第6話前編 帝国の凋落

第6話前編 帝国の凋落

第1章 解任の事情と引継ぎ

 僕は、ゲオルギオス・ムザロンという人物から、突然帝国摂政と、軍総司令官の地位を解任すると告げられ、呆然自失の表情でニュンフェイオンに戻ってきた。

「殿下。一体何があったのですか?」

「ソフィア。僕は、もう殿下じゃないよ。たった今、摂政を解任されちゃったから」


 あまりの事態に、僕は何もする気になれず、代わりに内宰相のアクロポリテス先生、パキュメレス、ソフィアなどが、一体ニケーアで何が起こったのか、事情を調べるために駆けずり回ることになった。

 その結果、翌日の朝には、僕はソフィアから、イサキオス帝の周囲で一体何が起きていたのか、詳しい事情を聞くことが出来た。


「殿下、イサキオス帝には、短期間皇帝に在位し、すぐに殺されたアレクシオス4世という息子がおられたことはご存じですわね?」

「うん、その話は知ってる」

「その、アレクシオス4世には、子供はいないと思われていたのですが、廷臣の一人ゲオルギオス・ムザロンという、阿漕な金策で歴代皇帝に取り入り評判の悪かった男が、自らの娘アレクセイアを、妻のいなかったアレクシオス4世と秘密結婚させていたというのです。

 そして、アレクシオス4世が暗殺されたとき、既にアレクセイアはアレクシオス4世の息子を身籠っており、アレクセイアは無事に男児を出産したそうです。その息子には、ヨハネスという名前が付けられました。

 そして、ゲオルギオス・ムザロンは、聖なる都が陥落した後、一族と共にいずこかに潜伏していたところ、殿下がジェノヴァへ遠征に出掛けている間に、ヨハネス皇子を連れてイサキオス帝に謁見したところ、イサキオス帝は大変お喜びになり、ご自分の孫にあたる7歳のヨハネス皇子を自らの帝位継承者に指名されたそうです。

 それと併せて、殿下に代わり、ヨハネス皇子の祖父にあたるゲオルギオス・ムザロンを帝国摂政に任命し、その弟エルルイオス・ムザロンを帝国軍総司令官に任命することを内々に決めており、殿下が年頭のご挨拶に行かれた際に、その人事を殿下に告げる段取りとなっていたそうでございます」


「・・・僕には、そんな話、全然耳に入ってこなかったけど?」

「申し訳ございません。ニケーアの情勢については、何か変事があればオフェリア様が報告して頂ける手筈になっていたところ、オフェリア様からは全く何の連絡もございませんでしたので、私も警戒を怠っておりました。

 オフェリア様に、そのように重大なことを、どうして私たちに知らせてくれなかったのかと問い詰めてみたところ、オフェリア様は『私も知りませんでした』の一点張りで、埒が明きませんでした。

 オフェリア様は、長らく帝国の侍従長を務められ、私も信頼できる立派なお方だと思っておりましたが、全くの錯覚でした。あのオフェリア様が、宮殿内のそんな露骨な動きにも気付かない、無能な御方であったとは知りませんでした。これは、私の落ち度でございます」

「いや、僕もオフェリアさんは信頼できる人だと思っていたから、君の責任ではないよ」

「・・・そして、殿下の処遇がどうなるのか、新摂政のゲオルギオス・ムザロンに問い合わせたところ、殿下は特に罪を犯されたわけではないため、デスポテースの爵位と、殿下に与えられた私領については剥奪しない、ただし帝国の直轄領と、帝国軍については速やかに引き渡せと申しております。いかがなさいますか?」

「どうするも何も、今の帝国摂政は僕ではなく、あのムザロンだ。そのようにするしかないだろう」

「殿下! 帝国の再興に多大な貢献をなされた殿下に、イサキオス帝とムザロンからこのような仕打ちをされて、殿下はただ、黙って言われたとおりにされるお積もりなのですか!? 殿下の直轄軍は、皆殿下のお味方です。

 殿下が、そのような人事など認めぬと仰られて反乱を起こせば、少なくとも殿下直轄軍の将兵たちは、皆ムザロンではなく、殿下に従うでしょう。この際、反乱を起こしてムザロン一族とイサキオス帝を抹殺し、殿下自身が皇帝に即位してしまわれれば宜しいではありませんか!」

「・・・僕には、もともと皇帝になろうなどという野心はない。そんな気があるなら、もうとっくにやっている。聖なる都を奪還し、このローマ帝国が滅亡の危機から脱すれば、僕は潔く摂政の座を明け渡し、自分の生まれ故郷に戻るつもりだった。それが、イサキオス帝の判断で、予定より若干早くなっただけのことだ」

「殿下、問題となるヨハネス皇子について、本当にイサキオス帝の孫であるか、イレーネ様に鑑定をお願いしたところ、確かにヨハネス皇子はアレクシオス4世の息子であるが、秘密結婚の証書については、後から偽造されたものである可能性が高いとのことでした。

 そうであれば、ヨハネス皇子は単なる非嫡出子に過ぎず、帝位を継承する資格はございません。反乱を起こす大義名分は十分にございます」

「別に、帝位を継承する資格は、僕にも無い。イサキオス帝が庶子であろうと、自分の孫を帝位継承者にするというのであれば、そうすればいいだろう。大義名分があろうとなかろうと、僕は反乱を起こしてまで、皇帝になろうとは思っていない」


 その後、アクロポリテス内宰相、パキュメレス、ゲルマノス政務官などにも同じようなことを言われたが、僕が意志を曲げることは無く、政務の引継ぎは粛々と行われた。
 もっとも、僕はこれまで、帝国の家臣と僕個人の家臣、帝国軍と僕の私兵を区別していたわけではないので、政務の引継ぎにあたり、これらの区別をする必要が生じた。

 ムザロン一派は、正教の護持を訴え、聖職者たちに歓迎されているということだったので、まず直轄軍のうち、ヴァリャーグ近衛兵約8千人、ファランクス隊約8千人、弓兵隊約3千人、そして帝国海軍を、軍総司令官のエルルイオス・ムザロンに返還した。

 一方、イスラム教徒であるムハンマド常勝隊、ジャラール率いるトルコ人弓騎兵隊、ティエリ率いるラテン人騎士隊とその従者たち、そして扱いが難しい暗黒騎士隊については、僕の私兵として残した。

 エルトゥルルやオスマンをはじめとする、小アジア北西部に居住するトルコ人弓騎兵隊は、最初から帝国ではなく僕個人の配下であることを表明していたので、選択の余地はなかった。

 また、コンスタンティノス・パレオロゴス、ヨハネス・ヴァタツェス、ヨハネス・カンタクゼノスといった、各地の総督職に就いている者たちについては、僕の私領で総督職を務めている者を除き、ムザロンに仕えることになった。


 問題は、トラキア地方に駐留する、ダフネに率いられた1万8千を超える弓騎兵隊の扱いであった。ダフネの居住地域は僕の私領ではなく、軍の規模からしても僕の私兵とするには無理があったので、返還せざるを得なかったが、当のダフネやその配下たちは、エルルイオス・ムザロンの指揮下に入ることを断固として拒否し、宙に浮いた存在になってしまった。

 一方、僕とテオドラの婚約は解消され、テオドラは妻を亡くしていたゲオルギオス・ムザロンと婚約させられることになり、その従者たちと共に、ニケーアに移り住んだ。他の主な女性術士のうち、イレーネとプルケリアは、断固として僕の許に残ると主張したので、僕個人の家臣となった。エウロギアは、兄であるコンスタンティノスの許に戻った。


 文官たちのうち、アクロポリテス内宰相とゲルマノス政務官は、公式の地位にあるためムザロンに仕えることになったが、パキュメレスとソフィアについては、僕個人の家臣として残した。

 それ以外の文官、例えばニケフォロス・スグーロス、ヨハネス・ペトラリファス、ヨハネス・マウロゾメスといった家臣たちについては、彼らがムザロンに仕えることを望まず、またムザロン側も要らないと言ってきたので、僕個人の家臣として残った。

 結局のところ、軍の指揮を執らない文官などで、ムザロンに仕えることになったのは、アクロポリテス内宰相と、ゲルマノス政務官だけになった。

 なお、僕の『殿下』という呼び方に付いては、帝国摂政では無くても、皇帝に次ぐ地位であるデスポテースの爵位にある者は当然『殿下』と呼ぶべきものだということなので、パキュメレスやソフィアをはじめとする僕の家臣たちは、引き続き僕のことを『殿下』と呼ぶようになり、その点については僕も黙認した。

「殿下、どうして、皇帝になることを、そこまで嫌がられるのですか? ムザロンの指揮下に入った将兵たちは、皆口々に不満を唱えています。一度殿下が起ち上れば、彼らは皆ムザロンではなく、殿下の許に馳せ参じるでしょう」

 パキュメレスが、僕にそんな質問をしてきたので、僕はこう答えた。

「パキュメレスも、この帝国の歴史を学んでいるなら、当然知っているだろう。このローマ帝国の皇帝という地位が、いつ殺されるか分からない、いかに怖い存在であるかを。それに、僕が皇帝になるとしたら、僕の好きなマリアではなく、おそらく帝室の誰かに属する女性を、妻に迎えなければならない。
 好きな女性と結婚することも出来ず、しかもいつ殺されるか分からない、ローマ皇帝なんて地位に、初めから僕は興味が無かった。むしろ、他にやってくれるという人間が現れてくれたので、僕は安心しているくらいだよ」

「ですが、あのムザロン兄弟に、ローマ帝国の統治が務まるとお考えですか?」
「そんなことは、実際にやらせてみなければ、分からないだろう」


 実際のところ、僕が摂政を解任されてから、最初の1か月ほどはむしろ楽しい生活を送っていた。

 摂政であった頃は、自分の考えた政策が上手く行くかどうか、戦争で味方の兵を死なせることなく上手く勝てるかどうか、そんなことで頭が一杯で緊張の連続だったが、今では統治体制がかなり安定した、ニュンフェイオンを中心とする広大な私領の領主に過ぎない。

 政務の負担は、全く無くなったわけではないけど、ずいぶんと軽くなった。また、スミルナから出航するジェノヴァ交易船団と、バルセロナ交易船団については、僕の私的事業として継続されている。エジプト船団と黒海船団については、国営事業としてムザロンに引き渡したが、別に僕がこれらの事業に投資するなとは言われていない。

 僕配下の文官たち、特にソフィアが領地経営にかなりの手腕を発揮していることもあって、僕個人の家臣たちや、僕の私兵となった軍を養うには、経済的に全く困らない。

 そして、余暇の時間が多くなったことで、愛するマリアと一緒に過ごせる時間は、圧倒的に長くなった。マリアと一緒に運動をして、マリアの美味しい食事を食べ、そしてマリアとたっぷり子作りの時間を過ごす。まるで、天国のような生活だ。
 マリアも、体力がついたおかげで、僕と子作りの相手をするだけで精一杯ということはなくなり、僕のために趣味の料理をするくらいの余裕はある。特に、政務の仕事がない日曜日などは、マリアとほぼ一日中、イチャイチャしながら過ごすという、夢のような時間を過ごすことさえ可能になった。


「ご主人様、・・・ご主人様とずっと一緒に過ごせるのはうれしいですけど、お仕事とかしなくて、いいのですか?」
「いいんだよ。僕はもう、摂政ではなくなったから、仕事もあんまりなくなった。皇帝をやらされる可能性も無くなった」
「そうなのですか?」

「うん。次の皇帝には、イサキオス帝の孫であるヨハネス皇子が就くことになったから、僕が皇帝になる可能性はなくなった。だから、マリア・・・。改めて、僕との結婚について、考えてくれないかな?」

「わ、わたしが、ご主人様と、結婚、なのですか?」

「そう。たしか、マリアが僕と結婚できないのは、皇后様になれる自信がないからだったよね。もう僕は、皇帝になる可能性はなくて、ただのお金持ち領主だし、政略結婚なんて考える必要もないから、愛するマリアと結婚しても、一向に構わないと思うんだ。

 それに、マリアも僕と正式に結婚すれば、夫婦が仲良く過ごすのは当然のことだから、他の女性たちに妬まれる心配もしなくていい。だから、僕との結婚について、考えてみてくれないかな?」

「ご、ご主人様と、わたしが結婚、なのですか・・・。それでも、畏れ多いような気はしますけど、考えてみることにします、なのです」

 そう答えたマリアは、顔を真っ赤にして俯いていたが、その表情は明らかに嬉しそうだった。これだったら、結婚を承諾してくれる日も近いかも。

「マリア、ありがとう。愛してる」

第2章 ムザロンの暴政

 もっとも、そんな僕個人の幸福をよそに、僕の私領以外では、ビザンティン帝国は次第に悲惨な事態に陥っているようだった。

「殿下、殿下に代わって帝国摂政となったゲオルギオス・ムザロンは、帝国直轄地の多くを自分の一族や支持者たちに分け与え、教会にも多くの土地を寄進しているそうでございます。そして、残された直轄地には、様々な名目で新たな税を課し、ムザロンは帝国の臣民たちから、非難と怨嗟の的となっているそうです。
 そして、ムザロンや聖職者たちを批判する者たちは、容赦なく弾圧の対象となっているそうです」

「・・・ソフィア。ムザロンは、一体何をやっているんだ」

「かの者は、真剣にこの国のことを考えておられた殿下とは大きく異なりまして、要するに自分たちの私腹を肥やす一方、自分への支持を固めるため、聖職者たちのご機嫌を取ることくらいしか頭にないのでございます。
 何でも、国営船団の交易収入についても、大半は国庫に納入することなく、自分たちの懐に入れているとか」

 そんなソフィアの報告を聞いて、僕は次第に、この国の行く末が心配になってきた。


 そんなある日。ムザロンの配下に付けたテオドロス・ラスカリスと、アレスが僕を訪ねてくるというので、マリアとの子作り中だった僕は、慌てて服を着て、謁見室に彼らを通した。

「やあ、テオドロス、アレス、久しぶりだね。元気にしているかい?」
「・・・大将、俺たちとの面会までこれだけ時間がかかるってことは、昼間から例のメイドと子作りしてたんだろ」
 テオドロスに図星を指された僕は、仕方なく認めた。
「まあ、暇で他にすることがなかったから・・・」

「大将! 大将が呑気にしている間に、俺たちは大変なことになってるんだよ!」
「殿下、ゲオルギオス・ムザロンは、資金不足で私たちに対する給料を支払えないと言ってきたのです! これでは、私や兵士たちは、生活していくことが出来ません!」

 テオドロスやアレスのそうした訴えを聞いて、僕は怪訝な顔をした。

「そんなバカなことがあるか。アクロポリテス内宰相の政策もあり、わが国の国庫は相当豊かになっているはずだ。ムザロンが余程馬鹿なことをしないかぎり、そなたたちに対する給料を支払えないなどという事態が、生じ得るはずはない」

「だから、ムザロンは大将の言う、余程馬鹿なことをやってるんだよ! 大将、何とかしてくれよ!」

「・・・テオドロス、僕はもう帝国摂政では無いし、君も僕の部下ではない。そういうことは、僕ではなく、君の上司であるエルルイオス・ムザロンか、摂政のゲオルギオス・ムザロンに言うのが、筋というものだろう」

「あいつらに言っても埒が明かねえから、こうして大将のところに来てるんだよ! そもそも、大将があいつらに抵抗せず、むざむざと帝国の統治権をあいつらに明け渡したから、俺たちが苦労してるんだ! 何とかしてくれよ!」

「・・・仕方がない。僕が直接、ムザロンに掛け合ってみよう。テオドロス、アレス、付いてきてくれ」


 僕は、移動拠点を使って、ニケーアにいる帝国摂政、ゲオルギオス・ムザロンの許へ赴いた。

 僕がニケーアに来たと分かると、テオドロスとアレスだけではなく、ラスカリス将軍、ネアルコス、その他先月までは僕に仕えていた将校たちが揃って僕に付いてくるようになり、ムザロンに面会する頃には、僕に付き従う将校は結構な数になった。


「これはこれは、ニュンフェイオンの領主、ミカエル・パレオロゴス殿ではありませんか。帝国摂政であるこの儂に、一体何の御用ですかな?」

「ゲオルギオス・ムザロン。余は、ローマ帝国の前摂政として、後任である卿へ忠告に来たのだ」

「はてさて、どのようなご忠告ですかな?」
「帝国摂政という仕事は、帝国を私物化してよいというものではない。皇帝陛下に代わって、この国のかじ取りをする責任がある。そのことは、卿も分かっているな?」
「もちろん、そのようなことくらい、十分承知しておりますとも」

「・・・分かっているのであれば、帝国軍の将や兵士たちに給料を支払うことすら出来ないというのは、一体どういうことだ? 余が摂政を務めていた頃は、帝国は今よりずっと貧しかったが、そのようなことは一度もなかったぞ」
「どういうことと申されましても、実際国庫にない以上は、致し方ございませぬ」

「ふざけるな! 卿が、本来帝国の国庫に入るべき金の多くを、着服しているのは余も知っている。国庫に金がないというのであれば、そなたの私財から給料を支払えばよいだろう」

「ミカエル・パレオロゴス殿。儂はイサキオス帝から直々に任命された、帝国摂政でございますぞ。ただのデスポテースに過ぎないミカエル殿から、そのような命令を受ける謂われはございませぬ」

「ムザロン。先程も申したが、余は命令ではなく、卿へ忠告に来たのだ。卿は帝国摂政である以上、兵士たちに給料を支払うといった最低限のことは、卿の私財を投じてでもやるべきだ。さもなければ、大変なことになるぞ」

「・・・どう、大変なことになると仰るのですかな?」

「余の後ろに控えている将校たちは、卿のところへ直談判に行っても埒が明かないというので、わざわざ余のところへ、助けを求めに来た。卿が、余の説得にも応じないと分かったら、絶望した軍の将校たちは憤激のあまり、卿をこの場で殺してしまうかも知れぬ。
 余は、既に彼らの上司では無いので、彼らが暴走しこの場で卿を虐殺したとしても、余にはこれを止める手段がない」

 僕の台詞を聞いて、真っ先に僕の意図を察したラスカリス将軍が、その場で剣を抜いた。他の将校たちもそれに倣い、それぞれ武器を構えてムザロンに対峙した。特にテオドロスは、大きな戦闘斧を構え、今にもその場でムザロンを斬り殺してやろうかという表情を見せている。

 さすがのムザロンも、これには慌てたようだ。

「み、ミカエル殿、そなたは帝国摂政である儂を、この場で殺すと言うのか!?」

「そのようなことは、一言も言っていない。この場で、卿を殺そうと思っている者がいたとしても、それは余の意志ではなく、そなたの弟エルルイオスの部下である、帝国の将校たちが勝手にやっていることに過ぎない。
 つまり、卿がこの場で殺されたとしても、それはそなたとその弟が、帝国軍を掌握できておらず、給料すら支払えないことに起因するもの。それは卿らの自業自得であり、余の知ったことではない。

 さあ、帝国摂政ゲオルギオス・ムザロン殿、選ぶがよい。自らの私財をはたいてでも彼らに給料を支払うか、それとも給料の支払いを拒否して、怒り狂った彼らにこの場で殺されるか!」

