第7話前編 「サムライ」と「アサシン」

第7話前編 「サムライ」と「アサシン」

第1章 『サムライ』が見たい!

「あたしは、日本へ行ってみたいのよ!」
「日本!?」
 テオドラの爆弾発言に、僕は驚愕した。
 確かに僕は、日本の生まれではあるが、公称ローマ帝国、通称ビザンティン帝国の摂政にさせられ、その功績を皇帝イサキオス2世に妬まれて摂政を解任され、現在は一亡命者となって、エジプトからシリアに向かっている途中である。
 その途中で、なぜ極東の島国である日本に行っていたいという発想が出てくるのか、全く理解できない。

「・・・テオドラ、なんで急に、日本へ行きたくなったの?」
「前に、みかっちとサムライやニンジャの話をしたとき、みかっちが住んでる時代の日本には、もう本物のサムライやニンジャはいないって言ってたじゃない?」
「確かに、そういう趣旨の説明をしたような記憶はあるけど」
 ちなみに、相変わらずテオドラは、ギリシア語風に日本のことを「ニッポンナ」と発音しているが、面倒なので表記は「日本」で統一している。

「でも、イレーネのアクティブジャンプでこの時代の日本に行けば、本物のサムライやニンジャに出会えるんじゃない?」
「えーと、この時代の日本は、執権が北条時頼って以前確認したことがあるから、鎌倉時代か。
 それなら、日本に行けば、確かに本物の侍は見られると思うけど、たしか忍者が活躍するようになったのは戦国時代に入ってからの話だから、忍者はいないと思うよ」
「だったら、サムライだけでもいいわよ。みかっちも、日本人なのに本物のサムライは見たことが無いんでしょ? だったら、この機会に、一緒にサムライを見に行きましょうよ!
 それに、サムライってすごく強いんでしょ? だったら、日本の強いサムライを連れてきてみかっちの配下にすれば、すごい戦力になるじゃない!」

「・・・僕も、日本人としてこの時代の侍に興味がないわけではないけど、この時代の侍って、世界レベルで通用するほど強いのかなあ? それに、侍って結構身分関係にこだわる人たちだから、僕が行ったところで、僕の配下に加わる人がいるとは思えないし、仮にいたとしても、日本とは全く異なる、この地方の言語や風習に慣れさせるのはかなり大変だと思う」
「そんなの、実際に行ってみなきゃわからないじゃないの! どうせ、暇つぶしでほっつき歩いているだけなんだから、この際行ってみましょうよ、みかっち!」


 僕はしばらく考えた後、テオドラにこう返答した。
「・・・やっぱりやめとこう」
「なんでよ! みかっち、自分の祖国に行きたくないって言うの!?」
「祖国とは言っても、僕の時代とこの時代では言語がかなり違うから、言葉を交わすには意思疎通に頼らざるを得ないだろうし、僕の感覚からすれば、この時代の日本は外国も同然だ。
 それに、テオドラを日本に連れて行ったら、気まぐれで日本の貴重な神社仏閣を破壊しちゃったり、日本の重要な歴史的人物を殺しちゃったり、とんでもないことをする可能性が高い。やはり日本人として、そういう事態だけは避けたい」

「それが理由だって言うなら、みかっちの命令がない限り、あたしは日本では術を使わないわよ。術を使うのに必要なあたしの神具も、みかっちに預けるわ。それなら問題はないでしょ?」
「・・・そこまでして、日本に行きたいわけ?」
「行きたい!」
「・・・イレーネはどう思う?」
「特に実害はないと考えられる。この国では、明らかな異邦人であるクマン人が、大量に奴隷として売られ、兵士として活躍している。ローマ帝国でも、あなたは既に様々な国の兵士たちを雇ってきた。そこに日本人の兵士が加わったとしても、問題になる可能性は低い。
 むしろ、時代は違っても、あなたと気心の知れた日本人のサムライがあなたの配下に加わるのであれば、あなたにとって心強い味方になる可能性がある。私としても、あなたの国を研究するにあたり、この時代の侍には関心がある」


「イレーネまで賛成なのか・・・」
「はーい! じゃあ、みかっちが反対しても、2対1の多数決で、日本行きは確定ね!」
「ティムとレオーネは?」
「どっちもあたしの下僕なんだから、反対するはずないじゃない。ねえ、ティム、レオーネ?」

「私は、中島みゆき様の原点はやはり日本ですから、行ってみたいとは思いますけど・・・」
「我は、別にどちらでも構わない」
 少年の姿をしたニュンペーのティムは賛成、猫の姿をしたサイクロプスのレオーネは中立か。

「・・・じゃあ、仕方ない。少しだけね」
「やったー! それじゃ、今すぐ行きましょ、みかっち」
「ちょっと待って。日本へ行くというなら、色々準備しなきゃならないことがあるから、まずはアッコンへ向かおう」
「何でよ?」
「短期滞在にせよ、日本へ行って暮らすとなれば、それなりのお金は必要だ。ただ、お金と言ってもこちらの世界と、日本のお金は全然違うものだから、とりあえず交易都市アッコンへ行って、日本でも確実に高く売れそうな、貴重品を買い集めておくしかない。テオドラだって、日本で食べる物もない、ひもじい生活はしたくないでしょ?」

「しょうがないわね。じゃあイレーネ、アクティブジャンプで、さっさとアッコンに行きましょ」
「ちょっと待って、イレーネ。アクティブジャンプの術って、この馬や馬車まで、まとめてアッコンまで移動できるの?」
「この程度の質量なら、可能」
「だったら、まずはアッコンまで移動よろしく」
「了解した」
 こうして僕たち一行は、アッコンへ移動することになった。


「なんか、この町騒がしいわねえ」
「みんな、モンゴル人の噂でもちきりなんだよ」
 アレクサンドリアでも、モンゴル人襲来の噂はあちこちで立っていたが、このアッコンでは、それ以上に噂が広がっていた。どうやらモンゴル軍は、ニザール派のアラムート城塞を制圧し、イスラム世界の都バグダードへ進撃中らしい。
 この町は、キリスト教国であるエルサレム王国の支配下にあるが、イスラムの商人なども多く出入りしており、モンゴル軍の動きは大いに気になるらしい。

「とりあえず、準備のためアッコンで数日滞在することになると思うから、泊めてもらえそうなところを探さないと・・・」
 僕は、あちこちの人に聞いて回り、アッコンに出来ていたローマ人居留区に行き着いた。ローマ人居留区は、規模としてはさほど大きくないものの、その中にはアレクサンドリアでお世話になった、ヨハネス・プロモドロスが開設している商館もあった。とりあえず、ここなら泊めてもらえそうだ。

「ローマ帝国の前摂政、ミカエル・パレオロゴスだ。この商館の主人に、話をさせてもらえないか」
 商館の門番にそう話し掛けてみたところ、
「ミカエル・パレオロゴス様ですね! どうぞ、お入りくださいませ」
「・・・ずいぶん、反応が速いね」
「現在、この商館の主人であるヨハネス・プロモドロスが、このアッコンに滞在しております。そして私どもは、そのうちミカエル様がこの商館へやってくるであろうから、着いたら直ちにお通しせよとのご命令を頂いております」
「それは助かった。話が早くて済む」
 どうやら、これまでの取引でお得意様になっていたプロモドロスは、アッコンで僕たちを出迎える準備を整えてくれていたようだった。とりあえず、テオドラとイレーネは別室で休んでもらうことにして、僕はプロモドロスと話をした。

「プロモドロスさん、お久しぶりです」
「こちらこそ。ミカエル様は、私の商会にとっても大事なお得意様でございますからな。これまでの取引でも、結構儲けさせて頂いておりますので、ミカエル様ご一行がアッコンへお着きになったら、是非こちらでもご歓迎しようと、お待ち申し上げておりました」
「それはどうも。ところで、この町の様子はどうですか? モンゴル軍の噂で、ずいぶん騒がしいようですが」
「それはもう。イスラム商人たちの話によると、バグダードのカリフには、強大なモンゴル軍に立ち向かう力はないそうで、一体バグダードの運命はどうなるのかと、世界滅亡の危機のような騒ぎになっております。
 一方、フランシアの王ルイ9世は、未だこのアッコンに滞在されており、ルイ9世や十字軍諸侯たちは、何とかモンゴル軍と同盟し、イスラム勢力を倒すためにモンゴル軍を利用しようと企んでいるようでございます」

「ルイ9世は、まだこんなところにいたのか。しかも、モンゴル軍がどういう連中か知りもしないで、そんなことを企んでいるとは」
「おや、殿下はひょっとして、モンゴル軍と一戦を交えるお積もりなのですか?」
「それは、まだ決めていない。今回はその一件ではなく、例のテオドラがわがままを言い出して、急遽日本という国へ行くことになった。プロモドロスには、その日本へ持って行く交易品の品定めに協力してもらいたいんだよ」

「・・・日本とは、初めて聞く名前ですが、どのような場所なのですか?」
「一言では説明しにくいけど、インドよりはるか東にある、絹の国って聞いたことあるでしょ? その国から、海を隔ててさらに東にある国」
「なんと、そのような遠いところまで行かれるお積もりなのですか!?」
「確かに遠いけど、イレーネの術でここに臨時の移動拠点を置かせてもらって、術で瞬間移動して、用が済んだらすぐに戻って来るから、そんなに時間はかからないと思うけど」

「なるほど。ですが、そのような遠国への交易品となると、品定めが難しいですな。外れのないところですと、金や銀で出来た細工はいかがでございましょうか?」
「・・・日本でも、金や銀はそれなりに産出しているはずだけど、日本に無いタイプの細工品であれば、そこそこ売れるかも知れない」
「では、絹織物などはいかがでございましょう?」
「絹織物は中国、つまり絹の国が原産で、日本は中国とも伝統的に交易が盛んだから、絹織物はこちらより、むしろ日本の方が安く手に入ると思う」
「そうなると、基本的には東方へ行く商人たちが買っていくものを参考に選んだ方がよろしいですな。イタリア製の剣や鎧などはいかがでしょう?」
「それは意外と行けるかもしれない。日本は、武芸が盛んな国だから」

 そんな話し合いを重ねた後、僕はプロモドロス銀行に預けていた預金の半分ほどを取り崩し、日本でも喜ばれそうな金銀や宝石で出来た装飾品、刀剣や鎧、ガラス器や香水などを買い集めることにした。また、質の高い金貨であればどこの国でも通用するだろうということで、ジェノヴァやヴェネツィア、イスラムの金貨などもある程度持って行くことにした。

「何よみかっち、そんなに時間をかけちゃって。日本の生まれなのに、日本で何が売れるか分からないっていうの? それでも日本人なの?」
「テオドラは黙ってて! 同じ日本でも、800年も時代が違えばほとんど別の国みたいなもんだから、嗜好が読みづらいんだよ!」
「・・・800年くらいで、そんな別の国みたいに変わったりするの?」
「変わるんだよ! 特に日本は変化が激しくて、ほとんど原型を留めないほどに変わっているんだよ!」


 1週間ほどかけて、僕はようやく日本行きの準備を済ませ、馬車に買い集めた貴重品の類を詰め込み、いよいよイレーネのアクティブジャンプで、日本を目指すことになった。・・・とは言え、この地では和服なんて用意できないし、明らかに異国風の衣装を着た僕たちが、日本で上手くやっていけるのか非常に不安なんだけど。
 そんな不安をよそに、テオドラは行く前から大はしゃぎだ。
「早く見たいわ。日本のサムライ、きっと物凄く格好いいに違いないわ!」
「・・・イレーネ、準備が出来たから、アクティブジャンプお願い」
「日本のどこに行くか、具体的に指定して欲しい」
「それじゃあ・・・鎌倉という町の郊外にある適当な場所へ」
「了解した」


第2章 鎌倉の町と三浦氏

 こうして、日本入りした僕たちであったが、日本では当然ながら不審者呼ばわりされた。
「そこの、怪しい異国の者! 名を名乗れ!」
 鎌倉へ続く道を警備している武士たちに誰何され、僕はとりあえず、このように答えた。
「拙者の名前は、榊原雅史と申します。このような異国風の成りをしておりますが、元はこの、日ノ本の民でございます。この度は、遠くローマの地から、商売のためにやって参りました。他意はございませんので、何卒拙者どもの鎌倉入りを、お許し願いたくお願い致します。これは、つまらないものではございますが、何卒お納めくださいませ」
 僕はそう言って、金貨の入った袋を、門番の長らしき武士に渡した。こういうときに物を言うのは、何と言っても賄賂である。

「相分かった。執権様に取り次いで参る。暫し待たれよ」
 賄賂の効果か、意外と待ち時間は短く、僕たちは武士たちに囲まれつつ、鎌倉入りを許された。

「・・・みかっち、なんかあたしたち、町の人の見世物みたいになってるんだけど」
「当然だよ。この国は典型的な島国で、この国に来る外国人は高麗か宋の人くらいだから、いきなりローマ人が来たら誰でもびっくりするよ。面倒事が起きると困るから、テオドラは大人しくしててね」


 僕たちは、まず執権の北条時頼に謁見を許された。
「これはこれは、執権様直々のご拝謁を賜りますとは、恐悦至極にございます」
「旅の商人よ、面を上げられよ」
 僕が顔を上げると、執権の北条時頼と思しき人物と目が合った。年の頃はまだ20代半ばで、服装も意外と質素で、話し方も意外と気さくである。
「そなたは、見たこともない異国風の姿をしておるが、元は日ノ本の民であると聞いた。そちの名は何と申す?」
「はっ。拙者の名前は、榊原雅史と申しまする」

「確かに、名前は日ノ本の民のようであり、話す言葉も随分変わってはおるが、日ノ本の言葉のようであるな。そして、そこに控える2人は、何者であるか」
「この2人は、拙者の正室と側室でございます。この金髪の女人は、私の正室で、名をテオドラと申しまする。この銀髪で、黒い服を着た女人は、私の側室で、名をイレーネと申しまする」
「2人とも、名前も姿も、明らかに日ノ本の民ではないようだな。そなたは、いずこでこの女たちを娶ったのだ?」 
「遠く遥か西方の、ローマという国でございます」
「ローマとは、これまた聞かぬ名であるが、どのような場所にあるのか?」
「天竺より、さらに遥か西でございまする」
 念のため説明すると、天竺とは要するにインドのことである。この時代の日本では、インドより西の地方のことは、ほとんど知られていないのだ。

「天竺よりも西とな! そのような地にまで、日ノ本の民が商いに訪れていたとは、まことに驚きである。そのような地から日ノ本までの旅は、さぞ苦難の道のりであったろう」
「それはもう、苦難に次ぐ苦難の道のりでございました」
 ・・・実際には、イレーネのアクティブジャンプを使って一瞬で来たんだけど、ここは適当に話を合わせておこう。

「榊原雅史とやら、時間があれば余も、そなたの旅話などじっくり聞かせてもらいたいところであるが、あいにく余は政務に忙しく、その暇がない。三浦介の屋敷に寄寓を許す故、存分に寛がれるが良い。鎌倉での商いについても許そう」
「有難うございます。執権様には、お目通りの御礼として、西方で作られた刀と鎧を献上させて頂きます。何卒お納めくださいませ」
「ほう。これは、ついぞ見たことの無い刀と鎧であるな。西方の武者たちは、このような刀と鎧で戦っておるのか?」
「左様でございます。それ以外にも、様々な武器で戦う、風変わりな武者たちが大勢おりまする」
「左様か。できれば、そなたの話をもっと聞きたいところであるが、本日は別の所用もある。下がって良いぞ」
「はっ。それでは失礼致しまする」
 こうして、僕は執権、北条時頼との面会を無事に終えた。


「ねえ、みかっち。あたし、話に全然ついて行けなかったんだけど、今の人って、日本の王様なの? それにしてはずいぶん地味に見えるけど」
「今会った人は、王様では無いけど、今の日本で政治の実権を握っている人。幕府の執権で、名前を北条時頼って言うんだ。僕の時代でも、名君として知られている人だよ」
「そもそも、幕府とか執権とかって、一体何よ?」
「・・・詳しく話すと長くなるんだけど、もともとこの国には大王(おおきみ)、現代風に言えば天皇という王様がいて、もともとサムライっていうのは王様の下で、宮廷の警備なんかをする役目の兵士に過ぎなかったんだけど、次第にそのサムライが実力を付けてきて、王様ではなくサムライたちの支配する国を作ろうということで、作られた政府のことを『幕府』って言うんだ。
 それで、あの執権、北条時頼の祖父にあたる、北条泰時の時代には、承久の乱という戦いで幕府軍が王様の軍を破って、この国の王様は、単なる幕府の飾り物になっちゃったわけ」

