないから、あいつの家は向こうだ。ここを通る必要はないよ」
 門番が指さした先には、林の中に一軒の小さな木造家屋が建っていた。アクロポリテスさんは、どうやらあの家に住んでいるらしい。
「ありがとうございます」
 僕は一応門番にお礼を言った後、テオドラとイレーネを連れてその家屋に向かった。僕は家の扉を叩き、こう呼びかけた。
「すみません。ゲオルギオス・アクロポリテス先生はおられますでしょうか? 僕は、ミカエル・パレオロゴスと言います。先生に御用があって参りました」
 すると、扉が開き、家の中から1人の少年が現れた。
「ミカエル様ですか? すみません、お師匠様は本日お留守です。明日には帰ってくると思うのですが」
「君は?」
「お師匠様の弟子で、この家に住まわせて頂いて様々な学問を教えて頂いている、ゲオルギオス・パキュメレスといいます」
「パキュメレス。それでは、ミカエル・パレオロゴスが明日また来ますとお師匠様に伝えておいてくれないかな?」
「分かりました」
 こうして、僕たちはアクロポリテスの家を後にし、アトス山の麓にある宿屋で一泊することにした。聖山といっても多くの人や物が集まるため、その麓にはちょっとした町のようなものも出来ており、小規模ながら宿屋もあったのだ。その宿屋でのこと。
「ねえねえみかっち」
「何? テオドラ」
「他人に何か尋ねられたときは、きちんとボケなさいよ! だからあんたのエンタメ度は1なのよ!」
「僕は芸人じゃない! それで何の話なの?」
「みかっち、あのぱーすけって子、どう思う?」
 ぱーすけというのは、どうやらパキュメレスのことらしい。早くも略しやがった、この女。
「別にどうも思わないけど」
 ただ、某ゲームでもアクロポリテスの弟子として登場していたパキュメレスと同じ家門名なので、あの子も将来は有能な人材になるのかなと思っただけだ。
「でも、あの子いかにもみかっちの好きそうな子じゃない?」
「僕は男に興味は無いけど」
 確かにイレーネに似て中性的な顔立ちではあるけど、あの子は間違いなく男だ。近づいてもイレーネのようにドキドキしたりしない。
「でも、イレーネのことはすごく可愛いとか言ってたじゃない」
「イレーネは女の子だし、実際すごく可愛いもの」
「あのぱーすけも、イレーネと似たような感じじゃない?」
「僕にそういう趣味はありません!」
 そんな僕たちの話を聞いていたイレーネは、途中で逃げるように別室へと去ってしまった。どうしたのかな。

 翌日。
「ミカエル様ですね。えーとすみません、お師匠様はさっき帰っていらっしゃったのですが、別の所用でまた出かけてしまわれまして、本日は遅くまでお帰りになりません」
 パキュメレスが申し訳なさそうに返答すると、テオドラがキレた。
「アクロ~!! 適性65のヘボ術士の存在で、このあたしを何だと思ってるのよ! こんな屋敷、丸焼きにしてやるわ!!」
「テオドラ、それだけはやめて! ほら、パキュメレスも怯えちゃってるから!」
 実際、激昂した挙句に炎の弾まで出したテオドラの姿に、まだ10歳くらいのパキュメレスは怯えまくり、僕の後ろに身を隠してブルブル震えていた。
「ここで怒りに身を任せるのは、彼のためにならない。自重すべき」
 イレーネにも宥められたテオドラは、火の弾を近くの海上で航行していたヴェネツィア船に向けて撃った。テオドラによる八つ当たりの相手にされた不幸なヴェネツィア船は、一撃で黒焦げになり沈没した。どうやら、魔法攻撃が効かないという特殊装備をしている船は、ヴェネツィア船の中でもごく一部に過ぎず、他の船に対してはテオドラの攻撃は効くらしい。
「ぱーすけ! 生意気なアクロに伝えておきなさい。もし明日いなかったら、あの船と同じ運命にしてやるからってね!」
「・・・は、はい。テ、テオドラ皇女様」
 怯えまくったパキュメレスを残し、僕たちは仕方なく宿屋に戻り、もう一泊した。

 その翌日。
 僕としてはアクロポリテスさんが在宅しているかどうかより、むしろ「女張飛」ことテオドラの怒りが爆発しないかどうかの方が心配になった。
「イレーネ、今日も留守だったらテオドラが暴れ出しそうなんで、先に僕たちだけで確認してみない?」
「承知した。確認する」
 イレーネはそう答えると、杖を振りかざして何もないところに向かって呼び掛けた。
「こちら、緑学派博士イレーネ・アンゲリナ。ゲオルギオス・アクロポリテス博士に問う。博士はご在宅か」
「こちら、ゲオルギオス・アクロポリテス。本日は在宅しております。皆さまのご来訪をお待ちしております」
 知らない男性の声が聞こえてきた。
「確認完了。アクロポリテスは確実に在宅している」
「ちょっと待ってイレーネ! 今の術何?」
「通話の神聖術。学士以上の術士であれば誰でも使用できる」
「そんな便利な術があるなら、どうして今まで言ってくれなかったの!?」
「・・・あなたは術士ではない。残念ながら、術士でない者に神聖術の詳細を教えることはできない」
 このイレーネも、なんか融通の利かない子だ。
 僕は気を取り直し、テオドラとイレーネを連れて三度目になるアクロポリテス家への訪問に向かった。
「み、ミカエル様ですね? ほ、本日はお師匠様もご在宅です。・・・お通しします」
 そういうパキュメレスは、僕の後ろにいるテオドラに怯えまくっている様子だった。

「ミカエル・パレオロゴス殿下でいらっしゃいますね? お初にお目にかかります。私、ゲオルギオス・アクロポリテスと申します。先日は所用の為家を空けてしまい、失礼致しました」
 アクロポリテスは、外見はまだ20代。物腰穏やかな紳士だった。特別に美男というわけではないが、一見して頭が良さそうという印象を受けるところは、何となくうちのお父さんに似ている。
「アクロポリテス先生、こちらこそ不躾な訪問失礼致します」
「それで、ご令名高きカイサル殿下は、この世捨て人にどのような御用ですかな?」
「まずは、この国の政治について、碩学とのご令名高き先生に御助言を賜りたく思います」
 僕はそう言って、まずは自分が考えている、難民たちを休耕地に入植させて帝国の直轄地にするという政策案の当否について尋ねた。すぐに自分に仕えてくれという話に入らなかったのは、本当に評判どおりの人材かどうかテストするためでもある。
「大変良いお考えかと存じます。ただし、アジアの地勢は複雑であり、耕作を再開するにあたっては、その地勢、気候その他の条件に照らして最も適した作物を選ぶ必要がございます。また、土地によっては農耕より牧畜に適した地もございますし、長期間農業を続けるには土壌の養分を回復させる必要もございます。農耕と牧畜を上手く組み合わせて、最適の農業生産を行う必要がありましょう」
 なるほど。僕にはなかった発想である。ゲームでのアクロポリテスは、たしか「農業」の特技は無かったはずだが、こちらのアクロポリテスさんは、どうやら農業にもかなりの造詣があるらしい。
「貴重なご助言ありがとうございます。次に、僕はこの国に来て1年余りになりますが、ローマ帝国は貧しい一方、ヴェネツィア人やジェノヴァ人は、我々とは比較にならないほどの富を蓄えているようです。どうして、このようなことが起きているのでしょう?」
「ヴェネツィア人やジェノヴァ人は、交易によって莫大な富を蓄えています。その取り扱う品目は多岐にわたり、その中には悪評高い奴隷貿易などもありますが、中でも重要なのが胡椒です」
「胡椒?」
「胡椒は、肉料理などに不可欠の調味料であり、医療にも使われています。遠いインドの地では多く生産されており、その地では比較的安く手に入るそうなのですが、熱帯の地でしか栽培できないらしく、残念ながらこのロマーニアやその近辺では栽培できません。そこで、この胡椒が商人たちの手によってインドからアラビアへと運ばれ、ヴェネツィア人やジェノヴァ人は、アラビアのサラセン人からこの胡椒を買い付け、高値で売りさばいています」
「その胡椒がなぜ重要なのですか?」
「他の交易品、例えば絹織物などは、一度購入してしまえば需要は終わりです。しかし、胡椒は消費するものですから、購入しても需要は無くなりません。例えば、一度胡椒入りの肉料理を食べてしまった者は、もっと胡椒を欲しがります。胡椒は売れば売るほど、むしろ需要が増えるのです」
「あー分かる分かる! あたしも黒胡椒入りの肉料理大好き!」
 テオドラが茶々を入れるが、僕は無視して話を続ける。
「これに対してローマ人は、昔から交易を卑しいものとして軽蔑してきた故に、交易に力を入れることはありませんでした。その間に、ヴェネツィア人とジェノヴァ人、ピサ人などは航海の経験を積み、交易と戦闘に役立つ船舶の研究開発にも余念が無く、その海軍力はローマ人など及びもつかないものになってしまいました。イタリアの地では交易や海軍以外にも、多くの都市国家が競って土地を開墾し、新しい技術を開発して、目覚ましい勢いで経済発展を続けていましたが、古代からの伝統に固執するローマ人たちのほとんどは、イタリアで生まれた新しい技術に目を向けることはほとんどありませんでした。これが帝国の衰退、そして聖なる都までラテン人に奪われる事態になった遠因の一つでしょう」
「今から、その遅れを挽回することは出来るのでしょうか?」
「出来ます。他国の進んだ技術を取り入れることは、国の統治者さえその気になれば、決して難しいことではありません。しかも、ジェノヴァ人の人口はせいぜい数万人、ヴェネツィア人もせいぜい10万人程度の人口しかいないのに対し、ロマーニアには数百万人もの人口がいます。ローマ帝国が一人の強力な皇帝のもとに再びまとまり、交易と海軍の技術革新に尽力すれば、たとえその技術水準がヴェネツィア人やジェノヴァ人の半分程度であっても、ヴェネツィアやジェノヴァにとっては重大な脅威となります。そのため、特にヴェネツィア人はローマ帝国が再び強大にならないよう、様々な策謀を企んでいるのです」
 その後もアクロポリテスとの会話は続いたが、どれも僕にとっては目から鱗が落ちるような話ばかりだった。何やら構って欲しいらしいテオドラが途中で何度か茶々を入れてきたが、こちらはいま重要な話をしているのだ。テオドラに構っている暇はない。


「ううう、やっとまともな知識人さんに会えたよう・・・」


 僕は、アクロポリテスの頭脳明晰な回答ぶりに思わず涙した。
「・・・ミカエル殿下、どうなさったのですか?」
「・・・今まで会った知識人とかいう人は、意味の分からない古典とか宗教とかの話ばかりして、もうこの国には駄目な人しかいないかと思ってたんですよう・・・。やっと、この人こそ本当の知識人だと言える人に出会えましたよう・・・」
 ひとしきり感涙にむせび泣いた後、僕は気を取り直して、アクロポリテス先生に懇願した。これからは、彼のことを「先生」と呼ぶことに決めた。
「すみません、取り乱しました。アクロポリテス先生、どうか僕のもとで、ローマ帝国の再建に力を貸してください!」
「だが、断る!」
 へ?


「アークーロー!!!」


 僕より先に、激昂したテオドラがアクロポリテス先生に火炎の術を放とうとし、僕とイレーネが慌てて止めようとすると、
「いや、テオドラ様、今のはただの冗談です。このゲオルギオス・アクロポリテス、ミカエル殿下のために微力を尽くさせて頂きます。本当にただの冗談ですからどうか落ち着いてください」
「冗談にしてはセンスがないけど、まあいいわ。せいぜい励みなさい」
 テオドラも平静を取り戻した。なんか、このアクロポリテス先生、意外に茶目っ気のある人らしい。
「お師匠様、ぼ、僕は一体どうすればいいのですか?」
 パキュメレスがおろおろしながら問う。
「パキュメレス、これからはミカエル殿下の許でお仕えしなさい。実践に優る学問はありません」
「もう、私には学問を教えて頂けないのですか?」
「そうは言っていません。これからはミカエル殿下と一緒に仕事をこなしながら、ミカエル殿下とご一緒に学ぶのです。実際の政治は、机上の学問だけで学ぶことはできません。パキュメレス、これはあなたにとっても重要なチャンスです」
 そしてアクロポリテス先生は僕に向き直ると、
「このパキュメレスはまだ子供ですが、頭が良く将来は有望です。きっと殿下のお役に立つことでしょう。どうか、殿下の側近としてお側に置いて頂けないでしょうか?」
「分かりました。よろしくね、パキュメレス」
「よ、よろしくお願いします。ミカエル・パレオロゴス殿下」
 こうして、アクロポリテス先生とパキュメレスは、僕の配下として仕えることになった。アクロポリテス先生には、内宰相として農業や商業の振興政策を指揮してもらうことにし、さらに先生の弟子たちが集まってアクロポリテス先生の仕事を補佐するようになったので、僕は他の仕事に専念できるようになった。パキュメレスは僕の側に仕え、各地を動き回るアクロポリテス先生と僕の連絡係を務める一方、僕と一緒に様々な学問を学ぶことになった。


第4章 神聖術士になろう!


