第5話前編 ミカエル包囲網との戦い
第1章 皇帝テオドロスの野望
世界暦6757年9月。
僕が、このビザンティン世界に召喚されてからちょうど4年が過ぎ、この年で5年目に突入する。
エピロス方面の情報を調べていたニケフォロス・スグーロスが、テッサロニケで皇帝を名乗ったというテオドロス・コムネノス・ドゥーカスという人物と、彼の統治方針や軍事力、そして彼が構築を企んでいる『ミカエル・パレオロゴス包囲網』なるものの詳細を調べて戻って来たので、僕たちは幹部たちを集め、スグーロスの報告を聞くと共に、今後の対策について協議することにした。
なお、ここでいう「幹部たち」とは、具体的には以下のメンバーである。
文官組 アクロポリテス内宰相、ゲルマノス政務官、ソフィア、パキュメレス。
術士組 テオドラ、イレーネ、プルケリア。
武官組 陸軍総司令官代理のマヌエル・ラスカリスと、その息子テオドロス・ラスカリス。
ファランクス隊司令官のアレス。
海軍提督のネアルコス。
ムハンマド常勝隊司令官のメンテシェ。
トルコ人弓騎兵隊司令官のジャラールとオスマン。
クマン人弓騎兵隊司令官のダフネと、その副将シルギアネス。
暗黒騎士隊隊長のマヌエル・コーザスと、その副将ユダ。
貴族組 ヨハネス・ヴァタツェス将軍、コンスタンティノス・パレオロゴス。
会議は、僕のスグーロスに対する質問から始まった。
「テオドロス・コムネノス・ドゥーカスは、どのような男なのだ?」
「年齢は30代の半ばで、イサキオス帝の従兄弟にあたりますが、アンゲロスの家門名は名乗らず、由緒ある帝室の家門名であるコムネノス・ドゥーカスの姓を名乗っています。野心的な男で、異母兄のミカエルを密かに暗殺しその地位を奪ったとの噂もございますが、正直に申し上げますとイサキオス帝の血縁とは思えぬほど、武芸にも長じ、頭も切れる男です」
その報告を聞いて、出席者の多くから苦笑いの声が起こった。イサキオス帝の娘であるテオドラでさえも、イサキオス帝がダメ人間だということは理解しているらしく、特に文句は言わない。
「テオドロス・ブラナスが死んだと思ったら、また俺様と同じ名前のテオドロスが出て来たのかよ」
そう文句を言うのは、『最強のローマ人』称号ホルダーである、ビザンティオンの聖戦士こと、テオドロス・ラスカリスである。
「それは僕も思ったよ。向こうのテオドロスは皇帝を名乗っているらしいから、君と区別するために、向こうの方は皇帝テオドロスと呼ぶことにしよう」
「それじゃあ、向こうの方が上みたいじゃねえか! どちらが真のテオドロスか、勝負してやる」
「これから彼と戦うことになるわけだから、いずれその機会は来るよ、テオドロス。だから、今は大人しく、スグーロスの話を聞いていてくれ」
「話が脱線したが、皇帝テオドロスは、どのくらいの兵力を持っているのか?」
「かの者が率いる軍は、ほとんどが寄せ集めの傭兵部隊などではございますが、数としては8万人を上回る数を動員できるようです」
「8万人だと!? かなり数を盛っているのではないか?」
「いえ、私もさすがにその数はおかしいと思い、詳しく調べてみたのですが、確かに8万人以上の兵士がいることを確認致しました」
「皇帝テオドロスの支配下にある、エピロスやテッサリア、マケドニアといった地域は、それだけで8万人もの兵力を維持できるほど、裕福な地域なのか?」
「いえ、それらの地域は確かに肥沃であり、皇帝テオドロスの行き届いた農業政策や商業政策により繁栄してはおりますが、領地からの収入だけで維持できる兵力は、多く見積もっても4万が限界でありましょう」
「では、一体何者が皇帝テオドロスを援助しているのだ」
「最大の援助者は、ヴェネツィア共和国です。ヴェネツィアは、殿下によって脅かされつつある東方貿易の覇権を取り戻すため、かなり本腰を入れて、皇帝テオドロスを支援しているようです。ヴェネツィアが皇帝テオドロスに行っている援助の額は、わが国に対する貢納金の5倍以上にのぼっています」
「ヴェネツィアが裕福な国だということは聞いているが、かの国はそのような大金をホイホイ出せるほど、無尽蔵に金を持っているのか?」
「いえ、ヴェネツィアにとっても、かなりぎりぎりの金額のようです。ヴェネツィアは、ロードスの和約により我が国やジェノヴァと戦争をしなくて良くなった分、軍備の増強に充てる予算をほぼすべて、皇帝テオドロスへの援助に回していると聞いています。それだけヴェネツィアも、殿下の台頭を恐れているのでしょう」
「では、我らと皇帝テオドロスとの戦いは、ヴェネツィアとの代理戦争みたいなものなのか」
「それだけではございません。皇帝テオドロスは、殿下が異教徒や異端のボゴミール派を優遇し、ボゴミール教として公認したことを強く非難し、我こそ正統信仰の擁護者であると自称しております。そのため、正教会は皇帝テオドロスを全力で支援しており、かの者の支配下にある教会はもちろん、どうやらわが国の領内にある教会の中にも、密かにテオドロスを支援しているところがあるようです」
「そんな教会があるのか!?」
「教会以外にも、皇帝テオドロスの領内にいる貴族たちは、殿下の支配下に入れば自分たちの特権が脅かされるだろうと恐れ、皇帝テオドロスを全力で支援しております。様々な改革を推し進めておられる殿下と異なり、皇帝テオドロスはあくまでローマ帝国の伝統を守ると標榜しており、伝統派の知識人たちも皇帝テオドロスに味方し、殿下を非難する内容の檄文を書くなど、その統治に協力しているようです」
「皇帝テオドロスは、余の行ったどのような改革を非難しているのだ?」
「第1に、女性の神聖術士に博士号まで認め、神聖術を乱用し、かつてのアンドロニコス帝のように、自分の愛人である女性神聖術士を重用しているなどと非難しております。そのため、皇帝テオドロスの許には、女性の神聖術士はおらず、また移動拠点の積極的な活用など考えもしておらず、術士はあまり重用されていないようです」
「何よそれ。だったら数が多いだけの雑魚じゃない」とテオドラ。
「話に割り込んで済みませんが、スグーロス殿、わが国では神聖術以外にも、殿下がファランクス隊、ムハンマド常勝隊、暗黒騎士隊を創設され、これまでのローマ帝国では行われていなかった高度な軍事訓練が行われておりますが、皇帝テオドロスは兵士たちにどのような訓練をしているのですかな?」とラスカリス将軍。
「特別な部隊の編成や訓練をしている様子はありません。兵士の大半も寄せ集めの傭兵部隊なので、おそらく戦争になったら、数に物を言わせて突撃するくらいのことしかできないでしょう」とスグーロスが答える。それを聞いたラスカリス将軍は、こう呟いた。
「・・・皇女様ではございませんが、この私も、皇帝テオドロスの軍は数が多いだけで、さしたる強敵ではないように思えて参りました」
「余もそのように思えてきたが、とりあえず話を戻そう。第2は?」
「第2は、殿下が俗語で勅令を出していることを、タタール人かぶれの蛮族がやることだと非難しており、皇帝テオドロスの勅令は、伝統派知識人たちの助力により、すべて優雅な古典ギリシア語で発布されております。教育もわが国とは異なり、伝統的なギリシア古典に基づく教育が重視されているようです」
ちなみに、僕が力を入れている国内の教育活動は、新ローマ数字を用いた数学や幾何学、エジプトから入ってきた最新の天文学、皇帝フリードリヒ2世の影響を受けた法学や医学、諸外国との外交に役立つ外国語などであり、確かにギリシア古典に関する教育はあまり重視していない。
「まあ、それはどうでもいい。第3は?」
「主だったものはこれで最後になりますが、皇帝テオドロスは正統信仰を擁護し、異教徒や異端者の排斥を行っているようです。兵力の大半をラテン人に頼っているためラテン派の排除はできないようですが、ユダヤ教徒やボゴミール派の弾圧は、かなり積極的に行っているようです」
「確かに、わが国では最近ユダヤ教徒やボゴミール派の移民が多く流入しておりますが、一番数が多いのがブルガリア、その次に多いのがエピロスからの移民でございます」と、アクロポリテス先生が補足した。
「・・・だとすると、逆にわが国の正教徒がエピロスに亡命したりしているのか?」
「その様子はありません。殿下に反感を持っているのは、特権階級である聖職者や修道士たちだけであり、一般の正教徒は概ね殿下の統治に満足しており、少なくともまとまった数の正教徒が、わが国を捨ててエピロスに亡命しているという報告はありません」とアクロポリテス先生が答える。
「・・・そうすると、皇帝テオドロスの政策には何のメリットがあるのだ?」
「それは、特権階級である聖職者や修道士たちの熱烈な支持です。先程もご説明致しましたが、彼らは殿下を倒すためなら、教会資産の拠出すら厭わない覚悟のようです。ただし、殿下を敵視しているのは主に男性の聖職者たちであり、尼僧院はなぜか殿下に概ね好意的なようですが」
「まあ、その程度であれば、相手が皇帝テオドロスだけであれば、わが国にとってさほどの強敵でもなさそうだ。問題は、彼が提唱している『ミカエル・パレオロゴス包囲網』なるものだ。その詳細について教えてくれ」
「はい。皇帝テオドロスは、殿下に対抗するため、各地の国や勢力に同盟を持ち掛けているようです。主な国としては、ブルガリア王国、モンゴル帝国、トルコ、グルジア王国、キリキア・アルメニア王国、アンティオキア公国が挙げられます。そして、わが国の国内でも、殿下のことを快く思っていない、トレビゾンドのアレクシオス・コムネノスや、フィラデルフィアのテオドロス・マンカファースといった有力者に声を掛ける積もりのようです」
「・・・それだけの国や勢力が一挙に敵となれば、確かに重大な脅威となるな。特に,モンゴルが敵となったら,わが国はお終いだ」
「お待ちくださいませ、殿下。皇帝テオドロスの唱える包囲網は、確かに実現すればかなりの脅威になりますが、このソフィアの見る限り、実現可能性は相当低いように思われます。少なくとも、外交によって包囲網の結成を阻止することは十分に可能です」
「そうか。では、そなたの見立てを聞かせてくれ」
「まず、最大の脅威になり得るのはモンゴルでございますが、モンゴルには殿下自らサライに赴かれ、ジョチ・ウルスと通商条約を締結し、またゾエ皇女様の輿入りも内定しております。殿下に対するベルケ様の心証もかなり良かったと窺っておりますし、またわが国との交易で、モンゴル人もかなりの利益を得ているはずでございます。
このままゾエ皇女様の輿入りを実現させれば、わが国とモンゴルとの関係は更に良好になり、未だモンゴルとの外交関係を構築させていないエピロス側が、容易にこれを突き崩せるとは思えません」
「そう言われれば、確かにそうであるな。では、ブルガリアはどうか?」
「ブルガリアでは、殿下の援助によりイヴァン・アセンが王位に就いたばかりで、しかも対立王ボリルの配下であったブルガリア軍の主力は、大半が殿下の軍に討たれ、生き残った者もイヴァン・アセンではなく殿下に投降したため、イヴァン・アセンの使える兵力は1万にも満たず、国内を固めるにも相当苦労していると聞き及んでおります。
また、ブルガリアの首都タルノヴォに築かれた臨時の移動拠点は、イヴァン・アセン自らの要望で、恒久的に設置されることが決まっております。ブルガリアは、一応わが国の兄弟国とはいえ、実態は属国も同然であり、少なくとも現時点では、殿下に反旗を翻す力があるとは考えられません」
「そうか。では、トルコの情勢はどうなっている?」
「トルコは、今のところわが国との国交関係はなく、一応敵国ではございますが、国政を牛耳ってきたイスファハーニーが不正を告発されて処刑され、国内はカイ=カーウス、クルチ=アルスラーン、カイ=クバードの3兄弟が、スルタンの位をめぐって争いを続けております。
カイ=カーウスを支持していたイスファハーニーが処刑されたことにより、クルチ=アルスラーン派がやや有利になったようですが、国内の疲弊もあり、今のところわが国に侵攻する力はないと考えられます。
エピロス側が、クルチ=アルスラーンと同盟して彼を援助した場合、彼によってトルコが再統一される可能性も無くはありませんが、その場合には、こちらもカイ=カーウスあたりを支援して対抗する策が考えられます」
「では、グルジアはどうか?」
「黒海の東岸にあるグルジアは、今のところわが国と正式な国交関係はありませんが、経済交流は続いています。また、グルジアはモンゴル軍の侵攻を受けてかなりの打撃を受け、現国王ダヴィド6世はモンゴルに臣従していますが、国内ではなおもモンゴルに抵抗しようとする動きがあり、わが国に兵を向ける余裕があるとは考えられません。
この際、グルジアに使者を送って正式な国交関係を樹立すれば、グルジアが敵に回る可能性はまず無いでしょう」
「では、キリキア・アルメニアはどうか? 確か、わが国とは通商条約を結んでいるはずだが」
「そのとおりでございます。キリキア・アルメニアは元々小国であり、現国王ヘトゥムは、戦わずにモンゴルに臣従し、経済的にはわが国やヴェネツィアと、東方貿易における仲介役を務めることで成り立っております。ヘトゥム王は賢明な人物であり、エピロスと同盟してわが国と敵対するような愚行を犯すとは考えにくいですが、念のため従来どおりの関係を再確認しておけば、十分でございましょう」
「では、アンティオキア公国はどうか?」
「アンティオキアも、わが国と通商関係を結んでおります。また、現在のアンティオキア公国は、イスラム勢力の圧迫を受けて弱体化しており、現在のアンティオキア公ボエモン6世は、キリキア・アルメニアのヘトゥム王と争い、劣勢に立たされているようです。わが国に兵を向ける意思も能力も無さそうですので、特に何もする必要はないと考えられます」
「・・・となると、現段階で手を打つ必要があるのは、グルジアに使節を送ることくらいか?」
「外交面でやるべきことは、その程度でございましょう。ただ、わが国はアドリアヌーポリを掌握し、皇帝テオドロスはテッサロニケを掌握したものの、両都市の中間にあたる町や村は、どちらが優勢か様子見を決め込んでいるところが多く、両国間で小競り合いが発生する可能性もございます。
我が軍の戦況が思わしくない場合、アレクシオス・コムネノスやマンカファースが、エピロスに内応して反乱を起こす可能性がありますので、注意しなければなりません」
「なるほど。今のソフィアの見立てに、誰か異存のある者はおるか?」
・・・特に、誰からも声は挙がらなかった。
「では、その方針で行こう。グルジアへ送る使節だが・・・、コンスタンティノス、余の代理として行ってくれるか?」
「承りました。グルジアとは、友好通商条約の締結を打診致しますか? それとも、攻守同盟の締結も打診致しますか?」
「・・・友好通商条約に留めておこう。攻守同盟を締結した上で、後日グルジアがモンゴルに抵抗する道を選んだ場合、わが国がモンゴルとの戦いに巻き込まれる可能性がある」
「畏まりました、殿下」
「他に何もなければ、本日の会議はこれで終了とする。ただ、今後いつ戦争になるか分からないので、いつでも出陣できるよう準備は怠らないように」
・・・閉会後。僕とアクロポリテス先生、パキュメレスの3人だけが残った。
「もっと深刻な内容の会議になると思っていたけど、結構簡単に終わっちゃったね」
「ソフィアの分析が見事だったことも、一因でございましょう。彼女は男に生まれておれば、帝国宰相になれたかも知れない逸材であると、私の父も申しておりました。このアクロポリテスの出番も、やがてはソフィアに取られてしまうかも知れません」
「あと、今日はテオドラも静かだったね。大体いつもは、余計なことを言って場を混乱させるのに」
「・・・このパキュメレスの見る限り、皇女様は単に、途中から話について行けなくなっただけではないかと思われます。そんなお顔をしておいででしたから」
「そうか。今までは、呼ぶと邪魔になると思って逆に失敗することが多かったけど、敢えて呼ぶという対処法もあるのか」
第2章 初体験
この5年目には、皇帝テオドロスとの対峙という課題も発生したが、僕の私生活上でも、重大な転機があった。
事のきっかけは、僕がアドリアヌーポリからニュンフェイオンに戻った直後、オフェリアさんがやってきたことに始まった。
「オフェリアさん、お久しぶりです。ニケーアの様子に変化はありませんか?」
「特にございません。それより殿下、まだ子作りを最後まで実践しておられないようですね」
・・・何か嫌な予感がした。
「別に子作りまでしなくても、十分満足させてもらってるから・・・」
「子作りの練習は、殿下を満足させることが目的ではございません。殿下に子作りを覚えて頂くことが目的です。あれだけお膳立てをしておけば、自然と子作りを始められるだろうと思っておりましたが、ソフィアから殿下は、未だに子作りだけはやろうとなされないと聞き、急ぎ参上致しました」
「・・・一体、僕に何をさせる気なの?」
「今日からは、きちんと最後まで子作りをして頂き、プリアポス様の正しい使い方を覚えて頂きます」
「・・・正しい使い方って?」
「プリアポス様は、女性の体内に挿入して、種付けをするために神から与えられたものです。それ以外の方法で快楽だけを貪るのは、誤った使い方です。もう、殿下は女性の裸にも慣れてきた頃でございましょうから、本日童貞を卒業して頂きます」
「・・・嫌だと言ったら?」
「マリアを殿下の担当から外し、料理係に配置換えします。そして殿下の担当にはルミーナを付けます。ルミーナは、自分なら一晩で殿下を童貞状態からお救い申し上げて見せると言っておりますから、きっと私の期待にも応えてくれるでしょう」
(どちらを選びますか?)