「じゃあ、『執権』というのが、幕府で一番偉い人なわけね?」
「いや、そこにも複雑な事情があって、本来幕府で一番偉い人は、征夷大将軍、略して将軍と呼ばれる人なんだけど、その将軍の家系がわずか3代で絶えちゃって、その後は身分の高い適当な人を連れてきて飾り物の将軍にして、幕府で一番の実力者だった北条家の当主が、『執権』として幕府とこの国を統治しているわけ」

「・・・なんか、ずいぶん分かりにくいわね」
「この時期は、まだ良い方だよ。もう少し先の時代になると、執権も飾り物になって、得宗と呼ばれる北条家の当主が実質的な統治者になったかと思えば、得宗が代変わりして無能な人物になると、その得宗を補佐する内管領という人が日本の実質的な統治者になったという時代もある。この時代の日本は、日本史の中でも権力構造が一番分かりにくい時代なんだ」
「どうして、そんなにややこしくなったの?」
「政治の実権を握った北条氏は、実力はあっても、身分は相当に低い家柄なんだ。だから、自分で大王はおろか、将軍になることもできず、大王や将軍には適当な人物を飾り物に据えて、自分のライバルになる一族を次々と排除する一方、民に善政を敷くことで、何とか支配の正統性を認めさせているんだ。だから執権の北条時頼も政務に忙しくて、僕たちにはあまり構っていられなかったんだよ」

「それにしても、この日本って、建物も一風変わったものがいろいろ建ってるわね。これ、石とかじゃなくて、全部木で出来てるの?」
「まあね。屋根はちょっと違うけど、建物は木造が基本。鎌倉で一番有名なのは、あそこに見える鶴岡八幡宮。サムライたちの守護神として、広く崇拝されている神社なんだ」
「・・・いままで見たこともない建物だけど、結構綺麗で、何となく格好いいわ! 神社って、この国の教会みたいなもの?」
「教会とは違うけど、まあ似たようなもの。他には、高徳院の鎌倉大仏もあるよ」

「・・・ずいぶん大きな銅像ねえ。これは、この国の神様なの?」
「いや、これは神様では無くて、仏様って言うんだ。この時代にある日本の宗教は、大体神社の神様と、お寺の仏様がセットになってるんだよ」
「良く分からないけど、2つの宗教がセットになってるなんて、珍しいわね。普通は、本当の神様は1つで、お前の信じる神は間違っているって、互いにいがみ合うものじゃない?」
「日本では、そういう考え方は採らないんだよ」
「ふうん。ところでこの鎌倉って、やけに狭い町じゃない? 海が綺麗なのはいいけど、町を少し行ったらすぐ山や崖になっちゃうし。日本の首都だったら、聖なる都とまでは言わないけど、もうちょっと広いところに町を作るべきじゃないかしら」
「この鎌倉は、武家の都だから、守りを重視しているんだよ。この鎌倉に入ってくる道は、さっき入ってきた道みたいに、何本かの切り通ししかないから、守りやすいでしょ?」
「でも、その割には城壁が無いのね」
「よその国と違って、日本では町を城壁で囲むっていう発想が無いんだよ」
「あとみかっち。この国では、なんであたしが付けてあげた名前じゃなくて、さか何とかっていう変な名前を名乗ってるの? ローマ帝国の前摂政とも名乗らないし」
「榊原雅史っていうのは、僕の本名だよ。ここは日本だから、ミカエル・パレオロゴスより、日本名の方が通用しやすいんだ。それに、ローマ帝国なんてこの国では知られていないから、ローマ帝国の前摂政だと名乗っても意味は無いし」


 見知らぬ日本の地で、好奇心の塊となったテオドラとそんな問答を続けているうちに、僕たちは宿泊所として割り当てられた、三浦盛時邸に案内された。
「そなたが、異国からやってきたという商人か。当家は、あまり裕福ではない故、さしたる饗応も出来ぬが、ゆっくりして行かれると良い」
 屋敷の主人である三浦盛時は、見た目30代くらいで、比較的温和な印象のある人物だった。
「ご高名な三浦家の屋敷に御逗留をお許し頂けるとは、有難き幸せでございます」
「ほう。そなた、遠い異国からやってきたというに、当家の由来を存じておるのか?」
「はい。三浦氏は、平忠通公を家祖とし、源頼義公から相模国三浦の地を賜って三浦氏を称し、その後源頼朝公に従って鎌倉幕府の成立に貢献し、重きを成した由緒ある家柄と聞き及んでおります」
 僕がそう口上を述べると、三浦盛時は少し悲しそうな表情を浮かべた。

「いかにも、三浦家は平氏の流れを汲む武家の家柄であり、幕府の中でも北条家に次ぐ権勢を誇っていた。しかし、三浦の宗家は前将軍の九条頼経公に味方し、北条家に反抗的な態度を示した。そして、今から7年ほど前、ちょうど元号が宝治に代わった年になると、三浦家の権勢を快く思わない安達景盛の讒言により北条家の討伐を受け、時の当主であった泰村公は、ほとんど騙し討ちに近い形で、一族郎党と共に滅ぼされてしまった。
 儂は、本来三浦の宗家ではなく、傍系にあたる佐原氏の生まれでな。儂の母は、かつて北条泰時公に嫁いでおり、それ故儂は、今の執権である時頼公にとっては、母方の叔父にあたる。その縁もあって、儂は三浦の本家ではなく、北条氏に加勢した。儂が北条氏に加勢すれば、儂に三浦宗家の家督継承を認めるとの約束もあった。

 儂は、宝治初年の合戦の折、一族を率いて時頼公の館に向かったが、そのとき儂は参戦に遅刻してしまってな。おかげで塀をよじ登って時頼公の館へ馳せ参じる破目になった。時頼公からは、その忠節を評されて鎧を賜ったが、いざ合戦が終わってみれば、確かに儂は三浦介を名乗り、三浦宗家の家督を継ぐことを許されたものの、幕府における待遇は佐原氏を名乗っていた頃と変わらなかった。
 今の三浦家は、北条家に次ぐ有力御家人などではなく、単なる北条家の家来になってしまった。儂は体よく時頼公に欺かれた、愚か者に過ぎんのだよ」
 ・・・なお、三浦盛時の話に出てくる合戦は、西暦1247年に北条氏が三浦氏を滅ぼした『宝治合戦』を指しています。高校の日本史にも出て来るので、大学入試で日本史を選択する人は、年号と共に覚えておくことをお勧めします。


「ちょっとみかっち、全然話が見えないんだけど。あたしにも分かるように説明しなさいよ!」
「三浦氏っていうのは、僕の地元に勢力を張っていた武家の一族で、その縁から中学時代の社会科研究で三浦氏の歴史について調べたことがあるんだけど、要するに北条家は、鎌倉幕府を開いた征夷大将軍・源頼朝公の正室北条政子を出した家柄で、源頼朝公に仕えていた御家人の中でも、かなり有力な地位を占めていたんだ。
 それで、源氏の直系が断絶すると、ライバルの御家人を次々と滅ぼして、幕府における権力を独占してしまったわけ。この三浦家も、北条家によって滅ぼされ、ほとんど無力化されてしまった御家人の一人というわけ」
「じゃあ、あの北条時頼っていうのは、非合法な独裁者ってわけね。滅ぼしちゃいましょうよ」
「とんでもない! 北条時頼は、権力奪取の方法には確かに問題があったけど、善政を敷き民に慕われている名君なんだ。北条時頼を滅ぼしたりしたら、この日本はガタガタになっちゃうよ!」


「そなた、遠い異国からやってきたという割には、日ノ本の事情によく通じているようであるな。そういえば、そなたの名前をまだ聞いておらなかったな」
「はい。拙者の名は、榊原雅史と申します」
「聞き慣れぬ名前であるが、どのような字を書くのかな?」
 僕は、用意してもらった筆と硯を使い、和紙に自分の氏名を書いてみせた。あまり習字は得意な方では無いので、達筆とは言えないけれど。

「ねえみかっち、それひょっとして、みかっちの名前なの?」
「そうだよ。漢字ではこう書くんだ」
「意味は全然分からないけど、なんかすごく格好良いわ! 他のサムライも、こんな格好良い字で書いた名前を持っているの?」
「当然持っているよ。まだ、主人との話の途中だから、テオドラは大人しくしていてね」


「そなたの名前は分かったが、榊原とは聞き慣れぬ名字であるな。どのような由来の者か?」
「三浦家などとは比較にもならぬ、単なる三河国の土豪の生まれでございます」
「・・・ねえみかっち、確かみかっちのご先祖様って、凄い名将だったんじゃなかったの?」
「僕の遠祖ということになっている榊原康政は、この時代よりもっと後に活躍した人なの! この時代には、そもそも榊原家なんてまだ無いんだから、適当に誤魔化すしかないんだよ!」

 僕が、テオドラとそんなひそひそ話をしていると、三浦盛時は、どうやらテオドラに興味を持ったようだった。
「榊原雅史とやら。そこにおる異国の娘は、いかなる生まれであるか。見慣れぬ姿ではあるが、その衣服を見る限り、かなり身分の高い姫のようにも見えるが」
「はい。この娘は、拙者の正室にして、名をテオドラと申しまする。日ノ本の言葉に通じぬ粗忽者ではございますが、ローマ帝国の皇女でございまする」
「ローマ帝国とは、どのような字を書くのか?」
「特に、漢字での表記は決まっておりませぬ。単に、仮名文字で『ローマ』と書いて頂ければ結構でございます」
「それで、ローマ帝国とは、いかなる国であるか?」
「天竺より、はるか西方に位置する国でございます。今はそれほどでもございませぬが、昔は唐国にも比肩する力を持っていた、由緒ある国でございます。それゆえに、ローマ帝国の君主は、今でも皇帝を名乗っておりまする」

「・・・そなたは、一介の商人に過ぎぬのに、どうしてそのような国の皇女を妻に娶っておるのか?」
「ここだけの話でございますが、拙者が商人というのは、日ノ本において世を忍ぶ仮の姿でございます。拙者はそのローマ帝国において戦功を重ね、専制公という皇帝に次ぐ爵位を受けるに至りましたが、皇帝の嫉妬を受けたため、一時ローマ帝国を離れ、各地で亡命の旅をしている者にございます。
 その際、この日ノ本に参りましたのは、このテオドラと申す我が妻が、日ノ本の侍をどうしても見たいと申します故、一介の商人に身をやつして、一時帰国した次第にござりまする」

「いまいち腑に落ちぬところはあるが、要するにそなたは北条家の専横に敗れ、一人でローマの地に旅たち、その地で皇帝の息女を娶るほどの成功を収め、一時この日ノ本に戻ってきたと考えて良いのか?」
「・・・まあ、概ねそのようなところでござりまする」
 本当は全然違うけど、真実を話すと非常に面倒なことになるから、適当に話を合わせておくことにした。

「左様であるか! この日ノ本の民が、異国でそのような成功を収めるとは、誠に天晴れである。衰えたりとはいえども、この三浦家も武門の家柄である。そなたとその妻に、当家の武士たちによる流鏑馬を披露してご覧に入れよう」


 こうして、僕はテオドラ、イレーネ、お付きの従者ということになっているティム、テオドラの飼い猫ということになっているレオーネと共に、三浦一族による流鏑馬を見せてもらうことになった。
「さあ、テオドラが見たいと言っていた、本物のサムライによる武術、流鏑馬がこれから見られるよ」
「みかっち、『やぶさめ』って何?」
「以前、ダフネたちが見せてくれた、騎射と似たようなもの」

 やがて、甲冑に身を包んだ武者たちが、馬に乗って次々と現れ、見事な流鏑馬を披露してくれた。
「サムライって格好良いわねえ。あの鎧も良いセンスしてるし、ダフネたちと違って、とても大きな弓を使うのね。あんな大きな弓を使って、正確に矢を的を当てるなんて、みかっちの軍にもあんまり出来る人いないんじゃない?」
「まあね。あの弓は和弓と言って、ほぼ日本でしか使われていない弓だから」

 武士たちの中でも特に目を引いたのが、佐原駒若丸と名乗った、まだ元服も済ませていない少年武士だった。その弓の腕はまさに百発百中、あのダフネにも匹敵する腕前を見せてくれた。
「あの駒若丸殿は、素晴らしい腕前の持ち主ですね。三浦家の秘蔵っ子ですか?」
「あの駒若丸は、三浦家の一族ではあるが、ちょっと訳ありの子でしてな。榊原殿には、あの子の話について、後日改めて内密の話をさせて頂きとうござるが、宜しいかな?」
「承知致しました。お伺いしましょう」

 そんな話をしていた時、テオドラが僕に口を出してきた。
「ねえ、みかっちもサムライの家系なんだから、ヤブサメを見せてあげなさいよ」
「テオドラ。僕は、騎射の練習はあんまりやってないから、あんなこと出来ないよ」
「みかっちだって戦争何度もやってるのに、なんで練習してないのよ」
「だって、これがあれば必要ないから」

 僕は、三浦一族による流鏑馬が終わった後、馬に乗って『風魔』を使った手裏剣の技を披露することにした。僕は、馬に乗って3度にわたり手裏剣を投げ、1度目は直線の軌道で、2度目は的の手前で落ちるシンカーの軌道で、3度目は的の直前で横に曲がるスライダーの軌道で、いずれも『風魔』を的の真ん中に命中させ、そして『風魔』は僕の手許に戻ってきた。

「なんと! 榊原殿は、このような技を使われるのか!?」
 当主の盛時以下、三浦家中の面々は一様に驚いている様子だった。
「テオドラ、これがあれば、別に弓なんて必要ないでしょ? 他の神聖術だって使えるし」
「・・・そういうことね。あたしだって、神具さえあれば、もっとすごい術を披露してあげるわよ」
「十分分かってるから、披露しなくていいよ」


 そんな出来事を経た後、駒若丸という少年の話は後日に回すことになり、僕の一行はしばらく三浦家に逗留することになった。僕はその礼として、三浦盛時にいくらかの金貨を渡したところ、金に困っていたという盛時からは非常に喜ばれ、僕の一行は精一杯の歓待を受けた。
 もっとも、テオドラはそれでも、ご機嫌斜めの様子だった。
「なによ、この食べ物。固いし、あんまり美味しくないわ」
「テオドラ、それは玄米と言って、この国では主食なんだよ。健康にも良いんだから」
「他の食べ物も、魚とか、しょっぱいものとか、そんなものばかり。もっと豪勢な食事は無いの?」
「鎌倉武士は質素だから、そんな豪勢な食事は食べないよ!」
 なお、テオドラが『しょっぱいもの』と称しているのは、主に味噌汁とか、ぬか漬けといった類のものである。

 テオドラは、他にも正座や箸などといった日本の風習に馴染めず、食事を取るにも苦労している様子だった。そんなテオドラが唯一気に入ったのは、温泉などのお風呂が充実していることで、テオドラは日本に滞在している間、相模国の温泉めぐりを楽しむことになった。・・・僕やイレーネも時々温泉に行ったが、それは温泉を楽しむというより、温泉での子作りを楽しむのが主な目的になってしまった。

第3章 集まる若武者たち

 鎌倉滞在を始めてから3日目、僕は鎌倉から護送されていく、囚人のような人が運ばれていく行列を見た。
「ま、麿は征夷大将軍であるぞ!? その麿が、どうして京へ追放されなければならぬのだ!?」
 輿の中からは、そんな声が聞こえてきた。

「三浦介殿、あの行列は?」
「あれは、先日征夷大将軍を解任された、藤原頼嗣公の行列でございまする。父君の藤原頼経公は、かつての我が宗家である三浦家一族などと手を組んで北条家に反抗したため、京へ追放されました。頼嗣公は将軍職を継いだ当時、まだ6歳でございましたが、いまや頼嗣公は16歳。
 表向きは、謀反事件に関係したのが理由とされておりますが、実際には執権殿にとって、そろそろ成年に達した将軍は邪魔になったのでござろう。新しい将軍には、既に皇族の一員である宗尊親王をお迎えすることが決まっておりまする。今や、征夷大将軍と云えども、執権殿のご不興を買えばかくの如し。まさしく末法の世でございまする」
 三浦盛時が、若干ため息をつきながら、そのように説明してくれた。ちなみに、三浦盛時の呼び方については「三浦介殿」と呼んでくれればよいということだったので、その呼び方に従っている。ちなみに、テオドラはイレーネたちを連れて箱根の温泉に行ってしまったので、今この場にいるのは僕だけである。