 アクロポリテス先生とパキュメレスを連れて、ジェノヴァ船でニケーアへと戻る帰り道。
 先日の理不尽な襲撃に怒ったヴェネツィア人が、15隻ほどの艦隊で復讐戦を挑んできたが、魔法耐性の高いミスリル銀で武装した船は見当たらない。テオドラが火炎の術で敵船を容赦なく沈めていくと、勝ち目のないことを悟ったヴェネツィア艦隊は退却していった。
「ところでイレーネ、僕が神聖術士になる方法はないの?」
 僕がそうイレーネに尋ねたところ、思う存分敵艦を沈めて意気揚々と戻ってきたテオドラが代わりに答えた。
「みかっち、神聖術士にはそう簡単になれるものじゃないのよ。まず、術士としての教育を受けられる人は、①皇帝またはその一族に属する者、②セバストス以上の爵位を有する者、③聖なる都の大学で高等教育を受け相応の学力を有すると判定を受けた者、④皇帝、皇帝の職務を代行する者、または神聖術各評議会議長から特別な許可を受けた者のいずれかでなければならないの。その上で適性検査を受け、50以上の神聖術適性を有すると認められたものだけが、術士になるための教育を受けられるの。みかっち程度が簡単になれるものじゃないわ」
「僕、爵位がカイサルだから、②に該当すると思うんだけど。それに僕は帝国摂政だから、④に基づき自分で自分に許可を出すことも出来ると思うんだけど」
「あ、そうか。なら適性検査は受けられるわね。ニケーアに戻ったら受けてみる?」
「やってみる」
 この帝国を再興するには、おそらく神聖術の力を最大限に活用することが必要不可欠だ。そして、神聖術を活用するには、神聖術のことをよく知らなければならない。いつまで経っても「術士じゃない人に詳しいことは教えられない」では、いつ不意打ちを喰らうか分かったものじゃない。もし僕が術士で「通話」という便利な術があることを知っていたら、別にアトス山の麓で2日も待たされる必要は無かったのだ。
 ニケーアに戻った翌日。僕はプレミュデス先生の許で、適性検査なるものを受けた。
「ミカエル殿下、では適性検査を執り行います。この水晶玉に両手をかざしてくださいませ」
 僕が言われたとおり水晶玉に手をかざすと、水晶玉が白く輝き、文字らしきものが表示された。僕もこの1年でギリシア文字の基本は習っているが、どうやらギリシア文字で「79」と書かれているように見える。ちなみに、アラビア数字はこの国ではまだ導入されていないようである。
「神聖術適性は79ですな。男性としてはかなりの素質がおありですぞ」
「79ってどのくらい凄いんですか?」
「それは講義の中でご説明致します。まずは、神聖術士になるための宣誓を行って頂きます。神聖術士としての基本的な3箇条のルールを順守することを、所定の文言に従って宣誓して頂きます」
「どんなルールなんですか?」
「1つ。神聖術はローマ帝国のために活用し、他国や帝国の敵にとっての利益のために活用しないこと。1つ。神聖術に関する知識を術士でない者に対しみだりに漏らさないこと。1つ。神聖術を犯罪行為のために悪用しないこと。・・・いや失礼、もう1つございました」
「どんな?」
「1つ。街中その他公共の場所で、危険な神聖術をみだりに発動しないこと、です。このルールは3年近く前に追加されたばかりなので、つい忘れておりました」
 ・・・そのルールを作った犯人が誰かは、概ね察しがつくな。

 どちらにせよ、特に異議をとどめるべき内容のルールではなかったので、僕は、プレミュデス先生から教わったとおりに宣誓文を読み上げた。
「私、ローマ帝国のカイサル、ミカエル・パレオロゴスは、父なる神に宣誓します。コンスタンティノス大帝と神の母マリアと聖霊の力によって授けられた父なる神の御業を用いることを認められた神聖術士として、父なる神の御業をローマ帝国のためのみに活用し、他国や帝国の敵にとっての利益のために活用しないこと、神の御業に関する知識を神聖術士でない者に対しみだりに漏らさないこと、神の御業を犯罪行為のために悪用しないこと、街中その他公共の場所で危険な神の御業をみだりに発動しないことを、ここに誓います」
 宣誓文を読み上げると、僕の身体が白く光った。
「これは?」
「父なる神が、殿下を神聖術士としてお認めになった証です。これで殿下は神聖術士見習いとなりました。次に、神聖術の発動に用いる神具を選んで頂きます。神具には色々なタイプがあり、杖、剣、腕輪などがございます。殿下はよく戦いに出られますので、私としましては、戦闘の邪魔にならない腕輪タイプをお勧め致しますぞ。なお、神具のタイプは後から変更することも出来ますぞ」
「では、腕輪タイプでお願いします」
 こうして、僕は銀色の宝石が付いた腕輪を受け取り、右腕にはめた。これで僕も、神聖術を発動できるのかな。
 その後、プレミュデス先生による神聖術の基礎講義が始まった。講義はかなり長かったので、要点のみ以下に箇条書きで記すことにする。なお、カッコ内は僕の感想。それでもかなり長いので、面倒な方は箇条書き部分を読み飛ばして先に進み、必要に応じて読み返してもらうという形でも構いません。

<神聖術の習得と学位について>
● 神聖術士のランクは、必要な儀式を終えただけの「術士見習い」、初級講座を終了した「学士」、各学派の専門講座を修了した「修士」、修士号を得た後に神聖術の研究力、応用力を認められた「博士」に大別される。修士及び博士は、さらに赤・白・青・緑の4学派に大別される。
● 現在受けている初級講座は、「学士」号の取得を目的とするものである。講座のカリキュラムは、共通科目の講義及び実技、赤・白・青・緑各学派の講義及び実技、及び修了考査によって構成される。初級講座の実技においては、合計11個(共通3つ、各学派2つ)の初歩的な術の発動方法を学習する。修了考査においては、基礎講座全体で学習した知識を習得しているか否かが問われ、8割以上の得点を得られれば「学士」号を取得できる。なお、実際に術を発動できなくても、修了考査に合格すれば学士号の取得自体は可能である。学士号を取得するまでに必要な期間は、個人差もあるが平均3か月程度である。
● 修士号の取得に必要な専門講座の内容は、学派によって異なる。詳細を知りたければ、各学派担当の講師に聞くこと。なお、専門講座の内容は、修了考査の試験範囲に含まれない。
● 博士号を取得するには、修士号を取得した後、神聖術に関する研究や応用の能力を示すことが必要となる。その具体的な方法は、新たな神聖術の研究、または神聖術の新たな応用方法に関する論文を書いて審査に合格すること、または自分の開発した新たな神聖術や応用方法を実践すること、の2種類が認められている。
● 博士号を取得すると、神聖術士の意思決定機関である最高評議会及び所属する各学派の評議会における議席が与えられるほか、教会によって使用の禁止された魔術を含め、これまで神聖術に関し行われた研究成果のすべてにアクセスすることが認められて、また神聖術に関する講師の資格も認められる。一般的に、博士号を取得した者が一人前の神聖術士であると考えられている。
● 自分の所属する学派は、学士号を取得した後、専門講座の受講を開始するまでに決める必要がある。現行制度では、事後に所属する学派を変更することは認められておらず、複数の学派の修士または博士の学位を併せて取得することも認められていないが、他の学派に属する術を任意に習得ないし研究することは認められている。ただし、神聖術士の間では所属する学派によって一種の派閥が形成されているので、どの学派を選択するかは先輩術士らとの相性も考慮し、慎重に決めた方がよい。

<神聖術の基礎知識>
● 神聖術の正式名称は、「コンスタンティノス大帝と神の母マリアと聖霊の力によってもたらされた父なる神の御業」であるが、長いので通常は神聖術と呼ばれている。
● 神聖術は、正教会によって聖なる力と認められた術であり、悪魔の仕業とされる「魔術」とは区別される。神聖術として開発された術であっても、教会の法や倫理に反する術、またはあまりに危険な術は教会によって使用を禁止され、魔術とされることがある。もっとも、博士号取得者に関しては、魔術を使用すること自体に対する罰則が帝国の混乱等により現在機能しておらず、「神聖術」と「魔術」を特に区別せず単に「魔法」と呼ぶ不届き者の術士もいるが、倫理上好ましくないので真似しないこと。
(不届き者って、主にテオドラのことだよな)
● 神聖術は、父なる神によってもたらされた「マナ」の力によって発動される。この世界の天地には、マナと呼ばれる人間の通常の力を超越し、自然の共通法則の外側にあって、あらゆる事象に効果を及ぼす力がある。マナは物理的な力とは全く区別される超自然的な力であり、良い方にも悪い方にも全てに作用し、それをコントロールすることで神聖術を発動し、これを自然の共通法則と組み合わせて有効に活用することで、神聖術を使えない他者に対し最大限の優位性を得ることができる。
● 神聖術について学ぶには、自然の共通法則についても併せて学ぶ必要があり、適性が低く神聖術をほとんど発動できない者であっても、主に自然科学の研究を目的として神聖術を学ぶ者もいる。博士号取得までの過程にあたり、実際に術を使用する能力がほとんど問われないのはこうした需要に応えるためであり、神聖術士の業界では、伝統的に神聖術の研究者が高く評価され、実際に術を用いて戦う者は低く評価される傾向にある。なお、実質的な自然科学の研究を目的として神聖術が学ばれるのは、正面から自然科学の研究を行い教会の教えと異なる自然法則を提唱すると、教会から異端の罪で有罪宣告を受け追放されるおそれがあるためである。
(教会の教えが絡んでるのか。色んな意味で変な世界だな)
● 基本的な神聖術を発動するには、「マナ」の力、術者の「父なる神によってもたらされたマナの力を制御する力」、そして神具の3つが必要である。術者の力については、長いので神聖術力、マナ力、あるいは魔力と呼ばれている。魔力という用語は本来好ましいものではないが、既に術士の間で広く使われているので教会も黙認しており、使用して差し支えない。なお、魔力を全て使い切ってしまうと術者は気絶してしまい、回復までに通常3日間の安静療養を必要とする。特に、神聖術適性の低い者は、強力な神聖術を発動しようとして気絶することが多いので注意すること。
● 神聖術適性とは、術者の持っている最大魔力を表す指標であり、高いほど強力な神聖術を容易に発動することが出来る。神聖術適性は50から100までの数値で評価され、数値が1上がると最大魔力は2倍になる。適性の数値は生まれながらの才能であり、術者の生涯において変わることはないと考えられている。現在のところ、術者の適性値を事後的に引き上げる方法は発明されていないが、研究と訓練により神聖術の効率や威力を高めることは可能であり、適性の数値のみが術士としての力量を示す絶対的な水準というわけではない。
● マヌエル帝によって女性の術士が認められる以前、人間の神聖術適性は概ね70台が上限と考えられていたが、女性術士の中には適性80台、あるいは90台を誇る強力な術士も現れている。その原因については様々な議論がなされ、女性は男性に比べ苦痛に耐える力が強いからだとする仮説もあるが、女性術士でも適性60台程度にとどまる者もいるといった反論もなされており、未だ結論は出ていない。イレニオス博士は、男性として初めて適性91を持った驚異的な術士として注目を集めたものの、実際には女性であったことが判明し、この問題に関する議論にも大きな影響を与えている。
(イレーネが天才ともてはやされたのは、そういう理由もあったのか)
● 神聖術を発動するには、伝統的に父なる神への感謝と祈りを捧げる、教会所定の文言に従った呪文を唱えることが必須とされていたが、近年ある術士が呪文を唱えずに神聖術を発動する方法を発見してしまい、それによって博士号の学位取得が認められたため、その影響で近年は呪文を唱えない術士も増えている。
(ある術士って、もしかしなくてもテオドラのことだよね)
● ただし、現在においても呪文が全く無意味というわけではなく、神聖術の発動に慣れていない初心者の術士が術を発動する場合、または神聖術の威力や効果範囲を大きく広げたい場合には、神聖術の発動にあたり呪文を唱えることも有用である。呪文を唱え終わるには通常1時間以上かかるが、呪文をすべて暗記することは必須ではなく、呪文の書かれた書物をそのまま読み上げることによっても呪文はその効力を発揮する。もっとも、呪文を多用する術士の多くは呪文をすべて暗記しており、一人前の神聖術士としては、呪文をすべて暗記することが望ましい。なお、呪文の文言は、発動する術の種類に関係なく同一である。
(このあたり、一般的なファンタジー世界に比べるとかなり緩いな。普通は呪文を全部暗記しないと魔法を使えないっていう話が多いのに)
● 特殊な神聖術として、神聖術の発動に魔法陣や特殊な神具を必要とするもの、術の効果を永続的なものとするために術者の恒久的な犠牲を必要とする呪法と呼ばれるものがある。また、未だ実用段階には至っていないが、銅から金や銀を生み出すなどと言われている魔術の一種である錬金術と神聖術を組み合わせる技術、強力な召喚獣を呼び出す召喚術などの研究も過去には行われている。
(僕にかけられている意思疎通も「呪法」の一つだよね。恒久的な犠牲って何なのかな?)

<神聖術の歴史>
● 帝国にはじめて神聖術がもたらされたのは、世界暦6182年、聖者カリニコスが聖なる都に現れ、サラセン人の艦隊を焼き払ったときとされている。その後世界暦6228年、時の皇帝レオーン・イサウロスの決定により、神聖術は帝国の最高機密に属する聖なる技術として公認され、赤、白、青、緑の4学派もこの時期に形成されたとされている。もっとも、神聖術の公認には教会の反発も強く、その後長きにわたって神聖術の研究自体は秘密裏に進められたが、その積極的な活用が試みられることはほとんどなかった。
● 帝国が滅亡の危機に瀕した危機的状況の許で帝位に就いた大アレクシオス・コムネノス帝、すなわちアレクシオス1世は、帝国を再生させるための諸改革の一環として、今までほとんど活用されてこなかった神聖術の活用にも力を入れることを考え、神聖術の研究制度を整備した。学士・修士・博士という現在の制度が創設されたのも、同皇帝時代の世界暦6603年である。
● 従来、神聖術士になれるのは男性に限られていたが、マヌエル帝が世界暦6676年、娘マリア・コムネナ皇女の懇願により、学位は修士までに限るとの限定付きで、女性の神聖術習得を認めた。女性初の術士となったマリア皇女は、適性85という当時としては異例の高い神聖術適性を有し、老境に達していたマヌエル帝の看護などに活躍した。マヌエル帝は享年82歳と稀なる長命を全うされたが、その背景にはマリア皇女の活躍があったと考えられている。
● コムネノス家の傍系ながらクーデターにより帝位を簒奪したアンドロニコス帝は、反キリストなどと呼ばれ悪名高いエリス・ダラセナをはじめ多くの術士を重用し戦争に活用したが、重用された女性術士のほとんどがアンドロニコス帝の愛人だったこともあり、教会から猛烈な非難を浴びた。アンドロニコス帝はさらに、女性の博士号取得を認める改革も試みたが、教会の猛反発によって実現しなかった。結局、女性の博士号取得が正式に認められるのは、今年すなわち世界暦6754年、イサキオス帝の摂政ミカエル・パレオロゴスによる決断を待たなければならなかった。
(僕って、もう帝国の歴史に残る重要な決断をしてしまったんだ。あと、先生としてはテオドラの名前は極力出したくないらしい)
● なお、世界暦の年号については、修了考査では出題の対象としないので、特に暗記する必要はない。
(助かった!)