「わ、分かりました、ミカエル殿。彼らの給料は、儂が責任をもって支払います! ですから、ミカエル殿のお力で、何とか彼らを宥めてくださいませ!」


「分かれば良い。あと、これも卿に対する忠告であるが、そなたたちに忠実でない彼らを解雇しようと考えているのであれば、それは止めておいた方がよいぞ」

「・・・なぜでございますか?」

「彼らは、卿によって解雇されれば、おそらく真っ先に、余の許へ仕官を求めにやってくるだろう。余の私領には、まだ経済的にも余裕があり、また長年の戦友でもある彼らを見捨てるには忍びないので、余もそのような事態になったら、彼らを余の私兵として、暖かく迎える所存である」

「・・・・・・」

「そして、余はイサキオス帝への忠誠を破る気は無いが、卿に忠誠を誓ったことは一度も無い。これは余の本意ではないが、かつて余の許で仕えていた将兵が、ことごとく余のもとへ駆け込んでくる事態になったときは、さすがに余も、卿を帝国摂政としては不適格であると判断せざるを得ない。
 その時は、君側の奸を除くという大義名分の許、余は卿を打倒するための兵を挙げ、イサキオス帝とヨハネス皇子はともかく、少なくとも卿とその一族は皆殺しにせざるを得ないであろう。

 そのような事態にならないよう、エルルイオスの許に返還した帝国軍については、そなたの責任で頑張って維持するがよい。念のため言っておくが、これはあくまで卿に対する忠告であり、命令ではない。余の忠告を、よく頭に入れておくがよい」


 こうした、僕の忠告という体を繕った事実上の脅迫により、将兵たちの給料は、時々多少の遅れはありながらも、一応支払われるようになった。

 その顛末を聞いたソフィアは、僕にこんな事を言ってきた。

「殿下、君側の奸を除く御覚悟が出来ておられるのであれば、今すぐにでも実行されてはいかがでしょうか? 今なら、兵士たちのみではなく、重税に怨嗟の声を上げている民衆たちも、喜んで殿下のお味方となるでしょう」

「ソフィア、僕がムザロン打倒の兵を挙げるというのは、あくまで最後の手段だ。もう何度も言ったことだが、僕は皇帝になる気は無い。ムザロンに対する脅迫まがいのことも、僕としては、出来ればやりたくなかったんだ。

 皇帝になんかなりたくないのに、僕が帝位を狙っているなどと、あらぬ疑いをかけられるおそれがあるからね」


第3章 神明裁判

 世界暦6760年11月。
 僕が、摂政を解任されてから、約2か月が経過した。

 僕は、相変わらずマリアと過ごす時間が多くなっていたが、ある日マリアから、こんなことを尋ねられた。

「ご主人様、ちょっと分からないことがあるので、ご主人様にお聞きしたいのです」
「何が聞きたいの、マリア?」

「その、・・・ミカエル・パレオロゴス様というのは、一体どういうお方なのですか?」
 マリアの言葉を聞いて、僕は盛大にずっこけた。


「ご主人様! どうなさったのですか!?」
 ずっこけた僕を、真面目に介抱しようとするマリアに向かって、僕は言い放った。

「僕のことだよ!! マリア、君はもう7年以上も僕に仕えて、しかも夫婦同然の生活を送っているのに、僕の名前すら知らないなんてことがあり得るの!?」

 僕が声を荒げると、マリアは急にしゅんとした顔になった。

「・・・ご主人様、ごめんなさいなのです。わたしは、ご主人様のことを、いつもご主人様としか呼んでいませんでしたし、他のメイドさんたちも、ご主人様のことを、『ご主人様』か『殿下』としか呼びませんから、わたしはご主人様が、そのようなお名前であることを、本当に知らなかったのです」

 必死に謝ってくるマリアを見て、さすがに僕も怒る気を失くし、逆に可哀そうなことをしてしまったと思うようになった。

「ごめんね、マリア。まさか、君が僕の名前も知ることのできない状況にあったなんて、思っていなかったんだ。さっきは怒っちゃってごめんね」
「・・・わたしも、ごめんなさいなのです。ソフィア様と違って勉強不足で、ご主人様の名前も覚えていなかったなんて、わたしはご主人様のメイド失格なのです」
「もう、そのことは気にしなくていいから。ところでマリア、どうして急に、僕の名前のことが気になり始めたの?」

「わたしは、町でお買い物に行っている途中、町の人たちがお話ししているのを聞いたのです。町の人たちは、口々に、次の皇帝にはヨハネス皇子などではなく、ミカエル・パレオロゴス様がなるべきだと話していたのです。
 ですから、わたしは、ミカエル・パレオロゴス様というのはどういう人なのかと、気になってご主人様にお尋ねしたのです。これで、やっと謎が解けたのです。
 ・・・ということは、ご主人様は、町の人から次の皇帝になるべきだと言われるくらい、皆さんから尊敬されている、とっても偉い人だったのですね!」
 当のマリアは、僕の評判を無邪気に喜んでいたが、僕は逆に恐ろしくなった。


 その後間もなく、僕はフィラデルフィアの大司教から、召喚を受けた。ちなみに、フィラデルフィアはテオドロス・マンカファースの支配している町で、熱心な正教徒を自称している彼は、ムザロンに取り入っているらしい。

 僕は、大司教から派遣されてきた使者に、事情を尋ねた。
「フィラデルフィアの大司教が、僕に何の用だ?」

「ミカエル・パレオロゴス殿。貴殿には、イサキオス帝への謀反を企んでいるとの告発がございました。その告発について審理するために、フィラデルフィアにお越し頂きます」
「イサキオス帝への謀反など、全く身に覚えのないことだ。一体何者が、そのような告発をしたというのだ?」

「先日、ニケーアの町である兵士が、次の皇帝にはヨハネス皇子ではなく貴殿がなるべきであると主張し、摂政のムザロン殿下に忠実な兵士と喧嘩になりました。
 この件については、果し合いによる裁判が行われ、その兵士は果たし合いに敗れて死亡しましたが、その兵士と喧嘩をした者は、このような言動は絶対かの者の一存ではない、貴殿こそがその黒幕に違いないと、ミカエル殿を告発しております。
 ミカエル殿には、その告発に関する審理を受けて頂きます」

「では、余はフィラデルフィアで、その告発者と果し合いをすればよいのか?」

「いえ、ミカエル殿には、果し合いではなく、神明裁判を受けて頂きます」

「・・・神明裁判とは何だ?」

「ミカエル殿には、燃え盛った灼熱の鉄球を、その腕に抱えて頂き、火傷をすることなく、その鉄球を所定の場所まで運んで頂きます。それに成功すれば、ミカエル殿は神に嘉された者であるとして、無罪が証明されます」
 ・・・なんという裁判だ。事実上の死刑じゃないか。

「では、明日には、私と共に、フィラデルフィアへ行って頂きます」


 僕は、ソフィアに事情を説明した上で、疑問に思ったことを尋ねた。

「ソフィア、この国には果たし合いとか、神明裁判とか、そのような裁判を行う風習があるのか? 僕は7年にわたりこの国を統治してきたが、そんな裁判の話は聞いたことが無いぞ」

「殿下、もちろんわが国には、そのような野蛮な風習はございません。そのような裁判は、ラテン人の間で行われているという裁判を参考にして、ゲオルギオス・ムザロンがつい最近、新たに取り入れたものでございます。
 もっとも、ヴィラルドワンなどのラテン人から話を聞いたところ、そのような裁判は、ラテン人の間でもそれほど広く行われているわけではなく、特に皇帝フリードリヒ2世が治められていた西ローマなどでは、現在では完全に廃止されているそうです。

 ムザロンが、敢えてそのような裁判を導入したのは、裁判を自分の意のままに操り、自らの支配を強固なものにするためです。聞くところによりますと、先日ニケーアで行われた果たし合いの裁判も、公正な果たし合いとは到底言えず、ムザロン派の兵士は長剣を持って戦った一方、殿下を支持していた兵士は、素手で戦わされたそうです。

 ローマ人の間では、ムザロンが導入したこの新しい不公正な裁判に怯える一方、陰で怒りの声を挙げております。殿下に神明裁判を受けるよう命じられたのも、殿下を怯えさせて、裁判の免除と引き換えに、領地や爵位の返上などを約束させるのが、おそらく真の目的でしょう」

「・・・そういうことか」
「殿下、かくなる上は、神明裁判など拒否し、打倒ムザロンの旗を掲げて挙兵するしかございません。どうかご決断を!」

「いや、そういうことなら、さっさと受けてこよう」
「なぜでございますか!? 灼熱の鉄球などを受けたら、殿下はたちまちのうちに焼け死んでしまいます!」

「ソフィア。僕も最初はそう思ったが、冷静に考えれば、別に何というほどのものではない。僕には、イレーネからもらったネックレスもあるし、神聖術もかなりの腕前だ。神聖術の力を使えば、灼熱の鉄球を手で運ぶくらいの芸当くらい、造作もないことだ」

「左様でございますか・・・」
 僕の言葉に、ソフィアは残念そうな顔をした。どうやら彼女は、僕を何としても皇帝に即位させたいらしい。

「・・・だが、ただ神聖術で運んで見せるというのも芸がない。他の策も試してみるか」


 翌日、僕は使者とともに、フィラデルフィアへ赴いた。フィラデルフィアは、ニュンフェイオンからさほど離れていないものの、移動拠点が設置されていないので、馬に乗っていくしかなかった。
 そして僕には、パキュメレス、ペトラリファス、オスマン、ジャラール、メンテシェ、ティエリ、ジュアン、ヴィラルドワン、イレーネ、プルケリア、合計10人のお供が付いている。

 僕は、死ぬ心配はないからと皆を説得したのだが、どうしても心配だからというので、連れて行くことにした。フィラデルフィアには、普通に馬で行ったら3日ほどかかるが、僕にはそんなに長い間禁欲生活を送るのは不可能なので、『神速』の術を使って飛ばしに飛ばし、3時間ほどでフィラデルフィアに到着した。

 そんな僕を見て、プルケリアが僕に話し掛けてきた。

「殿下、いつの間にか神聖術の腕も、かなり上げておられるのですね。適性79の術士が、そこまで出来るという話は聞いたことがございません」
「まあね。テオドラには内緒だけど、今ではエクスプロージョンくらいなら、テオドラに頼ることなく、僕でも使えるよ」

「一体どこで、そのように常識ではあり得ない、術の使い方を習得されたのでございますか?」
 ・・・まあ、実際には神聖結晶を集めまくったおかげで、僕の適性がプルケリアと同レベルの93に達していること、イレーネと抱き合ってエッチなことをすることで、イレーネから様々な術の使い方を伝授されることが主な原因なのだけど、プルケリアにそれらを喋るわけには行かないので、僕は適当に誤魔化すことにした。

「詳しいことは言えないけど、イレーネに教わった。イレーネは、表向きこそ適性91の術士ということになっているけど、実際には僕にもよく分からない、異様な能力の持ち主なんだよ」

「・・・確かに、あのつるぺたちゃんは、通常の術士では用いることのできない、敵の数を1人単位まで調べるとか、聖なる都の陥落を予想するとか、異様な能力の持ち主であることは、私も存じておりますが・・・。
 あのつるぺたちゃんには、そのような能力もあるのでございますか」

「・・・プルケリア、イレーネのことを『つるぺたちゃん』なんて呼んでるの?」

「私に限らず、あの爆裂女を含め、女たちの多くは、最近イレーネのことをそのように呼ぶようになりました。
 以前は、預言者様として敬われておりましたが、最近は周囲の目もさほど気にせず、殿下とみだらな行為に耽って、殿下にも気に入られているご様子ですので、『殿下は、ああいうつるぺたちゃんがお気に入りなのですね』と噂されるようになり、今では『つるぺたちゃん』が、イレーネを指す言葉として定着しつつあります。

 なお、男どもの間では、イレーネがそもそも女の子であることを信じられない者が多く、イレーネのことを『殿下のカルジマシア』などと呼ぶ者が多いようでございます」
「・・・そうなのか」

 なお、カルジマシアというのは、若い男の宦官を意味するギリシア語で、男である主人の同性愛相手をする者という意味もある。この言葉は、日本語にうまく訳せないので、そのままギリシア語で表記するしかなかったが、強いて日本語でこれに近い言葉を探すとしたら、昔の日本で僧侶たちによる同性愛の相手を務めた「稚児」の概念に近い。もっとも、日本の稚児が去勢手術を受けて宦官になることは無いので、稚児とも大きな違いがある。

 ・・・細かい説明をしてしまったが、要するにイレーネは男性陣からは未だに男の子と見做されており、かつ僕の同性愛相手だと思われている、ということである。


 話が脱線したが、僕がフィラデルフィアに到着すると、僕たちがこんなに早く到着するとは思っていなかったらしく、慌てて灼熱の鉄球が用意され、裁判が始まった。
 大司教が、厳かに僕に向かって告げる。

「ミカエル・パレオロゴス殿。貴殿には、イサキオス帝に対する、謀反の疑いがかけられております。したがって、その告発に対する審理を、これから始めさせて頂きます」
「大司教、私と致しましては、その告発者と対等に勝負し、自分の身の潔白を果たしたいのですが」
「ミカエル殿。裁判の方法を決めるのは、教会の専権事項であり、告発を受けた者が、任意に裁判の方法を決めることは、認められておりません。ミカエル殿には、あの灼熱の鉄球を、あの階段上にある壇から、ここにある壇まで、手すりを使うことなく素手で運んで頂きます。
 ミカエル殿が、神に嘉された無実の者であれば、奇蹟が起こり、ミカエル殿は火傷をすることなく、灼熱の鉄球を運ぶことができるはずです。それが出来ましたら、ミカエル殿は無実であると認めましょう」

 もったいぶった言い方で、そのように話す大司教に対し、僕はこう返答した。

「大司教猊下。私は一兵卒であり、進んで自らの無実を証明するための裁判に応じるつもりです。しなしながら、一介の俗人に過ぎない私には、残念ながら、そのような奇蹟を起こす能力を持ち合わせておりません」

「ですが、最も尊い高僧である大司教猊下であれば、そのような奇蹟を起こす力を当然お持ちでございますでしょうから、私は猊下の手から、あの灼熱の鉄球を受け取らせて頂きたく存じます」

 僕の言葉に合わせて、僕の従者たちも口々に騒ぎ立てた。
「大司教猊下、殿下にそのような裁判を命じる資格をお持ちであれば、当然そのくらいのことは出来て然るべきでございますね」とパキュメレス。
「そうだそうだ! 殿下にやれと言うなら、まずてめえがやってみろ!」とジャラール。
「自ら奇蹟を起こす力の無い者に、他人に奇蹟を起こすよう命じる資格は無い」とイレーネ。

 その他、僕の従者や裁判の見物に来ていた者たちもこうした声に加わり、裁判の場は大司教に対する非難の大合唱となった。

「さあ、大司教猊下、そのお手で灼熱の鉄球を受け取り、早く私に渡してください」
 僕が余裕の表情でそう急かすと、大司教は慌てて、こう叫び始めた。

「・・・裁判は中止だ! このような裁判は、ローマ人のやることではない!」

 自分で言い出したことを自ら止めにした大司教は、僕の従者や見物人から、たちまち嘲笑の的となった。そして、僕は大司教の権威をさらに貶めるために、神聖術の力を使って、難なく灼熱の鉄球を所定の場所まで運んで見せ、大司教はさらに嘲笑の的となった。

「大司教猊下。こう見えても、僕は『神の遣い』ですよ。その程度のことが出来ないはずがないでしょう。これで、僕の無実は100%証明されましたね、大司教猊下。あなたに少しでも聖職者としての矜持があるのであれば、責任を取って潔く、大司教を辞任されてはいかがですか?
 耳を塞がないで、ちゃんと話を聞いたらいかがですか、大司教猊下!?」


 こうして、僕は生意気な大司教を散々いじめ抜いた後、パッシブジャンプでさっさとニュンフェイオンに帰還した。このエピソードについては、パキュメレスが早速面白おかしい文書にまとめ、ニケフォロス・スグーロスを中心とした広報班の手によって、紙で印刷して帝国中にばら撒かれ、フィラデルフィアの大司教は帝国中で嘲笑の的となった。

 大司教は辞任こそしなかったが、あの裁判の一件がトラウマとなったらしく、二度と僕を裁判の場に呼び出すことはなくなった。また、僕以外の人物に対しても、神明裁判はその後行われなくなった。
 むろん、神明裁判を命じられた場合の対処法が広く知られてしまっては、脅しとしての効果がないからである。

 以下は、若干の余談になる。
「イレーネ、君って陰で『つるぺたちゃん』とか『カルジマシア』とか呼ばれているらしいけど、どうする? もう1回、イメージチェンジに挑戦してみる?」
「私は気にしない」
 イレーネは、素っ気ない素振りで僕に答えた。相変わらず、イレーネは全くぶれない。
 ・・・もっとも、イレーネがその格好のままだと、僕に同性愛の趣味があると勘違いされて、どちらかと言うと僕の方が困るんだけどな・・・。

第4章 女たちの反応

 神明裁判の危機は、終わってみればさしたる危険もなく切り抜けたとはいえ、僕は今後ムザロンとその支持者たちが、あの手この手で僕を粛清しようとするのではないかと考えるようになり、次第に怖くなってきた。
 そこで、僕はイレーネに、今後の身の振り方について相談することにした。

「イレーネ、君に相談したいことがあるんだけど」
「・・・私に出来る相談なら、随時受け付ける」

「この世界では、僕はもう摂政ではなくなってしまったし、この世界に僕がいる意味って、もう無いと思うんだ。僕が用済みになったのであれば、できればマリアを僕のお嫁さんとして連れて行き、日本に帰らせてもらいたいんだけど」

「残念ながら、その要請には応えられない。この帝国の危機は、今だ去っていない。あなたがこの世界を去れば、ローマ帝国は遠からず、滅亡する運命から逃れられない」
「・・・だめなの?」
「そう。また、マリアをあなたの国に連れて行くことも、不可能」
「でも、イレーネは以前、必要とあらば僕の国に行くことも可能だと言ってたよね。それなのに、マリアを日本に送ることはできないの?」
「できない。私にも、出来ないことはある」

「じゃあ、僕はこの世界で、一体何をすればいいの?」
「・・・私が、あなたに望んでいるのは、あなたが帝国の皇帝となって、力の続く限りこの帝国を統治し、また私を含む多くの女性と交わって多くの子供を残し、後継者対策を行うこと。それ以外の方法では、滅亡に瀕したこの帝国の運命を、変えることはできない」

「イレーネ、以前からそれは嫌だと言っているはずだ。それに、毎日子作りの相手をとっかえひっかえするような生活をするには嫌だし、もしそんな生活に慣れてしまったら、僕は役目を終えても、もはや日本で生活を送ることが出来なくなってしまう」

「その点に関しては、私が何とかする。あなたが、この帝国を救う役割を最後まで果たしてくれたのであれば、私はその報酬として、あなたが日本でも、一生お金にも子作りの相手にも不自由しない、充実した生活を送れるように取り計らう。私の与えられた力で、そのような措置を講じることは十分可能」

「そんなことが、本当に可能なの?」
「可能。あなたがその気になってくれれば、私はあらゆる力を使って、あなたをサポートする。あなたと子作りの相手を務められるよう、訓練も続けている。今では、指を3本まで入れられるようになった。私が、あなたとの子作りが出来るようになるのも、そう遠い話ではない」
「そんな訓練、本当に続けちゃってるの!?」
「あなたのために、頑張って続けている。最近は、あまり痛くなくなってきた」
「もういい。イレーネ、そういう話をあまり詳しくすると、18禁の世界になっちゃうから!」