「榊原殿、これから屋敷の中で、ご内密の話をしたいのですが、宜しいですかな?」
「承りましょう」
 僕は、三浦盛時に付いて、屋敷の中に入って行った。


 屋敷の一室に通された僕は、三浦盛時が人払いを命じた結果、残ったのは僕と三浦盛時、そして件の少年武士、佐原駒若丸の3人だけになった。
「佐原駒若丸でございまする。宜しく、お見知りおき下さいませ」
 駒若丸が、礼儀正しく僕にお辞儀をしてきた。
「本日、榊原殿をこのような部屋にお呼びしたのは、この者の正体について、お話しさせて頂きたいと思った次第でございまする」
「駒若丸殿は、そのような秘密にしなければならない生まれの者なのですか?」

「左様でございます。駒若丸は、当年13歳。表向きは儂の息子ということにして、佐原駒若丸と名乗らせておりますが、真の父親は前の三浦家当主、三浦若狭守泰村にござりまする」
「・・・しかし、三浦泰村殿の一族は、宝治元年の合戦にて、一族郎党共々、全て自害し果てられたのではございませんか?」
「表向きは、そういうことになっておりまする。しかし、泰村公は、昔私の屋敷を訪問された折、当家の侍女をお召しになったことがあり、駒若丸は泰村公と、その侍女との間に出来た息子にございます。
 泰村公は、当家で生まれた駒若丸の処遇について、ご自分に万一のことがあった場合に備え、駒若丸を表向きは私の息子として育てるようお命じになりました。そのため、泰村公の妻子一族がことごとく自害して果てた中、駒若丸だけは難を逃れ、今や駒若丸は、三浦宗家唯一の生き残りでございまする」

「そのように大事なお話を、なぜ拙者に?」
「儂はこの駒若丸を、いざ事あるときは三浦家再興の旗印にせんと考え、立派な武者に育てて参りました。駒若丸も儂の期待に応え、父の泰村公にも劣らぬ、弓術などに優れた立派な武者に育ちました。されど、わずか20歳の若さで執権の職に就いた北条時頼の威勢は、衰えるどころか、むしろ日に日に増すばかり。
 儂も、この駒若丸をこれ以上匿い、もしその事実が明るみになれば、今度こそ三浦家は完全に取り潰しを免れず、危うい立場にございまする。かくなる上は、駒若丸をどこかの寺に出家させるしかないと考えていた次第でござります。
 しかし、榊原殿は日ノ本の民でありながら、異国の地でかなりの成功を収め、多くの兵を養える立場にあるとお見受けいたしました。優れた武者である駒若丸を出家の身にさせるくらいなら、いっそのこと駒若丸を榊原殿にお預けし、せめて異国の地で、三浦宗家の血を残せるよう取り計らって頂きたいとお願いしたい所存でございまする」

「つまり、駒若丸殿を、拙者の配下として仕えさせてもらいたいと?」
「それがしからもお願い申し上げます。榊原殿は、若いながらに並々ならぬ人物とお見受けいたしました。この駒若丸を、榊原殿のお側に仕えさせて頂きませ」
「駒若丸殿であれば、拙者としても異存はないが、異国での生活は辛いぞ? 言葉も通じぬ上、異国の地で戦となり、討ち死にして朽ち果てるかも知れんぞ?」
「それがしは、もとより武士の生まれ。そのようなことは覚悟の上にございます。それがしも、三浦氏の末裔として、一介の僧として朽ち果てるより、武士として戦って死にとうございます」
「・・・相分かった。駒若丸殿、ならば拙者の配下として、存分に働いてもらおう」
「有難う存じます」 
 駒若丸は、そう言ってもう一度、僕の前で深々と頭を下げた。

「それで榊原殿、もう一つお願いがあるのですが・・・」
「何でござりますか、三浦介殿?」
「三浦家や、その縁戚で同じく北条家に追討された千葉家の残党には、北条家によって所領を奪われ牢人となり、没落した武者どもが少なからずおりまする。儂では立場上、彼らを救うことができませぬ故、少しでも彼らを、榊原殿の許で召し抱えて頂きたく存じます」
「・・・そのような者の中で、拙者と共に異国へ行くことも辞さないという者がどれほどおるかは分からぬが、500騎程度までであれば、引き取ってやれぬでもない」
「有難いお言葉にございます。早速、密かに布令を回し、希望する者を集めたく存じます」


 それから先の僕は、かなりの大忙しとなった。北条家の目が光っている鎌倉で兵を集めるのは危険なので、駒若丸をはじめとする希望者たちは、三浦盛時の領地である佐原の地へ、密かに集められることになった。
 三浦家残党の棟梁は当然駒若丸だが、千葉家残党の棟梁は、駒若丸より1歳年下の亀若丸という少年になった。千葉家の歴史についてはあまり詳しくないが、亀若丸は、北条時頼によって滅ぼされた千葉秀胤という人物の甥にあたり、千葉家の第8代当主となった千葉亀若丸とは同名の別人であるという。

 密かに希望者が集められる一方、僕はアッコンから持参した交易品の処理も併せて行う必要があった。交易品は瞬く間に完売し、僕の許には莫大な量の金や宋銭が入ってきたものの、金はともかく、宋銭を持ち帰っても意味がない。
 兵士たちにとって必要な馬、刀や大弓、鎧などは買い揃えたものの、この時代の日本では工芸があまり発達しておらず、アッコンに持ち帰って売れそうな商品があまりない。鎌倉で話をした商人からは、博多に行けば宋国からの輸入品が数多く手に入ると助言されたが、どうせイレーネのアクティブジャンプを利用する前提であれば、博多へ行くより宋国の国際貿易港である、泉州に直接行った方が良い。

 そんなわけで、僕は余った宋銭の処分も兼ねて、温泉めぐりをやっているテオドラをひとまず放置し、泉州で中国原産の陶磁器や絹織物、南方から入ってきた香料などを買い求め、これらをアッコンにいるプロモドロスの許に転送して売りさばいてもらい、1週間ほど泉州とアッコンを何度か行き来して、かなりの富を荒稼ぎした。

 その後。
「テオドラ、これからは活動の拠点を、鎌倉じゃなくて佐原に移すよ」
「なんでよ、みかっち」
「北条家に領地を奪われたなんかの関係で、僕の配下になりそうなサムライたちが、ある程度集まりそうなんだ。北条家の目が光っている鎌倉に兵を集めるのはさすがにまずいから、三浦盛時の領地である佐原の城へ、希望者を集めることにする。佐原に臨時の移動拠点を作るから、気が済んだら佐原に戻ってきてくれる?」
「そうなの。でも、あたし神具がないとパッシブで戻れないし、通話もできないから、神具返して欲しいんだけど」
「じゃあ、しょうがないね。神具は返すけど、くれぐれも術で日本の建物を壊したりはしないでね」
「分かってるわよ。あんな珍しい建物を、壊したりはしないわよ」
 一抹の不安を抱えながらも、僕はテオドラに、神具の腕輪を返した。


「駒若丸。わざわざ、僕に仕えて異国へ行く武士なんて、ほとんどいないだろうと思ったけど、結構来るね」
「榊原様。日ノ本の武士には、結構貧しい者が多いのです。北条家に所領を奪われた侍に至っては、その日の食べ物に困る者も珍しくありません。亀若丸に付き従う者たちは、わざわざ上総から海を渡って、この佐原にやってきております」
 ちなみに、佐原城は、現在の神奈川県横須賀市佐原、電車の駅で言うと久里浜駅の近くにある。三浦半島なので、対岸の千葉県からも舟で海を渡って人がやってくる、というわけである。

「それにしても、来るのはなぜか、10代くらいの若い男の子ばかりだね」
「それは三浦介様が、対象をそのように限定したからでございます。遠い異国の地で戦うとなれば、相応の覚悟が必要になりますし、若い者の方が異国に順応するのも早いでしょうし、また大将が若い榊原様ですので、あまり年長の者が来ては扱いに困るだろうと配慮なされたのです」
「まあ、鎌倉武士の戦い方と、僕の戦い方は違うし、その方がやりやすいことは確かだけど、軍を維持することを考えると、ある程度馬丁係とか、武器や鎧の職人なんかも連れて行きたいんだよなあ」
「そうした仕事の多くは、武士が自ら行うものです。それがしを含め、武士に生まれた者は幼少の頃から武芸と共に、そうした仕事についても習っています。志願してきた者の中には、刀鍛冶などの仕事をしてきた者の子弟などもおりますから、問題にはならぬかと存じます」


 僕は、イレーネの協力を得て、集まった志願者の少年たちに、僕たちがこれからどこへ行くのか、ローマ帝国とはどのような国か、及びギリシア語の基礎知識などを教え始めた。集まった志願者たちは皆驚いていたが、もう二度と日本には帰らないと覚悟を決めてやってきた志願者の少年たちに、やっぱり帰るなどと言い出す者は1人もいなかった。
 また、神聖術の基礎を教え込む前提で、全員の適性検査を行ってみたところ、佐原駒若丸は適性82、千葉亀若丸は適性81、他の志願者たちも全員が適性70を超えていた。皆心身強健な上に、神聖術も使えるとなれば、少数ながらかなりの精鋭軍団に育ちそうだ。

 そして、僕たちが鎌倉にやって来てから約2か月が過ぎ、志願者の少年たちもついに、目標の500人に達した。僕は佐原城にやってきた三浦盛時に、別れの挨拶をした。
「三浦介殿、募兵に協力して頂き、誠にありがとう存じます。目標の人数が集まりましたので、拙者はこれにて失礼致します」
「いや、儂は三浦家の棟梁として、路頭に迷っている一族の者を一人でも多く助けるために、出来る限りのことをしたまでござるよ。榊原殿、若き武士たちのこと、宜しくお願い申し上げまする」

「承知致した。拙者に付き従う少年たちの命、決して無駄にはせぬ。だが、集まった者たちの中には、三浦家や千葉家の一族や郎党ばかりでなく、毛利家やその他の家の者、中には北条家の一族に属するという者までおるが、このような者たちまで引き連れて行っては、三浦介殿が咎を受けるのではないか?」
「ご心配はご無用でございます。いずれも、榊原殿について行く若者は、北条得宗家に楯突いた者の子孫ばかり。北条家の手の者は、既にこの動きに感づいておりましたが、執権の北条時頼様は、むしろ貧しい武士の子供たちを救える上に、不満分子の厄介払いも出来るので一石二鳥だと申されておりました」
「なるほど、執権殿には既にお見通しであったか」
 それなら、特に問題は起こるまい。
 集まった少年たちの中に、例えば毛利元就の祖先であるとか、将来日本の歴史を変えるような重要人物らしき人物も見当たらない。そうした武士たちは自分の領地を持っており、ここに来た少年たちは、このまま日本にいても、武士として食べて行ける見込みがない者ばかりなのだ。

 そして、僕は少年武士たちのリーダーとなる佐原駒若丸と千葉亀若丸に、少し早いが元服の儀式を取り行わせ、二人とも僕が烏帽子親となり、佐原駒若丸は三浦姓に復して「三浦五郎雅村」、千葉亀若丸は「千葉平次郎雅秀」と名乗ることになった。もちろん、日本人の慣例に従って、主君となる僕の「雅」の一字を、二人に授けたのである。

 これで準備完了。僕は、テオドラに「通話」の術で連絡を掛けた。
「テオドラ、武士隊の編成が整ったから、もうアッコンに帰るよ。戻ってきて」
「ちょっと待って、みかっち。今、ヤマタノオロチって怪物を討伐してるところなの。あたしとレオーネだけじゃ手が足りないから、みかっちとイレーネも手伝って」
「なんで、そんなものが出て来たの!?」
「説明は後でするから、今すぐ来て! 退治しないと、町がやられちゃうわよ!」


 とりあえず、僕とイレーネはアクティブジャンプで現場に移動したが、ヤマタノオロチはその名のとおり、8つの頭と8つの尾を持った巨大な蛇状の怪物で、かなりの強敵だった。
「こんな怪物が出て来るなんて、テオドラは一体何をやったの!?」
「あたしはね、ヤマタノオロチの蛇石が祭られているっていう神社に行って、神様として祭らないとその石が大きくなったりするって話を聞いたもんだから、本当かなって思って、その蛇石を持ち出してエクスプロージョンで叩き壊してみたのよ。そうしたら、怒ったヤマタノオロチが復活したのよ」
「あれほど、余計なことはするなと言ったのに!」
「みかっちが言ったのは、日本の建物を壊しちゃいけないってことだけよ。あたしが壊したのは、建物じゃなくてただの石だから、約束は破ってないわよ」
 僕は内心で頭を抱えたが、こうなってしまっては、何とか倒す以外に方法はない。

「それでね、このオロチ、あたしの得意とする、赤学派の術がほとんど効かないのよ」
「・・・このオロチは、火を吐いて攻撃するから、火の攻撃は無効化されるんじゃない? 逆に、氷の術なら結構効くかも」
「あたしは、赤学派の術が専門なの! 白学派の術なんて使えるはずないじゃない! 今のところ、あたしが使える術で効果があったのは、隕石の術と、青学派のかまいたちの術くらいしかないわ」
「だったら、それで攻撃して!」
「えー、それじゃあ、あたしの得意技がほとんど使えないじゃない!」
 ・・・だめだ。こいつ本当に使えない。

 文句ばかり言っているテオドラをよそに、僕たちはオロチの攻撃を防いだり避けたりしつつ、イレーネは『上級魔力吸収』でオロチを弱らせたり、ダメージを受けた僕やレオーネを回復させたりし、レオーネはその怪力や雷撃でオロチと格闘し、僕は『風魔』に氷の属性を付けてオロチの首を狙った。
 僕とレオーネが連携して、ようやく1本目の首を落とすと、テオドラは僕たちに対抗心を燃やしたらしく、ひたすらかまいたちの術でオロチの首を狙うようになった。最初は僕も、こんな強敵を倒せるのかと思っていたが、首の数が減っていくと次第に敵の攻撃も減り、約4時間にわたる激闘の末、僕たちはようやく、ヤマタノオロチを退治することに成功した。

 オロチが二度と復活しないように、僕たちがその身体を切り刻んでいると、尾の中から一振りの剣が現れた。
「イレーネ、この剣は何?」
「それは、草薙の剣。通常の剣よりはるかに強力で、通常の剣では斬れないものも斬ることができる。神具としても使用可能。持っていて損はない」
「・・・草薙の剣って、確か三種の神器の1つじゃなかったっけ?」
「それは正しい。ただし、草薙の剣は、壇ノ浦の戦いで安徳天皇が入水した際、発見されることなく野に放たれた。それが、ヤマタノオロチの復活を許した原因の一つ」
「だとすると、これは天皇家に返した方がいいんじゃない?」
「その必要は無い。現在の天皇家は、すでに伊勢神宮から献上された代用品を、正式な草薙の剣としている。あなたの武器として使用すればいい」

 そして、疲れ果てた僕がパッシブジャンプで佐村城へ帰ると、
「イレーネ、こんな日まで子作りするの!?」
「大丈夫。あなたは寝ているだけでいい。その間に、私があなたを気持ち良くする」
「いや、むしろそれが、僕にとって一番疲れるやり方なんだけど・・・」

 この戦いで、神聖結晶が3人に4個ずつ配られ、テオドラの適性は99から100の大台に乗り、イレーネの適性は公称94から95へ、僕の適性は95から96へ上昇した。僕は、草薙の剣という強力な武器を手に入れ、テオドラは、かつてヤマタノオロチを祭っていた神社に、『これからはあたしのご神体を祭りなさい』などと命じて喜んでいた。なお、どこの神社かは知らん。
 その代わり、僕はヤマタノオロチとの戦いと、それに続くイレーネとの激しい子作りで疲れ果ててしまい、そのためアッコンへの帰還は、予定より2日遅れることになった。
 配下になったばかりの少年武士たちには、いろんな意味で説明しにくい理由だった。


