<特別編>『紺碧のアルカディア』と『ビザンティンの風』

<特別編>『紺碧のアルカディア』と『ビザンティンの風』

1 はじめに

「・・・みかっち、今回は何の話?」
「2019年10月21日から、同年11月1日まで、NHKのラジオドラマで、青春アドベンチャー『紺碧のアルカディア』が放送されましたので、この小説でも、特別編の企画として、この作品についてコメントすることになりました」
「そのこんぺきなんとかと、この『ビザンティンの風』に、何の関係があるのよ?」
「『紺碧のアルカディア』は、この『ビザンティンの風』と同様、中世のビザンツ帝国を題材としている上に、第4回十字軍の時代を背景にしたドラマだから、扱っている年代も非常に近くて、共通する歴史上の登場人物も結構いるんだよ」
「それじゃあ、確かにうちと無関係というわけじゃないわね。どういうお話なの?」

「ストーリーの前に、まず原作者と主な登場人物の説明をするね。
 『紺碧のアルカディア』は、並木陽さんの原作で、主人公はエンリコ・ダンドロの孫娘とされている、ヴェネツィア船の船長フェリチータ・ダンドロ。出演は花總まりさん。
 そして、主人公と並ぶダブルヒロインとして登場するのが、皇帝イサキオス2世の娘で、アレクシオス4世の姉とされている、東の帝国の皇女テオドラ。出演は坂本真綾さん。
 また、物語の最初では、黒い盾の騎士として登場する、アレクシオス皇太子、後のアレクシオス4世。出演は井上芳雄さん。
 それ以外にも、ヴェネツィアの元首エンリコ・ダンドロ、第4回十字軍の総大将を務めたモンフェラート侯ボニファッチョ、アレクシオス3世の皇后エウフロシュネ、後に皇帝アレクシオス5世となるムルズフロス、テオドロス・ラスカリスなんかも登場している」
「・・・なんか、聞いたことのある名前が多いわね」

「そうでしょ。そして、主人公のフェリチータは、海賊に襲われていたテオドラ皇女を助け、その後祖父のエンリコ・ダンドロを助けて第4回十字軍に参加し、その途中でアレクシオス皇太子と出会う。そして、十字軍とヴェネツィア艦隊がコンスタンティノポリスを攻撃すると、東の帝国の皇帝は逃亡してしまい、取り残された皇后エウフロシュネはなおも抗戦しようとするけど、テオドロス・ラスカリスによって幽閉され、アレクシオス皇太子は父イサキオスと共に、アレクシオス4世として帝位に就き、フェリチータとアレクシオス4世との間には愛が芽生える。これが前半のあらすじ」
「それで、後半はどうなるの?」

「しかし、帝位に就いたアレクシオス4世は、十字軍に約束していた報酬を支払うことが出来ず、東西教会の合同という約束も、住民の猛反対で実現できないまま。そんな中、十字軍によるコンスタンティノポリス放火事件なんかも起きて、民心を失ったアレクシオス4世は、皇太后エウフロシュネの支援を受けたムルズフロスによって廃位され、幽閉されてしまう。
 フェリチータやテオドラ皇女は、何とかアレクシオス4世を救出したものの、エウフロシュネの刺客が毒矢を放ち、それによってアレクシオス4世は命を落としてしまう。一方、十字軍と東の帝国との対立は不可避となり、十字軍の攻撃でコンスタンティノポリスは陥落し、ムルズフロスとエウフロシュネは、抗戦を諦めて何処かへ逃亡する。
 もっとも、東西の国が手を取り合って互いに繁栄するという理想を持っていたフェリチータは、テオドラ皇女とテオドロス・ラスカリスを、ニカイアへ逃がすよう尽力した後、自らの船に乗って旅立った。大体こんな感じかな。あと、ニカイアとニケーアは表記法が違うだけで、同じ都市のことを指しているから、違いは特に気にしないでね」