「・・・まあ、その話はともかくとして、僕の人生の理想としては、いろんな女の人をとっかえひっかえするよりも、愛するマリアと2人で、幸せに暮らしたいんだけど」
「その理想については、あきらめた方がいい。あなたの心はそう思っていても、あなたの身体はそう思っていない。あなたの理想は、彼女が妊娠し、長期間子作りが出来なくなった時点で、早くも破綻する運命にある。
 それに、あなたの愛する女性は、あなたが他の女性と子作りをしたとしても、あなたから離れて行くことは無い。あなたが1人の女性だけで満足できる身体ではないことを、彼女は既に自覚している」
 その後も、僕とイレーネとの会話は平行線をたどるだけだったので、僕はイレーネの説得を諦めた。


 一方、僕は事実上のお嫁さんである、マリアにも話をしてみることにした。
「・・・マリア、どうやらイレーネは、僕と子作りをする練習をしちゃってるみたいなんだけど、仮に僕がイレーネとか、他の女の子と子作りしちゃったら、怒る?」
「別に、怒らないのです。ご主人様を、わたしが独り占めできないことは、よく分かっているのです」
「それは、オフェリアさんなんかに、そういう風に教えられたから?」

「それもありますけど、ご主人様は、毎日何度も子作りをしないと、我慢できない男の人だってことは、わたしが一番良く分かっているのです。むしろ、ご主人様は、他の女の子とも子作りしたいはずなのに、今までよく、わたしだけで我慢してくれているのです。マリアは、ご主人様のそのお気持ちだけで、十分なのです」
「マリアには、僕が他の女の子とも、子作りしたがっているように見えるの?」
「はい、なのです。少なくとも、イレーネ様やソーマちゃんとは、子作りしたがっているのです。皇女様やソフィア様、マーヤちゃんとも、子作りしてあげてもいいかなあと悩んでいるのです」
 ・・・マリアには、僕の内心を、完全に見透かされていた。

「なんで、そんなことが分かるの?」
「ご主人様を見ていれば、そのくらい分かるのです。ご主人様は、時々他の女の子も、エッチな目で見ているのです。それを我慢しようとして、ご主人様は毎日私と子作りしているのです」
「・・・・・・」
 僕が、マリアに図星を指されて言い返せないでいると、マリアは更に話を続けた。

「それと、わたしは、ソフィア様と約束をしているのです」
「どんな約束?」
「ソフィア様は、なかなか子作りをしてくれないご主人様を急かして、ご主人様がわたしと子作りをするよう取り計らってくれるように、約束してくれたのです。わたしは、その代わりに、ご主人様がソフィア様とも子作りをするよう説得するように、約束したのです。
 ソフィア様は、ちゃんと約束を果たしてくれたのですが、私の約束は、まだちゃんと果たせていないのです。・・・だから、ご主人様、ソフィア様とも子作りをしてあげてください、なのです・・・」
 最後はか細い声になって、僕にそう話しているマリアの表情は、何かとても辛そうだった。

「分かった。僕も考えてみるよ」
「・・・ご主人様、よろしくお願いします、なのです」

 マリアは、天然な女の子のように見えるけど、毎晩ベッドを共にしているだけあって、僕のことをよく理解してくれている。確かに、僕が他の女の子に手を出しても、マリアが怒って僕の許から離れて行くことはなさそうだが、だからと言ってマリアの好意に甘えるのは、僕の良心がひどく咎めた。
 ・・・それと、突然オフェリアさんがニケーアからやってきて、強制的に僕とマリアを子作りさせたのは、女の子たちの間で裏取引があって、ソフィアがオフェリアさんを呼んだせいだったのか。


 マリアと、そんな話をした翌日。今度は僕の許に、ソーマちゃんがやってきた。
「殿下、お久しぶりです」
「ソーマちゃん、いらっしゃい。よく来たね」
 僕は、丁寧に頭を下げるソーマちゃんを、できるだけエッチな目で見ないように注意しながら、彼女と話を続けた。

「今日は、テオドラ皇女様のお使いで参りました。皇女様が、殿下とお話ししたいことがあるということなので、申し訳ありませんが、ニケーアまでお越し頂けないでしょうか?」
「テオドラが? 分かった、すぐ行く」

 ニケーアと言っても、ニュンフェイオンの宮殿とは移動拠点で繋がっているので、そんなに時間はかからない。その途中、僕はルミーナにも出会った。

「あ、殿下。お久しぶりです。では失礼しま~す」
 ルミーナは、僕と出会った途端、そそくさと立ち去ってしまった。

「ルミーナ、以前と様子が違うね。これまでは、事あるたびに、僕に子作りアピールをしてくるような子だったのに」
「・・・ルミーナさんは、何というか、その、ちょっと計算高い方なので、今の殿下とくっつくのは、あんまり得じゃないなあと、考えているみたいなんです」

「そうなんだ。じゃあ、ソーマちゃんは、僕のこと、どういう風に思ってるの?」
 僕は、つい勢いで、ソーマちゃんにそんな質問をしてしまった。

「わ、私は、前から殿下のことをお慕いしていますから、殿下さえお望みなら、私はいつでも、大丈夫です・・・」
「そ、そうなんだ。ありがとう」

 ソーマちゃんからまさかの告白を受けて、僕とソーマちゃんは、何となくピンク色の雰囲気になってしまった。もし、廊下を2人で歩いている途中ではなく、ベッドのある部屋で2人きりになっているシチュエーションだったら、たぶん僕は、その場でソーマちゃんと子作りしたい誘惑に勝てなかっただろう。

 その後、僕とソーマちゃんはしばらく無言で歩き、テオドラの部屋までたどり着いた。ニケーアに住んでいた頃と、同じ部屋を使っているらしい。
「ソーマです。ミカエル・パレオロゴス殿下をお連れ致しました」
「入っていいわよ」
 中からテオドラの声が聞こえたので、僕とソーマちゃんは中に入った。


 テオドラのことだから、絶対何かいたずらを仕掛けてくると思ったのだが、意外なことに、今回は何もなかった。
「テオドラ、そういえば君と会うのも、結構久しぶりだね」
「・・・・・・」
 ・・・へんじがない。ただのしかばねのようだ。

 思わず、そんな冗談が思い浮かんでしまうほど、テオドラは元気がなかった。

「そう言えば、テオドラが僕と婚約を解消して、ゲオルギオス・ムザロンと婚約させられると決まった時に、テオドラはすいぶん大人しくしていたね。全力で抵抗して暴れ出すかと思っていたのに」
「・・・あたしだって、そうしたかったわ。でも、出来なかったのよ」
「なぜに」
 仮にも、あの爆裂皇女テオドラともあろうものが。

「・・・あたしが眠っている間に、オフェリアが神聖術を使うのに必要な神具を取り上げて、どこかへ隠しちゃったのよ。術も使えない、武器もない、おまけに監視まで付けられてる。さすがにこれじゃ、あたしも動きようがないわ」
 テオドラの部屋を見渡すと、見慣れない女官が2人ほどいた。なるほど、あれが監視役か。

「テオドラを、そんなにも手際よく無力化するということは、オフェリアさんって、ひょっとしてムザロンの味方なの?」
「あたしには、よく分からないわ。オフェリアは、時々あたしの部屋に来て、今はムザロンの命令で仕方なくやっているけど、みかっちとの結婚は諦めなくていいと言ってるのよ。オフェリアが何をやりたいのか、あたしには全く理解できないわ」
「・・・それは、僕にもよく分からない」

「・・・オフェリアのことはいいのよ。だからみかっち、あたしを助けて。囚われのお姫様であるあたしをさらって、あたしと駆け落ちして。そうすれば、あたしはあんなクソデブと、結婚しないで済むわ」
 テオドラが言う「クソデブ」とは、ゲオルギオス・ムザロンのことだと、すぐに理解できた。
 ゲオルギオス・ムザロンは、既に40歳を過ぎたオッサンであり、しかも太った悪役面であり、とても美男とは言えない。

 さすがに、テオドラがあんな男と結婚させられるのは嫌だという気持ちは理解できるが、一体何が悲しくて、僕がわざわざこの爆裂皇女様をさらって、駆け落ちしなければいけないのか。
 でも、テオドラに向かってそんな本音をぶつけるのも気が引けたので、僕は適当に誤魔化した。

「・・・僕には、そんな畏れ多いことは出来ないよ。ここには監視の目もあるし、僕も滅多なことは言えない。下手なことをすれば、僕も謀反を疑われて、命が危ないんだ。残念だけど、少なくとも僕には期待しないでほしい」
「じゃあ、みかっち、教えて。あたしは皇女様なのに、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの?」
「・・・それは、まさしくテオドラが皇女様だからだよ」
「意味が全く分からないわよ! せめて、分かるように説明してよ!」

「いいかい、テオドラ。この国では、皇女様というのは、大事な政略結婚の道具であり、だから尊重されているんだ。

 昔、君と同じテオドラという名前を持った皇女様、君の遠い祖先でもあるけど、そういう皇女様がいて、そのテオドラ皇女様は、父の皇帝アレクシオス1世が決めた相手との結婚を嫌がり、美男だけが取り柄の、若い将校と駆け落ちしてしまった。
 でも、その結婚は、本来ローマ帝国にとって大事な政略結婚で、その際は父帝がうまく後を取り繕って何とか事なきを得たけど、一歩間違えれば、そのテオドラ皇女様の勝手な振舞いが原因で、帝国そのものが滅亡してしまう事態もあり得たんだ。
 皇女様にはめられる『皇女の指輪』は、そうした事態の再発を防止するために作られたものなんだよ。だから、皇女様は帝国の宝として尊重される代わりに、自分の結婚相手を自分で決めることは許されないんだ。テオドラも、既に皇女様になってしまった以上、その運命から逃れることはできないんだよ」

「・・・あたしと、あのクソデブが結婚することに、何の政略的意味があるのよ?」
「それは、僕の決めた婚約ではないから、僕には分からない。君の父上に聞いてくれ」
 ・・・たぶん、実際にはムザロンが、自分の権力を確かなものにするために、自分でそう決めたのだろうけど。

「全然納得できないわ。それに、今のみかっちは、何かから逃げているようにしか見えないわ。全然格好良くないわよ。もっと頑張って、ヒーローになりなさいよ」
「テオドラ。悪いけど、僕は君の望むヒーローにはなれない。君は僕じゃなくて、他の人と結婚する以上、こうやって顔を合わせるのも、今回が最後になるだろうね。さようなら、テオドラ」
「あっ、みかっち! ちょっと待ちなさいよ!」


 僕は、テオドラの制止を振り切って、テオドラの部屋を出た。そのまま1人で帰ろうと思ったところ、
「殿下、お帰りも、私が御供します」
 一緒に部屋から出て来たソーマちゃんがそう申し出たので、僕はソーマちゃんと一緒に、ニュンフェイオンの自室へ戻ることにした。

「皇女様は、今でこそ大人しくされていますが、ニケーアへ連れて来られた当初は、物凄い勢いで暴れ回られて、皇女様を取り押さえるためにニケーアの守備隊まで動員せざるを得ず、死者が何十人も出たくらいなのです。今の皇女様が大人しくされているのも、単にあきらめたのではなく、術で身体能力を弱体化され、思うように動けなくなっているからでもあります。
 摂政のムザロンも、皇女様との婚約は決められたものの、あまりの狂暴ぶりを恐れられて、実際にご結婚されるつもりはないようです。
 それでも婚約を維持されておられるのは、おそらく殿下と、皇女様とのご結婚を阻止する目的ではないかと思います」
「・・・そうだったのか」

 そう言われてみると、宮殿のあちこちに、最近壊されたと思しき箇所がある。テオドラの暴れぶりが目に見えるようだ。
「私としても、皇女様がおいたわしくて、何とか出来ないものかと思っているのですが・・・」
「ソーマちゃん。気持ちは分かるけど、僕も今は、自分の身を守ることで精一杯なんだ。これからどうするかの見通しも立っていない。期待に応えられなくて済まない」
「そうですか・・・」
 ソーマちゃんの表情は、いかにも残念そうだった。

 そのまま無言で歩いていると、また変な雰囲気になってしまいそうなので、僕は話題を変えた。
「ソーマちゃんって、確かオフェリアさんの娘だよね。オフェリアさんが一体何を考えているのか、分からないの?」
「すみません。母は私が小さい頃から、大事なことは私には話してくれませんので、今も母が何を考えているのか、私にもよく分かりません。母は、私をあまり信用していないのかも知れません」
 ・・・実の娘を信用しないというのは、どういう母親なんだ。しかも、ソーマちゃんは明らかに、どこから見ても出来の良い娘なのに。

「ところで、テオファノは? 姿が見えないけど」
「テオファノ様は、テオドラ様と同様に神具を取り上げられ、今は毎日イコンを手に取って、熱心にお祈りをされています」
「何を祈っているの?」
「ムザロン兄弟が、心臓麻痺で急死するように祈っているそうです」
「・・・それは、祈りではなく、むしろ呪いというべきじゃないかと思うけど」
 相変わらず、あの子のやることは謎だ。

 なお、四天王候補という他の2人については、あまり僕の好みでは無いので、あの2人に関しては特に話も聞かなかった。
 何というか、2人とも大した美人でもないのに、貴族面して威張っている感じの子で、カスト何とかとかコント何とかとか、長ったらしい名前を覚える気にもなれないんだよね。適性も大して高いわけじゃないのに、どうしてテオドラは、あんなのを自分の四天王候補に選んだのか。
 ちなみにテオファノは、言動こそおかしいけど、見た目は良い。総合点ではテオドラよりマシ。

「でも、一体何が問題で、こんなことになってしまったのでしょうか・・・」
 そう嘆くソーマちゃんを見て、つい僕は本音を言ってしまった。
「ソーマちゃん。あの、あちこち壊された宮殿を見て、あんなことをする女と結婚したいと思う男がどこにいるんだ。さすがに僕だって、結婚相手を選ぶ権利はあると思うんだよ」
「・・・それはまあ、確かにそうですね・・・」
 ソーマちゃんも、苦笑せざるを得ないといった表情だった。

「・・・全く、世の中って、上手く行かないもんだよ。もし、囚われの皇女様が、テオドラではなくてソーマちゃんだったら、僕はたぶん何の迷いも無く、ソーマちゃんを拉致して駆け落ちして、そのまま反乱を起こしてムザロンなんかぶっ潰してやるって気になれたのに」
「・・・殿下!?」
「い、いや。今のは冗談。どうか忘れて」
 やばい。勢いで本音を漏らしてしまった。


 そのまま、僕とソーマちゃんは、二人とも顔を真っ赤にしたまま、移動拠点を経由して、僕の部屋へと戻ってきた。
「ご主人様、お帰りなさいなのです!」
「ただいま、マリア」
 マリアが元気よく迎えてくれたが、僕は何となく後ろめたい気分になってしまった。

「それでは殿下。私はこれで失礼致します」
 ソーマちゃんは、何事もなかった風を装って、礼儀正しく挨拶をして帰って行ったが、その顔はまだ何となく、朱色に染まっていた。

「ご主人様、何の用事だったのですか?」
「いや、テオドラがニケーアに閉じ込められちゃって、僕に救出して駆け落ちしろとか言うから、無理だって言って戻って来ただけ」
「そうなのですか・・・」
 マリアは、少し怪訝そうな顔をしていたが、それ以上は追及して来なかった。

 その後、僕はマリアといつもの子作りに没頭したが、ソーマちゃんを相手に欲情してしまった分を、マリア相手に発散していることは否めなかった。そしてマリアも、口に出しては言わないけど、たぶんそのことは分かっている。
 ・・・これって、いわゆる精神的浮気ってやつだよね。
 マリア一筋でいたいのに、性欲が強くなり過ぎて、心の底からマリア一筋になり切れない自分が、自分で嫌になって仕方なかった。

第5章 バシレイオス2世の教訓

 テオドラに面会した次の日。
 僕は政務のついでに、ソフィアに昨日の出来事について話した。ただし、ソーマちゃんと良い雰囲気になってしまったことに関しては、恥ずかしいのでさすがに伏せている。

「やっぱり。殿下、ルミーナはそういう女なのです。手を出すのは、控えた方が宜しいかと思います」
 ソフィアが食いついたのは、ルミーナの態度がよそよそしいという話だった。ソフィアとルミーナは、同じラスカリス家で育てられたものの、子供のころから仲が悪く、長年の宿敵というべき関係にある。

「このソフィア・ブラニアは、ルミーナなどとは違います。私は、生涯殿下一筋です。もし、殿下が私をご寵愛頂けないのであれば、生涯処女を貫くことも厭いません。もちろん、殿下さえその気になられれば、いつでも子作りのお相手を致します」
「ソフィア。そういう話は、もう耳にタコができるほど聞いているけど、僕はもう摂政では無いのに、どうして僕一筋なの? ルミーナに負けたくないから?」

「そういう気持ちも、無いわけではございません。
 しかし、一番の理由は、殿下が私を女だからという理由で遠ざけたりせず、殿方の家臣たちと同様に、重要な役目を与えて下さるお方だからでございます。

 私は、子供の頃から学問が好きで、育ての母であるアマリア様のご尽力により、当代一流の知識人であった、コンスタンティノス・アクロポリテス様の許で師事することも叶いました。しかし、アクロポリテス様に言われたことは、

『何ということだ! 父なる神は、なぜこの者を、わざわざ女に生まれさせてしまわれたのか! これほどの秀才が男に生まれておれば、将来は帝国の大宰相も務まる器となったであろうに!
 いくら才能に恵まれていても、女に生まれてしまい、しかも皇族などではない、身分の低い庶出の娘では、せいぜい女医か、貴族の娘たちの家庭教師くらいしか務まらないではないか!』

というお言葉でございました」
「ソフィアは、アクロポリテス先生の父親に、そんなことを言われたことがあったのか」

「しかし、殿下は私が女であることも、生まれも気にすることなく、重く用いて頂きました。
 それだけでなく、本来であれば裏切り者として断罪される運命にあった、私の異母兄テオドロス・ブラナスにも、処刑ではなく安らかな死を与えてくださり、残されたブラナス一党も、何ら処罰することなく助命して頂きました。
 殿下から、これだけの恩を受けておきながら、私が殿下以外の男に処女を捧げるなど、到底あり得ないことでございます。私は、女としてはあまり、殿下のお好みには合わないのかも知れませんが、それでも生涯殿下にお仕えし、また殿下が私を受け容れて下さるまで、いつまでも待ち続けるつもりです」
「・・・そうなのか」

 これまでのソフィアは、あるときは天下国家の為とか、あるときは安全保障の為とか、そういうもったいぶった理由をつけて僕に色気のない子作り説教をする上に、時々変な一人芝居をしたりする女だとしか思っていなかった。
 正直なところ、有能な側近としては使えるものの、彼女を女として受け容れる気にはあまりなれなかったのだが、ソフィアの真意を聞かされて、彼女を自分の女として受け容れてもいいのではないかという気がしてきた。

「ところで、殿下は帝国の統治について、小バシレイオス帝、殿下の命による新しい命名法に基づけば皇帝バシレイオス2世と、同じような勘違いをなされているのではございませんでしょうか」
「・・・バシレイオス2世と同じ?」