第4章 アッコンでの出会い

 世界暦6762年4月。
 それが、僕が約500人、正確に言えば515人の武士隊を率いて、アッコンへ戻ってきたときの年月だった。
 僕がビザンティン世界に召喚されたのは、世界暦6753年9月1日。ビザンティン世界の世界暦は1年が9月から始まるので、僕が召喚されてから、あと半年足らずで10年になる。
 そして、僕がガリポリからエジプト行きの船に乗り、放浪生活を始めるようになったのが、世界暦6750年4月頃だから、僕の放浪生活も、約2年が経過したことになる。摂政時代に比べると、全然大したことはやっていないのに、時の過ぎるのは速い。まあ、単なる観光で日数を費やしたり、極端に暑い日や寒い日には、特に何もせず逗留先の屋敷で過ごしていたことも結構あったというのが主な原因だろうと思うけど。
 そして、世界暦を西暦に換算するには、基本的に5508を引けばいいので、現在は西暦1254年ということになる。

 僕が、鎌倉時代の日本に行っている間、現代日本に戻る日も何度かあったので、佐原の城が現代日本における久里浜駅の近くにあることや、千葉亀若丸こと千葉雅秀が、史実では滅亡した上総千葉氏の生き残りであることもググって理解できたのだが、史実で藤原頼嗣が将軍を解任され京へ送られたのは西暦1252年のことなので、この世界では何らかの原因により、将軍解任が2年ほど後ずれしたようだ。
 しかし、僕がアッコンに戻ってきたとき、そんな後ずれは些細なことに過ぎないと思えるほど、イスラム世界を揺るがす世界史上の大事件が、史実より4年も前ずれで発生していた。
 史実において、フラグ率いるモンゴル軍がバグダードを攻略したのは、西暦1258年2月のはずであるが、この世界では早くも、モンゴル軍がバグダード攻略を果たしてしまったようだった。


 モンゴル軍によるバグダードの劫略は、噂によると非常に凄まじいものだったようで、ムスリムの商人たちは「バグダードで100万人のムスリムが殺された」「世界滅亡の危機だ」などと噂し合っていた。
 そんな中、僕は間もなくフランスに帰るという、フランス王ルイ9世に謁見することになった。僕の方から謁見したいと言ったわけでは無く、ルイ9世の方から会いたいと使者を送って来たのである。

「国王陛下、お久しゅうございます」
「おお、ミカエル・パレオゴロスか。わざわざ、呼び立てして済まぬ」
「国王陛下が、もはやローマ帝国の摂政でもない、この私に何の御用でしょうか?」
「左様な謙遜を。いくら愚かな朕でも、東ローマ帝国がそなた無しでは立ち行かぬ国であることくらい、分かっておる。朕は、フランスの留守を、ブランシュ母后に委ねていたのだが、その母上が亡くなられたため、シリアでの十字軍活動を諦め、フランスへ戻らざるを得なくなった。
 貴殿から借りた10万リーブルは未払いであるが、あれは東ローマ帝国というよりは、貴殿から借りたものゆえ、10万リーブルはフランスに帰国後、間違いなく貴殿に返そう」

「それだけの事を仰られるために、私を呼ばれたのですか?」
「いや、本題はむしろここからだ。朕はフランスにいた頃、異教徒と激しく戦って多くの血を流し、それによってエルサレムを奪回することこそ、神が望んでおられることだと信じて疑わなかった。
 しかし、聖職者の言う事など気にもしない、西ローマの皇帝フリードリヒ2世でさえ、聖地エルサレムを奪回することが出来たのに、聖職者と神の教えを忠実に守っている朕は、聖地エルサレムを奪還するどころか、エジプトで多くの十字軍戦士たちを無益に死なせてしまい、何の成果も挙げられなかった。
 そして、朕がシリアで金策に追われている間に、そなたの統治する東ローマ帝国は、何事も無かったかのようにエジプトと交易を続けて栄え、一方で聖地エルサレム奪還を叫んでいたローマ教皇インノケンティウス4世は、神の怒りを受けて亡くなられてしまった。
 朕は、一体神が何を望んでおられるのか、分からなくなってしまった。ミカエル・パレオロゴスよ、朕に教えて欲しい。朕は一体、何を誤ってしまったのであろう」

「私が、敢えて陛下に御助言できることがあるとすれば、陛下は、聖職者たちの言うことを、真に受け過ぎているのではないかと思われます」
「どういうことだ?」
「十字軍を唱えるラテン人の聖職者たちは、戦いのことも知らなければ、シリアやエジプトの民情も知りません。いわば、聖職者たちは、戦いについて全くの素人であるのに、戦いに口を挟んでいるのです。
 相手が同じキリスト教徒であっても、異教徒であっても、戦い方は基本的に同じです。敵を知って己を知らなければ、戦いに勝つことは出来ず、敵国の民を滅ぼすのではなく恩恵を施さなければ、敵国を征服することはできません。
 聖職者たちの言うことを真に受けて戦いに臨まれるのは、いわば目を瞑って耳を塞ぎながら、戦いに臨んでいるようなものです。そのような戦い方では、いかなる戦争にも勝てるはずがありません」

「しかし、古のコンスタンティヌス大帝は、全ヨーロッパをローマ教皇に寄進するという勅書を下された。それゆえに、ヨーロッパに住むすべての者は、ローマ教皇の権威を認めぬわけには行かぬ。ローマ教皇が、たとえ戦いの素人であるにせよ、朕のように敬虔なキリスト教徒にとっては、その威光を無視するわけには行かぬのだ」
「・・・陛下、私の治めていた東ローマは、コンスタンティヌス大帝の正統なる末裔でございますが、そのような勅書の存在など、聞いたことがございません」
「何?」
「考えてもみてください。コンスタンティヌス大帝は、亡くなるまで自らローマ帝国の全土を統治され、キリスト教の洗礼を受けたのは、亡くなられる直前のことでした。しかも、洗礼を受けたのは、ローマ教皇が支持するカトリックの司祭ではなく、今では消滅した宗派である、アリウス派の司祭からでありました。また、コンスタンティヌス大帝は、キリスト教を優遇こそしたものの、キリスト教をローマ帝国の国教とすることはなく、他の宗教を信仰する自由も認めていました。
 そのようなコンスタンティヌス大帝が、ヨーロッパ全土をローマ教皇に寄進するはずがないではありませんか」

「いや、コンスタンティヌス大帝が洗礼を受けたのは、時のローマ教皇、シルウェステル1世では無かったのか? そのときに、コンスタンティヌス大帝が、全ヨーロッパをローマ教皇に寄進するという勅書を下されたのではなかったのか? 朕は、小さい頃からそのように教わって来たぞ?」

「東ローマ側では、当時についても正確な記録が残っております。コンスタンティヌス大帝は、東方にあったササン朝ペルシアへの討伐へ向かう途中で病に倒れ、アリウス派であった二コメディアの司教エウセビオスの手で洗礼を受けたと、当時のキリスト教史家の手により、はっきりと書かれております。
 ですから、コンスタンティヌス大帝が、全ヨーロッパをローマ教皇に寄進する勅書を出したなどという戯言を信じるローマ人など、一人もおりません。ロマーニアと異なり、西方世界では文字を読める者自体が少なく、古い歴史を知る者も聖職者以外ほとんどいないために、聖職者たちが自分たちに都合の良いよう、歴史を改ざんしている可能性があります。そうした意味でも、聖職者たちの言うことを鵜呑みにするのは、あまりにも危険です」

「・・・聖職者たちの言うことを当てにできないというなら、朕は一体何を頼りに、聖地奪還の偉業を成し遂げれば良いのであろうか」
「敵の情報をよく知ることと、あとは己の才覚次第です。あのサラディンを相手に激闘を繰り広げ、獅子心王と称えられたイングランド王リチャードでさえも、聖職者に戦い方を尋ねることなどせず、己の才覚を武器に、サラディンと互角以上に渡り合いました。
 また、エジプトにも相当数のキリスト教徒はいますが、ローマ教皇のカトリックとは全く異なる宗派であり、彼らは陛下のことを、神を冒涜する悪魔のような王と呼んでおりました。イスラム教徒であればなおさらです。
 陛下も、このシリアで数年間お過ごしになり、イスラム教徒を武力のみでシリアやパレスティナの地から追い出すなど、およそ非現実的な夢物語であることは、既にお分かりになっているのではございませんか?」

「・・・それは、朕も薄々分かっていた。しかし、東方にはプレスター・ジョンという、キリスト教を信仰する強大な王がおり、その王の力を借りれば、異教徒を駆逐することもできると考えていたのだが、ひょっとしてそれも違うのか?」
「それは、明らかな事実誤認です。東方から迫っているモンゴル人の一部は、確かにキリスト教の信者もいます。ただし、そのキリスト教はカトリックではなく、はるか昔にカトリックから分離したネストリウス派という、ローマ教皇の権威など認めない別の宗派です。モンゴル人の中に、そうしたキリスト教徒が一部存在することから、そのような伝説が生まれたのでしょう。現実のモンゴル人は、大多数がキリスト教徒でもイスラム教徒でもなく、テム・テングリという独自の神を信じる、明らかな異教徒です」

「・・・ますます分からなくなってきた。朕は敬虔なるキリスト教徒として、どのように振る舞えばよいのだ?神は朕に、何をせよとお命じになられるのか?」
「陛下は、キリスト教国を相手にされるときは、己の才覚により、善き調停者として振る舞い、国内では善政を敷いてこられました。異教徒を相手にされる時も、神のお言葉などに頼らず、善きキリスト教徒としてどのように振る舞うべきか、ご自分の頭で考えて行動なされませ。それこそが、神の望んでおられることかと存じます」

「分かった。ミカエル・パレオロゴスよ。わざわざ時間を取ってしまって済まない。朕はフランスに帰り、少し頭を冷やしてくることにしよう。ご苦労であった」
「それでは陛下、私はこれで失礼致します」

 こうして、僕はフランス王ルイ9世の許を去った。基本的には良い人なんだけど、生真面目過ぎて、善きキリスト教徒たらんと意識し過ぎるから、上手く行かないんだろうなあ。


 一方、アッコンでは、ジェノヴァ人フルコーネ・ザッカリアにも会うことが出来た。
「ザッカリアさん、お久しぶりですね」
「殿下も、最近はお元気になられたご様子で、何よりです」
「そういえば、久しく連絡がなかったのですが、ローマ帝国やジェノヴァの様子はいかがですか?」
「ローマ帝国の方は、相変わらず殿下側の勢力と、ムザロン側の勢力が睨み合っておりますが、次第にムザロン側が押されておりますな。ムザロンは、ラスカリス将軍率いる軍勢に、ソユトにいるエルトゥルルの討伐を命じたそうですが、その命令にラスカリス将軍がどう動くか、皆が注目しております。
 ジェノヴァの方は、残念ながら殿下の構築された4家共同の統治体制が崩壊してしまい、現在では我々のドーリア・スピノラ家が、政権を握っております。あの統治体制は、殿下が常に目を光らせていないと、機能しないものでございました」
「そうか。4家共同で話し合って統治すれば上手く行くと考えたのは、僕の夢物語に過ぎなかったようだね」
「ところで殿下。夜は誰とお過ごしになっておられますか?」
「なんで、またそんなことを?」
「いえ、アクロポリテス内宰相をはじめ、ニュンフェイオンにいる殿下派の幹部たちは、精力旺盛な殿下がどのような夜の生活を送っていらっしゃるのか、非常に気にされておりますので」
「今は、テオドラとイレーネが1日交替で僕の相手をすることになっていて、また非常に不本意ながら、僕はテオドラと結婚することになってしまったけど」
「それでは、例のメイドへのご執心は、もう諦められたということですかな?」
「・・・まあ、こうなっては仕方ないから」
「分かりました。ニュンフェイオンにも、殿下のご様子をお伝えしておきます」

 どちらも以前は僕の配下だった、ラスカリス将軍とエルトゥルルが争うことになるのか。一体どうなるのか、心配だなあ。
 ・・・それにしても、ザッカリアはなぜ、僕の夜の生活の事なんて、わざわざ聞きに来たのだろう。


 こんな久しぶりの出会いがあった一方、僕が日本から連れてきた少年武士団については、本人たちにとって見知らぬアッコンの地が驚きの連続であったことは言うまでもないが、多種多様な商人たちが集まる国際色豊かなアッコンの人々にとっても、今まで見たこともない武士たちは驚きの存在であった。
 四六時中見世物にされるような生活では、さすがに本人たちも落ち着かないだろうということで、三浦雅村と千葉雅秀を中心とする少年武士団は、アッコンの城壁外に天幕を張り、そこで集団生活を送らせることにした。
 それでも、物珍しさから見物にやって来る人々は後を絶たず、また食料などの生活必需品はアッコンの町で調達する必要があるので、町に出入りすることはある。
「五郎、この地での生活には慣れたか?」
「殿、覚悟はしておりましたが、毎日が分からぬことばかりで、私も平次郎も他の者共も、いささか疲れ気味にござりまする」
「左様か。無理はするでないぞ」
 こんな風に、度々声を掛けてはいるものの、彼らは次第に疲労の色が濃くなり、このままではホームシックになってしまう者も出てくるのではないかと、心配になってきた。
 ・・・ちなみに、五郎というのは三浦雅村の通称、平次郎というのは千葉雅秀の通称である。この時代の武士は、本名ではなく通称で呼び合うのが慣例となっているのだ。


 一方、僕自身は、テオドラが天幕暮らしなんて嫌だと駄々をこねるため、基本的にプロモドロスの商館でお世話になっていたのだが、ある日の朝、僕はそこで物騒な来客を受けた。その来客は、音もなく僕の背後に近づき、僕の喉元に短剣を突き付けて来たのだ。
「・・・何者だ。余を殺しに来たのか」
 僕は、暗殺者らしき者に対し、そのように問い掛けた。例の、イレーネにもらったネックレスがあるから、簡単に殺されることはないとしても、この者は一体どうやって、門番もいるこの商館の中に入り、僕に気付かれることなく僕の背後を取ったのか。非常に不気味な存在だった。


「・・・貴殿を殺すのが目的ではない。貴殿と取引をしたいと考え、やって来たのだ」
「どのような取引だ?」
「我らは、アラムートの城塞を拠点にしていた、ニザール派の生き残りである。我らのことは知っておるか?」
「むろん、ニザール派の名前は聞いている」
 ニザール派とは、イスラム教シーア派の中でも、マイナー宗派であるイスマーイール派の更なる分派であるが、フィダーイーという強力な戦士を養成し、敵対する有力者の暗殺を多用したことで知られており、そのため暗殺教団の異名もある。シリアのキリスト教徒はもちろん、イスラム教徒の中でも恐れられ、そして蛇蝎のように憎まれている。
 そして、ニザール派は、アラムート城塞を拠点に一定の勢力を築いていたが、先年モンゴル軍に攻められて屈服したと聞いている。

「それなら話は早い。我々の教団は、モンゴル軍の侵攻にあたり内部分裂し、多くの者はモンゴル軍に降伏してしまった。しかし、我々の一派は、モンゴル軍への降伏を良しとせず、モンゴル軍に抵抗するためこのシリアの地へやって来た」
「そのニザール派が、余に何の用だ?」
「モンゴル軍は、間もなくこのシリアにも攻め込んでくる。ミカエル・パレオロゴスよ、貴殿はモンゴル軍と戦う意志はあるか?」
「・・・モンゴル軍が、このシリアやエジプトまで征服する事態となれば、余の統治していたローマ帝国も滅亡の危機に瀕する。余は流浪の身ゆえ、手持ちの兵力はほとんど無いが、モンゴル軍の侵攻を防ぐため、可能な限りのことはする所存である」
「そうか。では、我々を雇う気は無いか? 我々は小勢だが、いずれも死を恐れぬ勇敢な戦士たちだ。役に立つぞ」
「そういう話か。ならば、アッコンの城外にある、我が軍の天幕まで来るがよい。詳しい話はそこで聞くことにしよう」
「承知した」
 暗殺者らしき男は、それだけ言い残すと、忽然と姿を消した。僕が振り返った時には、そこには誰もおらず、僕はその男がどのような風貌をしているのかを確かめることすら、ほとんど出来なかった。不気味な連中ではあるが、彼らを雇えば、確かに戦力にはなりそうだ。