「・・・みかっち。そのラジオドラマって、今からでも聴けるの?」
「難しいと思う。ラジオドラマをウェブ上で聴けるのは、放送日の翌日から1週間だけだし,原作小説はないし。今後、要望が多ければ書籍化やCD化されて販売される可能性もゼロでは無いけど、今のところそういう予定はないみたいだし。だから、あらすじを少し詳しく説明したんだけど」
「そんなラジオドラマ、実際に聴いている人がどのくらいいるのよ?」
「分からないけど、日本でビザンティン帝国を舞台にした歴史物語が作られるのは非常にレアなことなので、この小説でも話題として取り上げることにしました。日本では、ビザンティン帝国のことが取り上げられる機会は非常に少なくて、以前に話題となったのは、西暦2006年のことだからね」
「その年に、一体何があったの?」

「その年の9月12日、時のローマ教皇ベネディクト16世が、ドイツのレーゲンスブルク大学で記念講演をしたとき、末期のビザンティン皇帝マヌエル2世が書いた、『あるペルシア人との対話』という著作の一部を引用したんだ。その引用部分の中に、日本語で書くと以下のようなセリフがあってね。

『ムハンマドが新しいことをしてもたらしたものを私に示してください。貴方はそこに悪と非人間性しか見出すことができません。例えば、ムハンマドが、自分の説いた信仰を剣によって広めよと命じたことなどです。』

 この一文が世界中で大々的に報道され、欧米のメディアでは、ローマ教皇がイスラムの聖戦を批判したとか、イスラム勢力によるテロとの戦いを支持したなどと取り上げられる一方、イスラム諸国からはイスラム教やムハンマドに対するあからさまな誹謗中傷などと猛反発があり、日本でも国際的ニュースとして取り上げられたんだ。最近書かれたビザンツ帝国史に関する概説書なんかでは、大体言及されている事件だよ」
「何か、あたしにはよく分かんない話だけど」
「まあ、この事件に関する解説は、今回の目的から逸脱してしまうから割愛するけど、作者がこの小説を書いた目的の1つは、日本ではこういうときくらいしか取り上げられる機会のない、極めて関心の低いビザンティン帝国史について、歴史でも創作物でも何でもいいから、興味を持ってもらえる人を少しでも増やそうということにあるから、『紺碧のアルカディア』についても、特別編として話題に取り上げることにしたわけ」
「・・・要するに、日本ではあたしたちの国って、取り上げられる機会が滅多にないマイナーな世界だから、この機会に何とか宣伝したいわけね」
「そういうことです。まず、史実と『紺碧のアルカディア』、そしてこの『ビザンティンの風』に関する時系列の整理から行きたいと思います」

2 史実との関係

「まず、史実では西暦1185年、皇帝イサキオス2世がビザンティンの皇帝に即位しました。しかし、イサキオス2世は帝国をうまく統治できず、西暦1195年、イサキオス2世の兄弟にあたるアレクシオスがクーデターを起こすと、イサキオス2世は廃位されて目を潰され、幽閉の身になりました。そして、アレクシオス3世が皇帝に即位しました」
「年代が若干ずれてるけど、あたしの父上が廃位された話は、この小説でも出て来たわね。でも、兄弟って、なんか微妙な言い回しね」
「実は、イサキオス2世とアレクシオス3世については、どちらが兄でどちらが弟なのか、史実ではいまいちよくわからないんです」
「何でよ!?」
「2人とも、生まれた時点では皇帝の遠い親戚に過ぎない人物なので、正確な生年月日が記録されていません。それに加え、日本では長幼の序を重視する中国儒教文化の影響もあって、兄か弟か、姉か妹かという問題にこだわる傾向があるけど、英語文化圏では単にbrotherやsisterとしか書かないことが多いので、ヨーロッパの歴史では、どちらが兄でどちらが弟か、どちらが姉でどちらが妹か分からないというのは、結構よくあることなんです。なお、この小説では便宜上、アレクシオス3世の方を兄としています」
「何か理由があるの?」
「特に、深い理由はありません。なお、この小説では構成上の都合で、時期を40年後にずらしてしまっているけど、このクーデターに関する基本的なストーリーは、史実と概ね同じです。ただし、『紺碧のアルカディア』と『ビザンティンの風』では、取り上げ方が大きく異なります」
「・・・どう違うの?」
「この小説では、イサキオス2世の評価に対する通説的見解に従い、イサキオス2世はどうしようもない暗愚な皇帝だったから、廃位されるべくして廃位されたっていう取り扱いにしているけど、『紺碧のアルカディア』の方では、イサキオス2世の息子であるアレクシオス4世を、主要登場人物の1人としてだいぶ美化している関係で、イサキオス2世の暗愚ぶりについては全く言及されていません。
 また、『紺碧のアルカディア』の方では、皇帝アレクシオス3世については、名前自体が1回も出てきません」
「なんで?」
「たぶん、同じアレクシオスという人物が2人も出てくると紛らわしいので、誤認混同を避けるための措置じゃないかな。一方、この小説ではそういう処理ができないので、アレクシオスが5人も出てくる、しかも代数を付ける習慣も当初は無かったから、ものすごく紛らわしいってネタにしちゃってるけど」
「やり方は違うけど、同じ名前の人物が複数出てくる場合の扱いには、お互い苦労してるのね」