「殿下は既にご存知でございましょうが、皇帝バシレイオス2世は、皇帝として50年近くもの長きにわたり、帝国を統治されてきた、偉大な皇帝でございます。

 バシレイオス2世は、皇帝ロマノス2世と、皇后テオファノの長男としてお生まれになりましたが、幼い頃に父帝が亡くなり、その後は軍人皇帝ニケフォロス2世フォカス、次いでヨハネス1世ツィミスケスが相次いで帝位に就き、幼少時のバシレイオス2世は、名目上の共同皇帝としての地位に甘んじることを余儀なくされました。

 ヨハネス1世ツィミスケスが亡くなると、バシレイオス2世はようやく正皇帝となることができ、当初実権は大叔父である宦官のバシレイオス・レカペノスや、勇猛な軍人であるバルダス・フォカスに握られておりましたが、彼らを排除して政治の実権を掌握すると、軍人の生まれでもないのに、まるで軍人皇帝のお株を奪うように、自ら皇帝として軍を率いて各地を転戦されました。

 バシレイオス2世は、貧民を保護するためなら、自ら軍を率いて乗り込み、横暴な大貴族の屋敷を容赦なく取り壊すことも厭わず、皇帝としての豪奢な暮らしにも無関心であり、教会勢力のご機嫌を取ることにも無関心であり、そして知識人たちを用いて、もったいぶった古典ギリシア語による勅令を出すことにも無関心であり、誰にでも読める簡潔な言葉で勅令を出すように命じられました。

 そして、バシレイオス2世は、敵に対しては容赦のない征服と厳罰で臨む一方、自分に降伏してきた者たちは厚遇するというやり方で、ついにローマ帝国にとって長年の宿敵であった、ブルガリアを完全征服するという偉業を成し遂げられたほか、東方にも帝国の領土を大きく広げ、ユスティニアヌス帝以来の最大領土を実現されました。

 また、単に領土を拡大したというだけでなく、帝国の国庫は充実し、軍は強くなり、住民たちは平和に暮らせるようになり、バシレイオス2世の治世下では、このローマ帝国はかつてないほど、強力で豊かになったと伝えられております。

 しかしながら、バシレイオス2世は、生涯にわたりご結婚されることなく、また3人いた姪の婿を決めるなどの後継者対策を全く怠っていたために、バシレイオス2世の死後は帝国が混乱し、その死後わずか約50年余りで、ローマ帝国は滅亡寸前の窮地に立たされてしまい、アレクシオス1世による帝国の再興が無ければ、ローマ帝国は100年以上前に滅びていたかも知れません。

 バシレイオス2世が、どうして生涯にわたり結婚せず、後継者対策も全く怠っていたのか、これは私を含め、ローマ帝国の歴史を学ぶ者の多くにとって謎だとされてきたのですが、私は殿下のお姿を見て、何となくその理由が分かったような気が致します」

「それは、僕も謎だとは思っていたが、なぜ理由が分かったのだ?」

「おそらく、皇帝バシレイオス2世は、自分の治世においてローマ帝国がこれほど強大で豊かになったので、自分が後継者対策を特にされなくとも、ローマ帝国は誰か適当な人物が帝位に就いて、これからも上手くやっていけるだろうと、錯覚されてしまわれたのではないかと思います。

 実際には、皇帝バシレイオス2世時代におけるローマ帝国の繁栄は、皇帝自身の力量やカリスマ性に負うところが非常に大きく、その死後は誰も皇帝バシレイオス2世の抜けた穴を埋めることが出来ず、帝国は大きく衰退してしまうことになりました。
 これは、皇帝バシレイオス2世が、そのご偉業とは裏腹に、ご自分は皇帝としては大した人間ではないと思い込み、ご自分の存在価値を過小評価されていたからではないかと思われるのです。そして、殿下にも、皇帝バシレイオス2世と同じようなことが言えると思われます」

「偉大な皇帝バシレイオス2世と、たかが7年ほど帝国摂政を務めたに過ぎない僕の、一体どこが同じだというのか?」

「殿下は、明らかに皇帝バシレイオス2世を、多くの点において統治の模範となされて参りました。教会勢力のご機嫌を取ることにも、ニケーアやニュンフェイオンの宮殿を豪奢に飾り立てることにも、ギリシアの古典に通じた知識人を重用することにも関心を示されず、内政においては民の生活を重視する一方、殿下自ら軍を率いて戦場を駆け回り、敵には容赦のない懲罰を与えるとともに、降伏してきた者には民族も宗教も問わず、その能力に応じて処遇されました。
 聖なる都を奪われ、明らかに滅亡寸前であったローマ帝国は、殿下が参られてからわずか7年ほどで大きく豊かな国となり、あとは聖なる都さえ奪えば文句無しというところまで辿り着きました。殿下の治世を見た多くの者は、殿下こそバシレイオス2世の再来ではないかと噂し合っていたところでございます。

 そして殿下は、聖なる都さえ奪還すれば自分の役目は終わりだ、たとえイサキオス帝によって摂政を解任されることが無くても、自分から摂政の位を辞して祖国へ帰られるお積もりだと述べておられました。これはまさしく、殿下がバシレイオス2世と同じ錯覚に陥っていることの証でございます」

「僕が、どういう錯覚に陥っているというのだ?」

「殿下は、ローマ帝国が十分豊かになったので、あとは聖なる都さえ奪還すれば、あとはご自分抜きでもやっていけると思われたのでございましょう。しかし、これまでローマ帝国が急成長を遂げてこられたのは、殿下ご自身のお力とカリスマ性によるところが大きく、いきなり殿下が抜けてしまわれては、誰もその穴を埋めることはできないのです。
 このことは、おそらく殿下に帝位を奪われることを恐れたイサキオス帝によって、殿下が摂政の地位を剥奪され、自分たちのことしか考えないゲオルギオス・ムザロンが後任の摂政となったことにより、図らずも実証されることになりました」

「ソフィア、君はそのように言うが、僕がここまでローマ帝国を拡大できたのは、テオドラやイレーネといった術士たちの超人的な能力、アクロポリテス先生やそなたをはじめとする有能な家臣たちの働きによるところが大きい。
 僕自身は、せこい策略を用いてきた程度で、カリスマ性どころか、むしろ最も狡猾なギリシア人だとか、第六天魔王だとか、ミダス王の生まれ変わりだとか、散々に悪口を言われてきたくらいで、そんなに大したことはやっていない」

「ですから、それこそが殿下の陥っている錯覚なのです。皇帝バシレイオス2世も、最終的には長い治世で多くの成果を残されましたが、戦争では負けたことも何度かあり、特に武勇に優れていたとも、類稀な軍略の才能を示したとも伝えられておりません。
 おそらくご自分では、皇帝として大した才能の持ち主ではなく、ただ帝国を発展させるため、真面目に取り組んでいるだけだ、帝国が大きな発展を遂げたのは有能な家臣たちのおかげであり、自分の功績では無いと、お考えになっていたのかも知れませんが、既に申し上げたように、それは大きな誤りです。

 そして殿下も、まさしくご自分の成果は強力な術士たちや有能な家臣たちのおかげであり、ご自分は大したことはやっていないと仰られていますが、それも大きな誤りです。
 テオドラ様、イレーネ様、プルケリア様をはじめとする強力な術士、アクロポリテス内宰相をはじめとする家臣たち、そしてラスカリス将軍をはじめとする軍人たちも、殿下により活躍の場を与えられ、その能力を存分に発揮し、その成果を最大限に利用する殿下のご尽力があったからこそ、極めて短期間で帝国を大きく発展させる原動力となり得たのです」

「・・・そういうものなのか?」

「そういうものです。テオドラ皇女様は、殿下がいなければ単なる帝国のお騒がせ女であり、アクロポリテス内宰相も一介の世捨て人であり、そして私も一介の小娘でしかありませんでした。他の者たちもまた然りです。
 ローマ帝国が、この先も生き残っていくには、まだ若い殿下が皇帝となって、その生涯にわたって帝国を統治して頂く必要があり、またバシレイオス2世の轍を踏まないよう、後継者候補となる多くの子をもうけられ、殿下の亡き後もその体制を継続できるよう、万全の策を講じて頂かなければなりません。

 そして、殿下が長期にわたって、皇帝陛下としてご活躍されればされるほど、殿下が抜けた後の穴は大きくなりますから、その後継者となる者は、その穴を埋めることに苦労することになります。多くの子を残された皇帝フリードリヒ2世の西ローマでさえ、その死後は穴を埋めるのに苦労していると聞き及んでおりますから、そうした配慮も欠くことはできません。
 ですから、殿下がこの国でご結婚され、妃やその他の女に産ませた者も含めて、多くの子を残されることは、後継者対策の前提として必要不可欠でございます。ですから、女性に対する欲望を我慢することなく、これも帝国のためだと思って、多くの女性とどんどん子作りに励んでくださいませ」

 僕は、尊敬するバシレイオス2世の教訓を交えたソフィアの説得に、とても感動した。
「・・・なるほど、僕が間違っていたようだ。考えを改めることにしよう」
「やっと、お分かりになって頂きましたか、殿下。では早速、身近にいるこの私と、子作りをして頂きませ」

「分かった、ソフィア。そのベッドに座れ。早速子作りを始めよう」

「・・・え?」
 ソフィアが、いきなり素っ頓狂な声を挙げた。

「どうした、ソフィア。僕といつでも子作りしたい、僕が欲望のままに子作りをするのは、帝国のために必要不可欠だと、今まで長々と論じていたではないか。今、その望みを叶えてやるから、そのベッドに座れと言っているのだ」
「・・・ちょっと済みません、殿下。私は、子作りをするのは初めてなので、まだ身体の準備と心の準備が出来ておりません。すぐに準備致しますから、子作りは夜までお待ちいただけないでしょうか」
「いつでも準備できているのでは、なかったのか?」

「私は、何回殿下に子作りの必要性を説いても、その度に聞き流されるのが常でありましたので、どうせ今回も同じことになるだろうと思い、急に殿下がその気になられることを想定しておりませんでした。
 殿下に私の処女を捧げるにあたっては、くれぐれも失礼があってはなりませんので、身体を隅々までよく洗ったり、アンダーヘアをきちんと剃ったり、化粧をしたりと、色々準備を整えなければなりません」

「・・・子作りをするのに、一体どこに化粧が必要だと言うんだ?」
「それは例えば、乳首とかでございます」
「乳首? そんなところに化粧をするの?」

 乳首に化粧をする人なんて、日本では聞いたことが無いし、マリアやイレーネも、そんなことはやっていない。それに、子作りをするときは、当然乳首も舐めたり触ったりするから、化粧なんてやったところで意味がない。

「はい。テオドラ様の考案されたファッションが流行してから、時々見えることになる乳首にも化粧をすることが流行っておりまして、私も化粧をしているのですが、今は少々乱れております。
 殿下に私の処女をもらって頂く際には、万全の態勢で臨む必要がありますので、殿下にみっともない姿を見せて後悔することの無いよう、準備を整えてからにしとうございます。ですから、何卒準備のお時間を下さいませ」

「ソフィア。そなたのおかしな話を聞いているうちに、気が失せてしまった。そなたとの子作りは、別の機会にしよう」

「いえ、殿下、私は決して、殿下と子作りしたくないと申しているのではございません。ただ、いつも子作りのお相手をしているマリアと違って、私は今回が初めてなので、ちょっと心の準備と身体の準備をしたいだけで・・・」

「いや、冷静に考えてみると、僕がマリアの次に子作りの相手をさせるのであれば、やはり君より、イレーネの方を優先すべきだ。そして、君自身も自覚しているとおり、ソフィアは僕の有能な側近ではあるが、女性として君が好みかと言われると話は別で、僕が子作りをしたい女性としての優先順位は、正直なところあまり高くないんだよ。
 それに、周囲の女性とみだりに子作りをすれば、僕の周囲で女同士が醜い争いを始め、新たな悩みをかかえることにも繋がりそうだ。僕が、マリア以外の女性と子作りをするかどうかについては、そうしたことも十分考慮して、慎重に決めたいと思う」

「そんな~! 殿下、せっかくその気になって頂きましたのに、何卒お考え直しくださいませ~!」

 僕は、その後もソフィアにしばらく泣き付かれたが、僕の考えは変わらなかった。

 ソフィアは、とても聡明で知的な女性ではあるけど、マリアとかイレーネとかソーマちゃんとか、僕が可愛い、子作りしたいと思わせる魅力には、いまいち欠けているのだ。特に不細工というわけではないから、上手く表現できないけど、ソフィアはやたらと理屈っぽいし、ちょっと胸が大きすぎるし、顔がちょっと凛々しすぎるし。
 それに、ソフィアの説得に思わず乗り掛かったけども、今夜であれば大好きなマリアと子作り出来るから、敢えてソフィアと子作りする理由は無いし、僕もまだマリア一筋路線を放棄する心の準備が出来ているわけではないし、現実のハーレム生活って女たちの嫉妬が凄くて実はすごい大変だと、いろんな歴史の本で読んだことがあるし。
 そんなわけで、その夜はいつもどおり、マリアと子作りをすることにした。


 ・・・ソフィアの言い分も、ある意味もっともではあるけど、結論を出すのは、もう少し先送りにしてもいいような気がする。

 僕が第一に愛しているのはマリアであることは変わらないから、僕の最初の子供は、やはりマリアに産ませたい。そうであれば、2人目の女性については、マリアが妊娠してマリアとの子作りが出来なくなって、どうしても我慢できなくなったら作ればいいだけの話で、少なくともマリアが最初の子を妊娠するまでは、これまでどおり、毎日マリアと子作りに励めばいい。

 もちろん、マリアもいずれは妊娠するだろうし、その後僕が我慢できなくなる事態が来ることは覚悟しているけど、せめてそれまでは、マリアとの楽しい蜜月生活を存分に楽しもう。それが、僕のいろんな欲求を最も満たしてくれる生き方なのだ。

第6章 崩れる帝国と新国家構想

 あの日以来、僕はソフィアと政務の話に入る前に、変な子作り問答をするのが日課となった。

「・・・殿下、今日もやっぱり、お考え直し頂けませんか?」
「くどい。最初の子供は、やっぱりマリアに産ませたいし、仮に2人目の女性を作るとしても、2人目はイレーネで内定だし、どう考えてもソフィアは3番手以降だ。乳首に化粧をするとか変なことを言って、冷静に考える時間的余裕を僕に与えてしまった、ソフィアの失策だったね」

「では、仕方ありません。本日の報告に移らせて頂きます」
 ・・・ソフィアは諦めると、こうして急に平常運転に戻る。そのギャップが、見ていると結構面白い。


「先日、総主教テオドロス2世が亡くなり、ゲオルギオス・ムザロンと、多くの聖職者や修道士の意向により、信仰心の高さで名高い、アルセニオスが総主教に就任いたしました。
 ムザロンは、かつて殿下が行われたボゴミール教やユダヤ教の公認を取り消し、新総主教アルセニオスは、正統信仰の復活を唱え、ボゴミール派を異端として断罪し、ボゴミール派やユダヤ教徒への弾圧と迫害を行っているようでございます」
「ソフィア。今さらボゴミール派を弾圧すると言ったって、既にボゴミール教徒の数は、帝国内の人口の2割以上を占めているはずだ。今さら、そんなことが出来るのか?」

「さあ。仮に行われるとしても、ニケーアとその周辺くらいではないでしょうか。
 イスラム教徒の多い地方は、みな殿下の私領でございますから、ムザロンやアルセニオスの影響力はございません。
 また、ニケーアから遠い、ヨーロッパ側の地域を治める総督たちは、皆ムザロンの命令をサボタージュして、何とかやり繰りされているそうです。
 特に、サラエボとジェノヴァの統治を担当されているコンスタンティノス・パレオロゴス様に至っては、『ムザロンの命令なんかいちいち聞いていては、総督などやっていられない』と公言されているようでございます」

「・・・ムザロンって、実質的に帝国を統治できていないのでは?」
「そう言っても過言ではありません。
 ただ、ムザロンは、殿下に仕えていた軍に対抗するため、自分に忠実な者たちで固めた軍隊を編成し、自らの実効支配を固めようとしております。これからは、以前のようには行かないかもしれません」

 ・・・その後、ソフィアから報告される知らせは、僕にとって頭が痛くなるようなものばかりだった。

「ニケーア、ニコメディア、プルサ、キジコスなどの方面では、ボゴミール派の弾圧に抗議する集会が行われ、エルルイオス・ムザロンが軍によってこれを鎮圧しようとしたため、市民側と兵士側の双方に、多くの死傷者が出た模様でございます」
「・・・何をやってるんだ。北朝鮮じゃあるまいし」


「クマン人弓騎兵隊を率いているダフネ様は、自分はミカエル・パレオロゴス以外の人間に仕える気は無いと宣言され、迫害されているボゴミール教徒たちを救済するとして、ムザロンの軍と各地で武力衝突を繰り返しています。ソユトにいるエルトゥルル・ベイなども、ダフネに加勢しているようでございます。
 もっとも、彼らだけでは、さすがに死傷者ゼロとまでは行かないようで、クマン人やトルコ人の弓騎兵隊にも、それなりの被害が出ているようでございます」
「・・・まあ、そうだろうね」

 これまで、あまり詳しく説明して来なかったけど、僕が軍を率いて戦い味方の死者ゼロという、常識ではあり得ない勝利を何度も達成してきたのは、星3つを取って神聖結晶を稼ぎたいという目的もあるが、極力味方の死者を出したくなかったため、術士たちを組織して、万全の治療体制を整えていたことが大きな要因である。
 そうした術士たちの中核となるのは、もちろんイレーネであるが、僕はイレーネのみに頼るのではなく、各部隊に治療専門の術士たちを配置し、軽傷の兵士たちの治療は彼らに行わせる一方、致命傷を負ってしまった兵士はイレーネに治療させる、といった体制を敷いていた。

 それに加え、実際の戦闘では、テオドラをはじめとする術士たちの攻撃で敵を混乱させたり、暗黒騎士隊の工作活動で敵軍の結束をバラバラにしたりして、敵軍をまともな戦闘ができない状態に追い込んでから、はじめて軍による攻撃を行わせるのが常だった。
 敵軍が、たとえ2千人、4千人程度といった小勢であっても、敵が少数過ぎて結晶を取れない戦いであっても、僕がそういう戦い方を変えることはなく、何の策も講じずに突撃するということはなかった。
 あまりにも慎重な戦いぶりに、テオドラには「ヘタレ」などと馬鹿にされたこともあり、軍の将校たちから「あまりに楽勝過ぎて、俺たちの出番がない」などと言われたこともあったけど、僕はそうした声に一切耳を貸さなかった。

 普通に戦争を行えば、指揮官がたとえアレクサンドロス大王や、ガイウス・ユリウス・カエサルのような名将であっても、味方にそれなりの数の戦死者が出ることは避けられない。だから、常識ではあり得ない、味方の死者ゼロ、取り逃がした敵もゼロという勝利が何度も「奇跡」と認定され、僕に数多くの神聖結晶が送られてきたのだ。
 ダフネや、エルトゥルル・ベイなどは、いずれも有能な武将ではあるものの、神聖結晶の存在など知らない上に、そもそも味方の死者をゼロに抑えなければならないという発想はない。