 その後、僕が少年武士団の駐留している天幕に移動すると、間もなく僕に面会を求めてくる者があった。
「殿、ムスリムの旅商人と思しきものが、殿への面会を求めております。いかがなさいますか?」
「五郎、その者の名は何と申しておった?」
「若干長い名前なのですが、たしかシナンとか申しておりました。ただ、かの者は旅商人の姿をしておりますが、その目付きには、ただならぬものを感じました」
「とりあえず、通してやってくれ」

 雅村に案内されて入ってきた男は、年の頃20代の半ば。雅村の言っていたとおり、身なりはよく見られるイスラムの旅商人と変わらないが、その眼光と体格は、よく訓練された武人のそれであった。
「アフマド・ウッデイーン・スィナーンと申します。ミカエル・パレオロゴス殿、お会いするのはこれで二度目でございますな」
「・・・やはり、そなたが今朝やってきたニザール派の暗殺者か。その割には普通の格好だな」
「ミカエル殿、スパイを務めながら、一目でスパイだと分かるような格好をする愚か者が、一体どこにおりましょうか。我々も、普段はスンナ派の、人畜無害な旅商人に扮するのを常としております」
「なるほど」
 僕は微笑した。確かに、盗賊やアサシン、忍者といった職業の人々が、いかにもそれっぽい姿で登場するのは、ゲームの中だけの話だ。かつて僕とマヌエル・コーザスが養成した暗黒騎士団もそうだが、状況に合わせて様々な格好に変装できなければ、こうした闇の仕事は務まらない。

「早速、本題に入らせて頂いて宜しいですかな?」
「うむ、聞こう」
「我らは、同志500余名と共に、このシリアの地に潜伏しております。我らの同志と妻子共々、ミカエル殿の配下として、その庇護下に入らせて頂きたいのです」
「余は、ニザール派というわけでもなく、特にムスリムというわけでもないぞ。何故、エジプトのスルタンなどではなく、余に仕えることを望むのだ?」
「我らは、ムスリムの中では少数派であり、敬虔なムスリムたちには異端者として扱われている。それ故、エジプトのスルタンに仕えることはできぬ。だが、ミカエル殿は民族や宗教の別なく、どのような者でも受け容れると評判であり、また強大な力と財力をお持ちであると聞く。
 一方、我らは困窮の為、同志やその妻子の多くが、日々の食料にも事欠く有様。そのため、我々は庇護者を必要としているが、率直に申し上げると、我らを受け容れてくれそうな有力者は、ミカエル殿の他に見当たらぬ」
「そういう事か。確かに、余はどのような宗派でも気にせぬが、他の宗教や宗派の者と厄介事を起こす者は、さすがに受け容れられぬぞ」
「その点は承知している。我らも流浪の身、ニザール派の信仰を守ることさえ許されれば、他の者と厄介事は起こさぬと誓約しよう」
「分かった。そなたたちを受け容れよう。同志たちを集めてくるがよい」


 スィナーンの率いるニザール派は、アッコンの町内やその周辺に潜伏していたらしく、全員が集まるまで3日もかからなかった。
「殿、このように怪しい者たちを、配下に加えて宜しいのですか?」
「構わぬ。それに五郎よ、この地の者たちから見れば、むしろそなたたちの方が、余程怪しい者に見えるであろうよ。かの者たちは、この地の風土や独自の武術に長じている故、そなたたちも彼らから多くを学ぶがよい」

 僕は、三浦雅村をはじめとする武士団の面々にそう言い含めると共に、スィナーンとも今後の方針について話をした。
「スィナーンよ、余の連れてきた武士たちは、騎射などの武術には長けておるが、この国の風習に馴染めておらぬ。彼らを馴染ませるには、どうすれば良いであろうか」
「ミカエル殿、その点を含めて解決できる方策として、我に3つの提案がござります」
「どのような提案かな?」
「第1に、ミカエル殿がかの少年兵たちと共に、ムスリムに入信することです」
「なぜ、ムスリムに入信する必要があるのだ?」
「この国では、形だけでもムスリムに入信しておいた方が、様々な面で有利でございます。イスラムの教えは非常におおらかで、聖職者などという者がいるキリスト教と違って、人間とアラーとの間には何者も存在しないという考え方ですから、ムスリムに入信しても、その信仰を守るかどうかは本人次第。ムスリムと名乗っている者の中にも、形だけはムスリムになり、その内実では古くからの風習を守っているといった者が少なからずおります」
「そういうことか。だが、余はまだ良いとしても、余の妻であるテオドラは、少なくともムスリムになることなど、絶対に承知せぬと思うぞ。テオドラは、豪奢な衣装や露出の高い衣装で身を飾るのが好きで、ムスリム女の風習を毛嫌いしているから」

「・・・まあ、テオドラ様については仕方ありませぬ。そして第2に、遠国から連れてきた男たちを馴染ませるには、女を与えるのが一番です。かの少年兵たちは、ムスリムに改宗させれば、地元の女たちを妻や妾として与えることができます。
 ちなみに、キリスト教徒の兵士たちをムスリムに改宗させたときには、2人の女奴隷を与えるのが風習となっておりますが、ミカエル殿にはその理由がお分かりになりますかな?」
「・・・分からぬ」
「キリスト教徒は、妻を1人しか娶ることが許されないため、キリスト教徒に戻るには、与えられた女を捨てなければなりません。2人の女がいる生活に慣れてしまった男は、もはや女1人では満足できなくなり、再びキリスト教徒に戻ろうなどとは考えもしないのです」
「なるほど。そういうものか」
 僕は思わず苦笑した。僕自身も、実質2人の妻を持ってしまったようなもので、今更どちらかを捨てろと言われても難しい。イレーネはもちろんのこと、あのテオドラでさえ、何度となく肌を重ねているうちに情が移ってしまい、最近ではテオドラと別れたいとは思わなくなってしまった。

「そして、3つめの提案ですが、このアッコンから南方に、カエサリア・マリティマという町があります。かの町は、かつて十字軍により植民都市として整備され、現在はムスリムの領主が支配しておりますが、形式上ムスリムに改宗されたミカエル殿であれば、町の住民もミカエル殿の支配を受け容れるでしょう。良港にも恵まれており、ミカエル殿と我々の拠点としては最適です」
「しかし、その領主はエジプトのスルタンに仕えているのではないか? 勝手に領土を奪えば、エジプトのスルタンとの関係が悪化するのではないか?」
「いえ、そこの領主は、今だエジプトのスルタン、クトゥズの支配を受け容れておらず、モンゴル軍との戦いについても様子見の姿勢で、自らの支配権さえ安堵してくれるなら、モンゴルの支配を受け容れても良いと考えている臆病者のようです。モンゴル軍との対決を大義名分にすれば、かの地を手に入れることは十分可能です」
「よし、その方針で行こう」


 こうして、僕と515人の武士団、そしてイレーネは、アッコンにあるイスラム商人用のモスクで、イスラム教への入信手続きを行うことになった。テオドラは、どうせ拒否すると分かっていたので声も掛けなかったが、イレーネは「形だけなら入信しても構わない」というので、入信手続きに加わることになった。なお、ニュンペーのティムと、サイクロプスのレオーネについては、そもそも人間ではないという理由から、敢えて入信手続きには誘わなかった。

 入信手続きは、極めて簡単だった。2人以上のムスリムを証人として、次のような文言を唱えるだけ。

「「「アシュハド、アッラーイラーハ、イッラーラーフ ワ アシュハド アンナ ムハンマダン ラスールッラー」」」

 そして、僕たちは念のため、アラビア語で書かれた入信証明書をもらった。
「殿、今我々が唱えた言葉は、どういう意味なのですか?」
 三浦雅村が質問してきたので、僕はこう答えた。
「今のはアラビア語の信仰告白で、アッラーのほかに神は無く、ムハンマドはアッラーの使徒であることを、私は証言しますって意味だよ」
「そのようなことを、意味も分からずに唱えただけでも、入信したと認められるのですか?」
「そうみたい。一般的に、ムスリムになる人は何も教えられないままとりあえず入信し、イスラムの教えについて学ぶのはその後。実際に学んでみて、イスラームの教えが気に入ったなら信仰を深めて行ってもいいし、気に入らなければ放置すればいい。僕たちは、一生イスラム教国で暮らすわけではないから、そんなに気にする必要は無いよ」
 余談だが、僕のムスリムとしての名前は「ミカル」になった。もともと、ミカエルというのはユダヤ教、キリスト教、イスラム教に共通する天使の名前であり、イスラム教ではミカル、またはミーカールという。もっとも、相手によって使い分けるのも面倒なので、以後も表記は「ミカエル」で統一する。 


 これで、第1段階は終了。続いて第2段階。
 僕は、配下の少年武士たちを集めて、こう説明した。
「皆の者、日ノ本の風習とムスリムの風習には、重要な違いがある。ムスリムたる者は、複数の妻を適切に処遇することができるのであれば、4人まで妻を持つことが許される。それ以外に、奴隷女を買って自分の妾にすることもできる。
 その代わり、男同士で性的関係を結ぶことや、いわゆるせんずりをすることは認められていない」
 僕の説明に、少年武士たちの半分以上が驚きの声を挙げた。ちなみにせんずりとは、オナニーの古い呼び方である。

「五郎、お前たしか、昨日せんずりしてたよな?」
「平次郎、そなたもせんずりが必要になるのは、時間の問題です」
 少年武士たちが、口々にそんな事を言い合っている。まだ子供だと思っていたけれど、大半はそういったことが気になる年頃になっていたらしい。

「だが、心配は要らぬ。これからお前たちには、正しい子作りの仕方について、女たちから手ほどきを受けてもらう。そして、正しく女を抱けるようになったら、大将の五郎と平次郎は2人まで、他の者については当面1人、それぞれ好みの女を用意してやる。
 それゆえ、戦の最中などはやむを得ないが、それ以外のときはせんずりに頼ることなく、各々子孫の繁栄に励むがよい。ただし、子作りに夢中になるあまり、武芸の鍛錬や学問を疎かにしてはならぬぞ」
 僕の言葉に、少年武士たちは色めき立った。まだ子作りのできない者や、子作りの練習を済ませていない者についても、先に好みの女の子を選ぶことは許可したので、この日だけで約200組の出会いがあり、カップルが成立したことになる。

 なお、少年武士たちに性の手ほどきをする役目については、戦争などで夫を亡くした寡婦が、アッコンの市内にも、スィナーンの一党にも結構いるので、そうした女性たちにお願いすることにした。
 そして、ここは現代ではなく中世なので、女奴隷はアッコンの奴隷市場でかなり売られている。奴隷は男女問わず、モンゴル帝国に滅ぼされたクマン族などの出身者が大量に安く売られているが、遠く西方から売られてきた者もいるらしい。
 ただし、奴隷と言っても、イスラームの法では主人は自分の奴隷を保護し、生活の面倒を見る義務があるとされているので、そこまで苛酷な環境下に置かれるわけではないのだが、それでも人間の値段としては驚くほど安く、買われた少女たちも、自分に買い手が付いたことをむしろ喜んでいた。

 購入費に加えて維持費もかかるが、僕が日本から連れてきた少年武士たちは、僕にとっては弟たちのようなものだ。彼らが、異国で子孫を残さぬまま亡くなってしまうようなことは避けたいし、オナニーを必死で我慢するような苦労をさせたくもない。
 定員を500人ほどに絞ったのは、そうした経費もちゃんと計算に入れてのことであり、今ある財産でも5年くらいは、少年武士団とスィナーン一派を十分養っていける。
 もっとも、彼らを恒久的に養っていくには、それなりの領地を手に入れる必要があるが、その目途も立っている。問題として残っているのは、モンゴル軍を撃退できるかどうかだ。
 僕は、内心そんなことを考えつつ、その日の夜は決められた順番に従ってテオドラと一緒に過ごし、そのまま眠りに就いた。


第5章 進まない関係

 皮肉にも、少年武士たちにせんずりをしてはいけないと言った翌日、現代日本に戻ってきた僕は、不本意なせんずりを余儀なくされていた。
「・・・ううう、なかなか出ないよう」
 湯川さんが僕のお弁当を作ってくれるようになって以来、僕は再び現代日本へ戻って来ることが多くなったのだが、現代日本での性生活は、不自由極まりない。

 ・・・いや、現代日本では、一介の高校生が彼女を作ってエッチできるのは稀なことで、ほとんどの男子高校生はオナニーで我慢していることくらい、僕だって知っていますよ。僕自身、そういう環境自体は以前と変わっていないんだけど、あのビザンティン世界で、最初はマリアと、その後はテオドラやイレーネと、毎日長時間子作りエッチをするのが当たり前という生活を覚えてしまうと、身体がオナニーでは満足できなくなってしまうんです。
 その一方、僕の性欲は主にイレーネのせいで、以前より飛躍的に高まってしまい、1日禁欲するだけでもかなり辛いほか、朝に最低1回は抜いておかないと、学校では湯川さんの隣でひたすら股間の疼きに耐える、拷問のような生活を送ることになってしまうので、性欲を少しでも抑えるために朝のオナニーをしているわけですが、その際どうしても湯川さんとのエッチを妄想してしまうため、あまり効果はないんです。


 そんな僕の性生活事情はさておき、現代日本での生活は、湯川さん関係を除けば、概ね上手く行っていた。エレクトーン5級の演奏グレード検定試験も、英検2級の一次試験も何とか乗り切った。家事の負担も、お父さんが家事代行サービスを頼んでくれるようになったので、だいぶ楽になった。
 もっとも、お父さんは、出来れば住み込みで働いてくれる家政婦さんが欲しいと言って、一応募集をかけ始めたが、今時そんな募集に応じる女性なんていないだろう。

 一方、湯川さんとの関係は、湯川さんが毎日僕のお弁当を作ってくれるようになったのは良いのだが、食事が終わって湯川さんとお話をしようとする頃合いになると、なぜか湯川さんは、いつも席を立ってどこかへ行ってしまう。
「湯川さん、今日もどこか調子悪いの?」
「・・・ご、ごめんなさい、榊原くん、なのです」
 今日もこんな調子で、顔を真っ赤にして教室から出て行ってしまう。そして大体、昼休みが終わるまで帰ってこない。いや、昼休みの終わり間際に帰って来るならまだ良い方で、5時限目を休んでしまうことも珍しくない。

 そして、取り残された僕は、例によって佐々木さんにからかわれる。
「おや~、榊原君、今日も愛する美沙ちゃんに取り残されちゃって、不安でたまらないのかな?」
 普段は、こんなことを言われると「別にそんなことないよ」などと返すのが常だったが、今日の僕は湯川さんとの関係が進展しないことに焦っていたせいか、こんな風に答えてしまった。
「・・・愛するという表現には語弊があるけど、不安なことは不安だよ」

「おお、榊原君がやっと、自分の気持ちに素直になったよ! じゃあ、この麻衣ちゃんが、悩める榊原君の相談に乗ってあげよう! 一体榊原君は、美沙ちゃんの何が不安なのかな?」
「毎日、ああやって昼休みの途中になっちゃうと、席を立ってどこかへ行っちゃうし、理由も話してくれないから、どこか体調でも悪いんじゃないか、それとも僕と会話したくないのかと、色々不安になっちゃって・・・」
「なるほどね、榊原君。でもね、美沙ちゃんが榊原君と会話したくないってことはないから、それだけは安心していいよ♪」
「その言い方だと、佐々木さん、何か知ってるの?」
「うん。美沙ちゃんから事情は聴いてるよ。でもね、女の子同士の秘密のお話だから、残念ながら榊原君には、ちょっと話せないなあ」
「なぜに」
「やっぱり、武士の情けってものがあるからね。美沙ちゃんのトップシークレットなお話は、榊原君には話せないよ」
「・・・トップシークレットって、湯川さん、お腹でも壊してるの?」
「榊原君、女の子に向かってそういうことを聞くのは、デリカシーが足りないよ!」
「そう言われたって、他に思い当たる節がないんだから! 何か、僕に出来ることは無いの!?」
「うーん、これは榊原君に出来ることというより、むしろ榊原君にしか解決できない問題かな?」
「具体的にどうすればいいの?」
「それは・・・、やっぱり愛する二人同士が、話し合って解決するしかないと麻衣ちゃんは思うな♪」
 そんな僕と佐々木さんとの会話に、周囲からクスクスと笑い声が漏れる。