「そういうこと。そして、『紺碧のアルカディア』の物語は、ビザンティン帝国が皇帝アレクシオス3世の治世下にあった西暦1201年、ヴェネツィアから十字軍の船が出航する少し前から始まります。架空の人物である、エンリコ・ダンドロの孫娘フェリチータが、廃位された皇帝イサキオス2世の娘で、アレクシオス4世の姉にあたるテオドラ皇女を救出することになります」
「あたしと同じ名前の皇女様が出て来るけど、何か関係あるの?」
「同じ名前になったのは単なる偶然で、両方ともそれぞれの物語中で創造された架空の人物です。そのため、両者は全くの無関係です」
「あたしって、架空の人物なの!?」

「当たり前だよ。史実に君みたいな、とんでもない皇女様がいたら大変じゃない。もっとも、100%架空というわけではなくて、史実でミカエル8世の皇后になったテオドラという女性がベースになっているけど、史実のテオドラは後の話で出てくるヨハネス3世と縁続きの娘で、イサキオス2世との血縁関係は完全に架空の設定。
 一応確認すると、『紺碧のアルカディア』に出てくるテオドラ皇女様は、アレクシオス皇子の姉という設定で、母親の名は出て来ないけど、おそらくアレクシオス皇子と同腹、つまりイサキオス2世が即位する前の妻だった、イレーネまたはヘリナと呼ばれている女性ではないかと推測されます。
 一方、うちのテオドラは、アレクシオス皇子の異母妹という設定で、母親は皇后ではなくイサキオス2世の愛人であった踊り子のカタリナ。いわゆる妾腹の娘に過ぎませんが、政治的な理由により皇女に格上げされたというわけで、両者は全くの別人ということになります。
 なお、史実でイサキオス2世の娘として知られている女性は、神聖ローマ皇帝フィリップの妃となったイレーネ皇女、キエフ大公ロマンの妃となったとされるエウフロシュネ皇女だけです。このうちイレーネ皇女については、時期を40年ずらした関係で、この小説では皇帝フリードリヒ2世の妃として登場しています」

「・・・なんで、どっちも架空の人物なのに、名前が被ったの?」
「ヨーロッパでは名前のバリエーションが少ないし、ビザンツ帝国の皇女様に付ける名前として、真っ先に思い付くのは、大体テオドラだからね。ちなみにキャラクターは、容姿端麗だけど傲慢という点は何となく共通しているけど、『紺碧のアルカディア』に出てくる方のテオドラ皇女様は、極端な問題行動こそ起こさない代わり、重要そうに見えるけどあまり大したことはやらないキャラでした」
「それなら、大活躍しているあたしの方が圧倒的に格上ね!」
「・・・でも、君の『活躍』なるものは、プロ野球選手に例えるとホームランはよく打つけど、三振も多いし守備が下手でエラーも多いし、乱闘事件なんかも起こす問題児って感じだけどね」
「誰が問題児よ!? こんな世界一美しく強い皇女様に向かって!」