A マリアと一緒に、童貞を卒業する。
B ルミーナと一緒に、童貞を卒業する。
「・・・えっと、選択肢この2つしかないの!?」
「殿下の年齢的に、子作りを覚えて頂かないと支障が生じてしまいますから、これ以上の時間的猶予は差し上げられません。マリアは、殿下に気に入られてはおられるようですが、子作りにはいまいち消極的ですので、殿下の担当からは外そうと考えております。それがお嫌だと仰るのであれば、今夜中にマリアと事を遂げられてくださいませ」
どうしよう。もはやこうなっては、実質Aを選ぶしかない。
「分かった。今夜マリアと、その・・・子作りをすればいいんだね」
「誤魔化すのは駄目ですよ。この私が、ちゃんと最後まで済ませたかどうか、確認致しますからね」
・・・その日の夕食後。僕の部屋に、身体を浄めてきたマリアがやってきた。
マリアは、前半身を辛うじて隠せるくらいの黒い毛皮を纏っているだけで、服は着ていない。これから何をするのか、誤解しようのない姿だった。
「・・・マリア、これから僕たちが何をするかは、分かっているんだよね?」
「はい、なのです。・・・でも、ご主人様、初めての相手がわたしで、よろしいのですか?」
「どういう意味?」
「ご主人様は、本当はわたしではなく、イレーネ様のことがお好きだったのではないのですか? ですから、今までわたしとの子作りを、ためらっておられたのではないのですか?」
・・・マリアは、僕のことをそういう風に思っていたのか。
「そうじゃない。仮にそうだったら、これまでイレーネと子作りをする機会はいくらでもあったし、散々イレーネにもせがまれてきたから、とっくにしてるよ」
「・・・では、どうしてなのですか?」
「・・・僕が好きなのは、僕が生まれた日本っていう国に住んでる、湯川さんっていう、君とそっくりな女の子だったんだよ。だから、君と深い関係を持ってしまうと、君をまるで湯川さんの代用品にしてしまうような気がして、それが嫌だったんだ」
「それだったら、全然問題はないのです。わたしも、ご主人様のことが大好きなのです!」
「え? どういう意味?」
「あ、えっと、その・・・。特に根拠はないですけど、その湯川さんという女の子も、きっとご主人様のことが大好きなのです。そして、わたしも、ご主人様のことが大好きなのですから、別に他の女の子の代用品とか、・・・そんなことを気にする必要はないのです」
いまいちよく分からない理屈だけど、要するに僕のことが好きだから、湯川さんの代用品になっても構わないということなのだろう。
それに根拠はないけど、湯川さんと姿も喋り方もそっくりのマリアに、湯川さんも僕のことが好きだから大丈夫だと言われると、不思議とそれでも大丈夫なような気がしてきた。どちらにせよ、マリアを手放したくないのであれば、今夜ここでマリアと事を遂げてしまう以外の選択はないのだ。
「分かった。マリア、・・・今夜よろしくお願いするね」
「ご主人様、私こそ、・・・よろしくお願いします、なのです」
こんな挨拶、これから子作りをしようというカップルのやることではないと言われそうだが、僕もマリアも、このときは至って真剣だった。
もっとも、まともな物語らしき形で語れるのは、ここまでだった。
僕とマリアはこれまでと同様、ディープキスをして前戯を経て、唯一これまでしたことのない挿入を試みたのだが、ぬるぬるして滑ってしまうだけで、なかなか僕のものがうまく入らなかった。
そのうち、僕のものは挿入を待ちきれずに暴発してしまい、すると2人の姿をこっそり監視していたらしいオフェリアさんが入ってきて、こうすればいいとあれこれ技術指導をされて、ようやくのことで初体験を果たしたが、初めて経験する異様な快感に、僕のものは5秒も持たず、再び暴発してしまった。
気落ちした僕は、オフェリアさんから若い子はすぐ暴発しても、そのまま抜かずに続ければいいんだと励まされて、何とかそのまま続けようとしたのだが、少し動いただけでまた暴発してしまう始末で、まともな子作りとはとても言い難かった。
「まあ、殿方の初めては大体そんなものですよ。長持ちさせるためには、毎日練習を欠かさないでくださいませ。少しでもマリアの中に長くいられるよう頑張っていれば、そのうち子作りでマリアを満足させることもできますわよ」
こうして、好きな女の子と記念になる初体験を済ませるという、僕の夢は脆くも崩れ去ったのだが、その日以来、僕はマリアとの子作りが、毎晩の日課になった。
最初のうちは、発射を我慢するだけで精一杯だったが、慣れてくると次第にマリアを気持ちよくさせようと配慮する余裕ができ、初体験の日から1か月後くらいには、マリアも子作りで気持ち良くなっているのが分かるようになった。
そして、一晩あたりの発射回数は、初体験のときは6回だったが、間もなく7回、8回を徐々に増えて行った。マリアとの子作りは回数を重ねるほど気持ちよくなって行き、マリアは僕にとって、ますます欠かせない存在となった。マリアとの子作りをやめるなど、考えることも出来なくなってしまった。
ただし、マリアとの子作りが出来ない日もあった。
「マーヤ。マリアはどうしたの?」
「マリアは、本日からしばらくお休みです」
「どうして? 体調でも悪くなったの?」
「殿下、女の子には、・・・生理というものがありまして、生理中は、殿方の夜のお相手を務めることはできないのです」
「・・・そうなんだ」
「殿下、そんなにがっかりなさらないでください。今夜は、私がマリアの代役を務めますから」
「そ、それは駄目!!」
「なぜでございますか?」
「さ、さすがに子作りというのは、決められた1人の相手とするものであって、マリアが駄目な日には代わりの子っていうのは、さすがに駄目だと思うから」
「でも、殿下のように高貴なお方は、比較的真面目な御方でも、少なくとも2、3人くらいはお相手を持っているのが普通ですよ。それに、女の子の生理が終わるには、普通1週間くらいますよ。精力旺盛な殿下が、1週間も我慢できるのですか?」
「我慢する! この国ではそれが普通でも、僕の国では女の子を二股かけるのは、やっちゃいけないことなの!」
しかし、僕のやせ我慢は長く続かず、久しぶりにエッチなサービス無しで眠りに就こうとした僕は、欲求不満でなかなか眠れず、仕方なく自分で自分に『睡眠』の術を掛けたところ、翌朝には盛大に夢精してしまっていた。
さすがに、完全に我慢するのは不可能だと自分でも悟らざるを得なかったので、マリアがいない日には、代わりの女の子から従来どおりのご奉仕をしてもらうということで妥協したが、子作りの快感を覚えてしまった僕は、従来どおりのやり方ではあまり満足できなくなってしまい、代役のマーヤやソフィアからも、どうしてマリア以外のメイドとは子作りしないのですかと責められ続け、僕は新たな悩みを抱えることになってしまった。
第3章 ボゴミール派と正教会
もっとも、僕はマリアとの子作りばかりにかまけていたわけではない。マリアのいない日は困ったが、それ以外の日は、むしろ従来より短時間で完全な満足を得られるようになり、国の政務や勉強は、むしろ従来以上に捗った。
皇帝テオドロスの国、ここでは便宜上エピロスと呼ぶことにするが、エピロス側はしばらく軍事行動を起こしてくることは無かったので、秋から冬にかけて僕はずっとニュンフェイオンに居て、久しぶりに内政活動に没頭することが出来た。
当面における最大の課題は、僕がボリスから征服した、大赤字を垂れ流す旧ブルガリア領の復興であったが、内宰相のアクロポリテス先生にその件を相談すると、それほど深刻な問題でもないことが分かった。
「アクロポリテス先生、荒れ果てた旧ブルガリア領の復興って、どのくらいかかりそうですか?」
「そんなに時間はかかりません。2年もあれば、税も取れるようになりますよ」
「そんなに早く出来るんですか!?」
僕としては、ブルガリアのあまりの荒廃ぶりを見て、税を取れるようになるまで10年くらいかかるのではないかと思っていたのだ。
「かの土地は、一から耕作を始める入植などと違って、耕作に必要な種もみ、牧畜に必要な家畜、そして当面の食料が不足しているだけです。ですから、これらの必要なものを惜しみなく与えて行けば、民が生活を再建することは、比較的短期間で可能となります。土壌も悪くありませんし、必要とあれば神聖術も使いますので、3年もあればかの地は帝国の穀倉地帯に生まれ変わるでしょう」
「・・・よかった。てっきり、イヴァン・アセンに、使い道のない土地を押し付けられたのかと思ってたよ」
「ブルガリアは、約20年前にわが国から独立したばかりの貧しい国で、しかもモンゴル軍の侵入を受けてさらに打撃を受けましたから、復興に必要なものを供給する力がないのです。対して、わが国の税収は今度毎年急増する見込みですから、ブルガリアの復興に予算を使う余裕は十分にございます。
殿下の征服された土地は、使い道のない土地などでは全くございません。むしろ、更なる可能性を秘めた土地でございますぞ」
「そうなの?」
「ブルガリアは、わが国と同じ正教を国教としておりますが、住民の数はむしろ正教徒より、ボゴミール派の方が多いくらいなのです。ボゴミール派は、もともとブルガリアで発生した宗派であり、開祖とされるボゴミールもブルガリア人です。
そして、殿下のご決断により、わが国ではボゴミール派は「ボゴミール教」の名称で公認され、何ら迫害されることなく暮らして行くことが出来ますが、当のブルガリアでは、未だにボゴミール派は異端のままです。
そして、殿下によって征服された、ブルガリアに隣接するわが国の領土では、多くのボゴミール教徒たちが手厚い復興支援を受け、何不自由なく暮らしています。耕作が放棄されて住民のいなくなった土地も多いので、入植できる土地もまだまだあります。
一方、ブルガリア国内におけるボゴミール派は、非常に貧しい暮らしを強いられ、宗教的にも迫害を受け続けています。さあ殿下、このような場合、どのようなことが起きると予想されますか?」
「・・・これまで以上の勢いで、ブルガリアからボゴミール教徒の流入が増えるだろうね」
「まさしくそのとおりです。今までも、わが国に流入したボゴミール教徒の大半はブルガリア人であり、そのためボゴミール教には『ブルガリア教』という異名まで付いているくらいなのですが、直接国境を接していない状態でも、結構な数のブルガリア人が故郷を捨て、わが国に移住してきたのです。
それが、直接国境を接するようになれば、わが国への移住を望むボゴミール教徒は、ますます増えるでしょうな」
「ちょっと待って。イヴァン・アセンも、そこまで愚かな男ではないようだから、そこまでの事態になったら、さすがにブルガリアでも、ボゴミール派は公認されるんじゃない?」
「話はそう簡単ではないのです。ブルガリアでは、貧しい者の多くがボゴミール教徒である一方、豊かな貴族などは正教徒です。教会の力も強く、貴族と教会の力によって辛うじて支えられているイヴァン・アセンが、異端のボゴミール派を公認するなど、ほとんど不可能な話なのです。
本来は、わが国でもほとんど不可能な話だったのですが、殿下は自らのカリスマ性と軍事力により、教会の力に依存しない強固な支配体制を築いた上で、教会の猛反対を押し切ってボゴミール派の公認に踏み切ってしまわれました。このようなことはおそらく殿下以外の人間には不可能です」
「・・・確かに僕はボゴミール派を公認したけど、そこまで猛反対があったっていう実感はないよ」
「殿下は、一般の聖職者や修道士の話など聞こうともせず、ろくに教会にも行かず、文句を言う聖職者や修道士は容赦なく叩き殺してしまうお方でございましたし、前総主教ゲルマノス2世も、殿下に理解のあるお方でしたからな。
そのため、殿下のお耳には届かなかったのでしょうが、聖職者や修道士たちの怒りは前総主教に向けられ、かの者は散々悪口を言われた挙句、身辺についてあら捜しをされ、結局総主教を辞任せざるを得ないことになってしまいました」
「僕、ゲルマノス政務官に、知らないところでそんなに迷惑掛けてたんだ・・・」
「とは言え、ゲルマノスも現在では殿下の許で活躍しておりますし、結果論としては私もこれで良かったのであろうと思いますので、特に殿下を責めるようなことは申し上げたくなかったのですが、そういう実情もあるにはあるのです」
「そうだ。アクロポリテス先生、わが国の領内で、密かにエピロスを支援している教会って、特定できますか?」
「それは、調査を行えば特定できると思いますが、どうなさるお積もりですか?」
「そのような行為は、明らかな利敵行為であり大逆罪に該当しますから、そのような教会の聖職者は全員逮捕の上処刑し、その教会の財産は全て国庫に没収します」
「・・・そのようなことをすれば、殿下はますます教会勢力を敵に回すことになりますが」
「今まで、僕はラスカリス将軍に、教会勢力は敵に回さない方がよいと忠告されてきたので、これでも遠慮していたのです。しかし、自ら武器を取って戦うラテン派の教会ならともかく、戦うことも無く、学問に秀ででいるわけでもなく、僕の統治に協力するわけでもない正教の教会は、単なる無駄飯喰らい以外の何者でもありません。
今の先生のお話を聞いて、教会の力がその程度のものでしかないと分かった以上、僕はこれ以上教会に遠慮する必要性を認めません。大逆罪を犯した教会は今後容赦なく取り潰し、教会勢力については、今後も機会を見つけては弱体化させていくことにします」
「しかし、教会は様々な慈善事業を行っているところでもございますし、教会が無くなったら、正教徒たちは祈る場所が無くなってしまいます。さすがにそれはまずいのではありませんか?」
「別に、慈善事業などは教会でなくても出来ますし、教会資産を没収しその一部を国営慈善事業の運営費に充てればよいだけの話です。教会の司祭などは、住民たちの選挙で選ばせればよいのです。現に、ラテン派のヴェネツィア人はそのようなやり方を採っていますから、彼らはローマ教皇の意向など関係なく、商売第一で思うがままに振る舞えるのです。わが国もそのやり方で良いと思います」
「そのようなことを行えば、確かに帝国の国庫は潤うでしょうが、殿下はおそらく死後に、コンスタンティノス5世コプロニュモスのように、教会から酷いあだ名を付けられ、キリストの敵と断罪されてしまいますぞ」
「今でも散々に言われていますし、死後の評価なんて僕は気にしませんから。それに、今ローマ帝国憲章の起草準備をさせていますが、新しいローマ帝国憲章では、帝国の国教は特に定めないつもりです。
つまり、将来イサキオス帝が亡くなり、僕が皇帝にならざるを得なくなった場合、正教はわが国の国教ではなく、コンスタンティヌス1世の時代と同様、帝国内で公認された宗教の1つに格下げすることになります。正教の主張を根拠にした法律も、段階的に撤廃していく積もりです。
コンスタンティノス5世についてもその名誉を回復し、今後彼を『コプロニュモス』などと呼ぶ者は処刑し、その財産はすべて没収するという内容の勅令も出すつもりですから、アクロポリテス先生も、そのつもりでいてください」
「殿下は、どうしてそこまで、キリストの教えを敵視されるのですか?」
「僕は、聖職者たちの説く『キリストの教え』なるものが、そもそもキリストの教えですらなく、聖職者たちが勝手に作り出した迷信に過ぎないこと、そして彼らの存在が、社会に少なからぬ弊害をもたらしたことを知っているからです。彼らの教えを信じるくらいなら、実際に自らの手でアラブ人たちをまとめ上げた、ムハンマドの教えを信じた方がまだましであると思います」
「・・・分かりました。聖職者たちが、『神の遣い』たる殿下をそこまで怒らせてしまったのであれば、もはや聖職者でもない私からは、何も申し上げることはございません。ですが、殿下のことをキリストの敵、第六天魔王などと罵っているエピロスの連中には、どのように反論されるのですか?」
「いかにも。余は父なる神によって遣わされた、第六天魔王ミカエル・パレオロゴスである。余は、キリストの名を騙って人心を惑わす悪徳の輩を成敗し、ローマ帝国を信仰ではなく理性の力によって再興することを、神によって命じられた者である。
たかが、ラテン人の皇帝1人を捕らえ、赤子の手からテッサロニケを奪い取ったくらいのことで、調子に乗って皇帝を僭称したテオドロス・コムネノス・ドゥーカスなる不逞の輩と、これに従う者どもには、かつて余が抹殺したラテン人の皇帝ボードワンとその弟アンリ、トルコ人のスルタン、カイ=クバードとその息子カイ=ホスロー2世、そしてブルガリア王を僭称したボリルのように、遠からず余が神罰を下すことになるであろう。
地獄の業火の中で、その愚かさと悪徳を、その身をもって知るがよい。・・・大体こんな風にでも書いて、送りつけてやってください」
「・・・承知致しました、殿下」
その後、調査の結果5つの裕福な教会と7つの修道院が、エピロスに資金援助をしていることが発覚し、僕は当該教会や修道院の財産没収と、利敵行為に関与した関係者全員の処刑を命じた。修道院が運営していた病院や孤児院、救貧院といった慈善組織の運営は、ソフィアの主導によりほぼつつがなく国営事業に移管された。
そして、教会や修道院が所有していた領地からの収入のうち、そうした慈善事業に宛てられていたのはせいぜい5分の1程度に過ぎないことが明らかになったので、僕はそうした教会や修道院が敵国に加担していた事実に加え、そうした事実も広く公表させた。
ゲルマノス政務官を通じて僕の圧力を受けた総主教テオドロス2世は、処罰の対象となった教会や修道院の関係者に破門を宣告し、このような利敵行為を働く腐敗した聖職者や修道士たちは、誰であれ呪われるであろうと宣言した。
この事件によって、わが国における正教会の威信は大きく低下し、劇場では腐敗した聖職者や修道士たちをあざ笑う風刺劇などが流行した。僕は、こうした風刺劇を取り締まる法律をすべて廃止し、むしろそのような風刺を奨励した。
「ところで、殿下」
「・・・どうした、ソフィア?」
「つつがなく殿下のご命令は実行致しましたが、殿下がキリストの教えより、ムハンマドの教えの方がまだましだとお考えになられているのであれば、預言者ムハンマドを見習って、欲望の命ずるままに、私を含め多くの女性と子作りをされるのが、むしろ理に適っていると思われるのですが」
「それとこれとは話が別だから! 僕も、ムハンマドの教えや言行の全てが正しいと思っているわけではないし、特に晩年の淫乱ぶりは度が過ぎていると思ってるから!」
「しかし、殿下のご様子を見る限り、子作りのお相手がマリア1人というのは、かなり無理をなさっているようにしか思われないのですが」
・・・ソフィアは簡単には納得してくれず、僕はまたしても、しばらくソフィアの子作り説教を受けることになった。
第4章 紙と印刷術
話は変わるが、こうした勅令や檄文を出したりするには、当然大量の紙が必要である。
ビザンティン帝国では、従来文書を記録するのに紙ではなく羊皮紙が使われていたが、羊皮紙を作るには多くのコストがかかる。トルコ人の紙漉き工を捕虜にしたことがきっかけで、ようやくわが国でも紙の製造が本格的に始まり、ニュンフェイオンの郊外に帝国初の製紙工場が作られた。
僕は、このビザンティン世界に来る前、ヨーロッパでは長らく紙は使われておらず、モンゴル軍のバクダード征服を機に、紙の技術がヨーロッパにもたされたという説明を信じていたのだが、実態は必ずしもそうではなかったようだ。
アラブ人たちは、自分たちの作った紙をヨーロッパにも売り込もうとしたが、アラブ人の作る紙は、シミができるのを防ぐために糊が用いられており、こうした紙は乾燥した気候の場所では問題なく使用できたが、ヨーロッパの湿潤な気候には向いていなかったので、あまり売れなかったのだ。
実際、トルコ人の紙漉き工に作らせた紙は、そのままではわが国には向かないということが分かり、紙の実用化には改良を必要とした。もっとも、フリードリヒ2世の帝国では、ヨーロッパ型の紙が開発されており、そうした技術も参考にして、ようやく実用化に耐える紙がビザンティン帝国でも生産できるようになった。
「みかっち、製紙工場が出来たんですって! 見に行かない?」
「出来たのは知ってるけど、行かない方がいいと思うよ」
テオドラは、案の定僕の忠告を無視して、物珍しさのあまり製紙工場を見に行ったが、案の定すぐに戻ってきた。
「みかっち、何なのよあの工場は! ガンガン音が鳴ってうるさいし、しかもやたらと臭いし!」
「僕も作らせてみて初めて知ったけど、製紙工場ってそういうものなんだよ」