<学派について>
● 前述のとおり、神聖術には赤・白・青・緑という4つの学派がある。理論上、赤の学派は夏を司り、白の学派は冬を司り、緑の学派は春を司り、青の学派は秋を司るものとされている。また、赤の学派は火を司り、白の学派は氷を司り、緑の学派は生命を司り、青の学派は風を司るものとされている。
● 赤の学派は、伝統的に火炎による攻撃系の術を得意としており、これに対し白の学派は氷や吹雪による攻撃系の術を得意としており、両派の術士は昔から仲が悪い。緑の学派は治療系の術を得意とし、聖職者や医師などに取得者が多い。青の学派は防御系の術を得意とし、軍人などに取得者が多い。
(・・・聖職者なのに青の学派を選択したゲルマノス総主教は変わり者なのかな?)
● 4つの学派の担当範囲には明確な決まりがあるわけではなく、新しい神聖術が開発されると、その担当範囲をめぐる権限争いが生じることもある。
(妙なところで生々しい世界だな)

「まあ、大体こんなところですな。休憩の後、いよいよ実技の練習に入りますぞ」
 いよいよ僕も実際に魔法、じゃなかった神聖術を実際に使うときが来るのか。なんかワクワクするな。
「私からは、殿下に3種類の神聖術をお教えし、そのうち2種類を実践して頂きます」
「残りの1種類は実践しなくていいの?」
「しなくて構いませんというより、実践されては大変なことになります。理由は、後で術の効果についての説明を聞いて頂ければ分かります。それではまず1つ目、『通話』の神聖術をお教え致します」
 『通話』か。あのイレーネがアクロポリテスと通信していた術のことだな。ちなみに、術の名称についてはそれぞれギリシア語の正式名称があるんだけど、いずれも呼びにくいし馴染みにくいため、僕の方で日本語または英語の適当な名称に訳してあります。
「通話の神聖術は、遠隔地にいる他の神聖術士と通話することのできる術です。推奨適性は50、すなわち術士であればこれを使えない者はまずいない、極めて簡単な術です。発動方法は簡単、神具に向かって自分の神聖術士としてのランクと名前、通話をしたい神聖術士のランクと名前を告げると、その者との通話が可能になります。では試しに、私は隣の部屋に参りますので、隣の部屋にいる私と通話の術で会話をしてみましょう。殿下の場合、『神聖術士見習いミカエル・パレオロゴス、ニケフォロス・プレミュデス博士に告ぐ』といった感じで結構です」
 そう言って、プレミュデス先生は隣の部屋へ移動していった。いよいよ、人生で初めての神聖術を使うとき。なんか緊張するな。僕は、自分の腕輪に向かってこう告げた。
「神聖術士見習いミカエル・パレオロゴスです。博士ニケフォロス・プレミュデス先生、ご機嫌いかがですか」
 すると、プレミュデス先生の声が聞こえてきた。
「こちら、ニケフォロス・プレミュデス。私は相変わらずです。泣いてる日もあります、笑う日だってあります」
「・・・先生、今のお返事には何か突っ込んだ方がいいんですか」
「気にしなくて結構です。とりあえず殿下、『通話』の術は無事習得されたようですな。通話を終了いたしますぞ」

 その後間もなく、プレミュデス先生が戻ってきて、次の術の実習が始まった。
「次にお教えするのは、『パッシブ・ジャンプ』の術です。神聖術の中で、瞬間移動を可能にする術は『アクティブ・ジャンプ』と『パッシブ・ジャンプ』の2種類がございます。このうち、今回殿下に習得して頂くのは、簡単な『パッシブ・ジャンプ』の方になります」
「その2つはどう違うの?」
「まず、パッシブ・ジャンプの方からご説明致しますと、この術は任意の場所から、帝国内に設置されております移動拠点まで、瞬時に移動することができます。推奨適性は50、これも術士であればほぼ誰でも簡単に使うことが出来ます。ただし、現在では利用する者がほとんどおりませんので心配はないと思いますが、移動先の拠点が混雑している場合、拠点管理官の判断により順番待ちをさせられることがございます」
「それで、アクティブ・ジャンプの方は?」
「アクティブ・ジャンプは、移動拠点の有無に関係なく、任意の場所から任意の場所へ瞬時に移動することができる術です。ただし、この術は青学派に属する高等術の1つでありまして、推奨適性も80以上と高く、また移動先の安全も保障されておりませんから、非常に危険な術です。アクティブ・ジャンプの習得方法や使用方法を記した論文は書かれているのですが、実際にこの術を使いこなせる神聖術士は現在のところ未だおりません」
「・・・とりあえず、僕には縁のなさそうな術ですね」
 僕の適性があと1高ければ、僕にも使いこなせる可能性があったのに。でも、季布の統率なんかと違って、事後的に適性を高める方法がない以上は仕方ない。男性の中ではかなり高い方なのだから、それで良しとするか。
「では、パッシブ・ジャンプの使い方をご説明致します。現在稼働中の移動拠点はニケーアの宮殿内に設置されている一か所しかございません。移動拠点の名称も単なる『ニケーア』です。そのため、神具に向かって「ニケーアへ!」と唱えれば、どこからでも瞬時に移動拠点へと移動することが出来ます。では、私が先に術を使って移動拠点へと参りますので、殿下も付いてきて下さいませ」
 プレミュデス先生はそう言うと、杖をかざして「ニケーアへ!」と叫び、瞬時に何処かへと姿を消していった。僕も先生の真似をして、腕輪に向かって「ニケーアへ!」と叫んでみた。その瞬間、周囲の風景が変わり、僕は初めてテオドラやイレーネにあった場所、すなわち宮殿内で大きなクリスタルが安置されている部屋にある、魔法陣の上に立っていた。
 そこにはプレミュデス先生と、もう1人の術士らしき人がいて、僕はその術士から「殿下、他の者が移動してくる可能性がありますので、魔法陣からは速やかに離れてください」と注意され、僕は慌てて魔法陣からプレミュデス先生の許へと移動した。
「これで、パッシブ・ジャンプも習得完了ですな。なお、この術を使うときの注意点として、今拠点管理官が申しましたとおり、他の者の邪魔になりませんよう、移動が終わった後は速やかに魔法陣から離れるよう注意してくださいませ」
「分かりました」
「残る1つの術ですが、これは説明のみになります。これは通称『自爆』の術と呼ばれており、術者の生命及びすべての魔力と引き換えに、広範囲の敵に強力な攻撃を加えることができます。他の攻撃術と異なり味方を巻き込むこともないという長所もございますが、この術を使った術士はその場で死んでしまい、『自爆』の術を使って死んだ術士を蘇生させる方法はございません。一応、使い方としては呪文を唱えた後、『父なる神よ、我が生命とすべての力と引き換えに、邪悪なる敵を撃ち滅ぼし給え』と唱えることで発動することができますが、特に殿下は絶対にこの術を使わないでくださいませ。もし殿下が亡くなられることがあれば、この帝国はお終いですからな」
「はい。というかそんな術、言われなくても怖くて使えませんよ」
 自分だけじゃなく、他の術士にもそんな術は極力使わせたくない。僕は敵に対しては容赦ないけど、味方を平気で犠牲にする神風特攻隊みたいな戦い方は大嫌いなのだ。
「これで、私が担当する共通科目の講義及び実習は以上になります。講義の内容については、いつでも復習できるよう後で教科書をお渡し致します。今後の流れとしては、後日赤学派、白学派、緑学派、青学派の担当講師による講習を受けて頂き、すべての講習が終わりましたら修了考査を受けて頂き、これに合格されましたら晴れて学士号取得となります。何かご質問はございますかな?」
 結構色々聞きたいことはあるんだけど、ここではどうしても聞いておきたいものに絞ろう。
「先生、この移動拠点なんですけど、他の場所に設置することは出来ないんですか?」
「出来ますぞ。魔法陣を築いて移動拠点の名称を定め、移動拠点を管理する「拠点管理官」の術士を配置することで移動拠点を稼働させることが出来ます。複数の移動拠点がある場合、拠点間の移動は術士でない者でも皇帝陛下、または摂政として陛下の職務を代行されている殿下の発行する使用許可証を得れば利用することができます。また、洞窟や敵の拠点など危険な場所に少人数で侵入する場合、入口に臨時の移動拠点を設置し、危険に遭遇したときにはパッシブ・ジャンプの術で脱出するなどという使い方も出来まする。移動拠点の作り方については、青学派を選択すれば専門講座で習得することが出来ます。その他、瞬間移動の神聖術に関しては青学派の専門分野に属しますので、詳しくは青学派の担当講師に聞いてくださいませ。ほかにご質問はございますかな?」
「はい。さっきの『通話』といい、パッシブ・ジャンプといい、どちらも簡単に使える割にはものすごく便利な術で、かなり色々な使い道があるような気がするんです。ぱっと僕が思い付くだけでも、例えば戦争で各部隊に1人ずつ連絡用の術士を配置しておけば、伝令なんか使わずに僕からの指示を瞬時に伝えられますし、離れた場所にいる各部隊からの報告も瞬時に受けることが出来ますし、国境の砦などに術士を配置しておけば敵襲の報告もすぐに受けることが出来ます。パッシブ・ジャンプについても、帝国各地の要所に移動拠点を作っておけば僕も軍隊も瞬時に移動させることが出来そうですし、かなりの使い道があると思うんです。でも、この国にそうした発想が全く見られないのはどうしてなのですか?」
「・・・難しいご質問ですな。単刀直入に申し上げますと、この国の神聖術は積極的に活用することよりその秘密を守ることに重点が置かれておりまして、殿下の仰られたような積極活用を考える皇帝陛下はほとんどおられませんでした。ただし例外として、自身も有能な術士であらせられたアンドロニコス帝は神聖術をかなり積極的に活用され、アンドロニコス帝の御代には聖なる都だけで13の移動拠点があり、さらに私は軍人ではないので詳しいことは存じませんが、戦争でも様々な神聖術を有効に活用されていたそうでございます。アンドロニコス帝が帝位簒奪者の身でありながら、様々な危機を乗り越え20年以上の治世を全うできたのは、神聖術の積極的活用がその一因であったと考えられております」
「その、アンドロニコス帝が作った伝統はどうして残らなかったんですか?」
「アンドロニコス帝は、有能な女性術士のほとんどを自らの愛人としていたこともあり、聖職者や修道士たちから「神聖術を乱用する者」などと猛烈な非難を受け、最後は聖職者や反対勢力の支持を受けたイサキオス帝のクーデターによって命を落とされ、イサキオス帝以後の歴代皇帝陛下は神聖術の積極活用にほとんど関心を示されませんでしたので、アンドロニコス帝のご考案された活用方法はそのほとんどが忘れ去られてしまいました。」
 またしても聖職者や教会勢力が障害になるのか。
「殿下が、アンドロニコス帝のような神聖術の積極活用をお考えになるのであれば、それは帝国摂政である殿下のお考え次第であり、殿下の家庭教師に過ぎない私めがとやかく申し上げることではございません。ただし、神聖術を様々な目的で積極活用される場合、神聖術の秘密が他国に漏洩する危険性が高まること、また聖職者や修道士、教会勢力を敵に回す危険性が高まるということは、よくお考えになってくださいませ」
「分かりました。あと1つだけお願いします。以前から気になっていたのですが、この部屋にある、あの大きなクリスタルは何のためにあるのですか?」
「あのクリスタルは、主にこの町を防衛するための特殊な神具です。ロシアの奥地でしか採れないと伝えられている特殊な水晶で作られており、この町が敵の攻撃を受けたときにはあのクリスタルを発動させることになっております。あのクリスタルが発動すると、この町の城壁はあらゆる物理攻撃、神聖術や魔術の攻撃を受け付けなくなり、城壁を破壊することは不可能になります。また、クリスタルは膨大な魔力を持っているため、平時には他の術に転用することも可能であり、テオドラ皇女様とイレーネ様が殿下を召喚された際にも、あのクリスタルの力を利用したと聞き及んでおります。なお、クリスタルは非常に希少で高価なものであるため、帝国内でもここニケーアの他には、スミルナと現在ラテン人の支配下にある聖なる都、アドリアヌーポリ、テッサロニケの5か所にしか置かれておりません。現在における帝国の財政事情下では、新設はほぼ不可能とお考え下さい」
「分かりました。でも、そんな凄い神具のある都市が、どうして敵の手に落ちたのですか? 確か、このニケーアも、一度はトルコ人の手に落ちたと聞いたことがありますし」
「クリスタルで守られている都市であっても、敵に城壁をよじ登られて侵入を許したり、町の住民が自発的に降伏したりすれば陥落しますので、無敵というわけではありません。昔ニケーアがトルコ人の手に渡ったのは、たしかニケフォロス・ボタネイアテス帝が帝位簒奪のため聖なる都へ進軍する際、ニケーアの留守をトルコ人に委ねてしまったことが原因と聞き及んでおります」
 何その駄目な人。この国では一体何があったんだ。
「ありがとうございます。最後にあと1つだけ。現在敵の手に渡っている聖なる都、アドリアヌーポリ、テッサロニケにあるというクリスタルは、既にラテン人の手によって破壊されている可能性はないのですか?」
「いずれも無事のようです。ヴェネツィア人は昔帝国の支配下にあり、長い間帝国とも友好関係にあったこともあって、どうやら一部の者がクリスタルの効用を知っているようです」
「そうなると、神聖術に関する秘密は、既にヴェネツィア人とラテン人にはある程度漏れていて、少なくともその3都市を攻略するには、投石器も神聖術による攻撃も意味を成さないと考えた方がよいわけですね」
「残念ながら、おそらく殿下の仰るとおりかと考えられます。ご質問は以上で宜しいですかな?」
「以上です。長時間ありがとうございました」
 こうして、プレミュデス先生による「共通科目」の講座は終わった。神聖術の習得自体も大事だけど、その活用についてもこれから考えること、やることが一杯ありそうだ。既に、神聖術の秘密が一部の敵に渡っている以上、この国が生き残るには、敵を上回る勢いで神聖術の力を徹底的に活用するしかないのだから。