「正しい自己認識が出来ていないうちのテオドラはほっといて、話を進めます。やがて、第4回十字軍を乗せたヴェネツィア艦隊は、本来の目的地であったエジプトに向かわず、やがてザーラの町に現れ支援を求めてきたアレクシオス皇子の帝位奪還を口実に、コンスタンティノポリスへと向かうことになります。
 『紺碧のアルカディア』は、第4回十字軍を主な舞台にした、主にヴェネツィア側からの視点で書かれている物語なので、そのあたりの経緯は概ね史実に即した形で、詳しく語られています。一方、こちらの小説はビザンティン側の視点で書いているので、十字軍側の詳しい事情については、あまり言及していません」
「都市の呼び方も違うわね。『紺碧のアルカディア』の方はコンスタンティノポリスって呼んでるのに、こっちの方は曖昧に『聖なる都』って呼んでるし」
「それにも理由があります。『紺碧のアルカディア』はヴェネツィア視点で書かれているから、ラテン語読みのコンスタンティノポリスで正しいのですが、うちはビザンティン視点で書いているから、ラテン語ではなくギリシア語読みを使うのが正しいということになります。そのため、正式名称はギリシア語読みのコンスタンティヌーポリという、若干呼びにくい名前になってしまって、別名も複数存在するので、結局『聖なる都』の通称で呼ぶことになりました。詳しい理由は、第1話で触れたとおりです」

「それで、西暦1203年になって、十字軍とヴェネツィア艦隊による攻撃の結果、アレクシオス3世が途中で逃げちゃって、イサキオス2世とアレクシオス4世が共同で帝位に就くことになったという史実のくだりは、『紺碧のアルカディア』でも同じなの?」
「基本は同じ。ただし、ここでも扱いはうちと違っていて、『紺碧のアルカディア』ではアレクシオス3世の名前を出さない代わりに、その皇后エウフロシュネを悪役として登場させています。皇后エウフロシュネは無能な皇帝の許で国政を壟断していたけど、皇帝アレクシオス3世の逃亡に伴い、幽閉の身となりました。この点は、史実と大きな違いはありません」
「エウフロシュネ皇后ならあたしも知ってるけど、この小説では、全くと言って良いくらい名前が出て来ないわね」
「まあね。史実におけるエウフロシュネ皇后は、アレクシオス3世時代に権勢を振るった、悪名高い皇后として歴史に名前を残しているけど、コンスタンティノポリス陥落後は特に何もやっていなかったということもあって、この小説では、エウフロシュネ元皇后は特に出しませんでした。この小説内では、エウフロシュネ元皇后は僕に会うこともなく、僕に仕えることになった娘のプルケリアに養われて、安らかに余生を全うしたということになっています」
「そういえば、あの乳牛も架空の人物なの?」
「プルケリアという名前自体は架空なんだけど、100%架空というわけでもなくて、アレクシオス3世が逃亡時に伴ったただ1人の皇女、史実ではイレーネと呼ばれる女性が一応のモデルになっていますが、この小説ではイレーネという名前の登場人物を、同じアレクシオス3世の娘ではあってもだいぶ異なる形で出してしまったので、混同を避けるため名前をプルケリアに変更したという経緯があります」

「まあ、乳牛の話はどうでもいいわ。ところで、テオドロス・ラスカリスって名前が出てくるみたいだけど、『紺碧のアルカディア』ではどんな扱いなの?」
「その前に、史実の説明から始めるね。史実におけるテオドロス・ラスカリスは、皇帝アレクシオス3世の娘アンナを妻に迎えてその娘婿となり、コンスタンティノポリスが陥落した後、ニケーアで皇帝テオドロス1世を名乗って、帝国の再建に尽力した人物ですが、即位以前の経歴についてはほとんど知られていません。
 史実の経歴に照らすと、テオドロス・ラスカリスは、おそらく皇帝を名乗る以前はアレクシオス3世寄りの人物だったと考えられますが、『紺碧のアルカディア』では、なぜかイサキオス2世の娘であるテオドラ皇女と親交があり、アレクシオス4世やテオドラ皇女に忠実な軍人として描かれています。
 なお、『紺碧のアルカディア』におけるテオドロス・ラスカリスは、紆余曲折の末、史実どおりにニカイアに亡命し、その後ニカイア帝国の建国者となったとされていますが、一緒にニカイアへ亡命した架空の皇女テオドラとどのような関係になったかは、特に言及されていません」