「分かったよ。結局佐々木さんは僕をからかった挙句、結論は二人で話し合えってことなんでしょ。相談した僕が悪かったよ」
「あれー、相談これで終わりにしちゃっていいのかな? 愛する美沙ちゃんのこと、もっと聞きたくないのかな~?」
「聞ける話があれば聞きたいけど、一番聞きたい話は、どうせトップシークレットだとか言って、教えてくれないんでしょ?」
「そんなことないよ~! 美沙ちゃんの秘密で、榊原君にも話せることはまだあるよ」
「どんな秘密?」
「さあ、どんな秘密でしょう? 榊原君の勘で、愛する美沙ちゃんが考えていることを、ずばり当ててみましょう!」
 ・・・つまり、適切な質問をしないと、答えてくれないという訳か。

「じゃあ、湯川さんがいつも大変な状態なのに、毎日僕にお弁当を作ってくれるのはどうして?」
「お、良い所突いたね、榊原君。愛する男の子に毎日お弁当を作ってくる女の子の心理は、ずばり『私を食べて』ってサインなんだよ。ラブラブだね、榊原君♪」
「話が抽象的過ぎて、よく分からないんだけど」
「そりゃあ、これ以上具体的なことなんて、この麻衣ちゃんには言えないよ。ここは学校なんだし」

 そのタイミングで、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴った。そして、午後の授業開始ギリギリのタイミングで、湯川さんは戻ってきた。
「湯川さん、お帰りなさい。今日は間に合ったみたいだね」
「榊原くん、ただいま・・・なのです」
 相変わらず、顔を真っ赤にしている湯川さん。間もなく授業が始まることもあり、それ以上の話をする時間的余裕は無かった。

 こんな感じで、湯川さんとの関係は一向に進まない一方、主に佐々木さんの影響で、僕と湯川さんが付き合っているという噂だけが広まっていく。こんな状態が現代日本時間で2週間以上も続き、いい加減に焦れてきた僕は、この日の放課後に行動を起こすことにした。

「・・・湯川さん」
「は、はい、榊原くん」
「今日、一緒に帰らない?」
「でも、榊原くん、・・・わたしと帰る方向が違うのではないですか?」
「確かに違うけど、今日は話したいことがあるから、僕が湯川さんの家近くまで付いて行くよ」
「分かりました・・・なのです」
 そんな会話を聞いた佐々木さんたちが、案の定「榊原君、ついに愛の告白をする気だよ!」などと騒ぎ立てていた。今までは、それが怖くて思い切った行動に出られなかったのだが、それを気にしていては、もはやこれ以上先に進めない。

 この日も雨だったので、僕も自転車には乗っておらず、お互い傘を持って、歩いて下校する。今日の湯川さんは、傘を持っていることを忘れたりしていなかったので、あいあい傘はしない。
「・・・ここまで来れば大丈夫かな?」
 僕は、クラスメイトに話を聞かれていないか、周囲を確認した。
「誰もいないみたい、なのです。それで、榊原くん、お話って・・・何でしょうか」
「そう。僕と湯川さんとの関係って、なんかこう、できれば時間を取って、ゆっくり話し合った方が良いんじゃないかな?」
「お話し合い・・・なのですか?」
「うん。僕から見れば、湯川さんは可愛いし、美味しいお弁当を作ってくれるのも嬉しいけど、一体湯川さんが、僕に何を望んでいるのか、僕には良く分からない。それに、僕が湯川さんに何を望んでいるのか伝える機会もない。・・・だから、出来れば2人きりでゆっくり話せる時間を取って、お互いにどういう関係を望んでいるのか、きちんと話し合った方がいいと思うんだ」
「榊原くんは、わたしと、・・・どういう関係を望んでいるのですか?」
 湯川さんからの直球な質問に、僕は慌てた。
 もちろん本音を言えば、できれば今日からでも、湯川さんとはエッチな恋人関係になりたいに決まっている。でも、そんなことを言ったら、間違いなく湯川さんに嫌われてしまう。
 僕は、しばらく考えた後、出来る限り婉曲に話を振ってみることにした。

「そ、その・・・。僕としては、湯川さんが嫌でなければ、今までみたいに中途半端な関係じゃなくて、一緒にいる時間を増やしてもっと仲良くなって、ゆくゆくは単なるお友達じゃなくて、恋人同士とか、そういう関係になってもいいのかなって、・・・思ってる」
「こ、恋人同士、・・・なのですか!?」
「い、いや、湯川さん、もちろん無理にとは言わないから!」
「その・・・嫌というわけではないのです。ただ、その・・・」
 僕は、湯川さんからの返事の続きを待っていたが、湯川さんは黙ってしまった。

 この気まずい沈黙をどうしようかと僕が考えていると、湯川さんが再び口を開いた。
「・・・榊原くん」
「は、はい。何でしょう、湯川さん」
「やっぱり、私もじっくり、お話しする機会が必要だと思うのです。私のお家は狭いので、できれば、榊原くんのお家に、お邪魔させて欲しいのです」
「それは構わないけど、いつ?」
「私は、今日でも大丈夫なのです」
「今日!?」
 僕は、榊原家の状況を思い出した。何しろ、男2人の世帯なので、年頃の女の子には見せられないものが、隠すこともなく結構無造作に置かれたままである。
「ご、ごめん、湯川さん、さすがに今日は無理! 家が散らかっているから、片付けないと」
「では、明日なら大丈夫なのですか?」
「まあ、明日であれば、何とかできる」

「分かりました、なのです。・・・それでは、明日の放課後、榊原くんのお家に、お邪魔させて頂きます、なのです」
「分かった。湯川さん、僕も準備を整えて待ってるよ。また明日ね」
 ちょうど、湯川さんの家近くまで来ていたところだったので、僕はその場で湯川さんと別れ、足早に自分の家へと戻った。


「はい、ウラン。ただいま」
 鳴きながら僕を出迎えてきたウランにエサをやると、僕は家にいたお父さんに、緊急事態の到来を告げた。
「お父さん、話があるんだけど」
「どうした、雅史? 急に改まって」
「・・・明日、僕のクラスメイトの女の子が、うちに来たいって言っているんだけど」
「何だと!?」
 僕とお父さんは、色々議論した結果、湯川さんが来るのはおそらく僕の部屋とリビングなので、お父さんの部屋については、とりあえず見られるとまずいものは適当に隠す程度に留め、お父さんは主にリビングを整理して、僕は自分の部屋を何とかすることにした。

 ただ、何とかすると言っても、今までやったことがない作業である。とりあえず、お父さんに買ってもらったエッチなおもちゃなんかは、ありきたりだけどベッドの下に隠すことにして、本棚のエッチな本は真面目な本の裏側に隠すことにして、フィギュアなんかは、・・・ひとまず適当な布でも買ってきて、見えないように取り繕うしかない。
 2時間くらいかけて、僕は何とか自分の部屋について、応急措置を終えた。

 夕食の時。僕はお父さんから、明日来るという湯川さんについての質問を受けた。
「雅史、明日来るという女の子は、どんな子なんだ?」
「湯川さんって言って、最近僕と隣の席になった女の子。僕に、お弁当とか作ってくれるんだ」
「ほう。雅史の彼女なのか?」
「お父さん、まだ彼女じゃないから。お付き合いできるかどうか微妙な関係だから、お父さんも余計なことは言わないでね。すごく可愛いけど、何となく内気な感じの子だし、下手なことを言ったら逃げられちゃうかも知れないから。今回はあくまで、お友達として招待するだけだから!」
「そうか、明日はその子を雅史の彼女に出来るかどうか、勝負の日というわけか。期待しているぞ」
「だからお父さん、間違っても湯川さんの前で、そういうこと言わないでね!」
 ニヤニヤしながら問い掛けてくるお父さんに、僕は念を押した。


 僕は、今日の分の日記をつけ終わった後、お父さんから頼まれていた訴状の下書きに仕上げをし、データをお父さんに渡した。
 一般的な訴状の書き方は、書式集を見れば分かる。原告の住所氏名を書き、訴訟代理人弁護士は、例によって八重樫さんのところ。今回は税務訴訟なので、被告は国、代表者は法務大臣とその名前。これに加えて、処分をした税務署の名称と所在地を書く。
 請求の趣旨は、書式集に書かれた定型文言どおり書けばよい。請求の原因と附属書類については、専門性が高い問題なのでお父さんに任せるしかないが、先の審査請求に対する裁決の内容については当然引用することになるので、お父さんの主張が認められなかった部分の要旨については記載済み。あと、必ず必要になる訴状の副本とか印紙代の額なんかについては、こちらで書いておく。

 本来、訴状は代理人となる弁護士が書くはずのものであるが、慣れれば高校生でも出来る程度のこうした下書きさえも、八重樫さんには出来ない。司法修習では訴状の書き方などろくに習っておらず、書式集は買ってあるのに、その書式集の読み方すら分からないらしく、僕は以前八重樫さんが書いてきた訴状原案を読んで、その出来の悪さに唖然とさせられたことがある。訴状以前の問題で、まともな日本語の文章にさえなっていなかったのだ。
 お父さんに言わせると、今時こんなレベルの弁護士さんは、そんなに珍しくないのだという。日本の弁護士というものは、一体何のためにいるんだろう。そんなことを考えていたせいで、僕は一時湯川さんのことが頭から離れ、眠りに就くことが出来た。

第6章 カエサリア・マリティマにて

 ビザンティン世界・・・というよりは、中世の中東世界に戻った僕は、イスラム教入信から1週間後、アッコンを出発し、カエサリア・マリティマに向かった。

「みかっち、今度はどこへ行くのよ?」
「アッコンの南にある、カエサリア・マリティマっていう町。攻め取って、僕たちの拠点にする」
 ちなみに、普段はカエサリアと呼んでいるが、カエサリアという町はトルコの内陸部をはじめ他にも複数あるため、他のカエサリアと区別する必要があるときは、「海沿いのカエサリア」を意味する、カエサリア・マリティマの名前で呼ぶことになる。
「あたしの知らないうちに、ムスリムの兵士たちや、女たちがずいぶん増えているけど、あの人たちは何なのよ?」
「あの、新しく雇ったムスリムは、一言で言えばアサシンの集団だよ。彼らたちの首領は、アフマド・ウッディーン・スィナーンという名前なんだ」
「スィナーンって、まさかあの大麻を吸わせて人を暗殺させるっていう、『山の老人』のこと?」

 テオドラのいう『山の老人』とは、この世界では60年以上前、史実でも12世紀後半に活躍したニザール派の首領、ラシード・ウッディーン・スィナーンのことである。彼の許で、シリアのニザール派は大きく成長し、また十字軍に対抗するためアイユーブ朝のサラディンと連携し、スィナーンの率いる暗殺者集団は、第3回十字軍を大いに恐れさせた。
 スィナーンの噂は、暗殺教団とその指導者『山の老人』として伝説化し、広くヨーロッパ世界に流布することになったのだが、その際スィナーンの率いる「フィダーイー」と呼ばれる戦士集団は、自らの死を恐れず要人の暗殺などを実行するため、彼らを恐れた十字軍士たちは、フィダーイーが大麻によって洗脳されているからに違いないと考え、アサシンという彼らの呼び名も、大麻を意味する「ハッシッシ」に由来している。

「まあ、半分は合ってるかな。テオドラの言う『山の老人』は、ラシード・ウッディーン・スィナーンという人物で、その人は今から60年くらい前に亡くなっているけど、その後ニザール派の首領には、彼を尊敬して自らスィナーンと名乗る人が結構いて、僕に仕えることになったアフマド・ウッディーン・スィナーンもその一人だけど、『山の老人』と直接の血縁関係はないらしいよ。
 ニザール派の拠点であったアラムート城塞は、モンゴル軍によって攻め滅ぼされてしまったけど、スィナーンとその部下はシリアに逃げ込んできて、モンゴル軍に対抗するため僕に仕えさせて欲しいって言って来たから、配下に加えたわけ」
「アサシンなんて、配下に加えてどうするのよ。大麻を吸うやばい連中なんじゃないの?」
「いや、実際には大麻なんか使っていないって。あまりにも屈強で死を恐れない集団だから、奴らは大麻を使っているに違いないという噂が広まっただけみたい。それだったら、戦争でも役に立つでしょ?」

「・・・でも、みかっちのことだから、例の暗黒騎士団みたいに汚い仕事をさせる気なんじゃないの?」
「もちろん。彼らは、暗黒騎士団とは異なる様々な技能を持っているみたいだから、帰国したら互いに交流させ競わせて、技能に更なる磨きをかけさせる」
「これ以上磨きをかけさせて、一体どうしようって言うのよ!?」
「テオドラ。僕はローマに帰国したら、皇帝を目指す覚悟はもう出来ている。もっとも、国内にはムザロンをはじめ、僕の政敵となる人間は多いから、彼らを排除し皇帝としての権力基盤を固めるためには、有能なスパイや暗殺者がたくさん必要になるんだよ」
「・・・みかっちは、ローマ帝国で恐怖政治をやるつもりなの?」
「ローマ皇帝という仕事は、殺るか殺られるかの危険な仕事だ。僕を殺そうと陰謀を企む者がいたら、先手を打って始末するくらいでないと、皇帝なんて仕事は務まらない。テオドラのお父さんであるイサキオス帝だって、のんびりしていたら廃位されて目を潰されちゃったでしょ?」

「もう、みかっちが暗殺者大好きなのは分かったわ。それで、それ以外の女や子供たちが増えているのはどうして?」
「スィナーンの率いるアサシン部隊は約500人だけど、その妻子や一族も加わって、さらに日本から連れてきた武士たちにもアッコンでお嫁さんを1人ずつあてがったから、非戦闘員が2千人を超えるまでになったんだ。これほど人数が増えると、さすがにアッコンでは手狭だし、彼らを養うための領地も必要になるから、手近なカエサリア・マリティマを攻め取ることにしたわけ」
「それで、あたしの術でどっかーん! っていうわけね」
「いや、今回は武士たちやアサシンの実力を見たいし、カエサリアも出来れば無傷で手に入れたいから、テオドラは基本的に、いざというときの予備でお願い」
「えー、そんなのつまらないわよ。あたしだって活躍したいのに!」
「心配しなくても、たぶんモンゴル軍が攻めてきたら、テオドラには全力で活躍してもらうことになると思うよ」
「さっさと攻めてこないかしらね、モンゴル軍」
 僕は、テオドラとそんなことを言い合いながら、行軍を続けた。
 もっとも、テオドラには話していないけど、僕が早々にアッコンからの出発を決めたのは、別の理由もある。お嫁さんをあてがった少年武士たちが、覚えたばかりの子作りに夢中になってしまい、ちょっと目を離すと,昼間から子作りをしたりお嫁さんとイチャイチャしたりしてしまったのだ。
 僕自身も、イレーネにおねだりされると断れなくて、昼間から子作りをしてしまうことも少なくないので、あまり強く注意できない。それで、彼らの気を引き締めさせるには、アッコンから出発して行軍をさせるしかなかったのだ。行軍中であれば、子作りが出来るのは野営中の夜だけになる。


 やがて、カエサリアの町が近づくと、僕は武士隊を率いて先行した。カエサリアの太守は、敵がわずか500騎と聞いて僕たちを侮り、自ら兵を率いて攻めかかってきた。
「この戦いが、そなたたちの初陣だ。各々、抜かりなく自らの役目をこなせよ」
「「「おう!」」」

 敵兵の数は、見たところ約2千人だが、ほとんどが歩兵である。僕の率いる武士隊は、僕の合図に従って一斉に矢を放ち、そして直ちに退く。彼らの放つ矢は、僕の術で威力を強化しているので、500騎の一斉射撃だけで、かなりの数の敵兵が倒れた。
「殿、敵は我々の矢を恐れ、散開戦術をとったようでございますな」
「五郎。このくらいは想定の範囲内だ。時々矢を放ちながら、スィナーンたちが隠れている森のあたりまで退くぞ」
「承りました、殿」

 そして、森のあたりまで誘い出された敵は、スィナーン率いるアサシン隊と、反転攻勢に出た武士隊の挟撃を受け、一人残らず全滅。味方には若干の怪我人が出た程度で、死者は出なかった。武士隊の少年たちは、数に優る敵を一人残らず討ち取ったと、大いに喜んでいた。
 そんな中、僕とスィナーンは、比較的冷静だった。僕とスィナーンは既に打ち解けた仲になっており、いつの間にか話し方も身内向けの言葉に変わっていた。
「殿下、今回の戦勝は、敵兵のほとんどが、ろくに訓練されていない雑魚であったことにも助けられましたな」
「うむ。僕も、敵がこれほど弱く、テオドラの術無しで勝ててしまうとは思っていなかった。征服するのは楽だが、この地の軍隊では、いくら数を集めたところで、精強なモンゴル軍に対抗するのは難しいだろうな」