第5章 赤学派とテオドラ


 次の日、午前の政務が終わった後の午後。僕は赤学派の担当講師から講習を受けることになったのだが・・・。
「テオドラ、ひょっとして君が赤学派の担当講師なの?」
「当たり前じゃない! あたしは赤学派の世界一優秀な天才術士で、博士号もちゃんと持ってるのよ。赤学派の担当講師が務まるのは、誰がどう考えてもあたししかいないでしょ?」
 どうしよう。物凄く嫌な予感しかしない。
「で、講義を始める前に、みかっち。あんたの神聖術適性、いくつだった?」
「79だけど」
「ななじゅうきゅう~!? 何その中途半端な数字。あんた、本当にエンタメというものが本当に分かってないわね~」
「エンタメが分かってないってどういう意味?」
「あのね、ヒーローもののお約束として、普通主人公の能力っていうのは、チート並みの超能力か、あるいは落第寸前の劇弱って相場が決まっているのよ。超強い主人公だったら、その力で大活躍するヒーローの物語になるし、逆に落第寸前の劇弱主人公だったら、そのハンデを知恵でどう乗り越えるかって物語が成立するわ。神聖術適性でいえば、普通90を超える大物か、逆に50ちょっとしかない小物っていうのが妥当なところね。79なんて、弱くは無いけどそんなに強くもない中の上クラスの優等生って感じで、一番物語になりにくいラインじゃないの。みかっち、あんた本当に主人公として読者さんを喜ばせる気があるの!?」
 やたらメタな上に、理不尽極まりない説教が始まった!
「そんなこと言ってもしょうがないだろ! 神聖術の適性は生まれ持った才能であって、自分でパラメータを配分できたりするわけじゃないし、そもそも僕の目的は潰れかけたローマ帝国を何とかすることであって、ヒーローになることじゃないんだから!」
 僕に与えられたミカエル・パレオロゴスという名前からして、おそらくこの世界における僕の役割は、ローマ帝国を再建するために手段を問わず色々なことをやって、史実のミカエル8世と同様に大悪人と罵倒されること。わざと悪人ぶってお役御免になるという計画は失敗したけど、今更正義のヒーローに鞍替えする気はない。そもそも僕は、「正義」という言葉自体が大嫌いなのだ。
「もうしょうがないわねえ。講義始めるわよ。まずあたしの属する赤学派だけど、神聖術の始祖とされる聖者カリニコスは、聖なる火炎の術でサラセン人の船を次々と焼き払ったの。だから、夏と火を司る赤学派は、聖者カリニコスの系譜を継ぐ最も正統な学派なのよ。特に、あの乳牛がやってる白学派なんかは、聖者カリニコスとは正反対の、異端に近い邪道の学派なのよ。アーユーアンダスタン?」
「はい、分かりました」
 ここでは僕が教わる側なので、素直に返事しておく。赤学派が本当に最も正統な学派なのかは知らないけど、赤学派と白学派の仲が悪いというのは本当のようだ。もっとも、テオドラとプルケリアは戦いの前に無意味な世間話をしていたり、必ずしも態度が一貫しているわけではないみたいだけど、そんなことを気にしていたら、このテオドラには付き合っていられない。
「それで、最も正統なる赤学派のモットーはね、神聖術は敵をドッカーンとやっつけて、邪魔なものをバッカーンと破壊するためにあるってこと。それ以外の目的、例えばアクロみたいに農業振興のために神聖術を使おうなんて考え方は邪道の最たるものね。そして、赤学派の最高権威たるこのあたしはね・・・」
 以後約1時間にわたり、テオドラ自身の自慢話が延々と始まった。ドッカーンとか擬音をやたら多用する、どこかの終身名誉監督みたいな話し方で、話の内容自体もどうでもいいものが多かったので基本的には省略するが、3点ほど聞き捨てならない話があった。
 1つ目は、テオドラが学士号を取得して赤学派の勉強を始めた頃、聖なる都の下町で覚えたばかりの火炎術を喧嘩相手にぶっ放し、それが原因で聖なる都に火事が発生したという話。2つ目は、修士号を取得した頃のテオドラが、本当にクリスタルの力は神聖術の攻撃をすべて受け付けないのか確かめようとして、聖なる都の大城壁に向かって例のエクスプロージョン(仮)を撃ちまくり、城壁自体に被害はなかったものの、城壁を護る守備兵に何人かの死傷者を出し、あまりの爆音などにより周辺住民からの苦情が殺到したという話。そして3つ目は、強引なやり方で博士号を取得した直後くらいに、テオドラが新しく開発したメテオストライクの実験を聖なる都の郊外で行ったところ、隕石の1つがヘプドモン修道院を直撃し建物を全壊させてしまったこと。
「ヘプドモン修道院って、どんなところ?」
「聖なる都からちょっと離れたところにあって、ローマ帝国に全盛期をもたらした『ブルガリア人殺し』小バシレイオス帝の霊廟があるところよ」
「もの凄い大事な場所じゃないか! 君はなんてことを自慢げに語ってるんだよ!?」
「別にいいじゃない。小バシレイオスも、聖なる都の聖使徒教会じゃなくて、あんな辺鄙なところに霊廟を建てるのが悪いのよ」
 ビザンティン帝国の歴史上最も偉大な皇帝の1人とされる、小バシレイオス帝ことバシレイオス2世を呼び捨てにしやがったぞ、この女!
 ・・・ちなみにお父さんから本を借りて以来、僕も学校の休憩時間や昼休みといった隙間時間も活用して、たまに戻る日本でもビザンティン帝国の歴史に関してそれなりに勉強している。バシレイオス2世は、史実でも西暦976年から1025年までの約半世紀にわたりビザンティン帝国を統治し、宿敵ブルガリアの併合に成功したほか、外征のみならず内政面でもかなりの業績を残し、領土を大幅に拡大して帝国の黄金時代を築いた一方、歴代皇帝の中でも他に類を見ないほど強力な独裁権力を確立した皇帝として知られている。もっとも、バシレイオス2世はなぜか生涯にわたり結婚せず、後継者対策も全く行わなかったことから、その死後強力な指導者を失ったビザンティン帝国はまとまりを欠いてしまい、急速に衰退することになった。そのため、バシレイオス2世はビザンティン帝国史上最も謎めいた皇帝と評され、世界史上も「英雄色を好むとは限らない」例の代表格として挙げられることが多い。
 この世界でも、呼び方が小バシレイオス帝、在位期間が概ね世界暦6484年から同6533年までという表記に変わるだけで、その残した業績は特に変わらないらしい。ブルガロクトノス、すなわち『ブルガリア人殺し』というあだ名も同様に使われている。なお「概ね」というのは、世界暦は西暦と違って、1年が9月から始まる上に古いユリウス暦を前提としているので、西暦を世界暦に換算する際、月日によって5508を足すべき場合と5509を足すべき場合があり、僕はビザンティン帝国史を専門にする学者さんではないので、どちらを足すべきか適切に判断することまでは出来ず、前後1年くらいのずれが生じる可能性は否定できないのだ。
「・・・そこまで迷惑行為を繰り返して、テオドラには何のお咎めもなかったの?」
「・・・罰としてアネマスの塔に閉じ込められたことはあるわよ」
「何回くらい?」
「ラテン人の十字軍が来たときを入れると、4回くらいかしら。それでねみかっち、あんた宣誓を受けるときに、危険な神聖術をみだりに発動しないこととかいうルールを習ったでしょ? あのルール、実はあたしのおかげで作られたのよ。凄いでしょう!」
 やっぱり君が犯人か。おまけにそれすらも自慢の種にするか。こいつに「女張飛」とか「女ビッテンフェルト」とかいうあだ名をつけたら、張飛やビッテンフェルトさんに怒られそうだ。「呼吸する破壊衝動」というあだ名は、この女にぴったりじゃないかと思うけど。それはともかく、
「それで、赤学派の講義では、結局のところ何を覚えればいいの?」
「赤学派は最も正統で偉大な学派だってこと、神聖術は敵を倒すためにあること。最低限それだけ覚えとけば充分よ。それよりも実技やりましょ、実技!」
 このテオドラで本当に大丈夫なのか、赤学派。テオドラより弱くても、もうちょっと人格的にまともな人に講師をやってもらった方がいいような気がする。

「実技の前に一応言っとくけど、あたしの神聖術適性は過去最高の95。みかっちの適性はたったの79。この数字には天と地ほどの差があるのよ。適性が1上がると最大魔力が2倍になるから、あたしとみかっちの最大魔力の差は、ええと・・・」
 テオドラが指折り数えて考え始めた。どう考えても指で計算できる数字じゃないだろ。放置していても埒が明かないので、僕が答えた。
「65,536倍だよ」
「みかっち、そんな簡単に答えが出るの!? あんた魔術師なの!? 超能力者なの!?」
 変なところで感心された。このアホの子、どうやら計算は苦手のようである。
「昨日気になって計算してみただけ」
「そう。とにかく、あたしとみかっちの最大魔力には、その6万5千なんたら倍もの差があるわけだから、みかっちがいくら頑張ったところで、あたしと同じ威力の神聖術を発動することは出来ないのよ。そこはちゃんと理解してね」
 をい、テオドラ。きちんと数字覚えられてないぞ。僕は内心テオドラに突っ込みつつ、若干ぶっきらぼう気味に答えた。
「言われなくても分かってるよ」
「それじゃ実技練習行くわね。1つ目は火の球を出す初歩的な術で、推奨適性は55以上。それでやり方だけどね、なんか自分で火の球が出るな~ってイメージを頭の中で作って、強く念じることで術を発動するのよ。例えばこんな感じね」
 テオドラはそう言って、小さな火炎球を生み出し、的に向かって放った。的は一瞬燃えたが、間もなく火は消えた。
「あの的は練習用の神具で、術で火を付けてもすぐ消えるようになってるの。だからみかっち程度なら、全力で火の球を放っても大丈夫よ。帝国最強の天才術士であるあたしが全力で火の球を放ったら、さすがに大変なことになるけどね」
「分かった。でも、強く念じるっていうのがすこし難しそうだね。上手くイメージできるかな?」
「そうね、慣れてないうちは、こうやったら火の球が出るってイメージできる呪文を唱える方法もあるわよ」
「・・・呪文っていうのは、例えばゲームの呪文とかでもいいの?」
「ゲームっていうのはよく分からないけど、イメージできるなら何でもいいわよ」
「分かった」
 僕は適当に、やったことのある某RPGの呪文をそれっぽく唱えてみた。
「メラ!」
 すると本当に、僕の腕から小さな火炎球が飛び出し、的に当たった。
「おおー、最初から出来るとはなかなかね、みかっち。ここでつまずいて諦めちゃう人って結構多いのに、えらいえらい」
 テオドラはそう言って、僕の頭をなでなでしてきた。一応褒められてはいるのだろうけど、なんか子供扱いされているみたいで腹立たしい。
「ところでテオドラ、この術の名称はなんて言うの?」
「特に決まってないわよ。一応火の球とか火炎球とか呼んでる人が多いけど」
 それじゃあ、一応僕も「火炎球」と呼ぶことにしよう。
「それでね、この術は一応基本術ってことになってるけど、術士の適性と使い方次第ではかなり強力な術になるからね。このあたしが本気を出せば、この術一発でニケーアの町くらい焼け野原にしちゃうくらいの威力があるのよ」
「分かったけど、間違ってもそんなことやらないでね、テオドラ」
「そのくらいあたしも分かってるわよ。神具を取り上げられてアネマスの塔に閉じ込められて、オフェリアに泣くほどお尻ぺんぺんされたから、さすがにあたしも危険なところで術を使っちゃいけないことくらい分かってるわ」
 この皇女様、本当に発想が子供だなあ。まあ、酷いいたずらをしてアネマスの塔に閉じ込められた時期は本当に子供だったみたいだから、仕方ないと言えば仕方ないけれど。
「それじゃ次行くわよ。次は「灯り」とか「灯火」とか言われてる術。ここじゃ練習にならないから、場所を移すわよ」
 僕はテオドラに付いて行って、宮殿内にある部屋の1つに入った。窓も明かりもない小さな部屋で、中は暗くて何も見えない。
「今からこの中で術の練習するけど、みかっち、何も見えないのを良いことに、あたしのおっぱいとかお尻とかさわっちゃダメよ」
「そんなことやらないよ!」
「でも、前にみかっちがあたしのおっぱい触ってきたことあったじゃない。みかっちってかなりスケベだから、きちんと注意しないと危ないわ」
「あれば、君が大事なトロイの遺跡を爆破しようとしたのを必死に止めようとして、偶然触っちゃっただけだから! 普段はあんなことしないから!」
 そんなやり取りを経て、僕とテオドラは真っ暗な部屋の中に入り、テオドラが「灯り」の術を発動すると一気に部屋の中が明るくなった。どうやら、この部屋は倉庫として使われているらしく、中にはいろんな荷物らしきものが置かれている。
「この術がいわゆる灯り、推奨適性は55ね。発動の仕方はさっきの火の球と基本的には一緒よ。みかっちもやってみなさい」
「分かった」
 テオドラが灯りの術を解除したので、僕が試す番になった。灯りをつける呪文となると・・・。
「レミーラ!」
 僕がそれっぽく呪文を唱えたところ、部屋は再び明るくなった。
「良くできましたと言いたいところだけど、そのネタはかなり古いわよ。たぶん、今どきの若い人には理解できないんじゃないかしら」
「ゲームのことは分からないとか言ってたくせに、どうしてそんなことが分かるの!?」
 ちなみにレミーラという呪文は、某有名RPGシリーズの第1作にのみ登場した呪文で、僕もお父さんから昔話を聞かされて名前だけは知っているという呪文だから、僕と同世代くらいだと確かに分からない人の方が多いとは思う。
「あたしやイレーネも、一応あんたの国のことはそれなりに研究してるのよ。ちなみに消し方は、普通に消えろって念じれば簡単に消えるから、部屋を出るときに消してね」
「分かった」
 僕はテオドラに言われたとおり、テオドラに続いて部屋を出るときに「消えろ」と念じたところ、確かに灯りは消えた。こういうあたり、まさにファンタジーの世界に来たって感じがする。ところが、
「みかっち、あんたは本当にエンタメっていうのが分かってないわねえ。本当になってないわ」
「何で!? 僕は単に、テオドラの言うとおりにしただけだけど?」
「単純に言われたとおりにしてるところが駄目なのよ。こういうときは、わざとあたしが出る前に灯りを消して、真っ暗で何も見えないのを良いことにあたしにエッチないたずらをして、あたしにきついお仕置きをされるというのがお約束の展開でしょ! いいこと、みかっち。真面目にやってるだけじゃエンタメは成り立たないのよ!」
 テオドラがそんなことを言いながら、僕を指さして理不尽な説教をしてくる。
 ・・・もうやだ、この皇女様。僕はテオドラにエッチないたずらなんかしたくないし、テオドラにきついお仕置きをされるのはもっと嫌だ。僕がなんで、エンタメとやらのためにやりたくないことをやらなきゃいけないのか。その後も若干続いた、テオドラとの不毛なやり取りについては省略する。
「もうこれで、あたしのやることは大体終わっちゃったわね。あとさっきの「灯り」って言われている術だけど、本来あれは照明に使うための術じゃないからね」
「そうなの? どう見ても、照明に使うための術だとしか思えないけど」
「さっきも言ったでしょ? 神聖術は、本来敵を攻撃するための術なのよ。あの術は、本来激しい光で敵の目を潰すための術なのよ。それが灯りに転用されてるだけ。本来の目的で使用するには、大体適性80位の魔力が必要ね。みかっちくらいだと、一時的に敵の目を見えなくするの効果しか期待できないわ」
「同じ術でも、結構いろんな使い方があるんだね」
「分かってないわねみかっち! 神聖術はあくまで敵を攻撃するためにあるものなの! 敵の目くらましに使ったり、灯りに使ったりするのは本来邪道なのよ! 昔からの伝統で、一応灯りの術は基本術の一つとして術士全員に教えることになってるけど、本当はあたしだって、こんな邪道な教え方したくないんだからね!」
「痛い痛い! 分かったからテオドラ、拳で僕の頭をぐりぐりするのは止めて! それ本当に痛いから! 謝るからもうやめて!」
 僕が謝ってようやく頭から手を放してくれたテオドラは、話を続けた。
「後は赤学派の修士課程に関する説明だけど、基本的には敵の船を燃やすために使う、水上でも燃える火炎の術、爆発を起こす術、炎の矢を撃ち出してあたり一面火の海にする術なんかを徹底的に練習して、一人前の攻撃型術士に鍛え上げる課程よ。ただし、赤学派の高度な術を十分に使いこなすには、少なくとも適性80は必要になるけどね」
「そうなんだ。じゃあ、適性79しかない僕には縁のない学派だね」
「何言ってるのよみかっち! あんたはちゃんと赤学派に入りなさい! このあたしが、特訓と称して徹底的にいじめ抜いて鍛えてあげるから」
「分かったから、また頭をぐりぐりするの止めて!」
 この時僕は心の中で決めた。何をどう間違ったとしても、赤学派だけは絶対選ばないと。
「ところでみかっち、あんた共通科目が終わったってことは、『通話』の術はもう使えるってことでいいのね?」
「うん、使えるけど」
「オーケーみかっち、またね」
 こうして僕はテオドラと別れたが、その後しばらく、僕はテオドラから頻繁に送られてくる、どうでもいい内容のいたずら通話に悩まされることになった。この通話術って、ケータイやスマホみたいに着信拒否機能とか無いのかな。