「そうなの。この小説にも、テオドロス・ラスカリスっていう名前のうるさいヴァリャーキーが出て来るけど、史実と違う扱いになったのはどういうわけ?」
「それはね、物語としてのジャンルの違い。『紺碧のアルカディア』は、史実の第4回十字軍を舞台にした、歴史系青春アドベンチャー物語だけど、こっちは歴史SLG小説だから」
「具体的にどう違うのよ?」
「要するに、『紺碧のアルカディア』の方は、歴史の大まかな流れ自体は変えずに、その範囲内で架空の女船長フェリチータとテオドラ皇女を登場させ、青春物語を繰り広げるっていうお話。ただし、そういう手法で架空の人物や、史実ではほとんど活躍していない人物をメインキャラに据えてしまうと、結局メインキャラの割に大したことやってないじゃん、っていう物語になってしまう問題点があります。
 一方、この『ビザンティンの風』は、中世ヨーロッパを舞台にした歴史物のゲームでビザンティン帝国を選択したら大抵のプレイヤーが試みるであろう、史実では成し遂げられなかったローマ帝国の再建という夢物語にチャレンジしよう、っていうコンセプトの物語です。こういう物語の場合、自由度は比較的高いのですが、世界観などの設定をかなり綿密に考えないと、話がぐちゃぐちゃになってしまうという課題があります。
 そんなわけで、この『ビザンティンの風』は後者の部類に属する物語だから、史実をある程度ベースにはしているけど、結果を史実に合わせるつもりは最初から無くて、物語スタート時点の設定も完全に史実どおりにする必然性はないから、話を面白くするために、史実から結構いじっているわけ」

「どんないじり方をしたの?」
「史実では、ビザンティン帝国がコンスタンティノポリスを十字軍に奪われてから、奪還するまでに約57年の歳月を要しており、その間皇帝はテオドロス1世ラスカリス、ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェス、テオドロス2世ラスカリスと続き、この中で帝国再建に一番大きな役割を果たしたのは、ヨハネス3世なんだ。
 そして、史実のミカエル8世パレオロゴスは、本来なら皇帝を名乗ってもおかしくない由緒ある大貴族の生まれで、ヨハネス3世の孫から帝位を奪ってコンスタンティノポリスを奪還し、ビザンツ帝国の復興を一応果たしたんだけど、その実態はヨハネス3世が半ば以上進めていた帝国再建事業を横取りしたという性格が強いんだ。
 そういう人を、史実ほぼそのままという形で主人公にしても、物語として成立しにくいので、この小説ではミカエル・パレオロゴスが1代で帝国再建を果たす形にして、それを可能にするためにコンスタンティノポリス陥落の時期を史実から40年後にずらして、それに伴って登場人物の位置づけも、大幅に変更されたわけ。また、史実ではテオドロス1世やヨハネス3世がやったことについても、この小説では僕がやっている。
 テオドロス・ラスカリスと、その父親マヌエル・ラスカリスが、ヴァリャーグ近衛隊の出身で彼らを率いる隊長だったという設定は、この小説独自のものです。物語の構想上、テオドロス・ラスカリスを皇帝にするわけには行かないので、結局武勇に秀でた僕の悪友といったポジションになりました。
 一方、物語の設定上、軍事面における僕の教育係になる登場人物も必要になって、他に適当な人物も見当たらないので、史実ではほとんど名前しか知られていない存在である、テオドロス1世の父マヌエル・ラスカリスが、この小説では結構頻繁に出てくる登場人物になりました。また、ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスも、同じく皇帝にするわけには行かないので、この物語では有能な外様の軍事貴族というポジションになりました。
 それ以外のポジション変更については、詳しく説明すると長くなるし、本編を読んでもらえば大体分かることなので、詳しい説明は省略します」