「なんでよ?」
「紙を作るには、亜麻布や大麻布の繊維を、アンモニアに付けて叩いて壊すんだけど、一番安く手に入る材料は古い下着なんかのぼろ布、一番安く手に入るアンモニアは人間の尿だから、紙を作るために、職人たちはニュンフェイオンの公衆トイレから尿を運んで、水力を利用した金属製のドロップ・ハンマーで繊維を壊すんだ。こうして、紙の原料になるパルプが作られる」
「そんな方法で作った紙、臭くて使えないじゃないの!」
「いや、紙を作る前に、パルプは何度も洗うから、出来上がった紙は臭くならない。ここに、試作品の紙があるけど、別に臭くないでしょ?」
「確かに、変な臭いはしないけど、紙ってずいぶん薄っぺらいわねえ。羊皮紙の方が丈夫で長持ちするんじゃない?」
「でも、紙の方が羊皮紙より、圧倒的に安上がりなんだよ」
そうなのである。実用化した紙は、羊皮紙より圧倒的に安上がりではあるが、何世紀も保存できることが実証されている羊皮紙に比べ、耐久性に欠けるのではないかという意見もあった。また、勅令を羊皮紙ではなく紙で発布することは、帝国の品位を損なうのではないかという意見もあった。
まだ、生産量がさほど多くないこともあり、羊皮紙から紙へ全面的に切り替えるというわけには行かず、まずは庶民向けの勅令の写し、新ローマ数字とこれを使った簡単な計算方法の教科書といった分野から、部分的に紙を導入することにした。
ニュンフェイオンのほか、ニケーアやニコメディア、最近征服したばかりのアドリアヌーポリといった各地の都市付近にも製紙工場を建設させているが、安価な紙が広く流通し、勅令を紙で発布しても抵抗なく受け容れられる時代が来るには、まだ時間がかかるだろう。
また、衛生上の理由のほか、紙の製作を容易にする必要性もあって、製紙工場を建設した主要都市には併せて公衆トイレを設置し、市内における立ち小便などを禁止し、おまるなどに出した尿は公衆トイレなど所定の場所に捨てるように、というルールも併せて設けることにした。
なお、羊皮紙ではなく紙で作った契約書にも法的効力があるのかという法律上の疑義があり、実際にフリードリヒ2世の国でも、つい最近まで紙で作った契約書には法的効力を認めないと定められていたということなので、わざわざ紙で作った契約書にも、羊皮紙で作った契約書と同様に法的効力はあると明記した勅令まで出さなければならなかった。
ヨーロッパ紙の生産は、北東イタリアのフィブリアーノという町で細々と始められていたが、こちらの方が国家権力を使って大々的に行っているので、長い目で見ればこちらの方が発展しやすいだろう。
紙を作る目途が立てば、次に欲しいのは印刷技術である。
大量に作る文書を、1枚ずつ書記官に筆写させていたのでは手間がかかるし、誤記などのトラブルも生じる。歴史上,活版印刷を発明したのは15世紀のドイツ人、ヨハネス・グーテンベルクとされているが、彼の出現を待っているわけにも行かないので、僕は印刷技術の開発を命じた。
もっとも、印刷技術というのは、単に印刷機を作れば良いというものではなく、ギリシア文字の書体を印刷に適したものに改める作業から始めなければならない。その上で金属製の型を作るのだが、鍛冶職人にその作業を命じたところ、そんなものを作るのは無理だと言われた。
僕は、諦めて木版印刷で我慢しようかと思ったのだが、そこで思い出したのが、現在ではテオドラの飼い猫にされ、レオーネという名前を付けられているサイクロプスである。サイクロプスは、高度な鍛冶技術を持っている神様であり、彼の力なら出来るかも知れない。
そこで僕は、レオーネと一緒に遊びたいなどと適当な理由を付けて、テオドラからレオーネを借り、イレーネの術で人間と同じサイズをした元の姿、言葉に矛盾はあるがいわゆる「小型巨人」の姿になったレオーネに、こうしたものを作りたいのだが、出来るかと尋ねてみた。
「人間よ、そなたらに敗れはしたが、我は神であるぞ。その程度のことは造作もない」
その言葉どおり、レオーネはいとも簡単に、僕の望む型とギリシア語用の印刷機を作ってくれた。連れてきた鍛冶職人たちは、レオーネからその作り方を熱心に習った。
レオーネとしても、猫の姿にされてテオドラにいじめまくられるよりは、鍛冶職人として少しでも神様らしいことをやりたいということで、その後もちょくちょく小型巨人の姿に変身し、いろんな仕事をしてもらうことになった。
こうして、エピロスに対する反論の文書は、ビザンティン帝国の歴史上初めて、筆写ではなく印刷機によって作られることになり、わざわざ長期間保存するようなものでもないので、羊皮紙ではなく紙で作ることにして、エピロスの領内にばら撒かせた。
活版印刷の方は、技術的にはまだ改良の余地もあるが、紙と違って抵抗感はないので、基本的に今後の勅令などは、印刷機を使って発布することにした。筆写には大量の人手を必要としていたので、人手不足の解消にもつながり、また筆写の仕事は修道士たちがその多くを担っていたので、修道士たちの仕事を奪い、邪魔な教会勢力の弱体化を図ることも出来る。
まさに一石二鳥の作戦かと思われたが、聖書などの有名な作品については、印刷する前にどの写本が正確なものかを検討する必要があることが分かり、印刷機による古典作品の大量生産が実現するには、まだしばらく時間がかかりそうだった。
ところで、こうした紙と印刷術の普及については、かなりの大事業になりそうなので、僕は専任の担当政務官を置くことにした。
「ニケフォロス・スグーロス。今後は政務官として、紙と印刷術の普及に関する仕事を主導してもらいたい」
「私がでございますか?」
「そなたは、ずっと諜報担当の仕事をしてきたが、長らく外国にいたせいか、神聖術の習得も思うように進んでおらぬ。それに、そなたには諜報官や外交官だけでなく、文官としてのキャリアも積んでもらいたい」
「分かりました。では、エピロス担当の諜報活動は、誰に引き継がせましょう?」
「そなたの後任は、ブルガリアを担当していたヨハネス・ペトラリファスにする。ブルガリアは既に事実上の属国であり、ブルガリア担当の外交官は適当なものでよい。ペトラリファスには、そなたと同じく幹部候補生としての働きを期待している。もう少し難しい仕事を与えて、経験を積ませた方がよい」
「承知致しました。エピロス方面の仕事は、かの者に引き継ぎいたします」
こんな人事を余儀なくされたのは、僕の配下には相変わらず優秀な文官が不足していることに起因する。文官職として、アクロポリテス内宰相に次ぐ地位にあるゲルマノス政務官は、建設事業や兵站管理などを担当しているのだが、ゲルマノスにこの仕事を担当させようとしたところ、彼はもう無理だと悲鳴を上げてしまった。
もちろん、並程度の文官なら他にもたくさんいるが、あまり重要な仕事は任せられない。文官不足のあまり、優秀とはいえまだ子供のパキュメレスや、メイドのソフィアにも結構重要な仕事をさせている状態だ。武官の方は、自然と人材が充実してきているが、文官の方は、ギリシア古典を重視したビザンティン帝国伝統の教育方法と、僕の高級文官に求めている資質の乖離が大きいこともあって、意識的に育てないと人材不足は一向に解消されないだろう。
そんなわけで、僕が以前から開設していた幹部候補生たちの養成学校は、入学の門戸を広げ、幹部の子弟では無くても、初等教育で特に優秀な成績と評価された子供については、身分を問わず誰でも入学させることにした。
最近新しく入ってきたのは、まずトルコから亡命してきたヨハネス・マウロゾメスの四男、クバードス・マウロゾメス。既にギリシア語、トルコ語、アラビア語の読み書きが相当程度出来るのが強み。
次に、ゲオルギオス・メトキテス。父親は下級の徴税官吏に過ぎないが、ギリシア古典の暗記だけでなく、新ローマ数字を使った数学も得意。パキュメレスともすぐに仲良くなり、彼の弟分みたいな存在になりそうだ。
そして、サルディスのアンドロニコス。サルディスで生まれた農民の子に過ぎず、家門名すらないが、彼もまた抜群の成績を収めているということで、入学を許可した。一応、彼のことは出身地にちなんで、アンドロニコス・サルディオスと名乗らせることにしている。
一方、ソフィアがこんな提案をしてきた。
「殿下、女性用の学校も設立されてはいかがでしょうか?」
「女性用?」
「女子の中にも、私のようにかなり学問が出来るのに、女に高度な学問をさせても仕方がないということで、学問への道を諦めさせられている者は少なからずおります。そのように、学業優秀な女性を集めて英才教育を施せば、将来殿下のお役に立つ優秀な女性が数多く育つのではないでしょうか」
「・・・考えとしては悪くないと思うけど、誰が教師をやるの?」
「とりあえず、校長は私が務めたいと思います。ニュンフェイオンには、ティエリの妻マリア・ランバルディナのように、知的で教養の高い女性も結構おりますので、それらの女性にも教師役をお願いしようかと思っております」
「そうか。女性であれば、その中から適性の高い神聖術士が現れる可能性もあるね」
「もちろん、通常の学問と併せて、適性のある者には神聖術も学ばせようと考えております」
「分かった。ソフィアにとっては忙しくなるだろうけど、その方向で進めてくれ」
「承知致しました、殿下」
・・・こうして、僕は深くも考えず、ソフィアに女学校の設立を許可したが、この決断が後にどのような結果を生むか、この時の僕には想像すら付かなかった。
第5章 包囲網切り崩し作戦
こうした、効果を発揮するまで時間がかかる政策を進める一方、皇帝テオドロスの包囲網を切り崩すための外交政策も、着々と進められた。
「ペトラリファス,ブルガリアの様子は如何であった?」
「はい。イヴァン・アセンは、殿下に敵対する意思など毛頭ないとして、エピロスからやってきた使者の首をその場で刎ね、わが国に対し異心のないこことの証しとして、その首を送ってまいりました。ご覧になりますか?」
「そんなものを見ても仕方ない。後任のブルガリア大使には、イヴァン・アセンに異心のないことはよく分かったと伝えさせてくれ。それと、かねてから伝えておいたとおり、そなたには今後ニケフォロス・スグーロスの後任として、エピロス方面における諜報活動を指揮してもらう。頑張ってくれ」
「はい。お任せくださいませ」
これで、ブルガリア方面は問題なし。
なお、名前は知らないが、どうやらエピロスの高官だったらしい者の首は、貧民墓地に埋葬させた。
グルジア王国に派遣していたコンスタンティノスからも、通話の術で連絡が来た。
「殿下、友好通商条約の話は、特に問題なくまとまりました。先にエピロスからの使者も来ていたようなのですが、国王ダヴィド6世は、第六天魔王などと呼ばれる男を敵に回す余裕などないと言って、使者を追い返したそうです」
「そうか、ご苦労だった。ところで、グルジアでは何か変わった様子はあるか?」
「モンゴルのグルジア支配は、どうやら完全なものではないらしく、国内ではモンゴルに抵抗しようとする動きが後を絶たず、ダヴィド6世は、そうした動きを抑えるのに手一杯のようです。総じて、グルジア国内は混乱状態にあります」
「分かった。別に、グルジアの内紛に深入りする予定はないから、戻ってきて構わないぞ」
「かしこまりました、殿下」
これで、グルジアも問題なし。
キリキア・アルメニアからも、アンティオキアからも、わざわざ殿下に敵対する意思はありませんという使者が送られてきたので、問題は無し。国内の不満分子であったアレクシオス・コムネノスがいるトレビゾンドと、マンカファースがいるフィラデルフィアにもスパイを送っているが、少なくとも今のところは、反乱を起こす気配はないという。
そうすると、あとはモンゴル帝国とトルコか。
「殿下、ゾエ皇女様の輿入れの準備は、概ね整いました。春になりましたら、早速サライに出発させたいと存じます」
「そうか。ソフィア、ご苦労だった」
「ところで殿下、ゾエ皇女様に付き従う従者たちの長として、エウドキア・パレオロギナという女性を任命しようと考えているのですが、宜しいでしょうか?」
「・・・初めて聞く名前だが、どのような女性だ?」
「コンスタンティノス・パレオロゴス様の叔母にあたる女性で、年齢は20代の半ばです。教養もあり頭の良い女性なのですが、聖なる都の攻防戦で夫を失い、現在は子供もいない独身です。適性は74ですが、緑学派の神聖術博士であり、医学の心得もあります。モンゴルのジョチ・ウルスに送る事実上の外交官として、またゾエ様のお付き役として、適任かと存じます」
「分かった。その方向で手配してくれ」
その後、僕はサライに行くゾエ皇女やエウドキアと会見を行った。ゾエ皇女は10代の後半、エウドキアは20代の半ば。2人とも結構な美人である。
「殿下、私もいずれは、どこかに嫁がされることを覚悟しておりましたが、タタール人の国は、ずいぶん野蛮な国なのではないでしょうか・・・」
不安がるゾエに、僕はこう諭した。
「必ずしもそうではないぞ。余も、自らサライの地に赴いたことがあるが、サライは建設中の町で、ニケーアやこのニュンフェイオンとは比べものにならない、あるいは聖なる都より大きくなるかも知れない、巨大な国際都市が出来そうな模様であった。また、予備交渉を行わせている使者の話によると、モンゴル人はそなたの来訪を歓迎する意向であった。さほど不自由なく暮らせるであろう」
「そうですか。少し安心することができました。・・・殿下、ありがとうございます」
「ただし、少し注意しておきたいことがある。第1に、かの国は夏であれは過ごしやすいが、冬にはかなり寒くなるようなので、身体を壊さぬよう注意してくれ。第2に、そなたの嫁ぎ先は、モンゴル帝国のバトゥという人物だが、彼は既にかなりの高齢だ。
モンゴル人の風習として、大勢いるハーンの后妃たちは、ハーンが亡くなった場合、新しいハーンの実の母親以外は、そのまま新しいハーンの妃となるのが常だ。バトゥが亡くなった後、次のハーンが誰になるかは余にも分からぬが、夫が次々と入れ替わることになる可能性もある。その点は、わが国から干渉することは出来ぬので、そういうものと心得てくれ。
その他、モンゴル人の風習には、わが国と異なるところが多々あるかも知れないが、可能な限り彼らの風習に馴染んでもらいたい」
「あの、殿下。・・・そうなると、わたしは正教の信仰も捨てなければならないのでしょうか?」
「いや、おそらくその心配はない。かの国には、多くのロシア人正教徒がおり、正教徒のままハーンの妃となっている女性もいるようだ。ネストリウス派という、わが国ではかなり昔に忘れ去られたキリスト教を信仰しているモンゴル人もいるという。モンゴル人は、宗教的にはかなりおおらかなので、その点は心配しなくて良い」
「分かりました。殿下、ご教授ありがとうございます」
「それと、エウドキア。ゾエ皇女の補佐を宜しく頼む。それから、わが国としても、モンゴル帝国の内情については詳しく知りたい。どんな些細なことでも、何かあったらすぐにソフィアへ知らせてくれ。サライでの生活上必要なものがあれば、連絡してくれればすぐに送り届ける」
「畏まりました、殿下」
こうして、エウドキアやその他の侍従たちと共に、ゾエ皇女はモンゴル帝国のハーン・バトゥに嫁いで行った。なお、後日談になってしまうが、ゾエ皇女はモンゴル人の間ではデスピナ・ハトゥンと呼ばれて尊敬されたという。デスピナとは、ギリシア語で「皇女」という意味であり、ハトゥンは妃に贈られる尊称の1つである。
そして、エウドキアは外交官としての任務もしっかり果たしてくれたが、サライに着いて間もなく、バトゥの弟ベルケの目に留まってしまい、ムスリムであったベルケの妃となるため、イスラム教に改宗することになった。そしてゾエ皇女も、やがてハーンの位を継いだベルケに気に入られ、同じくイスラム教に改宗することになった。ゾエ皇女とは約束を違えることになってしまったが、少なくとも僕に文句を言ってくることはなかった。
2人とも、ベルケの子を何人か産み、そのため特にベルケがハーンとなった時期には、わが国とジョチ・ウルスとの関係は非常に良好となった。共にベルケの妃となった同郷のエウドキアとゾエは仲が良く、そのためモンゴル人は彼女たちを姉妹と勘違いしたようで、いつの間にかエウドキアまで『デスピナ』と呼ばれていると聞かされて僕は驚くことになったのだが、それらは別の話である。
「それはともかく、エピロス側はモンゴルに、どんな働きかけをしているんだろうね?」
「さあ、今のところ情報が全く入ってこないので、私にも分かりかねます」
情報通のソフィアにも分からないということなので、イレーネの術で検索してもらうことにした。
「・・・エピロスの使者は、大ハーンの首都カラコルムへ向かおうとし、その途中で寒波に巻き込まれ、全員凍死した」
「一体何がやりたいんだ、エピロスの連中は」
「あなたと違って、モンゴル帝国の内情を把握していないだけ」
とりあえず、モンゴル帝国に関しては心配なさそうだった。あとはトルコだけか。
第6章 それぞれの活躍
内容的には第5章の続きでもいいんだけど、字数が相当多くなってきたので、ここからは章を改めることにする。
「殿下、トルコ方面に派遣しているスパイたち、またトルコ人の情報に詳しいマウロゾメスやエルトゥルル、オスマンなどから様々な情報が入っているのですが、どうやらトルコ人の国では、エピロス側の使者がクルチ=アルスラーンに接触し、ヴェネツィアも、包囲網の中で唯一成功の見込みがありそうなクルチ=アルスラーンへの援助を始めたようです。
クルチ=アルスラーンは、自らカラコルムへ赴き、モンゴルの大ハーンであるモンケに、自分こそ正統なルームの王であると認めさせることにも成功し、他の兄弟に対し優位に立っています。このまま、クルチ=アルスラーンがトルコ人の国を統一してしまえば、わが国は東西から挟撃を受けることになります」
「まずいことになったね、ソフィア。それは対応が難しいな」
僕の命令により、帝国のスパイ網はモンゴル帝国の内部にも広がっていて、以前よりは多くの情報が入るようになっている。
トルコ人の国の東方、アゼルバイジャン地方では、バイジュ=ノヤン率いる約7万のモンゴル軍が駐屯して睨みを利かせており、クルチ=アルスラーンを正面から敵に回せば、バイジュ=ノヤン率いるモンゴル軍が援軍に駆け付けてくる可能性がある。
そして、バイジュ=ノヤンは、既に友好関係を構築したジョチ・ウルスの配下に属しない、モンゴル帝国の大ハーン、モンケ直属の部下である。そして、ジョチ・ウルスの当主バトゥと、大ハーンのモンケは、前の大ハーンであるグユクの排除という点では一致し協力したものの、モンケの率いるトゥルイ・ウルスがこれ以上勢力を拡大するのを快く思っておらず、両者の関係は良好とまでは言えない。
「クルチ=アルスラーンの、対抗馬になりそうな勢力は?」
「一番有力なのは、長兄のカイ=カーウスでしょう。マウロゾメスが彼に接触したところ、是非とも援助が欲しい、自分がスルタンとなるのに協力してくれれば、臣従でも領土の割譲でも何でもすると申していたそうでございます。3人兄弟の末っ子であるカイ=クバードは、勢力も小さく当てになりませんので、援助する価値があるのは、おそらくカイ=カーウスでございます」
「だが、あまり大っぴらに援助すると、モンゴル帝国の本家を敵に回してしまう可能性がある。とりあえず、トルコ人の部隊を率いているオスマンやジャラールに命じて、カイ=カーウスを援助させよう。同じトルコ人の部隊だけなら、クルチ=アルスラーンにも分かりにくいはずだ」
僕が、ソフィアとこうした話をしているところへ、話を更にややこしくする人間が現れた。
「みかっち! 話は聞かせてもらったわよ!」
「テオドラ、何の用?」
「こっそり援助を送るとか、そんなせせっこましいことしないで、この際一気に、トルコ人の国を滅ぼしちゃいましょうよ!」
・・・いかにも、テオドラらしい発想だ。
「相手がトルコ人だけであれば、僕も迷わずそうしているけど、トルコ人相手に大軍を差し向ければ、西の皇帝テオドロスに、背後を突かれるおそれがある。それだけでなく、クルチ=アルスラーンの背後には、モンゴル軍のバイジュ=ノヤンが、7万の軍を率いて構えている」
「・・・まあ、7万くらいの敵なら、あたしとイレーネの術を使えば何とかできるわよ」
「それで終わりじゃない。仮に、君の活躍でバイジュ=ノヤン率いるモンゴル軍を撃退したとしても、今度は大ハーンのモンケが、数十万単位の大軍を送ってくる可能性がある。そして、もちろん西方の皇帝テオドロスも、同時に攻め込んでくる可能性が極めて高い。それでも、テオドラなら対処できるの?」