第6章 学士への道


 色々な意味で精神的に疲れる、テオドラの講義を受けた次の日の午後。僕は白学派の講師から授業を受けることになった。
「本日、白学派の講座を担当させて頂きます、プルケリア・アンゲリナと申します。殿下にはよろしくお見知りおき下さいませ」
 そう、白学派の担当講師は、マイアンドロス河畔の戦いでテオドラと壮絶な戦いぶりを見せた、アレクシオス3世の愛娘プルケリア皇女様だった。姿を見たことはあるけれど、彼女とまともに会話するのは今回が初めてだった。
「よろしくお願いします、プルケリア皇女様」
「殿下、私のことはプルケリアで結構でございます。私は既に帝位を追われたアレクシオス帝の娘、単なる現皇帝陛下の姪に過ぎませんから、皇女とも申せません。それと、講義を行う前に、殿下にはお礼を申し上げなければならないことが多々ございます」
「何のこと?」
 僕は、今までに何かプルケリアに感謝されるようなことをしただろうか? 特に思い当たらない。
「第1に、殿下に逆らってローマ帝国をトルコ人に売り渡そうとした父アレクシオスの命をお助け頂いたこと。第2に、そのような父アレクシオスの反国家的行動に加担した私の罪を不問にして頂いたこと。そして第3に、女性の博士号取得を全面的に解禁して頂いたこと。そのおかげで、私は決定の後すぐ、何の障害もなく白学派の博士号を取得することが認められました。殿下の御慈悲には、もはやお礼の言葉すら思い浮かばない程でございます」
「いや、プルケリアさん、そこまで畏まらなくてもいいですから」
 実際、プルケリアの挙げた3つとも、プルケリアではなく主にイレーネのためにやったことですから。僕の措置によってプルケリアの受けた利益は、いわゆる反射的利益というものに過ぎませんから。口に出しては言えないけど。
「これからは殿下の御慈悲に報いるため、このプルケリア、誠心誠意を尽くして殿下にお仕えさせて頂きます。また、博士として殿下への学士講座を担当させて頂けること、このプルケリアには身に余る光栄でございます」
「分かりました。その点に関しては僕としてもよろしくお願いします」
 ひととおりの挨拶が終わった後、プルケリアさんの本格的な授業が始まった。僕よりちょっと年上で胸が規格外なほど大きく、僕の女性としての好みからは外れているけど、少なくともテオドラよりはずっとまともな女性だ。人間、やっぱり見た目より中身が大事だね。
「私の所属する白学派ですが、理論的には冬と氷を司る学派でございます。一般的には、赤学派に対抗して氷や吹雪で敵を攻撃する学派だと思われがちでございますが、野蛮極まりない赤学派の術士たちと異なり、私どもは神聖術を攻撃のみに用いる術であるとは考えておりません。白学派の修士課程で用意しております術には、確かに吹雪や氷の礫などで敵を攻撃するものもございますが、それ以外の術もございますよ。例えば、氷で橋を作る術、シャーベットを作る術などもございます」
「そうなんですか。ところで、昨日テオドラの講座を受けたんですか、赤学派の術士っていうのは、みんなテオドラみたいな、悪く言えば攻撃至上主義の脳筋みたいな人たちばかりなんですか?」
 僕がそう問うと、プルケリアさんはくすっと笑ってこう答えてくれた。
「あの爆裂女は、赤学派の中でも極端な存在ですわ。他の赤学派術士にはもう少しまともな人間もおりますけれど、基本的に赤学派が、伝統的に攻撃至上主義を唱える学派であることは確かです。あの爆裂娘が学士号を取得したとき、他の学派の術士たちは皆『うちの学派にだけは来るな』と内心思っておりましたけど、赤学派の術士たちだけはあの爆裂娘を歓迎しておりました。赤学派の術士たちは適性93の私に対抗するため、あの問題児を敢えて積極的に迎え入れ、自派の発言力強化に役立てようと企んだのです。その結果、今の赤学派はいまやあの爆裂娘の天下になってしまいました。ですから、そういう学派だと思われても致し方ないところはございますわね」
「そうなんですか」
 やっぱり、学派間の対立や勢力争いといったものはこの世界にもあるんですね。
「それで講義の内容と致しましては、既に申し上げたことで概ね尽きております。そもそも、初級講座における各学派の講義や実技は、学士号を取得されてからどの学派を選ぶかの参考にして頂くためのガイダンスのようなものですから、お教えしなければならないことはあまりないのです。そのため、早速実技の解説に入らせて頂きます。初級講座でお教えする白学派の術は2つ。1つは推奨適性53の『氷結』、文字どおり物を凍らせる術です。もう1つは推奨適性57の『氷の弾』、これは氷で出来た礫を敵に向かって放つ術です」
 なお、度々出てくる『推奨適性』というのは、プレミュデス先生から渡された教科書『神聖術入門』の中に説明があり、その説明によると、『推奨適性』は術を安全に使用できる神聖術適性の目安として最高評議会または各学派の評議会が定めている基準とされている。自分の適性が推奨適性よりわずかに(1~2程度)低い程度でも術を使用すること自体は出来る場合もあるが、1回術を使用しただけで魔力を使い果たして気絶してしまったり、最悪の場合には死に至ったりすることもあるので、基本的に自分の適性が術の推奨適性に満たない場合には、その術を使用しないように指導しているとのことだった。初級講座の際にも、適性50台の術士見習いについては、一部の術について実技練習は行わず見学だけになる場合もあるそうだ。
 白学派の実技練習は、『氷結』で林檎を凍らせる練習、『氷の弾』で的に向かって氷の礫を放つ練習で、それぞれ適当に「フリーズ」「フリーズ・ガン」と唱えてみたら簡単に成功した。ちなみに、氷の弾は結構威力があり、なんと一撃で岩が砕けてしまった。
「殿下は、殿方としては神聖術の素質がかなりございますようですね。普通の殿方は、特に『氷の弾』が上手く使えず、習得を諦めてしまわれる方も少なくないのですが。『氷の弾』は、初級講座で教えるには若干難易度の高い術でございますので」
「そうなんですか」
「そして、『氷結』の使用方法なのですが、人間を凍らせればその者は通常凍死致しますので、攻撃に使うこともできますし、食べ物を凍らせることもできますし、気候が暑いときに氷を作って屋内を冷やすこともできます。『氷の弾』については、攻撃や狩猟以外の方法で使用されたという話は聞いたことがございませんが、もちろんそれ以外の目的で使用して頂いても構いません。赤学派と異なり、神聖術は攻撃のために使うべきといったこだわりは、当学派にはございませんので」
「分かりました」
 白学派の術は、個人戦レベルでは初級だけでも結構役に立ちそうだ。
「最後に、白学派の修士課程に関するご説明をさせて頂きます。修士課程では、様々な攻撃用の術を習得したり訓練したりといったことも行いますが、物質の融点、沸点といった自然科学の学習もして頂きます。高度な術の中には、冷凍した食物を元の状態に戻したり、人間やその他の生物を殺さずに冷凍保存したり、術を用いて金属の合成をしたりする術もございますので、白学派の術を極めるにはそうした知識も必要なのです」
「なるほど。だから、適性50台の術士でもそういう分野の研究では役に立てるわけですね」
「そのとおりでございます。殿下の場合、神聖術適性は79とお伺いしておりますから、研究分野はもちろん、個人戦や食料の保存、シャーベット作りなどは十分習得することが可能です。ただし、私のように戦場であの爆裂女と張り合うほどの活躍をご希望されるのであれば、少々物足りないというのが正直な感想でございます。ですが、もちろん殿下が白学派をご選択されるということであれば、私としては勿論歓迎させて頂きます。以上で白学派の講習は終了でございます」
「プルケリアさん、ありがとうございました」
 プルケリアさん、思っていたよりはずっと良い人だった。白学派も、一応選択肢の一つに入れておこう。

 翌日の午後。緑学派担当の講師は、今までの展開から僕が予想したとおり、あの眼鏡っ子の預言者様、イレーネだった。
「緑学派の講習は、このイレーネ・アンゲリナが担当する。・・・よろしく」
「よろしくお願いします。イレーネ」
 イレーネは、例によって眼鏡に黒のローブという色気のない格好ではあるが、イレーネの裸を何度も見せてもらったことのある僕の頭の中では、イレーネは可憐で可愛い美少女というイメージがすっかり定着してしまっているので、最近はその姿を見ただけでドキドキしてしまい、身体の一部が反応してしまうまでになっている。今日は真面目な授業の日なのだ、集中しなければ。
「緑の学派は、春と生命を司る。緑学派の術は、人の人体や生命活動に直接の影響を与えるものが多く、怪我や病気の治療に使われる場合が比較的多いものの、その知識と能力を逆用することにより、他人を戦闘不能の状態に陥れたり、あるいは死に至らしめることもできる。そのため、緑学派の術を極めるには、術の鍛錬のみならず人体の知識や医学的な知識も必要となる。術を適切に使用しないと、他人を治療するつもりが誤ってその者を死に至らしめることもある。緑学派の高度な術を使いこなすには、十分な知識と適切な判断力が必要」
「イレーネ、質問いいですか?」
「質問は随時受け付ける」
「イレーネが、マイアンドロス河畔の戦いでテオドラとプルケリアをまとめて気絶させた術、あれも緑学派の術?」
「そう。あの術は相手の魔力を大きく奪い、併せて自らの魔力を回復させることができる。『魔力吸収』の通称で呼ばれており、緑学派の専門課程で学ぶことが出来る。この術を上手く活用すれば、自分より適性の高い術士を倒すことも可能。推奨適性は70なので、あなたでも十分習得可能」
 それはかなり魅力的だ。この説明で、僕の心は緑学派に大きく傾いた。
「説明を続ける。緑学派の術は人間だけでなく、他の動物や植物にも使用可能。馬や羊、その他の家畜の成長促進や品種改良、農作物の成長促進や品種改良など、農業分野への応用も可能。近年、農業分野における神聖術の応用可能性に関する論文を著した著名な緑学派の神聖術士として、ゲオルギオス・アクロポリテスがよく知られている」
「イレーネ、アクロポリテスとも知り合いだったの?」
「同じ緑学派の神聖術士なので、当然交流はある。彼は私のことを男性だと思っていたので、私が本当は女性であり、あなたの命によりイレーネ・アンゲリナに復名するになったと連絡したとき、彼は非常に驚いていた」
「そうだったんだ」
 農業分野にも活用可能性があって、イレーネやプレミュデス先生だけでなく、アクロポリテス先生も同じ学派なのか。これはますます緑学派に傾いてきたぞ。
「では早速、実技の講習に入る。初級講座であなたに習得してもらう術は2つ。「治療」の術は、相手1人の比較的軽い傷を治癒する効果があり、推奨適性は52。もう1つ、「育成」の術は、人間や動物、植物の成長を促進する効果があり、これも推奨適性は52。適性79のあなたであれば、おそらく容易に習得できるはず」
 この術は、どちらも僕には馴染みのある術だった。イレーネが「治療」の術で負傷兵を物凄い速度で回復させるのを何度も見ているし、「育成」の術については、僕がテオドロスの訓練に耐えられる身体になるよう、イレーネに何度もかけてもらっている。そのおかげで、もやしっ子だった僕の身体能力は最近急速に上がっており、テオドラの遠乗りに付き合わされても息切れしなくなった一方、なんというか生殖能力の方も最近急速に成長してしまっているらしく、性欲のはけ口を探すのに困っている。
 実技練習の内容は、「治療」の方は自分の腕をナイフで軽く傷つけ、これを自分の術で回復させるというもの。ナイフはちょっと痛かったが、術の使用は呪文を唱えるまでもなく、簡単に成功した。「育成」の方は、花の苗に術をかけて成長させるというもので、僕がイレーネの指導に従って「大きくなーれ」と呼び掛けると術が発動し、苗がみるみるうちに成長し、見覚えのある青い花が咲いた。戦争で直接に役立つことはなさそうだが、なかなか面白い術だ。
「術の効果について補足的な説明をする。「治療」の術は、人間や動植物が持っている自然の治癒力に働きかけ、その治癒を促進するもの。そのため、「治療」の術を使用した場合、対象者は傷が癒える代わりに、体力を消耗する。そのため、瀕死状態にある重傷者や重病人を治療するにあたっては、「治療」ではなく推奨適性70の「復活」という術を用いる必要がある。これは緑学派の修士課程で習得可能。また、戦場などで多数の負傷者を同時に治療する必要がある場合、推奨適性60の「範囲治療」という術で対応できる。同様に「範囲復活」という術も存在するが、推奨適性が80であるため、残念ながら現在のあなたではこの術を習得することができない」
「現在の僕って言っても、適性は生涯にわたって変わらないんだから、結局「範囲復活」の術は永久に習得できないんじゃないの?」
「必ずしもそうではない。神聖術の適性値は、ほとんどの術士の間では生涯変わらないと理解されているが、これは適性値を上げる方法が知られていないだけ。通常の人間には実行不可能な「奇跡」を起こすことで、例外的に適性値を上げることが可能となる」
「僕にはそんな奇跡なんて起こせないよ。どちらにせよ無理なんじゃない?」
「そんなことはない。あなたは既に、一度奇跡を起こしている」
「どんな?」
「あなたは世界暦6754年9月、敵将ブロワ伯ルイを相手に、星3つの奇跡を達成している」
「星3つ?」
「勝利、味方の死者ゼロ、敵の生存者ゼロを達成した勝利をいう。多人数の人間たちが戦う人類社会の戦いにおいて、このような快挙を成し遂げた人間は滅多にいない。あなたの快挙は奇跡と認定され、報酬として神聖結晶1個が授与される」
 イレーネはそう言うと、どこからか銀色に光る小さなクリスタルのようなものを取り出した。
「それが神聖結晶?」
「そう。今からこの神聖結晶をあなたに使用する」
 イレーネがそう言うと、その神聖結晶とやらは僕の前で砕け散り、僕の身体が淡く光った。
「神聖結晶の効果により、あなたの神聖術適性は2分の1上昇した。神聖結晶をもう1個使用すれば、あなたの神聖術適性は80に上昇する」
 なんか、すごくゲームっぽい展開になってきたんだけど。まあ、既に神聖術という魔法っぽい要素が入っている世界だし、今更何が起きたって驚くものでもない。
「イレーネ、その神聖結晶というものは誰がくれるの? 神様か何か?」
「その質問に対し、私は回答することを許可されていない。当面の間は、あなたの言う『神様』のようなものと理解して差し支えない」
 その『神様のようなもの』とやらも気になるが、イレーネが回答できないというのなら聞いても仕方ない。もう1つの重要な質問をしよう。
「具体的には、どんなことをすれば奇跡と認定されるの?」
「戦争に関しては、敵の兵士数2千人以上で、味方の死者ゼロ、敵の生存者ゼロを達成すれば奇跡と認められる。ただし、敵を全員殺すことは必須ではなく、生き残った敵兵を全員捕虜にし、逃亡者ゼロでも奇跡と認定される。与えられる神聖結晶の個数は、奇跡の規模に応じて決定される。また、それ以外の場面でも奇跡と認定されれば、神聖結晶を授与されることがある」
「でも、敵の死者ゼロはともかく、味方の死者ゼロというのは、僕というよりイレーネの活躍によるものじゃないかと思うんだけど」
「私はあなたの補助者に過ぎない。あなたは私を含め、術士や有能な人物を積極的に活用し、帝国の統治者として多くの奇跡を起こすことで、多くの神聖結晶を受け取ることが出来る」
「その神聖結晶って、2個集めれば適性が1上がるの?」
「必ずしもそうではない。適性70未満の場合、結晶1個で適性が1上昇する。適性70以上80未満の場合、結晶2個で適性が1上昇する。適性80以上90未満の場合、結晶3個で適性が1上昇する。適性90以上の場合、結晶4個で適性が1上昇する」
「なんか複雑なシステムだけど、神聖結晶をたくさん集めれば、僕もテオドラに匹敵するくらいの術士になることも絶対不可能というわけではないんだね。でも、この話は君だけしか知らないの?」
「この世界では、現在あなたと私しか知らない。無用の混乱を招くおそれがあるので、神聖結晶のことは第三者に話さないでほしい」
「分かった。あと、イレーネがいつも使っている、敵の数を1人単位まで調べられる術とか、僕を召喚した術なんかも緑の神聖術なの? 僕でも習得できるの?」
「それは、いずれも神聖術の範疇には属しない。この世界では、おそらく私にしか使用することはできない」
 イレーネって、相変わらず謎がまだまだ多いな。
「既に、緑学派の講習として必要なことはすべて終了している。時間の問題もあるので、申し訳ないが本日の質問はあと1つにして欲しい」
 あと1つか。どうしようかな。とりあえず、ここでは学派の選択にあたり、一番重要なことを聞こう。もっとも、どういう感じで聞けばいいかと僕は変なところで悩みに悩んだ挙句、
「じゃあ、あと1つだけ。もし僕が緑学派を選択した場合、僕の講師は、・・・その、可愛らしいイレーネ先生が務めて頂けるのでしょうか・・・?」
 気が付いたら、ものすごく恥ずかしい変な質問の仕方になってしまった。イレーネの話を聞きつつも、頭の半分くらいは「イレーネ可愛い」という思いで埋め尽くされていた本音が、不覚にもつい出てしまったのである。イレーネの方も若干顔を赤くして、こう答えた。
「・・・初級講座における各学派の担当講師は、受講者がその学派を選択した場合に主任講師となる予定の者が務める慣例になっている。従って、あなたが緑学派を選択した場合、あなたの主任講師は当然私になる。すべての講座を私が担当するとは限らないが、ほとんどの講座は私が担当する予定」
 青学派の話をまだ聞いていないけど、ここは9割型イレーネ・・・じゃなくて緑学派で確定だな。
「分かりました。たぶん長らくお世話になると思います。これからもよろしくお願いします、イレーネ先生」
 僕がそうイレーネに挨拶すると、イレーネは若干慌てた様子で、こう補足した。
「最後に、『育成』の効果に関する補足説明を忘れていた。『育成』の術は戦闘には適さないが、例えばこのような使い方も可能」
 イレーネはそういって、僕の身体に『育成』の術らしきものを掛けた。いつもの『育成』と異なり、僕の腰回りだけが強く光っている。そして、僕の股間がヤバいくらいに疼き始めた!
「いま掛けた『育成』の術は、あなたの生殖能力を飛躍的に高めるもの。これによって、あなたは通常1日5回、女性との子作りを楽しむことが出来る。『育成』にはこのような使い方もできる」
 それだけ言って、イレーネは逃げるように立ち去ってしまった。
 ・・・1日5回子作り出来るって、すなわち子作りをしない場合、最低1日5回はいけないことをしないと満足できないってことですよね・・・? これってイレーネ流のお仕置きなんですか?