 そんな僕やスィナーンの思惑はともかく、太守と主力部隊を失ったカエサリアの町は、太守の首を持って城門前に現れた僕の前に戦わずして門を開き、僕はその後概ね2週間ほどで、カエサリアとその周辺地域における支配権を確立した。前太守に仕えていた官僚たちが大人しく僕に従い、従来の統治体制を大きく変更することもなかったので、抵抗らしい抵抗も無かった。形式上とはいえ、僕がムスリムになったことの影響も大きいだろう。
「ねえ、みかっち」
「テオドラ、今度は一体何? 立派なお風呂が欲しいとか?」
「お風呂も欲しいけど、なんかあたしの名前が、この辺では変な風に伝わっているみたいなんだけど」
「どんな風に?」
「なんか、あたしが一つ目の巨大な魔人で、町を一撃で破壊するとか言われてるのよ」
「それはたぶん、君の話と、サイクロプスのレオーネの話が混同されたんじゃない?」

 こうした噂が広まる背景には、僕にも身に覚えがあった。
 だいぶ前、僕がアフロディスアスの戦いでトルコ人の軍を撃破したとき、解放した捕虜たちに、半ば冗談のつもりで「一つ目の巨大な魔人テオドラが現れて、トルコの大軍を粉砕したという噂を広めて回るように」と命じたことがある。
 ところが、イスラム圏ではその噂が、僕の予想以上に広がっており、そして僕たちが傭兵稼業を行っていた時期に、僕を裏切った町を3つほど、サイクロプスのレオーネを使って壊滅させたものだから、もはやこの地方では、一つ目の魔人テオドラと聞けば泣く子も黙ると言われるほど、恐れられる有名な存在になってしまっていたのである。

「冗談じゃないわよ! どうして世界一強くて美しいこのあたしと、レオーネが混同されなきゃいけないのよ!」
「スィナーンたちの例を見ても分かるとおり、噂は必ずしも正確に伝わるわけじゃないからね。それに、見た目だけは美しい1人の女性が一撃で町を破壊したという噂よりは、一つ目の巨人が現れて町を破壊したという噂の方が、真実味があって説得力があるし」
「だからって、あたしが夜になると一つ目の巨人になって暴れまくるなんて、事実無根の風評被害もいいところよ! これじゃあ、あたしの絶世の美女ってイメージが台無しじゃないの!」
「そう言われても、そんなに間違ってないじゃない。君とレオーネのコンビで、既に主だった町だけで、リヨンとボローニャを破壊しているし」
「むうう、こうなったらあたしだけで、隣のヤッファの町まで破壊してやろうかしら」
「そんなことをしたら、一つ目の魔人テオドラの伝説は、ますます広がることになるよ」
「うぎゃあああああ! あたし、どうすればいいのよ~!」


 そんなテオドラの愚痴はさて置いて、僕は自領となったカエサリア・マリティマに移動拠点を築き、これで誰にも遠慮なく、本国とも連絡が取れるようになった。
 その移動拠点を使って、ゲルマノス政務官が挨拶にやって来た。
「殿下、お久しゅうございます」
「ゲルマノス、元気そうでなによりだ。国内の情勢はどうなっている?」
「はい。ソユトの討伐を命じられたラスカリス将軍は、殿下の摂政復位を要求して反乱を起こし、この反乱にダフネ殿やオスマン殿も加勢し、ゲリラ部隊を率いて抗戦していたコンスタンティノス・アスパイテスも加わっております。殿下を再び帝国摂政としてお迎えできる日も、そう遠くはないでしょう」
「そうか。僕の方は、僕の祖国から連れてきた武士隊と、ニザール派のアサシン部隊を配下に加え、このカエサリア・マリティマを手に入れたところだ。シリアの地に迫っているモンゴル軍を撃退したら国に戻るつもりだが、その際にはこのカエサリア・マリティマを、東方交易の拠点として整備したいと考えている」
「それは良いお考え・・・と申し上げたいところですが、フラグ率いるモンゴル軍は30万もの大軍で、バグダードを攻略した後は破竹の勢いでモスル、アレッポを落とし、既に先遣隊がダマスカスへ向かっていると聞いております。整備した後でモンゴル軍に攻め落とされては元も子もありませんので、本格的な整備を始めるのは、モンゴル軍の撃退に目途が付き、エジプトのスルタンとも領有権に関する交渉が成立してからの方が宜しいかと思われます」

「確かに、そう言えばそうだな。モンゴル軍の撃退についてもまだ目途が立っていないし、30万のモンゴル軍がこのカエサリアに攻めてくる事態になったときの対処についても考えておく必要がある」
「それでは、そのような事態が発生した場合に備え、殿下が新しくお雇いになった兵士たちとその家族たちを収容できるよう、これからニュンフェイオンの兵舎増築に取り掛かります」
「うむ、よろしく頼む」
 ゲルマノス政務官は、新たに加わったスィナーン、三浦雅村、千葉雅秀といった家臣にも面会した後でニュンフェイオンへ帰って行った。

第7章 モンゴル恐怖症再び

 フラグ率いるモンゴル軍襲来の報は、イスラム世界全体をパニックに陥れていた。
 モンゴル軍の、征服地に対する態度は至ってシンプルである。抵抗せず完全に降伏すれば命を助けるが、少しでも抵抗する様子を見せれば、容赦なく市民ごと皆殺しにする。
 アラムート城塞の教主であったヌクルッディーンは、モンゴル軍に無条件降伏したものの、部下の多くがそれに従わずモンゴル軍に抵抗したため、結局殺されたらしい。
 バグダードを支配していたアッバース朝のカリフ・ムスタアシムは、モンゴル軍への降伏を拒否したため、バグダードは徹底的に略奪・破壊され、イスラム世界最大の図書館であった『知恵の館』も焼失してしまったという。カリフのムスタアシムは、モンゴル軍の軍馬によって踏み殺されたという。
 モスルの太守は、戦わずに降伏してモンゴル軍に加わり、ビザンティン帝国と友好関係を築いていたキリキア・アルメニア王国や、グルジア王国、キリスト教徒のアンティオキア公国も、モンゴル軍に加わっているという。
 モンゴル軍に対し中途半端な抵抗をしたアレッポは、バグダードと同じような運命を辿り、住民のほとんどが虐殺されたらしい。

 アッバース朝カリフ家の生き残りをはじめ、難を逃れようとしたイスラム教徒の多くは、続々とエジプトに亡命している。この辺までは、フラグ率いるモンゴル軍の西征は、ほぼ僕の知っているとおりの展開で進んでいるが、僕の世界史に関する知識は、むしろ危険信号を告げていた。
 なぜなら、史実におけるフラグの西征は、西暦1260年に第4代大ハーンのモンケが死亡したため、フラグは後継者争いに加わろうとして西征を中断し、シリア方面への遠征は配下のケド・ブカという将軍が率いるわずか1万余りの軍勢で続行され、そのモンゴル軍をバイバルスという武将の率いるマムルーク軍が撃破したため、エジプトをはじめとするイスラム世界は何とか救われたのである。

 しかし、この世界におけるフラグの西征は、西暦換算で1254年に行われており、もしモンケが史実どおりの年齢で死んだとしても、まだ6年もある。そのため、このタイミングでモンケが死んでくれる可能性は極めて低く、むしろフラグは西征を中断することなく、30万ともいわれる大軍を率いて、そのままシリア、エジプトを蹂躙してしまう可能性が極めて高い。また、エジプトを救った救国の英雄バイバルスと呼ばれる人物の名も、今のところ耳にすることはない。
 そして、シリアとエジプトを手中にしたフラグが次に向かうのは、おそらくビザンティン帝国だろう。そのビザンティン帝国は、未だ内乱状態にあり、モンゴル軍を迎え撃つどころではない。フラグ率いるモンゴル軍が攻めてきたら、僕にもこれを防ぐ手立ては無く、ビザンティン帝国の運命も僕の人生も、その時点でゲームオーバーだ。

 僕の支配下に入ったカエサリアの民も、1日5回の礼拝では飽き足らず、恐怖のあまりひたすら神に祈りを捧げている者が多いため、モスクは人で溢れかえっている。自分の家で、妻とひたすら子作りに励んでいる者も多いようである。
 そして、僕の配下である武士隊も、毎日の軍事教練には参加しているが、それ以外の時間は日本から持参した仏像に祈りを捧げていたり、覚えたばかりの子作りに夢中になって、恐怖を紛らわせようとしている。
 死を恐れないとされるスィナーンやその配下のアサシン部隊でさえも、いつも以上に子作りに励んでいる。人間の男が死の恐怖から逃れようとするとき、取るべき道は神に救いを求めるか、女の子に救いを求めるかの、どちらかしかないらしい。

 神というものを信じておらず、神に救いを求めるという発想のない僕は、必然的に女の子に救いを求めるしかなくなる。以前モンゴル恐怖症に陥ったときの僕は、マリアに救いを求めたが、今回は主に、イレーネに救いを求めることになった。


「みかっち、最近イレーネと、子作りのやり過ぎじゃない?」
「それは、・・・テオドラが、あんまり相手してくれないから」
「あたし、みかっちとの子作りは、あまり好きじゃないのよ。みかっちのはちょっと大き過ぎるし、最近はティムをいじめているときの方が楽しいくらいだわ」
「テオドラ、ティムに一体何をしているの?」
「ティムはね、関節技をかけたり、敏感なところを触ったりすると、本当に可愛い声で泣くのよ。前はぱーすけ相手にやってたけど、ぱーすけは段々大人になってきて、しかもみかっちに毒されて段々ずる賢くなって、捕まえるのが難しくなってたところだったけど、ティムはニュンペーだから、あの姿のまま大きくなることはないみたいだし、ぱーすけの代わりとして丁度良いのよ」
「・・・それって、例の小説の題材にするため?」
「それもあるけど、何となくあたしは、みかっちに犯されているより、小さくて可愛い男の子をいじめる方が、性に合ってるみたいね」
「テオドラって、そういう性癖があるのか・・・。ティムには可哀そうだけど、テオドラは僕の跡継ぎになる男の子さえ産んでくれれば、後はそういう趣味に走ったとしても、僕は構わないよ。僕のものがテオドラには大きすぎるというのは、僕にはどうしようもないし」

「そういえば、イレーネはあたしより身体が小さいのに、みかっちの大きなプリアポスは平気なの?」
「平気というより、むしろ病みつきになっちゃってるみたい。テオドラと違って、子作りをする前のご奉仕は要らないから、早く入れてほしいとせがんできたり、イレーネの方から乗っかってきたりすることが多いんだよ」
「・・・あたしとは逆なのね」
「そう。前に一度、イレーネの性欲が止まらないのは、子作り前のご奉仕を十分にしていないから、イレーネが満足していないんじゃないかと思ったことがあってね。イレーネにせがまれても子作りをしばらくお預けにして、イレーネの敏感なところを触ったり舐めたりし続けたことがあったんだけど・・・」
「どうなったの?」
「イレーネは、お預けにされるのがよほど苦しいらしくて、泣きながら懇願してきたから、仕方なく子作りを始めたんだけど、イレーネはいつも以上に敏感になってるものだから、僕も面白くなって休みなしにイレーネの弱点を突きまくっていたら、いつもと違って6回くらいで気絶しちゃって。
 その後、目が覚めたイレーネに気持ち良かったかって尋ねたら、むしろ苦しかったって泣かれちゃって。それ以来、イレーネにお預けはやらないことにしてる」

「・・・イレーネって、子作りのときに泣いたりするの? 普段のイレーネからは、想像もできないんだけど」
「するよ。普段のイレーネは、ほとんど表情を崩さないおすまし顔だけど、子作りのときはあの眼鏡もどきを外して、胸とかを触るとすごく可愛い声で喘いだり、表情もすごく可愛らしくて。しかも、身体は子供みたいだから、すごくいけないことをしている気分になって興奮しちゃって。
 だから、毎回極限まで搾り取られると分かっていても、イレーネとの子作りを辞めたいという気にはなれなくて、むしろどんどん、僕もイレーネに病みつきになっちゃってる感じがする。イレーネも僕に病みつきで、出来ることなら眠っている間中、ずっと繋がっていたいなんて言ってくることもあるよ。
 テオドラが小さな男の子をいじめて快感を覚えるっていうのも、ひょっとしたら、僕がイレーネに対してやっているのと、同じようなものかも知れないね」

「あたしとイレーネって、どうしてそんなにも違うのかしらね・・・?」
「僕にも良く分からないけど、たぶん身体の相性ってやつじゃない? 見た目に関係なく、身体の相性が良いと、夫婦がとても仲良くなって子沢山になったり、逆に相性が悪いと、夫婦仲があまり良くならず、子供にも恵まれなかったりすることがあるみたいだから」
「そんなものがあるの?」
「あるみたい。以前、摂政をやっていたとき、ある婚姻の無効を求める裁判があってね。原告の男は、明らかに今の正妻の方が美人なのに、その正妻との婚姻を何とか無効にして、そんなに美人じゃない愛人を自分の妻にしようとしていたんだ。僕がその男に理由を尋ねたら、正妻は確かに美人だけど、子作りは全然気持ち良くない、愛人との子作りはとても気持ち良くて、この愛人との間ならたくさん子供を作れそうな気がする、って言って来たんだ」
「それで、結局その裁判、どうしたのよ?」
「仕方ないから、妻に多額の慰謝料を支払うことを条件に正妻を説得して、男は正妻との子作りができないことを理由にして、婚姻の無効を認めた。その後、その男は愛人と結婚して沢山の子供を作り、元正妻も別の男と再婚したみたい」

「ちなみに、その男って誰? あたしの知ってる人?」
「海軍提督のネアルコスだよ。その話を聞いた他の連中も、そういうことって結構ある、女の価値って抱いてみないと分からないとかって言ってたよ」
「・・・ネアルコスって、ずいぶん身勝手な男ね」
「まあね。指揮官としての才能はあって、部下にも慕われているんだけど、あいつ女癖は悪いから。イスラム教に改宗すれば4人まで妻を持てると聞いて、改宗するかどうか本気で悩んでたよ」

「ネアルコスの話はもういいわ。要するに、あたしとみかっちって、身体の相性はあんまり良くないってことみたいね」
「・・・残念ながら、そうみたいだね」
「それじゃあ、あたし、あんまりみかっちを拘束することには、こだわらないことにするわ。皇后様の座は譲れないから、これまでどおり夜のお務めは果たしてもらうけど、それ以外のときは、イレーネと好きなだけ楽しんでいいわよ。その代わり、あたしはティムを、好き放題にいじめて楽しむから」
 そんなことを言うテオドラの表情は、何となく諦めたような感じだった。でも、身体の相性が悪いこと自体は、どうしようもない。
「分かったよ、テオドラ」
 僕は、テオドラに掛けるべき言葉が、それ以外に思い付かなかった。


 そんな事情もあり、僕はイレーネと過ごす時間が長くなっていたのだが、僕もイレーネとの子作りばかりやっていたというわけではない。僕は、イレーネとこんな話もしていた。
「イレーネ、モンゴル軍は、いつ頃全軍でこのシリアに攻め込んでくると思う?」
「当面、その可能性はない」
「・・・どうして?」
「モンゴル帝国内で、ジョチ・ウルスの当主となったベルケは、イスラム教徒であり、フラグによるバグダードの劫略を強く非難している。さらに、トゥルイ家の更なる勢力拡大にも危機感を持っており、チャガタイ・ウルスとも同盟して、フラグの勢力を包囲しようとしている。
 フラグは、こうした動きに対応するため、全軍をエジプトに向けることはせず、配下の武将ケド・ブカに52,446名の兵を預け、シリアとエジプトの攻略を命じている。ケド・ブカ率いるモンゴル軍を破れば、当面の脅威は除かれるはず」
「それなら、だいぶハードルは下がったけど、それでも5万以上か・・・」
「あなたが生き残る道は、まだ残されている。今は、私に身を委ねればいい」
「そうは言うけど、イレーネ。・・・いくらなんでも、一日中繋がったままで過ごすというのは、さすがに自粛した方がいいと思うんだけど」
「あなたの不安を和らげるには、この方法が一番」
「確かにそうだけど、家臣たちの目もあるし・・・」
「大丈夫。彼らは既に、私たちに慣れている」
 イレーネは、テオドラとは真逆で、僕をエッチな意味で拘束することに、とことんこだわる気のようだった。