 ・・・そう考えると、今まで僕が果たしてきた役割も、決して小さくはなかったということか。


「ゲオルギオス・ムザロンの支配に対する抵抗運動が各地で組織されており、各地でゲリラ戦を繰り広げているようでございます。殿下の弟子であったコンスタンティノス・アスパイテスは、殿下がやらないなら自分でイサキオス帝に抵抗すると言い出し、軍を脱走して、そうしたゲリラ組織のリーダーになっているようでございます」
「・・・アスパイテスには、危なくなったらニュンフェイオンに逃げてこい、間違っても命を落とすようなことだけはするな、と伝えてやってくれ」


「トレビゾンドの総督アレクシオス・コムネノスは、イサキオス帝への忠誠を放棄し、自らローマ人の皇帝を称するようになりました。また、セルビア王も帝国からの独立を宣言いたしました」
「・・・まあ、今の帝国を見たら、そうするのがむしろ自然だろうね」


 ・・・もはや、ローマ帝国は内戦状態に突入し、ボロボロになりつつあるようだった。

 僕の私領や、ヨハネス・ヴァタツェス将軍をはじめとする貴族や僕の任命した総督たちが、ムザロンの命令を無視して独自の支配をしているヨーロッパ側では、比較的平和な状態が続いているものの、もはやローマ帝国は、国家としての体を成していなかった。
 僕が政治の実権を手放しただけで、ローマ帝国はこんなにも、ボロボロになってしまうのか。

 黄泉の人となった皇帝バシレイオス2世も、今の僕と同じように、自分の死後帝国がボロボロになって行く有様を見て、『まさか、こんなことになるとは思わなかった』と、天国で頭を抱えていたのだろうか。


 僕がそんなことを考えていると、パキュメレスが僕の許へ駆け込んできた。

「殿下、大変なことが起こりました!」
「・・・パキュメレス。もう嫌だ、聞きたくない」
「・・・殿下、一体どうされたのですか?」
「どうせ、僕の築いてきた帝国が、またボロボロになったという知らせでしょ? 僕にとっては、もう自分の子供たちが次々と殺されているという報告を聞いているようなもので、もう僕の頭は、これ以上耐えられないんだよ」

「殿下、お師匠様が大変な目に遭われたのですよ! それでもお聞き下さらないのですか!?」
「・・・アクロポリテス先生が?」

 さすがに、僕も聞かないふりをしているわけには行かず、パキュメレスと共に現場に駆け付けた。


 アクロポリテス先生は、ニケーアの路上で裸同然の姿にされ、傷だらけになって倒れていた。
「何があったか分からないけど、とりあえず救護しよう」

 僕は、とりあえず自分の術でアクロポリテス先生を治療し、ニュンフェイオンに連れ帰って落ち着かせたうえで、改めて事情を聞くことにした。ちなみに、この場にいるのは僕とアクロポリテス先生、パキュメレスとソフィアのみである。

「・・・アクロポリテス先生、一体何があったんですか?」

「私は、皇帝陛下に、このままではローマ帝国は滅亡してしまいます、何卒ゲオルギオス・ムザロンのような者を重用し、民衆に圧政を強いるようなことはお止めくださいと、直訴いたしました」
「なぜ、そのようなことを?」

「イサキオス帝とて、孫のヨハネス皇子は可愛いはずであり、ヨハネス皇子の代でローマ帝国が滅亡してしまうような事態は、さすがに避けたいと思っているだろうと、私は考えておりました。そのため、私はイサキオス帝に直訴し、ムザロン兄弟やその一派の悪政によって、帝国はいまや滅亡の危機にあると、正直に申し上げたのでございます」
「・・・結果は?」
「イサキオス帝は、私の言葉に全く、耳を傾けようとする様子はございませんでした。そして、私はムザロン配下の兵士たちに捕らえられ、内宰相の職を解任された挙句、ゲオルギオス・ムザロンの命令により、見せしめとして、公衆の面前で鞭打ちの刑に処されたのでございます」

「・・・そういうことか。先生ともあろう方が、無駄なことを」
「・・・そういう事だったのですか。お師匠様は、硬骨漢でいらっしゃいますから」
「・・・アクロポリテス様は、強情でいらっしゃいますからねえ」
 他の3人が、揃ってため息をついたところ、アクロポリテス先生は怪訝な顔をした。

「・・・殿下、他の2人も、そんな呆れたような顔をして。私のしたことは、そんなに愚かなことだというのですか?」

「だって先生、ちょっと考えれば分かるじゃないですか。あのイサキオス帝に、そんなまともな思考力があるはずが無いってことくらい。一時は、嫉妬のあまり、実の息子アレクシオス4世を殺そうと企んだという人なんですよ」
「お師匠様、イサキオス帝がそのようにまともな御方であれば、殿下も苦労されることはありませんでしたし、そもそも殿下が呼ばれてくることもありませんでしたよ」
「私の見る限り、今のイサキオス帝は、明らかにご自分より人気がある、殿下を排除することしか頭にございません。そして、殿下を排除した後は、おそらくムザロンを排除しようと企むでしょう。その先のことを考えるようなお方ではございません」

「・・・私も、難しいだろうとは思っていましたが、少しは可能性があると思い、決死の思いで、敢えてやってみたのですが、客観的に見れば、やるだけ無駄なことでしたか」

「僕も、かつて同じような過ちを犯したことがあります。アクロポリテス先生のように、頭が良く合理的な考え方をされる方は、頭の悪い人間の思考を理解できないのです。昔の僕も、それが理解できなかったために、余計な回り道をしてしまったことがあります」
 僕が言う『頭の悪い人間』とは、要するにテオドラの事である。忘れてしまった人は、第1話で皇帝ボードワンが討ち取られたあたりのくだりを、読み返してみてください。

「・・・そういうものなのですか」
 アクロポリテス先生は、そうため息をついた後、僕に別の話を切り出した。

「こうなっては、ローマ帝国の将来は、殿下に託すしかございません。殿下、何卒兵を挙げて奸臣ムザロンを討ち、この国の窮地を救ってくださいませ!」

「やだ」
 僕は即答した。その場にいた、僕以外の3人が一斉にずっこけた。

「殿下! この期に及んで、どうしてでございますか!?」
 アクロポリテス先生が、切れたような感じで僕を問い詰めて来るので、僕は冷静に答えた。

「ローマ皇帝なんて、僕は別になりたくないから」
「・・・どうして、皇帝になるのが、そんなに嫌なのでございますか?」

「言い出すときりがないんだけど、まず僕が皇帝になった場合、僕は誰を、皇后様に迎えることになりますか?」
「・・・順当に行けば、前婚約者のテオドラ皇女様でございましょうな」

「普段は単に皇帝と呼んでいるけど、正式には何と名乗ることになるのかな?」
「全ローマ人の、全キリスト教徒のバシレウスでございます」

「皇帝に即位したら、僕は誰から帝冠を受け取ることになるのかな?」
「ニケーア総主教から、ということになります」

「皇帝に即位したら、帝国の首都になるべき場所は、どこですか?」
「それは無論、聖なる都でございます」

「僕は、その全部が嫌です」

「・・・殿下、その理由をお聞かせ願いますか?」

「第1に、コンスタンティヌス大帝が建設したと言われる聖なる都ですが、あれはローマ帝国が、地中海全土を制する超大国だった時代に、作られたものです。
 そのとき以来の、貴重な遺産が多く残っている聖なる都を奪回して首都にするならまだ分かりますが、今の聖なる都は、建物の多くが瓦礫の山と化しているということであり、そのように巨大すぎる廃墟を大修復して、再び首都として整備するというのは、現実的ではありません。
 その上に、数年前までの聖なる都は、確かに商業拠点としても極めて重要でしたが、現在ではこのニュンフェイオンを中心とする移動拠点網の構築に伴い、商業拠点としての価値もかなり薄れています。聖なる都なんて、今の帝国には必要ありません。いっそのこと、ヴェネツィア人にくれてやればいいじゃないですか」
「・・・・・・」
 アクロポリテス先生は、言葉を失っている。
 ちなみに、民間開放している移動拠点はニュンフェイオンを中心に管理しているので、利用料収入は全額、僕のところに入る仕組みになっている。僕は、行ったことも無い聖なる都なんかより、自分の手で作った新都市、ニュンフェイオンの方が気に入っているのだ。

「第2に、ローマ帝国の国教はキリスト教、正確にはラテン派と区別するため正教と言われていますが、正教の聖職者や修道士たちは、僕から見れば頭のおかしい連中ばかりで、僕の邪魔ばかりしてきます。しかも、教会の大半はムザロンから土地やその他の財産をもらって肥え太り、その傲慢振りと腐敗ぶりは、敬虔な正教徒でさえも目をひそめるほどだと聞いています。

 ローマ帝国の長い歴史から見ても、ローマ帝国が領土の大半を失ったのは、キリスト教の強引な国教化が原因であり、キリスト教はむしろ、ローマ帝国に害をもたらした存在と見るべきです。正教会がコプロニュモス、すなわち『糞』『うんこ』などと呼んでいるコンスタンティノス5世が、教会権力の膨張に歯止めを掛けていなかったら、おそらくこの帝国は、ずっと昔に滅亡していたでしょう。

 僕も、この国に来てから聖書の内容はある程度読みましたが、内容は科学的に見て矛盾だらけ、イエス・キリストの起こした奇蹟なるものは、仮に本当だったとしても、僕でも神聖術を使えば簡単にできることです。あんな与太話を、僕はとても信じる気になれません。

 そして、僕は聖書を印刷に付するため、聖書の原典を確定する作業を行わせていたのですが、その作業は、現段階ではストップしてしまいました。先生、その理由がなぜだか分かりますか?」
「・・・すみません、殿下。私はその作業に関与しておりませんので」

「そうですか。ではアクロポリテス先生、ご説明しましょう。

 手書きで残された聖書の内容には、様々なものがあり、そもそもどれが本物か確定させること自体も難しい作業なのですが、そのための調査を行った結果、比較的広く伝わっている聖書の内容は、偽作の可能性が高いということが分かりました。

 そして、チャンダルル・ハリルなどのイスラム教徒も、キリスト教に対する批判的な研究を行っているため、聖書に関しては比較的詳しく、彼らの聖書批判も交えて検討したところ、そもそも初期の福音書では、イエス・キリストの死体は見つからなかったとしか書かれておらず、イエス・キリストが復活したという記述は、後になって書き加えられたということが分かりました。

 そして、僕はイレーネに、ナザレのイエスと呼ばれる人物の遺骨は残っているかと尋ねてみたところ、遺骨はゴルゴダの丘の郊外に埋められ、今でもわずかながら残っているとの答えが返ってきました。つまり、キリストと呼ばれているナザレのイエスは、神などではなくただの人間であり、彼がその死後復活して神になったというのは、ただの作り話に過ぎないという結論が出てしまったのです」
「・・・その事実が知れれば、キリスト教そのものが崩壊してしまうことになりますが」

「そうです。僕も最近、モンテネーロから話を聞いて知ったのですが、西ローマの皇帝フリードリヒ2世も、僕と似たような調査をしているうちに、僕と同じ結論に至ってしまい、そのため僕が言った、キリスト教など信じる気になれないという主張にも、結構理解を示してくれていたというのです。
 皇帝フリードリヒ2世は、自分の皇帝としての地位がキリスト教、それもローマ教皇の権威に基づくものであるため、さすがにそのような事実は公表できないとして、結局調査結果は闇に葬ることにしたそうなのですが、僕はこんな欠陥だらけの宗教を、ローマ帝国の国教として保護する気には、とてもなれません。
 むしろ、機会を見てこの事実を公表し、諸悪の根源であるキリスト教そのものを崩壊させるべきだと考えています」
「・・・・・・」

「そして第3の理由は、僕だって自分の妻くらい、自分の意思で選びたいのです。誰に何と言われようが、僕が妻に迎えたいのは、メイドとして僕に仕えているマリアです。
 マリアは、自分は皇后様なんて無理だと言っていましたが、僕は単なる領主の妻であれば、難しいことは特にないからとマリアを説得し、最近ようやくその気になってきてくれたところなのです。一体何が悲しくて、僕はそのマリアを捨てて、あのムザロンでさえ本気で結婚しようとは思っていない、あの傍若無人な爆裂皇女テオドラと、結婚しなければならないんですか!?
 僕だって、今まで帝国のために、いろいろな辛いことを我慢してきました。せめて自分の妻くらい、自分の意思で選ばせてくれたって、いいじゃありませんか!
 以上の理由により、僕はローマ皇帝になる気なんて、全くありません」


「・・・殿下、お気持ちは分からなくはないのですが、殿下はこの国を見捨てて、どうなさるお積もりなのですか?」
「アクロポリテス先生、僕は本音としては、さっさと自分の国に帰って元の暮らしに戻りたいのですが、どうもそれは無理らしいので、僕もこの世界に居場所を探さなければなりません。
 僕はもう、イサキオス帝に対する忠誠心などありませんので、あの人の国は勝手に滅びるに任せておき、イサキオス帝はローマ帝国を滅亡に追い込んだ愚帝として、正当に断罪されるべきだと思います。そして僕は、このニュンフェイオンで力を蓄え、適当なところでローマ帝国と縁を切って、ニュンフェイオン専制公国とでも名付けて、自分とマリアが暮らすための、キリスト教を国教としない新たな国を作ろうと思っています。
 ムザロン一派に迫害されている人々は、彼らに抵抗などせず、僕の国に逃げ込んでこれば良いのです。他の地方を治めている総督たちも、僕に付いてくる気なら当然迎え入れますが、そうでない者は勝手に、イサキオス帝やムザロンと共に滅びれば良いのです」

 僕は、久しぶりに言いたいことを言ってせいせいしたと思っていたのだが、話を聞いていた3人は、それぞれに微妙な顔をしていた。

「・・・では殿下、今の殿下がそのようなお考えであることを、かつて殿下に仕えていた者たちに、密かにお伝えしても宜しいのですか?」とソフィア。
「・・・口の堅い者には、伝えて構わない。僕も、かつての部下たちが次々と無駄死にするのは、さすがに見たくない」

「殿下、確かにローマ帝国の伝統には、悪いところもございますが、ローマ帝国の歴史と伝統は、それ自体で他国を圧倒することが出来る、大きな武器です。殿下は、ご自分の新しい国が大きく成長しても、ローマ皇帝と名乗る気は一切ないと仰るのですか?」とアクロポリテス先生。
「まあ、マリアと無事結婚し、僕の国が順調に拡大して、一方で古いローマ帝国が勝手に滅んだら、新しいローマ皇帝と名乗る可能性もゼロとは言わないけど。それでも首都は、あくまでこのニュンフェイオンだけどね」


「殿下は、色々と理由を付けておられますが、要するに最大の理由は、テオドラ皇女様と結婚するのが嫌だということではありませんか?」とパキュメレス。
「・・・パキュメレス、何が言いたい」
「殿下のお考えになっている改革の大半は、殿下が摂政であった頃から部分的に始められており、殿下がローマ皇帝になられても、帝国を殿下のお考えどおりに改造することは、別に不可能ではないと思うのです。テオドシウス1世の時代以前は、キリスト教もローマ帝国の国教ではありませんでした。要するに、キリスト教がまだローマ帝国の国教では無かった、コンスタンティヌス1世の時代に戻すと宣言すれば良いのです。
 一方、テオドラ皇女様との婚約は、既に解消となったのですから、殿下がご結婚されるお相手は、別にテオドラ様でなくとも、とりあえず皇室の血を引き、それなりに品位のある女性であれば、誰でも構わないのではないでしょうか?」


 パキュメレスの発言がきっかけで、僕たちの話題は急遽に変わり、誰であれば僕の結婚相手として受け容れられるかという話になってしまった。
「例えば、イレーネ様ならいかがでしょう?」とパキュメレス。
「・・・まあ、イレーネであれば、皇族の血も引いているし、功績も申し分ないし、女性としても僕の好みだし、結婚相手に選んでも悪くないかな・・・」
「しかし、あの格好のままでは、さすがに皇后様とするには問題がございます。少なくとも帝国の儀式では、皇后様に相応しいドレスを着て頂いて、それ相応の立ち居振る舞いをして頂かないと」とソフィア。
「確かに。でも、あの眼鏡もどきを外して歩くのも大変なイレーネに、そんな格好をさせられるかなあ。以前、可愛いドレスを着せたら、恥ずかしくて気絶しちゃったこともあるし」

 念のため、僕はイレーネに、皇后になる意思があるかと尋ねてみた。
「私は、あなたの性奴隷。皇后になる意思はない」
「具体的に、何が嫌なの? 僕とも既に結構な関係だし、普通は喜ぶと思うんだけど」
「・・・理由は色々あるが、私は皇后に相応しい振る舞いをすることができない」

 イレーネは、それ以上理由を説明してくれなかったので、何か思い当たる節があるかとソフィアに尋ねてみた。
「理由は色々考えられますが、・・・例えば皇后様も、皇帝陛下と同様に神聖なるお方ですので、自瀆行為は絶対に駄目という規律がございます」
「・・・それじゃあ、確かにイレーネには無理だね」
 それと、マリアも無理だ。あの子も結構してるから。


 イレーネ案が消えた後も、パキュメレスは諦めなかった。
「では、ソーマちゃんはいかがですか? 彼女も、イサキオス帝の娘ですよ」
「・・・僕としては悪く無いけど、ソーマちゃんは謙虚だから、テオドラを差し置いて自分が皇后になるのは嫌がるんじゃないかなあ・・・」

「では、テオファノ様はいかがですか?」
「テオファノは、変な聖女ごっこをする趣味があるくらいで、性格はテオドラよりマシだと思うけど、あの子のこと、僕もあんまり知らないからなあ・・・」

「では、プルケリア様はいかがですか?」
「プルケリアは、品位もあるし頭も良いし、美人でもあるから、皇后様としては申し分ないと思うんだけど、あの規格外の胸は、いまいち僕の好みに合わないし、彼女にはテオドロスが熱心に求婚しているから、横から奪っちゃうのも悪いし・・・」

 僕とパキュメレスが、そんな相談をしているところへ、アクロポリテス先生が割って入ってきた。
「2人とも、テオドラ皇女様以外の候補について、熱心に議論されているようですが、そんなにテオドラ皇女様がお嫌いなのですか? 私には、殿下とテオドラ様は、何だかんだ言っても、結構仲良くしているように見えていたのですが・・・」

「アクロポリテス先生! 何を言っているんですか!?」
「お師匠様! テオドラ皇女様の恐ろしさを、ご存じないのですか!?」

 僕とパキュメレスは、いまいち事情が分かっていないアクロポリテス先生のために、『テオドラ被害者の会』の第1回会合を開催することに決めた。

第7章 テオドラ被害者の会

 『テオドラ被害者の会』の第1回会合は、プレミュデス先生が運営している医学校の一室を借りて、極秘で開催された。

「本日は、皆様お忙しいところ、よくお越し頂きました。テオドラ被害者の会、会長のミカエル・パレオロゴスです。この会は、テオドラ皇女様の被害を受けた経験のある皆様に、それぞれの体験談を語って頂き、皆様の親睦を深めるとともに、事情を理解していないアクロポリテス家令に、テオドラ皇女様の恐ろしさを知って頂くという、ただそれだけの企画です。
 身分などは気にせず、無礼講でお楽しみください」