 残るは青学派だが、今までのように翌日の午後・・・というわけには行かなかった。担当講師はゲルマノス総主教ということなのだが、総主教は業務多忙でなかなか時間が取れず、結局政務が休みとなる日曜日の午後、何とか時間を作って来てもらった。
「ゲルマノス総主教、お忙しいところ恐れ入ります」
「・・・殿下、なかなか時間が取れず申し訳ございません」
 そう答える総主教は、なんかいつもより疲れている様子だった。
「ずいぶんお疲れの様子ですけど、大丈夫ですか?」
「いえ、大したことはございません。ただ、ちょっと精神的に来るものがありまして」
「何があったのですか?」
「私は聖なる都ではなく、アナプリ村という小さな漁村の生まれなのですが、そのことが原因で他の聖職者たちに馬鹿にされるのです」
「そんなことで馬鹿にされるのですか!?」
「はい。私も、あの連中の言っていることはよく分かりません。我々の総主教は良い生まれでもなければ、私を産み育てた親も聖なる都の生まれ育ちを誇ることが出来ないなどと言って、時には陰で、時には公然と私を馬鹿にしています。私はローマ帝国のため、殿下のために身を粉として働いておりますのに、たったそれだけの理由で価値がないものとされ、聖なる都で母親が陣痛を耐え抜いた者は、それだけで誉れ高くて、良い生まれだというのでしょうか!?」
 ・・・・・・。
 僕が黙って話を聞いていると、総主教の怒りはさらにヒートアップした。
「一体、あいつらは、娼婦どもの産んだ汚らわしい餓鬼どもや、姦通で生まれた子供、それにおそらく、ロシア人やサラセン人の末裔、あるいはその他の夷狄の繁殖地出身の、金で買われた奴隷女の生んだ子供のことをどう思っているのでしょうか! こうした、種族の混淆においてラバにも似た連中であっても、聖なる都で生まれた者は、それだけで自らの生まれを誇り、都の生まれでない私のことを事あるごとに侮辱するのです! 聖なる都で生まれさえすれば、それだけで高貴で立派だというのですか!? 聖なる都の土が、彼らを立派にしてくれるとでも言うのですか!?」
「総主教、落ち着いてください。さすがに総主教ともあろうお方が仰る言葉ではないと思いますよ。それに、僕だって別に聖なる都の生まれではありませんから。自分の国でも、別に首都の生まれではなく、首都から結構離れた郊外にある、いまいち名前のイメージが良くない町の生まれですから。総主教に価値がないだなんて欠片も思っていませんから」
「・・・すみません、取り乱しました。早速ですが、青学派の講座を始めさせて頂きます。青学派は秋と風を司り、防御の術などを専門としております。習得して頂く術は2つ。推奨適性55の風を起こす『風塵』の術、同じく推奨適性55の、空気の力で身を護る『風防』の術です。それでは始めましょう」
 風塵の術の練習は、単純にその場で風を起こす練習。風防の術の練習は、風の力で結界を張り、兵士が放つ矢を跳ね返す練習。どちらも総主教のいうとおりやってみたら、簡単にマスターできた。
「総主教のおかげで難なく習得できましたけど、・・・何というか、地味な術ですね。風防はともかく、単に風を起こす風塵の術は、何のために使うものなのですか?」
「一応、使い道はあります。戦場で味方から敵に向かって風を起こせば、味方にとっては追い風になり、敵は逆風にさらされてまともに戦えなくなります。また、帆船に乗っているとき風が吹かず船が動かなくなっても、風塵の術で船を動かすことができます。このように、地味ですが戦争ではそれなりの効果を発揮することができ、適性60台くらいでも十分に使いこなせます。そのため、軍人の方で青学派を選択される方は結構おられます。もっとも、軍人で神聖術を習得されようとする方自体あまり多いとは言えず、青学派の博士号取得者で軍人というと、今はラテン人の側に付いているテオドロス・ブラナス将軍、あと最近帰参してきたばかりのアンドロニコス・ギドス将軍くらいでしょうか。それでは講座を終了します」
「ちょっと待ってください! 青学派の修士課程に関する話をまだ聞いていません! それに、瞬間移動の術とか移動拠点の構築なんかも青学派の専門なんですよね? そういう話も聞きたいんですけど」
「そうですか。ただ、殿下が青学派を選択されるとなると、主任講師は私が務めることになっているのですが、あいにく私は総主教の仕事と政務を掛け持ちしており業務多忙でして、そもそも殿下にお教えする時間が取れるかどうか・・・」
「青学派には、総主教以外に講師を務められる方がいないのですか?」
「一応、私の他にもいることはいるのですが、他の者であればともかく、殿下の主任講師となると、いつ殿下の不興を買って首を刎ねられるかと尻込みしたり、人妻なので殿下のお相手はできませんと断られたり、結局私の他になり手がいなかったのです。もっとも、青学派と緑学派は事実上掛け持ちされる方が多く、青学派の術を併せて習得されている緑学派の術士は結構多いのです。ちなみに、緑学派の主任講師はどなたでしたか?」
「イレーネだったけど」
「イレーネ様ですか。あの方であれば、青学派の専門課程に属する術も全てマスターしておられますから、移動拠点の構築といった話もイレーネ様に聞いて頂ければ宜しいかと思います」
「つまり、総主教としては、できれば僕に青学派ではなく緑学派を選んで欲しいということですか?」
「一言で申し上げればそうです。殿下の適性は79とお聞きしております。そのくらいですと、男性としてはかなり高い方なのですが、適性80超えの女性術士たちが幅を利かせている赤学派や白学派は少し厳しいでしょう。お勧めは緑か青なのですが、あいにく青学派は地味な術と思われているせいか人材不足でございまして、殿下を受け容れられる十分な態勢が整っておりません。緑学派の担当があのイレーネ様であれば、殿下でも習得することができ有用性の高い緑と青の術を両方学べますぞ」
「分かりました。ご助言ありがとうございます」
「あともう1つ。今申し上げたとおり、青学派は現在、深刻な人材難に陥っておりまして、特に適性80を超える女性の博士は現在1人もおりません。青学派で研究されている術の中には、軍の移動速度を高める術、かまいたちを起こし敵をまとめて攻撃する術、雷を落とす術などもあるのですが、計算上の推奨適性はその多くが80以上でございまして、実際に使いこなせる者はまだおりません。誠に不躾かましいお願いではあるのですが、誰か適当なものがおりましたら、青学派の術士になって頂けるよう殿下からお声を掛けて頂けないでしょうか? 適性80以上の女性なら大歓迎ですが、もちろん男性でも歓迎させて頂きます」
「それは構いませんけど、総主教は業務多忙で教える暇がないのではありませんか?」
「いえ、殿下以外の方であれば、教えられる者はまだいるのです。殿下がご存じの者を挙げますと、ニケタス・コニアテス、アンドロニコス・ギドス、それから女性であれば、ティエリの妻マリア・ランバルディア殿も青学派の博士号を取得しております。もっとも、残念ながら彼女の適性は67ですが」
「分かりました。僕もできる限りのことはやってみます」
「ありがとうございます。では失礼ながら、私少々疲れが溜まっておりますので、下がらせて頂きます」
 そう言い残して、ゲルマノス総主教は帰っていった。その様子を見る限り、総主教は少々どころか、かなり疲れが溜まっている様子だ。アクロポリテス先生が来たとはいえ、ゲルマノス総主教も内政面ではまだ必要な人材だ。いっそのこと、総主教の職を適当な誰かに代えるわけには行かないのだろうか。総主教なんて、僕に忠実でありさえすれば正直誰でもいいのに。あと、この国の聖職者どもって、本当にろくでもない連中が多いな。いつか殲滅してやりたい。
 あと、選ぶ学派はもう緑学派で確定だな。

 こうして、僕は政務や他の仕事などの合間を縫って講習を受け、最初の儀式を受けたときから約半月後、いよいよ修了考査を受けることになった。前日に『神聖術入門』を読んで復習し、少なくとも講義の内容はしっかり頭に入れてある。試験官はプレミュデス先生。緊張するな。
「では、修了考査を行いますぞ。問題は10問、私が申し上げたことの正誤を〇か×かで解答して頂き、8問以上の正解で合格となります。不合格の場合、講座は基本的に最初からやり直しとなります。準備は宜しいですかな?」
 〇×クイズでお手付き2回までなら、そんなに難しくはないと思うが、不合格になったら最初からやり直しというのは厳しいな。特に、テオドラの講義をまた受けるのは御免蒙りたい。ここは気合を入れて行こう。
「はい、宜しくお願いします」
「問1。神聖術士に与えられる学位は、学士・修士・博士の3種類である。〇か×か」
「〇です」
「正解です。ここで引っ掛かる者もいるのですが、神聖術士見習いというのは、学位ではございません」
 それは『神聖術入門』にも書いてあった。
「問2。赤学派を選択した術士は、緑学派に属する術を習得することは不可能である。〇か×か」
「×です」
「正解です。他の学派に属する術を、個別に習得したり研究することはできますからな。ここで引っ掛かる者も結構おります」
 他の人はともかく、緑学派のイレーネが青学派の術も全てマスターしているという話を聞いた僕が、ここで引っ掛かるはずもない。
「問3。神聖術適性が70の術士が持つ最大魔力は、適性60の術士が持つ最大魔力の10倍である。〇か×か」
「×です。そんなに小さな差ではなかったと思います」
「正解です。適性が1高いと最大魔力が2倍になりますので、正しくは2の10乗、すなわち1024倍になります。ここで間違える者も結構多いのですが、殿下は理解力がおありですな」
 まあ、適性の差が16ある僕とテオドラの最大魔力差を計算したら65,536倍になったからね。そんなことには引っ掛からないよ。
「問4。学士の学位を取得するには、学習したすべての術の発動を成功させる必要がある」
「×です」
「正解です。特に自爆の術を発動させるわけには行きませんからな。誰でも分かるサービス問題のはずなのですが、ここで間違える愚か者もごくまれにおります」
 誰だそいつ。もしテオドラだったら思い切り笑ってやるぞ。
「問5。神聖術を発動するには、必ず呪文を唱えなければならない。〇か×か」
「×です」
「正解です。以前は〇だったのですが、ある御方のおかげで正解が変わってしまった問題ですな」
 どうやら、テオドラの名前は極力出したくないらしい。神学に造詣の深いらしいプレミュデス先生としては、神聖術と宗教との関係をぶっ壊したテオドラは、内心では許し難い存在なのだろう。
「問6。神聖術を初めて公認したとされる皇帝は、レオーン・イサウロス帝である。〇か×か」
「〇です」
「正解です。特にひねっているわけでは無いのですが、ここで敢えて×と答えて点数を落とす者もたまにおりますな」
 その皇帝の名前は、以前イレーネからも聞いているからね。
「問7。女性初の神聖術士は、テオドラ・アンゲリナ・コムネナ皇女である。〇か×か」
「×です」
「正解です。女性初の神聖術士は、マリア・コムネナ皇女でございます。『女性初の神聖術博士』と勘違いすると間違える引っ掛け問題でしたが、殿下は引っ掛かりませんでしたな」
 そういう出題趣旨だったのか。気付かなかった。
「問8。緑の学派は春と土を司るものとされている。〇か×か」
「×です。土ではなく生命です」
「正解です。ここで引っ掛かる者も多いのですが、よくお出来になりました」
 まあ、四大元素っていったら火・水・風・土っていうパターンが比較的多いからね。
「問9。マナの力は、使い方次第で良い方にも悪い方にも作用する。〇か×か」
「〇です」
「正解です。マナの力は、使い方を間違えると自らの身を滅ぼすことさえありますからな。この点は重要ですぞ」
 その話は、イレーネからも十分聞いてます。
「問10。神聖術の正式名称は、「コンスタンティノス大帝と神の母マリアと聖霊の力によってもたらされた父なる神と子たるキリストの御業」である。〇か×か」
「・・・×です。たしか、『子たるキリスト』という文言は入っていなかったと思います」
「正解でございますぞ、殿下。この問題に引っ掛かる者は結構多いのですが、父なる神と子たるキリストを同列に考えるのは、異端であるラテン派の教えです。我ら正統信仰を護る者にとっては、決して間違えてはならぬ問題ですぞ」
 どうでもいいような気がするけど、宗教的には重要な問題なんだろうな。

「そうすると、なんと10問全問正解ですな。これで殿下は、晴れて神聖術学士の学位を取得されることになります。最初の1回で全問正解というのは、たしかイレニオス、いやイレーネ様以来ですぞ」
「そうなんですか?」
「ここだけの話ですが、テオドラ皇女様は3回目でようやく合格されましたからな」
 あれだけ威張り腐っていても、中身はやはりアホの子らしい。

 こうして学士号を取得した僕は、お世話になった各学派の担当講師が並んでいる中で、自分の所属する学派を選ぶことになった。もちろん僕は瞬時もためらうことなく、緑学派を選んだ。
「僕は緑学派を選択します。イレーネ、これからもよろしくお願いするよ」
 イレーネは無言で軽く頷いたが、これに激しく文句を唱える女がいた。テオドラである。
「何で緑なのよ! あれだけ赤学派に来なさいって言ったのに!」
「あのどうしようもない授業で、どうして僕が赤学派を選ぶ気になれると思えるのか、僕としては逆に聞きたいよ!」
 ・・・テオドラとの不毛な言い争いや、腹を立てたテオドラによるいたずら通話その他の迷惑行為は、その後テオドラが飽きるまでしばらく続くことになった。