「・・・さすがに、そこまで数が多いと、ちょっと難しいかも知れないわね」
「テオドラも、今の状況を理解してくれた?」
「じゃあみかっち、先に皇帝テオドロスの方を、どかーんってやっつけちゃうのはどう? あたし、最近活躍できる場がなくて、退屈なのよ!」
「気持ちは分からなくも無いけど、皇帝テオドロスは8万以上もの大軍を持っているから、こちらから攻め込むには、全力で当たる必要がある。そのためには、背後にあるトルコ人の国を、少なくとも分裂状態のままにしておいて、背後の安全を確保する必要があるわけ。今はこの段階なの」
「むう、ややこしいわねえ。じゃあ、今話してたカイ=カーウスってのが、みかっちの味方なんでしょ? あたしたちの力で、そいつをトルコ人のスルタンにして、ブルガリアみたいに属国にしちゃえばいいじゃない」
「テオドラ、ブルガリアの時とは違って、今回は相手に先を越されちゃってるんだ。僕の敵に回りそうなクルチ=アルスラーンの方が、先にモンゴルの大ハーンからスルタンとして承認されちゃってるんだ。だから、その策を実行に移すには、少なくともクルチ=アルスラーンと、モンゴル軍のバイジュ=ノヤンを、大ハーンのモンケから切り離して、その一方でカイ=カーウスに、正統なトルコ人のスルタンだと大ハーンに認めてもらう必要がある」
「切り離すって、具体的にどんなことをすればいいのよ?」
「例えば、大ハーンのいるカラコルムで、クルチ=アルスラーンと、バイジュ=ノヤンが、大ハーンに謀反を企んでいるっていう噂を流すとか」
僕がそこまで言い掛けたところで、テオドラは胸を張り、高らかに宣言して見せた。
「そういうことなら、このテオドラ様に任せなさい! イレーネのアクティブジャンプで、今すぐカラコルムに行って、思いっきり噂を流してあげるわ! あたし、人の悪い噂を流すのは得意なのよ!」
「・・・テオドラって、モンゴル語は使えるの?」
「さすがに、あたしもモンゴル語はよく分からないわ。サライでちょっと聞いたくらいね。でも、みかっちが一緒に来れば大丈夫じゃない!」
「・・・理屈としては不可能じゃないけど、今季節は冬だから、カラコルムはたぶんものすごく寒いよ。行くのならせめて、夏くらいにしない?」
時間軸が前後してしまって申し訳ないが、今はゾエ皇女を送り出すちょっと前の時期なのだ。
「みかっち。この天才術士の手に掛かれば、冬なんて大した問題じゃないわ。こんなこともあろうかと思って、あたしは赤学派の新しい神聖術、『暖房』の術を開発したのよ! これを自分に掛けておけば、たとえ氷点下50度くらいの寒いところでも、1日暖かく過ごせるわ。ちなみに推奨適性は80だから、みかっちにはぎりぎり無理だけどね」
「いや、それだったら出来ると思う。テオドラ、その術教えて」
僕は、イレーネも呼んで、一緒にテオドラから『暖房』の術を習った。ちょっと難しい術だったけど、イレーネはすぐに、僕も3時間くらいで習得できた。
「イレーネはともかく、なんでみかっちが術を習得できるのよ!? 普通、適性79じゃ1回使うだけで気絶しちゃうはずなのに!?」
真相は、例の神聖結晶のおかげで、僕の適性は84に上昇しているのだが、テオドラに真相を話すわけには行かない。イレーネにも口外を禁止されているし、仮にテオドラに神聖結晶の話をしたら、少しでも適性を上げようとして、今まで以上に無茶なことをやりまくるだろう。
「・・・たぶん、例のサイクロプス戦に付き合わされたおかげで、魔力の消費を節約するテクニックが自然と身に付いたんじゃないかと思う」
「そんなもんなのかしらね」
僕の説明に、一応テオドラも納得してくれた。同じ術でも、何度も使っているうちに扱い方が上手くなり、威力を向上させたり、消費する魔力を節約したりできることは広く知られているので、僕の説明も100%嘘というわけではないのだ。
テオドラが何かにつけて出しゃばろうとするのも、おそらくは大規模な術を使いまくって威力を上げたいという思惑があるんだろうと思う。ただでさえオーバーキル気味の、術の威力をさらに上げてどうするんだという気もするけど。
とりあえず、これでカラコルム行きを拒否する理由は無くなったし、僕としても事態を打開できればそれに越したことはないので、翌日から僕とテオドラ、イレーネの3人は、日帰りで何度かカラコルムに赴き、工作活動を行うことにした。
「ソフィア、とりあえず僕の方は、クルチ=アルスラーンの悪い噂を流してくるから、オスマンを通じてカイ=カーウスに入れ知恵して、自らカラコルムに行かせて、自分こそが大ハーンの忠実な臣下にして、トルコの正統なスルタンであると主張するように取り計らってくれる? カイ=カーウスが留守の間は、メンテシェの軍勢も投入して守らせるから」
「承知致しました。ですが、一体何をなさるお積もりなのですか?」
「それは、工作が終わってから話す。まだ、具体的に決めてない部分もあるんで」
「・・・ここがカラコルムか。『暖房』の術がなかったら、確実に凍死してるね」
「みかっち、どうやって噂を流すつもりなの? モンゴル人と話が出来るのみかっちだけだから、あたしじゃ無理なんだけど」
「まずは、現地の協力者を探す。その上で、テオドラにも活躍してもらう」
協力者は、比較的簡単に見つかった。大ハーン・モンケの即位に伴い、それまで大ハーンの位を占めていたオゴタイ家の一族は大半が粛清され、カラコルムではハイドゥという10代くらいの少年を中心に、オゴタイ家の生き残りがひっそりと暮らしていた。
彼らは、大ハーンのモンケをひどく恨んでいたので、彼に嫌がらせをしたいと話を持ち掛けると、二つ返事で協力を約束してくれた。
「そろそろ夕方になって、人がいなくなってきたけど、これから何をするの?」
「カラコルムでは、夜になるともっと寒くなるんで、人々は家の中に入って出て来なくなる。そこへテオドラが、偉い人が住んでそうな大きな家に、術で無差別攻撃を仕掛け、すぐにパッシブジャンプで戻ってくる。そうしたら、翌日、協力者であるオゴタイ家の面々が、クルチ=アルスラーンと、モンゴル帝国の大ハーン、バイジュ=ノヤンの名前で犯行声明をばら撒いてくれる手筈になってる」
「じゃあ、あたしはどこを攻撃してもいいのね?」
「いや、さっき行った、協力者であるオゴタイ家の住処と、大ハーンであるモンケの宮殿だけは破壊しないで。そこまでやっちゃうと、さすがに後が怖いから」
こうして、テオドラによる破壊工作が始まった。なお、イレーネが破壊工作用の臨時移動拠点を、カラコルム郊外の目立たないところに設置してくれた。僕も他の仕事があり、破壊工作ばかりやっているわけにも行かないので、後はしばらくテオドラ1人に任せることにした。
そして、約10日が過ぎた頃。
「ねえ、みかっち! あたし、向こうの人たちに凄く褒められちゃったのよ! まだ、モンゴル語は片言くらいしか分からないけど、なんか恨みを晴らしてくれたって、すごく喜んでたわよ!」
テオドラが、自信満々にそう自慢してくるので、何となく僕は怖くなり、テオドラが持ってきた犯行声明文を読ませてもらうことにした。
なお、僕にかけられている『意志疎通』の呪法に、異国の文章が読めるようになる効果は無いが、モンゴル人と取引の経験のある商人などから、文字の読み方だけは習っている。なので、文字を読み上げればその時点で『意思疎通』の呪法が発動し、僕でもモンゴル語で書かれた犯行声明の意味が理解できる、という次第である。
犯行声明文には、要旨以下のようなことが書かれていた。
「我々、バイジュ=ノヤン様をモンゴル帝国の大ハーンと仰ぐ、ルームのスルタン、クルチ=アルスラーンの配下である『ムスリム暗殺団』は、大ハーンを僭称するモンケに神の罰を与えるため、カラコルムの町を半ば以上灰燼に帰し、忌まわしきモンケの末弟アリク・ブカも抹殺した。モンケ自身に災いが降りかかる日も近いであろう」
「・・・テオドラ、まさかモンケの宮殿まで破壊しちゃったの?」
「さあ、あたしにはモンケの宮殿がどれかなんて分かんないし、教わってるのは味方のところだけだから、とりあえず立派そうな建物を片端からぶっ壊しただけよ」
しまったああああ!
一応、テオドラにモンケの宮殿はどこか教えてはおいたのだが、テオドラが僕の命令を律義に守るような女でないことは、僕も分かっていたはずなのに!
「何よ、みかっち。真っ青な顔して。あたしの活躍ぶりに感動しちゃった?」
「感動というより、怖くなったよ! とりあえず、もうこれだけやれば十分だから! というか、これ以上やると本当にまずい! テオドラ、後始末は僕の方でやっとくから、お勤めご苦労様ね」
「ご苦労様って言うくらいなら、勲章の1つくらい寄越しなさいよ」
「分かった。用が済んだら、後で金賞あげるから。それで勘弁して」
「分かったわ、みかっち。ふっふっふ、これであの乳牛より一歩リードね」
もう、こうなっては仕方ないので、この成果を最大限利用するしかない。僕は、手っ取り早く事を済ませるため、カラコルム行きを渋っていたカイ=カーウスを無理やりに引っ張り出し、僕自身はトルコ人高官の格好をしてカイ=カーウスの従者に化け、彼を連れてパッシブジャンプでカラコルムに赴き、大ハーンのモンケに謁見した。
モンケは、クルチ=アルスラーンとバイジュ=ノヤンの暴挙に対しひどく怒っている様子で、僕がクルチ=アルスラーンを倒すため大ハーンのお力をお貸しくださいと訴えると、直ちに、カイ=カーウスをスルタンと認める勅書と、クルチ=アルスラーンの討伐令を出してくれた。
カラコルムは、まるで大量の隕石でも降って来たかのような惨状になっており、街中でも「ムスリム暗殺団」の話題で持ちきりになっていたが、僕は聞かなかった振りをして、イレーネが作った移動拠点を自ら撤去し、パッシブジャンプでイコニオンの臨時移動拠点に移動し、カイ=カーウスを宮殿に返した。
「これで大丈夫。後はオスマンとマウロゾメスで、多数派工作を進めておいて」
「かしこまりました、殿下」
「正統なスルタンと認められたのであれば、かなり有利になる。後は、おそらく殿下の手を煩わせるまでもない」
カイ=カーウスとその家臣たちには、ろくな人材がいないようだったので、僕はオスマンにイスラム勢の指揮権を委ね、クルチ=アルスラーンとの戦いを任せることにした。軍の指揮能力は、彼よりジャラールの方が若干上であったが、政治力や人心掌握術はオスマンの方が優っていたので、オスマンが最も適任と判断したのだ。
ニュンフェイオンに戻った僕は、約束どおりテオドラにコンスタンティノス勲章の金賞を授与すると、ソフィアとパキュメレスに事の顛末を説明した。
話を聞き終えたソフィアは、こう感想を述べた。
「手段はともかくとして、結果は大成功ではありませんか。その割に、殿下はいまいち、お元気がなさそうですわね」
「表向きはそうだけどね、ちょっと殺してはいけない人を殺してしまったというか・・・」
アリク・ブカ。
第4代の大ハーンであるモンケの末弟で、モンケに可愛がられその後継者に指名されていたが、史実ではモンケの死後、大ハーンの位を主張するフビライの軍に敗れて反逆者扱いされ、彼とフビライの約4年間にわたる争いは、アリク・ブカの乱と呼ばれるようになった。
彼が亡くなってしまったということは、この世界においてアリク・ブカの乱は、発生しないことになる。また、テオドラがカラコルムであれだけ暴れ回ったということは、モンゴル帝国史に重要な影響を与えた他の人物も多数亡くなった可能性がある。
イレーネの調査結果を待つまでも無く、僕の浅慮でこの世界におけるモンゴル帝国の歴史は、僕の知っているものからだいぶ変わってしまった。それが僕にとって都合の良い方に変われば良いが、悪い方に変わったら大変なことになる。
僕としては、もう事態が悪い方向に動かないことを祈るしかなかった。
僕が、こんな外交政策を進めている一方で、内宰相のアクロポリテス先生からこんな提案があった。
「殿下、移動拠点の噂を聞いた商人たちから、移動拠点の商業使用を認めて欲しいとの要望が入っております。通行料を取って、移動拠点の民間利用を認めてはいかがでしょうか?」
「それは、僕も考えてはいたところだけど、それをやると物流があまりにも劇的に変わってしまい、混乱が起こりそうな気がして。そんなこと、やっても大丈夫なのかな?」
「その点は、私も色々考えたのですが、神聖術を習得した役人の中には、既に金をもらって荷物や手紙などの輸送を行い、小遣い稼ぎをしている者もいるようです。今のところ、そのような行為を禁止する法はないので、別に違法という訳では無いのですが、なし崩し的に民間利用を認めざるを得なくなるのは、もはや時間の問題かと思われます」
「・・・そんなことが行われているのであれば、むしろ民間利用を公認した上で、国庫に通行料を納めさせる制度を早めに作った方が、まだましか。それに、わが国がやらなくても、そのうちヴェネツィアあたりが始めるかも知れないし。でも、そうなると技術面の問題も心配だな」
そこで、僕はイレーネに、技術面の問題について相談した。
「技術的には可能。ただし、現在の移動拠点は、専ら公用で用いることを前提に、都市の宮殿内などに置かれているため、民間人に利用させる移動拠点は、これまでのものとは別に設けることが望ましい。また、拠点管理官についても大幅な増員が必要となる」
「そういえば、ヴェネツィア人は、移動拠点は使っていないの?」
「・・・検索してみたところ、ヴェネツィア人にも移動拠点の術は伝わっているが、現在のところ、移動拠点はヴェネツィア本国内にしか設けられていない。ヴェネツィア人の術士にも、あなたと同じようなことを考え、移動拠点を商業輸送用に活用しようと提案した者がいたが、ヴェネツィア政府の中枢機関である十人委員会では、そのようなものが設けられては水夫たちの仕事が無くなるなどとして猛反対があり、その提案については反対多数で否決されたのみならず、今後審議の対象にもしないものとされた事実を確認できる」
「・・・ということは、移動拠点の民間開放を認めることは、海運力で優勢なヴェネツィア人の力を削ぐことにも繋がるわけか」
そんなわけで、僕は移動拠点の民間開放を段階的に認める勅令を発布し、特に要望の多い場所を優先して、民間利用向けの新たな大規模移動拠点を設置した。料金については、同じ距離を船や馬車などで運ぶ場合にかかる金額のおよそ半額程度を目安に設定する一方、公用で利用する場合は無料、また政府が金額ベースで3割以上出資している積み荷を運ぶ商人たちについても無料とした。
いざ実行してみると、帝国には予想外の税収が入る一方、あまりにも劇的な変化に、実行担当者のアクロポリテス先生は忙し過ぎて対応し切れず、有能な術士でもあるプルケリアを、急遽移動拠点担当の政務官に任命することになった。プルケリアは、テキパキと様々な指示を出し、春になる頃には、彼女のおかげで混乱は一応の収束を見た。
「プルケリア、どんな変化があったの?」
「まず、東方貿易に関しては、港町スミルナと、ニュンフェイオンの郊外に設けられた大規模移動拠点が、西側の玄関口となり、わが国では最も東にあるキプロス島のファマグスタの移動拠点まで積み荷を輸送し、ファマグスタから東方各地へ交易船団を送るのが一般的になりました。そのため、国営のエジプト船団も、アクロポリテス内宰相と協議の上、今後はスミルナからではなく、ファマグスタから出航させることに致しました」
「なるほど」
「そして、黒海貿易に関しても、スミルナから出航させるよりは、シノーペから出航させた方が時間の節約になりますので、シノーペから出航させることになりました」
「そうなると、スミルナの港町は廃れることになるんじゃないの?」
「滅相もございません。むしろ、スミルナには物凄い数の商船が押し寄せ、大混雑しております。わが国の商人はもちろん、ジェノヴァ人やヴェネツィア人の商人までがわが国の移動拠点を利用するようになりましたので、スミルナのローレス総督は、混雑を緩和するため、町と港の大規模拡張工事に取り組んでいるところでございます」
「うちと、同盟国であるジェノヴァ人の商人はともかく、なぜヴェネツィア人までが?」
「それは、移動拠点を使った方が、コスト的には圧倒的に安上がりだからでございます。殿下の設定された料金は、船を使った場合の約半額というものであり、これでも移動拠点を運営しているわが国にとってはかなりの黒字になりますがすが、それだけでもかなりのコスト削減になります。
しかも、一瞬で移動でき、しかも途中で海賊に襲われることもなく、嵐で沈没する心配もないと言うのですから、実質的は輸送コストの削減は、半額どころではございません。これまでどおり、船で荷物を運んでいたのでは、価格面で勝負になりませんから、ヴェネツィア人の商人も、わが国の移動拠点を使わざるを得ないのでしょう。
そのため、ヴェネツィアが送っていた定期船団も、これまでどおりクレタ島やロードスを経由して東方へ向かうのではなく、スミルナで荷物を降ろし、ニュンフェイオンから移動拠点でファマグスタに荷物を送り、ファマグスタから東方各地へ荷物を送るという方針に切り替えたようです」
「それで、ニュンフェイオンにも急に商人たちが押し寄せてくるようになったのか」
「もっとも、良い事ばかりというわけではございません。それ以外の港、特にこれまで東方交易の重要な中継点であったロードスなどは、船の来航が激減し、深刻な不況に陥っているとの報告が来ております。
あまり利用者の多くない地域の移動拠点については、民間用の移動拠点を新設するのではなく、従来の移動拠点を、民間人に立ち入らせても差し支えない町の中央広場などに移転させることで対処しましたが、今後は、移動拠点の恩恵から漏れた地域の経済対策が、主な課題となりましょう」
「分かった。トータルでは税収が激増しているから、その辺の経済対策は、言い出しっぺのアクロポリテス内宰相に行わせて、できるだけ国内で不満が起こらないようにしよう。それにしてもプルケリア、それだけのことを、良くこんなにも手際よくやってくれたね」
「わたくしは、以前交易船に同行していた関係で、交易の内情についても熟知しておりましたから。わが国における才女は、ソフィア・ブラニアだけではございませんわよ」
「なるほど。プルケリアは術士だけではなく、有能な高級官僚としても戦力に数えられそうだね」
「お褒めにあずかりまして、恐縮にございます」
こうして、移動拠点の民間開放は、若干の問題も残ったが、帝国に巨額の利益をもたらしたのみならず、ヴェネツィアのほぼ独占状態にあった東方貿易に大きな風穴を開けることになった。これで、エピロスの黒幕であるヴェネツィアの覇権も、次第に揺らいでいくことになるだろう。
まあ、史実のビザンティン帝国は、そのままにしておけばヴェネツィアとジェノヴァの半植民地にされて、一族間の内紛もあり次第に滅びて行った。そんなビザンティン帝国を滅亡から救うには、むしろ、この世界における歴史の流れを、僕の知っている史実から思い切り変えなければならない。
だから、僕のやっていることは、モンゴル帝国に対するものも含め、特に間違ってはいないんだ。僕は、自分で自分にそう言い聞かせることにした。
なお、プルケリアに対しては、新たな役職を与え俸給も上げたので,コンスタンティノス勲章の授与は特に行わず、プルケリアがそれに不満を示す様子も無かった。
第7章 小競り合い
春になり、戦争に適した季節がやってきた。
「殿下、亡きテッサロニケ王の息子グリエルモと、その配下ウンベルト・デ・ビアンドラーテ率いる軍勢が、テッサロニケを出発し、わが国の領土であるタソス島を狙っているとの報が入りました」
そう報告に来たのは、ラスカリス将軍であった。
「兵数はどのくらい?」
「ペトラリファスの報告によると、約1万人とのことです」
「よし、僕が残った直轄軍を率いて、奴らを殲滅する」
このように、普段なら格好良く出発するところだが、僕がマリアに出陣を告げると、マリアは泣いて僕にすがり付いてきた。
「うう、ご主人様~、行かないでくださいなのです~」
「マリア、そういうわけには行かないから。僕は、こんな戦いで負けたりしないし、戦争が終わったらすぐに戻ってくるから」
「でも、ご主人様がいなかったら、寂しいのです・・・」
「寂しいのは僕も同じだから、マリアも我慢して」
「・・・はい、なのです。でも、なるべく早く、帰ってきてください、なのです」
泣きじゃくって僕を止めようとするマリアを何とかなだめ、僕は西の最前線であるアレクサンドルポリに軍を集結させた。