 ちなみに、内宰相の職を解かれたアクロポリテス先生には、僕の家令という役職を与え、ソフィアと共に、僕の私領を経営する役目を与えることになっている。


「まずは、会員番号3番、ゲルマノス・アナプリオスからお話させて頂きます。

 私は、聖なる都で聖職者及び術士としてキャリアを積んでいた頃、皇女様が問題を起こされる度に、なぜか、その後片づけ役として駆り出されました。
 皇女様が下町で火事騒ぎを起こし、謝罪と被害弁償の交渉に行かされたのも、皇女様が聖なる都の城壁を術で破壊しようとしたとき、死傷者や住民からの苦情処理に回されたのも、ヘプドモン修道院を皇女様が大破してしまい、その修理費用を工面するためのあいさつ回りに行かされたのも、なぜか私でした。
 そして、皇女様が強引な手段で神聖術の博士号を取得されようとなさったとき、7番目に相手をさせられて皇女様に吹っ飛ばされたのも、私でした。

 私が、ニケーア大主教の職に就き、これでテオドラ皇女様とも縁が切れると思っても、なぜか事あるたびに呼び出されました。そして、テオドラ皇女様が、イサキオス帝を連れてニケーアへやって来られた時、他の誰もが、テオドラ様の相手をするのを嫌がったので、仕方なく私がニケーア総主教と兼任で、テオドラ様の政務を補佐することになってしまいました。
 テオドラ様は、私が書類を持っていくたびに、3回回ってワンと鳴いたら署名してやるとか、パントマイム劇で皇女様を笑わせたら署名してやるとか、私に無茶なご命令をなさいました。そのおかげで私は、仕事の合間にパントマイム劇の練習をする破目になってしまいました。

 帝国の政務を執るのが、ミカエル・パレオロゴス殿下に代わった後も、皇女様とお会いするたびに、この田舎者主教などと馬鹿にされたり、気まぐれで突き飛ばされたりしました。現在、帝国摂政はムザロンに代わり、私もかの者の下で苦労をさせられていますが、テオドラ皇女様が幽閉の身になって、顔を合わせる機会が無くなったのは、私にとってせめてもの、不幸中の幸いでございました。

 もう、皇女様が二度と、あの部屋から出てこないことをいつも祈っている今日この頃です」

「はい、ゲルマノスさん、有難うございました。僕も知らなかった話まで色々出てきましたが、ゲルマノスさんには摂政時代の僕も色々迷惑を掛けてしまい、大変申し訳なかったと思っております。ゲルマノスさんのご苦労が身に染みるようなお話、ありがとうございました!」


「会員番号4番、マヌエル・ラスカリスでございます。

 文官組で苦労させられたのがゲルマノス殿であれば、武官組で苦労させられたのは、私でございます。私は、テオドラ様に限らず、アンゲロス家の皇帝やその一族が何か不始末をやらかす度に、ヴァリャーグ近衛隊を率いてその尻拭いをさせられる役目であり、当然テオドラ様関係の仕事もございました。

 幼いテオドラ様を、私が修道院にお連れしようとしたところ、私は容赦なくボコボコに殴られ、相手が仮にも皇族の娘であるため反撃することも許されず、結局宮殿でお育てせざるを得なかったことが、テオドラ様に関する最初の思い出でございます。

 私は、テオドラ様が何か問題を起こされる度に、それを制止するために駆り出され、暴れる皇女様を押し留める役目を申し付けられました。本日は、所用のため出席できない、会員番号5番の息子テオドロス共々、テオドラ皇女様には散々、このヴァリャーキー、裏切り者などと散々謗られ、ニケーアへやってきたときにテオドラ様の姿を見たときは、それはもう、単なる悪い夢であって欲しいと思いました。

 ニケーアで、ブロワ伯ルイが攻めてくるという事態に陥った時、私は当時摂政であった皇女様に、迎撃策を採るよう進言致しましたが、皇女様はろくに話も聞こうとせず、あのとき殿下がいらっしゃらなければ、この帝国は滅亡するところでございました。

 軍を率いて遠征に出る際にも、ミカエル殿下は兵と同じ食事で満足されているのに、皇女様はその取り巻きと共に、普段通りの贅沢な生活がしたいと散々駄々をこねられ、こんなのがいては兵の士気にも関わりますので、私はこれまでも何度か、あの皇女様を軍から外すことはできないかと、殿下にご相談したことがございます。

 しかし、殿下はその度に、あの皇女様には何を言っても無駄だ、それなりに軍の役にも立っているので、歩く攻城兵器だと思って我慢しろ、重い割に威力の低い攻城兵器を持ち運ぶ苦労に比べれば、テオドラを連れて行く苦労くらい何でも無いだろうと仰られました。あのいけ好かない、テオドラ四天王とかいうふざけた連中が揃った時にも、私は歩く攻城兵器、歩く攻城兵器だからと思って我慢しろと、自分に強く言い聞かせて参りました。

 テオドラ皇女様が、ムザロンの婚約者としてニケーアで過ごされるようになったとき、皇女様は神具を取り上げられても、素手で激しく抵抗され、結局ニケーアの守備隊では対処できず、我々も出動させられることになりました。
 皇女様相手に剣や戦闘斧を使う訳にも行かず、最後は私と、息子テオドロスとイサキオスの3人掛かりで、ようやく取り押さえることになりました。オフェリア殿の術によって皇女様が弱体化させられ、ようやく諦められるようになるまで、何度もそのようなことがございました。

 テオドラ皇女様を取り押さえるために、私の率いるヴァリャーグ近衛隊にも何人かの死傷者が出ましたが、その死者の数は、この7年間殿下と共に各地を転戦してきた間の死者合計より多いほどでございました。

 確かに、殿下の仰るとおり、多くの城や町が、テオドラ皇女様の名前を聞いただけで震え上がり、戦わずして門を開いたことは事実でございますが、歩く攻城兵器にしても、せめてもう少しまともな術士はいないのかと、常々思っていた次第でございます」

「はい。マヌエル・ラスカリスさん、僕がこれまで語り切れなかった裏事情までお話し頂き、まことにありがとうございました! そういえば、息子のテオドロスさんは、本日何の御用ですか?」
「息子は、本日ニコメディアで暴動が発生したので、その鎮圧に向かっております。私も、この会が終わった後は、テオドラーノポリで起きた不穏な動きに対処しなければなりません。正直、町の名前を聞いただけで嫌な気分になります」

「そうだったのですか。大変お忙しいところをご出席頂き、まことにありがとうございました!」


「会員番号6番、あまり出番がないので忘れられているかも知れませんが、現在でもニケーアの総督を務めている、バルダス・アルパイテスです。

 イサキオス帝を連れて、ニケーアにやってきたテオドラ皇女様が、最初にお命じになったことは、聖なる都を奪還するための軍を編成することでも、内政をすることでもなく、単に自分用の豪華な浴場を整備することでございました。

 しかも、テオドラ様は、聖なる都並の豪華なものを作れと仰られ、私はニケーアの収入ではとてもそんなものは無理だと申し上げたのですが、テオドラ様は私に殴る蹴るなどの暴力を加え、仕方なく出来る限りの整備を行いましたが、テオドラ様はそれでも、満足されることはありませんでした。

 ブロワ伯ルイを迎撃する際の苦労は、ラスカリス将軍が既に語られているので省略いたしますが、テオドラ様はその後も、何か気に食わないことがあると、ニケーアの町で乱闘事件を起こされたりなさいましたし、ご自分の名を冠したテオドラーノポリという新しい町を作れと命じられたこともございました。
 ミカエル殿下の治世で、ニケーアの治安はかなり改善したのですが、その殿下でさえもテオドラ様に関してはどうすることも出来ず、テオドラ様に関しては、腫物を触るような扱いでございました。

 テオドラ様が、殿下と共に新都ニュンフェイオンへお引越しになり、これで私の仕事もだいぶ楽になったと思っていたのですが、ムザロンの意向で、テオドラ様が再びニケーアに戻って来ることになり、私は暴れるテオドラ様を取り押さえるために、守備隊まで動員しましたがそれでも足りず、結局ラスカリス将軍のご助力を仰ぐことになりました。ニケーアの守備隊も、かなりの被害を受けました。
 私も、息子のコンスタンティノスが反乱軍に加わってしまったことを含め、新摂政ムザロンの許で様々な苦労を強いられており、出来れば『イサキオス帝被害者の会』と『ムザロン被害者の会』も作って頂きたいところなのですが、本日はテオドラ様に関するお話ということなので、ここでは省略させて頂きます」

「はい。バルダス・アスパイテスさん、ありがとうございました! 読者の皆さんには、忘れている方もいらっしゃるかも知れませんが、僕はしっかり覚えていますから、安心してください!」


「会員番号7番、現在はこのニュンフェイオン医学校で校長を務めている、ニケフォロス・プレミュデスでございます。

 私は、テオドラ皇女様が神聖術をお習いになるとき、学士号を取得するための基本講座と緑学派の講師を担当致しました。しかし、皇女様は私の講義をろくに聞こうともせず、もっと面白い話をしろなどと散々文句を言われ、緑学派の実技で『治療』の術をお教えしたときも、皇女様はナイフで自分の身体に傷を付けるのではなく、その場で私を殴り倒して治療の術を掛けるなど、散々苦労させられました。
 他学派の実技でも、テオドラ皇女様は覚えたばかりの火炎球の術であちこち放火して回るなど、散々苦労させられたと聞き及んでおります。

 そして修了考査でも、テオドラ皇女様はまともに勉強なさらないので、なかなか合格できず、しかも私が正解を申し上げると、自分のいう事が正解だなどと私に食って掛かり、またもや私に、殴る蹴るの暴行を加えられたのでございます。
 そして、テオドラ皇女様が不合格となる度に、補習で私を含む講師たちが大変な思いをさせられることになりますので、他の講師たちとも協議の上、3回目の修了考査では、最初から私が答えを教え、修了考査に合格したことにして皇女様に学士号を与え、厄介払いすることになったのでございます。

 私は、テオドラ皇女様がいくら適性95の強力な術士でも、こんな人間はどの学派もいらないと思うだろうと思っておりましたが、赤学派だけは、ライバルの白学派に適性93のプルケリア様を取られたことに対抗するため、敢えてテオドラ皇女様を歓迎致しました。

 その後、テオドラ皇女様は、皆様もご存じの強引極まりない方法で博士号を取得され、その後テオドラ様は、『あたしが帝国最強の術士なんだから、あたしが赤学派で一番偉い議長になるのは当然よね』と言い出し、他の赤学派術士をなぎ倒して、自ら赤学派の議長に就任されたと聞き及んでおります。テオドラ皇女様を迎え入れた赤学派術士たちの所業は、自業自得であると申し上げるしかございませぬ。

 また、テオドラ皇女様の度重なる蛮行が原因で、神聖術士になるための宣誓を行うとき、街中その他公共の場所で、危険な神聖術をみだりに発動しないという、まともな人間ならそんなこと言われなくても分かるだろうと言いたくなるような条項がわざわざ追加されたことは、神聖術を習っておられる皆様であれば、よくご存じであろうかと思われます。

 私はその後も、テオドラ様と会うたびに、『あの時のクソジジイ』などと呼ばれ、会うたびに暴行を加えられますので、街中でテオドラ様の気配を感じたときは慌てて隠れるなど、出来る限りテオドラ様とは、関わり合いを持たないようにしております。

 あと、殿下のご決断により、今ではすべての女性神聖術士に博士号の取得が認められておりますが、テオドラ様は殿下に、その決め方が強引であると食って掛かられておりました。その光景をみていた私は、口では何も申し上げませんでしたが、内心ではどの口がほざくかと思っていたところでございます。
 以上で、私の体験談を終わらせて頂きまず」

「はい。プレミュデス先生、ありがとうございました! 僕も、テオドラが神聖術を習ったときには、どうせろくでもない事をやっているだろうと思ってはいましたが、まさかそこまでひどいとは思っていませんでした!」


「・・・会員番号8番、ソーマ・アンゲリナです。よろしくお願い致します。

 私のお話をさせて頂く前に、皆さまに深くお詫びをしたいと思います。先にお話をされた方々の話をお聞きして、私自身を含め、テオドラ皇女様とその取り巻きが、皆様にどれだけご迷惑をおかけしているか、改めて実感させられました。皆様には、適切なお詫びの言葉すら見つかりません。

 私自身のお話ですが、私は母がテオドラ皇女様の養育係となったこともあり、幼い頃から皇女様と一緒に育てられましたが、私は皇女様の異母妹であるはずなのに、皇女様は私を下僕のように扱い、いつの間にか、そのような関係が当たり前のようになってしまいました。
 そして、皇女様は気に入らないことがあるとすぐ暴力を振るわれるので、私は皇女様のご機嫌を損ねないよう、日々身の縮むような思いで暮らし、いつの間にかそのような暮らしが、当たり前のようになってしまいました。

 私が、殿下と初めて顔を合わせることになったとき、テオドラ様は殿下をからかうため、私のことはちゃん付けで呼ばなければならないという、変なルールがあることにして、ルミーナさんたちと口裏合わせをなさいました。
 やがて、皇女様がいたずらで殿下と身体を入れ替えられたことがきっかけで、そのようなルールは単なるいたずらであることが発覚してしまいましたが、お優しい殿下は私に対しても怒ることなく、そのまま私のことをちゃん付けで呼び続けてくださり、畏れ多いことに、私のことはちゃん付けで呼ぶべきだという勅令まで出して頂きました。・・・殿下には、本当に感謝しています。

 ・・・あ、すみません、今回は皇女様のお話をするのでしたね。その後、皇女様はご自分の四天王なるものを結成し、私もその一員に加えられてしまいました。これから戦闘だというときに、衆人環視の前で変な決めポーズをさせられるのは、本当に恥ずかしかったです。しかも、私たちが、ラスカリス将軍をはじめとする軍人さんの皆様から、そのように白い目で見られていたなんて、本当に、穴があったら入りたいくらいです・・・」
 そこまで話したところで、とうとうソーマちゃんは泣き出してしまった。

「・・・もういいよ、ソーマちゃん。君も相当苦労してきたってことが、皆もよく分かったと思うから。後はゆっくり休んで、他の人の話を聞いていればいいよ」
「・・・申し訳ありません、殿下。最後までお話できませんのに」

「えーと、ソーマちゃんとお呼びすれば宜しいのですかな。このラスカリスは、先程いけ好かない奴などと呼んでしまいましたが、ソーマちゃんだけは例外でございますぞ。ソーマちゃんは、皇女様の取り巻きの中でも唯一良心的で、我々と顔を合わせる際にも、いつも申し訳なさそうな顔をしていらっしゃいましたからな」
 ラスカリス将軍、いやこの場では会員番号4番のラスカリスさんが、そう弁解した。


「・・・では気を取り直して、まさか会員になるとは僕も思っていなかった、会員番号9番、テオファノ・アンゲリナさん、お話をお願いします!」

「会員番号9番、ビザンティオンの聖女テオファノが、まさしく悪魔の化身とでもいうべき、姉上の正体について、お話ししましょう。

 姉上は、この私が物心付いたころから、気に入らないことがあればすぐ暴力に訴え、それによって大抵のことは思いどおりになったので、何でも暴力に訴えれば解決するという、悪魔のような考えの持ち主になってしまいました。剣術と神聖術を覚え、さらに大きな力を手に入れると、その傾向はますますエスカレートして行きました。
 更には、最高の威力で発動すれば世界を滅ぼすこともできるという、メテオストライクなる魔術を開発し、自分こそ世界最強の術士である、この術で世界を征服して見せるとまで豪語するようになりました。

 そして姉上は、この私テオファノが、自分にとって唯一の妹であると吹聴しておりますが、私は姉上にそれほど可愛がられているわけでも、尊重されているわけでもありません。
 姉上は、小さい頃から、私からおやつを取り上げて自分で食べてしまわれたり、私が大切にしていた聖処女マリアのイコンを、単に気に入らないからという理由で割ってしまったり、私が四天王の一人に入りたいと言っても、聞き入れてくれなかったり、聖女になるための服装についても、そんなのじゃ格好悪いなどと、色々文句を付けられたり・・・。
 また、姉上はレオーネという猫を可愛がっていましたが、やがて飽きると、どこからともなく連れてきた新しい猫にレオーネと名付け、ご自分で飼っていた猫たちの世話を、私に押し付けてしまいました。あまりにも身勝手である上に、新しい名前も今では私が世話をしているレオーネと同じで、ややこしくて仕方がありません。

 そして姉上は、あるとき術の使い過ぎで気絶してしまうという事件を起こし、私は当初それが殿下のご命令だと聞いて、思わず殿下を責めてしまいましたが、後日聞いたところによると、姉上は殿下のご命令でヴェネツィア艦隊を攻撃したのではなく、単なる腹いせで、ヴェネツィア艦隊に八つ当たりをしただけということを知りました。
 姉上のせいで、私は無実の罪で殿下を責めるという、永遠に許されない大罪を犯すことになってしまいました。・・・殿下には、お詫びの言葉すら見つかりません」

「・・・テオファノさん、それは私も同じです。一緒に殿下にお詫びしましょう」
 そして、ソーマちゃんとテオファノが、揃って僕に平伏してきた。

「ソーマちゃんも、テオファノも、ここはそういう場じゃないから。そんな昔のこと、僕はいちいち気にしていないから。当のテオドラには、もっとひどいこと言われ続けてるから。
 それで、会員番号10番のイレーネ・アンゲリナさんですが、あいにく本日はご欠席で、その代わり

『彼女に関する不快な記憶の数々は、あまりにも多すぎて、とても1日ではコメントできない』

という、短いですが非常に重い内容のお言葉を頂いております。
 では、次の方、お願いします」


「会員番号11番、プルケリア、アンゲリナでございます。

 私は、先にお話しされた皆様ほど、あの爆裂皇女から壮絶な被害を受けたわけではございませんが、あの女は、こちらが気にしてもいないのに、私の事を一方的にライバル視し、喧嘩を吹っ掛けてくる、迷惑な女でございました。
 あの女は、私のことを乳牛などと呼び、また暑い時、私がシャーベットを作って殿下や皆様にお配りしたところ、あの女は私に向かって、

『あんた、術士なんてやめて、シャーベット職人になればいいじゃない。それで、そのおっぱいから牛乳を出して、シャーベットに掛けて売れば、結構稼げるんじゃないの』

などと言われました。あの時はさすがの私も、この女殺してやろうかしらと思ってしまいました。

 とりあえず、あの女がムザロンの婚約者としてニケーアに幽閉されたと聞き、ようやくうるさいのがいなくなったと思っている次第です。手短ですが、私からのお話を終わらせて頂きます」

「はい、プルケリアさん、ありがとうございました! 確かに、セルビアに遠征している途中、テオドラがそんなことを言っているのは僕も聞いていましたが、僕は戦争のことに夢中だった上に、テオドラがその種の暴言を吐くのは日常茶飯事のことなので、プルケリアさんがそこまで腹を立てているとは気付かず、放置してしまい申し訳ありませんでした!」


「会員番号12番、コンスタンティノス・パレオロゴスです。

 私は、インポテンツであるという根も葉もない噂を流され、最初は当家に出入りしていたテオドロス・ラスカリスさんの仕業だと思っていましたが、よくよく話を聞いてみたところ、実際にはテオドラ皇女様が、『コンちゃんはインポテンツなのよ』などと触れ回っていたことが原因であることが分かりました。