 ・・・でも、ある意味ではイレーネの言うとおり、1日の半分以上をイレーネと繋がったまま過ごすという異常な性生活が2週間ほど続くと、僕の関心はモンゴル軍の脅威より、どうやってこの異常な生活から逃れるかという問題に向くことになった。
「殿下、エジプトの情勢に関する報告が入りました。・・・お取込み中のようですが、ご報告して宜しいでしょうか?」
「スィナーン、イレーネのことは気にしないで。報告お願い」
「スルタンのクトゥズは、モンゴル軍から来た降伏勧告の使者を斬り捨て、断固としてモンゴル軍と戦う決意を示したとのことでございます。そして、クトゥズと対立し、シリア方面で放浪していたアル=ブンドクダーリー率いるマムルークの一派も、クトゥズと和解して共にモンゴル軍と戦う方針のようでございます。
 そして、アル=ブンドクダーリー率いる一派は、この町の近くのヤッファを訪れているようでございます。彼とお会いになられてはいかがでしょうか」
「分かった。出発の準備をしよう」

 そう答えたまでは良かったものの、
「イレーネ、そういうわけで僕は外出しなきゃいけないから、さすがに子作りはもうやめようね?」
「途中で止めるのは身体に良くない。あと1回終わるまで続けるべき」
「確かにそうだけど・・・」
 そんなやり取りを聞いていたスィナーンが、ふとこんな感想を漏らした。
「殿下が精力旺盛との噂は聞いておりましたが、よくそんなに、子作りを続けられるものですな」
「イレーネが止めさせてくれないんだよ! この子、精力回復って術まで使って、延々と子作りを続けようとするんだから!」
「でも、あなたは私の術から逃げようとしない」
「それは、逃げられないから諦めてるだけだよ!」
 結局、僕はもう1回出し切るまで、スィナーンを待たせることになってしまった。
 ・・・僕は、たぶん家臣たち全員から、ものすごく淫乱でロリコンの大将だと思われているんだろう。ものすごく恥ずかしい。穴があったら入りたい。

第8章 アル=ブンドクダーリー

 何とか気を取り直した僕は、テオドラとイレーネ、スィナーンを連れ、イレーネのアクティブジャンプでヤッファに向かった。
「そなたたち、何者か!」
「余は、ローマ帝国の前摂政にして、隣接するカエサリアの領主、ミカエル・パレオロゴスである。アル=ブンドクダーリー将軍に、面会させてもらいたい」
「名前は聞いたことがあるが、そなたが本物のミカエル・パレオロゴスであるという証拠はあるのか?」
 ずいぶん、攻撃的で疑い深い門番だな。
「これが、余のムスリムへの入信証明書である。これでは証拠にならぬか?」

 門番は、僕から手渡された入信証明書に目を通し、僕に返した後、
「暫し待たれよ」
 そう言って、城内にお伺いを立てに行き、30分くらい経ってやっと戻ってきた。
「将軍から、面会の許可が出た。お入り下され」

 ヤッファの城内に入ると、ヤッファに駐屯している軍勢は、非常にピリピリしていて、いかにも戦争の直前という雰囲気だった。僕たちは、門番に案内されて、やがてアル=ブンドクダーリーがいるという邸宅へ入った。

「お前が、ミカエル・パレオロゴスか? 女みたいな面してるな」
 僕を見るなり、ぶっきらぼうにそんな発言をしてきた人物は、年の頃30代くらい、顔は褐色碧眼で、片目に斑点がある。いかにも軍人らしい、長身かつ堂々たる体躯の持ち主で、確かにこの人に比べれば、僕などは女みたいな顔と形容されても仕方がないだろう。

「いかにも。余が、ミカエル・パレオロゴスである。貴殿が、アル=ブンドクダーリー将軍で相違ないか?」
「そうだ。俺が、このマムルークたちを率いる、アル=ブンドクダーリー。横にいるのが、俺の副将カラーウーンと、書記官のアブド=アッザーヒルだ。覚えておけ」
 カラーウーンは、年の頃はアル=ブンドクダーリーとほぼ同年代、勇敢そうな軍人であるが、肌は白色で、非常に整った容貌の持ち主である。アッザーヒルも年の頃はほぼ同年代だが、典型的なイスラムの文官といった人物で、戦いについては専門外のようである。
 副将のカラーウーンという名前については、どこかで聞き覚えがあったが、それを詮索している場合ではない。

「カラーウーン殿と、書記官のアブド=アッザーヒル殿であるな。覚えておこう」
「それで、お前は何しに来たんだ? ここは、女の遊び場じゃねえぞ」
 内心、ずいぶんと柄の悪い男だなと思ったが、ここは冷静に返すことにした。
「このミカエル・パレオロゴス、国内が内戦中のため亡命の身であるが、精鋭の弓騎兵500と歩兵500を動かすことが出来る。共にモンゴル軍と戦うため、加勢しようと申し出に参ったのだ」
「ふん、ずいぶんな小勢だが、いないよりはマシだな。せいぜい、戦場の片隅で弓矢でも撃っているがいい。命の保証はできんがな」
 理由はよく分からないが、ずいぶん舐められているようだ。
「・・・貴殿は、余の名前をどこかで聞いておらぬのか?」
「俺は無学な男だが、お前の名前くらいは知っている。ただ、お前が世間に知られている、ミカエル・パレオロゴスだとは思えん。それだけのことだ」
「なぜ、そう思えないのか、聞かせてもらおうか?」

「俺が聞いている、ミカエル・パレオロゴスという男は、滅亡寸前の状態にあったルームの地に突如現れ、勇敢に戦って領土を広げ、わずか7年ほどでルーム人の国を結構な大国に押し上げた。その後、政変があってミスルの地に亡命し、傭兵と称して、テオドラという一つ目の魔人を使役して強盗まがいの行為を繰り返し、ついにはカエサリアを奪い取って自分の領地にしたという、経歴を聞くだけで恐ろしいほどの男だ。お前のような軟弱者に、そのようなことができるはずがない」
 僕が言い返そうとしたところ、横にいたテオドラが口を挟んできた。
「ちょっと待ちなさい、そこのアル何とか! この絶世の美少女テオドラ様を捕まえて、一つ目の魔人とはどういう了見よ!? それに、このみかっちはね、見た目は貧弱だけど、本当にせこい策略を使いまくって、あんたの言ってるようなことを本当にやってのけて、最も狡猾なギリシア人とか、第六天魔王とか呼ばれているのよ! みかっちを馬鹿にすると、後で酷い目に遭うわよ!」
「・・・テオドラ、せめてアル=ブンドクダーリーの名前くらい覚えてあげようよ」
 僕がそう突っ込みを入れるも、アル=ブンドクダーリーは、テオドラの言葉に興味を抱いたようであった。

「ほう。この男を馬鹿にすると、どのような酷い目に遭うのか、俺に見せてもらおうじゃないか。ミカエル・パレオロゴスよ。何なら、俺と一騎討ちでもしてみるか?」
「構わぬが、ハンデは付けなくて良いのか?」
「何をほざく。むしろ、ハンデが必要なのは、お前の方ではないのか? 俺は見てくれのとおり、かなり腕は立つぞ?」
「戦いは、武術だけがすべてではない。どんな手を使っても良いというのなら、一騎討ちでお前を倒すくらい、造作もないことだ」
「ほざいたな! 表へ出ろ、いざ勝負!」
 ・・・どうやらこの人、神聖術というものを知らないようだ。

 手に三日月刀を持ち、自身満々で打ちかかってきたアル=ブンドクダーリーであったが、僕は麻痺の術で彼を硬直させ、その首に草薙の剣を突き付けた。
「アル=ブンドクダーリー殿。10年前の余ならともかく、今の余であれば、この程度のことは朝飯前である。何なら、この場でそなたの頭を吹き飛ばしてみせることも出来る。試してみるか?」
「だから言ったでしょ。みかっちは一騎討ちと見せかけて、いきなり卑怯な神聖術を使ったりする、騎士道精神どころか神をも馬鹿にする、悪魔の化身なのよ」
「テオドラ、うるさい!」
「わ、分かったから、俺を助けてくれ・・・」
 テオドラの茶々が入ったせいで、いまいち格好良く決まらなかったが、アル=ブンドクダーリーに僕の力を見せつけることには、ひとまず成功したようだ。
 僕の術で、アル=ブンドクダーリーの麻痺状態を解除した後、僕たちは話に戻ろうとしたが、それにもテオドラが待ったをかけた。

「ちょっと待ちなさい! まだ、あたしの力を見せてないじゃないの!」
「いや、テオドラ、こんなところで君の力を見せつけると、周囲の人に迷惑がかかるから・・・」
「じゃあ、アル何とか! この辺で何か、ぶっ壊しても構わない城塞とか無いの? あたしの手にかかれば、何でも一撃でぶっ壊してみせるわよ!」
「・・・俺の名前がそんなに呼びにくいのであれば、とりあえずダーリーとでも呼んでくれ。そうだな、向こうに、かつてフランク人の作った城塞がある。あれなら、誰も住んでいないはずだから、壊しても構わんぞ」

 僕たちは、ヤッファの城壁を昇り、テオドラの術披露に付き合うことになった。テオドラは、得意のメテオストライクで、目標物の城塞に次々と隕石を落とし、城塞は瞬く間に廃墟と化した。僕にとっては見慣れた光景だが、アル=ブンドクダーリーやカラーウーン、その他配下の兵士たちにとっては驚愕の光景だったようで、それなりに演出効果はあったようだ。

「・・・ミカエル殿、テオドラ殿。先刻の失礼な物言いは、誠に失言であった。どうかお許し願いたい」
「分かって頂ければ結構です、ダーリー殿」
 先程までは傲慢不遜であった、アル=ブンドクダーリーの物言いが、急に丁寧になった。あと、彼のフルネームは僕にとっても言いにくいので、とりあえずダーリーと略させてもらうことにした。


「それで、モンゴル軍を迎え撃つ兵力なのだが、現段階でどのくらい集まる見込みなのか?」
「俺の部下であるマムルーク軍が約9千、クトゥズの率いるマムルーク軍団が約2万5千。貴殿の軍を加えると、およそ3万5千といったところだ」
「ミスルは大国であるのに、軍はその程度しかいないのか・・・?」
「クトゥズは、まだミスルの全土を掌握していない。それに軍隊も、地元の人間は軟弱でほとんど使い物にならず、俺たちを含めたクマン族出身の奴隷出身兵士、マムルークがこの国の実戦力だ。俺がスルタンになることが出来れば、もう少しマシな国に出来ただろうに、これまで上手く行かなかった」
「余が聞いたところによると、シリアに攻め込んでくるモンゴル軍は5万余り。これはかなり、厳しい戦いになりそうだな・・・」

「確かに厳しい戦いだが、勝算がないわけではない。俺は、モンゴル軍に滅ぼされたクマン族の出身で、モンゴル軍の戦い方はよく知っている。奴らのうち最も強力なのは、モンゴル人の弓騎兵隊だ。シリアの地形を利用して、奴らに本来の戦い方ができないようにすれば、他国から加わった他の連中は、兵士として特に手強い相手ではない。
 もっとも、それでも数で劣っているので、俺たちが勝つためには、ミカエル殿やテオドラ殿の力も、最大限に借りる必要がありそうだがな」
「ダーリー殿。どこで、モンゴル軍を迎え撃つお積もりなのか?」
「アッコンの南にある、アイン=ジャールートの森が良い。あそこなら、厄介なモンゴル軍の弓騎兵を、足止めすることができる」
「分かった。余は、シリアの地勢についてそこまで詳しいわけではない。余は配下の兵と共に、ダーリー殿の指揮に従おう」

 アイン=ジャールート。その地が、僕たちとモンゴル軍との、決戦の地になりそうだった。


<あとがき>

「拙者が、本編の主人公、榊原雅史と申す。訳あって、ロマーニアの地では、ミカエル・パレオロゴスと名乗りし者にて候」
「あたしが、太陽の皇女テオドラよ。何それみかっち、サムライにでもなったつもり?」
「一応、本物のサムライが出てきちゃった回だから、やってみただけ」
「正直、あんまり似合わないわね」
「全くだよ。まさか日本の侍をビザンティンに連れて来るなんて、作品の構想段階では全く予定に無かったのに。あの三浦雅村君とか、千葉雅秀君とか、上手くやっていけるのかなあ・・・」
「そのくらい、何とかなるわよ。みかっちの能力だって、構想段階では最後まで適性79の、個人としては中途半端な強さのキャラで終わる予定だったのに、今では一人で無双できるキャラになっちゃったし」
「問題はそこじゃないんだよ。僕たちの能力が、構想段階の予定より強くなり過ぎてしまった場合、物語としてのバランスを取るために、敵の能力にも上方修正がかかってしまう可能性が高いから、僕としてはそこが気になる所で・・・」
「まあ、それは仕方ないわよ。いくらなんでも、強すぎて倒せない敵が現れて、国家滅亡でゲームオーバーみたいな結末にはならないでしょ」
「だといいんだけど。もう一つ気になるのは、読者様からのご指摘で、どうやらこの『小説家になろう』サイトでは、第二次世界大戦後の実在する人物を出してはいけないというような、裏のルールがあるみたいで、それをどうしようかという問題があって」
「そんなルールがあるの?」
「作者が確認したところ、利用規約やガイドラインに、はっきりとそうした事が書かれているわけではないんだけど、明示されていない運用基準の中に、どうやらそんなルールがあるらしくて」
「仮に、そうしたルールがあるとなると、どういう影響があるの?」
「・・・例えば、中島みゆき様は戦後の人だから、名前を出してはいけないということになると、Mさんとか、例のあの人とか呼ばなきゃいけないことになる」
「Mさんだと、例のなんとか原発で問題になった人っぽくて、物凄く怪しい存在になりそうね。でも、利用規約を見ると、曲名を出すだけなら問題はないのに、その曲を歌っている歌手の名前を出すのはNGなの?」
「そこが問題なんだよ。曲名といっても、例えば『SMILE,SMILE』って曲は、中島みゆき様と平原綾香さんが、同じ題名で全く違う曲を発表しているし、同じ『幸福論』でも、中島みゆき様の歌と、椎名林檎の歌は全然別物だし、曲を特定するために必要な歌手名を出すことすらNGなのかについては、読者様から頂いたご指摘だけでは全然分からないし」
「あと、日本パートで出てくる野球選手の名前も問題になりそうね」
「まあね。田中税理士とか、八重樫弁護士とか、単に元プロ野球選手と偶然の同姓同名というのは、現実にも結構あることだから別に問題にはならないだろうし、猫の名前も変える必要はないだろうけど、実在するプロ野球選手にどこまで言及していいのか、言及するにしても単に伏字とかにすればいいのか、それとも具体的に誰を指すのか分からない程度にまでぼかす必要があるのか、それによって修正する範囲がかなり変わって来ちゃうから」
「元々の話が長いから、問題のある個所を探すのも、直すのも一苦労よね。しかも、この本編とライト版の両方あるし」
「そんなわけで、既に投稿してしまった部分については、具体的な基準が分からないと手直しのしようがないので、サイトの運営さんから何かご指摘を受けたら、それに基づいて対応することにします。今後投稿する部分については、中島みゆき様は仕方ないとして、実在するプロ野球選手の実名については、なるべく出さないようにすることで対応したいと思います」
「どんな風に対応するつもりなの?」
「ヤクルトの守護神で、サイドスローでシンカーを投げる人とか、眼鏡を掛けたヤクルト伝説の名捕手とか、具体名は出さないけど分かる人には分かるって表現にするしかないかなあ・・・」
「それでも駄目って言われたら?」
「そこまで縛られたら、現代日本を舞台にした小説なんて書けないよ」
「なんか、妙なところで完走できるかどうか、先行きが不安になってきちゃったわね」
「もう、こうなったら仕方ないよ。第6話後編なんか、かなり著作権ぎりぎりの線を走っているし、走れるところまで突っ走ろう。これから、モンゴル軍とも戦わないといけないし」
「そんなわけで、第7話後編以降も、こんな感じで突っ走りまーす! よろしくね♪」


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