ヴァリャーグ近衛隊5千、ファランクス隊5千、弓兵1500、カタルーニャ石弓兵1500、クマン人弓騎兵5千騎、ティエリ率いる騎士隊600とその従士1400。兵士数の総勢は約2万人となる。
なお、征服した旧ブルガリア領が大赤字だったこともあり、今年の軍備増強は、思ったより使えることが判明したカタルーニャ石弓兵を500人ほど追加で雇ったこと、ブルガリアのクマン人マナスタル率いる約2千騎が加わったことくらいであり、陣容に大きな変化はない。
マナスタルは、同じクマン人でもダフネとは異なる部族の出身であるが、バチュマンの娘であるダフネを尊敬しており、ダフネとシルギアネスから、軍事教練の方法などを熱心に学んでいる。少なくとも、マナスタルの弓騎兵隊が足を引っ張ることはなさそうだ。
プルケリアは、新しい民間用移動拠点の整備と、これを活用した郵便網設立の仕事に追われているので留守番に回ってもらったが、術士はいつものテオドラとイレーネに加え、適性80を超える主な女性だけでも、エウロギア、ルミーナ、ソーマちゃん、テオファノ、そしてダフネがいる。
オスマン、ジャラール、メンテシェなどのイスラム勢は不在だが、相手が1万くらいの軍勢であればこれで十分だ。
アレクサンドルポリを出発した僕の軍勢は、通過する途中の町や村の帰順を受け容れつつ、西に進軍していった。
「イレーネ、敵の動きは分かる?」
「グリエルモ率いる軍勢は、合計9685人。現在中立状態にあるクリストポリスの町を攻略し、クリストポリスから船でタソス島を攻略しようとしている」
クリストポリスとは、マケドニア地方ではテッサロニケに次ぐ規模の港町で、アレクサンドルポリとテッサロニケの中間近くにあり、現代ギリシアではカヴァラと呼ばれている。
「では、全軍でクリストポリスに向かう」
こうして、僕は急いで行軍を続けたのだが、その途中でラスカリス将軍が口を挟んできた。
「殿下、今回はご様子がいつもと違いますな」
「将軍、僕が何か変に見える?」
「今回の行軍は、イレーネ様やダフネ様の神聖術まで使われて、これまでになく速い速度で行軍されている上に、殿下自身は夜になられると、移動拠点を作ってちょくちょくニュンフェイオンにお帰りになられることが多いようですが」
「・・・それは、時々帰ってあげないと、マリアが泣くから」
「別に、殿下のお立場であれば、軍に専用の娼婦を連れて行くことも出来ますし、マリアを従軍させることもできますぞ」
「いや、マリアは弱い上に危なっかしくて、とても軍には連れて行けないし、僕はマリア以外の女の子を抱くつもりはないし」
「別に、そのようなご無理をなさる必要はございませんのに」
「無理なんかしてないし、軍に迷惑を掛けているわけでもないでしょ?」
「確かにそうではございますが、明らかに早く戦いを終えて、マリア殿の許へ戻って子作りしたいという気持ちが見え透いておりますので、ちょっと兵の士気にかかわるかと」
「・・・分かった、気を付ける」
僕は一応そう答えたものの、やっぱり愛するマリアの許に早く帰りたいし、子作りもしたい。
せっかく上手くなってきて、マリアも気持ちよさそうな声を上げてくれるようになったのに、子作りの練習も中断したくない。お相手はマリアと決めた以上、イレーネと子作りまでするわけには行かない。
どうしても、気持ちが焦ってしまうことは避けられなかった。
やがて、クリストポリスの町に到着したところ、まだグリエルモの軍勢は到着していなかったらしく、突然2万もの軍勢がやってきたことに驚いたクリストポリスは、戦わずに城門を開き、ビザンティン帝国の支配を受け容れた。
直ちに、クリストポリスの町に移動拠点が設置され、拠点管理官も派遣された。クリストポリスの総督は、かつて皇帝アンリに仕えていたギリシア人であるが、特に問題のある人物ではなさそうだったので、そのまま総督職に留任させた。そして、一晩ニュンフェイオンに帰ってマリアと一夜を過ごすと、翌日にはグリエルモの軍勢を迎え撃つため、クリストポリスから出発した。
「そう言えば、聞いていなかったけど、敵の司令官グリエルモってどんな人?」
「戦死したテッサロニケ王ボニファッチョの息子で、弟のデメトリオと王位を争っていたところ、皇帝テオドロス率いるエピロスの大軍が攻め込んで来たので、腹心のビアンドラーテ共々降伏したと聞いておりますが、それ以外の情報は入ってきておりませんし、私も存じません」
ラスカリス将軍の答えに、僕は少し心配になった。もし、とんでもない名将だったらどうしよう。
「ただし、ペトラリファスの個人的な意見として、2人とも特に大した人物には見えない、与えられた兵もまとめ切れておらず、軍人としては可も不可もなくといったところではないか、と付け加えられておりました。おそらく、そんなに問題視する必要は無いでしょう」
「そうだね、ラスカリス将軍。ここは、ペトラリファスの判断を信じることにしようか」
やがて、テッサロニケから約70kmの距離にある、セレスという町の近くで、ようやくグリエルモの軍勢を発見した。
「あいつら、何をのんびりやってるんだ。こっちにも気付いてないみたいだし」
「こちらの行軍が、早すぎるからでございましょう。わずか10日で、ニュンフェイオンからセレスまで2万の軍勢がやってくるとは、通常誰も考えません」
「ラスカリス将軍、やはり行軍は速いに越したことはありませんね。さっさと片付けましょう」
「主たる神よ、この穢れたるラテン人の輩に、裁きの雷を下し給え・・・」
テオファノが、イコンに向かってそう祈ると、グリエルモの軍に大きな雷が落ちた。テオファノの得意とする『落雷』の術であるが、本来術を発動するのに、呪文らしきものを唱えたり、聖処女マリアのイコンに向かって祈ったりする必要は無い。単に、テオファノが自分の趣味でやっているだけのことである。
続いて、エウロギアとルミーナ、ソーマちゃんも自分の得意な術を放ち、早くも敵軍は壊滅状態に陥ったので、僕は総攻撃を命じた。
この戦いを、一応『セレスの戦い』と名付けておくが、実態は戦争というより一方的な虐殺だった。逃げようとしたグリエルモは、百人隊長に昇格していたヨルダンに討ち取られ、ビアンドラーテもマナスタルに討ち取られた。300人ほどの兵士たちが生き残って投降したが、イレーネに確認するまでも無く、完全勝利であることは誰の目にも明らかだった。なお、投降した兵士たちは、騎士やその従士たちが多かったので、ティエリの軍に編入した。
セレスの町は、テッサロニケに近いこともあり、既にエピロスの支配下に入っていたが、僕の軍が完膚なきまでにエピロス軍を打ち破ったことに驚き、戦わずに降伏した。
なお、この町は近年何度も主人を変えており、ラテン人、ブルガリア、エピロスを経て、再びビザンティン帝国の手に戻ってきたことになる。
「とりあえず、この町が対エピロスの前線基地になりそうだね」
僕は、セレスの町に移動拠点を作らせ、コンスタンティノス・パレオロゴスをセレスの防衛司令官に任命し、この町と防衛施設の整備を命じた後、軍に帰還を命じた。
「殿下、もうお帰りになってしまうのですか?」
アレスにそう尋ねられるも、
「今回は、別にテッサロニケまで攻め込む予定はなかったし、8万もの軍勢がいるテッサロニケに攻め込むには兵力が足りないし、ここまで進めば十分でしょ。もう帰る」
次の日。僕は珍しく、ニュンフェイオンの宮殿でイレーネに呼び出された。
「イレーネ、君の方からメイドを送って僕を呼び出すのは珍しいね。何かあったの?」
「あなた宛てに、神聖結晶が3つ届いている。あなたが、あまりに急いで帰ってしまったので、渡しそびれた」
そうか。今までは、イレーネと一緒に一夜を過ごすときに、神聖結晶を受け取るのが普通のパターンだったからね。
「でも、今回は戦いの規模に比べると、割と多いね。これまでの相場から考えると、せいぜい2つくらいかと思っていたのに」
「戦いのみではなく、通常ではあり得ない速度の行軍によって優位性を確立したことが、奇跡として高く評価された」
僕の身体は淡く輝き、これで僕の適性は、84から85にアップした。もらえた結晶の数が、切りの良い数で良かった。
でも、イレーネの用事は、これで終わりでは無かった。
「私は、あなたの性奴隷。・・・なぜ、私を使おうとしないの?」
イレーネの言いたいことが、なぜ私と子作りしてくれないの、という意味であることは、その言葉と態度から明らかだった。
「いや、そもそも性奴隷ってもの自体がおかしいから。それに、僕の相手はマリアで確定したのに、どうしてイレーネは、僕に子作りをせがんでくるの?」
「・・・あなたの言っている意味が理解できない」
「だから、身分の低いメイドさんとかならともかく、イレーネはやんごとない身分の預言者様なんだから、僕が他の女性を選んだ以上、もう僕のお嫁さんになれる可能性はないわけだから、自然と僕から離れて行くのが普通じゃないの?」
実際、僕が中学時代に、お父さんから勧められて遊んでみた恋愛系のゲームは、みんなそんな感じだった。なお、僕のお父さんは、以前から18禁規制自体が無意味であり憲法違反だという持論の持ち主で、中学生の息子に18禁の恋愛ゲームを平気で勧めてくる人なのだ。
「・・・あなたの恋愛観は、現実との乖離が著しい。現実の女性は、子作りの経験がない男性より、経験がある男性の方に、より魅力を感じる。既に恋人や妻がいる男性を、敢えて略奪しようとする女性も少なくない。そして男性の方も、そうした女性と子作りをする機会を逃さないのがむしろ普通」
「何それ!? それがこの世界の常識なの?」
「そうではない。あなたの住んでいた世界を含め、人間社会に共通する常識。あなたは、一夫一婦制を厳格に守るべきという思想教育に洗脳されているだけ。あなたの国でも、妻のいる男性の大半は、一夫一婦制など厳格に守っていない。あなたの父でさえも、その例外ではない」
「そんなことないよ! うちのお父さんは、お母さんのことが大好きだったし、お父さんが浮気しているなんて聞いたことないよ!」
「それは、あなたの父が巧妙に隠しているため、あなたも知らないだけ。あなたの父を含め、真面目な夫を装っている、あなたの国の男性もそのほとんどは、隠れて浮気をしているか、機会さえあれば妻以外の女性と浮気をしてしまう。ほとんどの男性にとって、1人の女性に対し貞操を守ること自体に無理がある。それが人間社会の現実」
「・・・そんな現実は聞きたくなかったよ」
「幸い、この国ではあなたの国と異なり、男性が妻以外の女性と関係を持っても、それほど強く非難されることは無い。そもそも、あなたが初体験の相手に選んだ女性は、あなたの妻ではなく、あなたに仕えるメイドに過ぎない。彼女は法的にも、あなたに対する独占権を主張できる立場にはない。そして私も、あなたの性奴隷としてあなたに奉仕することを望んでいるだけで、あなたに対する独占権を主張するつもりはない。よって、あなたが私を性的欲求のはけ口にしても、法的及び倫理的な問題は発生しない」
「いや、十分発生するから! 皇族の生まれで、しかも預言者様と呼ばれている君のような人を、単なる性欲のはけ口にしたら、それだけで十分問題だから! 今まで、イレーネに甘え続けてきたことも、本来は駄目なことだったんだから!」
「では、私が何を捨てれば、あなたは私を使ってくれるの?」
「何を捨てるって・・・」
「わたしは、皇女でも預言者でもない。周りの者が勝手にそう言っているだけ。・・・それが、あなたにとって障害になるというのであれば、私は何のためらいも無くそれを捨てる」
「いや、それは捨てちゃいけないものであって、捨てることも出来ないから!」
押し問答の末、僕は何とかイレーネの懇願を振り切ったが、イレーネの真剣な表情を見て、むしろ自分が悪い事をしているような気がして仕方なかった。
イレーネが諦めてくれないのは、つまり僕が、マリアを正式な妻にしていないからだ。マリアと正式に結婚すれば、イレーネもさすがに諦めるだろう。
そう思った僕は、早速その日の夜、マリアにプロポーズをすることにした。とは言え、指輪などを用意する時間も無かったので、口だけのプロポーズになってしまうが。
「マリア、その、君にお願いしたいことがあるんだけど」
「何ですか? ご主人様」
「その、・・・できれば、僕と結婚してほしいんだ」
既に、深い関係になっているマリア、断られることはないと思っていたが、その考えは甘かった。
「・・・ご主人様、ごめんなさいなのです。ご主人様と結婚することはできないのです」
マリアの答えを聞いて、僕は愕然とした。マリアが僕の相手をしてくれていたのは、単なる仕事上の関係であって、僕と結婚する気はないということか。
僕が落ち込んでいると、マリアは慌てて僕を宥めてきた。
「ご主人様、違うのです。マリアは、ご主人様のことが大好きなのです」
「じゃあ、どうして僕と結婚してくれないの?」
「わたしは、ご主人様のメイドに過ぎないのです,ご主人様と結婚できる身分ではないのです」
「いや、身分の差くらいは、僕が何とかするから!」
「それに、ご主人様は、将来皇帝陛下になる御方とお聞きしましたのです。私がご主人様と結婚したら、私は皇后様になってしまうのです。わたしは、皇后様なんてとても無理なのです」
・・・確かに、マリアに皇后様を務めさせるには、かなり無理があるような気がする。
「ですから、わたしはご主人様の側に置いてくだされば十分なのです。ご主人様が、私以外の女性と子作りしたとしても、別に怒ったりはしないのです。それに、わたしはご主人様の妻になるより、ご主人様のお嫁さんになったほうがいいのです」
「・・・何それ?」
「その、以前オフェリア様に教わったのですが、ご主人様のようなお方にとって、『妻』と『お嫁さん』は別のものみたい、なのです」
「どう違うの?」
「妻というのは、政治的な理由で相手が決まり、お互いに自分の意思では相手を選べないもの、なのです。ですから、男の人が妻に求めることは、跡継ぎを産むことだけで、妻との間に愛はないのです。お嫁さんというのは、男の人と結婚はしていないけど、お互いに愛し合っている女性なのです。
わたしには、難しいことはよく分からないですけど、ご主人様の結婚相手はもう決まっていて、勝手に変えることはできないそうなのです。ですから、わたしがなれるのは、ご主人様の妻ではなくて,お嫁さんだけなのです」
「・・・それ、誰に言われたの?」
「オフェリア様なのです。それと、ソフィア様からも、同じようなことを言われたのです。・・・それで、ご主人様?」
「どうしたの、マリア?」
「こんなわたしですけど、ご主人様は、わたしを、・・・お嫁さんにしてくれますか?」
「もちろん、マリアは僕にとって、もう大事なお嫁さんだよ」
「ご主人様、ありがとうございます、なのです。・・・マリアは、頑張って、ご主人様の良いお嫁さんになるのです」
その翌日。僕はソフィアに、僕の結婚相手なるものについて尋ねた。
「殿下、お忘れになったのですか? 殿下の婚約者は、テオドラ皇女様です」
・・・ソフィアは、今更何を、といった感じで即答した。
「それって、摂政の権限で取り消しできないの?」
「全く出来ないというわけではありませんが、殿下は、テオドラ皇女様の婚約者であり、テオドラ様と結婚されれば帝位継承者になられるという立場で、帝国摂政を務められているのです。殿下が、自らテオドラ皇女様とのご婚約を解消されるということは、摂政としての地位が危ういものになり、政治的な自殺行為になってしまいます」
「・・・・・・」
「殿下も、既にご結婚を完遂できる程度には、子作りの練習が進んでいらっしゃいますので、そろそろテオドラ様との婚儀を行い、イサキオス帝の共同皇帝に就任され、帝位継承者としての地位を確かなものとされては如何でしょうか。もちろん、テオドラ様で足りない分は、マリアを含め、お嫁さんを何人作っても差し支えございません」
「分かった。もういい」
ソフィアの言いたいことは、理屈としては理解できる。フリードリヒ2世がそうだったように、この時代の皇帝は、むしろそういうやり方が普通だったということも知っている。
でも、現代日本の出身である僕には、そういう考え方にはどうしても馴染めなかった。それに、子作りの相手を毎日自由に選べて、子作りの相手に不自由しないなんて生活を覚えてしまったら、僕はもう確実に、日本に戻れなくなってしまう。
ただでさえ、マリアと結ばれて以来、日本に戻りたいという気持ちよりマリアと一緒にいたいという気持ちの方が強くなってしまい、僕はマリアを置いて日本に帰ることなど考えられなくなり、実際この半年あまり、日本での生活に戻ることもなくなってしまっている。
マリアとの子作りは、気持ち良すぎてもう止めることは不可能だけど、他の女性との子作りは、誰に何を言われたとしても、絶対にやめておこう。イレーネとか、他の女の子ともしてみたい気持ちがないわけではないけど、それは我慢しよう。
一度手を出したが最後、止めることはできなくなる。それはマリアで実証済みだ。結婚相手を自分で選べないのなら、そもそも結婚しなければいい。そもそも、ビザンティン帝国の皇帝なんて、本来やりたいわけでもないのに、さらに皇帝になるために、好きでもない女性と結婚するなんてまっぴら御免だ。
その後、僕とイレーネやソフィアとの間では、マリア以外の女性とも子作りしてください、嫌だ、という類の小競り合いが、しばらく続いた。
一方、僕にセレスの町を奪われた皇帝テオドロスとの戦いも、小競り合いが続いた。
「殿下、テッサロニケから、セレスにエピロスの軍が接近しているとの報が入っています」
「ラスカリス将軍、敵の数は?」
「およそ1500人とのことでございます」
「なら、セレスに駐屯しているコンスタンティノスの軍と、ダフネの軍だけで十分だ。僕が出るまでもない」
案の定、約1500人というエピロス軍は、ダフネ隊によって簡単に殲滅された。我が軍には死者どころか、怪我人さえも出なかった。
そもそも、セレスに駐屯しているコンスタンティノスの私兵だけで、約2千人いるのだ。そのセレスを、わずか1500人の兵で奪回できると考える方がおかしい。
その1週間後。また、ラスカリス将軍から、敵軍接近の報が届いた。
「殿下、コンスタンティノスから、約5千の兵がセレスに向かっているとの報が入りました」
「分かった。じゃあ僕が行く」
僕は約2万の直轄軍を率い、エピロス軍を殲滅して、日帰りで戻ってきた。これで結晶1個ゲット。
その1週間後。またラスカリス将軍から報告。
「殿下、セレスに敵軍接近の報告です。今度は約8千人です」
「分かった。僕が行く」
敵軍が若干増えたものの、結果は前回と大差なかった。これで結晶1個ゲット。
その2週間後。また敵軍接近の報。
「ラスカリス将軍、今度はどのくらい?」
「今度は、約1万2千人とのことです」
「分かった。僕が行こう」
この戦いも、結果は前回と大差なし。結晶1個ゲットで、僕の神聖術適性は86に上昇した。
結晶稼ぎにはなるけど、僕はいい加減、皇帝テオドロスが一体何をやりたいのか、分からなくなってきた。僕は『通話』の術を使って、テッサロニケでエピロスの内情を調べている、ペトラリファスに連絡を取った。
「ペトラリファス、いちいち兵を小出しにしてきて、皇帝テオドロスは一体何をやりたいのだ? ひょっとして、奴は馬鹿なのか?」
「いえ、エピロス側の意図としては、セレスに大軍が駐留している様子はないので、最初は少数の兵でも奪還できるだろうと考えたものの、兵を送り出したら原因不明の全滅。そこで、兵力を増やして送り出しても、またしても原因不明の全滅。
これが4回にわたって続き、エピロス軍も動員可能兵力が約4万5千人にまで減ってしまい、しかも生きて帰ってきた兵が1人もいないので、全滅した原因すらもよく分からないという状態で、テッサロニケの住民の間では、これは魔王の呪いではないかという噂が飛び交っております。
皇帝テオドロスは、決して暗愚な人物というわけではないようですが、派遣した軍勢がことごとく全滅していることもあり、我が軍の内情を把握できていないようです。かの者と側近たちは、予想外の事態に頭を抱え、これ以上兵力が減ると国家自体の存亡に関わりますので、セレスの奪回は当面諦める方針のようです。
また、相次ぐ敗戦により、皇帝テオドロスの手腕を疑問視する者も増え、わが国への内通を考える者も現れ始めております」
「内通者はもういるの?」
「テッサロニケの有力者で、パキュメレス殿の父にあたるラザロス・パキュメレス殿は、既にわが国への内応を確約しており、私も主に、ラザロス殿の邸宅でお世話になっております。他にも、内応を検討している有力者が何人かおり、おそらくエピロス軍の主力が壊滅すれば、テッサロニケは戦わずして城門を開くことになると思われます。