「みかっちの長話はもういいわ。それで、『紺碧のアルカディア』でもこの小説でも、アレクシオス4世が殺されて、その後にムルズフロスが即位して、その後にコンスタンティノポリスが攻め落とされるっていう流れ自体は同じというわけね」
「基本的にはそのとおり。ただし、史実のアレクシオス4世は、十字軍に対する報酬の支払いのため国民に重税を課し、教会財産の没収までしてもまだ足りず、誰にでも分かるような形で住民に暴動を起こされ、十字軍の支援がなければ帝位自体を維持できない状態になってしまいました。最後はムルズフロスに殺され、その後ムルズフロスが皇帝アレクシオス5世として即位するのに大した異論も出なかったというほど、無能で国民にも人気がない皇帝でした。
 もっとも、『紺碧のアルカディア』の中では、メインキャラの1人に位置付けたアレクシオス4世を出来る限り美化したかったのか、国民に新税を課すことはせず、表向きは反乱らしきものも起きていない、すべてはムルズフロスとエウフロシュネの陰謀だっていう感じの物語になっています。また、アレクシオス3世の実名が出ないのとおそらく同じ理由で、ムルズフロスも、皇帝アレクシオス5世とは紹介されていません。
 一方、アレクシオス4世と共同の皇帝だったイサキオス2世については、史実ではアレクシオス4世が殺された後、間もなく死去したものとされており、『紺碧のアルカディア』では生死についても特に言及されておらず、完全に忘れ去られた存在になっています。
 そして、この小説では、うちのテオドラが自分の神輿に担ぎ上げるため、イサキオス2世をニケーアに連れてきて名目上の皇帝にしてしまい、おかげで史実以上に他人に迷惑をかけまくる愚帝になったんだけど、これについては改めて説明するまでもないかな。

 そういった細かな違いはあるけど、『紺碧のアルカディア』が扱っているのは、基本的にコンスタンティノポリス陥落までの時代で、『ビザンティンの風』はちょうどその直後くらいから物語を始めているから、ある程度の連続性があります。
 ただし、史実ではモンフェラート侯ボニファッチョは、自ら皇帝になるために、イサキオス2世の妃であったマジャル王女マルギト、別名マルグレーテ・マリアを妻に迎え、この小説では概ね史実どおりの扱いにしているんだけど、『紺碧のアルカディア』ではそのあたりの事情を完全に無視して、ボニファッチョはフェリチータを妻にしようとして逃げられたりというくだりもあるんだけどね」

「・・・それって、重要な問題なの?」
「かなり重要だよ。日本や西欧諸国なんかと違って、ビザンティン帝国では、元皇帝の妃や皇帝の娘を妻に迎えれば、それによって自分の帝位継承権を正当化できるという大きな政治的メリットがあるんだ。そんなわけで、史実のボニファッチョもコンスタンティノポリスを征服したとき、皇帝一族の女性は丁重に扱っており、その中からマルギトを自分の妃に選んだわけ。
 一方、『紺碧のアルカディア』では、ボニファッチョが市内で隠れているフェリチータとテオドラ皇女を見つけ、フェリチータが自らボニファッチョと結婚することを条件に、テオドラ皇女を見逃すというシーンが出てくるんだけど、常識的に考えれば、ボニファッチョがビザンティン帝国の皇帝になろうというのであれば、フェリチータよりテオドラ皇女と結婚した方がはるかにメリットが大きいので、フェリチータと結婚する代わりにテオドラ皇女を見逃すという選択をすることはあり得ない。
 ヴェネツィアは、そもそも君主制の国ではないから、いかに美人で切れ者だとしても、ヴェネツィア元首の孫娘に過ぎないフェリチータと結婚する政治的メリットはほとんど無い」

「ヴェネツィア元首の孫娘って、そんなにステータスが低いの?」
「かなり低いよ。元首は原則終身制だけど、元首が亡くなったら次の元首は他の家門から選ぶのが通例になっていて、実際エンリコ・ダンドロが亡くなった後も、史実で次の元首になったのは、ピエトロ・ツィアニという人物なんだ。エンリコ・ダンドロの息子であるラニエリ・ダンドロは、国内の反発に配慮して元首を辞退し、単なる海軍の将として人生を終えているからね。
 だから、国同士の政略結婚としての意味は全くない上に、ダンドロ家をはじめとするヴェネツィア人の有名家門は裕福ではあっても、身分としてはあくまでも平民だから、貴族の『青い血』を誇りにしている西欧の貴族が、最も高貴な家門であるビザンティンの皇女を袖にして、わざわざヴェネツィア人の娘を妻に迎えようとするなんて、正気の沙汰ではない。日本における江戸時代の『士農工商』と似たようなもので、中世ヨーロッパの商人はいかに裕福でも、社会的ステータスは低いものとみなされていたんだ。