第7章 ソフィア・ブラニア


 時間は少し遡る。僕がカイサルの爵位を授与された直後、侍従長のオフェリアさんからこんなことを言われた。
「殿下、カイサルへの昇進おめでとうございます。これで殿下も、将来の帝国を担うお方となられました。つきましては、そろそろ跡継ぎをもうけられるご準備をなさいませんと」
「・・・準備って?」
「殿下のような高貴なお方は、正式な手続きに従って結婚をして頂く必要がございます。ご結婚は、所定の手続きと儀式を済ませた後、証人の前で花嫁様と最初の子作りをして頂いて、これにより結婚が完遂されることになります。つきましては、ご結婚の手続きを円滑に進められるよう、出来れば今日からでも子作りの練習に励んで頂きたいのです」
 そうなのである。この国の法律では日本と違って、婚姻届けを出せば結婚成立というわけではなく、花嫁との初エッチを最後まで済ませて、はじめて結婚が成立することになっている。実際、この国の統治者をやっていると、初エッチが上手く行かなかったから結婚は無効だと主張する類の紛争案件が時々来る。
「はあ」
「殿下お付きのメイドたち、特にマリアとマーヤは、既に殿下に差し上げた女の子ですから、どうぞご遠慮なく子作りの練習に使ってくださいませ」
 ・・・だから、こっちには事情があってそういうわけには行かないんだってば。
「そもそも、通常の若い殿方であれば、若い女の子をメイドとしてあてがえば、その日のうちに手を出すものなのですが。失礼ながら、今から殿下の生殖能力を診断させて頂きます」
 オフェリアさんはそう言うと、いきなり僕のズボンと下着を脱がし、慣れた感じの手つきで僕の大事なものをしごき始めた。止めて! マリアとマーヤも眼の前で見ているのに!
 僕がそう抗議する暇もなく、やがてオフェリアさんの診断とやらは終了した。うう、僕もうお婿に行けないよう・・・。
「診断の結果を申し上げます。殿下のプリアポス様は、長さ、太さ共に申し分ございません。まさしく帝王の王笏であらせられます。また、精力もかなり旺盛で、この点も申し分ございません。しかしながら、持久力が決定的に不足しておられます」
「・・・持久力?」
「はい。この程度の刺激で5回も暴発してしまわれるとは、持久力が明らかに鍛えられておりません。いわゆる早漏です。少なくともご結婚までにはこの早漏を治して頂かないと、花嫁様を満足させることはできませんわよ、殿下」
 オフェリアさんはそう言って、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「・・・早漏を治すにはどうすればいいの?」
「それはもう、ひたすら子作りの練習に励んで頂くしかございません。1年間くらい、毎日子作りの練習に励んで頂ければ、殿下のプリアポス様も子作りの刺激に慣れ、早漏もある程度改善されるでしょう。今日は診断のため子種を絞り出してしまいましたので、明日から子作りの練習に励んでくださいませ。あと、練習といっても途中で止めるのでは意味がありませんから、きちんと最後までしてくださいね」
 オフェリアさんの話はこれで終わったが、僕は漠然と不安になった。この世界での生活があと45年も続くというのはさすがに冗談だと思うが、いつ終わるかの見通しが立たない以上、ずっと子作りを我慢し続けるというのはさすがに非現実的だ。
 それに、こちらの世界にはエッチな本やコンテンツなどはほとんどないものの、代わりにリアルな刺激が非常に多い。テオドラは時々僕の入浴中に乱入して自分の裸を見せつけてきたりするし、マリアは遠征中以外毎晩同じ部屋で寝ている上に、例によって際どい格好で身体を密着させてマッサージとかしてくれるし、転んではスカートがバラバラになったり、用を足している最中や着替え中に遭遇してしまったりも多い。遠征中にも、女の人が近くで用を足しているところに遭遇したり、若い農民の夫婦が畑の上で子作りしているのを目撃してしまったり(なお、この国の庶民たちの間では、子作りは屋外でするのがむしろ当たり前らしく、太陽の下で子作りをした方が立派な子供が産まれ育つと信じられているらしい)、僕自身も行く先々でエッチなお誘いを受けたりする。あと、イレーネは異常なほど僕に協力的で、入浴中に僕が裸を覗いても何も言わないどころか、最近は僕が我慢できなくなり1人でこっそりしているのを見つけると、わざわざ僕の前で裸になってくれたりする。
 そんなこんなで、僕の理性は強烈なダメージを受け続け、次第に限界が近づいている。それに、初めては好きな子とするものと決めてはいたが、僕が早漏で相手を満足させられないというのであれば、好きな子との体験を済ませる前に、この世界で子作りの練習をさせてもらって早漏を克服した方がよいのかも知れない。
 でも、一体誰に練習の相手をしてもらう? 真っ先に思い浮かぶのはマリアだが、マリアは湯川さんと姿形がそっくりだ。そのマリア相手に子作りの快感を覚えてしまったら、たぶん湯川さんを見ただけで激しく発情してしまう。日本へ戻った時、我慢できなくなって湯川さんを押し倒してしまい、高校を退学になって強制性交等の罪で少年刑務所行き、日本にいられなくなるという最悪のシナリオも考えられる。
 イレーネは可愛いけど、皇族の身分でありしかも預言者様だ。何でもするとは言ってくれているけど、さすがに子作りの練習相手をさせるわけには行かない。ではマーヤか他のメイドさんにする? それも何か違う気がする。たとえ練習であっても初めては好きな子としたいし、マリアを差し置いてマーヤを初めての相手に選べば、たぶんマリアも傷つくだろう。・・・こんな感じで、僕の頭の中は考えが堂々巡りになってしまい、この問題については結論を出すことが出来なかった。

 その数日後。僕はオフェリアさんからある提案を受けた。
「殿下。少々耳にしたのですが、殿下は政務を補佐する優秀な文官を求められているそうですね?」
「確かに求めているけど。優秀な文官不足が深刻で、ゲルマノス総主教の負担も重くなっているから」
「そこでと言っては難ですが、宮殿に仕えているメイドの中に、非常に頭脳明晰で学問にも秀でている娘が1人おります。その娘を側近としてお使いになられてはいかがでしょう?」
 僕は少し考えたが、優秀な人材は喉から手が出るほど欲しい。それが女の子であっても、さしたる問題ではないだろう。
「分かりました。ではその人を連れてきてください」
 そして、オフェリアさんに連れられ、何やら奇妙な格好をした女性が現れた。
「ソフィア・ブラニアと申します。宜しくお見知り置きくださいませ」
 ソフィアと名乗った女性は、そう丁寧に挨拶した。それは良いのだが、服装は黒いローブに、いかにも伊達メガネっぽい眼鏡。明らかにイレーネの真似であるが、ソフィアは見た感じ僕より若干年上という感じの大人っぽい女性で、背もそれなりに高く胸も大きいので、イレーネとは明らかに似ていない。ちなみに、顔立ちは整っているが、美人というよりは頭の良さそうな女性というイメージを受ける。
「初めまして、ソフィア。ところでその格好は何?」
「・・・この格好は、殿下のご趣味を研究した結果、これが一番殿下のご趣味に合うと考えたのですが、お気に召しませんでしたでしょうか? あと、失礼ながら、殿下と私は初対面ではございません」
「そうなの?」
 僕が疑問を呈すると、オフェリアさんが説明してくれた。
「ソフィアは、もともと殿下付きの女官候補の1人で、殿下とはもう何度も顔を合わせておりますよ。ですが、殿下が一向に名前を憶えてくださらないので、何とか殿下に名前を憶えて頂こうと、彼女なりに一生懸命努力した結果がこれなのですよ」
 そうだったのか。でも正直、僕は人の名前を覚えるのがいまいち得意ではないので、何人いるか分からない宮殿のメイドさんたちまで、いちいち全員の顔と名前を覚える余裕はない。将校たちや側近、優秀な術士たちの名前を覚えるのでほとんど精一杯なのだ。
「分かった。でも、僕は別に、そういう格好が趣味というわけじゃないんで、普通のメイドさんらしい格好でいいから」
「承知致しました、殿下」
 そう答えたソフィアは、あろうことかその場で服を脱いで着替えようとしたので、
「ソフィア、ストップ! 普通の格好に戻すのは明日からでいいから! わざわざこの場で着替えなくていいから! というか、わざわざ僕の目の前で着替えないで!」
 僕が慌てて止めると、ソフィアは何やら渋々といった感じで着替えを止めた。

 初対面の印象は「なんかおかしな女の人」という感じだったが、使ってみるとソフィアは確かに有能な女性だった。書類仕事などは、ちょっと教えただけでテキパキとこなす。さらに彼女の見識を確かめようと思い、ラテン人の皇帝アンリについてどう思うか尋ねてみたところ、こんな答えが返ってきた。
「アンリ・ド・エノーは、なかなかに有能な人物でございます。他のラテン人貴族たちの多くと異なり、ローマ人の協力を得なければロマーニアの地を統治できないことを理解しており、兄帝のライバルであったテッサロニケ王ボニファッチョとの和解にも成功致しました。軍人としてもかなり有能であり、西方のアルタで挙兵したミカエル・コムネノス・ドゥーカスも、アンリの前に屈服を余儀なくされたと聞いております」
「ミカエル・コムネノス・ドゥーカスって誰?」
「イサキオス帝の従兄弟にあたる貴族で、6年前にもミレトス地方で帝位を狙って反乱を起こし、鎮圧されたことのある野心的な人物です。彼は、追放先のアルタで密かに勢力を拡大し、先のダヴィド・コムネノスと同様に帝位を狙って前年に挙兵しております」
 なんか、僕の把握していない情報まで知っているぞ、この人。
「僕もアンリは強力な敵だと思うが、聖なる都を早期に奪還するには、何とかしてアンリを打倒しなければならない。何か、アンリの弱点になりそうなものはないだろうか」
「私の考えますに、アンリにも2つの弱点がございます。1つは、ラテン人の帝国は封建制でございまして、皇帝の権力はかなり弱いようです。現在ラテン人が抑えている領土のうち、皇帝アンリの直轄領はわずか4分の1程度でしかなく、領土の約半分はテッサロニケ王ボニファッチョ、その封臣であるアテネ公オトン・ド・ラ・ロッシュ、アカイア公ジョフロワ・ド・ヴィラルドワンらが抑えており、彼らの協力を得なければ帝国を統治できません。アンリは、ヴィラルドワンを宰相に任じるなどして国内の把握に努めておりますが、封臣たちは、アンリの許可なく勝手に戦争を起こすことも可能とされており、またラテン人貴族の中には、皇帝アンリの対ローマ人融和政策に対し密かに不満を抱いている者もいるようです」
「皇帝アンリも、決して盤石な立場じゃないんだね。もう1つは?」
「皇帝アンリは、ローマ人に対する融和政策の一環として、兄のボードワン帝と異なり、ローマ人たちに正教信仰の自由を認め、ラテン派への改宗を強要しておりません。この政策については、聖なる都で現在総主教を名乗っているヴェネツィア人のトマソ・モロシーニは、帝国の現状に鑑みやむを得ない措置として黙認しているようですが、ローマ教皇庁は皇帝ボードワンの即位によって、ローマ人を自らの宗教的支配下に置いたと信じているようです。現在のローマ教皇インノケンティウス4世は、モンゴル人との外交活動に乗り出すなどかなり精力的な人物ですが、教会の権威を脅かそうとする者に対しては、相手が国王であろうと容赦なく対処するそうです。皇帝アンリがローマ人の正統信仰を黙認していることをローマ教皇の耳に入れば、最悪の場合アンリはローマ教皇から破門される可能性もあり得ると思われます。そうなれば、ラテン人の力に多くを頼っている皇帝アンリは、外交的窮地に立たされることになりましょう」
「ソフィア、良い話を聞かせてもらった。早速、宣伝工作を進めることにしよう」
 その後、僕はソフィアと相談して皇帝アンリを陥れるための謀略を練り、実行に移した。どんな謀略かは、成果が出た段階で改めて話すことにする。いずれにせよ、ソフィア・ブラニアは僕が予想していた以上に有能で使える女性だ。存分に僕の許で働いてもらうとしよう。ところで、ブラニアというのは確かブラナスの女性型だったな。時々名前の出てくるブラナス家と何か関係があるのかな・・・?
「ところでソフィア、君の名前は確かソフィア・ブラニアと言ったよね。かつてイサキオス帝に謀反を起こして殺されたという名将アレクシオス・ブラナスや、現在ラテン人に仕えているテオドロス・ブラナスと何か関係あるの?」
 僕がそう問うと、ソフィアは少し気まずそうな顔をして、こう答えた。
「はい。私は、アレクシオス・ブラナスの庶子にあたりますが、私が生まれたとき、父は既に亡くなっておりました。私の母アナスタシアは、マヌエル・ラスカリス将軍の妻アマリア様の姉にあたるため、その縁もあって、私は幼少時から父を尊敬していたラスカリス将軍の許に母共々引き取られ、事実上ラスカリス将軍の養女として育てられました。そのため、血縁上テオドロス・ブラナスは私の異母兄にあたりますが、ブラナス家の本家とは全くの没交渉で、テオドロス・ブラナスはおそらく私の存在すら知らないと思われます。殿下は、謀反人の血を引く私の忠誠心をお疑いになられますか?」
「いや、そんなことで君を疑ったりしないよ。それに、君の父アレクシオス・ブラナスは悲運の名将と聞いている。僕の許でその才能を発揮し、父上の汚名を返上してくれればいい」

 この話は一旦ここで終わり、そろそろ夕食の時間なので今日の仕事は終わりにするとソフィアに告げたところ、ソフィアは突然こんなことを言い出した。
「殿下、今夜お時間を取らせて頂いて宜しいでしょうか?」
「今夜? 特に予定はないけど、何をするつもり?」
「私ソフィア・ブラニアは、生涯をかけて殿下に忠誠を尽す所存でございます。その証として、今夜殿下に『忠誠の儀式』を行って頂きたいのです」
「何それ? 『忠誠の儀式』って初めて聞いたけど、一体何をすればいいの?」
「私が殿下に生涯の忠誠を捧げる証として、殿下に私の処女を奪って頂きたいのです」
 思いっきりエッチなお誘いだった!
「そそそ、そこまでしなくていいから! 別に僕は、君の忠誠心を疑っているわけじゃないから! 気持ちだけで十分だから!」
「しかし、殿下と私は男と女です。女が殿方に生涯の忠誠を捧げるとき、自らの処女を捧げるのが最良の方法ではございませんでしょうか? それに、男女が互いに分かり合う最良の方法は、まず身体を重ねることだと聞いております。私は殿下に処女を捧げ、殿下のことをもっと知りとうございます」
「・・・悪いけど、僕の方で心の準備がまだ出来てないから! 今日は無理!」
「左様でございますか。ならば致し方ございません。殿下に心の準備が出来ます日を心よりお待ちしております」
 そう言い残してソフィアは僕の部屋を去り、この日は何とか切り抜けた。それでも、遠ざけるにはあまりに有能なので僕はソフィアを側近として使い続けたが、仕事が終わる頃になると毎日のように『忠誠の儀式』をせがむソフィアに悩まされることになった。ちなみに、この悩みを誰に相談してもまともに取り合ってもらえず、ゲルマノス総主教にさえも「別に我慢する必要はありませんし、むしろやってあげた方が確実に忠誠を確保できますぞ」と言われるに及んで、僕は相談すること自体を諦めた。