ただし、地方の貴族や聖職者たちは、相次ぐ敗戦によりますます危機感を募らせておりまして、我らに内応しようとする者の存在は、今のところ見当たりません」
「他に、エピロス側で何か動きはある?」
「はい。皇帝テオドロスも、単独でわが国と戦うのは危険と判断し、これまで敵対関係にあった、ラテン人のアテネ公やアカイア公、そしてエピロスの北方にあるセルビア王国にも、第六天魔王と称するミカエル・パレオロゴスの野望はきりがない、我らが滅びれば次は絶対おまえたちを攻め滅ぼしに来ると主張して、同盟と援軍の派遣を呼び掛けているようです。また、ヴェネツィアにも更なる援助を求めているようです」
「それに応じる動きはあるの?」
「どうやら、各国とも前向きに検討しているようですが、新たに兵を集めるには、条約の締結などの手続きを経てからになりますので、かなり時間がかかるようです。エピロス側も、軍を起こすには相当数の兵を集めてからの方が良いと判断している模様で、次に大規模な軍事行動を起こすのは、おそらく来年の春以降になると思われます」
「事情は大体分かった。ペトラリファス、調査ご苦労だった」
「はい。詳細については、別途正式な報告書をお送りさせて頂きます」
・・・そういう事か。
今、季節はそろそろ6月に入る頃。今年の夏と秋は、トルコ人対策に専念できそうだ。
第8章 トルコの再統一
僕が、ソフィアにトルコ方面での戦いに専念する意向を伝えたところ、ソフィアはすぐに話をまとめてきた。
「スルタンのカイ=カーウスは、オスマンたちの率いる兵力だけでは、弟のクルチ=アルスラーンやカイ=クバードを打倒するには兵力が足りないので、かねてから殿下のご出馬を強く望んでおりました。
協力の報酬として、カイ=カーウスが割譲を約束している領土は、アッタレイアを中心とするアジアの南岸一帯、及び現在末弟のカイ=クバードが本拠を置いているアンカラとその付近一帯が、主なところとなります。
このとおり領土の割譲を受ければ、アジアの沿岸地帯はすべて、内陸部もイコニオンとその一帯を除くアジアの西半分はすべて、わが国に奪回されることになります。これは、かつてのマヌエル帝時代に匹敵する快挙となります」
「領地が増えるのはいいけど、またブルガリアのときみたいに、飢えた貧民ばかりで赤字になるような土地ばかりなんじゃない?」
「そういう土地もないわけではございませんが、アッタレイアとその一帯はトルコの中で最も豊かな地であり、アンカラもアジアの内陸部に支配を広げるには、交通の要衝となる地です。貧しい土地も、人が住んでいる土地は2年もあれば黒字化することができ、土壌も悪くありませんので、領地の取得をためらう理由にはならないかと存じます」
「では、ソフィアとしては、カイ=カーウスの提案どおりでよいという意見か?」
「はい。アクロポリテス内宰相にも確認致しましたが、内宰相も同意見でございました。ゲルマノス政務官も、ずいぶんな大盤振舞いだと驚いておられました」
「では、カイ=カーウスとの協定は、提案どおりでよかろう。次に、敵の情勢は?」
「まず、アンカラを本拠としております、カイ=クバードの勢力については、動員可能兵力はせいぜい1万人を超える程度です。殿下自ら軍を率いて、移動拠点のあるイコニオンから北上してアンカラを攻めれば、簡単に屈服させることが出来ると考えられます。
問題は、カイサリアを本拠としているクルチ=アルスラーンの勢力で、動員可能兵力は3万を越えており、アンカラを攻めるとクルチ=アルスラーンに背後を突かれるので、これまではうかつに動けなかったという状況でございます」
「モンゴル軍の動きは?」
「はい。アゼルバイジャン方面に駐留していたモンゴル軍の司令官、バイジュ=ノヤンは、本国から召還命令を受け、後任の司令官は軍をまとめるのに時間がかかる様子なので、しばらくは動けないかと存じます。
ただ、モンゴルの本国では、大ハーン・モンケの弟、フラグという人物を総大将にして、西方に向けた大遠征軍を準備中との情報が入っております。遠征軍の目的地がどこかは調査中でございますが、西方にやってくるのは早くとも2~3年後と考えられますので、今回の軍事作戦に対する支障にはならないかと考えられます」
「分かった。こうなったら、さっさと片付けてしまおう」
出陣にあたり、マリアがまたしても泣きついてきた。
「ご主人様、行かないでくださいなのです・・・」
「大丈夫だから。今回も、何とか暇を見つけては時々戻ってくるつもりだから」
「でも、ご主人様に万一のことがあったら・・・」
「この、イレーネにもらったネックレスがあるから大丈夫。だから、大人しく待っててね」
何とかマリアを宥め、僕は直轄軍をイコニオンに集結させた。ヴァタツェス将軍をはじめとする諸侯たちの軍は、念のためセレスに集結させ、ヴァタツェス将軍を総司令官に任命した。これで、万一エピロスの軍が攻めてきても、しばらくは持ち堪えられるだろう。
「殿下、お待ちしておりました。アンカラとカイサリア、まずどちらをお攻めになりますか?」
オスマンがそう尋ねて来たので、僕は即答した。
「全軍をもって、先にアンカラを叩き、その足で次にカイサリアを叩く」
「ですが、その方法だと、クルチ=アルスラーンに背後を突かれるのでは?」
「・・・カイ=カーウス自ら率いる軍勢は、どれほどいる?」
「およそ1万5千になります」
「それだけいれば、仮に攻めてきても、しばらくは自力で持ち堪えられる。問題は無い」
「・・・想像はしていたけど、やはり結構な山道だね」
「でも、結構水が綺麗ね。大きな湖もあるし、また水浴びでもしようかな」
「テオドラ、今回はあまり時間を掛けない方針だから、やるとしても少しだけね」
テオドラに限らず、今回の遠征にあたり、あまり軍に緊張感はない。
負けることはないと思うけど、僕はイレーネに索敵を続けてもらいながら、行軍を続けた。
しかし、敵襲は特になく、約10日でアンカラに到着。敵軍らしきものはおらず、アンカラの住民は、戦うことなく城門を開いた。
僕は、アンカラの町の代表者らしき人物に、事情を尋ねた。
「カイ=クバードは、一体どこに行ったのだ?」
「殿下が攻めてくると知り、わずかな供を連れて逃亡致しました。どこへ逃げたのかは、私どもにも分かりません」
「・・・厄介だな」
僕は、アンカラに移動拠点を作らせて、その統治体制を固めた。カイ=クバードの部下たちは投降してきたが、戦力になりそうなのは約1千の弓騎兵と、約2千の歩兵くらいであり、それ以外はただの農民兵だったので、農民兵たちは解散し元の生活に戻るよう命じた。
「イレーネ、カイ=クバードがどこに向かっているか分かる?」
「・・・カイサリアに向かっている」
「では、その後を追うか」
僕は、アンカラ滞在を3日ほどで切り上げ、クルチ=アルスラーンの本拠地カイサリアに向かった。
その行軍中も敵は現れず、行軍7日ほどでカイサリアに到着し、カイサリアの住民も戦わずして城門を開いた。カイサリアにも移動拠点を作らせ、カイサリアで捕縛されていたカイ=クバードを処刑したが、クルチ=アルスラーンの行方が気になった。
「クルチ=アルスラーンは、どこへ行ったのだ」
僕は、降伏してきたカイサリアの守備隊長に話を聞いたところ、このような答えが返ってきた。
「クルチ=アルスラーンは、ほぼ全軍を挙げて、イコニオンに侵攻いたしました。殿下が、これほど早くカイサリアに侵攻してくるとは、誰も予想していなかったのでございます」
「・・・そういうことか」
まだ良い方だった。カイサリアを捨てて、もっと東方へ逃げたというのであれば、余計な時間がかかるところだった。
僕は、カイサリアに残っていたクルチ=アルスラーンの妻子を捕らえ、女たちはニュンフェイオンに連行し、トルコ人の貴族として相当の処遇を与えることにしたが、男子は幼児に至るまで残らず処刑した。
「・・・なぜ、男子は全員処刑なのですか?」
パキュメレスがそう聞いてきたので、僕はこう答えた。
「カイ=カーウスの対抗馬になり得る王族の男子がいると、その者をリーダーとしてまた反乱が起こりかねない。あまり有能とは言えないカイ=カーウスの許で、トルコ人の国を再統一させるには、カイ=カーウスとその息子以外の王族は、全員処刑するしかない」
「でも、その結果トルコの王族が断絶した場合は、どうなさるのですか?」
「そうなったら、わが国が乗っ取ってしまうだけのことだ」
そして、僕が軍と共に、移動拠点を使ってイコニオンに戻ってみると、クルチ=アルスラーンの軍勢が、イコニオンの包囲を始めていた。
「殿下、いかがなさいますか?」
「オスマン、おそらく敵は、我が軍がイコニオンに戻ってきたことには気づいていない。全軍が集結するのを待って、明日の夜に夜襲を掛ける。それまではゆっくり休め」
クルチ=アルスラーンの軍勢は、僕の軍が城内に集結していることも知らず、昼間から呑気に宴会をしていた。これなら楽勝だ。
「全軍、出撃せよ」
僕の号令一下、各部隊が割り当てられた方面に出撃し、クルチ=アルスラーンの軍勢を粉砕していった。しかし、肝心のクルチ=アルスラーンの姿が見当たらない。
「イレーネ、クルチ=アルスラーンはどこに行った?」
「カイサリアの方面に向かって、1人馬で逃げている」
僕は、直ちに馬に乗って、クルチ=アルスラーンの後を追った。『神速』の術を使って何とか奴に追いつき、例のシンカーでとどめを刺した。戻ってきた僕は、イレーネに尋ねた。
「他に逃亡者はいる?」
「いない。クルチ=アルスラーンが死んだと分かると、全員投降した。味方の死者もいない」
「結晶来た?」
「あなたに、3つ届いている」
これで、僕も適性87か。90の大台到達も見えて来たな。
こうして、トルコの単独スルタンとなった、カイ=カーウスが呑気に喜んでいるのを尻目に、僕の軍はさっさとイコニオンを出発し、割譲される約束になっていた残りの地域、アッタレイアやその周辺地域を接収した。特に抵抗する者はおらず、僕は9月の初めには、仕事を終えてニュンフェイオンに帰還することができた。
エピロス軍が動く様子はなかったので、セレスに詰めていた諸侯たちの軍勢についても、セレスの守備隊長官であるコンスタンティノスを除き、それぞれの領地へ戻ることを許可した。
「ご主人様、お帰りなさいなのですー!」
マリアが喜んで駆け寄って来た。これで僕も毎日マリアと子作り・・・じゃなかった、一緒に過ごすことが出来る。
もっとも、僕の力で統一されたトルコ人の国は、喜んでばかりもいられないようだった。
「殿下。イコニオンで駐在大使を務めているマウロゾメスから、連絡が来ております」
「ソフィア、何があった? もう、カイ=カーウスの敵はいないはずだが」
「モンゴル帝国から、イスファハーニーに代わる代官として、シャムス・ウッディーン・マフムードという者がイコニオンに派遣され、宰相に就任したということでございます。マフムードは、カイ=カーウスを自分の下僕のように扱い、重税を課して圧政を敷き始めたらしく、また国内では、カイ=カーウスの支配に服そうとしない者も少なくないそうです。
カイ=カーウスは、マウロゾメスを通じで、自分を助けてほしいと内密の連絡を送って来たそうですが、何と返答いたしましょうか?」
「・・・モンゴルからの代官が来てしまったのであれば、余にできることは何もない。そのくらい、自分の力で何とかせよと伝えてくれ」
「承知致しました」
僕だって、単なる慈善事業でカイ=カーウスを助けたわけじゃない。とりあえず、エピロスとの対決にあたり、トルコ人から背後を突かれるおそれが無くなれば、僕としては目的達成なのだ。
第9章 忍者と手裏剣
年が変わって、世界暦6758年9月。僕がこの世界に来てから6年目になった。
僕が、ニュンフェイオンの音楽室でオルガンを弾いていると、ソーマちゃんがやってきた。
「失礼いたします、殿下」
「ソーマちゃん、こんなところに来るとは珍しいね。また、テオドラからの呼び出し?」
ちなみに、「ソーマちゃんのことはちゃん付けで呼ばなければならない」という、僕が出したことになってしまった勅令は、廃止こそしなかったものの、「ただし、これは努力義務であり、違反しても処罰することは無い」と付け加えることにした。
「いえ、本日は別の用事でお邪魔したのですが、殿下は何の曲を弾いていらっしゃるのですか?」
「ああ、これはね、試験用の課題曲」
「・・・オルガンに試験があるのですか?」
「僕の国にはあるんだよ。今度日本に戻ることがあったら、もうすぐ試験を受けるから、そのための練習をしているところ」
「そうなのですか。殿下は、オルガンも結構お上手なのですね」
「いいや。この国には来ていないけど、僕のお父さんはもっとすごいよ」
ソーマちゃんは、僕が練習曲を弾き終わるのを待ってから、本題に入った。
「実は、皇女様のご命令で、次回の踊りに使う曲を、殿下から教わってこいと言われまして・・・」
「僕から? なぜ?」
「皇女様は、次回踊り子としてステージに立たれるとき、殿下のお好きな曲を題材にして、私がそれを歌って、皇女様がそれに合わせて踊るという企画を立てられているのです」
「僕が好きな曲と言うと、中島みゆき様の曲か」
「おそらく、そうだと思います。できれば、10曲くらい教えて頂きたいのですが・・・」
「10曲だね。分かった、ちょっとどれを選ぶか考えてみる」
まず『時代』と、以前歌ってみせたことがある『化粧』は確定。あと8曲か。
残りは、無難な有名どころを選んでおいた方がいいだろう。あとは・・・
『誕生』『あした』『糸』『春なのに』『with』『空と君のあいだに』『旅人のうた』『たかが愛』
『横恋慕』『地上の星』『ファイト!』『銀の龍の背に乗って』『麦の唄』・・・
いかん。もう軽く10曲を越えてしまっている。もっと絞らないと。
僕がいろいろ考えていると、
「殿下、その、中島みゆき様というお方の曲は、全部で何曲あるのですか?」
「ごめん、僕も正確には知らない」
「ええっ!?」
「以前、僕も数えようとしたことはあるんだけど、500曲を過ぎたあたりで、他にも発表されてない曲なんかもあることが分かって、数えるのを止めたことがある」
「そんなに、たくさんの曲を作っていらっしゃるんですか!?」
「そう。中には、『これ曲に数えていいのか?』って迷う歌もあったりしてね、例えば・・・」
僕は、ソーマちゃんに『廃線のお知らせ』を歌って聞かせた。
「・・・中島みゆき様って、結構面白い方なのですね。まさに『何じゃこりゃー』って言いたくなっちゃいます」
「とにかく、そんなわけで、候補はたくさんあるし、この国の言葉に上手く訳せるかって問題もあるし、テオドラの踊りに合うかって問題もあるから、2人で相談しながら決めよう」
「そうですね。私もお手伝いします」
こうして、僕はソーマちゃんに色んな曲を弾きながら歌って聞かせたのだが、ニコニコしながら僕の歌を聞いているソーマちゃんを見ていると、やっぱり可愛いな、と思ってしまった。すると不意に、
「・・・・・!!!」
「殿下、どうなさったのですか?」
「い、いや、何でもない。続けよう」
ソーマちゃんは怪訝な顔をしながらも、その後も曲の選定に付き合ってくれた。
結局、残りの8曲に選ばれたのは、『誕生』『あした』『糸』『春なのに』『泣いてもいいんだよ』『歌姫』『二隻の舟』『MUGO・ん...色っぽい』になった。
ちなみに最後のは、こんな歌もあるんだよと冗談のつもりで歌ってみたら、ソーマちゃんが気に入ったので、入れることにした。
ソーマちゃんが帰った後、僕はようやく落ち着きを取り戻した。
「危なかった・・・」
僕は、ソーマちゃんを可愛いと思った瞬間、突発的に強い性衝動を発してしまい、危うくソーマちゃんを押し倒してしまうところだった。
理性を総動員して何とか食い止めはしたが、子作りの仕方を具体的に知ってしまうと、むしろストッパーみたいなものが外れて、子作りしたいという欲求が強くなってしまうのだ。
しかも、今日はマリアが休暇中で、しばらく子作りはできない。マーヤに鎮めてもらうのだが、そのうちマーヤとも、子作りしたいという欲求が高まってしまう。
・・・頑張れ僕。マリアが戻ってくるまでの辛抱だ。可愛い子が相手なら、誰でも子作りをするようになってしまっては、僕はケダモノになってしまう。
その翌日。今度はテオドラが僕の部屋にやってきた。
「みかっち、ちょっと言いたいことがあるんだけど」
「何? 昨日ソーマちゃんと決めた選曲に不満があるの?」
「別に、あの曲はあれでいいと思うけど、最近、何か盛り上がりに欠けると思うのよ」
「盛り上がりって?」
また、テオドラが変なことを言いだしたぞ。
「最近、楽勝の戦いばっかりで、いまいち物語として盛り上がりに欠けてると思うのよ! 弱い者いじめばっかりやってないで、もっと強い敵と戦いなさいよ! このあたしが、大活躍できる場面がないじゃないの!」
「そんなこと言われても、今はちょうどいい強さの敵がいないんだよ」
「どういう事よ」
「エピロスの皇帝テオドロスは、兵を集める政治力だけはあるみたいだけど、兵の使い方を知らないみたいだし、もとより弱体化が激しいトルコがそんなに強いはずないし。かといってモンゴルは、強すぎて戦ったら到底勝ち目がないし。
ちょうど今は、楽に勝てる相手と、まともに戦ったら到底勝ち目のない相手しかいない。今は、楽に勝てる相手から領土を巻き上げて、将来強敵が現れたときに備える、そういう時期。だから、今の戦いは盛り上がりようがないんだよ」
「強敵って、どこよ?」
「ヴェネツィア。今は和平を結んでいるけど、聖なる都を奪回したら、おそらくその時点から、ヴェネツィアとの戦争が再開される。ヴェネツィアとは、うちの軍が苦手な海で戦うことになるし、向こうも神聖術の技術は持っているし、物凄い金持ちだし、おまけに神聖術が効かない銀色艦隊まで持っている。本気で立ち向かってきたら、おそらくかなりの強敵になると思う」
「モンゴルとは戦わないの?」
「怖くてとても戦えないよ。帝国が、ヨーロッパを統一するくらいの大国になるか、あるいはモンゴルの方が分裂して弱体化してくれれば、あるいは戦えるかも知れないけど、少なくとも今の段階では、戦った時点でこの国はおしまい」
「みかっちって、ずいぶんヘタレねえ。もっとリスクを取って戦いなさいよ」
「リスクなんか取れないよ。冒険者が戦うゲームとかだったら、仮に死んでも『おおミカエルよ、死んでしまうとは情けない!』って言われるだけで再挑戦できるから、ギリギリの強敵とも戦えるけど、ここはリアル戦争の世界なんだから、当然自分が死んだらお終い。
仮に自分が生き延びても、たくさんの部下を失って戦力を失ったら、その時点で滅亡確定。一見楽に勝っているように見えるだろうけど、一歩戦略を間違えれば、モンゴルを敵に回して滅亡確定。今でも、そういうギリギリの線で勝負してるんだから、これ以上危ない橋は渡れないよ」
「もう、しょうがないわね。だったらせめて、もう少し絵になる戦い方をしなさいよ!」
「絵になる戦い方って?」
「みかっちは、日本の出身なんだから、せめてサムライかニンジャになって戦いなさいよ。あたし、みかっちがナイフ投げで敵を倒してるのを見て思ったんだけど、もっとニンジャらしく、例えば手裏剣を使って倒したらどうなのよ?」
「参考までに聞くけど、テオドラってニンジャを、どういうものだと思ってるの?」
「もちろん、ニンジャのことはよく知ってるわよ!」
テオドラが、ドヤ顔をして僕の方を指差した。もう、どんなボケが来ても驚かないぞ。
「ニンジャっていうのは、黒い装束をまとって、手裏剣とか、火遁の術とか、水遁の術とか、そういうすごい術を使って敵を倒す、ものすごく強い人なのよ! ニンジャこそ、日本の生み出した真のヒーローなのよ!」
「・・・テオドラ、サムライのときもそうだったけど、君の調べているニンジャは、主に日本以外の国で流行している、フィクションの世界のニンジャなんだよ。実際に日本にいた忍者とはだいぶ違う」
「どう違うのよ?」
「たしかに、黒い装束をまとって手裏剣を使ったとは言われているけど、本来忍者っていうのは、分かりやすく言えばスパイなんだよ。火遁の術とか水遁の術とかも、敵を倒すというよりは、逃げるための時間稼ぎが主な目的だったらしいんだ。
忍者は、スパイの任務をこなすために特殊な訓練をしていたけど、圧倒的な強い力を持っていたわけじゃない。危険なスパイの任務をこなして、生きて帰るための訓練をしていたんだ。うちの国で言えば、暗黒騎士隊のユダなんかが、割と忍者に近い感じ」