 近世になると、次第に商人たちの地位も上がり、フランス王がトスカナ大公であるメディチ家の娘を妃に迎えた例も出て来るけど、そのときでさえ、メディチ家が商人上がりの家系で、高貴なフランス王の妃には相応しくないなどと非難の声が挙がったくらいだから、その頃より商人の地位が低かった13世紀に、そもそも貴族ですらないヴェネツィア商人家門の娘を、名門貴族の出身であるモンフェラート侯ボニファッチョが、自分の妻に迎えようとするなんて、現実にはあり得ない話だね。
 日本でもそうだったけど、中世の貴族社会では、女性の価値は見た目より、まず家柄こそが重要だったんだ。妻を選ぶにあたり、美人にこだわった人もいないわけではないけど、それも身分が高くて美しい女性であるのが前提。美しくても身分の低い女性は、愛人なんかにすればいいだけの話だから、わざわざ妻にするメリットはない。そのあたりの価値観を理解せず、現代人目線で物事を考えてしまうと、とんでもない話になってしまうんだよ。
 ちなみに、この小説では、ビザンティン帝国がヴェネツィアやジェノヴァのお株を奪って、本格的な交易活動に乗り出して税収を稼いだりしているけど、それは僕が現代日本の出身で、従来の価値観に囚われず、聖職者や知識人などの反対に一切耳を貸さず、武力に物を言わせて反対者を容赦なく粛清していたから出来たことであって、実際のビザンティン帝国がそういうことをやっていたわけではありません。実際のビザンティン帝国では、皇帝など身分の高い人が交易などやるべきではないと考えられていました」
「・・・みかっちって、裏でそんなこともやってたの?」
「やってたよ。だから、僕の統治が上手く行っているにもかかわらず、国内の聖職者や知識人が敵のエピロスを陰で支援したり、ムザロンを支持したりしているんだ。改革をやろうとすれば、必ず抵抗勢力が出てくるのは、古今東西避けられないことだからね。
 それから、『紺碧のアルカディア』の方は、主にヴェネツィア視点で書いているから、東西教会の合同をあたかも理想社会のように描いているけど、この小説はビザンティン視点で書いているから、東西教会の合同なんて冗談じゃない、しかも主人公の僕が現代日本から連れて来られた人間だから、そもそもキリスト教自体がおかしいって話にしてしまっているという違いもあります」

3 『ギリシアの火』について

「そういえば、この小説では史実のビザンティン帝国に存在した『ギリシアの火』という秘密兵器を、神聖術という魔法めいたものだったことにして、この物語の重要な構成要素にしているけど、『紺碧のアルカディア』の方では、『ギリシアの火』はどういう扱いになっているの?」
「一応、『紺碧のアルカディア』でも、ギリシアの火というキーワードは出てくるよ。そして、『エルズルムの石』という、ギリシアの火のコンパクトバージョンみたいな護身用のアイテムを登場させ、ギリシアの火が魔法のようなものだった、という雰囲気も出してる。
 まあ、ビザンティンを舞台にしたファンタジー作品を作るなら、『ギリシアの火』を魔法のようなものと位置付けるという発想は、当然のように出てくるだろうね。もっとも、『紺碧のアルカディア』の中では、実際には『ギリシアの火』は全くと言って良いほど活躍してないけど」
「何で活躍してないの?」

「どうやら、『紺碧のアルカディア』の作者さんは、『ギリシアの火』の使用に必要な材料の産地が、現在のトルコ共和国東部にあるエルズルムあたりで、そのエルズルムは既にイスラム勢力に奪われているので、この時代のビザンティン帝国には、もはや『ギリシアの火』を使うことは出来ないという設定を使ったみたいなんだけど、さすがにこの設定はいろいろ問題があってね・・・」
「どんな問題があるの?」
「第1に、史実で『ギリシアの火』の主原料とされていた原油は、おそらくクリミア半島で産出されたと考えられていて、産地がトルコ東部のエルズルム地方というのは、全くあり得ないとまでは断言できないけど、かなり特異な見解なんだ」
「確かに、エルズルムあたりには、特に油田があるというわけでもないのに、どこからそんな発想が出て来たのかしらね」