第8章 現行犯


 ある日の朝、またメイドのマリアが僕の目の前で転倒した。例によってまたスカートがバラバラになり、マリアの瑞々しい下半身が露わになる。見られる側のマリアは次第に慣れてきたらしいが、見てしまう側の僕は慣れるどころではない。既に危険水域に達している理性のゲージがまた削られていく。
「痛いです・・・。いつも、ご主人様にははしたないところをお見せして、申し訳ありませんなのです。マリアは、いつもミスばかりして、ご主人様や他の皆さんに迷惑を掛ける、ドジでのろまな亀なのです」
 何となく昭和の香りがする台詞を呟き、下半身裸のまま僕に謝ってくるマリア。僕はそのままマリアに襲い掛かりたい衝動を必死にこらえ、マリアのあられもない姿をなるべく見ないように横を向きながら、
「・・・マリア。最近思うんだけど、そのスカート長すぎなんじゃない? スカートが長すぎて足許まで届いているから、今もマリアは自分のスカートに躓いて転んじゃってるし」
「すみません、ご主人様。この宮殿のしきたりで、メイドの服装は決まっているのです。わたしだけ勝手に別のスカートを履くことはできません、なのです」
「それだったら、僕が『スカートが長過ぎて危ないから、もっと短くして』と言っていたって、オフェリアさんに相談してみて。僕の意向ということであれば、オフェリアさんも考えてくれると思うから」
「わ、分かりました、なのです」
 そう言うと、マリアはバラバラになったスカートを拾い集め、前の方を隠しながらそそくさと退出して行った。僕は、一世一代の失言をしてしまったことにも気付かず、マリアの可愛いお尻を見ないようにするのに必死だった。

 その日、僕が午前中の政務と午後の戦闘訓練を終えて自分の部屋に戻ってくると、マリアのスカートは確かに短くなっていた。
「ご、ご主人様、お、お帰りなさいませ、なのです・・・」
 僕を出迎えたマリアが、恥ずかしそうにモジモジとしていた。それもそのはず、マリアの履いているスカートは、日本の女子高生などが履いているミニスカートよりさらに短く、しかも例によってパンツなど履いていないので、お尻とか大事なところが時々チラっと見えてしまう。こんな姿のマリアと毎日過ごしていたら、さすがの僕も理性を維持できる自信が無い。僕は急いでオフェリアさんの部屋に行き、いくら何でもやり過ぎだと抗議しに行ったところ、その部屋にはオフェリアさんの他、ソフィアとマーヤ、その他数人のメイドさんがいた。オフェリアさんは従来どおりの長いスカートを履いていたが、他のメイドさんのスカートは、個人差こそあるもののかなり短くなっていた。僕はメイドさんたちを見回しながら、
「オフェリアさん、えーと、一体これは、どういうことですか?」
「殿下のご命令とのことでしたので、殿下付きのメイドが宮殿内で着用するスカートの長さを調節致しました。ソフィアの発案で、スカートの長さは3段階に分けております。ソフィアなどが着ております、極限まで短くしたスカートは、『是非私と子作りしてください』というメッセージです。マーヤなどが着ております、もう少し長いスカートは、『私と子作りしたければしてもいいです』というメッセージです。もう1種類、膝上までのスカートもありまして、これは『出来れば今日は遠慮したいです』というメッセージを意味しておりますが、これを選んだ者はおりません」
「・・・何でそんなことを?」
「私どもといたしましては、殿下がどうしてメイドたちと子作りの練習をされないのかを心配しておりまして、マリアをはじめ女の子には優しい殿下のことですから、ひょっとしたら『権力に物を言わせて無理やり子作りの相手をさせるのは良くない』とお考えかも知れないという話になっていたのです。そこへ、殿下からマリアのスカートをもっと短くせよとのご命令を戴きましたので、メイドたちの意思を奥手な殿下にもはっきり理解できるよう、このような制度に改めたのです。もっとも、このように短いスカートで外を出歩くわけには参りませんので、外出時や殿下以外の殿方と顔を合わせるときには、通常の長いスカートを履きますけどね」
「・・・それで、マリアにあんな短いスカートを履かせたのですか?」
「履かせたのではありません。マリアにどのスカートを選ぶか尋ねたところ、あの娘は迷うことなく一番短いスカートを選びました。マリアも奥手で恥ずかしがり屋なところはありますが、あの娘は殿下のことが大好きで、殿下に愛されようとあの娘なりに努力はしているのですよ」
「・・・もういいです。分かりました」
 そう言い残して、僕はオフェリアさんの部屋を出た。
 僕は分かっていた。別にオフェリアさんたちが特別おかしいわけではない。このビザンティン帝国がおかしいわけでもない。中世の君主なんて大体どこの国でも似たようなもので、王様などは女の子を選び放題。特に人気のある若い王様などは、自分で選ばなくても女の子の方から誘ってくる。キリスト教の教義に基づき、建前上は一夫一婦制が取られていたヨーロッパ諸国でも、内実は他の国と大して違いはなく、王様が如何に宮廷内で淫乱な生活を送ろうと、それが広く外部に漏れるようなことがなければ、教会も見て見ぬ振りをしてくれていたという。僕は皇帝ではないけれど、皇帝が老齢盲目のイサキオス帝で僕が実質的な統治者なのだから、僕に人気が集まることは仕方のない事なのだ。
 仮に僕が、日本で死亡してこのビザンティン世界に転生し、もう日本に戻れないというのであれば、諦めてこの世界の風習に染まるという選択肢もあり得る。しかし実際の僕は、日本でも一高校生として実在しており、実際にも時々日本で平凡な1日を過ごしている。もし僕が、ビザンティンの世界で誘惑されるがままにハーレム生活に染まってしまったら、おそらく日本ではまともに暮らしていけない。おそらく高確率で、性欲を抑えられなくなって性犯罪者になり、刑務所生活を送ることになるだろう。目立たないけど平和な日本での暮らしを捨てたくないなら、結局のところ僕はどんな誘惑にも耐え続けなければならないのである。

 ちょっと話は変わるが、僕はカイサルに任命される前から、ニケーアにいるときは時々お忍びで、一兵士の姿に変装して町に出掛けている。名前は単にミカエルと名乗っており、ミカエルなんてこの国ではよくある名前だから、別の名前を使う必要もないだろうし、僕の風貌は特に目立つものではないから、一兵士の格好をしていればまず僕だとバレることはない。実際、この姿でテオドロスやアレスに遭遇したこともあるけど、彼らに正体がバレることはなく、一兵卒の分際で何をやっているのかとネアルコスに説教されたこともある。
 オフェリアさんたちには、庶民の目線から町の民情を視察するためと説明しており、実際それっぽいこともやっている。結構驚くこともあった。なるべく行くなと言われていた風呂屋に行ってみると風呂屋は混浴で、催してしまった男性客を相手にする娼婦さんもいた。以前より減ったとはいえ犯罪もあり、スリに財布を奪われたこともあった。尼僧院に行くとなぜか歓迎され、オルガンを弾きたいと言うと喜んで弾かせてくれた。町の治安を守る兵士たちがきちんと仕事をしているかも確認し、賄賂を簡単に受け取った兵士や役人を処刑し、きちんと任務を守って僕を牢に入れた兵士には褒美を与えたりもしている。
 もっとも、このお忍びには隠れた目的もある。夢精をして恥ずかしい思いをするのは極力避けたいし、夜まで待てない程発情してしまうこともあるので、この国では本来やってはいけないことをバレずにやれる場所を探すことだ。ちょうど、町の城壁外にある林の中に格好の場所があった。ここなら他の若い男たちも小便のついでに同じことをしているので、これに混じってやれば、まずバレる心配はない。
 男の子の心理としては、いけないことをするときは勿論、単に小便をするときにもいちいちマリアにおまるを用意してもらうのは面倒だし、恥ずかしい。遠征へ出ているときのように、一人で立ち小便をし、そのついでにちょっと気持ち良くなるようなことをしたところで、地獄に墜ちるなんて馬鹿な話があろうはずもない。実際、僕だけでなく他の若い男たちもみんなやっていることなのだから。
 そんな発想のもと、僕はニケーアにいるとき、お忍びで城外に出てちょっと済ませてくるというのが習慣になり、テオドラが裸で迫ってきたり、マリアのスカートが短くなったりして性的な誘惑が激しくなるにつれ、その頻度も必然的に増えていった。最初のうちはバレるかもという警戒心もあったが、全くバレる様子も怪しまれる様子も無かったので、警戒心は次第に薄れていった。

 そして、アクロポリテス先生とパキュメレスを連れてニケーアへ戻ってきたあの日、僕の我慢は限界に達していた。アトス山からニコメディアまでの海路、ニコメディアからニケーアまでの陸路合わせて5日間ほどの旅だったが、道中はテオドラの目もあって処理できる場所がなく、運の悪いことにその間日本へ戻る日も無かったのだ。僕はニケーアに戻ると、急いで一兵卒ミカエルの服装に着替え、いつものようにお忍びで町へ出た。もう余裕が無かったので、他の場所へは寄らず急いでいつものスポットへと向かった。
 ズボンと下着を降ろし小便をする姿勢になり、僕はやっと楽になれると安堵した。普段は先に小便をしてからもう1つの用事も済ませるのだけど、今回は限界まで溜まっており、大事なものが大きく腫れ上がってしまっているので、この状態では小便も出せない。仕方ないから、今回は「もう1つの用事」を先に済ませよう。溜まり具合から考えて1回では満足できないから、数回はしなければならない。あまり時間がかかると怪しまれるから、早く済ませないと。でも、こんなときに限ってなかなか出ない。こういうときはイレーネの裸を思い浮かべて・・・

「殿下? 一体何をなさっておいでなのですか?」
 そのとき、後ろから声が聞こえた。ソフィアの声だった。
 僕の身体は、まるで『氷結』の術をかけられたかのように、一瞬凍り付いた。

(中編へ続く)


<前編後書き>


「・・・最後までお読みいただき、ありがとうございます。本編の主人公、ミカエル・パレオロゴスです。というかテオドラ、さっきから笑い過ぎ!」
「ぶひゃはははははは! まさかのオナニーバレで終了www ああ、笑い過ぎでお腹痛い」
「さっきから僕のこと笑ってるけど、本編を読んでくれた読者さんの大半は、君の言動にも笑ってるか呆れかえってると思うよ」
「そんなことはどうでもいいのよ! さて、みかっち。今からあんたの自瀆行為、すなわちオナニーの罪に関する取り調べを行うわよ。この世界は日本じゃないから、被疑者の黙秘権はありません。今からあたしの質問に対し、本当のことを白状しなさい」
「・・・本当に被疑者だから仕方ないけど、何を聞く気なの?」
「まずは、みかっちのオナニー歴ね。何歳の頃からオナニーしてたの?」
「いきなりそれを聞く!? さすがに恥ずかしいから話したくないな・・・」
「被疑者に黙秘権はないわよ。正直に答えないと大事なものをちょん切るわよ」
「・・・8歳の頃からです」
「ずいぶん早いわね。普通は早くても12歳くらいじゃないかと思うけど。始めたきっかけは?」
「・・・7歳くらいの頃、大事なものの皮を剥くと痛いって言ったら、お父さんに男がそんなことでどうするって言われたんで、それから痛いのを我慢しながら、お風呂で皮を剥いた状態でお湯を掛けたりして、頑張って慣らして行きました。それから1年くらい経つと、皮を剥いて直接触っても痛くならなくなりました」
「その代わり、触るのが気持ちよくなってやめられなくなっちゃったわけ?」
「有り体に言えばそういうこと」
「その頃って、あの白い液って出るの?」
「出ないよ。時々透明な液が出るだけ。白いのが出るようになったのは12歳くらいの頃かな」
「そんなオナニーマスターのみかっちは、たまに日本へ帰った時1日何回くらいオナニーしてるの?」
「オナニーマスター言うな! ・・・最近は、平日だと朝に1回、夜に2回くらいです」
「ふーん。夜だけじゃ飽き足らず、朝にもしてるんだ?」
「仕方ないだろ! 以前は朝にすることは無かったけど、最近は朝学校に行く前にしておかないと、学校でムラムラしてきちゃって勉強にならないんだよ!」
「さっき、平日だとって言ってたけど、休日のときは?」
「1日5回くらい」
「やっぱりオナニーマスターね。回数が尋常じゃないわ。ところで、オナニーのおかずは?」
「主にイレーネ。たまにマリアでしちゃうこともあるけど、後が大変だからできるだけ避けてる」
「何であたしじゃないのよ!?」
「そこで怒る!? やっぱり、テオドラをおかずにするのは、僕のプライドが許さないから」
「ふーん。それじゃあこれから頑張って、みかっちのつまらないプライドをズタズタにしてあげる必要があるわね」
「一体何をする気!?」
「内緒。あと、アトス山から帰ってくるとき溜まりまくってたって本編にあるけど、アトス山の宿屋ではどうしてたの?」
「・・・君が寝ている間に、イレーネが協力してくれました」
「よりによって、アトス山の麓でオナニーするとは情状は重いわね。みかっちには、重い刑罰が科されると思うから、覚悟しておきなさい」
「一体どんな刑が科されるの!?」
「それは中編でのお楽しみ。ところでみかっち、この物語って、なんで1話が前編とか後編とかに分かれてるの? 普通に1編ずつ、第1話、第2話とかにすればいいのに」
「プロットの段階では、大体1年1話くらいの感じで話を分けることにしてあったんだよ。ところが、分量が多すぎて1話が7万字以内に収まらなくて、仕方なくそういう分け方になったんだよ」
「まあ、今回は神聖術の説明とかやたら長かったからねえ」
「それもあるけど、君がすごい勢いでボケまくって分量を増やしちゃったし、イレーネも暴走してるし。そもそも、構想段階では神聖結晶なんて概念無かったのに、イレーネが勝手に作っちゃって」
「あと、爵位の名前もややこしいわね。あれって本当にあった話?」
「歴史上実在した爵位や称号で、セバストクラトールやデスポテースとかがあったのは本当。ただし、セバストクラトールが50人もいたとか、一時期セバストクラトールより上の爵位が作られたとかいう話はさすがに冗談だけど」
「あと、本編の中で出てくる某ゲームって何のこと?」
「あれは、コーエーの『蒼き狼と白き雌鹿Ⅳ』のこと。シナリオ2でビザンツ帝国を選択すると、国王がミカエル8世で、初期将軍がアクロポリテスとパキュメレス、そして息子アンドロニコスの3人いる」
「だから、アクロやぱーすけの名前にみかっちが反応してたわけね。ところで、そのゲームに出てくる、ミカエル8世の皇后は誰?」
「・・・一応テオドラって名前だけど」
「じゃああたし、やっぱり皇后様になれるのね! 皇后様になったら、湯水のようにお金を使いまくってやるわ!」
「・・・世の中、そう甘くはないんだけどね」
「一体何の話よ?」
「別に。次の中編は、まだ作者が一文字も書いていないのでどういう展開になるか、いつ投稿できるかは分かりませんが、続きも読んで頂ける方は、気長にお待ちください。後編の構想は概ね固まってるらしいんですが」
「中編も、当然あたしが大活躍する場面よね?」
「いや、次の中編は、あんまり君の出番は多くないと思う。というか、中編でも君がボケまくると、話が更に長くなっちゃうから自粛して欲しいって作者が言ってたけど」
「冗談じゃないわ。こうなったら、無理やりにでもしゃしゃり出てやるわよ!」
「そんなわけで、中編はどんな展開になるか作者自身にも予想できませんが、これからもよろしくお願いします」

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