「ユダって、アンリを暗殺してきたり、敵に紛れ込んで変な任務をこなしてきたりする、あの子供?」
「そう。あの子はかなり優秀だから、成長したらもっと活躍してくれると思うよ」
「まあ、あの子の話はいいわ。問題はみかっちよ。ナイフで敵を倒すくらいなら、せめて手裏剣で敵を倒しなさいよ! その方が絶対格好良いわよ!」
「・・・分かった。一応検討はしてみる」
なお、テオドラとのやり取りはいつもと同じ調子だが、節操のない僕の下半身は、テオドラとも子作りしたいと主張していた。僕は生まれて初めて、こんなものはいっそ切ってしまいたいという気分になり、深刻な自己嫌悪に陥った。
それはともかく、僕も手裏剣についてあまり詳しいわけでは無いので、とりあえずイレーネに相談してみたところ、意外な答えが返ってきた。
「あなたの術のために、専用の手裏剣を使うというのは、悪い考え方ではない」
「そう?」
「あなたが開発した術は、現在のところ使い捨てのナイフを使っているが、あなたの国で開発された手裏剣は、投擲術の効果を高めるために様々な工夫がなされている。こうした技術を応用して、あなた専用の手裏剣を使えば、あなたの術をもっと有効に活用することができる」
「なるほど。じゃあ、作ってみる価値はあるか」
「そうした仕事を依頼するには、あの店が一番良い」
イレーネはそう言って、僕にその店まで連れて行ってくれたのだが、なぜかイレーネはいつかのように眼鏡もといビブリオケーテーを外し、僕の腕にしがみつきながら歩いている。
「・・・もしかして、あの時のペンダントを作ってもらったお店に行くの?」
「そう。あの店は、現在ニュンフェイオンに移転している。神具の作成を依頼するなら、あの店に優るところはない」
「僕たちは、神具ではなく手裏剣を作りに行くんじゃないの?」
「別に、あなたの国の常識に囚われる必要は無い。手裏剣の技術を活用した神具を作成すれば、あなたの術は更に強力になる」
「それは分かったけど、今回はビブリオケーテーを外して外を歩く訓練ではないから、いつもの格好でも構わないよ」
「その訓練も兼ねている。あの時以来、私の訓練は行われていない」
・・・確かにそうだけど、今はあの頃と状況が違っている。イレーネはもう明らかに、僕に対し恋愛感情を抱いているし、僕もそんなイレーネと子作りしたい衝動を必死に抑えている。しかも、子作りこそしたことはないが、結構エッチなことを色々やってしまっている関係である。
素顔でドキドキしているイレーネはとても可愛くて、ついこの場で押し倒してしまいたくなる衝動に駆られる。イレーネの意図は明らかに、訓練と称して僕を誘惑し、子作りに持ち込むことにあるのだ。テオドラにまで反応してしまう僕の下半身も、イレーネには当然のように強く反応してしまっている。
僕とイレーネが、ドキドキしながらしばらく無言で歩いていると、
「よう、あんちゃん。こうやって話すのは久しぶりだな」
ビブリオケーテーの声がした。
「君か。余計なことをしゃべると、またイレーネにしばかれるよ?」
「俺のことは、ビブロスとでも呼んでくれ。あんちゃん、どうしてこの娘っ子と、いつになっても子作りしてやらねえんだ? もうだいぶ関係は進んでるんだろ」
「・・・ビブロスには、関係のない話だと思うけど」
「関係なくはねえさ。俺は、ある意味この娘っ子の保護者みたいなもんさ。お前が、いつまでも子作りをしてくれねえから、この娘っ子は大変なことになっているんだぜ」
「イレーネが、どう大変なことになっているって言うの?」
「それはもう、毎晩あんちゃんのことを想って身体を夜泣きさせて、あんちゃんの下着をかっぱらってきては、その匂いをくんくん嗅ぎながら、とても公衆の面前では言えないことを色々と・・・」
「それ以上のことは言わなくていい」
イレーネが、ビブロスの言葉を制した。
「でもな、あんちゃんにはこの際はっきり言ってやらねえと」
「ビブロス、君の言いたいことは大体分かったけど、さすがにそういうことは、口に出して言わない方がいいと思う。イレーネだって女の子だし、人並みの羞恥心はあるんだから」
僕もビブロスの言葉を制したので、ビブロスはそれ以上何も言わなくなった。
・・・とは言え、僕はビブロスの言葉で、頭の中がさらにピンク色になってしまった。イレーネは、僕に対する愛欲と肉欲を持て余すあまり、毎晩僕の下着の匂いを嗅ぎながら、要するに一人エッチをしているというのだ。
僕の脳内で、イレーネと子作りするかどうかで激論を交わしている天使たちと悪魔たちは、今の発言で天使たちの一部が悪魔側に寝返り、もうイレーネと子作りしちゃえという悪魔側の意見が優勢になってしまった。僕の股間もさらに激しく疼いて、イレーネと子作りさせろとうるさくせがんでくる。
そんな葛藤を抱えつつも、何とか僕とイレーネは、例の店に到着した。例によってイレーネは、店の中に入るとビブロスを装着し、通常の眼鏡っ子モードに戻った。
「ヘパイストス神具店へようこそ! ご常連のイレーネ様と、帝国摂政のミカエル殿下ですね? 本日は、どのようなご用命ですか?」
以前会ったことのある、あの店員の娘さんが元気よく対応してくれた。あと、店に正式な名前が付いたのか。
「実はね、こういう形の武器を作りたいんだけど・・・」
僕は、店員さんに、手裏剣の図面を見せながら、作りたい武器を説明した。僕が参考にしたのは、十字型手裏剣の形をしつつも、持ち歩くときは刃の部分を閉じて棒状にできるという、やや特殊な形状の手裏剣である。
「なるほど、分かりました。素材は、ミスリル銀でお作りしましょうか?」
「他にどんな素材があるのか、分からないんだけど」
「普通の鉄などでお作りすることもできますが、ミスリル銀なら軽くて丈夫で魔力を込めることもでき、術士による防御も突破することができますから、性能的にはミスリル銀が一番お勧めです! もっとも、ちょっとお値段は張りますが」
店員さんに金額を提示されたが、まあ払えない額では無かった。
「じゃあ、ミスリル銀でお願いします」
「承りました! 今回は、初めて頂くご注文ですので、30分ほどお時間を頂きますが、宜しいでしょうか?」
「分かりました。お願いします」
「では、早速製作に取り掛かりますので、しばらくお待ちください」
ちなみに、僕と一緒に来たイレーネも、無言で何かを注文していた。
やがて、製作室と思われる中から、こんな声が聞こえてきた。
「あなた、殿下直々の大事なご注文ですよ! ぐうたらしてないで、きびきび働きなさい!」
「フィオネリア、分かったから、俺の首を絞めるのは止めてくれ!!」
・・・僕たちは、店内に設けられた結構立派な待合室で、2人のそんなやり取りを聞いていた。
「・・・あの店員さん、フィオネリアって名前なんだ」
「そう。ちなみに、店長の名前はイサキオス・ヘパイストス。ぐうたらであの娘にせっつかれないと働かないが、神具鍛冶としての腕は確か」
「さっき、店長のことを『あなた』って呼んでたけど、あの2人結婚したの?」
「昨年結婚した」
「前回来た時は、この店潰れそうだとか言ってたけど、最近は儲かってるの?」
「あの娘は、商売人としてかなりのやり手。また、あなたの政策により神聖術士の数が大幅に増え、神具などの注文も激増している」
「・・・僕が来てない間に、この店にもきっと、色々なことがあったんだろうね」
「ところでイレーネ、以前僕に作ってくれたネックレス、マリアの分も作ってくれない?」
僕としては、あのネックレスがあれば、マリアを戦場に連れて行っても、不慮の事故などで死なれる可能性はないと思ったのだが、
「・・・私と子作りしてくれるなら、作ってもいい」
交渉はいきなり決裂してしまった。
僕は、間が持たないので話題を変えようと思い、あの時以来聞いていなかった、猫が支配する未来の話について聞くことにした。
「そういえばイレーネ、以前話していた猫が支配する未来って、どうやってそんな風になったの?」
「事の発端は、猫型のアンドロイドが発明され、実用化されたことに由来する」
「それって、どんなもの?」
「普段は猫の姿をしているが、夜になると猫耳を付けた美少女の姿に変わり、人間と交配することができる。男性向けに、爆発的な勢いで売れた」
・・・僕は、思わず猫耳をつけたマリアの姿を想像した。そんな商品が発売されたら、僕も買ってしまうかも知れない。
「時の政府も、景気対策の一環として、猫型アンドロイドの販売を奨励した。新しい法律も制定され、人間と、猫型アンドロイドとの交配は、不貞行為に該当しないことが明記された。なお、夜になると男性の姿になる猫型アンドロイドも開発されたが、こちらはあまり売れなかった」
「まあ、それは分かるような気がする」
猫型の美少女と子作りしたい男性はたくさんいるだろうけど、猫型の男性と子作りしたい女性は、たぶんそんなに多くないと思う。
「・・・その結果、人間の男性と、猫型アンドロイドのハーフが数多く誕生し、純血の人間はどんどん少なくなった。一方で、猫型アンドロイド同士のカップルは、猫の姿のままで交配し、その数を増やしていった。猫型アンドロイドは、人間の姿になることもでき、平均的な人間を大きく上回る知能を有し、性格も様々な悪徳を持たないように設計されているが、種族的にはあくまで猫。
やがて、猫型アンドロイドの人口が純血の人間を上回るようになり、残された純血の人間は、このままではこの国が猫型アンドロイドに支配されてしまうのではないかと、危機感を抱くようになった。一方で、猫型アンドロイドも、人間と同等の人権、特に選挙権及び被選挙権を要求するようになり、両者間の対立が始まった」
イレーネの話が面白くなってきたところで、ちょうどフィオネリアさんが、出来上がった手裏剣を持って来てくれた。
「殿下、大変お待たせ致しました! ご注文のお品が完成いたしました!」
「おお、良く出来てるね」
手裏剣の真ん中にあるボタンを押すだけで、投げる時の十字型手裏剣に変わったり、持ち運びに便利な棒型に変わったりする。軌道に変化を付けやすくするための刻みも、きちんと注文どおり入っている。
そして、イレーネが注文していたブレスレットのような物も、同じく出来上がっていた。
「じゃあ、お代はこれで」
僕は、2人分の代金をまとめて払った。そのくらいは僕がおごって良いだろう。
「大変ありがとうございました! またのご来店をお待ちいたしております!」
こうして、僕はミスリル製の手裏剣を購入し、宮殿へと戻った。その途中、イレーネはまたビブロスを外し、僕にひっついて精一杯甘えまくり、僕の理性をさらに削った。
そして宮殿に着いたとき、イレーネはビブロスを再装着して、僕の手裏剣に術を掛けてくれた。
「これで、この神具は、目的物に当たるとあなたの許へ帰ってくる。使い捨てになることは無い。この神具はそれ以外にも、あなたの術で様々な効果を付与することができる。炎の属性、氷の属性、毒の属性など、使い方はあなたの創意工夫次第」
「ありがとう、イレーネ。ところで、さっき買っていたブレスレットは何?」
「これは、私の個人用。使い方は秘密」
「まあ、言いたくないなら、無理には聞かないけど・・・」
「あんちゃん、察しが悪いなあ。この娘っ子が秘密にすることは、大抵あんちゃんとの子作り絡みの・・・」
余計なことを言ったビブロスは、再びイレーネに折檻されていた。
まあ、こんな経緯により、僕は手裏剣型の新たな神具を手に入れた。せっかくだから名前を付けることにし、服部半蔵とか百地三太夫とか風魔小太郎とか、色々有名な忍者の名前を考えた挙句、僕はこの神具に『風魔』と命名することにした。この名前なら、何となく格好良いし、呼びやすい。
第10章 冬場の戦略
僕が『風魔』を入手して間もなく、フリードリヒ2世から送られてきた大使で、僕の法律顧問も務めているロレンツォ・モンテネーロと、わが国に留学中のスコット・デレ・ヴィーニェが、僕に謁見を求めてきた。
「2人とも、急に何用か?」
「実は、我々の母国で、スコットの父親でもある宰相ピエロ・デレ・ヴィーニェが、突然陛下のご不興を買って投獄され、間もなく獄死してしまったのです」
「モンテネーロ、一体フリードリヒ2世陛下に、何があったというのだ!?」
「詳しいことは、我々にも分かりません。ただ、べラルド大司教からの手紙によると、宰相ピエロは、独断でローマ教皇との和平交渉を行おうとしており、それが陛下の逆鱗に触れたのではないかと書かれておりました」
「・・・そういうことか」
「また、皇帝陛下の子息エンツォ皇子は、ボローニャの軍に不意打ちを受けて囚われの身となり、皇帝陛下御自身も、ローマ教皇から魔女の力を借りたなどと散々に非難され、教皇派が勢力を盛り返していることに心を痛められており、最近は元気が無くなられたという報告も届いております。その中で、宰相ピエロが独断行為に及んだことも、陛下がお怒りになった原因かも知れません」
「いつの間にか、そんなことになっていたのか!?」
「そこで、殿下にお願いがございます。宰相ピエロが獄死したしまった以上、ピエロの息子であるこのスコットには、留学を終えても帰る場所がございません。この者は、学問優秀で有能な若者ですので、是非殿下の許で召し抱えて頂けないでしょうか。
また、私は今後も当面西ローマに仕え続けますが、私も宰相ピエロの高弟であった関係で、私の立場もまずいものになっております。場合によっては、私自身も殿下にお仕えさせて頂くよう、お願いすることになるかも知れません」
「分かった。わが国の文官は人材不足ゆえ、スコットは喜んで召し抱えよう。モンテネーロも、いよいよ西ローマに居ずらくなったら、いつでもわが国で召し抱えよう。
ところで、皇帝フリードリヒ2世に贈る『地学の書』だが、ようやくギリシア語版が完成した。写本の1つを、フリードリヒ2世陛下に送ってもらいたい。陛下もお喜びになり、少しは元気を取り戻されるであろう」
「殿下、まことに有難うございます。『地学の書』については、早速皇帝陛下にお届けさせて頂きます」
こうして、スコット・デレ・ヴィーニェは、ギリシア式に名前をスコトゥス・ヴィーニオスと改め、僕の家臣となった。スコトゥスには、ニケフォロス・スグーロスの補佐役として、ギリシア古典の正文を確定する職務を分担させた一方、神聖術も習得させた。
スコトゥスの適性は75で、緑学派か青学派を選ぶものと思っていたが、彼は自然科学にも興味があるようで、結局白学派を選択した。まあ、帝国幹部の男性はほとんどが緑学派か青学派なので、白学派の男性術士も悪くはないだろう。どの学派を選んでも、必要な術は任意に習得できるし。
その後、ソフィアから国内外の情勢に関する報告があった。
「殿下、色々ご報告したい事項と、一部殿下のご裁断を仰ぎたい事項がございますので、まとめてお伝えしても宜しいでしょうか?」
「うん、頼む」
「まず、国内の情勢に関してですが、トレビゾンドのアレクシオス・コムネノスと、フィラデルフィアのテオドロス・マンカファースは、いずれもエピロス側の劣勢を見て、エピロスとは完全に手を切ることにしたようです。そのため、この2人が謀反を起こす可能性は、当面なさそうです」
「それは何より」
「また、既に国庫収入にはかなりの余裕がありますので、そろそろ大幅な軍備増強に踏み切っても宜しいかと存じます。目標としては、殿下直轄の陸軍を現在の3万人規模から約5万人に、海軍を現在の戦艦60隻規模から、約200隻に引き上げではいかがでしょうか」
「・・・そんなに増強して大丈夫なの?」
「はい。移動拠点の民間開放による増収、貿易による増収などがあり、計算上はこの規模でも、まだまだ財政上余裕がございます。また、来年からは入植地からの税収も期待できます。
一方、新兵を既存の精鋭部隊並みに鍛え上げるには、ある程度の時間を要しますので、新兵を雇うならこの時期にしてほしいと、ラスカリス将軍をはじめ、将校の主だった者は皆申しておりました」
「分かった。その方向で進めてくれ」
「また、その軍備増強に関連して、弓兵隊長のアンドロニコス・ギドス将軍から、ロングボウを導入したいという要望がございました」
「ロングボウ?」
「はい。わが国への仕官を求めている傭兵の中に、ブリテン島のウェールズという国から来た弓兵の一団がございまして、その者たちはかの国特有の、ロングボウという大きな弓を使っているそうでございます。
ロングボウは、巨大であるため馬上で使うことはできませんが、通常の弓より射程も長く威力も高く、石弓と違って連射も可能でございますので、これを弓兵の標準装備にすれば、大幅な戦力増強になるとのことでございます。
ただ、扱いに熟練を要しますので、まずは約1000人のウェールズ弓兵隊を雇い入れ、彼らからロングボウの使い方を他の弓兵にも習わせたいということでございました。お認めになりますか?」
「許可する。その方向で進めてくれ」
「続いて、国外の情勢に関する報告です。西ローマの皇帝フリードリヒ2世と、ローマ教皇派との争いは、ローマ教皇派が勢力を盛り返しているようです。一旦は降伏したミラノも、異端であるアルビジョワ派の勢力が大きく、フリードリヒ2世の異端撲滅政策に反発し、再び反旗を翻したそうです。また、ジェノヴァでも、ローマ教皇の支援を受けたフィエスキ家が再び政権を奪還したとの報告が入っております」
「テオドラの活躍が、早くも台無しになっちゃったじゃない。あと、わが国とジェノヴァとの同盟は大丈夫なの?」
「今のところ、わが国との同盟と経済援助を止めるという動きは無いようですが、政権を握ったフィエスキ家とグリマルディ家は、西方貿易を主な地盤としており、わが国を含む東方貿易への関心は薄いようです。この政権交代により、ジェノヴァとの関係は今後冷却化が予想されます」
「それは困ったね。ジェノヴァは遠いから、あの国の政治に介入するのも難しいし」
「また、ボローニャでも、フリードリヒ2世の息子エンツォ皇子を人質に取って、フリードリヒ2世に対抗する姿勢を見せております。フリードリヒ2世は、何とかエンツォ皇子を解放してもらおうと働きかけを続けているようですが、ボローニャは断固としてエンツォ皇子の引き渡しを拒否し、そのためフリードリヒ2世も身動きが取れないようです」
「・・・エンツォ皇子は、僕も少しだけ会ったことあるけど、フリードリヒ2世にとっては片腕のような存在だからね」
「話は変わりますが、十字軍を率いてエジプトに遠征しているフランシアの王ルイ9世は、ダミエッタを攻略したまでは良いものの、その後ナイル川の洪水に遭って身動きが取れなくなり、また次の攻略先についても、ジェノヴァ人たちの主張するアレクサンドリアと、フランシア貴族たちの主張するカイロのどちらにするかで、意見が割れているようです。
仮に、次の攻略先がアレクサンドリアとなった場合、アレクサンドリアに寄港しているわが国の交易船団も戦争に巻き込まれる可能性がございます。アレクサンドリアへの寄港は、今年は見送りに致しましょうか?」
「いや、決断するのはまだ早い。エジプトとの関係はなるべく維持したいので、寄港を取りやめにするかどうかはギリギリまで様子を見よう」
「また、新しい話として、カタルーニャ人の傭兵隊長であるジュアン・ムンタネーを通じて、アラゴンの王ハイメから、わが国との通商条約の打診がありました。ハイメ王は、イスラム勢からバレンシアなど多くの領土を奪い、アラゴン王国の領土を大きく広げ、名君として誉れ高い人物のようです。
ハイメ王は、わが国と通商条約を締結し、わが国の交易船団を、アラゴン王国のバルセロナにも寄港させて欲しいと要望しているようです。いかが致しますか?」
「悪くない話のようにも思えるけど、バルセロナって、ジェノヴァよりかなり先だよね? そんなところまで交易船団を送れるかな?」
「確かに難事ではございますが、ネアルコス提督は、増強した海軍を鍛えるにはよい修行になるのではないかと申しております。アクロポリテス内宰相も、西方にわが国の友好国を作ることは、政治的にも経済的にもメリットが大きいと申されておりました。唯一の問題は、西方貿易で覇権を築いているジェノヴァ人との競合関係が生じ、ジェノヴァとの更なる関係悪化が懸念されることでございます」
「ソフィアはどう思う?」
「難しいところでございます。確かにメリットは大きいのですが、ジェノヴァは将来ヴェネツィアと対抗するにあたり、重要な同盟国であり、どちらが良いとはっきり申し上げる自信はございません。こればかりは、殿下のご決断を仰ぐしかございません」
「どうしようかな・・・」
(どちらを選びますか?)