「第2に、そもそもエルズルムという都市の名前は、イスラム勢力のルーム・セルジューク朝によって付けられた名前で、ローマ帝国時代にはテオドシオポリスと呼ばれていたんだ。ギリシア語読みで何と発音するかは、僕も正確には分からないけど。
 ビザンティン帝国にとって重要な国家機密である『ギリシアの火』に関するアイテムの名前に、自分たちの呼び方ではなく、よりによって『エルズルムの石』などという、イスラム教徒が付けた都市の名前を冠するというのは、いくら何でもおかしいと言わざるを得ない。しかも、テオドシオポリスが最終的にイスラム勢力に征服されたのは、史実では第4回十字軍が起こる直前である、1201年のこととされているし」
「時代考証の完全無視ね。ビザンティンを舞台にした物語を書く場合、現在のトルコにある都市名をそのまま使うのは明らかにおかしいから、ローマ帝国・ビザンティン帝国時代には何と呼ばれていたか調べる必要があって、うちの作者もその点で結構苦労してるのに、『紺碧のアルカディア』の方は、安直にトルコ人の付けた名前をそのまま使っちゃったわけね。確かにそれは、あまりにもローマ帝国を馬鹿にしている暴挙だわ」

「日本で言えば、戦国時代にいきなり英語名の都市が何の説明もなく出てくるようなもので、違和感ありまくりだね。そして第3に、ビザンティン帝国ではイスラム教国や他の異教国を含め、諸外国と頻繁に貿易が行われていたから、他国の支配下にある土地の物だから手に入らない、なんてことは基本的にない。大宮殿の緋産室に使われたポルヒュロという石材が、既にイスラム帝国の支配下にあったエジプトから輸入された例もあるしね。
 そもそも、ビザンティン帝国は西方のカトリックと違って、異教徒の国とも積極的に交流し、首都のコンスタンティノポリスはそれによって繁栄していた国際都市なんだ。東西教会の合同と言えば聞こえは良いけど、実際に行われていたのは、ビザンティン帝国がローマ教皇の支配を受け容れろという要求に他ならない。
 そのような国際都市が、異教徒は殺せなどと宣うローマ教皇の支配下に入るということは、現代で言えば香港の自治権を奪い、完全に中国の支配下に入れというようなもので、まともなビザンツ人がそんなものを理想社会と考えるわけがない。
 そして、1204年のコンスタンティノポリス劫略を機に、東方の正教徒は西方のラテン人を、イスラム教徒のトルコ人以上に野蛮で憎むべき存在とみなし、ローマ教皇に支配されるくらいなら、いっそのことトルコ人に支配される方がましだとまで考えるようになり、東西教会の分裂は今日まで続く決定的なものになったんだけど、そうした事情も十分に理解されているとは思えない物語だったし」
「確かに、みかっちの話を聞いていると、『紺碧のアルカディア』の物語は、ビザンティン帝国は古臭くて何の価値もないっていう、西欧発の歪んだ価値観を鵜呑みにして作られたとしか思えないわね」


「そんなわけで、僕としては『紺碧のアルカディア』を全面的に高く評価することまではできないけど、それでも貴重なビザンティン関連作品であることに変わりはありません。ビザンティンを舞台にした小説を書いてみようという方がおられましたら、今回述べたような事情を加味すると、もっとリアリティのある面白い作品が出来るのではないかと思います」
「そうね。ビザンティン帝国は、西欧なんかと違って、身分の低い娘が花嫁コンテストで選ばれていきなり皇后様になるなんていう、シンデレラみたいなお話が本当にあった国だし、身分の低い巨漢のレスラーに過ぎなかった男が、宮廷でとんとん拍子に出世して、皇帝になっちゃったこともあるのよ。
 ビザンティンの歴史は、日本ではまだ発掘されていない面白エピソードの宝庫だから、ネタに詰まっている小説家のみなさんなんかには、是非一読をお勧めしたいわね。このウェブサイトには、かなりの長文だけど、ビザンティンの歴史もかなり詳しく書いてあって無料で読めるから、興味のある人は覗いてみてね」

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