 そして、当時のテオドラ皇女様は、そもそもインポテンツという言葉の意味すら知らずに、むやみやたらと使いまくっていたようです。そして皇女様は、コンスタンティノスという私の名前は長すぎるからと、私の事を勝手に『コンちゃん』と呼ぶだけでなく、自ら『聖なる愛の物語』などという私小説を書いて、私が殿下と同性愛関係にあるという事実無根のことを前提に、私とパキュメレス殿が、殿下の寵愛を競っているなどと触れ回っているということです。
 なお、コンスタンティノスという名前の人物は、他にもコンスタンティノス・アスパイテスなどがいるのに、コンちゃんなどと呼ばれているのは、なぜか私だけです。

 どうして私は、テオドラ皇女様から、これほど理不尽な風評被害を受けなければならないのでしょうか。私からの話は以上ですが、最後に繰り返し強調させて頂きたいと思います。私は決してインポテンツでも、同性愛者でもありません!!」

「はい。コンスタンティノスさんからの熱いメッセージ、ありがとうございました! 僕や、パキュメレス副会長も、同じような風評被害を受けていますが、3人とも同性愛の趣味は全くありません!」

「「「えっ?」」」
 僕の声に、ソーマちゃん、テオファノ、プルケリアの3人が、揃って驚きの声を上げた。

「・・・まさか、3人とも、テオドラの作り話が本当の話だと信じてたの?」
「『聖なる愛の物語』は、メラニアという筆名で公刊され、女性たちの間では広く読まれています。あれを書いたのがテオドラだということ自体、今初めて聞きました。
 あのお話は、女性たちの間では広く事実であると信じられており、お三方とも女性たちから『可愛い』と評されるような顔立ちをされていることもあって、今更その噂を取り消すのは、かなり難しいのではないでしょうか・・・」とプルケリア。

 そして、ソーマちゃんとテオファノは、何やら冷や汗を浮かべながら、沈黙を守っている。

「ソーマちゃん、テオファノ、この件に関しては、君たちも共犯なのかな?」
「・・・その、『聖なる愛の物語』は、あまりにも名作でございまして、殿下を見ると、ついあの物語のイメージが強くなってしまいまして・・・」とソーマちゃん。
「・・・このテオファノは、『聖なる愛の物語』の公刊には、神に誓って一切関与しておりません。あの物語を読んで感動した誰かが、次々と筆写して広めて回り、ついには印刷して公刊する者が現れてしまったのでしょう。姉上は悪魔の眷属である故、その洗脳から逃れるのは容易ではありません」
 『意思疎通』の呪法に頼るまでもなく、テオファノの言っていることは何か嘘くさい。ソーマちゃんの言葉に至っては、弁解にすらなっていない。

 僕の心の中で、ソーマちゃん、テオファノ、プルケリアへの好感度が、それぞれ10下がった。


「・・・もういいです。では、いよいよ真打ち登場・・・の前に、テオドラの被害者と言えば、この方を忘れてはなりません! 会員番号13番、サイクロプスのレオーネさん、どうぞ!」

「殿下、その前に、その者が一体何者なのか、説明して頂けないでしょうか? さっきから、その黒い一つ目の怪物について、ずっと気になっていたのですが」とラスカリスさん。
 他の出席者も皆同様に思っているようなので、僕は軽く説明することにした。

「彼は、現在こそ僕の術で人間サイズに小型化していますが、本来の姿はもっと大きい、ギリシア神話に登場する下級神で、鍛冶技術に長けた一つ目の巨人、サイクロプスです」

「「「サイクロプス!?」」」

「そう。彼は、神様でありながら、単なるテオドラの気まぐれで捕獲され、普段は猫の姿に変身させられ、レオーネと名付けられ、テオドラのペットにされてしまっています。その経緯を含め、お話頂きましょう」

「今紹介のあったとおり、我がサイクロプスである。我は、遠い北方の地で一人暮らしていたところ、テオドラという女にいきなり爆撃を受け、報復のためその女を倒しに向かったところ、テオドラ、イレーネ、そして今司会をしているミカエル・パレオロゴスの3人に迎撃され、激しい戦いの末に屈服させられてしまった。
 そして、我はテオドラという女の術で、猫の姿に変身させられてレオーネと名付けられ、日々あの女から虐待を受けている。そこのミカエル・パレオロゴスは、我のことを神として尊重してくれるので、我もあの女が出掛けている隙を突いて時々逃げ出し、この姿に変身して印刷機を作ったり、彼に協力している。
 我が、どういう経緯でこのような仕打ちを受ける破目になったのかについては、ミカエル・パレオロゴスから説明を受けたが、何度聞いても全く合点が行かぬ」

「・・・姉上の連れてきた新しい猫の正体は、そのサイクロプスであったのか!?」

「そうだよ、テオファノ。テオドラはね、僕たちがサライに行ったとき、急に自分のペットが単なる猫では物足りない、最強の術士にはそれに相応しい、希少価値の高いペットが必要だとかいう理由で、ちょうどサライの近くに住んでいたサイクロプスを捕らえて、自分のペットにすると言い出したんだ。
 僕は止めようとしたんだけど、既に彼はもうテオドラの挑発に怒って、サライに向かって攻めてきてしまったんで、僕が壁役にさせられて彼の攻撃を必死に防ぎ、その間にテオドラとイレーネが強力な術を連発して彼を弱らせ、ついに彼を屈服させてしまったんだ。だから、彼は今ここにいるわけ」

「・・・やはり姉上は、悪魔の化身なのだ・・・」
 テオファノや、傍聴人であるアクロポリテス先生を含め、僕を含む出席者一同、あまりのことに驚愕し蒼ざめている。


「では、いよいよ真打ちの登場です! 会員番号2番、副会長のゲオルギオス・パキュメレスさん、どうぞ!」

「パキュメレスです。テオドラ様に関する被害の数々は、思い出したくもないほどたくさんあるのですが、かいつまんでお話しさせて頂きます。

 私が、テオドラ様と初めて出会ったのは、殿下がお師匠様に仕官を勧めるため、自らアトス山の麓にある、お師匠様のお宅を訪問されたときのことです。当時の私は、お師匠様の弟子として、一緒に住みながら勉強させて頂いておりましたので、お師匠様が留守にしている間、私が応対しました。

 2日目になっても、お師匠様は自分を安売りしたくないとかいう理由で、わざと留守にされ、それに怒られたテオドラ様は激怒され、炎の術で近くを航行していたヴェネツィア船に無差別攻撃を掛けて撃沈する一方、明日もいないのであれば、お師匠様もあの船と同じ目に遭わせてやると脅され、私は震え上がってしまいました」
 ・・・あの時、アクロポリテス先生が不在だったのって、わざとだったのか。

「・・・あまりに怖かったので、私はお師匠様に泣き付き、もうわざと留守にするのはやめましょうと説得し、3日目は無事お師匠様と殿下との会談が実現したのですが、お師匠様はおふざけで殿下への仕官をお断りになり、それに怒ったテオドラ様は、怒りを爆発させる寸前になりました。私はそれを見て恐怖し、もう自分の命はこれまでかと思ったほどです。

 私は、ほぼ最初の頃から、テオドラ様に『ぱーすけ』と呼ばれるようになり、その後殿下の側近としてお仕えし、遠征の時にも殿下に随行し、多くのことを学ばせて頂きましたが、一方で僕は兵士たちのおもちゃとして扱われ、テオドラ様にも目を付けられ、私はいつの間にか、殿下の同性愛相手だとみなされるようになってしまいました。

 それだけでなく、私はもう数えきれないほど何度もテオドラ様に呼び出され、ある時はいきなり羽交い絞めにされて悲鳴を上げさせられたり、あるときは身体をくすぐられたり、あるときは恥ずかしい質問をされたり、またあるときは、いきなり服を脱がされて、私の男としての大事なものをじっくりご覧になったりしました。

 そのとき、テオドラ様は、私の大事なものの大きさが、殿下のものの6分の1くらいしかないと仰り、その後しばらく、『六分の一殿』と呼ばれるようになりました。お師匠様をはじめ、何人かに名前の由来を尋ねられましたが、私はあまりに恥ずかしいので、『私にも分かりません』と答えるしかありませんでした」
 ・・・本来、『六分の一殿』というのは、日本の室町時代、山名氏の一族が全国66か国のうち11か国の守護を兼ね、その権勢を称して付けられた名前だが、パキュメレスに付けられた『六分の一殿』は、本物とのギャップが激し過ぎる。

「私は最初の頃、なぜテオドラ様が私にそのような虐待をなされるのか、不思議に思っていましたが、やがてテオドラ様が、私を虐待した後、何か閃いたという感じで、机に向かって何か書いていることに気が付きました。
 そして、殿下のご指摘により、テオドラ様は、私と殿下などとの間の同性愛を描いた『聖なる愛の物語』なる私小説の性的描写にリアリティを出すために、私を使っているということが分かりました。

 もっとも、真相が分かったところで、テオドラ様を止めることはできませんでした。殿下が『聖なる愛の物語』の焼却を命じても、テオドラ様の取り巻きは断固としてそれを守ろうとし、また私は、テオドラ様に拉致される事態を防ぐため、できる限り殿下の側に付いているようにしましたが、そのこと自体もまた、私と殿下が同性愛関係にあるという、あらぬ誤解を広める原因になってしまいました。
 しかも、殿下がマリア様、イレーネ様といった女性と一緒に過ごされているときは、さすがに私も一緒にいることはできませんので、そういうときは1人になるのですが、テオドラ様はそうした時間帯を狙って私を拉致するようになったので、あまり意味がありませんでした。私が、ようやくテオドラ様の虐待から解放されたのは、テオドラ様がニケーアに幽閉されてからのことです。


 それでも、テオドラ様に関しては、良い思い出が1つだけあります。
 ある日、テオドラ様は、私を呼び出しても虐待などすることなく、むしろ私に

『パキュメレス。あなたは将来の宰相候補として、殿下が大切にお育てしている方なのです。・・・これからも殿下のお友達として、仲良くしてあげてくださいね』

と、優しい言葉を掛けて下さいました。あのときのテオドラ様は、まるで美しい天使様のようでございました。もっとも、そのときのテオドラ様は、間もなく中身は殿下だったことが明らかになったのですが、あのときのテオドラ様にもう一度お会いできないのは、本当に残念です」


「パキュメレス! 最後のエピソードは明らかに蛇足だぞ! そんな、うっとりした顔でそんな顔をするから、僕たちの同性愛疑惑を払拭するどころか、むしろ疑惑を拡大させているぞ! 見ろ、ソーマちゃんとテオファノが、明らかに目を輝かせて僕たちを見ているぞ!」

 その後、パキュメレスはようやく正気に戻り、最後に僕の番となった。

「では、会員番号1番、会長のミカエル・パレオロゴスから、テオドラに関する悪い思い出について語らせて頂きます。もっとも、僕のテオドラに関する嫌な思い出はあまりにも多く、細かい事まで述べていたら、それだけで優に1冊の本が出来てしまうくらいですので、特に印象深いエピソードを中心に、なるべく簡潔に語らせて頂きます。

 僕は、日本という戦争のない平和な国で、普通の高校生として生活していましたが、『一緒にローマ帝国を再興し、歴史の旅を楽しみませんか?』などというキャッチフレーズに惹かれて、何となくそのゲームらしきものを遊んでみようとしたところ、僕も認識していない間に、奴隷契約書なるものにサインしたことにされてしまいました。
 そして、ローマ帝国再興の任務を果たすことなく、僕が日本へ帰るというのであれば、僕の男として一番大事なものをちょん切ってしまうと脅され、僕は仕方なくテオドラの奴隷として、この国のために働かされることになりました。

 そして、様々な候補者の中から、テオドラが僕を選んだのは、単に僕の顔が可愛いというだけの理由であったこと、僕は日本では別の名前でしたが、この国ではテオドラからミカエル・パレオロゴスという名前を与えられ、やがて僕も知らない間に、僕はテオドラの婚約者にさせられていることなどを知らされるに至りました。
 それでも、僕はローマ帝国再興という任務を果たさなければ、日本で元の生活に戻ることは許されませんので、その任務を果たすために一生懸命頑張りましたが、テオドラには何度も、ヒーロー要素やエンタメ要素が足りないとか、理不尽な文句を言われたり、足を引っ張られたりしました。

 特に印象的だったのは、まずラテン人の皇帝ボードワンを殺すと、有能な弟のアンリが皇帝になってしまいラテン人が強敵となるので、ボードワンだけは絶対殺すなと念を押したのですが、テオドラは僕の命令を聞かずに、ボードワンを術で焼き殺してしまいました。その結果、有能なアンリが次の皇帝になってしまい、僕はアンリを排除するのに、2年以上の時間を費やしました。あれが無ければ、僕のローマ帝国再興事業は、もっと速く進んでいたかも知れません。
 それ以外にも、テオドラはアクロポリテス先生をふん縛ってニケーアに強制連行すると主張したり、皇帝フリードリヒ2世の前で、あんたは戦争の仕方を知らないなどと暴言を吐いたり、これらは結果として致命傷にはならなかったものの、僕にとっては身の縮むような思いでした。

 また、サライでバトゥの弟ベルケに謁見した際には、テオドラは町へ遊びに行ってしまったので、これなら邪魔されずに済むと安堵していたら、その後テオドラは、いきなりサイクロプスを捕らえて自分のペットにすると言い出し、僕は否応なくサイクロプスとの戦闘に巻き込まれました。

 あの時の戦闘では、僕は壁役になってサイクロプスの攻撃を防ぐ役目を一手に引き受けさせられた一方、張本人のテオドラは、戦闘中にちょっと休憩などと言って、食事を取ったりしていました。当然、壁役の僕にそのような休憩時間などは無く、戦闘後3日間くらいはまともに動けなくなってしまい、その後ブルガリアでボリルと戦った時も、完全に気力が戻らないので、省エネモードで戦うしかありませんでした。僕も、あのサイクロプスとの戦いの時には、いつかテオドラを殺してやりたいと思いました。

 そんな苦労を重ねながら、あとは聖なる都さえ取り戻せば、ローマ帝国の再興はひとまず果たせる、僕もやっと日本へ戻れると思っていた矢先、僕はイサキオス帝によって摂政を解任されました。

 ・・・そして、僕の取り巻き連中は、僕の仕事は聖なる都を奪回すればそれで終わりというのではなく、皇帝として一生、この国を統治しろなどと言っています。
 冗談じゃありません。僕の気力だって、限界というものがあるんです。しかも、僕はよりによって、皇帝になるために、僕の愛するマリアを捨てて、あのテオドラと結婚しろなどと誰かさんに言われているんです。皆さん、僕はいくらローマ帝国のためだからと言って、こんな理不尽な仕打ちを、敢えて受け容れなければならないのですか・・・?」

 アクロポリテス先生を含め、僕の言葉に返答してくれる人は誰も無く、僕はそのまま、第1回会合の終了を宣言した。

 僕は、言いたいことを言って清々しい気分になった積もりだったが、テオドラに関する思い出を振り返った結果、あんなテオドラでも、今度二度と会えないとなるとちょっと寂しいな、という気分になってしまった。
 その後、僕はますます、どうすれば良いか分からなくなり、無気力状態に陥ってしまった。

第8章 ヴァタツェス家の事情

 そして、3月に入った頃のある日。

「殿下、摂政のムザロンから、出陣命令が届いています。聖なる都を奪還するための軍を興すため、殿下も1万の軍を率いて参陣せよ、とのことです」
「・・・今の国内は、そんなことをやっていられる状況じゃないと思うんだけど」
「どうやら、ムザロンは自らの手で聖なる都を奪還することで、自らの威信を高めて事態打開を図ろうとしているようです」
「まあ、いずれにせよ、行けと言うのであれば行くしかないか。どうせ、聖なる都に残っているのは、ヴェネツィア人とその雇った傭兵くらいでしょ?」


「いえ、窮地に陥ったラテン人は、極めて強力な助っ人を連れて来たようです」
「極めて強力な助っ人? ロベルト・ペタジーニとか?」
「いえ、そのような名前の者ではありません」
「じゃあ、アレックス・ラミレスとか」
「それも違います。一体どこから、そのような名前が出てくるのですか」
「分かった! ウラジミール・バレンティンでしょ!」

「殿下、私に理解できないボケをかまされても、反応できません。ラテン人は、領地が聖なる都だけになったこの窮状を打開するため、元エルサレム王のジャン・ド・ブリエンヌと、その配下に属する十字軍戦士たちを迎え入れ、ブリエンヌを一代限りの共同皇帝として迎え入れたそうでございます」

「・・・そのブリエンヌって、あまり良く知らないけど、そんなに強いの?」

「既に90歳を超える老齢でございますが、歴戦の勇士として名高く、今でも将として侮れない存在でございます。その配下である十字軍戦士たちも、長年シリアでイスラム勢力と戦ってきた精鋭部隊です。くれぐれも不覚を取らないよう、ご注意くださいませ」
「分かった」

 僕は、少し考えた末、メンテシェ率いる6千のムハンマド常勝隊と、ジャラールとその配下の弓騎兵2千騎、オスマンとその配下の弓騎兵2千騎、そしてプルケリアを連れて行くことにした。
 正直なところ、僕が指揮を執る戦いではなく、他人の指揮下で戦わされるのは今回が初めてなので、どんな編成にすれば良いのか、いまいちピンと来なかったのだ。

「なぜ、私を連れて行かない?」
「イレーネ、今回は単なる手伝い戦だから、君が出て行く程じゃないよ。君には留守番を頼む」
 僕はこう言い繕ったが、本音はイレーネを連れて行くと、執拗に子作りをせがまれる可能性が高く、ここでイレーネの誘惑に負けたり、イレーネに逆レイプされたりしたら、マリアとの結婚が台無しになってしまうと思ったからだ。

「・・・あなたの気力は、必ずしも十分ではない。私を連れて行かないのは危険」
「どうせ勝っても、ムザロンの手柄になるだけの戦いに、どうやったってやる気なんか出ないよ。それに、イレーネにもらったネックレスがあるから、少なくとも死んだりはしないよ」

 そしてマリアは、激しく泣きながら、今回の出陣を止めてきた。

「・・・ご主人さまあ~、行かないでくださいなのです~!」
「行くなと言っても、これは命令だから、行かざるを得ないんだよ」
「でも、今回はとても、嫌な予感がするのです。ご主人様が行くのは危険なのです」
 イレーネとマリアに、揃って危険だと言われると、僕も本当に危険のような気がしてきたが、出陣を止めるわけにも行かない。

「今回は、僕が指揮を執るわけでは無いから、勝てるかどうかは分からない。でも、危なくなったらすぐ逃げてくるから、少なくとも死んだりはしないよ。それに、これまでの戦いと同じように、出陣中もちょくちょく帰ってくることは出来るし」
「でも、ご主人様が心配なのです・・・」
「心配してくれるのは嬉しいけど、僕は死んだりしない。必ず帰ってくる」
 何となく、死亡フラグのようなセリフでマリアを宥めつつ、僕は1万の軍を率いて出陣した。


「何じゃこりゃあ?」
 それが、聖なる都を攻撃する軍の全容を知った僕の、第一声だった。

 兵力は、僕の率いる軍を含めて、総勢約5万人。数としてはまあ、妥当な線だ。

 しかし、総大将のエルルイオス・ムザロンは、陣頭指揮を取るのではなく、後方の教会で勝利を祈っているという。軍も、ムザロン一族やその仲間である諸侯による寄せ集めの軍隊で、明らかに雇ったばかりの傭兵、明らかに役に立ちそうにない農民兵も結構いる。
 そして、前線はそうしたムザロン派の兵士たちが固め、僕の軍や、僕と親しい間柄の軍勢は、後方に陣を敷くよう命じられている。