A アラゴン王国と通商条約を締結し、バルセロナへ交易船団を送る。
B アラゴン王国との通商条約締結は、ジェノヴァとの関係を考慮し、当面見送る。
しばらく迷った末、僕はAを選択した。
「ここは積極策で行こう。アラゴンと通商条約を締結し、今年からバルセロナ行きの通商船団も送ることにする」
「ですが、ジェノヴァとの関係はいかがなさいましょうか?」
「とりあえず、わが国と友好的な、ドーリア家の政権奪還を支援する。その一方で、フィエスキ家やグリマルディ家とも接触し、彼らとの外交ルートも開いておいてくれ」
「しかし、彼らとの外交が上手く行くでしょうか?」
「もし、彼らとの紛争になったら、テオドラたちを彼らとの戦いに投入する。わが国と戦っても勝ち目がないと分かれば、彼らもわが国と交渉する気になるだろう」
「分かりました。その方向で試してみます」
「報告はまだあるの?」
「まだございます。エピロスの皇帝テオドロスは、ラテン人のアカイア公国とアテネ公国、セルビアとの同盟締結に成功し、彼らからの援軍を引き出し、春頃には約8万の軍勢を揃える見込みが立ったようです。ヴェネツィアも、ここで諦めては今までの投資が無駄になるとして、エピロスへの援助を続けているようです。
わが国も、同盟締結の阻止を試みたのですが、いずれの国もかつてはローマ帝国領だったこともあり、座視していればわが国に侵略されるという危機感が強かったようです。ただし、交渉の過程で、どの国も国内には我が国寄りの有力者も相当数いることが分かりましたので、皇帝テオドロスを相手に大きな軍事的成功を収めれば、流れは一気に変わる可能性がございます」
「これは戦況次第ということか」
「その他、ゾエ皇女の一団は無事サライに到着し、厚遇を受けているとの報告が入りました。また、エウドキアからの情報によりますと、フラグ率いる西征軍は約20万人規模であり、最初の攻略目標はバグダードで、これを攻略したらシリアやエジプトを目指す方針のようです」
「それは怖いね。エジプトまでモンゴルに征服されたら、わが国もいよいよ、進んでモンゴルの属国になるしか方法はなくなりそうだ」
・・・以前より状況はマシになったものの、この帝国はまだまだ、難しい舵取りを迫られるようだ。
第11章 もう1つの包囲網
ソフィアの報告には、まだ続きがあった。
「諸外国の情勢に関する報告は以上になりますが、最後に1つだけ、殿下に強く申し上げておきたいことがございます」
「何? 急に」
「せめて、イレーネ様だけでも、子作りのお相手をさせることはできませんでしょうか?」
「イレーネは帝室の出身だし、預言者様だし、むしろ子作りしてはいけない相手なんじゃなかったの? 一体どういう風の吹き回しで、そういう話になったの!?」
「私も最近知ったのですが、いつもイレーネ様のご入浴は、殿下のすぐ後になっております。その点は殿下もご存知ですよね?」
「確かに知ってるけど」
「どうやら、あれはイレーネ様の強いご意向のようなのです。そして、殿下のご入浴後、私どもが殿下の脱がれた衣服を取りに行っても、いつの間にかなくなっているのです。そして後日、イレーネ様付きの侍女たちが、きちんと洗濯した上で私どものところに戻してくるのです。最近はこうしたパターンが常態化し、私どもが殿下の衣服を取りに行くこと自体、なくなってしまいました」
「・・・・・・」
何か嫌な予感がする。
「私どもとしては、殿下の衣服を洗濯する手間が省けるので、あまり気にしていなかったのですが、最近イレーネ様付きの侍女と話し、一体殿下の服が何に使われているのかと尋ねたのです。そうしたら、大変申し上げにくいのですがと前置きした上で、大変なことを聞いてしまいました」
「・・・どんなこと?」
「イレーネ様は、かなり幼い頃から、自瀆行為の性癖がおありだったそうです。そして、殿下がいらっしゃって2年目あたりから、明らかに殿下を性的欲求の対象と見るようになり、殿下の衣服を密かに持ち去っては、その匂いを嗅ぎながら自瀆行為に耽るのが毎晩の日課になってしまわれているそうです。
しかも、最近は明らかに殿下のお顔を模したイコンをお作りになり、そのイコンを抱きながらお休みになったり、殿下のプリアポスを模した神具を作ろうとして侍女に止められたり、最近は殿下が自分の姿を見ると強く発情する効果を持つブレスレットまでお作りになってしまわれたようです。
殿下とイレーネ様の仲は、もはや軍の中でも公然の秘密となっておられるようですし、最近殿下がイレーネ様のお相手をあまりなさっておられないので、イレーネ様の欲求不満は、もはや侍女たちがこれ以上見ていられないレベルになってしまっているそうです。
もはや、イレーネ様にこれ以上処女を守らせるのは難しいようですし、私どもとしましても、マリアがいないときに、子作り抜きで殿下を満足させるのが次第に難しくなってきておりますので、この際協力して殿下とイレーネ様をくっつけてしまおうという結論になったのでございます」
「・・・僕の意向を無視して、勝手に結論を出さないで欲しいんだけど」
「殿下、よくお考え下さいませ。今でも、マリアが生理休暇中のときは、殿下も相当欲求不満に苦しんでおられるようですし、そのうちマリアも、殿下の子を妊娠するでしょう。そうなれば約1年間は、マリアと子作りをすることはできません。
普通の殿方でも多くは我慢できないのに、かなり精力旺盛な殿下が、1年間も子作りを我慢できるとは思えません。殿下がマリアをお気に入りなのは百も承知でございますが、マリア1人に殿下のお相手をさせるには、どう考えても無理があります。
いい加減、殿下もお考えを改めてくださいませ」
「・・・考えてみる」
・・・要するに、時々イレーネを満足させてあげればいいんだよね。
それが、僕の出した結論だった。
男の子にとっては、子作りとそれ以外のエッチなことでは、快感が桁違いに違うけど、女の子にとっては必ずしもそうではない。今までやっていたように、子作り以外の方法でイレーネを時々気持ちよくさせてあげれば、問題はそれで解決するのだ。
しかし、実際にやってみると、
「・・・どうして、子作りだけはしてくれないの?」
イレーネはまだ不満そうだった。
「悪いけど、子作りの相手をさせるのは、マリアだけと決めているから」
「でも、あなたは私に、激しく欲情しているはず」
「しているけど、そのブレスレットのおかげで、僕はイレーネと最後までしなくても、大事なもの同士をこすり合わせるだけで満足できちゃうから」
イレーネは、僕を発情させて子作りに持ち込もうとして、変な術のかかったブレスレットを作ったみたいだけど、僕はその効果を逆手に取った。あまりに興奮するので、僕のものはイレーネの大事な場所にこすりつけるだけで暴発してしまい、逆に子作りを回避できるのだ。
「・・・作戦失敗。別の策を考える」
それでも、イレーネはまだ諦めていないようだった。
僕を子作りに誘惑しようとするのは、イレーネだけではなかった。
「みかっち、今日は前の方もマッサージしなさい」
「前も!?」
僕は、以前から時々、テオドラのマッサージをさせられていたのだが、最近のテオドラは、背中をマッサージするだけでは満足せず、裸で仰向けになり、エッチなところまでマッサージするように要求するようになった。
でも、テオドラはイレーネなんかと違って、一方的に奉仕を要求してくるだけなので、当然僕の下半身は、激しい欲求不満状態に陥る。それを知っているテオドラは、こんなことを言ってくる。
「みかっち、あたしたち婚約者同士だから、別に子作りしてもいいのよ♪」
もっとも、テオドラと子作りしてしまったら、その時点でテオドラと結婚成立になる。それは嫌だったので、僕はマッサージを終えると、逃げるようにテオドラ用のマッサージ室を立ち去った。
しかし、僕は間もなくルミーナに捕まり、別室へ連れ込まれた。
「殿下、大変そうですね。このルミーナと、気持ち良い事しませんか?」
ルミーナは服を脱ぎながら、僕を誘惑してきた。ルミーナの言う「気持ち良い事」が子作りであることは明らかだったので、僕は引き止めようとするルミーナを必死で振り切り、何とかマリアのいる自分の部屋まで戻ってきた。
「ご主人様、お帰りなさいませなので・・・きゃっ!?」
我慢の限界に達していた僕は、その場でマリアを押し倒してしまった。
「・・・ご主人様、わたしを愛してくれるのは嬉しいのですけど、さすがに昼間から、いきなり子作りをするのは、どうかと思うのです」
「マリア、ごめん。最近色々あって、夜だけじゃ満足できなくなってきて」
最近、僕の性欲は異常なレベルに達している。不審に思った僕は、イレーネでは信用できないので、医師でもあるプレミュデス先生のところへ相談に行った。
「これは殿下、いかがなさいましたかな?」
「プレミュデス先生、最近僕の身体がおかしいんです。診察して頂けないでしょうか」
「具体的に、どこがおかしいのですかな?」
「最近、若い女の子を見ただけで、見境も無く無性に子作りをしたくなったり、マリアとの子作りも夜だけでは足りず、多い日は1日10回も子作りをしてしまったり、僕は何かの病気に掛かってしまったのではないかと思うんです」
プレミュデス先生は、僕の話を聞き終え、一通り僕の身体を診察すると、こう診断してくれた。
「殿下、それは病気ではございません。子作りを覚えたばかりの男は、子作りの腕を上げるために、性欲が飛躍的に高まり、可愛い女子を見れば片端から子作りしたくなるように出来ているのです。女子に不自由しない皇族などの若い男は、大体8割方、子作りに夢中になる時期がありますからな」
「じゃあ、残りの2割は?」
「そうならない男は、比較的性欲が薄いので、1人か2人くらいの女でも満足するのです。殿下は、性格こそ真面目でいらっしゃいますが、精力はむしろ絶倫でございますから、ご自分の欲求に正直になることが出来ず、それで病気だと錯覚されているのでしょう」
「・・・じゃあ、僕が見境なく女の子に欲情してしまうのは、仕方がない事なんですか?」
「そういうことです。ただ、殿下の場合には、どうやら別の事情もおありのようですな」
「それは何ですか?」
「この国には、殿下との子作りを望む女性はいくらでもおりますからな。殿下のお身体には、生殖能力を高める、かなり強力な術が何度も掛けられ、また精力を高めるための薬や、性欲を高めるための媚薬などを何度も飲まされている形跡がございます。おそらく、宮殿の女たちは、何とか殿下の寵愛を得ようとするあまり、寄ってたかって、殿下にそのような術を掛けたり、薬を飲ませたりしているのでしょう」
「・・・僕は、一体どうすればいいんですか」
「もはや、ご自分の欲望に正直になるしか、他にございませんでしょう。殿下には世継ぎのほか、政略上多くの子供をもうけて頂く必要がございますからな」
その後、僕は他の人にも相談してみたが、誰もプレミュデス先生と似たような答えだった。
「殿下、ゾエ皇女様のように、将来政略結婚の駒となる子供を多く作っておくことは、大切でございます。それも殿下のお務めと考えて下さいませ」と、アクロポリテス先生。
「1人のメイドだけを寵愛するというのは、むしろ他のメイドたちにとって、不公平なのではないでしょうか」と言ってきたのは、パキュメレス。
「大将、女に不自由しないのが一番の役得なんだから、好きなだけ楽しめばいいじゃないか。俺はむしろ、大将が羨ましいぜ」とテオドロス。
比較的真面目なコンスタンティノスでさえも、こんなことを言ってきた。
「私は、殿下ほど精力旺盛ではありませんが、それでも子作りの練習相手に指名しているメイドは3人おります。相手が1人では、むしろその女性に大きな負担がかかってしまうのではないでしょうか」
「アレス、確か君は、女性に二股をかけるのは良く無いって言ってたよね!? さすがに、アレスは僕の味方だよね!?」
「確かに、そう申し上げたことはございますが、殿下の場合は別でございます。殿下は立場上、何もしなくても女性にモテすぎて、相手を1人に絞るなど不可能でございますから、女たちの嫉妬が渦巻くハーレム生活を、何とか上手く渡り歩いて頂くほかございません」
・・・この世界に、僕の味方は1人もいないのか。
「イレーネ! このままじゃ、僕は日本で生活できなくなっちゃうよ!」
僕は最後の手段として、僕をこの世界へ召喚したイレーネに抗議してみた。
「もとより、そうするのが私の目的。それに、あなたの国にも、精力絶倫で多くの愛人を抱えている男性はそれなりにいる。仮に日本に戻っても、生活できないということはない」
「僕は、そういう生活を望む人間じゃないし、日本では彼女もいないんだけど」
「問題ない。仮に、あなたがこの世界で役割を終え、日本へ戻ることがあったとしても、その時には私も責任を取って付き従い、性奴隷としてあなたの性生活をサポートする。あなたは何も心配せず、私を欲望のはけ口にすればいい」
・・・やはり、イレーネに相談した僕が馬鹿だった。
そして、僕はソフィアからも、更なる子作り説教を受けることになった。
「殿下、いい加減イレーネ様だけでも、子作りの相手に加えられてはいかがですか?」
「・・・イレーネだけって言っても、絶対2人だけじゃ済まないような気がするんだけど」
「むろん、私も殿下のご寵愛を望んでいる女ですし、他の女たちも殿下を放っておくとは思えませんから、やっと殿下のおかしなタガが外れたと喜んで、さらにたくさんの女たちが殿下に群がってくると思いますが」
「僕のやっていることは、そんなにおかしいの?」
「明らかにおかしいですわよ。最初のうちはともかく、殿下も最近は子作りが上手くなられて、マリアも最近は、殿下のお相手をするだけでほとんど体力を使い果たし、他の仕事を任せられない状態です。そのうち、マリアだけでは限界を超えてしまうことは目に見えています。
他のメイドたちも、どうしてマリアだけあんなに気持ち良さそうなことをしてもらえて、自分たちには何もしてもらえないのかと不満を持っています。このままでは、マリアは他のメイドたちを敵に回してしまいますから、殿下も他の女たちを、もっと可愛がって頂きませんと。
・・・あともちろん、この私も可愛がってくださいませ。少なくとも、あのルミーナに先を越されたくはないのです」
「マリア。僕の相手をするのが体力的につらいって、本当なの?」
「ご主人様・・・。マリアは、いつもご主人様に可愛がって頂けて、とても嬉しいのです。・・・ですけど、最近はちょっと、子作りの回数が多すぎるかなって気はするのです。
ご主人様が、他の女の子に手を出されても、わたしが何も気にしないと言ったら、嘘になってしまうのです。・・・でも、わたしだけではご主人様のお相手が務まらないのであれば、それはわたしの責任ですから、それも仕方ないことなのです」
微妙な答えだった。マリアも本音では、僕が他の女性に手を出すのは嫌のようだった。
イレーネやソフィアなどをはじめとする、女たちによるミカエル・パレオゴロス包囲網。
崩れかかった皇帝テオドロスによる包囲網などより、こちらの包囲網の方がむしろ恐ろしく、僕を困らせる存在だった。
(第5話後編に続く)
<あとがき>
「どうも。本編の主人公、榊原雅史こと、ミカエル・パレオロゴスです」
「テオドラでーす! なんかみかっち、元気ないわね。子作りのやり過ぎじゃない?」
「そうじゃなくて! 僕は、普通に1人のお嫁さんをもらって、平穏な生活がしたいだけなのに、どうしてみんな、寄ってたかって邪魔をするんだよ・・・」
「でも、みかっちの身体はそう言ってないわよ」
「僕の下半身を凝視しながら言うの止めて!」
「でも、今回は戦争が、いまいち盛り上がらない展開だったわね。みかっち包囲網も、そんなに大したことなさそうだし」
「信長包囲網だって、実際にはそんなに大したことなかったでしょ。この時代の多国籍軍っていうのは、数の割に連携が取れておらず、結果を出せないという例がほとんどで、ヨーロッパでも、対オスマン十字軍なんかがその典型」
「じゃあ、このまま楽勝でどんどん進んじゃうの? それじゃつまんなくない?」
「そうはならないよ。作者のプロットに書いてある、第6話以降の僕を待ち受ける運命を考えると、ああ、できれば先に進みたくない」
「でも、話はむしろ、そこから盛り上がるのよね?」
「その予定だけどね。じゃあ、結果が見えている第5話後編に、さっさと行きましょう」
「・・・みかっちがやる気ないなら、あたしが頑張って話を盛り上げるしかないわね」
「いや、余計なことするのは本当に止めて! 一歩間違えたら、モンゴル軍が攻めてきて、国家滅亡でゲームオーバーになっちゃうから!」