 後方に陣を敷いている軍勢には、ヴァタツェス家の軍もいるので、僕はまず、久しぶりに会うことになる、ヴァタツェス将軍の陣へ行って、声を掛けることにした。
「ニュンフェイオンの領主にして、デスポテースの、ミカエル・パレオロゴスである。ヴァタツェス将軍にお会いしたい」
「これは、ミカエル殿下ではございませんか。お久しぶりでございます」
 そう、僕に声を掛けてきたのは、見た目20代くらいの若い男だった。

「・・・そなたは?」
「私は、ヴァタツェス家の家令を務めております、アンドレアス・ヴァタツェスと申します。一応、殿下とも面識はございますのですが、覚えていらっしゃいませんか?」
「済まぬ。ヴァタツェス将軍は覚えているが、その身内の者まで覚える余裕は無かった。そなたは、ヴァタツェス将軍のご子息か?」
「いえ、私はヨハネス・ヴァタツェス将軍の配下で、将軍によって最近家令に抜擢され、ヴァタツェスの家名を与えられた者に過ぎません。確かに、以前殿下にお会いした時には、私は将軍配下の百人隊長に過ぎませんでしたので、殿下が覚えていらっしゃらないのも、ある意味当然のことでございました」

「まあ、そなたのことは覚えておく。ヨハネス・ヴァタツェス将軍はおられるか?」
「・・・将軍はご病気でございまして、娘のヴィルヘルミーナ・ヴァタツィナ様が、代理で我らの指揮を執っておられます」
「将軍には、ご子息はいらっしゃらないのか?」
「テオドロス様という1人息子がおられるのですが、テオドロス様も病弱でございまして、一族のうち軍の指揮を執れる者は、ヴィルヘルミーナ様しかおられないのでございます」

「・・・そうなると、ヴァタツェス家の後継者はどうなるのだ?」
「それが、まさに大きな問題となっております。当主のヨハネス・ヴァタツェスは、既に高齢で余命いくばくもなく、長男のテオドロス様も病気がちで子供はおりません。テオドロス様に万一のことがあった場合、その後はヴィルヘルミーナ様に婿を取って頂く必要がありますが、ヴィルヘルミーナ様は神に生涯の純潔を誓ってしまわれており、それも叶いません。現在ヴァタツェス家は、断絶の危機にあります」

「それは確かに大変だが、ヴァタツェス家の内部問題に、余が介入することはできん。とりあえず、ヴィルヘルミーナ殿に会わせてくれ」
「畏まりました」
 こうして、僕はヴィルヘルミーナの天幕に通された。


「ミカエル・パレオロゴス殿、お初にお目にかかる。私が、当主代理で軍の指揮を務める、ヴィルヘルミーナ・ヴァタツィナだ」
 ヴィルヘルミーナは、その勇敢そうな名前に相応しい、いかにも凛々しい感じの女性だった。年齢は見たところ20歳前後。髪は長い金髪で、特に僕の好みという訳ではないが、まあ美人と言って良い部類に入る。

「こちらこそ、お初にお目にかかる。女性の身でヴァタツェス家の軍を率いられるとは、これまた勇ましい」
「おや、ミカエル殿は、女が軍を率いるのはおかしいとお考えか?」
「そうは言っておらぬ。今は独立勢力のようになってしまったが、余の配下にもダフネという女の武将がいた。単に珍しいと思っただけだ」

「私は、生涯神に身を捧げ、神のために戦うと誓った。だから、こんなことをしている」
「神のために戦うということは、そなたはムザロンや、聖職者たちを支持しているのか?」
「馬鹿を言うな。あんな腐敗した連中は、神の名を語るに値しない。父と同様、ミカエル殿とムザロンのどちらを支持するかと聞かれれば、私はミカエル殿を支持する。これは、ヴァタツェス家の総意であると言ってよい」

「それは有難い。ところで、ヴィルヘルミーナ殿は、神聖術をお使いになられるのか?」
「いや、神聖術の習得はしておらぬ」
「何ゆえか? 神聖術は、戦いにもかなり使えるぞ。女性であれば、適性が高い強力な術になれる可能性もある」
「女の神聖術士とは、要するに魔女ではないか。我がヴァタツェス家は武勇の家門であり、そもそも神聖術などには頼らぬ。父も、神聖術などは習得しておらぬ」
「・・・ヴァタツェス家の方針に口を出す立場ではないが、時代は急速に変わっている。そのような考え方では、いずれヴァタツェス家は、時代に取り残されるぞ」

「ヴァタツェス家は、どうせ私の代で終わりだ。先の事を考えても仕方あるまい」
「先程、家令のアンドレアスから、ヴァタツェス家の事情について聞いたが、そなたはなぜ、婿を取るなりしてヴァタツェス家を存続させようとせぬのだ?」
「先程も言ったとおり、私は神に生涯の純潔を誓った。ヴァタツェス家の将来などに関心は無い」
「・・・そのような態度で、家中の者から何か言われぬのか?」
「良く言われる。特にあのアンドレアスは、何卒婿を取ってくださいなどと、うるさく言ってくる」
「ヴァタツェス家を、そなたの手で何とかしようとは思わぬのか?」
「思わない。ヴァタツェス家のためにこの身を捧げるくらいなら、神にこの身を捧げた方が良い」
 ・・・何か、複雑な事情があるみたいだな。初対面の僕が、これ以上深入りすべき問題ではなさそうだ。


「まあ、初対面の身で立ち入った話をしても仕方ない。ところで、ウィルヘルミーナ殿は、今回の戦いについてどう思う?」
「負けるな。むしろ、負けるために戦いに来ているようなものだ」
「・・・そなたも、そう思うか」
「ムザロン派の連中は、軍の名に値しない。将たちが、昼間から女を連れ込み、宴会に耽っている。兵士たちも、まるで既に勝ったような気になっている。敵は老齢のブリエンヌらしいが、奴らを撃ち破るのは極めて容易だろう」

「負けるとして、そなたの軍はどうするつもりだ?」
「機を見て、速やかに退却するしかあるまい」
「分かった。こんなところで死んでも仕方ない。余も同じ方針を取るが、退却時に必要な場合、互いに連携して助け合おう」


 ヴィルヘルミーナのほか、ヴァリャーグ近衛隊を率いるラスカリス将軍、僕の配下であるオスマン、ジャラール、メンテシェなども、同じ意見だった。彼らは実質的な身内なので、僕の言葉もくだけた感じに戻る。

「ラスカリス将軍。やっぱり、適当なところで逃げるほかないか」
「殿下、言うは易し、行うは難しでございますぞ。あまりにも早く逃げれば、敵前逃亡の罪で処罰されるおそれがあり、逃げるのが遅れれば、壊滅した味方に巻き込まれてしまいます。退却戦というのは、戦争の中で最も難しいものです」
「確かに、僕もこの国で兵を率いるようになって7年になるが、自ら指揮を執れず、しかも退却戦になるような戦いは、経験したことがない」
「俺たちも、そんな戦いはやったことないぞ」
 オスマンとジャラール、メンテシェも、異口同音に、同じような言葉を口にした。

「私は、イサキオス帝の治世下では負け続きでしたので、退却戦を経験したことはございますが、退却戦は、やろうと思っても上手く行かないものです。今回、何があっても守らなければならないのは、殿下のお命です。私どもも、殿下のお命だけは守るという方向で、戦い抜きましょう」

第9章 初めての敗戦

 こうして、戦う前から負けと分かっている不可解な戦いは、その翌日には早くも始まった。
 僕は、おそらく敵将ブリエンヌ率いる騎士隊が、ムザロン派の軍に突撃を掛けたのを見ると、直ちに僕の配下全軍に、退却を命じた。

「総員、ガリポリに向かって退却せよ!」

 そう命じたまでは良かったのだが、逃げるにしても、軍によって行軍速度は違う。オスマンやジャラールの率いる弓騎兵は、さっさと逃げてしまい、メンテシェのムハンマド常勝隊もそれに続いて逃げたが、僕たちの中で一番前に陣取ってしまったヴァリャーグ近衛隊は、敵の突撃で総崩れになった味方に巻き込まれ、思うように身動きが取れなくなってしまった。

「ものども、狙うは敵将、ミカエル・パレオロゴスの首ただ一つ! 奴さえ討ち取れば、他のローマ人など雑魚に過ぎん!!」

 敵将ブリエンヌの、そんな命令が僕にも聞こえてくる。敵将ブリエンヌの武勇は凄まじく、とても90歳を超えた老将とは思えない。しかも、こちらの総大将は僕ではなく、エルルイオス・ムザロンなのに、よりによって僕が最優先の目標なのか。理不尽な。

「殿下! 敵は明らかに殿下を狙っております! 早くお逃げくだされ!」
「分かっているけど、味方が邪魔になって、うまく逃げられないんだよ!」
 僕は、範囲治療の術で味方の近衛兵を回復しつつ、機を見て逃げるといったことを繰り返していたが、両者のバランスが上手く取れず、敵の騎士隊に追いつかれそうになってしまった。

 今の僕なら、エクスプロージョンを使うことも出来るが、今の状況では味方を巻き込んでしまう。こうなると、僕も指揮を執ったり、味方を回復する余裕もなくなり、とにかく逃げることしか出来なくなってしまった。自分だけ逃げるのであれば、パッシブジャンプの術を使うことも出来るが、それは将として、あまりにも無責任だ。

「俺様が、ミカエル・パレオロゴスだ! いざ勝負!」
 千人隊長のバルダスが、僕の身代わりになろうとしたのか、僕の名前を名乗って敵に突撃していった。

「バルダス!」
「大将、バルダスの死を無駄にするな。大将だけは、生きてガリポリに戻れ」
 僕の護衛として傍に付いていた、テオドロス・ラスカリスにそう呼び掛けられ、僕はそれに従うしかなかった。

 やがて、バルダスの姿は見えなくなり、僕たちはさらに逃げたが、敵はどんどん追いすがってくる。

「俺が、ミカエル・パレオロゴスだ! 俺の力見せてやる!」
「ベッコスまで!」
「大将、今は逃げるのが先だ!」
「ううう・・・」
 僕の配下であったヴァリャーグ近衛隊の兵士たち、そして僕と面識のある隊長たちが、次々と僕をかばって死んでいくのを、どうすることも出来ない。こんな、辛い戦いは初めてだ。


 ベッコスの姿が見えなくなった後も、敵の追撃が止む気配はない。
 そして、ちょうど川と橋があり、僕たちがそこを渡ろうとしたとき。

「今こそ、俺様の出番のようだな。大将、大将の兜とマントを貸せ」
「テオドロス、何をする気!?」
「俺が、大将の身代わりになって、この橋で敵を食い止める。その間に大将は逃げろ」
「テオドロスまで!?」
「行け、大将。奴らの死を、無駄にしないでやってくれ」
 僕は涙を流しつつも、自分の兜とマントをテオドロスに渡し、一目散に馬で逃げるしかなかった。

「俺様こそ、第六天魔王ミカエル・パレオロゴスだ! 骨のある奴は、掛かってこい!!」

 後ろから、テオドロスの大音声が聞こえる。この頃には、味方の兵もバラバラになっており、味方に退却の邪魔をされることもなくなっていたが、僕も1人だけになっていた。


 やがて、見慣れた味方の姿がようやく見えた。
「ジャラール!」
「殿下! 何してたんだよ、俺たち必死で探してたんだぜ」
「すまない。ヴァリャーグ隊が味方に巻き込まれて・・・」
「今、メンテシェが陣を敷いている。そこまで戻れば、ひとまず安全だ」

 僕は、ジャラールとその配下に護られて、メンテシェが守っているムハンマド常勝隊の陣に入った。
「殿下! ご無事でしたか!」
 皆が、僕の姿を見て駆け寄ってくる。

「メンテシェ、ジャラール、今の状況は?」
「俺たちは、早くに逃げられたので、特に損害は無い。ただ、殿下の姿が見えないので、メンテシェがここに陣を張って、殿下の帰りを待つことにした。殿下が無事だったことは既に知らせたので、オスマンもすぐ来る。プルケリア様もいる」とジャラール。
「分かった。全軍が集結したら、ひとまず進撃しよう。僕を守るため犠牲となったヴァリャーグ近衛隊を、1人でも多く助けたい。邪魔な味方さえいなければ、この軍で敵に一矢報いることも出来る」
「了解しました、殿下」とメンテシェ。

 オスマン隊を含む全軍が集結した後、僕たちの軍は前進を開始した。
「せめて、テオドロスが生きていてくれればいいんだけど・・・」
 僕はそう願いつつ、例の橋のところまでやってきた。

「テオドロス! 生きていたのか!」
「おお、大将。死に損なったぜ。こんなことなら、プルケリアに、俺が生きて戻ったら結婚してくれと言っておくべきだったな」
「・・・こんなときまで。それでも、君が生きていてくれて、僕は嬉しいよ」
「大将、いちいち泣くんじゃねえ。俺様は、最強のローマ人だぜ。俺の腕は伊達じゃねえ」

「どうやって助かったの?」
「それはもう、敵の騎士隊を、俺様の戦闘斧で、ここでバッタバッタと切り倒してやったさ」
 確かに、川には騎士と思しき死体が、無数に転がっている。

「それで、ついに敵将ブリエンヌが来てな。俺と一騎打ちになり、奴に手傷を負わせてやったんだが、その後しくじってな」
「何をしくじったの?」
「つい、いつもの癖で、『ははは、ビザンティオンの聖戦士、テオドロス・ラスカリス様の力を見たか!』って言っちまったんだよ。そうしたら、敵の奴ら、諦めてそのまま帰って行きやがって、ブリエンヌの首を討ち取り損なったぜ」
「そんなこと、どうでもいいよ。それより今は、少しでも仲間の兵を捜索して、1人でも多く命を助けよう」


 捜索の結果、マヌエル・ラスカリス将軍は無事だった。イサキオス・ラスカリスも、手傷を負っていたが、僕が治療して事なきを得た。プルケリアにも、負傷兵の治療に協力してもらい、バラバラになっていたヴァリャーグ近衛隊のうち、かなりの数を助けることが出来たが、それでも多くの死体が転がっており、かなりの死者が出たことは明らかであった。

「殿下、ご協力ありがとうございます。もう、捜索は打ち切って良いでしょう」
 ラスカリス将軍が、僕にそう告げてきた。
「結果は?」
「ヴァリャーグ近衛隊約5千人のうち、生き残ったのは3千人余りでございます。主だった隊長のうち、バルダス、ベッコス、ジョフロワ、ギヨームについては、死亡が確認されました」
「・・・そんなに亡くなったのか」
「殿下。戦争とは、本来このようなものでございます。むしろ今までが、殿下のおかげで上手く行き過ぎていたのでございます」
「では、せめて死んだ味方の埋葬を・・・」
「それも、無理でございます。その隙にいつ敵が再び攻めてくるか分かりませぬ。それに、敵の狙いは殿下なのです。殿下がいつまでも、このあたで死者を埋葬するためウロウロしていると敵に知れたら、間違いなく、敵は殿下を狙って攻めてきます。ここは、急いで撤退するしかございません」


「・・・全部、僕のせいだ」
「は?」
「全部僕のせいだ! イレーネを連れてこれば、ここまでの被害にはならなかったかも知れないのに! そもそも、僕がさっさとムザロンを倒し自分で皇帝になっていれば、こんな事態は防げたのに! そんな決断も出来ない僕には、そもそも国を治める資格なんてなかったんだよ!」
「殿下、落ち着いてください。一体、殿下以外の誰が、この国を統治できるというのですか。イサキオス帝やムザロン兄弟に、これ以上統治を行わせたら、もっとひどいことになるのは目に見えています。それに、殿下がこの国をお見捨てになれば、それこそ死んだ者たちの命は無駄になってしまいます」
「・・・結局、僕がやらなければならないのか」


 そんな折、『通話』の術で僕に連絡が入った。
「ゲオルギオス・パキュメレスです。ミカエル・パレオロゴス殿下、只今通話可能ですか?」
「大丈夫だ。パキュメレス、何かあったか?」
「戻って来る敗残兵の中に、殿下やその配下のお姿が見当たらないというので、ご連絡を差し上げたのですが、ご無事でしたか!?」
「ああ。僕とその軍は無事だが、僕を守ろうとしたヴァリャーグ近衛隊は上手く逃げられず、2千人近くの死者を出してしまった。とりあえず、臨時の移動拠点を作って、ヴァリャーグ近衛隊はニケーアへ、僕と僕の軍はニュンフェイオンに帰還しようと思っていたところだ」

「すみません。ヴァリャーグ近衛隊の帰還はそれで構いませんが、殿下とその軍は、ニュンフェイオンではなく、ガリポリに移動してください! 私やお師匠様も、ガリポリでお待ちしております。殿下がニュンフェイオンへ戻られるのは、もはや危険です!」
「どうして、僕の本拠地であるニュンフェイオンへ戻るのが、危険なのだ?」
「ゲオルギオス・ムザロンは、敗戦の全責任を殿下になすりつけて、殿下を逮捕し処刑しようとしています! ニュンフェイオンでは、既にムザロン配下の兵士たちが乗り込んできており、殿下が戻って来るのを待ち構えています!」

「・・・もしかして、この戦争自体が、僕を陥れるための罠だったと言うのか?」
「そこまでは分かりません。ただし、ゲオルギオス・ムザロンが、この状況を最大限に利用し、邪魔な殿下を亡き者にしようとしていることは間違いありません!」
「それで、僕がガリポリに行って、そこからどうせよと言うのだ?」
「ガリポリで、一隻のジェノヴァ船を手配しております。殿下はその船で、しばらく国外へ亡命し、身を隠して下さいませ。国内ですと、各地に移動拠点があるため、ムザロンの兵にすぐ発見されてしまいます。詳しい事情については、ガリポリでご説明します」
「・・・分かった。ひとまず、ガリポリへ向かうことにする」


 こうして、僕は臨時の移動拠点を構築した後、兵士たちより先に、まずはガリポリへ向かうことになった。


<あとがき>

「・・・毎度、長いお話を最後までお読み頂き、ありがとうございました。本編の主人公、榊原雅史こと、ミカエル・パレオロゴスです。・・・ああ、いっそのこともう死にたい」
「本編のメインヒロイン、テオドラ皇女様で~す! みんな、応援してくれてありがとね!」
「・・・テオドラ、君だって幽閉されている身のはずなのに、どうしてそんなに元気なの?」
「後編ですぐ分かるわよ。それに、あたしの被害者の会とか開いておきながら、結局みかっちは、あたしのことが忘れられないのね。ううん、みかっちってば可愛い」
「本編であれだけディスられても、テオドラはびくともしないのか。・・・それに僕はもう、君どころじゃないんだけど」
「そんなみかっちを、あたしが慰めて、真の男にしてあげるのよ」
「・・・テオドラに慰められる僕の姿というのは、全く想像が付かないんだけど」

「これからは、あたしが中心になって、この物語を新境地へ盛り上げて行くのよ! しばらくなかった日本パートも、次回から復活するみたいだし、真のエンタメが繰り広げられるのはここからよ!」
「・・・テオドラが中心になる物語って、滅茶苦茶になってもう何でもありっていう未来しか想像できないんだけど」
「まあ、気落ちしちゃってるみかっちは、大人しくあたしに付いてきなさい! それではみなさん、次回をお楽しみに!」
「・・・何となく、死んだ方がマシなような気がする」

 

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